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 2/子供でいることと大人になること

 

 桜、まだ咲かないといいな。まだ。
 咲いてしまうにはまだ早い。もうすこしだけ待っていて。

 雨が、止まないから。

 ザー……

「ひな、朝だよ。新学期」

 重い瞼を開いては閉じる。それを3回ほど繰り返して日和は目覚めた。
 気が付けば、春休みが通り過ぎ去っていた。
 思い起こせば、朝7時。成太に起こされることに慣れてしまった自分がいる。

 一つ、分かったことがある。

 成太と言う男は、恐ろしく規則正しい質なんだ。

「おはよう」
「……おはよ」
 朝食の支度も完璧だった。メニューは赤味噌汁に白いご飯、ほうれん草のおひたしに、鮭の塩焼き。
「いただきます」 

 もう一つ、言おう。
 成太は男から見ても……及第点だと思うんだが。いい男だと。
 少々長めの色素の薄い髪を首後ろで結んだ容姿。それに家事全般をこなす。
 結婚相手としては。
 ……一度、そのふられたと言う女を拝んでみたいような。
 世の中、どっか間違ってる気がする。

「日和は今日から5年生か。楽しみだね」
「なにが?」
「え?だって、クラス替えとか担任の先生とか……」
「ああ」

 成太は食後のお茶を注ぐ。

 一つ、分かったことを言ってもいいだろうか。

 日和は、大人より大人っぽい子供のようだ。

「成太も今日から仕事?」
「ああうん。そう」
「ガンバレや。ほどほどに」

 そしてたまに壮絶にかわいい。

「そう言えばさ、成太ってなんの仕事してんの?」
「あれ、言ってなかった?幼稚園のね……」
「保母さんなの??!!」
「……保父さんなんだけどね。言ってなかったっけ?」

 お互い、まだ知らない部分が多すぎて、たいして赤の他人から進展していない。
 一月たって二人はそういう関係だ。

「桜、散っちゃうね。この雨だと」

 成太は日和の後姿に声をかけて、いとおしそうにその姿を見た。
 3日置きぐらいに雨が降る。春が来た、とうっかり花を開くとおじゃんだ。
 はかない、と日和は唇を動かした。最近になって覚えた言葉だ。
 こういう時に使う言葉だと思う。

「いってきます」
「いってらっしゃい」
 日和は見送る成太の顔を見ずに歩き出した。
 照れくさいのは慣れてないせいで。
 いやじゃない。と、そんな風には思う。
 けして、いやじゃないけどさ。

「車に気をつけてねー」
「子供扱いすんな!!」

 捨て台詞は寒い、もう春だというのに。
 駆ける日和のリズムでランドセルがとっとと揺れていた。

 

 

「――え?日和くんが、ですか?」

 コール3回で受話器を取った。はい、桃花幼稚園です。と答えると、すいません。桜台小学校5年2組の担任の吉野と申しますが……とあった。
「日和くん、調子が悪いようなので、今日は帰らせようかと……」
 新担任の吉野先生は後ろを気にしながらそう言った。
 背後には深く顔を伏せた、日和がいた。

 学校からの呼び出しなんて何があったんだと急いで来てみれば……

「……日和。今朝、気分が悪いだなんて一言も言わなかったじゃないか」
 成太は溜息をつきながら、日和と同じ目線にしゃがむ。

「今日は始業式だけですし、日和くんも休みあけですから……あんまり叱らないであげてくださいね、お父さん」

(お父さん)

 二人の目線は同時に吉野先生へ向けられた。

「ちがうよ。成太は父さんなんかじゃないよ」
「……え?じゃ、お兄さんかなにかで……」
「いえ、今は事情があって一緒に暮らしているんです」
「はあ」
「センセーって馬鹿?こんな若い父親がいるわけないじゃん」
 大胆に切り捨てて、日和はさっさと歩き出した。
 分かりにくくてすみません。と、困惑とする若い担任に向かって声を掛け、成太はすぐに日和のあとを追いかけた。

 

 どこですれ違い、どこからずれたのか。
 始めに出会い、かみあったものが音を立てて崩れていくようだった。それとも、新しい何かに阻まれているのか。

 家に帰ってからも日和は自分の部屋に閉じこもったきり、口を開こうとしない。

 あの頃の自分はどうだったろうか。と成太は先ほどから何度も記憶をたどるのだが、小学生の頃の記憶は曖昧で、好きなヒーローだとか、お菓子だとか。そういうものに独占されていた気がする。
 忘れてしまったわけではなくて、薄れてしまった。

(反抗期、かな)

 精神年齢がむしろ大人に近い日和なら、そういうこともあるんだろうが……

 成太は首を振ってソファーの背にのけぞった。
 24と言う年になって。
 振り返ることがひどく頻繁になった。それは甘えで弱さで、現実逃避の結果だ。

 でも進む時間の中で、過ぎていった時間と言うのは出てくる機会を失って……それで……
 それがどんなに淋しいか、大人っぽい日和でもそれは知らないんだろう。
 けして14という年では教えてくれなかったこと。

 ピンポーン、と呼び鈴が鳴った。ピンポーン、ピンポーン、
 成太は急ぎ足でリビングを抜けて玄関の扉を開いた。
 たいそう驚いた顔をしたかわいいお客様だった。

「のっ野村くん、日和くん、いますか?」
「ああ。日和の友達?待っててね、今……」
「いいです!!気分悪いんですよね。あのこれ、学校のプリント届けに来ただけですから。あ、私うっかり学級委員なんてものに選ばれたものだから……」
 しどろもどろに言葉をつづって、赤いランドセルからプリントが一枚取り出された。
「ありがとう。日和に伝えておくよ。あ、よかったらお茶でも飲んでいく?」
「いえ!とんでもないです。そんなことしたら私日和くんに嫌がられるから」
「嫌がる?」
「日和くん、こういうお節介まがい嫌いだから……」
 失礼します!とお客様は一礼して、特急で立ち去っていった。
 ありがとう。と成太は後姿に声を掛けたがはたして届いたかどうか……。
 突然の訪問に成太思わず微笑んだ。

 そして手に渡されたプリントに目を落として息を呑んだ。

「授業参観のおしらせ……」

 

 

  * * *

 ジジジーとファックスが送信されてくる音がする。
 どうやら成太は仕事に出かけたようで、キッチンのテーブルの上に『遅くなります。先に食べていてください』と夕食の献立と共にメモがあった。

 いつもより静かなのは不思議な感じがした。と言うか一月前まではいつもがこうだったんだけど。
 ここ一ヶ月が騒がしかったにすぎないんだけど。
「っちぇ」
 日和は送られてきたファックスを引き千切って、そのままゴミ箱へと投げ捨てた。
(成太だけは違うだなんてどうして思ったんだろう)
 大人なのに。

「大人なんて大嫌いだ」

 

 

 


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