これから『赫奕』観に行ってきます…(9/2)
昨日の「流星」で、カプセル射出直前のキリコの表情があんまり幸せそうで、たまらなかった……。バニラ達に語りかける合間にも、「これからはずっと一緒だ」って確かめるように、幾度もフィアナの方を見るの……
#「これからハネムーンに旅立つ新郎のよう」(爆)という評を、昔知人から聞かされたこともあったっけ……
一昨日のサンサ編セレクト、昨日のクエント編セレクトでも、直接会話していないときでも、彼の視線は頻繁にフィアナを追っているのです。
ずいぶん昔、TV本編をさんざんリピート鑑賞してた時にはわかっていたはずだけど、ここ数年、PFや幻影編のロンリーでアローンなキリコにすっかり馴れちゃってたから、改めてこんなの観ちゃうと、ホント参るよなぁ……
今では…今なら…今でも…(9/3)
数年ぶり(下手すると「十数年ぶり」かも…)の『赫奕たる異端』鑑賞。どうなることかとかなり不安でしたが、案外、頭も心も…というか、理性の上でも、感情の上でも、冷静に…というか「作品の中の出来事」として話を受け入れていました。
結局、わたしにとって、この作品が、今に至るまで「身体の一部をもがれたような痛み」になっているのは、「フィアナの死」それ自体ではなく、「彼女の死(=彼女の人生、存在)が作中、作外でどのように扱われたか」言い換えると、「良輔がナニを考えてそんなことをしたのか」という、メタレベルの問題なので……。
#故に「フィアナの死には納得している」人には何が辛いのかが解ってもらえずに、そのことでさらに痛みが深くなるという悪循環。
わたしがこれを観た当時(リアルタイムよりは少し遅くて、96年の3月でした)は、「答え」がまったく示されていない状態でしたから。んで、それから3〜4年ほど後、とあるムックのインタビューにて一応の「答え」が提示されましたが、これがまた、ジツにロクでもないものでね〜、最近の言葉で言えば「心が折れる」っていうのは、たぶんああいう時の気分をさすのかな〜。当時、このサイトを開設して1年弱経ってましたが、一時はサイト閉鎖・同人引退も考えました(笑)。まぁ、そうしてしまうには、「このままここで消えたら、その仕打ちにどれほど絶望し、怒った人間がいたのかって存在すら忘れられてしまう」って無念の方が強すぎて、成仏し損ねた地縛霊みたいに、今もこうして生き残っているわけですが……
で、それから更に時は流れ(十二支が一回りするほど)、作品周囲の状況は全然変わってしまいましたものね。今もなお、「分かっていても赦せない」「諦めることや忘れることはできても、受け入れることはできない」ことは依然として残っているけれど、感情の「行き先」というか「標的」がかなりハッキリした分、昔のような「行き場のない激情に内側から自分が崩壊しそうな苦しさ」は減ったように思います。ひょっとしたら、単にトシのせいで、恨み続けるだけの気力が衰えただけかもしれませんが(爆)。
ただ、そうやって脳みそがある程度「納得」していても、身体はそうはいかない…というか、「感情」を産むのは大脳だけじゃなくて、小脳とか脊髄とかも関わっているのかな……というか。
5話連続一挙上映、1話終わるごとにため息をつくほど集中して観ていましたが(実際、3話まではTV本編〜幻影編含めた全シリーズ中でもトップクラスの出来だと思う……)、フィアナが蘇生する4話あたりから、過呼吸、心拍数増大、冷や汗……と、なんか妙な発作のようなものが(^^;;)。異変は上映終了後にも収まらず、ロビーで友人のトイレ待ちをしている間に手が震えだす。最初は「冷房のせいかな〜」なんて思ってましたが、外に出ても、熱帯夜の新宿で、駅までの道中、身体の震えが収まらなかったです。いわゆる自律神経失調症やパニック障害等の既往歴は(記憶にある限りでは)ないので、単なる低血糖だった(こっちも起こした記憶ないけど)のかもしれませんが。
#帰宅後と翌朝体重測ったら(「はかるだけダイエット」実施中)、ここしばらく下げ止まってた体重が一気に1kg以上減ってたし。
……って、ただでさえ連日の猛暑だってーのに、更に暑苦しい自分語りに走ってどーする(^^;;)。当初は「冷静な頭」で再見した『赫奕』の感想のはずだったんだけど、それはまた別
の機会にということで……。
ただいま〜(9/4)
ボトムズナイトより朝方帰宅、ママンのオムツ替えてデイサービスに送り出し、洗濯済ませて、お風呂を洗ってお湯を張っている間に寝オチ(自動で止まるので途中で寝ちゃっても溢れないのがありがたい)。午後2時前に目覚める。
イベント感想を書く前に、まずは前日書きかけで時間切れになった9/3分の日記↑と、いい加減古くなってたTOPICSを書き直す。
ええ、「幻影編」の結末は↓のようなことになってるそうです(^^;;)。
★ 『装甲騎兵ボトムズ 幻影編』 2010年 3/26〜 (公式サイト)
6月のロフトのイベントでも仄めかされていましたが、9月のオールナイトのトークショーで、やはり結末は「投げっぱなし」になることが明らかになりました(苦笑)。事前についてた「完結編」云々のアオリは、「売る側のセールストーク。作る側にはそんな気は毛頭ない。(大意)」だそうで……。あえて上記アオリとの整合性をつけるなら「完結へ向けての序章スタート!(ただし次の展開は未定)」みたいな?(爆)
