JH2CLV's Topics & Memorandam / January 2009

Jan 31-. 2009  所用で帰省
30日仕事明け後車で清水へ向った。福井も雨だったと北陸道・東名高速とも道中は雨の連続で途切れることが無かった。特に岡崎付近や牧の原付近は土砂降りで、こんな時期にこれ程の雨が降っても良いのかと思う位だった。今回も省エネとTEC深夜割引の励行となり、帰宅は24時15分頃になった。翌31日は朝から今回の帰省の目的であるミカンの出荷。カミサン中心に少人数の撰果作業は出荷日まで時間が掛かるため、既に撰果したミカンが重さで変形したり、腐りが出たりする。また気温の変化が激しいとミカンに露が着き濡れる。このため早めにミカンを入れ替えてシャフリングをして様子を確認し、室外と温度を合わせたりで、朝食前が中々忙しい。この日は雨のため、トラックでなくワゴンで出荷した。最近農協では規格外のモノは受取らない。生産者はその処理に苦慮している。1年間の努力に対する評価の有り方・・・・この時期になると何時も疑問に思う。 写真は清水区入江の魚市駐車場でカミサンを待つHana。オンマウスはミカンを出荷した帰りに畑総で散歩するHanaとカミサン。遠くに庵原球場が見える。 この日は友人からテストを依頼された送信(3-500Z)のデータ取りなどで、久し振りにHomeShackでラジオ少年をやった。

Jan 28. 2009  煮干しイワシに舌鼓
音楽仲間だった静岡の友人Y氏が昨年9月福井を訪れ29年振りの再開を果たした。その際四国出身の友人で既に没されたシンガーソングライターS氏の事が話題になった。そして30年前の録音が実家で眠っている話をしている内にCD化してご遺族に届けようと思い立った。帰省の度に6mmテープとカセットを探し、見つけたモノからデジタイズを始めた。そして年明けに最後のテープが見つかりようやくCDにまとまった。Y氏経由でお届けしたところS氏の奥様から懐かしい「煮干しイワシ」が23日朝届いた。お気使いさせてしまったかと恐縮して荷物を受け取るとガサゴソ音。そして隙間から漏れ出るあのイワシの匂い。懐かしい!。昔S氏が清水で一人暮ししていた頃このイワシを良く送って頂いた。まるかじりするだけで味が染み出てきて美味しく、ビールのツマミにもオヤツにもなった。単身赴任者には貴重なカルシウム源だ。添えられた奥様の達筆な手紙を拝読しながら、S氏の曲に良く登場する瀬戸内海や、予讃線で初めて四国へ渡った時の事を思い浮べていた。CDは霊前にお供えになったとの事だが未だ聴ける状況には無いご様子に複雑な心境。写真は段ボール箱に詰まったイワシの煮干し。今日までに友人達へお裾分けしたが大好評だった。

Jan 25. 2009  面白かった「インピーダンス・マッチング」・・・ちょっとした頼まれ工作
昨年「電子立国日本を育てた男」を読み出した頃、友人のJG2EGS岩崎氏からインピーダンス・マッチング(澄野一樹著)と言う本が面白いと紹介された。「電子立国・・・」を読み終えたので先週オンブックと称する発売元へ注文。昨日それがメール便で届き、読み始めると面白くて一機に読んでしまった。タイトルからすると工学書?と思ったが大間違いだった。メーカーのエンジニアである著者は、ある設計職場を舞台に、巧みに人物を配置させ、主人公である女性エンジニアの成長過程と周辺関係者や家族の人となりを、設計を通して紹介するドキュメント小説だった。その過程でスミスチャートやインピーダンス・マッチング等が説かれている。この本は、後進の指導育成で悩んでおられる向きには一つのヒントになると見た。実は自分の歩んできた道とダブル処が幾つもあって目頭が熱くなった。お勧めの一冊である。
オンマウスは頼まれ物のタリーボックス&SW。トグルSWで赤/緑ランプを点けながら、赤点灯時はDC12Vを外部出力すると言うモノ。ランプ部は依頼主からの支給品。ベースの箱は電工用プラスチックケース(MIHARU製)を使った。電源はAC100Vで、ランプ部にDC電源や駆動回路がある。何に使うかって?それはヒミツだがヒントはここ

