んじゃ、ボチボチと…(9/30)
生きている限りこの世はある
この世の主役はいつでも私だ
■『宇宙探査機・迷惑一番』 (ハヤカワ文庫版)エピグラムより
*元版の光文社文庫版では、「主役」が「主人公」でした。
『迷惑一番』は、1年ほど前にヤフオクで入手した光文社文庫版を読了済みだったので、先のハヤカワの再刊は、買うには買ったものの、巻末の解説をチェックしただけで、中身は読んでませんでした(^^;;)。今日、引用の為にハヤカワ版を開いて、念のために光文社版をチェックしたら……言葉違ってるんだもんな〜(^^;;)。まぁ、もともと光文社版はメチャメチャ誤字(っつーか誤植か?)が多かったので、ハヤカワの再刊ではたぶん直されているだろうとは予想してましたが、エピグラムにまで手を入れてくるとは思ってなかったので、ちとビックリ(^^;;)。
「主人公」を「主役」に変えたのは、一行目と二行目の文字数を揃えるためか、他にも理由があるのかは定かではありませんが……
なんにせよ(^^;;)、こういうオレサマ主義というか、「この世はわたしの為にある」という考え方は、神林作品には頻発します。が、しかし、逆説的なようですが、こういうことを繰り返し言う人間っていうのは、むしろ、実はその反対「この世界は自分の為に存在するわけじゃない」という感覚の方が、自身の中に根強く巣くっているんじゃないかな……なんてことを思うんです。
「この世はわたしの為にある」というのは、言い換えれば「幼児的全能感」とでも申しましょうか。そういう感覚を抱えたままイイ歳になってしまった人間って、実は少なからず存在している。でも、その種の人間は、実はけっして「この世界は自分の為にある」なんてことを口に出したりはしないんですよ。自分の周囲の環境(人間)は、自分の思う通りになるのが「普通」で「当然」のことで、改めて意識する必要がないから。
とはいえ、当人の意識はどうあれ、実際に「全世界の人間を自分の思うままに動かす」ことが不可能である以上、当然、「自分の思い通りにならない状況」に遭遇することは多々ある。ところが、そこで、この種の人間がどうするかというと……【相手を】非難するんですよ。「何でおまえはこうしないんだ? フツーそうするだろう? まったく常識(或いは、思いやり…等々)のないヤツだ……云々」なーんて、さももっともらしい理屈で。ところが、そいつのいう「常識」や「思いやり」とやらは、実は単に「そいつの価値観」や「そいつにとって心地よいこと」に過ぎなかったりして。
ここで使われる「フツー」とか「常識」とか、あるいは「思いやり」や「愛」という言葉は、ほぼもれなく、「自分の価値観に沿った、或いは、自分にとって心地よいふるまい」をすることが、相手にとって「義務」であると思いこませるためのレトリックでしかないのですが、困ったことに、言ってる本人はそれが「レトリック」なんかではなく、「まっとうな知性や情愛を持ち合わせている人間ならそうするべきだ」と本気で信じ込んじゃってたりするのが始末におえない。
……ね、ほらほら、よく見かけるでしょ? そういう人。特に、ネット上ともなれば、砂浜を歩いたとき靴の中に入り込んでくる砂粒のごとくザラザラと……
#「おまえのことだろーが」というツッコミは無視させていただきます(^^;;)。
神林長平という作家のスタート地点にあるのは、この種の「幼児的万能感」とは対極の認識、すなわち「どうせこの世は自分の思い通りになんてならないんだ」という、弱々しい諦めだったのではないか……という気がします。特に、初期作品の、「不条理な世界に翻弄されて、それまで持っていた(と信じていた)ものをすべて喪っていく主人公」像にそれが表れているのではないか、と。
そういえば、初期作品の『七胴落とし』にも、こんな箇所がありました。
<この人間たちのすべてが、ぼくの生んだ幻かもしれないな>
<タルムードにあったじゃない。『人はだれでも、この世は自分のために創られたと信ずる権利がある』と。この世はあなたのために創られた幻だって信ずる権利はあるわ。でもあくまでも信じる権利、なのであって、真実はそうじゃないってことよ。なにを信じようとあなたの勝手よ。でも現実は、あなたがいようがいまいがたいしたちがいはないわ>
■『七胴落とし』(ハヤカワ文庫 p.180-181)より
……まったく、ミもフタもありませんな(^^;;)。「この世はおまえのものじゃない」と思い知らされ、自分でも「しょせん、そういうものなんだろう」と思いながらも、しかし、神林作品の主人公達は諦めない。最終的に「世界」に敗北するとしても、とにかくあがいてあがいてあがきまくる。
だけど、彼や彼女らが求めているのは、けっして「世界のすべて」なんて大それたものではなく、ごく限られた範囲での人間関係であったり「居場所」であったり……と、ごくごくささやかなものでしかない。いや、そもそも個人にとって認識できる「世界」なんて、実のところ、周囲の数人から数十人レベルの人間関係や、打ち込んでいるシゴトやシュミ、普段の行動半径(最小レベルでは自室の一間)といった、ごくささやかなレベルに過ぎないのではなかろうか?