……まぁ、そんなこったろうとは思ってましたが、そこまで堂々と開き直るなよ(-_-;;)。
だからさぁ、80年代みたいに一年間のTVシリーズを行き当たりバッタリで作っていた頃のやり方を、尺の限られたOVAに持ち込むなよ……って、「オトナの常識」を言い出す人間は製作側に(制作陣には今更言ってもムダだとは思うんで…)いないんでしょうか……
(TOPICSより転載)
この辺はある意味「想定内」なので、今更驚いたりはしませんが……それよりも、先行上映の5話! 白いムシがイヤ〜〜〜〜っっ!!! 『ナウシカ』の王蟲を初めとするダンゴムシ、ムカデ系の固い殻のついたムシは平気なんですけど、お蚕さんみたいな白くてフニャフニャしたムシの団体(時々アップになる)には、自分でも予想外の生理的嫌悪感に襲われて、シート上で声を殺して(一応周囲の迷惑を配慮したんで…)絶叫しました。
どうしよう、DVD届いても、観られないかも……少なくとも、7月に買ったばかりのAQUOS32インチでは絶対にムリ!パソコンのモニタで画面小さくして観よう……
まだまだ思うところはあるけれど、とりあえずいったんアップ
つ…つかれた(^^;;)(9/5)
ボトムズウィークの感想という宿題放置して、「覚え書き」ページ更新してました(^^;;)。単に、『孤影再び』の連載当時の日記を抜粋して一つのファイルにまとめて、ちょっとコメント足しただけ……なのに、何時間かかってるんだ。>自分
というわけで「宿題」は明日以降に持ち越しと言うことで……
め・と・め・で つぅ〜じあう〜♪(9/10)
さて、宿題のお片づけを…と言っても、オールナイトの方ではなくて、「TV本編(サンサ・クエント)では、キリコの視線は、頻繁にフィアナに向けられている」という話の続き。
TVシリーズも後半に入ったこの辺りは、もう自他共に認める相思相愛カップルですから、ある意味当然っちゃ当然なんですが(^^;;)。今回、あっと思ったのは、ラブラブな時だけじゃなくって、気持ちが微妙に離れているような時でも、キリコって、視線を落とす、振り返る等で「いったんフィアナを見てから」前方を見る、って演技が多いのです。むしろそういう時の方が、しっかり彼女を「gaze(=みつめる、今風に言うと「ガン見」?)」してる印象すらある。
#39話「パーフェクト・ソルジャー」の「なぜだかわからないが、だめなんだ」とのシーンとか、その後のサンサ地表への降下時にスコープ越しにロッチナの隣のフィアナに焦点合わせてたりとか……
対して「流星」のカプセル射出直前のように、心から愛しげに彼女を見てる時は、彼女の横顔や肩先辺りにちらちらと視線を向ける「glance(=一瞥する、今風に言うと「チラ見」?)」で、フィアナに視線が留まる時間は、(一回ごとは)かなり少ない。
「流星」以外だと、同じくサンフェスで上映された35話「視線」…もとい、「死線」も、「glance」が頻発している…ような気がする(^^;;)。いや、残念ながら鈴木作監回で、キリコもフィアナも基本的に目が死んでるんで、谷口回ほどそうと断言できないんですが(爆)。でも、「首を巡らせる」動きは確かに多いですね。
随分昔(11年前!)に自サイトでこの回を取り上げたときも、肩にもたれるフィアナと前方を交互に見るキリコの視線に言及してました。
で、この数回の材料から、乱暴にも「恋愛中の相手に向ける視線の(1回当たりの)滞在時間は、相手への心理的距離に反比例正比例する」なんてトンデモ説を立ててみたり……。もちろん、これが世間一般
に通じる法則ってことはないでしょうが、少なくともボトムズウィークで上映されたTVシリーズのキリコ→フィアナについては、結構適用できるかも……。
で、『赫奕』ではどうだったかというと……かなり意外なことになっていたのに、今更気づいたのです。
(…体力・気力が尽きたので、次回に続く)
ひとめあなたに……(9/11)
(前夜に続く)キリコ→フィアナの視線には「gaze(じっと見つめる)」と「glance(ちらちらと見る)」があって、二人の間に心理的な距離があるときほど、「gaze」=キリコの視線がフィアナの顔に止まる時間が長くなる…という話の続き。
数年ぶりに観たら、こっちがビックリするほど幸せそうにフィアナを「glance」するキリコちゃんに胸いっぱいになった「流星」を経て、いよいよ『赫奕』における、キリコ→フィアナの「視線」ですが……。
まぁ、当然と言えば当然ですが、回想シーンを含めても「glance」は(わたしが気づいた範囲では)皆無です。対して「gaze」の方は、実質的な「主人公登場」シーン、「蘇生中のキリコ」のファーストショットが、まさに「(動かぬ体で)目だけは隣のフィアナを見つめている」状態から……と、いきなりの登場。
で、フィアナが蘇生不良のまま連れ去られるシーンや、必死の追跡むなしく、あと一歩間に合わなかった彼女を乗せたシャトルを見送るシーンも、これもまた当然ですが「gaze」です(正確に言えば、この時のキリコに「フィアナの顔」は見えないわけですが)。
