2010年11月分(11/1〜11/28)分

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コブラが…(11/1)

 昨日付のニュースですが、野沢那智さんがお亡くなりになったそうです……(各ニュースサイトの訃報欄に載ってますのでリンク省略)。
 昨年の『コブラ』のOVAシリーズでは「声が老けた」等、風の噂で聞いてましたし、今年のTVシリーズ(BSで放映してたんですね)では、内田直哉さんに変わっていらしたので、「お身体壊していらっしゃるのかしら…」とひっそり案じておりましたが、やっぱり……と思いつつ、記事を見たら、ガンが見つかったのは、今年の8月だったそうで……。神様、余命2ヶ月はあんまりですよ(涙)。

 記事には、喪主として、ご子息の野沢聡(そう)さんのお名前が…。実のところ、わたしにとっては、近年ではお父様よりも息子さんのご活躍を目にすることが多かったです。『エリザベート』では、ハンガリー革命家トリオの一人、ジュラ役で、初演〜2006年(?)、『モーツァルト!』初演〜2005年の肉屋役、『シラノ・ザ・ミュージカル』(2000〜2001年の市村正親さん主演の方)、『ペテン師と詐欺師』(2006年)…等々。わたしが見た中で役名があるのは『エリザ』のジュラだけで、後はアンサンブルに近い役でしたが、長身・白皙のハンサムさん(キャナメの口元を上品に…というか、顎を広くして歯並び良くした感じ)で、いつもパッと目を惹かれる存在感がありました。
 #『エリザ』初演〜2001年全国公演の頃は、次は『レミゼ』のアンジョルラスを!って期待してたんだけどな……
 2006年の『ペテン師と詐欺師』を最後に、東宝・ホリプロ系のミュージカルではお見かけしなくなったので、どうなさったのかな……と消息を気にかけておりましたが、まさかこんな形でお名前を目にしようとは……。ついでにググったところ、少し畑は違えど、ミュージカル、ストレートプレイ共に舞台は続けていらっしゃるようで、よかったです。

 …って、11月からはいよいよ退職して職業訓練校通いの身になるんで、しばらく観劇は控えて、原稿にかからねば(^^;;)。
 #でも、ボトフェスとか、『マルドゥック・スクランブル』とか、既に前売り押さえている映画が数本……(^^;;)。


届いた(11/2)

 冬コミ当選通知届きました。よかった、検索結果、間違いじゃなかった……(^^;;)。

 12/29(水) 東地区 コ52b(東3ホール)
「Just Fell in Love」

 例によってコピー誌ですが、キリコ×フィアナ(っつーか、フィアナ×キリコと言った方が、たぶん正しい…)で何か出します…冒頭の一段落ほどは既に書き出してるし。……けど、今日になって、「こっちのネタの方がいいかも」って思うことがあったんで、中身がどうなるかはまだ未定(^^;;)。
 しかし、今回は『孤影再び』公開直前ってーのが嫌なタイミングだな(^^;;)。原作ママなら言いたいことは山ほどあるけど(ウソです、「こと」自体は一つか二つだけ。その背後にある怨念はマリアナ海溝より深いけど…)、年明けのOVA版では、もしかしたらその辺りのポイントが改変されてるかも…って、思うと……うーん、悩ましいです(^^;;)。


よく寝た…(11/4)

 午前中に予定入ってる(家を出る時間はほぼ出勤日と同じ)だというのに、休日前日だからってうっかり夜更かししてしまったせいで、夕食後には睡魔に襲われ、ママンのオムツ替えもしないでバッタリ。0時過ぎに、ママンのうろつく気配(要オムツ替え状態で気持ち悪かったんだろうな)で目を覚まして、オムツ&着替えを済ませてベッドに放り込み、目が覚めてしまったついでに、HDレコーダーの中身の整理はじめたら、合間に映ったTVに氷室が出てたです。
 音楽番組というより、ライブ密着ドキュメントみたいなカンジだったんで、そのまま作業を止めずにチラ見してたんですが、その中で初めて知った事実。

 「MISSING PIECE」って、『ぼくを探しに』の原題から取ってたんだ!

 シルヴァスタインの「あのキャラ」を説明するのに「パックマンみたいな」って表現する氷室に「あ、同世代*」って妙に嬉しくなってしまった(笑)。
*:実年齢は向こうが十歳ほど上ですが、「コンピューターゲーム経験」としては「同世代」になっちゃうんですよね。>アラフォー&アラフィフ
 件の絵本は、高校時代友人に教わって買いましたし(今でも家の中のどこかにあるはず)、氷室の「MISSING PIECE」は初めて聴いた時から今に至るまで、心に刺さりっぱなしのMY BEST キリコ→フィアナ SONG だったというのに、今の今まで両者が繋がるとは考えもしなかったです。

 「衝撃の新事実」(←筆者限定。おそらく業界やディープなfanの間では周知の事実と思われ)発覚ついでについでにちょっと想いで話とかしちゃうと、上記の「初めて聴いた時」は、シングル「STAY」のカップリング(未だにうっかり「B面 」とか言いそうになる(^^;;))として。発売とほぼ同時に買った記憶があるので、WIkipediaの記述によると96年の6月末ということになりますね。これがどういう時期かと申しますと…わたしにとっては「『赫奕』初見*から三ヶ月後」なんですよ。
*:『赫奕』のリリース自体知らなかったので、最終巻リリース(94年12月)後一年以上経った96年3月に、レンタル店で偶然見つけたです。
 正直、『赫奕』初見時は、「何が起きたのか」すらわからなくって(あるいは脳が認めたがらなくて)、ただ呆然としちゃって、今と違ってネット環境もない頃でしたから、とにかく情報求めて当時はほぼ足を洗いかけてた同人誌即売会に舞い戻ったりもして(爆)。運良く、そこで何冊かのボトムズ同人誌を入手できたものの、わかったのは「皆同様にパニック状態だし、公式からは『その後』についてなんのフォローもない」というだけ。「わたし一人じゃない」と知ったことには大いに慰められましたが、本質的な「回答」ないし「解答」は見つけられずに、ひたすらモヤモヤしてた頃…だったんですよね。
 何がヒドイって、当時は『赫奕』ラストで旅立つキリコが「何を目的としているのか」、この時の「彼の中で『フィアナ』はどういう扱いになっているか」すら、公式では明らかにされていなかったんですよ! 以前の日記で書いたように、巷ではキリコヲタどもの「フィアナ不要論」の声は高かったし、テイタニアという「2代目ヒロイン」の存在はあったし……で、このまま、フィアナは、「過去の人扱い」どころか「初めからいなかった扱い(「総集編・クメン」みたいに)」にされちゃうんじゃないかって切迫した危機感は、非ヲタ系のfanの方々*や最近fanになった方々には想像つかないとは思いますが……なんたって、こう書いてるわたし自身、今こうして思い出すまで忘れかけてたくらいだし(笑)。でも、こうして振り返ったら、当時の気持ちが蘇ってまた涙が出てきた(;_;)。
*:『ボトムズ』fanって「アニメはほとんど見てないけど、『ボトムズ』は見てた」みたいな非ヲタ系のfanの方も多くて、そういう中には、本放送リアルタイム視聴世代でも「フィアナって、男性ファンには女神扱いだと思ってました〜」って信じてた幸運な方々も結構いらっしゃいます。