だとすれば、「世界を自分のものにしたい」という願望は、「自分の意識が及ぶ範囲内を、自分の思い通りになる状態にしたい」 さもなくば「客観的にはどんなにささやかでも、完全に自分の制御下におけるものが欲しい」ということにならないか……?
「思い通りになる世界(もの)が欲しい」というのは、 もしかして、人間が「自意識」というものを持ってしまった以上不可欠な「自己の存在を確認したい」という欲求、「自己実現欲」というものではないのか? だとすれば、「どうせ人間は死ぬんだから、諦めて今ここで死ね」と言われたって、素直に死ぬわけにはいかないのと同じように、「この世はおまえのためにあるわけじゃない、諦めろ」と言われたからと言って、素直に諦めるわけにはいかないのも当然のこと。
……というわけで、我らが主人公「深井零」が、「ぼくの、マシン」を求めたのは、ある意味ではしごく健全な「自己実現欲」であったという捉え方もできますね。
でも、人間の動物としての根本的な「生存欲求」を満たすために、「他の生き物の命を奪って餌にする」ことが必要になるように、「自己実現欲」も、しばしば「餌」となる「他者」を必要とすることがあるのではないか……とも、わたしは考えるのです。
(以下続く)
ほろ酔い状態でウォーミングアップ(9/28)
今、隣に置いたPowerBook G4でOVA流しながらコレ書いてますが、イントロの氷山見てたら、ロックアイスが舐めたくなっちゃって、コンビニに買い出しにいこうかどうしようか悩んでます。呑んだのはハイネケン1缶(もちろん小さい方)だけなんだけどな。一緒にポテチ齧ってたのがいけなかったかしら(^^;;;)。カンケーないですが、この「ハイネケン」というビール、未だについうっかり「ハイネセン」と書いてしまいます(^^;;)。『銀英伝』が好きだった(ヤン・ウェンリーはハタチ前後の頃のワタシの「心の師」でした)のは、もう10年以上前なんだけど……
金曜は2週間ぶりのきつい残業で午前様だったし、今日は今日で目が覚めたら既に3時近かった……。『さくら』(今日最終回だったのに)と『利家とまつ』の再放送見逃しちまったよ……じゃなくってえ(^^;;)、そういうわけで、まだ今月のSFマガジン買ってないんです〜〜。家から歩いていける範囲の本屋には置いてないし……
というわけで、素直に前回予告した話題に走ればよいのですが……どこから取りかかったものか決めかねて、ついグズグズしちゃってます(^^;;)。
またまた彫刻に喩えちゃうと、目の前の石の塊があって、その中に「埋まっているもの」が何なのか、わたしにはハッキリ見えているんだけれど、それを掘り出す自信がないというか……(^^;;)。とりあえず、「まずココとココとココを切り落として〜」くらいはわかるんだけど、最初にどこを落とそうか……と。一見いちばん遠いところから攻めた方が最終的な仕上がりは綺麗になりそうだけど、それだと完成させる前にこっちの根気が尽きちゃいそうだし(爆)。
……と、タラタラ書いているうちに、酔いも抜けてきたようなので、とりあえずアップ。
朝までに「本題」について書けるといいなぁ……
あ、ちょうど今、「他になにもないんだ!」のシャウトから「おれには関係ない」のところです。>OVA
OVAといえば、今朝……というより、たぶん時刻的には昼頃だったでしょうが(^^;;)、覚醒しかけの意識に、
「情報収集行動、終了。……生存者、確認できず。コンプリート・ミッション。RTB」
の、セリフが堺さんの声で聞こえて(というより記憶から蘇って、かな?)きちゃって、お声の響きのあまりの気持ちよさに、もう一度寝直してしまいました(^^;;;)。中田ジャックのエロ声…もとい、セクシーボイスなら、心臓ドッキリで一気に目が覚めたかもしれませんが(笑)。
ちなみに、上のセリフ、目が覚めてから『戦闘妖精・雪風 解析マニュアル』掲載の脚本とDVDで確認しましたが、言葉といい、声の調子といい、夢(?)の中で聞いたのとまったく同じだった……(^^;;;)。アニメのセリフを、夢に出てくるほど暗記するなんて、十数年ぶりじゃなかろうか? そりゃー、先々週買ってから、週末ごとに繰り返し観てたけどさぁ……
「わたしの記憶力もまだまだ捨てたもんじゃない」と喜ぶよりは、なんか妙にカナシイというか、情けないというか、とほほな気分になるのは何故でしょう……
(^^;;)。
目標、睡眠時間六時間!(9/27)
……って、2時半にコレ書いてる時点で既にダメだってば(^^;;)。>自分
ダメといえば、 一昨日(25日)昨日(26日)と、2日続けて本屋に寄っていながらSFマガジン買いそびれるし〜〜〜。
小耳に挟んだ話では、今月号にも多田版『雪風』載ってたようですね。「隔月連載」の筈だったのになぜか先月号にも掲載されていたので、もしかしたら今月はお休みだろうか……とちょっと心配してたのですが……。
そうそう、多田『雪風』と言えば、以前、森脇真末味のキャラとの比較で、「多田さんちの零ちゃんを見ているときは、不思議とキリコのことを思い出さない」ということを書きましたが、それが何故なのか、OVAの弱々しく可憐な零ちゃんを見ていたら、なんとなく答えが解ったような気がします。