が、話が進み、物語終盤、いよいよキリコが再びフィアナと対面する…というシーンになって、意外…と言うべきか、キリコの視線はフィアナを逸れるのです。彼の視線がフィアナを捉えた(と推測される)のは、メディカルルームに入った瞬間、ベッドに腰掛けてキリコを迎える(キリコ視点らしき)フィアナのカットだけ。その直後、彼に歩み寄ってその腕の中に倒れ込むフィアナを受け止めながらも、彼の視線は上方に逸らされたまま。抱きあいながら交わした最期の会話の間も、力尽き崩れ落ちるフィアナを抱きしめる時ですらも、「gaze」も「glance」ない、それどころか、ただの一度もキリコの視線がフィアナに向けられることはないまま、ふたりのシーンは幕を閉じます。
『赫奕』がわたしを含め多くのfanにとって、心身および日常生活に支障をきたすほどの「心の傷」になったのは、「フィアナの死」それ自体ではなく、その「描き方」に問題があるからだ…というのが私見ですが、その「問題のある描き方」の一つ*が、「キリコがフィアナの死をどう受け止めたのかが曖昧」なこと。そのせいで、「フィアナの死」の衝撃が視聴者一人一人にダイレクトにぶつけられ、まるで「身近な人の不慮の事故死」のような、受け止めるのに長い長い時間を有する「傷」になったのではないか…と。
で、その「曖昧」と感じさせる理由の一つが、「フィアナを見ようとしないキリコ」の絵柄にあるのではないか…なんてことも思うのです。
……すみません。ここまで書いてたらまた辛くなってきたので、今夜はここまで。
ほんとうは「フィアナを見ようとしないキリコ」に、今回の上映でようやく、わたしなりの「意味」を見つけられたんだよ……って結論まで持っていくつもりだったのですが、それはまた明日に(^^;;)。
*: あくまでも「数あるうちの一つ」。他にもイロイロありますが、もう一つ例を挙げると、二人の「最期の会話」もツライ。
あそこで「あなたに出逢えてよかった」のような、短くとも充実していた自身の人生への肯定や、遺されるキリコへの気遣いが感じられる言葉があれば、観る方の印象もかなり違うだろうに……。ただ「果たせなかった約束」をキリコに突きつけるだけのあのシーンのフィアナの言葉には、「ここで自身の人生を終えなくてはならない無念」の方を強く感じてしまって……。
テイタニアにはキリコを託すようなことを言いながら、最後の最期の土壇場でそういう意地汚い(^^;;)ところを見せるフィアナのバイタリティは、わたしのこよなく愛するところではありますが、それだけに、「こんなにも生きたがっているフィアナがなぜ!」…と、やりきれない想いが一層つのるのです……。
うわっち!(9/12)
9/10の日記で、TVシリーズ後半において「キリコのフィアナに対する視線の(1回当たりの)滞在時間は、彼女との心理的距離に反比例している」…ってなこと書きましたが、「正比例」の間違いです!(9/10分も取り消し線で修正済み)。
「正比例」というのは、y=ax (y/x=a、x/y=1/a)な関係
「反比例」というのは、y=a/x (xy=a)な関係
*:いずれも、 x、yは変数、aは定数、かつa≠0。
変数x=「フィアナへの視線の滞在時間」が長いとき程、変数y=「ふたりの心理的距離」が大きい…と言いたいわけなので、「正比例」が正しいんですね。書いてるとき、『赫奕』終盤の「フィアナから視線を逸らしたままのキリコ」のイメージが念頭にあったので、「反比例」と書いてしまいました(^^;;)。
#「反比例」では、変数x=「0に限りなく近づく」ほど変数y=「
∞(無限大)に近づく」のです。本当に「0」になっちゃうと、「反比例」の定義から外れちゃうんですけどね。
というわけで、気を取り直して(^^;;)、『赫奕』の終盤の話。この時、ふたりの心理的距離がどうだったかというと……正比例だ反比例だを持ち出すまでもなく、「キリコの腕の中に倒れ込むフィアナ」のカット(画面キャプってご説明できないのが残念です)の見た目ママ…すなわち「すれちがい」状態ってことでいいのかな…と。
当たり前過ぎてスミマセン(^^;;)。ただ、今回(抜粋とは言え)TVシリーズと続けて観たことで、「フィアナに視線を向けないキリコ」というのは「異常事態」なんだと、初めて気づいたんですよね。
「腕の中にフィアナがいるのに、別の方を向いているキリコ」自体は、TVシリーズでも幾度も出てきます。早くは(今回のボトムズウィークでは選ばれませんでしたがでもセレクトされていましたが←9/23修正(^^;;)。自分が行かなかったからうっかりしてました(^^;;))23話「錯綜」のラスト。「わたしと一緒に逃げて!」とすがりつくフィアナの懇願を退け、目指すカンジェルマン宮殿の方向をしっかりと見据えるキリコ。あるいは、既に引用したように39話の「なぜだかわからないが、だめなんだ」……等々。ただ、それらのシーンでは、キリコの視線が「目の前のフィアナよりも遠いどこか」にしっかり焦点が結ばれているのに対して、『赫奕』での例のシーンのキリコの瞳は(大量出血中でフラフラなせいもあるんでしょうが)虚ろでどこ見てるのかわからない。