 そんなところにこの曲(←gooの歌詞サイトにリンク。残念ながらYouTubeにも正規・非正規含めて動画がないようなので…)ですから…… 「こうだったらいいな…きっとこうだよね(=独りさすらうキリコはフィアナの面 影を追い続けている)」って、「願望まじりの落としどころ」を見つけて、そこで初めて、『赫奕』視聴時にはまったく出てこなかった涙が、ボロボロと出てきました。

 ちなみに、わたしの場合、『赫奕』を一気に通しで見たのは、初見時の96年の3月、先日の「ボトムズウィーク」での一挙上映でのおそらく2回のみ、この間(14年半だよ!)、LD(コンプリートコレクションIV)や動画サイトなどで断片的に数回見た分を含めても、たぶん片手で足りる程度だと思います(最終話の「カプセル内の会話」〜「アレギウムでの再会」は、先月の日記の為に結構リピートしましたが)。で、その数少ない視聴歴の中で、一度も「泣いた」ことも「泣けた」こともないんですよね。涙が「心の汗」だとするなら、ボトムズウィークで『赫奕』を見た直後の身体の異変は、「心の脱水症状」だったのでしょうか?(^^;;)
 「誰か/何かが喪われたときに出る涙」っていうのは、起こってしまった出来事に対して「ラベル」を貼った段階で出てくるものだとするなら、わたしにとって『赫奕』は、それ単独では「ラベル」を貼ることができない作品、ということになるのでしょう。
 「あとは受け手にお任せします」って作劇は当然「アリ」だと思いますが、それを「やっていい場合」と「やっちゃいけない場合」ってのは確実にあって、『赫奕』は「やっちゃいけない場合」もしくは「やっちゃいけない作り方」をしている。
 まぁ、当初は、きれいさっぱり火葬にする予定だったのが、現場(今西監督)の反抗で「宇宙葬」になったそうですから(2005年版DVDボックスのブックレットより)、「曖昧な終わり方」になるのは当然……というか、むしろ、フィアナfanとしては「曖昧ありがと〜!(今西監督にもありがと〜!)」と言うべきなのでしょうが、正直、「いっそ良輔の意向通 りにしといてくれれば、こっちも、あの時点で未練なくさよならできたのに…」って恨めしく思う気持ちもあったり……(^^;;)。
 いえ、ここは、「絶体絶命」の状態から「首の皮一枚」を残して踏みとどまり、ついには現在の「つづきを作るなら、フィアナが復活する方向で」というところまで、制作側、受け手側の趨勢を「押し戻した」フィアナの「生命力の強さ」を讃えるのが、フィアナフリークとして正しい道なのかもしれませんが(^^;;)。


ロッテ勝っちゃった…(11/7)

 ふと思うところあって、五年前の本田美奈子.さんの訃報を知ったときの日記を読み返していたら、同じファイルに「歴史的出来事」として「ロッテ優勝」の記事が……この年(2005年)は、おそろしく更新意欲が低くて、三ヶ月、四ヶ月更新ナシってのが二度もあったのですが、その中の数少ない記事の一つがこれでしたか(^^;;)。
 このときは「歴史的出来事」だったロッテ優勝ですが、今年はそんなに「ウソでしょう!?」ってカンジがしない…というより、「え? あれ以来優勝してなかったっけ?」ってくらいチームに対する印象が変わっているのが、なんつーか「まわる〜ま〜わる〜よ時代〜はまわる〜♪」って気分です(^^;;)。

 で、話を本田美奈子.さんに戻すと、土曜からテアトル新宿で公開が始まっている『マルドゥック・スクランブル 圧縮』の主題歌が、彼女の「アメイジング・グレイス」なんですよ。初日舞台挨拶(22時の回に行きました)では、原作者やヒロイン役の林原めぐみさんから「公開日の今日11/6が本田美奈子.さんの命日で…(そうと図ったわけではないんだけど、これも何かのご縁だろう)」というような話が出まして。
 ちなみにこの作品、本田美奈子.さんが亡くなった同じ年の年末に、いったんGONZO制作でアニメ化が発表(ヒロイン含む一部のキャストも発表されてました。その中には郷田さんのお名前もあったのですが…)がされたものの、その後頓挫、それから更に数年を経て、制作会社もヒロイン以外のキャストも変更して再始動、で、今回の公開に至る……という紆余曲折を背後に抱えているのです。
 そんなこともあって、「あのときいったん企画がぽしゃったのは、今日のこの日に公開するためだったのかもしれない」なんて、運命論的な話もちょっと出たのですが……まさか、今日のロッテの優勝も、美奈子.さんのお導き…ってことは、さすがにないですよね(爆)。でも、「壊れたもの、喪ったものが、時間をかけて違う形で戻ってくる」っていうことが、世の中にしばしばあることなのかもしれない…って実例を目の当たりにするというのは、個人的にとても勇気づけられる話です。

 ちなみに、作品の方も、期待以上に面白かったです!
 前売りはあと1回分押さえてありますが、もっと取っておけばよかった〜〜。こちらのスクリーンはお隣の新宿ピカデリー(PF劇場版上映館)やご近所のバルト9(ボトムズフェスティバル上映館)に比べると、かなり暗いし*、音響もサラウンドじゃないっぽいし……なので、その辺りで「まぁ、2回も観ればいいか…」って、控えちゃってたんですよね。まぁ、第2部公開、もしくは3部作完結の際にはきっとアンコール上映があると思うけど……というか、その時はピカデリーか、バルト9か、とにかくもっと環境のいいところで上映してあげて! このクオリティでこの劇場じゃもったいないよ〜〜
 #むしろ、ボトムズフェスティバルをこっちでいいじゃん……っとぉ、失言(^^;;)。
 *:先日のボトムズウィークはこちらの劇場で、最終日にはPF劇場版も上映されたですが、マニド峡谷の辺りとか、うちの旧型iBookのモニタ並に暗くて、何してるかわかりづらかったです(^^;;)。

 更に余談ですが、舞台挨拶に行ったおかげで、長年気になっていたこと「冲方丁って、誰かに似てる…」の答えがようやくみつかりました(笑)。
 #答え:現・貴乃花親方(←反転)。前髪上げてらしたんで、やっとわかった。体型は当然こちらの方がスリムですが、平均以上の長身でいい体格してらっしゃるし……

 更新報告:幻影編覚え書き、11/6付で更新してます。まだご覧になってないかたは、よろしかったらどうぞ。


DVD鑑賞中(11/8)

 「幻影編」コーナーの更新のために、39話を、「なぜだかわからないが、ダメなんだ…」の「前」を確認するだけのつもりだったのに、うっかり最後まで観てしまう(^^;;)。とりあえずEDまで観たところで、ハッと我に返り、DVDは流したまま視線をモニタから外して、更新作業にかかった……ら、40話総集編「仲間」の追加セリフで、キリコちゃんがハァハァしながら、なんかスゴイこと言ってるのが聞こえて、思わず手が止まる(^^;;)。
 「俺の、安息の場所は、戦いの中にしかないんだ!」の直後ですね。以下引用:

「フィアナ…バララントが逃げていくぞ。
 フィアナ、安心しろ。オレがついている。
 フィアナ…俺たちは……
 俺は忘れたいんだ。何もかも。
 俺は、お前だけを……フィアナ…」

 …初期の『北の国から』*ですか?(^^;;) ってな、「フィアナ」連打に加え、合間合間で(負傷による)喘ぎ入ってるので、音声だけで聴いてると、「なにごと!?」と耳を疑うようなエロさになってます(爆)。
 っつーか、実際、これって、メンタル面でのシチュエーションといい、内容といい、フツーは、「煮詰まった挙げ句、一時の慰めを求めて彼女を押し倒す」シーンで使用されるセリフだと思うのですが……そこで縋りつくのは、フィアナの体温じゃなくてATの操縦桿(フィアナ本人からは離れている)ってところが、実にキリコちゃんクオリティ(爆)。
*:一番最初のTVシリーズでは、純君のナレーションは「東京のガールフレンド宛」という設定で「○○ちゃん」という呼びかけで始まっていたように記憶しています。その肝心の彼女の名前が思い出せないのですが(^^;;)。

 んで、その動揺も収まらぬうちに、続けて31話のフィアナ&イプシロンによるドロドロ昼メロ愛憎劇(「キリコさえ、助けてくれるなら、あなたの意のままに…」「言うな!」の辺り)**……と、誰ですか、こんなに濃ゆい編集したのは(^^;;)。>40話
 思えばこの回は、14〜15年前、LDとビデオ(両方買ったです)でTVシリーズ通 し鑑賞したとき以来観てなかったから、すっかり内容忘れてました(^^;;)。39話の予告と、「仲間」ってタイトルからイプシロンとの関係クローズアップしてるのかと思いきや、「暗闇」「パーフェクト・ソルジャー」の回は思いっきりカットしてるし〜〜(^^;;)。
**:この回ならびに、その前の30話(キリコちゃんは、ファーストキスの直後にイプシロンのことフィアナに当てこするは、イプはイプで「プロトワンとキリコのイチャイチャメモリー」見せつけられて憎悪滾らせてるわ…)と、「嫉妬」の感情が絡んでキャラが追いつめられてく「昼メロ濃度(爆)」の高い回は、やはり鳥海脚本でした。
 今更ながらですが、『赫奕』のテイタニア−キリコ−フィアナのトライアングルを、もし鳥海さんが書いていらしたらどんなことになっていただろう…と、考えてしまいます……。改めて、惜しい方を亡くした(2008年1月)…と悔やまれます。


風呂場でふと思いついた(11/10)

 40話「仲間」での追加セリフ、「フツーは彼女を押し倒しながら言うようなセリフを、ATの操縦桿に縋りながら言っている」なんて、評してしまいましたが、ひょっとすると「逆」なのかもしれない……とも思ったり。
 前述の評だと、AT=フィアナの替わりみたいなカンジですが、そうじゃなくって、キリコにとっての「基準(ベーシック)」は「AT」の方にあるんじゃないかと……。
 だから、上記セリフは 「カラダはATから離れられないクセに、ココロはフィアナを求めてる」、さもなければ、「ATに抱かれるように、フィアナに抱かれたがってる」(爆)という解釈もできるかな……と(^^;;)。

 いえ、『マルドゥック・スクランブル』で、戦いに臨む直前のヒロインが、相棒に言うセリフ「抱いて、タイトに」がふと頭をよぎりましてね(^^;;)。
 件のセリフは、ヒロインの境遇(と、そこからくる「身体をきっちり締めつける衣装」への嗜好)と、相棒の特殊能力(文字通 りヒロインの全身を包むスーツになる)とが幾重に重なった「文字通りの意味」ではあるんだけど、同時に何重もの意味があるという、非常に趣深いシロモノなのです。
 #SFマガジンの記事では、バロット役の林原めぐみさんが「一番印象的なセリフ」として挙げていました。林原さんの「本当は父親に言いたかったのかもしれない」って解釈に、はっと胸を突かれたり……

 この辺り掘り下げるとまた長くなりそうなんで、今日は覚え書きとしてここまで。


アービンの場合は…(11/11)

 『Case;IRVINE』行って参りました。確保済みの2回分の前売りをどう配分するか(2回続けて観るか、分けるか。分けるなら日程は?)を迷った挙げ句、「とりあえずは一番大きなスクリーンを使わせてもらえるうちに一度は…(おそらく第一週限りだから)」と、まずは19:45の回に。
 先に新宿ピカデリーで『大奥』(こちらも前売り消化せねば…状態だったんで)観て、移動してバルト9窓口に入ったのは上映1時間前。その時点で席が2つしか埋まっていなかった(^^;;)。で、開場してからも、場内には10人といなかったんじゃないかなぁ……

 で、感想はというと……「ごめん。なめてたわたしが悪かったm(__)m」。
 見るからにイマドキイケメン主人公に童顔美少年ライバルに加えて&萌え萌え妹キャラ、どうみても「少女マンガでヒロインいじめる、学園の女王様役(イライザとか、ラビニアとか、七実様とか…)」の方が似合いそうな絵柄なのに、なぜか「お色気悪女役」なヒロイン……というキャラデザに、実は内心「けっ」とか思っていたことをここに告白いたします(^^;;)。
 それがフタを開けてみれば、『幻影編』以上に「『ボトムズ』っぽい(特にウド&クメン)」上に、『メロウリンク』に匹敵する、救いのないというか、後味の悪い話なんですもの〜〜。
 「生き残ってしまったことこそが地獄」っていうのを、ここまでズシッと描いたという点では、過去の『ボトムズ』映像作品(つまり、キリコとメロウの話ですね)を凌駕していると思います。
 「映像作品」以外も含めれば、わたしが知る範囲では、山口宏&柴田文明ペアの『無防備都市』と双璧…かな。アービンとドナも、一歩間違えれば、ソミィとその兄のようになっていたかもしれないわけで……アービンのトラウマ*を観てしまったあとじゃ、マジで、「異能生存体」が生ぬるい厨設定に見えます(爆)。
 っつーか、もしこれをキッカケに『ボトムズ』を見始める若い人がいたとして、『野望』だ『ペールゼン』だ(あるいは『赫奕』&『幻影』)を観たら、呆れちゃうんじゃないかしら……というか、ぶっちゃけ、既にわたしは恥ずかしくって、「本家面(ヅラ)」なんてできません(爆)。
*:キリコやメロウほど劇的なエピソード(「陰謀に巻きこまれて」…とか)ではないところが、逆に怖かった……。特にダメ押しのアレは、「うわっ! やっちゃったよ!」って、声にならない悲鳴が出たし…

 まだまだ語りたいけれど、今夜は遅いので、ここまで(^^;;)。


一つ歳とった(11/13)

