ここの背景画像は「QUEEN」さんからお借りしました。
私たちは、当然のことのように「ハンカチは正方形」と思っていますが、これは非常に恣意的なことだったのです。
ハンカチはすでに古代エジプト時代からあって、いろんな形や、宝石を飾った豪華なものがあったそうです。ハンカチーフ(handkerchief)と言いますが、カチーフは「頭をおおう布」という意味で、まだ帽子がない頃、女性達は布で頭や肩などをおおっていました。そして帽子が出回るようになると今度は、それを首に巻いたり、あるいは手などに持っちました。それがハンカチというわけです。
ルイ王朝のころ、ハンカチは絹製の大型で貴重品であり、親から子へ受け継がれるもの、また男性から女性へ贈る「愛の印」でした。17世紀の後半から、ロココ調のデザインが主流になり、卵形・長方形・三角形などの様々な形のハンカチが現れました。
それを嫌ったマリー・アントワネットが「国内のハンカチはすべて正方形に」と進言したことから、1785年、ルイ16世が「ハンカチのサイズは縦横同一たるべし」との法令を布告したのです。このことから、以後ハンカチは正方形になりました。
残念ながら、なぜそうしたのか、というところまではわかりませんが、マリー・アントワネットが、他の女性がが自分のより華やかなデザインのハンカチを持っていることを嫌ったのかもしれません。それとも、もしかしたら、形を統一すれば縫製工場の作業性が高まるから、商業の発展を願ったルイ16世が、こんなことを考えて、マリー・アントワネットに同意したのかもしれません。
ギロチン・メニュー (H12.10.18.UP)当時のレストランではお客さんに手渡すメニューと言うようなものはなく、壁の張り紙にその日の献立が張り出されていました。テュルりー宮殿にほど近いあるレストランでは、食事の名前が並んでいるメニューと同じ紙に「本日のギロチン犠牲者リスト」がありました。つまり、このレストランに来るお客さんは必ず、そのリストを見ながら食事を選んだわけです。
そのような事情があったからでしょうか、このレストランはギロチン愛好家の溜まり場となり、名前も「ラ・ギヨティーヌ(ギロチン)」となってしまいました。
ギロチン・モードでも書きましたが、当時の生活は断頭台と切り離すことができませんでした。誰でも自由に処刑を見に行けたし、アクセサリーになったり、ジロンド派サロンの食卓にまで登場するくらいです。レストランのメニューに登場しても、何の不思議もないのかもしれません。
今の時代に生きる私達日本人からすれば悪趣味の極みのように思われますが、フランス革命をかじったことのある人なら必ず知っている桑原武夫先生が1961年頃パリに行った時、ちょうど公開処刑をやっていて、朝方まで酒屋で皆で飲み明かし、処刑の時間が来ると、「さあ行こう」と誘われたそうです。今はギロチンは廃止されてしまっていると思うので、そんなことはもちろんないでしょうが、それにしても逞しいフランス人です。