「おうちの、方は?」
「いないよ、オレ一人だけ」 広い広い、けれどどこか物悲しい、物質的な豊かさがそれを惹き立てるような。
普通の家の音がしない。
ひな、と言う男の子がいれてくれた一杯の温かいコーヒーは救いだった。一口含む度に心が洗われた。
「にいちゃん名前なんてあるか?」
「成太」
「……そんだけ?苗字は?」
「うん、そんだけ」
「いくつ?」
「ええとー……確か24くらいかな。君は?」
「10」
ズズズーとコーヒーをすすり上げると、凍り付いていた手が段々とほぐされた。
春先の雨はまだまだ冷たい。
「……聞いてもいい?」
「ん?」
「あんたみたいないい大人がなんで猫と同じように道端に捨てられたのか」
「いいよ」
でも語るほど長くもないし複雑でもないし、笑えもしないし、その上君の気持ちまで沈めてしまうかもしれないんだけど。
と、成太は続けた。
「それでもいいからさ。聞かせてよ」
退屈でしょうがない。のような言い方をする。
「他に好きな人ができたって言われたんだ」
「なんだ、ふられ野郎か」
「……うん。ずっと好きで、結婚しよう。って言ったらOKもらえて。後は当日に永遠の愛を誓い合うだけ。
だったんだけどね」
一瞬、少年の瞳が大きく見開かれるのを、成太は見逃さなかった。
「それは……お気の毒に」
ひなは、小さな体の2倍くらいはあるソファーにもたれて、専用のマグカップを口に近付ける。
「聞いて、いいよ」
「なにを?」
「オレの10年間に渡る生い立ち、とか」
「聞いてもいいのなら」
「名前は野村日和。A型。桜台小学校4年2組14番。父親はオケの指揮者。母親はインテリアコーディネーター。二人共に海外で活躍中。
だから、たまに家政婦がやってくる以外、この馬鹿広い家の中にはオレ一人ってわけ」
一瞬、男の瞳が大きく見開かれたのを日和は見逃さなかった。
「それは……お気の毒に」
ズズズーと二人はコーヒーをすすった。
湯気だけが白く立ち上って消えて行った。
(ああ、そーか)
二人とも同じ、なんだ。
一人は愛する女に捨てられて、一人は愛される両親に捨てられて。
(ああ、そーか)
「日和、おなか空かない?コーヒーのお礼に、よかったら何か作るけど」
「成太、料理なんてできんの?」
「まあね。台所借りるよ」
イエスの答えを待たずに成太は冷蔵庫の中身の確認を始めた。
「シチュー食べたい」
日和がポツリと呟いた。
「母さんが、オレに一回だけ作ってくれた。じゃがいもこんなでかくて、おいしいなんて言えなかったけど」
後で聞けば日和はそう言った。
「そう言えば、俺のお嫁さんになる予定だった人も、シチュー得意だったな」
どこまでも一緒だ。おかしいね。
違うのは14、その生まれの差。
コーヒーは温かい、シチューはおいしい。
外の雨は冷たい音を繰り返していたけど、二人に平等に降る。
雨が冷たい音を奏でる中、愛した人に捨てられた男が一匹。
両親の愛に飢えた少年に拾われた。
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