 正確に言えば、わたしの生まれ時間は午後0時〜一時頃らしいので、あと十時間前後あるっちゃああるのですが、日付の上では、十六進法で数えれば「29歳」になりました……って、この手が使えるのも今年が最後か(^^;;)。
 #さすがに「2A歳」を名乗るわけには……(^^;;;)。
 例年、誕生日は「自分へのプレゼント」と称して芝居観に行ってますが、今年はバルト9で『牙狼 <GARO> 〜RED REQUIEM』と『Case;IRVINE』をハシゴの予定。実は、人生初の3Dムービー体験なので(『牙狼』の方)、酔わないか今から心配(^^;;)。更に言うと、こっちを先に観ちゃったら、『アービン』のアクションシーンが色褪せて見えないかも心配(^^;;)。木曜日に『大奥』とハシゴしたときは、アービンの裏稼業絡みのやりとりの辺りで、ついうっかり「それだけ顔がいいんだから、ご婦人相手に稼げばよろしいのに……<八百長バトリング以上に妹に言えないって!」なんて思ってしまったもので(爆)。

 というわけで『Case;IRVINE』の感想続きは帰宅してから(^^;;)。あ、ただ一言ご忠告!
 もし、これからご覧になる方は、劇場売りのパンフレット(三作品まとめて一冊840円)表4側から開けちゃダメです!!(リンク先画像は表1です。裏返すと『孤影再び』の例の画像なのです。)  いきなりショッキングなスチルが……。なまじ小説版を知っていた人間には予想外というか予想の遙か上…な絵柄なのに加え、「ネタバレ回避」という点から言うと、ありえねーっっ!!!レベルのシーンが載せられてるので……。
 マジで、ネタバレ嫌な方は『孤影』公開まで買わない、もしくは買っても開かないことをオススメします……(;_;)。


ほろ酔い…(11/13夜)

 バルト9の帰り、伊勢丹の洋酒売り場覗いたら、つい買わされてしまいました(^^;;)。>このお酒
 #だって、京都から出店してて、期限過ぎたら持って帰っちゃうっていうから……
 原料はハチミツだけだそうですが、元々クセのある蕎麦のハチミツのせいか、ハーブ系リキュール(シャルトルーズとかイェーガーマイスターとか)のような香りと風味です。色もウイスキーのような琥珀色だし。お値段はリンク先の「希望小売価格」通 り3990円……で、支払い済ませた後にハッと気づいた。
 「家呑み用のお酒は、ボトル当たり(フルボトル・ミニボトル関係なく)上限2500円までって決めてたんだった」(^^;;)。
 しばらく買ってないから忘れてた……ってのもあるけど、購入を考えて値段を下調べしてたお酒が、伊勢丹価格で「8000円弱」だったので、つい相対的に安いような気になってしまった……(^^;;)。っつーか、ここで4000円も使っちゃったら、目当てのお酒(ネット価格なら、6500円くらいであるようですが)の資金どーすんよ!って話(爆)。
 まぁ、件のお酒の封を切るのは、来年『孤影』の初日から帰宅したとき、と決めているので(舞台挨拶回のチケットが取れるかどうかは別 として、初日に行く予定です)……今から慌てて買うこともないかな、と。

 ちなみに、今日買ったメディエヴァル、ストレートで良し、ジンジャーエールで割って良し、かなり甘口でアルコール度も高め(16度)なのに、後に残らない(ワインでこの甘さと度数だったら、わたしは確実に潰れてます(^^;;))……と、なかなかの優れものです。

 ……と、お酒の話になってしまいましたが、映画の話! まずは『牙狼』面 白かったです〜! 5〜6年前のTVシリーズ作品の映画化だということも知らなかったくらい予備知識ゼロで、直前になってネットで大まかな設定をさらったのですが、ちゃんと覚えていない状態で大丈夫かと心配だったのですが……イイ意味で「特撮作品のフォーマット」に忠実な作りなので、問題なく話についていけました!  3D映像にも悪酔いしなかったし……
 ヒロインのアクションが実に格好良くて、惜しげもなくさらされた立派な太腿から繰り出される蹴りの数々(おそらくスタントの方かもしれませんが)、180度開脚(これは確実にご本人。以前出演されてた舞台でも、綺麗なバレエのポーズ決めてたし)、座っているだけでも絵になるし……と、実に眼福! もう、あれだけいいもの見せてもらったんだから、セリフ回しにちょっと難があっても気にしない(^^;;)。
 主演の彼については、実は、わたしの中で彼に関する知識は「2007年からの『レ・ミゼラブル』で新しくマリウスにキャスティングされたうちの一人」で始まってまして、肝心のマリウス役は観られなかったのですが、それ以後のミュージカルの舞台はちょくちょく観ていたので、完全に「若手ミュージカル俳優」でした(^^;;)。なので、予告編で名前を観たとき「同じ人? なぜ、マリウスが特撮ヒーローに…!?」と……。実際は逆で、「ヒーローの後で、マリウス役を射止めた」だったのですね(^^;;)。その前にはテニミュにも出てたそうですし……
 当たり前ですが、ミュージカル作品では観られない「戦う男」の精悍な顔つきで、「こんなにいい男だったんだ……」と、今更ビックリ(^^;;)。イマドキの「イケメン」とは系統の違う、鹿賀丈史さんやフィギュアスケートのランビエール選手に似たカンジの、古風な印象のハンサムさん。平成ライダーが割と「その辺にいそうなお兄ちゃん」ってカンジで、(歴代ライダー役の俳優さん達が「現在の“イケメン基準”の一つ」になってる感もあるし)のと比べると、その辺りでも「昔懐かしい特撮ヒーロー」の「風格」を感じました。
 ちと調べてみたら、過去のTVシリーズが廉価でボックス化されるそうなので、この機会にそっちも観てみようか……

 日付変わったけど、とりあえず11/13付でアップ。

 11/14追記:
 主人公の少年時代の師匠にしてヒロインの父親役として、ツダカンが! 今も『ケータイ捜査官7』の滝本さんが心に焼きついている身としては、「命果てた後も、主人公達を導く師にして兄にして父」としての笑顔に、思わず胸が熱くなりました……
 だって、ここのところ、普通のドラマでヒロインの不倫相手役や犯人役等(今も『モリのアサガオ』で死刑囚役だし…)で見かけることが多くって(それはそれで爛れたエロかっこよさを堪能してますが・笑)、そのたびに心の一部では「ああ、滝本さんが〜〜(T_T)」と、実はヒソカに涙していたもので(<それ、別 の意味でイタイって!)。


二回目(11/14)

 昨夜は『牙狼』に続いて『Case;IRVINE』2回目の感想書きかけたところで睡魔に負けたので、改めて(^^;;)。
 #あと、昨夜の『牙狼』感想にもちょっこし追記しました。