これって「別の方向を向いている」のではなく、「フィアナから目を逸らしている」正確に言うと、「今まさにフィアナの命が消えかけているのを直視できない」のではないか…と。ほんっと〜〜〜に今更の気づきでお恥ずかしいのですが(^^;;)。
ジツは、そうと気づいたのは、『赫奕』一挙上映の日…ではなく、そのまた翌日、最終日オールナイトでの『ペールゼン・ファイルズ 劇場版』の時だったりするのです(^^;;)。このシリーズは、冒頭の渡河作戦の隊長さん(劇場版では、「死んでいく隊長」はカットされましたが、「隊長を看取るキリコのアップ」はしっかり残ってました)から、終盤のバーコフ分隊全滅まで、TV本編ならびに過去のOVAではあまり描かれることのなかった*「友軍・戦友の死を見るキリコ」の描写が際立って多いです。
で、それを踏まえて、改めて『赫奕』のキリコを振り返ると……
「無数の死を目にして、幾度も戦友を看取ってきた男が、
ただ、フィアナの死だけは受け入れることができなかった」
と、そういうことだったのか…と。
2〜3年前、およその掲示板(某匿名掲示板じゃないです(^^;;))で、
> 『赫奕』のキリコが見つめていたのは、「フィアナを喪いひとり遺される」という恐怖であって、フィアナ本人じゃない
…ってなことを、かなりキリコを非難する口調で書いたのですが、こうして改めて『赫奕』の映像を見直すと、確かにキリコは前述のように「フィアナから目を逸らしている」けれど、TVシリーズではあれほどに(心が離れていくときですら)フィアナを見ていたキリコが、「彼女を直視できない」っていうのが、どれだけ異常事態なのか……って思ったら、今更ですが、彼が可哀想になりました。
そんなにも……自身と彼女の余命**と引き替えにするような手段を使ってでも、逃げ出したいほどに、怖かったのか、と。
TVシリーズの「いつもフィアナを見ているキリコ」に思ったのですが、彼にとってフィアナって「原点」みたいなもので、いわゆる恋愛感情が薄れているような時でも、彼女を起点として確認することで自分の行く先を決められる…ってところがあるのかな、と。
なので、そんな彼女を「喪う」ということは、渡り鳥が北極星を見失うような…あるいは、いっそ「体内磁石」をなくすのに等しいのかな…とも思うのです。方角のわからなくなった渡り鳥に待つのは死、あるのみ。コールドスリープを決意したときのキリコにとって、「フィアナを喪う」というのは、それほどの重さだったのか…と。
老ロッチナとテイタニアのキリコトークの中で「自殺するような男じゃない」ってなセリフがありましたが、確かに「自殺」ではなかった。彼はただ、「自身の肉体の死に先んじて訪れる『死』」から逃げようとしただけ。
元々「生き延びるために逃げる」っていう手を取ることにためらうタチではないですしね。
(もうちょっと続く…かもしれない)
*:TVシリーズでは、そもそも「味方側の死者」も「敵方の死体」もほとんど出ないのもあって、ちゃんと「看取った」のはイプシロンだけと言っても過言ではない。あとはクメンのキデーラ…は、戦闘中だったこともあって、かなりアッサリ(たぶん死体はおろかATの残骸も直接は見てないだろうし)。OVAでも、『ラストレッドショルダー』で、同じく、ちゃんと「看取った」のは、バイマンくらいで、グレゴルーとムーザは戦闘中のどさくさに流れちゃった印象……(キリコがコクピット内で表情見せないのは同じでも、PFのコチャック、ゴダンの死の時の方がもっと反応があった感じ)。時系列的には最古になる『野望のルーツ』のカースンはどうでしたっけ(忘れとんのか!>自分)? リーマンの方は、視聴者は彼のご遺体を確認してますが、キリコちゃん本人はどうかというと……(^^;;)。
……というわけで、PF以前では多く数えても5〜6人、少なく見るとたった2人(^^;;)だったのが、PFでは、バーコフ分隊4名+渡河作戦時の隊長、と、一気にそれまでのシリーズと同数の「看取り」が出ているのです。
更に、「看取り」はしなくても、敵味方を問わず「眼前に転がる死体(肉片含む)を眼にした回数」も含めるなら、マニド峡谷の死者(しかも、自分たちが間接的に殺したと言えなくもないし…)とか、浄化委員の面々(塹壕に潜んでた生身の相手にゴダンがマシンガン乱射してるので、現場は相当エグイことになっていたと思われ……)
とか、一気にとんでもない数になります(^^;;)
#こうしてみると、「ハード」だ「リアル」だと言われてるわりに、TVシリーズは「地上波夕方放映」の枠内で品良く収まっていたんですね……。視聴者に「描かれてないだけで、画面の外ではエライことになってるに違いない」と、まるで実際に見てしまったかのように錯覚させる「雰囲気作り」が上手かった、ということなのかもしれませんが……
**:キリコの余命に比べれば、瞬きほどの短さとは言え、フィアナにだって「(永久に目覚めないこと前提の)コールドスリープによって奪われる命の残り時間」というものは存在するわけで……
金曜日(要英訳)のあほ〜〜っ!(9/16)
なにも公演期間中に…それも誕生日にぶつけてくることないんじゃんよ〜〜っ!! こっちは(18日)のチケット押さえちゃってるんだぞ!