あのOVAの零って、原作の零はもちろんだけど、「多田版零」とも 「違う」んですよね。別に、「多田さんのイラスト(ジャケットとか)では吊り目なのに、アニメではタレ目になっている」とか…のモンダイではなく(^^;;)、なんというか、キャラクター自体は、原作の零や、多田版零と通じるところは大いにあるんだけれど、作中での『扱われ方』が決定的に違っているというか……
結論からいっちゃうと、「いくら中身が幼児並でも、まがりなりにもひげを剃る程度に性徴…もとい、成長した男が、看護婦さんの腰にすがりついても、見た目の印象が『可哀想』だけなのは違うだろう〜〜!?」という……
……と言っても、おそらく読んでる方の大半はワケわからないですよね(^^;;)。週末には、なんとか筋道立てて説明できるといいのですが……正直、まったく自信がないので、お約束はせずにおきます(^^;;)。
ようやく読了(9/24)
連休前半で読み終わると思いきや、途中で風邪ひいて眠りこんでいたり(注:「寝こんでいた」には非ず)で、結局今日までかかっちゃいました。『ラーゼフォン 時間調律師』。
巷(^^;;)で既に言われるように、後半は駆け足だったかも〜〜〜ですが、わたしの感覚では、事前にそういう評を聞いていなければ、「まぁ、こんなもんかな」って納得しちゃった可能性も結構高い……という程度でありました。
思うに、ワタシは、神林作品に対しては、「ストーリーテリングの巧みさ」だとか、「意表を突く展開」だとかはあまり求めていないようです(^^;;)。特に最近は、作中に、『思わず握り拳で頷いちゃう理屈や論理』が栗拾いの栗のごとくいくつか散らばっていれば、それで8割方満足しちゃっているような気がしたりして……(^^;;)。
これって、ミュージカルを観るとき、「終わった後も耳に残って思わず口ずさんじゃうようなコーラス」「主役級の歌唱力を見せつけるような大曲」「派手なダンスシーン」……等々の見せ場がいくつかあれば、ストーリーは「とりあえずある」程度でいい……っていう楽しみ方に似てるかも(^^;;)。
あ、あ、だからといって、けっして「話がつまらない」と言ってるわけではなくってですね〜〜、ただ、なんていうのかな……神林作品って(すべてがそうだとは言いませんが)、「お話を読む」というよりは、「作者の思考過程を一緒にトレースする」みたいな感覚ないですか? スタート地点ではまだゴールは見えないんだけれど、でも「そこ」にスタート地点を置いた時点で既にたどり着くべきゴールを無意識は感じ取っていて、ページを繰るごとに、それが意識の表層に浮かび上がってきて……で、最後のページまで来たときに、「ああ、やっぱりそうなったか」って、一応の納得や満足を得る……みたいな。
別の喩えをすると、読み始めるとき、目の前に置かれていた木や石の塊が、読み終わった時には、何かしらの彫刻になっている。それは、こちらが意図して作り上げたものではなく、元々埋まっていたものを掘り出した(彫り出した、ではなく)だけで、読了したときの満足感や納得の度合いは、「どの程度上手に掘り出せているか」──掘り出しすぎて像の鼻を削っちゃってたり、逆に、まだ肩のあたりが充分に掘り出されてなかったりしてないか?──という部分で出来不出来はあるんだけれど、なんにせよ「完成像」自体の形状(男性像か女性像か鳥か魚か馬か…etc)は、既になにものかによって定められていて、読者は勿論、作者自身にも左右はできない。ただ、「この世にはこういう物が存在する」というのを受け入れるしかない、みたいな印象があるのです。
そう言う意味で、神林版『ラーゼフォン』は、「もっと全身を精緻に彫り上げた立体像になるかと思っていたら、下半身は台座に埋まったままで荒削りの部分を残した半身像」というような印象は残りますが……それでも、わたしにとっては、充分「美しい」と感じられるのです。
ちょっともの悲しげな結末も、後味がいいですしね。文中では「春」とあったけれど、ちょうどここ数日の東京の肌寒さと合っていた(とわたしは感じた)し……
と、ダラダラ書いているうちに、またしても日付が変わってしまいました(^^;;)。
明日……というか、今日こそは、OVAの零ちゃんの話に戻れるといいのですが……
ウチで呑むのは久しぶり……(9/20)
十年ほど前、自宅でほぼ毎日晩酌してた頃は、ウォッカをボトル買いして100%ジュースで割ってた(なまじのワインとかよりも翌日に残らなくてよい)のですが、最近は「一度で呑みきれる量を…」と考えると、選択肢はほぼ缶ビールのみ。銘柄は予算の関係上(^^;;)大抵輸入物。バドかハイネケンか、たまにレーベンブロイ……なんですが、今夜のお供はちょっと奮発して国産品、近頃各所で人気の(?)「銀河高原ビール」。いや、最近何故か立て続けに、巡回コースのサイトで、話題に上ることが多くて、つい……(^^;;)。今回挑戦したのは、「ドイツクラシック」ですが、クセがなくて呑みやすいです。昔サントリーから出てたダイナミックに似てる……気がするのは、ゴールドとブルーという缶の色使いのせいでしょうか……
……って、酒の話がしたかったわけではなく〜(^^;;)。
祝・『ラーゼフォン 時間調律師』発売(リンク先は徳間の新刊情報)
ということで、祝杯を上げています……と言おうとしたら、祝杯の中身についての話がつい長くなってしまいました(^^;;)。
で、肝心の本の中身はというと……今、1章を読み終わった処ですが……さっそく炸裂する神林節に、ビールのせいでなく酔っぱらってます(*^^*)。
もう、冒頭のエピグラフから、いきなりノックアウトされちゃいました!