 『Case;IRVINE』二回目。11/13 13:50の回に行って参りました。
 木曜日の夜の回がすっかすか(200人オーバーのスクリーンで10人程度)だったので、なめてかかって『牙狼』の後(上映30分前)にチケットカウンターに行ったら、(一番小さいスクリーンとは言え)8割がた埋まっていてびっくり。結局、開場時には69席がほぼ満席でした。でも、女性率はめちゃめちゃ低かった(^^;;)。わたし入れても3〜4人くらいかなぁ……(うちお一人はご夫婦連れのようでした)。年齢層は十代二十代…はさすがにいないけど、本放送世代よりは若そうだな…ってカンジのアラサーっぽい雰囲気の人がけっこういた。一組、小学校高学年くらいの男の子とそのパパって感じの二人連れがいて、男の子が「『ボトムズファインダー』の方が…(いい、とか、観たい、とかが続いたのかな)」ってパパに話してる声が聞こえてきて感動……。いい光景見たな〜(笑)。
 ただ、そういう観客ウォッチング的楽しみを抜きにすれば、空いてる方が楽しめるかな〜。
 ピカデリーとかこことか、最新式のシネコンと家で観るときの最大の違いって「音」だと思うのですが、混んでると客席の雑音が気になっちゃって(^^;;)。クライマックスの戦闘シーンの真っ最中に、ごそごそモノ食べる音がすると、イラッと来てしまう……のは、それだけ画面に集中したくなる作品だということで(笑)。
 まぁ、上映時間が40分だから、ポップコーンとか買っても食べてる時間なくって、終盤になって慌てて片づけてるのかな…なんて思いますが。実際、二時間物の映画だったたら、大抵ある「ダレ場」(うっかり居眠りこいたり、ポップコーンとかホットドッグ食べるのにいい感じの時間帯)がほとんどないのと、前述したように話の後味が悪いのもあって、観終わったときの印象は、実際の上映時間以上に長い映画を観た後のような充実感があります。初回の時は錯覚かと思ったけど、筋を全部知ってる二回目終了時も、同じくらい満腹感があったし。二回目は二回目で、初回時には気づかなかったところをチェックするのに忙しかったですしね(^^;;)。

 というわけで、内容感想つづき。
 たとえば、アービンがバトリングの時に着てる黒いスーツとヘルメット(というより、ゴーグルとかバイザーとか言った方がいいかも)。PV〜初見では、格好良すぎて、正直、回想シーンに登場したお馴染みオレンジのスーツとタコ型メットと同じ世界のものとは思えない!なんて思ってましたが、よくよく見ると、気密性とかは全然なさそうで、「(宇宙服機能まであるらしい例のスーツと違って)最低限の機能&『ザ・ダーク』としてのカッコつけができればいいから、有りモノのツナギとゴーグルで間に合わせた…」って感じのものなのかな……とか。
 #ペイガンのスーツ&メットは、二回見てもやっぱり宇宙世紀の世界からやって来たように見えますが(^^;;)。
 アービンがドナの髪を指に絡めるカットは、39話オマージュなのか否か…とか。
 #39話よりは長い時間だったし、TVシリーズ放映当時は「アニメのラブシーン」としては際立って異色なシーン(仕草のリアルさが)だけど、最近のアニメなら、それくらいフツーにあるのかな……とか、そっち方面の情報に疎いので判断つきかねます(^^;;)。

 あとは、イシュルーナ嬢のこと……第一印象は「学園の女王様(ヒロインの敵役)やってるのがお似合いのお嬢ちゃんが、不自然にお色気悪女役やってる」で、実際、作中でもそんな感じの扱われ方なんだけど……二回観ても、どうにも評価に困るキャラですね(^^;;)。
 パンフレットでのキャラデザの方のコメント曰く「もっとも『ボトムズ』らしいキャラ」だそうで……うん。彼女が「男性だったら」ね。っつーか、実際、彼女が男性でも話は成立するし。だけど、彼女が「女性」として存在することで生じるあれこれ……お肌の露出だったり、お着替えシーンだったりから感じるものは、フィアナやルルシーのそれとは「真逆」に思えるので……
 まぁ、本放送時小学生だった監督は、初回のフィアナのヌードがトラウマになったそうなので(^^;;)「ちいさなお友達が観ても怖くない*おっぱいキャラを目指しました〜」っていうのなら、それはそれでアリだと思うのですが、だったら正直にそう言えよ、と(笑)。
*:実際、ドナを庇ってくれるしね。>イシュルーナ嬢のおっぱい
 この辺り語り始めるとまた長くなるので、今夜はここまで。そろそろ『小田霧響子の嘘』の始まる時間なので、失礼しま〜す(^^;;)。今夜は『蒼穹の昴』と『坂の上の雲』の再放送でHDDチューナーが塞がっているので、リアルタイムで観なくちゃ…なのです。>オダキョー

 なお余談ですが、『Case;IRVINE』ってこのタイトル、「;(セミコロン)」の後にスペース入れないのはワザとか(用途や業界によってはこっちの方が正しいことがあるとか?)、日本人にありがちなミスのどっちだろう…。リンク先の例をみると、そもそもここでセミコロンを使うこと自体、違ってないか?という気もしたり(爆)。
 #コンピュータのプログラムとかでこういう表記するのかな?
 英語含む欧文タイピングでは、「,(カンマ)」「.(ピリオド)」「?」「!」「:(コロン)」「;(セミコロン)」等の記号(印刷業界では「約物」なんて呼びますね)の後には1スペース(欧文なので当然半角)入れなきゃダメなのです。

 ×: Don't think.Feel!
 ○: Don't think. Feel!

 日本語だと「、」「。」「:」「;」も全角だから、スペースなしでもそんなに見苦しくならない…というか、むしろ「アキ入れない」のが(通 例としては)正しいようですが。
 #ちなみに、「?」「!」の後ろは、「全角スペース入る」の方が通例になってるって知らない人、けっこういると思う……
 こういうことって、教科書(国語でも英語でも)にも載ってないから、知らない人は結構多いんじゃないかなぁ。かく申すわたしも、社会人になって、印刷会社で英文タイプなんて仕事やるまで知らなかったし(^^;;)。
 十五年ほど前、入社直後の仕事で、スペース入れずにタイピングしちゃって、データ渡したDTPオペレーターに「常識でしょ!」って怒られたです。ほんの数行の文章だったので、即直しましたが、もっと長文だったらエライことになってた……(^^;;)。今思い出しても冷や汗です。


走り書き(11/15)

 『Case;IRVINE』の感想はじめ、書きかけのネタは山ほどあるのに、その辺全部蹴倒してとりあえず走り書き。

 『赫奕』での、フィアナのテイタニアへの「お願い」って、もしかすると、『相棒7』の「密愛」の回、ラスト間際の岸惠子様のセリフと同じ意味合いがあったのかもしれない……
 ちなみにこのシーズン7は、右京さんの長年の相棒だった亀山薫ちゃんがシーズン半ばで「卒業」して、残り1クールを「週替わり相棒」または右京さん単独行動が続き、最終回で満を持して、新相棒、神戸尊が登場…という流れでして、岸惠子様が犯人…というよりヒロイン役として出演する「密愛」は、そんな「右京さんの単独行動だからこそ可能だった回」と申せましょう。

