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KAMWOOD SYNDROME
〜とある神林狂いの日常〜

■過去の日記12(`02年8/1〜8/28)

<ふりむけば……>
 『宇宙探査機迷惑一番』の再刊、「神林長平フェア」、ついに発売なったOVA…と、話題続出の本家のイキオイにつられてか、とりあえず、【量だけは】たくさん書けました。
 途中では、神林とは直接関係のない話題も結構挟まってたりもしますが……(^^;;;)。でも、「好きな本がいつまでも末永く読めるようにするにはどうしたらいいか?」って考えると、少なくとも、わたしにとっては、わりと切実なモンダイなんですよね。だからといって、自分に何ができるというわけでもなく、どうどう巡りに迷っているだけなのですが……
 後は、やおい関連ネタとかは、実は自分では結構スキだったりします(^^;;)。自分の思うことや考えたことの半分も書けてなくって、毎回書いた後で後悔してばかりなんですけどね。わたしは、「やおい」に対しては、別に毛嫌いしているわけでもないし、モノによっては結構楽しめちゃったりもするのですが、知人の生粋のやおらーに比べると、どこかで決定的に素質を欠いている「やおらーのなり損ね」なんですよ(^^;;)。そういう自分の「なぜやおいにはまれないのか?」の原因は「なぜ神林作品にはまるのか?」の原因とすごく近いところにあるような気がするんですが……果たしてそこまで考察を進められる日が来るのでしょうか(^^;;)。
(2002.09.01 kayako拝)

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誕生日おめでとう(8/28)

 『七胴落とし』読み終わりました。面 白かった〜! なんで去年の春にはザセツしちゃったのか、今思うとちょっと不思議ですが……考えるに、あのときは、冒頭の主人公の鬱屈にアテられちゃったのかなぁ…と。
 なんかね、最初の方の数ページ読んでると、18、19の男の子の部屋の臭い…ドア開けると、閉めきった薄暗い部屋からムワッとし押し寄せてくる脂くさいっつーか、ケダモノ臭いっつーか(往々にしてヤニ臭がたっぷりブレンドされている)、独特の臭い、ありますよね? アレ思い出しちゃって、ちょっと気分が悪くなった(笑)。
 ところが、今回の再読…というか、再挑戦では、主人公の部屋の描写を読んでいてもぜんぜんそんな「臭い」を感じなかったんですよね。むしろ、「臭いがなさ過ぎる」のが気になるくらいだった。主人公の容姿の初読時のイメージは、「眠たそうな一重瞼で、ずず黒い顔色のニキビ面」だったのが、羽住都さんの新しい表紙のおかげで、「お目目パッチリお肌ツルツルピカピカ、朝シャン(って死語?)、パックは欠かしません。脂取り紙も必需品です。」…ってな、クラスの女の子が勝手に(←ここがポイント)「JUNONスーパーボーイ」とかに応募してそうな(爆)「隣の美少年」になっちゃってるあたり、己の想像力の現金さに呆れます(^^;;)。
 内容の方も、後の神林作品群と比べて「ニヤリ」とさせられるところ多数で、ホントに、この作家は昔っから同じ事を言い続けていたんだな……とシミジミ。、ただ、「同じ事」を言っていても、後(特に92年以降)の作品では、「不条理な世界にちっぽけな我が身一つで立ち向かう人間の前向きな開き直り」 になるセリフが、この作品の中では、「ただの世間知らずの餓鬼のワガママ」になってしまうというのが、なんとも……(^^;;)。「ぼくの、マシン」を読んだときと同じく、「若いってしんどいなぁ…」と思うのでした(^^;;)。


OVA出ましたね。(8/25)

 既に金曜(23日)の夜、近所のTSUTAYAでセルのコーナーに置かれている(レンタルの方にはまだなかった)のを見つけてはいましたが、今月はちょっと苦しいので、お給料が出るまで待つ(^^;;)。どうせ2巻が出るのはず〜〜〜〜〜っと先なんだから、急いで観ることもないでしょうし。
 かわりに……というわけではないのですが、SFマガジン10月号を買いました。隔月刊連載のはずの多田『雪風』が、何故か今月号にも載っていたもので。このまんま毎月連載になってくれたら、お財布にはちょっと厳しいけど、それはそれで嬉しいのですが、今回だけのことなのかな? 

 で、今回の内容は前回ラストのジャックの回想の続きで、エピソードとしては「ジェイムズ・ブッカーの過去・前後編」というカンジでした。前回のラストでもほぼ予想がついていましたが、やはり、ブッカー少佐の離婚理由は、子供の事故死がキッカケだった模様です。原作読んでるときには、彼の「バツイチ」設定に対してそういう理由は思いつかなかった(そもそも子供がいるとは想像してなかった)のですが、こうして、「多田作品」として提示されちゃうと、妙に説得力ありますね〜。ホント、あれだけ短いエピソードの中で、ジャックの「ダメ父」「ダメ夫」ぶりを描けちゃうとは……スゴイわ。

