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 3/14の奇跡

 

「起立、礼!……着席」

 始業式早々の授業参観とは名ばかりで、つまり過保護な親が自分の子供の新しい学び舎を観察しに来るのである。
 だからなのか新担任の吉野は必要以上に緊張に襲われて、さっきから三度ほどチョークを犠牲にしている。

「げー。ババアが来てるよ、あれほど来んな!っつったのに……」
「え?どこどこ?  うわ、そっくりじゃん」
「やだあ、お母さんてば何あの服、趣味悪い」

 いちおう恒例の親の品定めを終えた後、子供達は授業に真面目に取り組む演技を始める。
 どうすれば後で親のごきげんを取れるか心得ているからだ。
 そういうわけで、自分のような者にとっては演技の必要さえないだろう。と日和は思っていた。
 せめて皆の邪魔はすまい。

「そうだなーじゃ、ここを……野村くん、読んで」

 およそ国語の授業だと思われるが、手も挙げていなかった自分にご指名が来るとは思いがけず、おかげで教科書も開いていない有様だった。
 隣の席の新学級委員長・木立美幸がさりげなく読む場所を教えてくれた。
 スラスラと読み上げて、「はい、よくできました」と吉野が誉めると後方から拍手が届いた。

「え、あ、すみません。思わず……」

 まさかの声だった。聞き覚えがあった。
 案の定、その声を中心に少々のざわめきが起こった。

「だれのお父さん?めちゃカッコイイー」
「親父じゃねーだろ、兄貴とかじゃねえの?」
「オレ知ってるー。あの人、妹の幼稚園の先生だよ。ウチの母さんなんて、年と父さん忘れてきゃあきゃあ言ってたもん」

 照れて頬を赤く染めた成太は教室の隅に居場所を置いた。
(なんで、ここに……?)
「よかったね、野村くんのお父さん来てくれて」
 横で木立が小声でささやく。

 だから違うって、言ってるのに。見たら分かるじゃないか。
 全然似てないし、年齢だっておかしい計算になるし。
 どこが親子だってんだ。
 成太は視線に気が付くと無邪気な笑顔を返してきた。

 

 

「どうして、来たの?」
「別に特別な理由はないよ、日和の学校ってどんな感じかなって思って」
「……変だよ、そんなの」
「……どうして?」
 今度は成太が問うた。
「だって」

 日和はきゅっと唇をかみ締めた。
 二人は帰り道を少しずつ離れて歩いた。日和が前方。後方に成太。

「だって、親子ってわけじゃないし」
 日和の小さな背中を成太は目を細めて見た。
「成太は父さんなんかじゃないのに」
 淋しげだった。
 日和は大人っぽいけれど、まだ子供で。それは間違いなかった。
 一人で歩いていくには細すぎる足、小さい体だった。
 本来なら親が大人が支えてあげなければいけなかったのに。
「親子じゃないし、もちろん父親じゃないけど、日和が学校でどんな風に勉強したり遊んでるのか。気になったから……」

(だったらオレたちって……)

「なんだよそれ、まさか同情してんの?かわいそうだって。いっつも一人ぼっちで親から見捨てられてて、金だけ与えて、全然会いにも来ないひどい親の代わりになってやろうって??」

 はかない、って言葉がまた頭に浮かんだ。桜がそこに咲いていたから。
 なんでか自分と重なった。

「ひでーよ、オレ、成太は違うって思ってたのに!一番オレに近いって……」
「俺が最愛の人に捨てられた男だから?」

 ハッとなって日和は振り返る。ポツンポツンと音を立てて大きな雨粒が落ちて来た。見る見るうちに道路が色を濃くしていく。

「同情ってのもいいと思うんだ。同情と優しさは違うってよく言うけど、否定はしないけど、誰かを同情することで自分は優しくなれるんだと思うから」
「オレはやだよ。同情なんてされたくない。みじめになるよ」