ねだるな
あたえて
かちとれ
これよこれ〜〜〜っ!! もう、なんでこの作家はいつもいつも、わたしの中にある、まだ形にならないもやもやをスパッと形にして目の前に差し出してくれちゃうんでしょう!?
たぶん、「わたしが『グッドラック』にはまった理由」「わたしが神林長平という作家に惚れ込んだ理由」「わたしがやおいにはまりきれない理由」でもって、もしかすると「OVAでの零の扱われ方が原作と根本的に異なっていると感じる理由」を、とことん突き詰めてエッセンスを抽出したら、きっとこの3行になる……ような気がする。
……あ〜、なんかだいぶ酔っぱらってるのかな(^^;;)。わたしゃ、「酒好きの下戸」なんで……
とろとろ書いてるうちに日付も変わっちゃったし、今夜はここまで。
昨夜予告した話の続きは、アルコールが抜けてから、また改めて〜〜。
つらつらと……(9/19)
OVAの「チキンブロス」のシーンで、あれ? と思ったのは、零が、実際にそれを「食べる」シーンが描かれなかったこと。
マーニーがスプーンですくって、横になっている零の口元まで持っていった……(らしい)までは、判るんだけど、そのシーンは零の背後からのアングルで撮られているから、視聴者には見えないんですよ。そのすぐ後にはヤザワが病室に入って来ちゃうから、食べたとしても、ほんの一口か二口くらいかな……ってカンジ。
原作では、このシーンは、
(前略)零は半身をおこした。皿にスープが注がれる。いい匂いだった。
零は携帯食をとろうとするのはやめ、差し出されたスプーンをとった。うまかった。食事の名に値した。
「これはなんだ」
「チキン・ブロス」
「チキン? ちがうような気もするな……(略)」
「こぼさないで、中尉。まだありますから。あまり急ぐとお腹をこわしますよ」
零はマーニーの言葉に従って、ゆっくりとスプーンを口に運んだ。
■ハヤカワ文庫『戦闘妖精・雪風』 309頁(無印)より
<改>では361頁
*無印と<改>とでは「チキン・ブロス」「チキンブロス」ほか、一部文字遣いに違いアリ
OVAのスープはきれいなコンソメ状でしたが、原作のスープが同様にコンソメだったのか、「具入り」だったのか否かは、詳しい描写はありません。いずれにせよ、「こぼさないで、中尉」あたりのセリフから推測するに、このときの零は、結構ガツガツ食べちゃっているような印象があるんですよね(^^;;)。
#だからこそ、後でスープの材料に気づいたときのおぞましさが際だつわけですが……
それが、OVAでは、弱々しく横たわったまま、マーニーの手を借りて、一口か二口。しかも、そのシーンは直接には映らない……これって、何か「意図」があるような気がするんです。
まぁ、何もかも「原作とは違う」だらけのOVAで、一応原作からのエピソードである「チキンブロス」のくだりも、そもそもマーニーのキャラからしてOVAと原作では全然違っちゃってるんですが、「マーニー像」「チキンブロスを食べるシーンの有無」、更に、原作では強烈な印象を残した「おっぱい食いちぎりシーンの有無」も合わせると、なんか、制作側のある種の「意図」が見えてくるような気がするんですけど……
……またまた続く(^^;;)。
オ××のオ××の××趣味<いかがわしい(^^;;)(9/18)
また聞きですが、確か、「PINK
HOUSE」だか「KANEKO
ISAO」だかのコンセプトが「大人の女の少女趣味」だったように記憶しております。ならば、OVA版『雪風』は、さしずめ「オタクのオヤジの乙女シュミ」かもしれないなぁ……と、ひたすら可憐で稚い(いとけない と読んで)零ちゃんを見ているうちに、マジで考えてしまいました(^^;;)。