 『古畑任三郎』式に、冒頭に彼女の住まう山荘で事件が起き、探偵役として右京さん登場(岸惠子様は、右京さんの大学時代のフランス語の講師で、彼女の授業は、彼が唯一単位 を落とした科目だそうです)。ほぼ舞台劇のような構成で、右京さんVS犯人の一騎打ちの会話のやりとりがあり、やがて事件の真相が暴かれ、右京さんに促され警察に出頭しようとする犯人。
 彼女を車にエスコートしながら、「今度こそ単位をいただけますか?」と尋ねる右京さんに、婉然と微笑んで拒否するヒロイン。彼女の意図したところではないにせよ、せっかく「完全犯罪」が成立したというのに、わざわざ右京さんを呼びつけ、調査を依頼するという形で明るみに出してしまった彼女の動機を、「良心の呵責」と解釈した右京さんに対して、「わたし自身、後から気づいたのだけれど……」と「真の動機」を告げるのです。
 本放送当時は、さらっと聞き流してしまいましたが、先頃の再放送(東京地方ではボトムズナイト翌日の土曜の午後でした)の録画を観て、それから更に2ヶ月以上経った今になって初めて気づいたですよ。これも「動機を巡るミステリー」だったんだ! と。いわゆる「ホワイダニット(Why done it)」でキーになるのは「殺人の動機」ですが、ここでは「告白の動機」が物語のキーになっていた(文字通 り、彼女が「告白」する気にならなければ物語が成立しない)んですね。
 もっとも、その辺り気づかなかったのはわたしだけではなかったようで、ちょっとググってみても、「推理物としては単純」みたいな評をけっこう見かけました。「告白の真の動機」についても、「なにそれ〜?」みたいな感想も多かったし(^^;;)。

 ここでポイントになるのが、彼女自身「自分がなぜそのようなこと(真相を解き明かす…かもしれない人間をわざわざ呼びつけ、謎解きをさせる)をするのか、自分でも理解していなかった」というところ。フィアナの言動がしばしば意味不明なのは、「彼女自身、自分がそんなことをしている理由がわかってない」上に、根本にある「動機」自体が、万人に即、理解や共感の得られるようなものではないから……なのかもしれません。
 まぁ、フィアナ厨のわたしとしては、彼女の言動の全部が全部そんなのばかりってことはないぞ〜……と思ってはいますが、それでも、テイタニアへの「お願い」については、悦子さん(岸惠子様の役名)の「動機」と通じる感情が動いていた…と考えると、なんか、「答え」に近づけるような気がいたします…


電波受信中…(11/16)

 引き続き、宇佐美悦子さん(前述の『相棒7』「密愛」の回のヒロイン)≒『赫奕』のフィアナ(かもしれない)という思いつきについて……
 まだ確証のない、思いつきどころか、「電波受信」レベルの戯れ言の断片なんで、読んでる方にはなにがなにやらだとは思いますが、後々の為に引き続き覚え書きを……

 ラスト、「告白の動機」について、右京さんの推理を否定して、「真の動機」を告げるヒロインですが、実のところ、それも「真実」ではなく、若干の「嘘」ないし「脚色」が混ざっているのかもしれない。というより、「後付けの」部分があるというか……
 巧まずして成立してしまった「完全犯罪」のからくり(=密室トリック)。論理的に考えれば、「密室」を作ることができるのは、被害者自身しかあり得ない。そのことを、他ならぬ 犯人である彼女自身は、当然初めから見抜いていた。ただ、彼女自身にも「密室を作った被害者の動機」がわからなかったのではないか。正確に言えば「推測はつくが、信じられなかった」と言うべきか……
 だから彼女は探偵として、右京さんを呼んだ。自分の推測を裏付けるため……究極的には、被害者=彼女の愛した男の気持ちを確かめたくて。そして右京さんは、そんな彼女の(意識してか無意識かはわかりませんが)期待に見事に応えた。彼女自身も知らずにいた「証拠」まで新たに提示するという行き届きぶりで。

 「その恋人が命をかけて守ってくれた秘密を……大事にしてはいけないかしら……?」

 涙ながらの右京さんへの問いかけを本放送&再放送で観たときは、「密室のからくり(=男の真の気持ち)に気づいた時の昂ぶりが甦ったが故の涙」だと思っていたけれど、もしかしたら、「その時初めて」、彼女は男の気持ちを知ったのかも知れない。大きすぎる犠牲(人一人の命と、彼女自身の残りの人生)と引き替えにして手に入れた宝物のような「真実」を、そっと抱きしめて生きていたいと、その瞬間は本気で思っていたのかもしれない。
 もちろん、右京さんにそういう理屈が通用するはずもなく(^^;;)、畳みかけるようにこう尋ねる。

 「ではなぜ、先生は私をお呼びになったのですか?」

 良心の呵責、真実が闇に葬られることへの罪悪感があったのでは?と続ける右京さんに対し、このときは答えないヒロイン。やがて衣服を整え、外で待つ右京さんの元に現れる、それまでの時間の中で、右京さんに告げた「真の動機」が、彼女の中で固まったのではないか……と。
 「誰かに知っていて欲しかった」。彼女がそう思えたのは、右京さんによって語られた「物語」が彼女を魅了するほどに美しかったから…ではないのか。
 この回の中で、右京さんの「推理」は、「物語」として語られます。男にジュリアン、女にキャテリーヌ(悦子さん自身の命名)と仮の名をつけて、ことさらに「絵空事」度を強くして語られるそれに、キャテリーヌこと悦子さんは他人事のようにツッコミを入れながら楽しげに聞き入ります。
 実際、彼女にとってはある意味「他人事」だったのかもしれない。自分の人生に起きるはずのない恋に捕らわれ、ついには殺人まで犯すことになった。ところがなんの天の配剤か、自分にはいっさい容疑がかからないまま事件は幕を閉じようとしている。このままそっとしておけば、愚かな悪夢を見たと忘れることもできる……。右京さんの語るのはあくまでも「物語」。証拠は無いに等しい。このまま「面 白いお話ね」で誤魔化し通すことだって、できないことではない。
 だけど……彼女の眼前に広げられた「物語」はあまりに美しかった。彼女が自分自身に貼りかけた(そして、おそらく生涯誰にも知られまいとしていた)「騙されているとも知らず、年甲斐もなく若い男との恋に溺れた愚かな女」というレッテルを剥がし、「情熱的な悲恋のヒロイン」に変えてしまった。男の死と共に…否、男に殺意を抱いた時に喪ったはずの恋が、再び美しい姿を甦らせたとき、彼女は二度とそれを手放すことができなかった……。

 というわけで(なにが「というわけで」なのか、読んでる方にはおそらくついてこれないと思いますが、そこは目をつぶってください)、『赫奕』におけるフィアナのテイタニアの「お願い」の言葉の裏側にあるのは、もしかしたら

 「わたしたちのこの愛の証人になって」あるいは「彼の気持ちを確かめて」

 ……だったり、しないだろうか……と……。いや、「なんでそうなるんだ!?」って、自分でも思うだけの理性は残ってるのですが、なんかこう、直感的に繋がってしまったもので……(^^;;)。理屈は後から考えます(爆)。
 ただ、実際にフィアナがそう願っていたかどうかはともかくとして、年明け公開の『孤影再び』で、テイタニアはおそらく、彼女自身がそうと意識しているかどうかに関わりなく、結果的に、上記の役回りを果たしてしまうのではないかと……そんな泣きたくなるような(主にテイタニアのために)予感が、ヒシヒシとしているのです…