 あ、誤解のないように説明しますと、「ダメ父」「ダメ夫」といっても、別 に彼を貶しているわけではなくってですね(^^;;)、むしろ逆に、彼の場合、「責任感」も「家族に対する愛情」もおそらく平均以上に持ち合わせていると思われるのに、それが「良き父」「良き夫」たることには全然繋がっていない、むしろ裏目に出ちゃっている……という、すごくせつない「ダメ」なんですよ。
 なんというか、多田さんの描く「ブッカー家の崩壊」を見ていると、「家族」とか「家庭」を維持するために一番必要なのは、「愛情」よりもむしろ「父」「母」「子」「妻」「夫」…etc. の「役割」をどれだけちゃんとこなせるか、なのかな……なんてことを考えました。「家庭」というものが「社会」のミニマムなものであるとするならば、その構成員には、それぞれの「役割」に従った行動が要求されるわけで……。
 ジャックの場合「夫」や「父」である前にまず「個人」でありすぎたんですよね*。まあ、普段はそれなりに「良き夫」「良き父」「良き隣人」役を務めてはいたようだけれど、「子供の死」という、家庭の危機に際して、「夫」や「父」の役割を果たせなかった。
 子供の死に目に帰ってこれなかった(らしい)のは、まぁ、ある程度は仕方がない。奥さんの病院通いの理由に気づかなかった(あるいは、薄々気づいていながら見ないフリをしていた?)のも、百歩譲って許す(って、何様だオマエ)。でもね、息子の形見の絵を受け取ろうとしないのは、ダメだよ〜〜。死んだ子供が、父親に憧れて描いていた絵を、その父親が受け取ってやらなくて誰が受け取る? 子を亡くした妻の苦しみを、同じく「子を亡くした親」として共に分けあってやらなくてどうするよ? 「大切な者を喪った悲しみ」っていうのは「権利」であると同時に、「義務」でもあるんだから。
 「俺にそれをもらう資格はない。」 (SFM10月号 245頁) っていうのは、「子供の大変な時にそばにいられなかった、妻の苦しみを支えてやれなかった自分には、子供の気持ちを受け取ったり妻と一緒に悲しんだりする資格がない」という意味だとするならば、ジャックにとって「子供の死を悲しむ」ことは「権利」ではあっても、「義務」だとは考えていなかったんでしょうね。息子の死に際して、「父」や「夫」の「役割」を果 たせなかった事に対して、「父」として「夫」としての権利を放棄する形で「責任」を取ろうとしている…と受け取れる。これが「シゴト」ならば、「失敗した(or 不祥事起こした)からこのポストを辞めます」っていうのは、非常に「潔い」身の処し方だと言える。でもね、「シゴト」と違って、「家庭」での役割には、「後任」はいないんですよ。そんな中で「権利」を放棄することは、その役割に伴う「義務」も、つまり「役割」そのものを放棄することになる。
 で、離婚が決まって(あるいは、既に離婚した後の面会の時か?)娘との別れ際に言ったセリフも、これがまたダメダメ(^^;;)。「ママに、──パパの分まで優しくしてあげて。」 (250頁)……って、違うでしょう〜〜!?
 いや、奥さんに対する愛情だとか、それを充分示してあげられなかった後悔とかが滲む、すごくせつないセリフだとは思いますよ。でも、小さな娘にそんな大きな責任負わせるなよ。 じゃあ、誰がその子に優しくしてくれるんだ? 確かに、なかなかしっかりしたお嬢ちゃんだし、どうも心情的には母親側ベッタリらしくて父親にそっけない態度を取ってくるしじゃ、情けない父親としちゃあ、「しっかり生きろよ」っていう「励まし」というニュアンスもこめてそう言うしかなかっただろうなぁ…とも思うけど。でも、だったら、他にも言うべきことがあるのではないかという気がするのですが……。たとえば「ママだけじゃなくって、おまえのことも愛しているよ(おまえがパパを必要としていなくても)」とか。まぁ、それは言葉に出さなくても伝わるかもしれないけれど、でも「愛情」って、それ自体だけじゃなくって、「愛情を伝えようとした努力」も同じくらい大事だと思うのですよ。少なくとも、わたしがあの女の子だったら、「ごめん」って言ってほしいけどなぁ……。「おまえ達と一緒にいてやれなくて」とか「おまえに苦労をかけて」とかの意味で。
 いずれにせよ、ここでもジャックは「父」としての役目を果たせていない。

 ブッカー少佐という人は、特殊戦の中でも「中間管理職」というポスト柄か、原作でもそれほど「特殊戦気質の人」という印象は受けないのですが、多田版ジャックの今回の過去話では、「他人(家族)とコミュニケーションが取れずに社会(家庭)の中からはみ出してしまう人間」という特殊戦的(あるいは、深井零的というべきか?)傾向がバッチリ当てはまりますね。
 でも、その「傾向」を具体的に示したエピソードは、冒頭でも書いたように原作の少佐像からはかけ離れたものである(やっぱり原作の少佐は子持ちだとは思えない)……というのが、なんとも不思議です。
 なんというか、原作『雪風』と多田版『雪風』の関係って、「まったく同じように動くのに、分解してみたら個々の部品の形がまったく違っている」もしくは、「まったく異なる設計思想で作られながら、機能的には非常に似通 っている」二つの機械、とでも申しましょうか。この調子で、他のキャラももっと描いて欲しいなぁ……。特に、エディスの出番に期待大。キャラデザ的には、わたしの脳内イメージから思いっっっっっっきり外れてるんですけど、それだけにね。

 

注:これって、彼に限らず、男性一般にありがちなことなのかもしれませんが(^^;;)。家庭のある女性に対する「母」や「妻」の役割を果たす事への周囲のプレッシャーに比べたら、男性に対するそれは、経済的なものを除けばかなり低いですから。
ちょっと前までは「経済的義務」さえ果たしていればそれですべてOKみたいなところもあったし(今でもある?)。


旭屋書店@渋谷(8/23)

 8/16付けの日記では書き落としていましたが、渋谷の旭屋書店は2フロアに分かれてまして、上のフロア(位置的には「地下一階」とかになるのかな)が単行本・新書等と雑誌、下のフロアが文庫本やマンガ……という配置になっています。で、『宇宙探査機迷惑一番』が売り上げランキング6位だったというのは、おそらく「下のフロア」、つまり、文庫本限定ランキングということになるのでしょうが……それでも、入荷すらしてくれない書店だってあることを思うと、やはり感慨深いものがありますな。
 で、今日(8/22)の仕事帰り、再度覗きに行ったところ、ランキングは先週と変わらず(更新されてなかったのかな?)、しかし、先週は「在庫切れ」の札が置かれていた場所には、再入荷したとおぼしい本が燦然と飾られている!!
 ランキング棚の向かって右側面でも、先週と同じく「雪風&神林長平フェア」対象作品が、狭いスペースに健気に肩寄せ合って置かれています。この棚も、こまめに補充しているみたいで嬉しい(*^^*)。
 ただ、『迷惑一番』は、このフェアの対象作品ではないらしく、ここには置いていないので、その奥のハヤカワスペースへ……。こちらも、ホントに狭いスペースなんですけど、それでも、棚の手前に平積みされている様子を確認して一安心。できれば手にとって増刷かどうか、奥付をチェックしたかったのですが、ちょうどその前で立ち読み中のオジサンがいたので、脇から手を伸ばすのが躊躇われて断念しました(^^;;)。が、立ち去ろうとしたとき、ふとオジサンの手元をみたら……なんと! 他ならぬ『迷惑一番』を読んでいらっしゃる!!
 年の頃は60代前半といったところでしょうか。服装はチノパンにポロシャツ、小柄で小太りで、白髪の生え際はだいぶ後退していらっしゃるという……まぁ、どこにでもいそうなオジサンなのですが、神林fanなのか、たまたま表紙が気になって手に取った一見さんなのか……どちらにせよ、ワタシにはとっても意外な組み合わせだったので驚きました(^^;;)。
 ちなみに、立ち読みの方は「ちょっと斜め読み…」というカンジではなく、ワタシが目にしたときは、最初から30ページ目当たりからさきを、かなりじっくりと読んでいらっしゃいました。あまり隣でしげしげと見つめるのもアレですので(^^;;)、離れた場所の他の棚をチェックしながら、チラチラと盗み見していたのですが……わたしが気づいてからも、5分以上は立ち読みしていらっしゃいましたね〜。「いかがですか〜? 面白いでしょ? ねぇ、買って買って♪」と、視線に祈りをこめて見つめていたのですが、ちょっと反対側の棚の陰に隠れたすきにいなくなってしまわれたので、結局お買いあげになったのか否かはナゾのママだったのですが……