わたし自身は「やおいの邪眼」が足りない、つまりは「腐女子のなり損ね」なんで、説得力にはイマイチ自信がないのですが……OVAジャックと零の【あの】関係って、「経済的な効果目当てに腐女子受けを狙った」というより、どうも、制作者(男性)自身がああいうのが好きでやってるんじゃないの? って気がするんですよねぇ……。あそこまで甘甘ベッタリで、「受」がひたすら可愛らしくてイノセントなカップルを描くやおらーって、(わたしの知る限り)わりと少数派だし、なによりも、もし、ホンマモンのやおらーだったら、「きれーな看護婦さんの膝枕にすがりついてよしよしされちゃう零」なんて、絶対描かないと思う。
#「ジャックの膝枕でよしよしされる零」 はやおい的には大いにアリだと思いますが。
昨今のやおいやBLでは、ロコツに女性キャラを排除した話は減ったようですが、それでも、「女性キャラ」に対して「男を慰める【母性】を与える役」を振ることに対する反発は、非やおらーの女性よりもかなり強い……と思います。
これって、「やおい」ってのが、そもそも発生初期において「母子関係で母親から充分な愛情を得られず傷ついた少女の魂の補完」ってあたりから始まっている(という説がある)のと関係があるのかもしれませんが……
……と書き始めたところで、今夜はエネルギー切れ〜〜〜(^^;;;)
80年代アニオタ(ヲタとは書きたくない(^^;;))のこだわり(9/17)
引き続き、OVAの感想を……
四度目に見直して、ようやく気づいた。
イントロでリン・ジャクスンが使ってるノーパソ、PowerBookだ……。よーく目を凝らすと、黒いボディにうっすらと逆さになった囓りリンゴのマークが……。
ただ、現在のPowerBook
G4はチタンボディで、使用時に背後から見たリンゴマークも、葉っぱが上になってるんですよね。彼女が持ってる黒のツートンカラー&逆さリンゴのマシンは、その前のPowerBook
G3のデザイン(「ユー・ガット・メール」の中でメグ・ライアンも使ってました)ですね(ちょっと判りづらいけど、このページの下の方の写真参照)。『雪風』の時代には、G3の型に戻っているのか、あるいはジャクスン女史はオールドMac愛好家(Mac使いの中には、そーゆー人種が実在するんです)なのか?(^^;;) こじつけを言うと、ブッカー少佐のデスクにある端末も、Classicっぽい形してるよなぁ……
……と、またまた重箱の隅の隅な話はコレくらいにして、昨夜の感想に補足なぞ。
昨夜、3.で挙げた
>> 雪風の「乗り手を殺すほどの非常識な機動」っぷりが全然わからなかった
の件ですが、その後、DVDを巻き戻しも交えて何度も観たら、ちゃんと「180度スピンターン」してましたね(^^;;)。クルマでいう、「四輪ドリフト」みたいなカンジなのかな?
でも、あれじゃ、なんか「その場でテレポーテーション」したみたいで、「翼のゲージがゆがみ、中の人間は肋骨をへし折り、内臓が破裂する」ようなクレイジーな機動だなんてぜんぜんわかんないよ〜〜。昔、「なるほど・ザ・ワールド!」で見た「ロンドンの二階建てバスの180度スピンターン」の方がよっぽど迫力あったぞ!
ここはもっと、ケレンたっぷりに、機首を円盤投げやハンマー投げの選手のごとく「うおりゃああっ!」って感じに回してくれなくてわ! せっかくノーズにわかりやすい目印(^^;;)つけてるんだからさぁ……
「180度回転」が、「速すぎて物足りない」だとすると、冒頭のUNKNOWNとの交戦シーンは、とろすぎ。二機が交錯するところ、まるで風船がフワフワ回ってるみたい。それとも、もしかしてあれ、「スローモーション」のつもりなんだろうか(効果音途切れてたし)? なんか、フワフワした動きで全然緊張感がなかったから、そうだとは思わなかったんですけど……。このシーンに限りませんが、なまじCGで「立体感のある」質感が出てるから、ゆーっくり動かれると、なんか「ピアノ線で吊ってる模型」みたいに見える……
#ゆっくりでも「緊張感のある動き」なら良いんですけどね。
まぁ、これって、イマドキの映像に馴染めない年寄りのグチなのかもしれませんが……(^^;;)。
