2 ドアを開くとそこから冷気が漂ってきた。
真夏とは無縁のそこは楽園だった。
「祥子ちゃーん、患者さんですよお?しょうこー?」
叫びながら真子はバタン、とけして寝心地はよくない、保健室のベッドへとダイブした。
こらーと茶髪で白衣を羽織った女姓が現れた。保健教諭、斉藤祥子。32。独身。バツイチ。
「なーんだ?立原。またあんたなの?」
「頭痛腹痛生理痛であります」
「それ毎日じゃないの」
「不順なの。座ってられないし夏だしサイアク」
「はいはい。……なんかあったのね」
「うん、あった。それ以上聞かないで」
文句は言うが、それだけで結局一時間ぐらいのサボリには目を瞑ってくれるこの保健教諭は結構好きである。
真子はタオルケットに手を伸ばして頭から被ってしまった。
うとうとし始めると、トントンとドアがノックされた。
半覚醒の頭で律儀にノックしてる人がいる……と思っていると、失礼しまーす。と今度ははっきりとした発音で聞こえた。
保健室は学校内では数少ない冷房完備をしているので、何かと理由を付けては訪問する生徒は多い。
幸い、ベッドはもう一つ空いているわけだし、どかなくてすむけど。
「あらあ、日比野くんじゃない。どうしたの?夏ばて?」
祥子の声が微妙にシャープしたのが分かりやすかった。
祥子はいい男を物色する趣味があるのだ。年齢を問わず、彼女のお婿さんリストに加えられる。
「すいません、オレ健康体なんですけど入ってもいいですか」
「もっちろんよー。あら、じゃなんのご用事?」
「はい、ちょっと」
当初から寝たふりをしておこうと思っていた。
祥子選抜のいい男に興味を引かれないでもなかったが、今はそんな気分ではなかった。
「立原真子さんってここに来てますか?」
たちはらまこ。って私の名前だ。と思った。
真子はゆっくり背を起こして、しっかり視界の中に声の主を収めた。
「あ、あなたさっきの……」
長身、やけにでかい、一年生。
「なんだ、立原、日比野くんと知り合いなの?」
「ええと……」
一度話しただけで知り合いはあっていいのか迷うと、男の子は気にせず晴れやかな笑顔になった。
「オレ、日比野一輝って言います。一年A組15番」
はあ。と真子は気のない返事をした。
疑わしそうな目を祥子が向けてくるが、それは真子にとって誤解だった。
「あの」
言い掛けて、一輝は言葉を切った。その視線の意味に気付いたように祥子がはいはい、と残念そうに保健室からドア一枚で繋がる給湯室へと姿を消した。
じろりと真子を一睨みして。
「すみません」
唐突に一輝が頭を下げた。背が人より高いせいで少し頭を下げただけで大袈裟に見えた。
一大事に思えた。
「すみません、オレさっきひどいことしでかしたんで」
「ひどい、こと?」
「オレ、椎名先輩とのこと知らなくて無神経なこと言いました。ごめんなさい」
それを聞いても、真子の中で謝罪の理由を合点させるまでに、しばし時間が必要だった。
(この男の子は、そんなことでこんな真面目になってるの?)
本当に?
「そんなの全然、たいしたことじゃ、なかったから……」
あ。
ダメだ。
真子はそのいい訳の失敗を悟った。
自分の不覚を思い出した。ポケットに詰め込んだハンカチも。
「お詫びにおごらしてください。なんでも言ってください」
にこーと男らしからぬ顔で笑って言った。
「……はい」
なんて、素直に答えてしまっている自分がそこにいた。
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