 話は変わって、『妻の帝国』を読了したので、現在『七胴落とし』(新版)を通勤のお供にしています。表紙は美々しく変わったけれど、中身は元のママなので、昨今のハヤカワ文庫の大きな文字に馴れてしまった目には、最初のウチはちと辛かったですが……馴れてくると、サクサク読めます。
 実は、前の表紙のものも、去年のゴールデンウイークの頃に買ってはいて、そのときは、最初の数ページでザセツしてたのです(^^;;)。内容が内容だけに、旧版の表紙(あれも、実は二代目か三代目らしいけれど)だと、なんかナマナマし過ぎちゃって。もっとも、今回サクサク読めてる一番の理由はそれじゃなくって、『帝王の殻』のときと同じく、わたしの「神林読みスキル」が上がった(あるいは単に「神林馴れ」した)から……かも、とも思いますが(^^;;)。


マウスの調子が悪い…(8/21)

 8/20付けの日記、文意がわかりづらいところが多々あったので、書き手自身の目から見ても特にひどかった部分を手直ししました。(…って、これ書いてるときは、既に修正済みのを先にアップしちゃってるんだけど)。
 正直、図書館モンダイについては、(自分内での結論がほとんど決まっている「ブックオフ」モンダイに比べると)日々考え方がコロコロ変わるので、書いてしまったことをちょっと後悔していたりもするのですが、決まっていないからこそここに書く意味がある…かもしれないって考え方もできるでしょう、ということで(^^;;)。

 『妻の帝国』は、8割方読み進んでます。水曜の帰宅途中には読み終わるのではないかと思いますが……感想を、一言で言うと、エ、エグイ!! 『イラハイ』みたいに、よくよく考えると結構無惨だったり残酷だったりする部分もあるんだけど、作品全体の雰囲気は格調高くすっとぼけた寓話風コメディ(…と言い切ってしまうときに覚える一抹二抹の疑問も含めて)……だと思っていたのですが……。
 確かに、「寓話」と言えば「寓話」だし、「格調高さ」も「すっとぼけ」もあるけれど……でも、そこここの描写が生々しくて……20世紀後半、あっちの国やそっちの国で実際に起きていた(と話に聞いている)こととか、ごく近年、日本でも起きた非常事態とかをホーフツとさせられる部分が多いせいでしょうか。
 いえ、別に貶しているわけではなく、楽しんで……という言い方が不適切ならば「読んで良かった」とは思いますが……でも、エグイ。『太陽の簒奪者』が強いる負荷が「脳みそのストレッチ体操」だとするならば、『妻の帝国』は、冒頭部では、『イラハイ』と同じく、「脳を整体にかける」ような「容赦なくもみくちゃにされてるんだけど妙に気持ちいい」ものだったのに、ここまで読み進んだ時点での感覚は「電圧間違えて強くしすぎた電気マッサージ』みたいなカンジ。読み終わった後に「揉み返し」が来そうでコワイ(^^;;)。


どうどう巡りの明日はどっちだ(8/20)

 先に書いたように、現在のところ、わたしはハヤカワのJコレクションをすべて「図書館で借りて」読んでおりますが、そのことについて……

 出て間もない新刊本を図書館で借りることについては、「某公共図書館で宮部みゆきの同一作品100冊購入問題」や、馳星周の「おれたちは絶滅するか?」を読んでしまって以来、かすかに後ろめたさを感じてしまいます。
 とはいえ、ブックオフならまだしも、「図書館」が「本が売れない」→「在庫切れ・絶版」の悪循環に加担しているということが、正直、今ひとつ実感できていなかったりして……。
 なにせ、ごくごく幼い頃から「図書館というのは、後世に残す文化遺産たる書籍を保管して、皆がそれを享受できるようにする施設なんだよ」「お店では手に入らなくなった本(社会思想社の現代教養文庫&教養文庫をまとめて買い上げてくれる太っ腹な図書館はないものか!)でも、図書館の中では読まれ続け生き続けてているんだよ」という「図書館性善説」を刷り込まれているもので(^^;;)。 司書の資格も一応持ってるし。
  まぁ、新着棚に話題本やベストセラー本なんかを見かけると、「できれば予算の半分以上はマイナー出版社の貴重本に充ててくれ!…なんてことは思いますが……
 たとえば、「ブックオフ」の方には

「皆がブックオフで買って新刊が売れなくなる」
→「ブックオフに売られる新刊がなくなる」
→「供給元の枯渇により、共倒れ」

 というサイクルが早晩訪れると考えられるけれど(マンガの方は、既にそういう兆しがあるらしい)、「図書館」の方はというと、

「図書館でベストセラーを入荷する」→「利用者数が増える」→
「利用実績が上がり予算枠が増える、または維持できる、もしくは削減額が小さくなる」→
「またベストセラー(昔のベストセラーに比べたら総部数は少ない)を購入する」
→「とりあえず新刊は【ある程度】売れる」