なにせ、ティーンエイジになるならずの頃から、「コルドバ九十度回頭(@劇場版クラッシャー・ジョウ)」だの、「板野サーカス」だのを劇場の大スクリーンで刷り込まれて育ったもので、こういう「イマドキのCG」って、【動かすこと(アニメート)】に対するセンスの感じられない機械頼りのチャラチャラした軽薄な映像って感じがしちゃって、どうも好きになれません(プンプン)。もちろん、CGでも、ちゃんとセンスのある人が手間暇かけて作ればスゴイものができるんだろうとは思いますが……でも、そういうものを望むのって、もはや時代遅れな感覚なんでしょうかねぇ…。
「アニメには、人間が必要なんだ」………なんちって(^^;;)。
……と、なんかワタシの守備範囲外のところで延々と愚痴ってますな。
もちろん、零ちゃんに対しても、言いたいことは山ほどあるんですよ。
「前髪切れ! せめてバレッタかゴムでとめろ!! 」とか、「あの柔らかそうな猫っ毛は、ヘタすると30前から頭頂部がヤバくなるぞ〜〜」……とかとか……あ、そういうモンダイだけじゃなくってですね(^^;;)。もっとより深刻な、わたしにとっての『雪風』&『グッドラック』の根幹に関わりかねないところで、違和感が生じているのです……
明晩に続く……といいなぁ(^^;;)。
お呼びとあらば、即、参上!(9/16)
ただいま『ブライガー』鑑賞中……嗚呼っ、塩沢さんっ(涕泣)!! 小松原一男さんの描きおろしイラストにも、今となっては涙を誘われます。
……って、そういう湿っぽい話ばかりじゃなくって〜。麻上洋子さんのセクシー系キャラって、野上冴子さんより前に、このエンジェルお町さんってのがいらっしゃいましたね〜。あ、いえ、リディア様は「セクシー系」というのとはちょっと違うと思いますが……(^^;;)。
……というわけで、もちょっとOVA版『雪風』の話なぞ……
初見時は「ネタとしては使える度低い」なんて言いましたが、ちゃんと睡眠取って、再見、再々見したところ、それなりに発見はありました(^^;;)。
- 空戦シーンは、結構かっこよかったけれど(主に手書き風のところ)、 時々積み木が回転してるみたいだった。
(スミマセン、旧い人間なもんで、CG、CGしてる絵は苦手なんです(^^;;))
とか、
- 峡谷のチェイスシーンみてたら『レイズナー』思い出しちゃって、『雪風』終わった後、思わずそっちのDVD引っ張り出してみちゃった。
(スミマセ〜〜ン、80年代アニメオタクなんです〜〜)
とか、
- 同じく峡谷の「V-MAX発動」…もとい(^^;;)、"I have control...”のシーン、雪風の「乗り手を殺すほどの非常識な機動」っぷりが全然わからなかったんだけど、あそこで視聴者に判らせたかったのは、「雪風が勝手に動いた」だけで、「殺人的機動」を描く気はなかったのか?
……とかとか、なんか、重箱の隅ばっかりだな(^^;;)。いや、3.の方は、曖昧にしておくと、「このままじゃ雪風に殺されるぞ」っていうブッカー少佐の危惧が切実に伝わらないと思うので、結構大事なところかもしれませんが……。
そうそう、ブッカー少佐といえば、中田さんはなんであんなに「勿体つけた」というか、た〜〜〜〜っぷり間を取ったしゃべり方をなさるのでしょう?
なんか、必要以上にエロく聞こえちゃって、リンダ困っちゃう。<おいおい
どのシーンだったか、ちょっと失念しちゃいましたが、零との会話で、
「まるで、クリスティーヌを“声”で誘惑するファントム様(1/4付けの日記参照のこと)のようだ……」
と思いましたです(爆)。
もっとも、零=クリスティーヌとするなら、やっぱりファントムは雪風だと思うんですけどね(^^;;)。「Phantom
of the Opera」のファントムパートの歌い出し、
“Sing once again with me, our strange duet.
My power over you, stronger yet..”