#いや、おそらくお誕生日に合わせて今日のチケットを取ったウチニストの皆様の方がもっとお辛いでしょうが……
女遊びはまぁ、千歩譲って「芸の肥やし」で許される…っつーか、私的には、ご夫妻の馴れ初めとなった舞台上の生ちゅーをさんざんガン見して、「婚約発表」のまさに当日(当時は未発表でしたが)ご懐妊中の奥様の舞台を観ていたエリザヲタ(ある意味「エリザ婚」の証人の一人みたいなもんだし)としての自分をとりあえず棚にしまっておけば、一歩も譲るまでもなくオッケーだったりするのですが(^^;;)。
#相手がグラビアアイドルとかAKB48とかの年端もいかないお嬢ちゃんとかだったりしたら、さすがにヒキますが…
でも、さすがに道交法違反(疑惑)はマズイっしょ……。これ、もしこれが証拠採用で立件されたりしたら、『臨場』の次のシーズンに影響出たりするのかなぁ……。個人的には、その前の『ゴンゾウ』が好きすぎるせいもあって、『臨場』はイマイチはまれないんですけどね(「仮の姿」というにはかなり本気でダメ公務員で、相当ヤバいヤツだった『ゴンゾウ』の黒木さんに比べると、倉石さんって、変にカッコよくて「オヤジの願望充足キャラ」っぽいんだもん……)。
え〜、ジツは一昨日、ついムラムラと来て当日券で城田トートを観に行ってしまい、観劇記をまとめがてら「過去の内野トートがいかに人妻キラーのテクニシャンであったか」と、年寄りの思い出話を書きかけていたのですが、この状況じゃ出すに出せない!(爆)
そういう意味でも、改めて金曜日(要英訳)のあほ〜〜〜っ!!(月に吠える)。
……ここは浮気せず、↑の続きを書いとれ、という神様の声でしょうか……
神のお告げが聞こえたわけじゃないけど……(9/17)
月に吠えてるうちに日付がかわってしまったので、話を「キリコの視線」に戻す。
9/12の日記で
>>TVシリーズでは、そもそも「味方側の死者」も「敵方の死体」もほとんど出ない
と書きましたが、「敵方の死体」については、TVシリーズにも強烈なのが2つあったことを後から思い出しました(^^;;)。
うち一つはまさに、ボトムズウィークでも上映されてたってたのに、なんで忘れてるんだ!>自分
と言うわけで、改めてご紹介しますと、毎度の引用で恐縮ですが(^^;;)、今回も35話「死線」:
ゾフィーの追跡を受けながらの移動中、古戦場跡でバララント兵の死体(とその手に握られた地図)を発見するキリコ。折しも追いついたゾフィーからの狙撃をかわすため、囮としてその死体をフィアナに抱えさせて走らせる……
死体に思わず眼を背けるフィアナ(こういうところが「スペックは高いけど実戦経験は乏しい箱入り」っぽくて大好きv)に、「早く!」と有無を言わさず急き立てるキリコ…という、その前の33話「イプシロンを噴射口で吹き飛ばすことをフィアナに命じるキリコ」に続き、このカップルの歪(いびつ)な関係というか倒錯したエロスというか(爆)が最大限に出ているエピソードですな。
#しかし、この頃のキリコってフィアナに対してS全開(^^;;)。なんか、今となっては信じられない気がしますが……
もう一つは、ちょっと話は戻ってまだサンサに着く前、31話「不可侵宙域」。
宇宙に漂う(自分が撃破したATの)バララント兵の死体に、「あのときのおれの姿だ…」と、リドでATごと吹っ飛ばされて漂流した時(その後ロッチナに拾われて拷問される)のことを思い出すキリコ……
と、前述の35話での「使えるものは死体でも使う」スーパードライな割り切りっぷりとは真逆のナーバスぶりを見せるキリコちゃん。
以上、キリコの人となりを表すエピソードとしては真逆な印象を与える二つですが、どちらも共に
>>「無数の死を目にして、幾度も戦友を看取ってきた男が、ただ、フィアナの死だけは〜(後略)」
という私見からは外れない…むしろ「裏付け」になっているかな、と思っていたり。
「使えるものは死体でも〜」の方は、もちろん「無数の死を(感覚すら麻痺するほど)目にして…」の方ですし。もう一方の「漂う死体に自身の姿を見るキリコ」に、彼にとって「恐怖」となるのは「どういう状況」なのか…がわかる、なんていうのは穿ちすぎでしょうか?
以前、半ば冗談で「キリコは広所恐怖症っぽい気があるのに、身一つで入ったカプセルのシールド全開なんて、内心ガクブル状態なのでは?」ってな疑問を抱いたことがありました。そのときは「フィアナが一緒だから、男のプライドなり本能なりで耐えられたんでしょう(笑)」ってな答えで締めましたが、今にして思うと、あの時のキリコにとって「フィアナを喪う」ということは、精神的にはまさに「生身で宇宙に放り出されて永久に漂う」のに等しかったのかな……なんてことを思ったり。
風邪ひいた(-_-;;)(9/19)
ここ1日2日、冷房にやられたのか喉が痛いな〜…なんて思ってるウチに、炎症が鼻に拡がったらしく、ティッシュが手放せない身になってしまいました。
下を向いていると汗や涙のごとくポタポタと落ちてくるのが続くと、「鼻炎じゃなくて、脳漿漏れてるんじゃないか…」って不安になるのはワタシだけでしょうか……(^^;;)
#今日最終回のおヒガシ様のドラマでも、確か初回がそんなネタだったような覚えが……
というわけで、これは風邪で頭がボンヤリ霞んでいるが故の妄想かもしれませんが……
『赫奕』ラストでキリコがフィアナから視線を逸らしている理由は、「フィアナの死を直視するのが怖かった」っていうのもあるだろうけれど、「フィアナに何を言われるか聞くのが怖かった」っていうのもあるのかな……とか。
キリコの回想(と思われる)のコールドスリープ直前、ふたりが最後に交わした会話は、最後の最後になって思いっきりすれちがったまま時間切れになってます(そうなった責任は主にフィアナの方にあると、フィアナ厨のワタシですら思いますが(^^;;))。これって喩えるなら、電話口とか、駅のホームとかで、「わたしたち、別れた方がいいのよ」みたいに彼女に泣かれちゃって、「ちょ…待てよ! こっちの話聞けって!」と言う間もなく電話が切れる・彼女を乗せた電車が出ていく等で強制的にシャットダウンされちゃった、ってカンジ?(キリコの場合、たとえ充分間があったとしても、そんなキムタク口調の切り返しはナイとは思いますが(^^;;))
で、とにかく会って直接話そうとするんだけど、諸事情に阻まれてなかなか叶わず、ようやく逢えた時には、既にかなりの時間が経ってしまっていた……。こういう場合、一般
論としては、「時間を置いたことで、彼女の意志が別れる方向に余計に固まってしまった」ということもあるでしょうが、「ほとぼりが冷めたことでヨリが戻る」ことだって大いにあるわけです。
でも、この時のキリコの念頭には「ヨリが戻る」の方は一切なかったように見える。勿論「彼女が蘇生している」=「彼女の寿命が尽きる」ということだから、「ヨリを戻す」時間なんて物理的には存在しないというのもあるでしょう。でも、今回、数年(十数年?)ぶりに見直して、イロイロ新たな発見をしたことで、それだけかな…って改めて疑問が……
というわけで、あの一連のシーンを改めて振り返ってみる(DVD BOX購入以来、初めて『赫奕』のディスク再生したよ)。
以下引用:
「わたしたち行けるのかしら 戦いのないところへ」 ……(1)
「…たぶんな」 ……(2)
「もしも…もしも、目覚めるときがあったら そのときは一緒?」 ……(3)
「ひとつのカプセルだ なにがあろうと一緒だ」……(4)
「……うれしい」
「時間だ。用意は」
「ええ」
「……止めて! はやく!