 ……ってな感じで、(ブックオフから仕入れるなんて外道なマネせず*)一応は正規ルートで書店なり版元なりから仕入れている限りは、大元の枯渇が図書館の運営に支障を来たすまでには、かなり時間がかかるサイクルなんですよね(たぶん)。
 なんか、こう書くと、図書館のほうが「ブックオフ」よりタチが悪いような気もしますが(^^;;)、ただ、「図書館」の場合、「借りて読んで気に入ったから、自分の手元に置いておきたくて結局買う。」という読者がわりといるんじゃないかと思うんですよ。ブックオフの場合、単行本を買っちゃってたら、文庫落ちしたからといって、そっちをもう一度定価で買いなおすというのは、かなり酔狂な人間(神林に関してだけは、わたしゃまさにその酔狂者になりましたが)だと思いますが、それに比べたら、図書館で借りた人間が、同じ本を買う、まったく同じモノではなくても単行本から文庫落ちの時に自腹で買う……という件数はけっこう高いと思うのですが。
 #初めから文庫しか出ていない作品についてはどうする?というモンダイもありますが……。
 故に、相変わらず図書館に通うとき、特に「気にはなっていたけど、今ひとつ自分で買う気になれなかった新刊本」を借りるときは、「ここの図書館は滅多に副本は置かないしー(ものすごく敷地が狭くて書架も少ないので、そんなゆとりがない)」とか、「そもそもここの書架で『太陽の簒奪者』を見つけなかったら、たぶんわたし、一生、野尻抱介という作家を読む気にはなれなかったしー」…等々、常に心の中で言い訳しています(^^;;)。
 実際、『太陽の簒奪者』が予想外に面白かった(というか、「科学音痴のわたしでも面白く読めた!」というべきか)ので、「おーっし、じゃ次は『ピニェルの振り子』行ってみようー! 図書館にない? いいよいいよ。ソノラマ文庫でしょ? それくらいなら買うから」と思うまでになったわけで……。
 とはいえ、『ピニェル〜』を買ったからと言って『太陽〜』の版元にはお金は入らないから、ハヤカワさんにとっては、ワタシは悪い読者ですし、作者側にとっても労苦の成果である作品の一つを「タダ読み」されちゃったという事実には変わりないですしね。最初にリンクした馳氏の文章はWeb上でけっこう論議を読んだそうですが、わたしとしては、それで生計を立てている側にすれば「正当な代価を払わないで読むヤツは盗人だ」って言ったとしても(馳氏がそこまで言っているという意味ではないです!)のも、「当然な権利の主張」だと思うんですよ。

 ……なんか、グルグル回りながら、どっちつかずな意見言ってますね(^^;;)。
 でも、現実問題として、現時点では「図書館」や「図書館利用者」の既得権益(といって良いのかな?)を制限してまで「作家の権利」をシステムとして保護する事って難しいと思う。
 わたし自身、今後も図書館や(ブックオフに限らず)古書店は利用しちゃうと思うし……
 そんな中で何ができるか、っていうと、とりあえず、わたし個人としては……

 1.本当に好きな作品、好きな作家に対しては、極力正規の代価を払う
 2.正規料金を払っていない作家・作品に対しては、自分が「お客」だという意識は持たない
   #最悪、 作家本人から「ドロボー」と思われてしまう覚悟は固めておく

 ……ってなところかなぁ。
 2.の覚悟を決めると、本当に好きな作家の本に対しては、絶対お金払おう!って気になるし、逆に、意図的に「新刊で買う」「図書館で借りる」「古書で買う」区別をすることで、自分にとってのランキングをかなり明確にすることもできるし。たとえば、森岡浩之は、『星界』やスニーカーのシリーズよりも、図書館で借りた短編集の方が好きだから、『夢の樹が接げたなら』が文庫落ちしたときは発売日前日の夜に書店に駆け込んでまで買ったけど、『星界の戦旗』は古本市で入手しちゃうことで、極私的には「もー星界の続きはいいから、こういう短編出してくれないかなぁ…」という意思表示のつもりにしたり、とか。……あ、『星界の紋章』の方は3冊全部ちゃんと新刊で買いましたよ(^^;;)。念のため。
 あとは、正規料金を払わなかったけれど、(わたしにとっては)払うほどではないけれど、なかなか気に入った作品に対しては、わたしよりもその作品に波長が合う(お金払ってもいいという程度に)人に出会えるように、機会があればせっせとオススメするとか……ね。
 もっとも、過去、知人に「オススメ成功」した作品は、『雪風』を筆頭にわたし自身が率先して夢中になった作品ばかりなので、「自分では買うほどではない」なんて気が抜けたオススメが成功するかどうかははなはだアヤシイのですが(^^;;;)。

注:こんなこと本当にやってる図書館あるんですかね?
ライブラリアンの職業倫理からみたら、雪印・日ハムの食肉偽装級のモラルハザードだと思うのですが……と書いたら、「うわー、マジでどこかはやってそう」という気がヒシヒシとしてきちゃいました(T_T)。


突然Jコレな日々(8/18)

 今週入手した『迷惑一番』も、神林フェアの重版本にも手をつけず(『七胴落とし』以外は全部旧版で読んでるせいもありますが)、突如として、ハヤカワSFシリーズJコレクションにはまっております。このシリーズは、近日刊行予定の高野文緒作品だけは買う気ではいたものの、他の作家さんはウワサは聞けどほとんど未読の方ばかりだったから、イマイチ自腹切って買う勇気が出なかったのですが、近所の図書館で見つけてしまった『太陽の簒奪者』(野尻抱介)が面白かったもので、つい……(^^;;)。
  野尻抱介という作家さんは、洩れ聞こえるウワサでは「ハードSFの人」だそうですが、とりあえず理屈や数式がわからないと読めないとかいうことはありませんでしたです。少なくとも、第一章は細かい部分はスルーしちゃって、最初の『宇宙戦艦ヤマト』を観るように「どうなっちゃうんだ、主人公は!? 地球の運命は!?」のドキドキハラハラで読めちゃいました。特に、あの結末は……以下コメントアウト(読んでみたい方は、ソースを覗いてください)
 ヒロインの年齢が高いのも嬉しい。話が始まったときは高校生だけど、第一章のクライマックスのときには32歳(だったかな?)、終盤には51歳……と、世間的には「熟女」ってなるんだろうけれど、中身はあまり高校生の頃とは変わらない(むしろ高校生の時のほうが大人びていたかも)……ってあたりに、すごく共感できちゃったり。余談ですが、高校の一年後輩(直接の面識はない)が、宇宙飛行士の候補になって今もNASAで訓練中(たぶん)なので、その辺でもヒロインの最初のミッションに参加時の年齢にリアリティを感じましたです。
 「年をとるほど純粋になる」と最初に言ったのは誰だったか知りませんが、この話のヒロインも、その形容がぴったりくるような年のとりかたをしています。「地球外知性とのコンタクトを夢見る乙女」の魂に、「組織の中での数多の苦労にもまれた中年」のしたたかさが加わった「純粋さ」がカッコイイ。『グッドラック』のクーリィ准将も、いかにもしたたかで冷徹なようでいて(実際そうなんだけど)、根底にあるのが「己の存在を無視しようとする世界に対する憤り」なんて、えらく青臭い感情だったり……とか、最近、こういう(亭主や子供のためでなく)自分個人のために「戦うオバさん」の出てくる話を読むとけっこう嬉しい……というかホッとします(^^;;)。