借りてきた…(11/17)

 『相棒7』「密愛」の回(9巻 15話)借りてきました。見直すと、細かいところでちょこちょこと思い違いがありますね(^^;;)。悦子さんの科目は「フランス語」ではなくて「フランス文学」だったとか。どうりで「愛だの恋だの語っている文学、あなたには不向きでしょ?」って右京さんに言っちゃうわけだ(^^;;)。大学退職後の仕事も、「フランス文学翻訳家」ですしね。
 #単に「フランス語」なら、哲学とか歴史とか、右京さんが得意そうな分野もあるしね……
 「物語」での男の名を「ジュリアン」と命名したのも悦子さんの方。

 「その恋人が、命をかけて守ってくれた秘密を……大事にしてはいけないかしら……?」

 のセリフは、昨夜「涙ながらに」って書いちゃいましたが、まだこの時は泣いてませんでしたね。冷静さの砦が崩れて、泣き出す直前の声…ではあったけど。その後、右京さんが出ていき、独りになったところで、恋人の調合したハーブティーのカップを手に「ごめんなさい」と泣き崩れるシーンと記憶が混在していました(^^;;)。
 ただ、わたしが電波受信した「最後に及んでも口にしなかった真の動機」は、そう間違ってはいなかったのでは…と思ったり。キャテリーヌ=悦子さんの殺人の告白によって、「物語」を終わらせようとする右京さんに、「まだ(密室の)謎が解明されてないわ!」と続きを迫る口調、右京さんの謎解きに「榊がどうしてそんなことをするの!?」と(もはや仮名も使わず)尋ねる口調がすごく切実な感じなので……
 そもそも彼女が男の気持ちを信じ切れなかったことが、悲劇の始まりであったとするなら、「状況証拠」だけでは確信を持てない…という方が自然ではないでしょうか。なにしろ、キャテリーヌは右京さん言うところの、「うぶな乙女」ですから。<ちょっと右京さん口調(^^;;)
 #ここのやりとり、「“うぶな乙女”って、あなたが言うと妙に淫靡だわね」って悦子さんのツッコミがステキすぎです(笑)。
 なのに、「確かめたかったの…彼の気持ちを」ではなく、「知ってほしかったの…」だったのは……それが悦子さんの、ギリギリの矜持、なのかな、と。
 圧巻の幕切れのやりとり(最後の部分は一応反転):

 「待っていてくれたの?」
 「エスコートを」一揖する右京さん。
 「Merci, infiniment」
 「こちらこそ。取り損ねていた単位をいただけたのですから」
 「単位? 残念ながら、単位はさしあげられないわ」笑い声と共に告げる悦子さん。
 「はい? 僕のレポートは赤点でしたか?」
 「大きな減点があったのよ
  あたしもやっと今気づいたんだけど……
  あたしの本心はね、良心の呵責でも罪悪感でもないの
  あたしがあなたを呼んだのは──
  誰かに知ってほしかったのよ
  あたしが こんなに愛されたっていうこと
  この歳になるまで……
  生まれて初めて
  それも自分の命をかけてまでの愛を あたし もらったのよ
  そのことを たった一人にでもいい 知っていてほしかったの

 「本心の吐露」というには、この時の彼女の表情や仕草はひどく芝居がかっているように見えます。むろん、おフランス文学に日常的に接している方ですから、日本人離れした表情・口調がデフォルトという可能性も充分ありますが(^^;;)、先程までの泣き崩れていた様子と比べても…ね。でも、これを単に「女の見栄」で片づけてしまっては、いけない気がするのです。
 男の命がけの愛に対して、ふさわしい女でありたいと思った。「男のため」でなかったとしても、第三者(右京さん)に実証された「愛の物語」が、彼女に誇りを取り戻させた。あとは彼女のすべきことは、知性と気品に溢れた美しいキャテリーヌとして、断頭台に向かう女王のように昂然と頭を上げて誇り高くふるまうこと。朴念仁の元教え子に「あなたったら、男女の愛に関してはやっぱり落第」とイタズラっぽく宣告するのは、行きがけの駄 賃ということで(^^;;)。

 …っと、諸々の更新記事や冬コミの原稿放り捨ててなにしてるんだって話ですが(^^;;)。
 ただ、この話の中で引用されていた詩は、いずれ、わたしの『ボトムズ』語りの際にもご登場いただくことになるかもしれないので、作中の字幕より引用しておきます。

死者たちが戻って来なかったからには
今更何を生者たちは知りたいのか?
死者たちがもはや黙っていられないからには
生者たちも沈黙を守ってよいものか?

ジャン・タルデュー「空席」(安藤元雄=訳)『フランス名詩選』岩波文庫 ←とエンドロールにあり


3回目〜(11/21)

 3週目に入って、ついに1日1回(真っ昼間)のみの上映になってしまった『Case;IRVINE』(^^;;)。
 #またこの週末から『ハリポタ』始まったしな〜〜(^^;;)。
 折しもメールをやりとりしていたオタ友から、 「折角だから1回は観ておきたい」という言葉があったのを幸い、「この調子だと、フェスティバル第2弾の『ボトムズファインダー』が始まるまで上映継続してくれるかどうかアヤシイから、とっとと行っちゃいましょう〜」とお誘いして、本日3回目を観て参りました。
 残念ながら、彼女の感想はイマイチ芳しくなかったようですが(^^;;)、とりあえず久々に思いっきりオタトークができて楽しかったからいいんです。<おい!

 3回目でふっと思ったのは、アービンのバイザーの「お花マーク」(タイトルのロゴにもあります)って、「お守り」なんじゃないかな……と。ドナが大事に育ててる花*=「ドナ」を象徴するものを身につけておくことで、自分が「正気」を喪わず、「こちら側」に留まっていられるように…っていう。
*:こっちの世界で言うとマダガスカルジャスミン(←ググると画像出ます)みたいな、ツル状の茎に、一重の厚い花弁をもつ筒状の可愛らしい白い花です。花びらの数は違うかもしれませんが…(^^;;)。
 なので、終盤、バイザーが吹っ飛んだときにアービンの中の最後のリミッターも一緒に飛んじゃって(それまでのペイガンとのバトルでもかなり外れかかってはいたでしょうが)、ああいう行動に出たのではないか……という見方もできるかも。
 「バトリングは遊びだ」ってわざわざ(あの場でそんなこと口にしたら、トラブルになるのは目に見えているのに…)強調するのも、ともすれば「向こう側」に引き込まれそうになる自身を引き止めるために、暗示をかけている…ともとれる。