なんて、「ショック・ウェーヴ」っぽい……。
そうすると、ジャックはラウルで、クーリィ准将がマダム・ジリーで、エディスがメグ・ジリー……カルロッタはグノー大佐かオドンネル大尉か?……って、なんで零を「ヒロイン」の場所に置くと、配役がピタッと決まっちゃうんだよ〜〜!!!(嫌)
大いに脱線したまま続く……
すっかりご無沙汰してしまいました……(9/13)
月曜から金曜の昼過ぎまでずっと、カイシャに監禁……もとい、カンヅメにされてました(^^;;)。
いや、途中で3回ほど、一回辺り6時間前後ずつ仮眠や入浴の為に帰ってきてはいましたが……でも、シフト制等ではなければ、普通の勤め人の月〜金までの帰宅回数は、「5回」になる筈なんですが……(^^;;)。
特に水曜から金曜にかけては、水曜の夜からの徹夜明けで、木曜の朝午前七時過ぎにいったん帰宅して、八時から十一時半まで睡眠とって、もう一時間ほどグダグダ休憩した後、午後三時に再度出社、その後、完徹で金曜の午後二時まで……という、実にステキなスケジュール! なんたって、シゴト帰りにアキバに寄れる! あの街は夜は早じまいしちゃうから、今の勤め先のように、始業〜終業時間が遅い職場では、日頃は不可能なんですもの。
はい、というわけで、よ〜〜〜〜〜やくOVA版『戦闘妖精雪風』第一巻を購入いたしました。同じ店で、先に『ブライガー』のDVDボックスを買ったら、ちょうどポイントが、『雪風』1枚買える程度に貯まったもので……。
とりあえず、一回、さらりと流してみただけですが……「そこそこ面白いジャン」。
ただし、超極私的な「使える」度、要するにこの日記で書いてるようなことを考えるネタとしてはすごく低いです(^^;;)。
たとえば、SFMでの多田版『雪風』とかだと、良くも悪くも自分のイマジネーションを刺激されて、何かしら言いたくなるのですが、それに比べると、このアニメに対しては、「へえ……そう来るんだ」と思うところはあちこちにあれど、でも、それだけ(少なくとも今のところは)。
#むしろ、脚本読んだ時の方が「刺激された」度は高かったりして(^^;;)。
まぁ、小ネタでは、ちょこちょこと思うところがあるので、ここでも追い追いお喋りするかもしれませんが……とにかく今は眠くてどうにもならん(^^;;;)。
#さっき、この文章を書いている途中で、椅子から転げ落ちかけました。
というわけで、今宵はこれまでにいたしとうございます……
残業&休出でヘロヘロ…(9/8)
……なので、一言だけ。
「神林長平の各作品における『父』像の比較およびその変遷」なんてテーマで、だれか書いてくれないかなぁ……。特に紙媒体でだったら、商業誌同人誌問わず絶対買うのに。
『七胴落とし』では、下記のように強烈な憎悪を向けられている主人公の父親は、実は読者の目(少なくともわたしの目)にはぜんぜん陰が薄くて、むしろ強烈なのは爺ちゃんの方だ……とか。
『七胴落とし』と『過負荷都市』の主人公は家族構成が同じで、家庭環境もよく似ているけれど、「祖父」に対する態度は随分違うな〜…とか。現時点での「父息子もの」の集大成と言える(?)『帝王の殻』の場合、主人公からして実は「父親」だし、物語の最後に出てくるのは……だし……とか。そういや、『あなたの魂にやすらぎあれ』の主人公も「父親」だったけれど、この人の印象はかなり薄いよな〜、読み返さないとダメかしら……等々、じっくり検証して考えてみたい要素はいっぱいあるのですが、そっちの追求を始めると、全然先に進めなくなってしまうんですもの(^^;;)。
早く寝なさい>自分(9/5)
昨夜の引用した箇所に、かなりハズカシイ間違いがあったので、修正。ついでに、ちょこっと追記しました。
で、性懲りもなく、 「ちょっと気になるこのフレーズ@『七胴落とし』」
その2:
そうだとしたら許せない。ぼくは父によって、青春の一時期にとぎすましておくべき牙を抜かれてしまったのだ。
■『七胴落とし』(ハヤカワ文庫 p.164)より
『帝王の殻』ですな…って言っても、現在在庫切れなんだよな(;_;)。
「自分は親に抑圧されている」「自分が一人前になれないのはコイツのせいだ」等の、「親」への憎悪というやつは、子供が大人になる過程で多かれ少なかれ経験するものなのでしょうが、神林作品で、そういった「憎悪」の対象になるのは、常に「父親(男親)」です。「母親(女親)」に対しては、「ぼくの、マシン」での零の態度のように全般的に冷淡で、(思春期の男の子ならごく自然という程度に?)疎んじてはいるものの、「こいつさえいなければ」というほどの強烈な憎悪はないように見えるんですよね。
神林作品の中では、「父」と「祖父(=父の父)」のそれぞれに、「自分を抑圧する父」、「強大な父」、「優しく頼もしい父(祖父)」、「口うるさい母親(女)に反発する同志」というイメージが、様々な組み合わせで付与されて再三描かれています。
わたしが今すぐ上げられるだけでも、 『帝王の殻』、『七胴落とし』、『過負荷都市』……ほかにも探せばあるかも。
#近々出る未収録短編集のうちの1編は、その名もズバリ「父の樹」だし。
これを「ファザコン」と言ってしまうのは、乱暴かも知れませんが、いずれにせよ「父」というのが、神林作品の重要なモチーフであることには間違いなさそう。
してみると、 「解析マニュアル」で、JAM=幻想の父、地球=現実の父、という見立てで『雪風』旧作の構造を語った東浩紀氏の分析は、結構鋭いところを突いているといえるかもしれない……