あたしは生き続けるには永遠に眠るしかない運命なの ……(5)
でも、あたしにはやはりあなたの未来を奪う権利はない」
「…これでいい」……(6)
「キリコ!」
*:フィアナの一人称は、耳で聞く限りでは、口調が昂ぶると「わたし」→「あたし」に変化しているようなので、忠実に再現してみました(^^;;)。
(5)の前後のセリフは、途中で間が入ったり、泣き出したり…と、文字にすれば3行の間にかなりめまぐるしく口調が変わるのですが、さすがにそこまで注記入れると、読む方にはウザイでしょうから省略(^^;;)。
……ビックリ。スリープ前の会話に強制終了かけたのは、カプセルのタイマーじゃなくってキリコでした(^^;;)。
#(6)のセリフね。
更に言っちゃうと、このときのキリコもフィアナに視線を向けようとはしてません。フィアナの方は、キリコの胸に頬を寄せながらの「glance(チラ見)」があるんですけどね。で、フィアナが泣き出した時(5)はさすがに目が合っちゃって、お互いに「gaze(ガン見)」。ここでも「相手への視線滞在時間と心理的距離の正比例関係」は成立している……
…と見直していくと、この「カプセル内の会話」シーン、見た目と(主にキリコちゃん側の)けだるげな雰囲気が思いっきりピロートークなんで、長年目が眩んでおりましたが(爆)、「流星」のラブラブ新婚さん目線と比べると、キリコちゃんの表情が心ここにあらずというか、天井の模様数えてそうなその視線はなによ……と。
#リアル新婚さんだったら「おつかれなのね…」で済むでしょうが、さすがにそれはないかと(^^;;)。
で、今になって思うに、もしかするとキリコは、会話の結末がああなることがわかっていたのかな…と。
#土壇場でフィアナがそういうこと言いだしたっていうのに、動揺した様子もないし……
過去にも、 同じような会話とフィアナの涙が既に幾度も繰り返されて、そのたびに「もう決めたことだ」「これでいい」で強制終了かけて強引に計画を進め、ようやく辿り着いた最終秒読み段階。フィアナのキリコへの語りかけ(1)、(3)が「問いかけ」「確認」の形をとっているのは、「自分自身についたウソ」を補強する為。キリコの相槌(2)がおざなりなのは、彼の場合あの口調がデフォルトというのもありますが(^^;;)、下手に会話を膨らませて、またいつもの結論に辿り着いてしまうのを避ける為。フィアナから逸らされたキリコの視線は、彼のすべて…文字通り身も心も命も捧げた賭けの行方を(内心ハラハラしながら)見ていたのかな…と。あと数分間「不都合な真実」から目を背けていれば、フィアナがそのことに触れずにいてくれれば、「永遠に続くふたりの世界」が手に入るはず……
上記に引用したキリコのセリフのうち、一番力強い口調だったのは(4)でした。他はともかく、これだけは掛け値なしに彼の本心からの言葉だった…と、言い切ってしまっても的外れではないと思うのですが。
……が、そんなキリコちゃんの男の純情を、最後の最期になってフィアナがぶちこわしてくれちゃったわけだ(^^;;)。
「どんなに愛し合っていても、互いの望みを受け入れられないことがある」
至極当然ではありますが、恋愛真っ最中の当事者達にはもっとも受け入れがたい真実のひとつかと。
で、この真実により大きく傷ついたのは、言うまでもなくキリコの方。
なんとなく、彼の場合上記のレベルまで認識が至らず、「彼女が自分を拒否した」という「事実」のレベルで留まっているような気がします……。フィアナの方は「それはそれ」として、「だからといって、お互いの気持ちに偽りがあるわけではない」って認識もしっかりありそうな分、(精神的な面での)傷は浅いのかな…と。
蘇生したフィアナの元に向かうキリコには解っていた。彼女と対面することは、あのとき突きつけられた残酷な事実──彼のすべてを賭けた願いを彼女が拒否した──を再確認することだと。
だから、あれほどまで追いかけたフィアナを目の前にしながら、駆けよることも、自ら手を差しのべて抱きしめることもできない。メディカルルームでの対面
シーン、キリコは1、2歩で立ち止まってしまいます。 大きく歩み寄り、より積極的に相手の身体に触れるのはフィアナの方。
キリコにとって「蘇生されたフィアナ」は、「間もなく死んでしまう」のと同時に「自分を拒絶する意思表示をする」、二重の意味で「怖い存在」なのかもしれない……なんてことを思うのです。
…と、長々書いてるうちに日付替わって午前三時近くなってますが、19日付でアップ(^^;;)
やや回復(9/23)
連休最終日の午後を眠りたおして大汗かいたおかげか、鼻炎はかなり回復。休み明け21日はエリザのマチソワ(マチネ=昼の部とソワレ=夜の部を続けて観ること)入れちゃってたんで、助かりました。
#咳はまだ収まってなかったんで、歌の最中にせき込まないように我慢するのがキツかったですが(^^;;)。
