海上自衛隊 第一術科学校

(広島県安芸郡江田島町)

生徒館 640*480

うんちく

海上自衛隊 第一術科学校は、1888(明治21)年、東京は築地にあった海軍兵学寮が 移転して海軍兵学校となったのが始まりで、その後・太平洋戦争の終戦に伴い、連合軍に 接収されていましたが、1956(昭和31)年に返還された後は海上自衛隊の教育機関が 置かれ、現在は第一術科学校・幹部候補生学校・江田島病院等の施設から成っています。

あ、そーいえば、昔の資料を読んでいると少年術科学校なるものもあったはずなのですが、 "子供を戦場に送るな"というユニセフあたりの活動のせいか? 最新の資料では名前が なくなってますね。(笑) 実態は第一術科学校に吸収されていて、なんら変わらない 筈なのですが・・・(爆)

さて、海軍兵学校の格好良い歴史は、現地で海上自衛隊の広報の方が説明して下さるので(爆)、 どーでもよいところの雑学的な話をいくつか・・・

海軍兵学校が何故、この地に設けられたか? というと、冒頭にもあるように 元々は東京・築地にあったのですが、どうも生徒の素行が相当問題あったようで、 世俗と隔離され、教育に適した地ということで、この地が選ばれたのだそうです。

あと、日本で最初に運動会が行われたのがこの海軍兵学校で、当時は、 棒倒しとか、騎馬戦などといった、いかにも・・・ な種目が行われていたようで 今時の運動会とは少々趣を異にするものだった様です。

その他、海軍兵学校の背後にそびえる古鷹山の標高は、戦前392mだったものが、 現在では376mとなっています。これは別に戦後になって地形が変わったわけでも 何でもなくて、当時・この山を"みくに(御国)の山"と語呂合わせで呼ぶために 強引に標高を392mとしてしまったのだとか・・・

撮影ポイント

一術校地図 ここは現在も現役の軍事施設ですから、見学手続きを行った上で見学を行う事になります。

見学は下記の表の通りの時間で行われているので、その前に受付を済ませ、広報担当の 方の指示に従ってコースを見て回る事になります。

1回 2回 3回 4回
月〜金 10:30 13:00 15:00
土・日・祝 10:00 11:00 13:00 15:00

なお、所用時間は90分程度です。


大講堂 大講堂 (地図上ポイント@)は、車寄せのある表側・大きな木製扉の並ぶ裏側とで全く 異なる表情を見せます。結構大きな建物であること、道路の幅などの都合で あまり後ろに下がりにくいことから、広角側に強いカメラを使用することを お薦めします。



生徒館 次は 生徒館 (地図上ポイントA)は、ここ最大の見所だと思います。太平洋戦争を ネタに扱った映画なんかのロケでもよく利用されていると思います。

ここは、なんと言っても東京駅ほどとは言いませんが、やはり非常に 横が長いです。結構構図に苦労しますが、大講堂よりは撮影の自由度が 高いので、いろいろな角度から撮影してみられることをお薦めします。

また、見学コースを回る間に、建物の裏側も少し見ることが出来ますので、 見逃さないように・・・ 連続するアーチはなかなか壮観です。



遠方より生徒館を望む グラウンド端(撮影ポイントB)からだと、背後に聳える古鷹山をバックに 生徒館を撮影することが出来る、絶好の場所だと思います。

また、ここには、戦艦陸奥の主砲塔を初め、12.7cm連装高角砲・ ヘッジホック発射機・魚雷発射管などなど、その手のマニアにはたまらない ものが多々ありますが・・・ 私が10年前に行った後、手入れを全く行って いないためか、ペンキが朽ち果て、サビが出ていたりと、かなり程度が 悪くなっています。まぁ、資料写真を撮っておく程度でしょうか?


甲標的 最後は 教育参考館 (撮影ポイントC)で、ここはギリシャ神殿を連想させる建物 をはじめ、戦艦大和・三景艦の主砲弾や、右の写真にある甲標的 などなど、これまたマニアックなアイテム満載です。

ちなみに、ここに展示されている甲標的は真珠湾攻撃に参加した 五隻の特殊潜航艇の内の1隻です。(ということは、この艇の乗員は 殉職されたという事になります。)このあたりの詳細は、教育参考館 内部の展示を見ることで詳細を知ることが出来ます。


いろいろ書いていますが、ただ写真を撮るだけではなく、歴史的 建造物や歴史的遺産も多いので、近代史を勉強したり、また平和の 尊さを学習する場としても良いと思われます。


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