 ちなみに、このハヤカワSFシリーズJコレクションの版組や装丁も、かなり気に入ってます。『太陽の簒奪者』の「読みやすさ」は、文章の中身自体にもあると思うけど、版組にも相当助けられているとおもうもの。同じ内容を、創元SF文庫で出されたら、読了できたかどうか、わたしちょっと自信ないです(^^;;)。
 #学生時代、一気に3作目まで読んでしまったホーガンの『星を継ぐ者』シリーズも、もう一度読めと言われたら、泣いて降参します(^^;;)。
  外見も、ちょっと小さめの版型と、コバルトブルーから白へのグラデーションの地に白抜き文字(明朝系書体)背表紙って、書店店頭で、平積みや1つ書架に背表紙を揃えてずらっと並べられているのを見たときは、イマイチ地味な装丁だなーと思っていたのですが、1冊ずつばらされて図書館の書架に置かれてるとけっこう目立つんですよ。作家名50音順に並べられた背表紙の列の中で、一冊だけストンと背が低くて、涼しげな地色とスッキリした文字が、他のタイトルのカラフルで自己主張の強い書体の中で目を引きますし。
 まさか、最初から「図書館に並べられたとき」のことを計算した装丁というわけではないのでしょうが……。

 で、金曜に『太陽の簒奪者』を読了後、日曜に返却にいったら、新着の棚に佐藤哲也『妻の帝国』と林譲二『ウロボロスの波動』が……。まさか…と書架を一周したら、北野勇作『どーなつ』、小林泰三『海を見る人』、牧野修『傀儡后』……と、シリーズ全作揃ってる……。
 これはもう、借りるしかないでしょう!
 ……というわけで、只今わが家には『妻の帝国』と『傀儡后』をお迎えしております。
 佐藤哲也作品を読むのは、デビュー作の『イラハイ』以来なのですが、さて……


あった、あったよ!!(8/16)

 今日(15日)は、ちょっと早く上がれたので、渋谷でお買い物。勿論目当ては「神林長平フェア」&重版作品。
 まずは、ブックファーストに行ってみた……が、ハヤカワのフェアは確かにやっていたけれど、残念ながら「SFフェア」の方で、神林作品は、既刊&『宇宙探査機迷惑一番』しかナシ。もっとも、『迷惑』の方は、平積みの本が後2冊ばかりになっていて、「おお、売れてる売れてる!」とちと気を良く……しかけたものの、隣で数列分が山積みになっている『グイン・サーガ』の最新刊が目にはいると、「減った分が補充されてないってことは、店ではそんなに仕入れてないってこと?」と、ちとヒガミっぽくなったりして(^^;;)。
 もっとも、その1分後には、背後の棚に今は亡き(T_T)社会思想社の現代教養文庫&教養文庫がデンっと並んでいるのに気づいて、それどころじゃなくなりましたが(^^;;;)。
#「修道士カドフェル」の未読分はじめ、なんだかんだで11冊、7000円以上買っちまったよ。

 で、すっかり重たくなった荷物を抱えた帰りがけに、地下鉄駅構内の旭屋を覗いたら……おお、「今週の売り上げランキング」の棚の第6位に、『迷惑一番』が入っている!! ただし、ディスプレイの棚に本体はなく、「現在品切れ」の札だけですが……。
 気をよくして店内に入り、ハヤカワの棚を覗くも、「グイン・サーガ」のフェア参加作品はあれど、やはり神林の重版作品の姿はナシ。ため息つきつつ出口へ向かったら……あるじゃん!! 

戦闘妖精・雪風&
神林長平フェア

 と書かれたパープルの腰巻き付で、重版4作品(ラインナップについては7/29の日記参照のこと)+『雪風<改>』『グッドラック』が!! 平積みではなく、レギュラーの書棚に縦置きで、6作品のうち『完璧な涙』と『七胴落とし』は背表紙をこちらに向けて……という、窮屈なディスプレイではあったけれど……まさか、ブックファーストの1フロアの三分の一程度しかないこの店で手にはいるとは思わなかったよ〜〜(感涙)。

 と、いうわけで、すっかり浮かれきって帰宅いたしました。
 本当は、昨夜の日記の追記とか補足とかちょこちょこ書きたかったのですが(眠くて半分「自動書記」状態で書いた文章だから、いい加減なところとか、言葉足らずなところがいっぱいあるし)、今日はもう眠いので、またの機会に〜〜。


DAN DAN DAN(8/15)

 夏休み明けからいきなり早出&残業が続いてバテてます。本屋さんが空いてる時間に上がれないから、前回「宿題」にしたニュータイプもまだチェックしてないし〜〜(T_T)。

 …っつーわけで、細かい記事の内容は省いて書いてしまうと、よーするに記事の中に、「腐女子向け媚び媚び〜」な一節があって、「なんですか、それは……(^^;;;)」と、立ち読みしてる店頭で思わず書棚に手をついちゃうくらい、脱力した……という、まぁ、それだけの話なんです(苦笑)。
 いや、そりゃ、原作の零とジャックって「こいつら、ホモくせーよ 」って思うところ、確かにありますよ。というか、そもそも旧『雪風』という作品自体が、零の雪風へのラブラブっぷりの陰に隠れてイマイチ目立たないけれど、かなーりホモくさい。 このあたり、『解析マニュアル』での東浩紀センセにも指摘されちゃってますよね。あの東センセの『雪風』評は、全体としては「えー? そうかなぁ?」って思うところがいくつもありますが、とりあえずこの点に限れば、ワタシは同意できる。
 でも、旧『雪風』の「ホモくささ」──濃密な男男関係──って、わたしに言わせると、「やおい」ではないんですよね。ワタクシ的「やおい」の定義は、