で、比較的クリアーになった頭で前回の日記を読み直す……なんか、階段3段飛ばしくらいで論旨(っつーほどのモンではないですが)が進んでるっぽい?(^^;;) いえ、わたしの中では一応スジが通っているつもりなのですが、読んでくださってる方には唐突に見えないかな…と、ちと心配。
というわけで、カプセル内の会話の引用をはじめ、ちょっと加筆訂正しましてみました。
>9/19日記
……えーと、前半の「階段3段飛ばし」が「2段飛ばし」くらいになったかしら(^^;;)。でも後半は同じ(爆)。
とにかく 、更に話を進める。
しつこいようですが、『赫奕』終盤のご対面シーン。フィアナから視線を逸らしたままのキリコの「異常事態」もさりながら、フィアナの方もかなりヘンじゃねーの?と、今更ながら気になることが出てきたです。まぁ、彼女の場合、「どう受け取ればいいのか困ってしまう言動」=「こういう場面でフツーそういうこと言うか(するか)?」ってーのが多々あるので(^^;;)、ある意味では「平常運転」なのかもしれませんが……(爆)。
何が気になるかというと、キリコへの最後の言葉。以下、間に挟まるキリコのレスポンスごと引用しますと:
「約束したわね。キリコ」
「…すまない」
「また目覚めるときも きっと一緒だと…」
「…ああ」
「キリコ…」
フィアナがゴディバにどんな処置をしてもらったのかは不明ですが(強心剤の大量投与とか? 後は身体が動くような処置とか? キリコでさえ蘇生直後は身体動かなかったし…)、そんなことを頼んだ理由と言えば「どうしてもキリコに伝えたいこと(一言?)がある」から…という解釈でいい(ゴディバにも「キリコのために」って言ってるし)…んですよね? …って、ジツは、考えるほどにだんだん自信なくなってくるんですが、とにかくそういうことにして話を進めますと(爆)、そうまでして伝えたかったことがコレ↑か? とヒシヒシと疑問が……(^^;;)。
ちょっと話は逸れますが『MASTERキートン』の「白い女神」の回で、ゲストキャラの考古学者アンナ・プラマー博士(キートン先生の旧友)のエピソードを思い出したですよ。
古墳を潰してサーキットに変えようとする地主(今DVD見直したら、声がコチャックの後藤哲夫さんでした(^^;;))相手に、単身、遺跡に立てこもり(ライフルで武装してまで!)して戦う彼女の行動の源になっているのは、母親の遺言。このお母様もなかなかの女傑で、ナチス支配下のチェコから14歳でイギリスに亡命、そこで結婚・出産・夫と死別〜女手一つで彼女を育て上げ、最期はモルヒネで昏睡状態に陥りながらも、「娘に言い遺したいことがあるがあるから、どんなことをしても起こしてくださいね」と病院に頼み(「どんなことをしても」って、どうするんだろう…)、臨終に間に合ったアンナに「私は好き勝手に生きたのよ。あなたもやりたいようになさい。それがいい女ってもんよ」と言い遺したとか……
このお母様、物語的にはもう一つ、娘のピンチを救う重要なヒント(読み解くのはもちろんキートン先生)を遺してくれていたのですがそれはここでは関係ないので省略(^^;;)。
え〜、なんでこんな寄り道をしたかと申しますと、つまり、危篤状態の人間が「言い遺したいことがある」つって医者に頼る場合、その「遺言」は、「伝えられた者の背中を押す」ような言葉が普通来るよな…と、つい考えてしまうのです。もちろん、アンナ博士のお母様のように娘への愛情のこもった言葉でなく、「自分のやり残したことを自分の替わりに…」みたいなものとか、いずれにせよ、遺された者の今後の行動指針になるような言葉。
あるいは、自分の人生の終末に際して、ここに至るまで近くにいた相手への愛情と感謝の言葉とか。逆に、(悲しいことですが)恨みや憎しみを残して死んでいかねばならない場合は、当の相手ないし第三者にその感情を吐露する場合もあるかもしれない。
なんにしても、「コレを伝えるまではなんとか自分を生かして欲しい」と医療関係者にすがる願いの裏には、「コレを伝えないうちは死ぬに死ねない!」って、ひとかたならぬ強い想いがある、と解釈するのが普通でしょう。
以上の観点から、上記フィアナのセリフに乗っているのはどんな想いかと考えてみると……正直、「永のお別れ」だってーのに、それまでの約束とか持ち出してる場合か? と思ってしまうわたしごときに、やはり彼女の御心を読みとるのは難しいです(爆)。
が、そこをどうにか無理矢理解釈して、初見時から最近まで想定していたのは以下の2つ。
1. 約束を守れなかったことを詰(なじ)っている=「どうしていてくれなかったの?」
2. 約束を守ってくれたと感謝している=「ちょっと遅れたけど、ほら、今こうして来てくれたじゃない」