Jan 22. 2009  名古屋でHAM仲間の集いと先輩のお通夜
名古屋ののんべぇHAM仲間が集った。後述の所用もあり15時36分のしらさぎで福井を発った。龍園支店が店仕舞のため、CBC旧館の北側にある新開拓の大湘園が会場となった。07年10月19日、龍園支店店仕舞直前に集ってから1年3ヶ月振りになる。イースター島とタヒチ島運用を果たした中西氏、ひるがの高原に別宅と1KW固定局を作った山形氏、ネパールトレッキング帰りの八原氏の報告等で盛り上がり2時間半はあっという間だった。幅広い話題、技術に人…HAMって本当に素晴らしい!と帰路で呟く。左は恒例の集合写真。左から岩田・坪井・中西・山形・虎井・森島・小川・櫛田・櫻井・菅野・岡本・八原・望月の各氏。 実は奇しくも、前日76歳で没された会社のOB_Y氏のお通夜が守山区であった。先にそちらに赴き線香をあげた。Y氏とは自作のテレフォンマイクのHYB方式で議論した思い出がある。30年も前の事だが、その後HYBやブリッジ回路に拘る様になったのはY氏の影響だったのかも知れない。ご冥福をお祈りする。今日は誤って在来線往復特急券をクレジットカード購入してしまい大騒ぎ。新幹線米原乗換への変更とたらい回しの払い戻し(オンマウス)に奔走。挙句は傘を新幹線に忘れる想定外の珍事。24時10分何とか帰宅。

Jan 17. 2009  高岡経由で氷見を訪ねる・・・「電子立国日本を育てた男」読み切る
氷見市の民宿「叶」で所用があり出掛けた。昨日までの雪に雨が降り大分溶けたがアパート周辺の道路はまだ雪混じりの状況。10時2分のしらさぎで高岡へ、更にマイクロバスで氷見へ入る。氷見からは富山湾越しに立山連峰が見える絶景の筈だったが、曇天でカメラを向けても鉛色の空と荒海しか写らない。所用とは何て事は無い同僚達との昼食会。12時から始まり15時には終焉。民宿前で記念撮影をして再びマイクロバスで高岡へ戻り16時23分のしらさぎで福井へ向う。福井へ着くと既に17時半を回り辺りは黄昏時。ところで今日は阪神淡路大地震の日、巷では不況で失職騒ぎ・・・こんなんで良いのかと内心恐縮を覚えながらも、年に1度の事なのでと自問自答。
話は変わるが1昨日の米ハドソン川旅客機不時着事故。何が今必要かを自己判断して駆けつけるアメリカンイズムはスゴイ。しかし多数の死者を出すイラク状況とはどう整合させるのだろうか・・・と一方で思ったりする。懸案の「電子立国日本を育てた男」をようやく読破。八木秀次氏の功績や人となりは知らない事ばかりで新発見の連続だった。そして著者松岡博志氏の取材量にも圧倒された。写真は高岡のバス越し路面電車と駅を通過する夕暮れのトワイライトエクスプレス