 ……日和くんはお父さんもお母さんもいなくて大変ね。
 ……いいじゃん、ずっとプレステやれるじゃん。うっらやましい。
 ……そーそ。親なんていない方が絶対いいよ。
 ……うるさいし、面倒だし、わずらわしいよ。

「日和は、雨に濡れてビショビショで帰る場所もない惨めな俺に、カサをさしてくれたよ」
 突然、降り出した雨から庇うようにして成太は日和の頭に手を置いた。髪をくしゃくしゃとする。
「そのカサは温かかったんだ。自分より14も年下の男の子に同情されて情けないけど、でも。温かかったんだ」
「……でも」
 それでも、みじめでしょ?

 ……日和なら、お母さんたちがいなくても大丈夫よね。
 ……さすがは父さんの息子だ。立派立派。

 頭をなでられてもちっとも嬉しくない。温かくない。気持ち良くない。
 ほら、もう顔だってろくに思い出せなくなっちゃったよ。

「がんばったんだ。勉強も運動も。でもテストで100点とったって駄目なんだ。誉めに来てくれない。オレが熱を出して肺炎になりかかったときも、外せない仕事があるって。……
 だから、思ったんだ。父さんや母さんにとってオレはどうでもいいんだな、って。オレは捨てられちゃったんだな、って」
 淋しさを忘れようと思った。
「だって、しょうがないじゃん。子供より仕事を取ったって……それは自由だよ」
 もう自分が愛されている自信なんてなくなってしまった。
 だから、もういいと思ったんだ。期待はつらく重たいだけだから。
「一人は淋しいんだろ?それでも」
 成太は落ち着いた、けれど雨音よりもしっかりした声で言う。
「平気だよ。もう慣れたし、気楽だしね」
「じゃ、なんで俺を拾ったの?」
「それは……」

 雨に濡れて寒そうで。思わず、大嫌いな同情なんてもんで声を掛けた。

「淋しい。って言えばいいじゃないか。わがまま言えば。なんで駄目なんだよ、何が怖いんだ?」
「できないよ、そんなこと」

 仕事が好きな両親に邪魔にはなりたくない。
 だって、これ以上嫌われたりしたら……

 ただ、こういう雨が冷たい音を奏でる日は、どうしようもないくらい、

 パンッと成太は日和の頬を両手で覆うように叩いた。
「なっ……なりた?」

「子供を見れば親が分かるんだって。そういうもんなんだって。だから……分かるよ」
 再び立ち上がった成太を見上げるとその身長差に圧倒される。14と言う差だけが、そこにはあるのだろうか。
 日和は力なくその場に座り込んだ。
「日和、汚れる……」
「父さん、ちょっとだけ成太に似てるよ。だからほっとけなかったんだ」
 頼りないのよ、うちのおっちゃん。と照れながら日和は続ける。
「実際、両親仲いいし。オレのことも愛してくれてるの、分かるから。オレはへっちゃらだったけど、周りはさ、そういうのでは見てくれないでしょ?」
「分かってたよ。毎日送られてくるファックスには全部、『親愛なる息子へ』って書いてあったから」

 愛されているから、日和は可愛い。

(そっか、なんだ……)

 

 

  * * *

 後日、長雨に打たれたせいで成太は寝込んだ。
「あはは、だっせー」
 と言っていた日和も明後日後にダウンした。入院のおまけ付きで。
(なぜ、おまけかと言えば)

「日和ちゃん!」
 凄いスピードで廊下を駆け抜けてきて、看護婦さんに注意されていた。
 日和の両親ズが仕事をほっぽりだして緊急帰国してきた。

「なっなんで仕事は??!!」
「仕事より日和が大事!!あたりまえでしょ?!」

 日和は照れくさそうだったけれど。
(なんだ、簡単じゃん)
 幸せそうだった。

 そしてそんな折に日和が成太の袖を引っ張って付け足すように言った。

「ね、オレ達、親子じゃないし、家族じゃないけどでも、親友にはなれるかな」

 

 

 


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