「女性による女性のための、男男恋愛フィクション」

 なので。特に、「女性のための」という部分だけは絶対に譲れない。まぁ、「女性による」の部分は「原則として」程度まで譲歩してもイイですが、でも、「男性の制作者が頭で考えた女性向けの男同士のイチャイチャ」は、たいていどうしようもなくイケてないものばかりですから。
 しかるに、わたしが感じ取った、旧『雪風』の「ホモくささ」って、かなり「ホンモノ」っぽい。すなわち、

「男性による男性のための、濃密な男男関係フィクション」

 に近いと思う。いわゆる「マチズモ」というんですか? 「男が男に惚れる」世界。『兄弟仁義』とか『ゴッドファーザー』とか、その他ハードボイルドものあれこれ……という。
 でもって、「ホモソーシャリズムあるところ、やおいあり」と申しましょうか、そういう「男の世界」ほど、そのスジの女性は燃える傾向が強いんですよね。
 #この辺りのカラクリはわたしもイマイチよくわかってないのですが……

 でもね、更に言っちゃうと、『雪風』(旧)の「ホモくささ」は、「ホンモノのマチズモ」とも、ちょっと違うと思うですよ。
 前述の例に挙げたような「男の世界」の担い手は、「成人男性」、すなわち「社会」の主要な構成員なんですよね。 たとえ設定上はヤクザとか、マフィアとか、探偵とか殺し屋とか、「カタギの社会からのはみ出し者」ではあっても、はみ出して行き着く先は結局、極道のケジメだの、マフィアの掟だの、ウラ社会のルールだの「規範」がキッチリと存在するわけで、これは「もう一つの社会」と言ってもいい。
 現代の多くの社会が「ゼニカネ」を基盤としていて、「カネをたくさん稼げるヤツがエライ(=優秀な構成員である)」と見なされるとするならば、わたしの見る限り「マチズモ」とは、「ゼニカネ」の替わりに「男らしさ」を価値判断の基準に置いているだけで、「男らしさ(=カネ)をたくさん持ってるヤツがエライ(=その社会の中では優秀な構成員である)」という考え方自体は、なんら現実の社会と変わらないのではないかと……。

 でも、『雪風』に漂う「ホモくささ」は、そういった価値観とは全然違う方向を向いていると思うのです。
 零は、フェアリイの中でもはみ出しものだし、ジャックも零も(あるいはトム・ジョンや天野少尉も)、互いの「男らしさ」を讃えあっているわけではない。
 むしろ、あの話の中では、「はみ出し者の集団の中でも更にはみ出してしまって、(自ら孤立を望んだわけでもないのに)誰とも群れることができない人間」ほど大きく扱われているような印象すらある。
 これがどういうことかというと……実は、ワタシもイマイチよくわかってないのですが(^^;;)、ただ、「やおい」や「マチズモ」を定義づけたのと同じ言い方をするならば、

「少年による少年のための、『漢同士』関係フィクション」

 ……とでも、申しましょうか。「少年」という言い方が適切かどうかはちと自信がないのですが(^^;;)。細かく言うと、「男性として生まれながら、社会の主要な構成員にはなれない半人前の存在」といったところ。「半人前」=「成人未満」=「未成年」=「少年」というわけで、今回は「少年」という表現を使ってみたのですが……。
 対して、「漢」というのは、「資本主義社会」ならぬ「“男”本主義社会」における中心的な存在、すなわち「エリート」です。
 自分は「漢」=「エリート」ではない、実を言うと、そういうものになりたいのかどうかもわからない。でも、今のままの中途半端で無力な自分でいるよりは、「エリート」になってしまった方が楽に生きられるかもしれない。少なくとも、周囲が自分をそう扱ってくれれば……「人付き合いが苦手な社会不適合者」ではなく、「他人に迎合しない孤高の存在」だと周囲が見てくれれば、もっと生き易くなれる……
 わたしが『雪風』から感じ取った、「マチズモらしきもの」を解剖すると、作者や、一部読者のこんな心理が透けて見えるような気がする……のは、わたしが『ボトムズ』fanだからなのかもしれませんが……
 #『ボトムズ』の場合は、もっとロコツに「漢」=「エリート」志向が(主に受け手である視聴者の方に)ありましたけどね。

 ……で、話をニュータイプの記事に戻しますと、『雪風』の場合は、なまじ「腐女子受け」を狙うよりは、「原作」さもなくば「原作信者テイスト」──たとえば、「これはハードな漢の世界の話なんだよ、女子供は近づくんじゃねえ!」って、自分はガキのくせして「漢」を気取りたがる小僧っ子(昔の『ボトムズ』fanには、集めて埋め立てれば夢の島がつくれるほどいたっけ)的な──に忠実な煽り方をした方が、数百倍(当社比)腐女子には受けるのに、なんでそう、余計なことをするかなぁ……(-_-;;)。高級チョコレートにガムシロップかけちゃうようなもんじゃない……と、思ったわけです(^^;;)。


脱力書店巡り(8/11)

 今日のタイトル、「脱力」は、「書店」ではなく、「巡り」の方にかかります。『プリズム』ほか、重版本を求めて本屋さんをハシゴしても見つからずに脱力……とか、その道中にミョーなもん見ちゃって脱力〜〜〜とか、そういう意味……って、解説しないとわからないようなタイトルつけるなって(^^;;)。

 で、道中で見ちゃった「ミョーなもん」ってーのが何かと申しますと……たとえば、8日(…というのは、早売りで、正確な発売日は9日だそうですが)に出たばかりの『宇宙探査機 迷惑一番』(Amazonの方には画像がないので、bk1にリンクしてます)のオビ。