Jan 14. 2009  雪の池田町を訪ねる…消えない驚きと嘆き
所用で昨年5月以来の池田町を訪ねた。いや?、冠山登山の10月以来だ。福井市内は曇天で雪混じりだったが池田町は写真の様に日が差す状況だった。普段は一乗谷から入るのだが、今日の運転手は鯖江河和田から入った。所用は13時半から1時間足らずで終了。写真は帰り道、町の主要道路を北へ走る車中からの撮影。この日は天気が急変し雨から雪に変わった。オンマウスは福井市内の路地。
閑話休題・・・12日、名古屋駅発14時22分の新幹線を10人程のお客さんが1列で待っていた時の話。そこに濃紺詰襟の学生服姿の青年が現れ列右の先頭に荷物と共に陣取った。新たなお客さんは列の後ろに付く…これが日本人の常識の筈。暫く彼の様子を見ていたが電車が到着しドアが開くと乗り込む体制。勇気を以て「どうなんでしょう?」と声を掛ける。密閉型ヘッドフォンの音楽鑑賞には通じない。それで軽く肩を叩き思いを伝えた。すると「地べたには2列で書いてあるから問題ない!」と返事。最近の学生の倫理感はこんなモノなのかと驚き嘆く。振り返ると1列で待つ人達も私と同感のご様子。状況を見た身のこなしがどうして出来ないのかと数日経った今でもその思いが消えない。あの学生服と徽章・・・当分忘れそうにない。

Jan 10-12. 2009  帰省と名古屋に所用
三男の成人式と学寮から借家に変わる契約準備で、名古屋市守山区をカミサンとHanaとで尋ねた。実はこれ以外に懐かしい友人知人との再会も目的であった。10日は久し振りにJRにで帰省。新幹線の車窓を流れる景色に昔仕事で尋ねた集落のイメージがダブって来る。特に掛川辺りの箱庭の様な処・・・何故だろうと考えているともう静岡。雪の舞う福井とは違い静岡の空は真青だ。実家で1泊して11日〜12日は1泊でカミサンの超低車高車B4で出発。11日の田舎は冷え込み、朝気温は-2℃で車のガラスやボンネットはガチガチに凍った。ETC通勤割引を複数カードでつなぎ名古屋へ。先ず大森の安麺棒御夫婦を訪ね昼食。その後も懐かしい再会に時間が流れた。転勤族で腰掛の自分に比べ、カミサンの行動範囲と顔の広さに改めて感心。写真は11日の夕暮れ時、矢田川河川敷に集まったワンちゃん仲間。オンマウスはその夜、特に親しい友人Iファミリーズとの懇親会の様子。普段飲まないカミサンもこの日ばかりは赤い顔で焼酎ナイトだった。成人の日前日で話はやはり子育と子の成長に集中。12日は久々にM御夫婦宅を訪問。その後三男と合流し所用を済ませる。昼食後カミサンはB4で静岡へ、自分はJRで福井への帰路に就いた。

Jan 8. 2009  年末年始もろもろ
壊れたものを見ると中を覗き修理をしたくなる性分のようだ。ハングリーで自給自足を好む人間らしい。年末年始も色々壊れたものを扱った。その一つは修理完了まで紆余曲折があったNECのディスプレイLCD72VM-R。1ヶ月半を要しようやく完了。やはり先入観は控えるべきだと反省しきりだ。最初からCCFLを疑えばもっと早い解決があった筈だ。しかしそのおかげで新しい出逢いがあり決して無駄な道のりではなかった。おかげ様でこの機種の大半の仕組みが解り、その後オークションで複数個購入し家の標準機になった。それから筆頭デジカメOLYMPUSのC-700UltraZoomが壊れた。仰向けで撮影中パーンと音を立てて電が切れそれっきり。何をしても電源が入いらない。意を決して分解を試みた。最初の分解は時間切れで原因特定に至らなかった。あのパーン音はそれなりの破壊を連想させるし、電源が入らないのはレギュレータだとタカをくくっていたが、今回の相手も手強そうである。 そういえば正月は姉夫婦がノートPCのディスプレイが可笑しいと持ち込みがあった。とりあえずVGA出力を生かし外部ディスプレイで対応できるようにしたら大喜びだった。今年もこうした回り道に時間がとられそうである。写真は昨年暮れに分解したC-700。