もうしばらく『七胴落とし』の話題(9/4)
ランダムに、「ちょっと気になるこのフレーズ」の列挙なぞ……
その1:
また麻美の精神笑波。澄みきった、まじりけのない、きらめく、純粋な、無垢の。快い波。こんなに単調な精神波に心ときめかされたのはいままでにない。麻美のその笑いには生臭さがまったくなかった。金属的な冷たさと輝き。腐るものとは無縁の清(さや)かな印象。
■『七胴落とし』(ハヤカワ文庫 p.51)より
ヒロイン(?)登場、のシーン。イロイロ鬱屈は抱えていても、表面的には真面目一方の主人公に、奔放な美少女が悪い誘いをかけてくる……とでも説明しましょうか。この後、主人公はテレパシーを使った殺人ゲームに巻きこまれていくので、いわゆる「Boy
meets Girl」というには、かな〜り不穏な出逢いのシーンですが、それでも、この麻美ちゃんの描写は美しい。その直前まで、「腐るもの」そのもののような「生身の女」のお手伝いさんとどーのこーのという描写が続いていただけに、いっそう鮮やかで……なんとなく、「零も、こんな風に雪風に心を奪われたんだろうか」なんて思っちゃいました。
#上で引用した箇所のちょっと後(p.52)には
こばむことができない、奇跡的な、真夏に降る雪の妖しさ。
なんてフレーズが出てくるし〜(^^;;)。
…と、久々に「雪風」に話題を振ったところで、今夜はここまで(^^;;)。
意外な組み合わせ(9/2)
え〜、月をまたいでしまいましたが、8/28の日記に続いて、『七胴落とし』の感想などを……
#ホントは8/30、31に書くつもりだったんだけどね(^^;;)。
読んでいて、ちょっと驚いた…というか、意外に感じたのが、前半の麻美と早紀の会話での麻美のセリフでした。
<麻美……あなた、どうしてあたしのやさしいの>
<あなたの女神になってあげたいの。満月の夜にあらわれ、大人になりたくないメランコリイ娘の頬に、やさしくキスする。翌朝娘は全快しているの>
<冷たい骸になって?>
<メランコリイから解放されるの>
■『七胴落とし』(ハヤカワ文庫 p.100)より
ここで麻美が言っている「メランコリイ云々」って、ブラッドベリ……ですよね? 「メランコリイの妙薬」(A
Medicine for Melancholy)*。
神林とセットで語られる作家というと、ディックとか、スタニスワフ・レムとか、最近だとグレッグ・イーガンとか……なんというか、とびっきり「ソレ系(←ニュアンス察してください)」の作家ばかりという印象があったので、ここでブラッドベリが出て来ちゃうのが、ちょっと意外というか、ビックリしました(^^;;)。
と言いつつ、実はブラッドベリは4〜5冊しか読んでない(うち、半数以上の内容は忘れている)のですが(^^;;)。
「神林長平」と言えば?という問いに「言葉」「機械」「世界認識」……等の答えが返ってくるように、わたしの中では、「ブラッドベリ」と言われてイメージするものはまず、「夏」なんです。これって、ブラッドベリを知ったキッカケが菊地秀行だったせいかもしれませんが……。確かに、『七胴落とし』の舞台は「夏」だけれど、ブラッドベリの描く「アメリカの緑豊かな田舎町の輝かしく美しい夏」に比べると、かなり湿気の高い「日本の夏」って感じがします。
ああ、でも、主人公の三日月君と麻美の交わす精神感応のイメージは、キラキラしてて「ブラッドベリの夏」っぽいかなあ……。それに、よくよく考えてみれば、神林作品の中には、確かに、ブラッドベリと通じる部分が結構あるような……『プリズム』とか『完璧な涙』とか。「どこか残酷さを秘めた硬質のリリシズム」とでも申しましょうか……わたし的「ブラッドベリとセットで語る作家第一位」の菊地秀行の「ブラッドベリっぽさ」に比べると、「異形度」が低い分、逆に「本家」に近いかも……なんて。
結局、「神林長平」と「レイ・ブラッドベリ」の組み合わせは、「意外なようで、実は意外でない」という結論になる模様です(^^;;)。
注:わたしがこの話を読んだのは、古本屋で入手した(1200円もした)サンリオSF文庫『万華鏡』ででしたが、現在も早川書房刊の短編集が入手できる模様です。
『メランコリイの妙薬 改訂版』 異色作家短編集5 吉田誠一訳 早川書房
#リンク先はAmazonですが、早川書房のサイトで検索かけても在庫アリと出ました。
ちょっとお値段は高めですが……(^^;;)。
ついに…(9/1)
出ますね。やっぱり、9月でしたね(^^;;)。
『ラーゼフォン 時間調律師』 神林長平著
徳間デュアル文庫 税別590円 9/21発売。
徳間のサイトにも載っていますので、今度こそ本当に出るみたいです。
あれっと思ったのは、イラストが山田章博さんから、出渕裕さんに変わったことと、あと、6月7月頃には、確か「上」というのがついていたような記憶があるのですが……結局1冊に収まったのかな? まぁ、5月に最初に「刊行予定」が出たときは、確か「上」はなかったので、元に戻っただけかもしれませんが……。
イラストの方は、あんまり小説が延びているから、その間に山田さんのスケジュールがふさがってしまったから……とかだったら、ちょっとカナシイかも(^^;;)。いや、出渕さんのイラストもスキだから(少なくとも7、8年前までは)いいのですが……
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