 完全に「向こう側」に行ってしまったペイガンと彼をくらべると、結局、人を「正気」(あるいは「社会」というべきか)の枠内に引き止めるものは、「家族」と「仕事」なんだな……と思ったり。両方揃ってなきゃダメってわけじゃなく、どちらか片方だけでもいいのですが……。強いて言えば「家族」は「動機(=正気でいたい、と思わせるもの)」で、「仕事」は「手段(=食い扶持&自分はこれでいいんだという承認)」という「両輪」なので、どちらか片方しかないよりも、両方揃っていた方が安定するとは思いますが……
 逆にペイガンの場合(まさに「Case;PAGAN」ですな)、「仕事(バトリング)」によって、「向こう側に逝っちゃった自分」を「承認」し続けてるわけですが(^^;;)、そこから振り返っても、アービンが裏稼業の方では「八百長の負け役専門」って制限を自分に課している理由が改めて見えてきたり……
 #表稼業の方では、(多少「言い訳」や「詭弁」もあるでしょうが)「自分の仕事によって、乗り手を少しでも危険から遠ざける」ってのがポリシーのようですしね。
 かつて一度「越えてはならない一線」を越えて「向こう側」に逝ってしまったアービンが、それでも「こちら側」に懸命にしがみつこうとあがいている様は、3回観ても、やはりなんとも切ないです。
 あのキリコですら、「幻影編」3話では、(かりそめとは言え)「仕事」と「家族」を得て穏やかに生活しているのを見るにつけても……

 ……と、ここまで書いてふと気になったのですが、アービンを

 >「こちら側」に懸命にしがみつこうとあがいている

 って、受け取っている人は、もしかしてそんなにいないんでしょうか? ざっとググったら(そもそもレビューや感想自体、まだそんなにないんですが)、「ありきたり」みたいな評が多くって……(^^;;)。わたしの頭が悪いのか、最近のアニメをほとんど観ていないから、感覚がずれているのか、なにが「ありきたり」なのか、わからない……(^^;;)。
 アービンの「トラウマ」を指して「ありきたり」って言ってるのかな? 昨今のフィクションの世界では「トラウマ」の大安売りで、受け手の感覚が麻痺している…とか?
 ちなみにわたしの場合は、アービンが「一線を越えてしまった」描写があまりにも「アッサリ」していたのがすごく怖かったです。メロウやキリコのような周到に仕組まれた陰謀によって追い込まれた窮地ではなく、戦時下ではしばしば起こりうる事態で、我を忘れて生き延びようと必死になって、気がついたら……そこで、更にダメ押し!ってのもキツかったし……
 「戦争によって起こる怖いこと」の最大のものは、「故なく殺されること」と並んで、「家族・恋人・友人と愛し愛される普通の人間が、誰かや誰かの大切な人を殺す、『人殺し』になってしまうこと」ではないのか……。
 そして「赦されない『人殺し』」になってしまった人間が、それでも「人間」として生きていこうとするというのは、どういうことなのか……。
 元祖『ボトムズ』ではゾフィーのエピソードがつきつけた(しかし、その後のキリコの後付け設定によってなんかウヤムヤにされてしまった)ものが、『メロウリンク』の終盤のエピソード(復讐に巻きこんだ相手兵士から「仲間の仇!」と糾弾されるメロウ)以来、二十余年ぶりに描かれた……と、わたしは思っているのですが……それって、「ありきたり」ですか?
 それとも、わたしが知らないだけで、最近のアニメでは、「崖っぷちから落ちかけながら、懸命に『こちら側』にしがみつこうとするキャラ」がゴロゴロいるんでしょうか? そういう理由での「ありきたり」評なら、気持ちよく自分の無知を恥じることができるのですが……


想像してウットリ……(11/25)

 巡回コースのブロガーさん経由で、とある漫画家さんのツイッターにて、「実写 なら、ヤン・ウェンリーは堺雅人さんに」のお言葉に、激しく頷きつつ、妄想がスパーク! うわあ、どうして今まで思いつかなかったんだ!(ジタンダ×2) ああ、あのセリフもこのセリフもあんなセリフもこんなセリフも、ぜんぶぜんぶ堺さんのお声でナチュラルに脳内再生されてますよ! 指揮卓の上であぐらかいてる姿も、頭くしゃくしゃ掻いてる姿も、ボーッと「紅茶入りブランデー」すすってる姿も、ナチュラルに…(以下略)。
 更に更に、ブロガーさんの「シェーンコップは阿部寛」に、更に萌えがスパークして鼻血吹きそう……ステキ過ぎです、姐さん、コップ×ヤンでいらっしゃいますか!?(爆)
 先日、ブックオフで徳間文庫版の『銀英伝』一式揃えちゃった(正確には、8巻のみ創元文庫ですが)ばかりなので、思わずヤンの登場箇所をピックアップして読み返しそう……になって、慌てて自制(^^;;)。
  ほら、冬コミ原稿しないとね(^^;;)。そろそろ。今日も、書きかけのを没って新しく書き始めたところだし……
 先日突然電波受信した『相棒』…っつーか、キャテリーヌこと悦子さんネタが実を結ぶかもしれません。一時は、あまりの筆の進まなさに、「いっそ『Case;IRVINE』で出したろかい」とまで思いましたが(爆)、やはり、サークルカットで「キリコ×フィアナ本」を期待してウチに来てくださる方々を裏切るわけにはいきませんので(^^;;)。
 #と書いててなんですが、脱稿してみたら、キリコかフィアナのどっちか片方しか出てない話になるかも……


言葉にならない……(11/28)

 ……ここまでリョマヤタだったとわ……圧倒されて、声も出ない……<龍馬伝最終回

 「最後の逢瀬」の濃さはなに?(^^;;)
 「大ッキライじゃ!」宣言して出ていこうとするヤタを、「わしはおまんを嫌ったことは一度もない…」と強引に引き止める龍馬。「や…やめっ……!」(←捏造ナシ!)と抗うヤタ(旅支度の白い脚絆が、「ヒロインブーツ」のようで眩しかった…)を押し倒し……「その後のことはよく覚えていない」ってモノローグと共に魂の抜けたような顔で京の街をさまようヤタ……
 ……って、わたしはいったい何の幻を見たのでしょう?(^^;;)  怖くて録画が確認できない……

 話が本当に「龍馬暗殺」で終わっちゃって、その後の政局だなんだは一切ナシだったのは、聞き手の坂崎記者は当然知ってることだから…ってことなのね。龍馬の遺体を発見したのは誰で、中岡の方はその後数日生きていたとか、葬儀はどんな風に行われたかとか、なんて、龍馬を喪ったヤタにとってはもうどうでもいいことだったのね……(涙)。
 掛け値なしに、「岩崎弥太郎翁(って、この頃まだ五十そこそこですが)、坂本龍馬との愛と追憶の日々を語る」……だったわけか……。>龍馬伝

 ……うわぁ、今、アク解覗いたら、30分のあいだに「リョマヤタ」で来られた方がお二人も! 一クールに一度のリョマヤタ祭りのたびに歓声と悲鳴上げてるだけの過去日記しかないので、ガッカリされてなければいいのですが……。
 でも、これもなにかのご縁ですから、今宵は共に、一年(正確には十一ヶ月ですが)に渡るリョマヤタ愛のメモリーを、萌えと涙で偲びましょう……
 #…って、検索で辿り着くのは過去日記ですから、おそらくこちらのページはご覧になっていないでしょうが(^^;;)。

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