スラップスティック版雪風!?
「こんなメチャクチャな世界は、
  おれには関係ない」
      雪風パイロット 深井零

 ……なんか、笑うよりも先に「なにも最初から『雪風』ルートの読者だけに的を絞らなくても……」と、ため息出ちゃったのはワタシだけでしょうか? 「じゃあ、『雪風』知らない読者はお呼びじゃないの?」なんて思ったり……。
  そりゃ、この時期、一番「狙い目」なのは、OVAをキッカケに『雪風』原作を読んで、「この作家の他のも読んでみようかなー」って層なんだろうとは思うけど……でも、今回の再刊をたぶん一番喜ぶのは、「絶版」「在庫切れ」に泣かされ続けていた「神林fan」だと思うんだけどな。オビの表に「雪風」は2カ所も出てくるのに、「神林」はナシ(ウラにはあるけど)なのがちと不満。更に言っちゃうと、「雪風fan」「神林fan」以外の客層もターゲットにしてもよかったんでない?とも思ったり。せっかく、『星界の紋章』みたいな表紙になったんだし(笑)。
 後、個人的な好みを言えば、「スラップスティック版雪風」というアオリは、どちらかというと『今宵、銀河を杯にして』の方に冠したいんだけど……(^^;;)。
 あ、でも、「カッコイイ戦闘機の出てくる話」という点では、この話も『雪風』に通じるか。うん、「晨電」はカッコイイです。見た目は「こうもり傘かキノコ」だけれど(^^;;)、読み進んでいくうちに、脳内にはスターウォーズ風の映像がうかんでくるし……。高機動戦闘モード時の「針ネズミ」の描写なんて、もしかして、『ガサラキ』の「インジェクション」の元ネタ?って思えたり……
 #そういえば、あっちにも「シンデン」が出てきましたよね。

 ありゃ、なんか『迷惑一番』のオビで、えらく長々とグチってるな(^^;;)。これは、どちらかというと「オマケ」みたいなもんで、本当の「脱力大王」は、10日発売のニュータイプだったんですけど〜〜。多田由美さんの麗しい描きおろしイラストはよろしいのですが、添えられている文章がね……と紹介しようとしたのですが、あまりの脱力に記憶からこぼれ落ちてしまった模様(爆)。再度立ち読みしてから、ご報告いたします〜〜。

 ……と、ダラダラ書いているうちに、日付が変わってしまったので、とりあえずアップ。


ボチボチと……(8/7)

 『戦闘妖精・雪風 解析マニュアル』収録の書き下ろし短編の感想などを……

 「ぼくの、マシン」
 このタイトル、数年〜10年くらい前なら、車とかパソコンとかのキャッチコピーに使えそう。読み上げるのは、筒井道隆くん(昔、日立のパソコンのCMやってました)の声で。
 ……というのはさておき、一読しての最初の印象は、「別にこれ、『雪風』外伝でなくってもよさそう…」と。

ある機械が、社会生活に必要不可欠なインフラとして市民全体に完全に行き渡り、システムの管理下に置かれる一方、その機械が元々有していた個人的な楽しみの道具としての側面 は奪われてしまう。そんな社会の中で、『自分だけのマシン』にこだわる人間の物語

 とみれば、まるっきり『魂の駆動体』の前日談とも取れる。主人公の年齢にはかなり差があるけれど、どちらも社会の中核からは外れているという点では共通 しているともいえるし。「反社会的」な夢を追うのは、「社会の周辺」にいる人間の特権ということでしょうか……?
 勿論、二つの物語には相違点がいくつもあるし、そもそも「結末」が正反対。「ぼくの、マシン」の結末は(少なくとも少年時代の零にとっては)まぎれもなく「悲劇」で、『魂の駆動体』は、たぶん、一応「ハッピーエンド」。 実はあの後、「ご禁制のクルマを作ろうとした」罪で、主人公達の処に官憲が踏み込んで来たりしたら別ですが……(^^;;)。
 ともあれ、二つの話の相違点を上げてみると……

  ぼくの、マシン 魂の駆動体
時代背景 「個人の(零曰く「パーソナルな」)マシン」がまさに消滅する時代 「個人のマシン」である「クルマ」が「社会的なシステムのひとつ」である「自動車」に全面的に取って変わられて久しい時代
主人公の年齢 子供(推定10歳〜12歳くらい?) 老人(推定60代後半?)
協力者の有無
目標達成度 ほぼ成功? 図面を作るまで


 こんな風に列挙してみると、「子供であるって、悲しいなぁ……」なんて思ってしまうのはわたしだけでしょうか? 「ぼくの、マシン」が「悲劇」で終わった原因の大半は、零が「子供だったから」に尽きるような気がして……。
 たとえば、これが、『魂駆』の主人公達だったらどうでしょう?  「クルマを作る」ことについては、図面作成どまりでしたが、クルマ作りに比べたら、「パソコンをネットワークから切り離す」ことは、ずっとお金もエネルギーも使わないから、もし彼らに零と同程度のコンピュータに関する知識があったとすれば、零と同様に成功するでしょう。でも、彼らなら、そもそも「そりゃ、死刑にされかねないから、やめとこうや」って諦めるか、どうしても諦められなかったとしても、年齢相応の世知や経済力を利用してもっと上手く立ち回れたでしょうしね。たとえ結末が同じだったとしても、「いい夢を見させてもらったよ」と、そこに至るまでの「過程」を充分楽しんだということを慰めにすることもできる。
 「子供」と「老人」は、「社会の周縁部の存在」という点では共通していても、「思い通りにならないときの諦め方」を知っているかどうかでは、全然違いますからね〜。

 というわけで、「ぼくの、マシン」と『魂の駆動体』を併せて読むと「子供でなくてよかった。老人バンザイ」という結論に達してしまいそうなのですが(^^;;)、たぶん、これって間違った読み方だという気がします……。


ダラダラと……(8/5)

 いきなりですが、「被書空間」読んだ後に、無性に焼き肉が食べたくなるのはワタシだけでしょうか?(^^;;)
 今年の正月にSFMのバックナンバーで初読したときもそうだったんですが、今回、『戦闘妖精・雪風 解析マニュアル』掲載版を読んだときも、やっぱりそうだった……。今日の夕飯は焼き鳥とチャーシュー丼だったんだけど、コレじゃ物足りないのよ〜〜。やっぱし、カルビとかラムとかをジュージューと煙を立てて焼いて、タレつけて……

 …って、ちょっとだけアプロ化してるのは、週末にひいた夏風邪がボチボチ快方に向かっている証拠かな。とりあえず、7月分のファイルを分割して、話題別インデックスに6、7月分を追記。後は、過去の引用箇所にページ数添えたりもしたいんだけど……今日はもういいか、なんて(^^;;)。