Jan 5. 2009  オリジナル録音のマスターリングとCD化
以前にもこのページで紹介しているが、30年以上も前のアナログ録音をデジタイズする作業を行ってきた。その目的に既に没された先輩のシンガーソングライターS氏への供養がある。昨年、一緒にバンドに参加されていた別の先輩Y氏から訃報を知らされた時は本当にショックだった。何か出来ないものかと思い悩んでいる内に昔の録音の事に気付き、整理してCDにしようと考えた。実家のロッカーに6mmテープとカセットテープで保管してある筈だったが、探してみると全てが出てこない。何としても関係した録音全てでまとめたいと思っていた。諦め掛けていた正月の3日、最後の1本がカセットテープで出てきた。ようやく集まった素材を整音し程よき圧縮を掛けてCDに焼き込んだ。延べ収録時間は3時間余りでCD3枚に及んだ。録音はS氏との最初に出逢った清水市民会館別館コンサート(1975年12月7日)の他、静岡県民会館ピーターパンフォークフェスティバル(1976年6月26日)、オリジナルレコード制作(1976年10月)、島田市民会館いつかきっとコンサート(1977年4月10日・10月2日)が続く。聞き返すと33年前の様子が昨日の事の様に蘇り涙がにじむ。CDは梱包され転送して頂くY氏の元へ旅立った。写真は勢揃いしたオリジナルCDとジャケット。

Jan 2-3. 2009  2〜3日家業の仕事始め・・・4日未明帰省
世の中は未だ正月なのに柑橘生産者には正月など有って無いようなもの。振り返るとここ何年もこんな調子だった。正月明けの消費者ニーズに答える為に正月中に出荷の準備すなわち撰果作業が始る。今月は5日に初出荷があるため2日と3日で太田ポンカンを撰果し2L玉以上で約450Kgの荷を作った。実家は最近規模を減らしているのでこの数字は決して多い量ではない。しかし正月でお客さんが訪れたり様々な対応があるので意外と時間が無い。作業は大きさ・形・色・キズ等を見るまさにアナログ評価。勘に頼る処もあり個人差が出易い。質を落とさず量を稼ぐ妙な作業で神経衰弱になる。味は同じなのに落とさねばいけないジレンマは生産者として大変辛い。落としたモノも有効に出荷出来る様にするための戦略も必要になる。味だけで勝負する「アウトレット」頒布をネット上でやって見たくもなる心境だ。切ってから1ヶ月弱寝かした太田ポンカンは甘味と色が増し美しい。そこはカミサンと子供達の話や世間話を通してコミュニケーションが図れる楽しい時間でもある。4日は未明3時50分に清水を発ちETCの深夜半額割引で福井へ戻った。写真は太田ポンカンの撰果風景。オンマウスは福井ICを降りた辺りの田んぼの様子・・・雪が綺麗だ。

Jan 3. 2009  2009年の元旦
2008年は慌しく過ぎたが2009年は穏かに明けた。趣味の課題は、時折発生する不具合対策や浮気心のため中々進まず、また年を越した・・・7F71RのHPAやサーボプリセレのジェネカバRx等々。単身赴任も1年半を経過中だが何とか形にして帰りたい。ひょっとしたらこの程度の話でも初夢にして良いのかも知れない。 昨夜の「紅白」はアルコール変調でコタツにあたっていたら知らぬ間に眠ってしまい、気付くと和田アキ子と氷川キヨシのトリ対決だった。その後「行く年くる年」を眺め随分と雪が少ないなぁ等と考えている内に床に就いていた。 目が覚めると6時半。慌てて7時からの年頭会(東久佐奈岐神社)に親父と出かける。元旦に毎年地区の皆さんが集って新年の挨拶と安全祈願をするのだが、親父はこれに出ないと年が始まらない。おかげで未明からラジオが鳴り出発準備が始まる。神社の境内では焚火を囲んでお神酒が振舞われる。飲んでないと親父は言うがどう見てもガバ飲み状態だ。まぁ年に一度の事だからと目をつむり、自分は運転手に徹し焚火でつまみのスルメイカをあぶる。家に戻ると三々五々姉妹夫婦が集まりアルコール三昧開始。暴飲暴食でヨレヨレの一日だった。写真は朝9時半撮影の富士山と実家周辺の様子。