スイミンはきちんととりましょう(8/2)

 寝不足の頭でダラダラ書いた文章ってのは、たいてい後で読めたものではないのですが……それにしても、何書いてるんでしょうね? アタシは。
 去年の秋にプロモビデオ見たとき、予想外のキャラデザによろめきつつも、二人の飲酒(?)シーン自体は、けっこう喜んでたんですよ。それがまさか、飲んでるものが、(ビールやウイスキーではなく)シャンパンだったりとか、その前後のシチュエーションがそういうことになっていたりとかで、アタシャ驚いたよ…というだけのことだったのに、なんでこう、余計なこと喋るかね〜(^^;;)。そもそも、ワタシの一番気になるカップル…というより、「組み合わせ」は、この二人じゃないってーのに。
#「一押し」や「本命」じゃないからこそ、気楽に勝手なことが言えるというのもあるのかもしれませんが……

 ともあれ、さんざんブーたれてますが、OVA版の二人の初対面(…と言ってもいいのかな?(^^;;) 零の方は意識してないし、記憶にも残ってないみたいだけど)のエピソードは、実は原作より好きかもしれません。そういえば、原作でも、『グッドラック』の零ちゃんは、初対面のジャックにぶん殴られたことを、どうやら覚えていないっぽいのですが……って、ここで話し始めると、またまた寝そびれてしまうので、今夜は我慢(^^;;)。


あ、7月が終わってしまった…(8/1)

 ……と、お詫びをしている間に日付が変わってしまったので、話題を変えて……

 アンカーを過去日記(日付でいうと、昨年の11/13分です)に埋め込むついでに内容を読み返してみたら、当時唯一の映像資料だったプロモビデオに対して、絵的には「やおい(っつーか、ボーイズラブ)の典型」だとか、 「その絵柄じゃ、わかりやす過ぎて、かえって色気半減」とかぬかしてますねー。このときは、自分でも「邪推しすぎかな?」なんて思わなくもなかったのですが、『戦闘妖精・雪風 解析マニュアル』掲載の脚本によると、「邪推」どころか、「大当たり」っぽいのには、読み終わって10分ほど絶句してしまいました。
 「絵柄」だけじゃなく、シチュエーションも完全にソレ系……(^^;;)。PVで感じたよりも更にあからさまで、もうどうしたらよいやら……。あまりのロコツさに、「これって、もしかして腐女子よけの陰謀ではないの?」って、当初とは逆の邪推をしちゃったくらいです。

 そちらについては後述するとして、具体的に「ロコツ」なポイントを上げてみると……「ブリーフィングルームでシャンパン」「ジャックのお部屋にお泊まり」あたりですか。わたしとしては、「お泊まり」自体は、まだOKなんです。原作の『グッドラック』でもそれっぽいシーンがあったし…(昼食会でミュルレが亡くなった後、弱気なジャックに夜通し酒につきあった…なんて下りがありましたよね?)
 ただ、原作に出てくる酒は、非番の日に零が飲む黒ビールとか、天田少尉のウイスキーとか、バルーム軍医のところからくすねてきたビール(バドワイザーみたいに軽いタイプかな?)とか、いずれにせよ、もっと男っぽい…というか「呑み助」のイメージだと思うんですよね〜。やはり、神林キャラたる者、「酒の味わい自体を楽しむ」呑み方をしなくては! その点、「シャンパン」ってお酒はイベント性が強すぎて、「酒自体を楽しむ」にはいまいち不向きな気がする。グラスじゃなくってカップに注ぐ(と脚本にはある)くらいじゃ、「酒好きの呑み方」とは言えませんぜ。
 #むしろ、ホントの酒好きは怒ると思うぞ……>カップでシャンパン
 で、も一つのモンダイ。「ブリーフィングルームでシャンパン」ですが、これは、後の方で「天井からコルクが落ちてくる」に繋げたかったんだろうな…とは思うのですが……だったら、なぜそのままそこで寝ちゃわない?
 ええ、わたしが気にくわないのは、「飲み会」の場所それ自体よりも、「飲み」と「お泊まり」の場所が違うこと。それって、なんか、「夜景のキレイなラウンジ(お酒がウイスキーやバーボンの場合は「地下のバー」かな)で乾杯して、いい雰囲気になったところで、さりげなく部屋のキーを取り出す」みたい……(-_-;;)。あ、別 にそれ自体が悪いってわけじゃないのよ。特に「男女関係*」だと、そういう「イベント性」とか「段取りのスマートさ」はすごく効果 的だと思うし……。でも、なんでジャックと零で、そういう、まるで女を口説くような回りくどいマネせにゃならん? あの二人ならば、「気のおけない野郎同士で気持ちよく呑んでいるウチについ眠っちゃった」っていうカンジだと思うし、このカップリングの場合は、そういうさりげなさや無防備さこそが乙女の煩悩を刺激するんじゃないかと思うのですが……いかがです?>ジャック×零派の方々

 で、話は戻って、「腐女子よけの陰謀」ですが……これだけロコツで、そのくせ萌えツボを外しまくっているというのは、もしかして、すべて計算の上のことではないのか、と、ちと疑ってみたりして。やおい乙女の煩悩の「禁じられるほどに燃え上がる」という性質を見抜いて、炎に水をぶっかけようという、深遠な狙いがあるのではないか。……なんて、買いかぶりですかね?(^^;;)

注:一応本文中では「男女関係」と限定しましたが、「やおい」「ボーイズラブ」等とよばれる「女性による女性の為の男男恋愛フィクション」の中には、なまじの「男女恋愛」フィクションよりも、「イベント性」てんこ盛り(シャンパンに真っ赤なバラの花束もつけちゃうぞ、みたいな)のものもあります。
そういう「イベントてんこ盛り」系の話を好む知人のやおいねーちゃんに言わせると、歯の浮くようなセリフで愛をささやいてくれる「白馬の王子様」なんて、「男女」でやるとあまりにも臆面がなくて恥ずかしいけど、「男同士」なら「どうせ絵空事だしー」と開き直って楽しめるから…だそうです。
それはそれで理屈が通っていると思いますが……イマイチわたしにはついていけないなー。
#「男の世界」に萌えを見る方は、まだなんとか理解できる(つもり)ですが……。
まこと、この世界は奥が深うございます……(^^;;)。


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