キリコは当然「1.」だと受け取ったからこその「すまない…」なんでしょうね(フィアナ本人が気にしてなくても、キリコ自身が、何らかのやましさや後ろめたさを感じていればそう聞こえるだろうし)。でも、一視聴者の目にはフィアナの表情はそんな風に見えない。なので、ここは「2.」だろうと…
多少釈然としないものは感じながらも、長年そう解釈していたわけです。
が、ここへ来て唐突に「第三の解釈」が浮かんでしまって……
3. これからの約束の履行をせがんでる=「次に目覚める時は、今度こそそばにいてね」
……うっかり思いついちゃってなんですが、自分でも「なんじゃ、そりゃ?」と思います(^^;;)。ハイ。
根拠は、前述の『MASTERキートン』のエピソードからの印象「医者に縋ってまで大事な人に伝えようとする言葉は、伝えられた相手の未来へと繋がる言葉になるんじゃないか」って、ほぼそれだけ(^^;;)。
ただ、後付で考えてみると、この時のフィアナってサンサでのヂヂリウム切れのときに比べると、「自分はもうじき死ぬ」って自覚に乏しいんじゃないか……とも思えてきたり(^^;;)。
もしかすると、カプセル内の会話「生き続けるには永遠に眠るしかない」のセリフは、キリコを慮っての言葉ではなく、彼女自身結構本気で、つまり、そういう形で「生き延びる気満々」だったんじゃないか……なんて(^^;;)。
具体的な解決策があるわけではない。でも、眠ったまま時間を稼ぎ続ければ、いつかは解決策が見つかるかも知れない。キリコが一緒にいてくれれば、可能性はもっと高くなるかも……なんて、かなり本気でそう思っていたのかも。
で、うっかり、キリコちゃんの「一緒にコールドスリープ計画」に乗っちゃったものの、彼と自分の望みが似て非なるものだと気づいたが故の「あたしにはあなたの未来を奪う権利なんてない」であり、テイタニアへの「彼を愛して。わたしの替わりに」だったりするのかな……とか。
#キリコにはともかく、テイタニアへの頼みは虫が良すぎるだろ〜〜と今でも思ってますが、ここもそのうちまた別の解釈思いつくかも(^^;;)。
…と、ここへ来て、キリコだけでなくフィアナへの見方もずいぶんと変わって来てしまったのですが、こうしてみると『赫奕』における「キリコとフィアナの死別」が、多くの視聴者にとって受け入れがたいものになったのは、必然なのかも……とも思うのです。
だって、当事者のふたりが、視聴者以上に事態を受け入れてないんだもん(^^;;)。
かたやキリコちゃんの方は「見ない! 見てない! 認めない! アーアー聞ーこーえーなーいー(-o-)」状態(爆)で(文字通り)目を背けまくってるし、一方フィアナはというと「え? アタシ死ぬの? そうなの? ちょっと無期限で眠るだけのつもりだったんだけど……」って感じで、妙〜〜に切迫感ないし……
……って、こう書くと、わたしを含め、マジでカウンセリングが必要なレベルで苦しんだ視聴者はなんだったんだ…ってことになりますが……これこそが「真実とはつねに残酷だ」ってことなんでしょうか……?(違!)
ちょっとこっちの話も(9/25)
『幻影編』5巻、到着当日(9/23)に観ました。例の巨大お蚕さんの群は、やっぱり直視できません(泣)。いや、「画面小さいからひょっとしたら平気かも」って、何度か試してみたのですが、じっと見てると、ゾワゾワと鳥肌が……(ひ〜ん)
ビックリしたのは、キリコのセリフが、かなり抑揚抑えめというか、ぶっちゃけ「ものすごい棒読み」に聞こえてしまったこと(^^;;)。ここ数日『赫奕』終盤をさんざんリピートしていたせいかしら……
#オールナイトイベントで初見したときにはそこまで思わなかったんだけどな(^^;;)。
今回第一声の「いい子だから 少し静かにしてくれ」(←幻影編ご覧になってない方にいきなりお知らせするには衝撃強すぎるでしょうから→も含めて反転(^^;;))は、赤ちゃんあやすなんて「馴れないことるするから〜(^^;;)」で、私的にはなんとかスルーできる範囲でしたが、その後の、シャッコに気を使うセリフね。「すまん。よけいな手出しを…」と言うシャッコに対して応えて曰く:
「あやまることはない。
ただシャッコには、クエント人同士戦ってはならないという掟を、破らせたくなかった。
……それよりここはなんだ? なんだこの樹は?」
特に2行目のセリフが、ちょっと説明口調なのもあって、よけいに「棒」が目立つみたい(^^;;)。3行目も、それ以降もたいがいテンションが低くて、「郷田さんどうしちゃったんだろう…いや、どうかしちゃったのはキリコの方?」と(^^;;)。
#3話で登場以来、キリコの口調ってずっとこんな感じだった気がするし……
で、今回、キリコの口調もだけど、言い回しもちょっとひっかかったり。TVシリーズ当時から、五武キリコは基本的に人情派というか、吉川キリコに比べるとかなり「フツーの人の感情や価値観」を持ち合わせてる印象があるので*、シャッコに気を使うのも、赤ちゃんあやすのも(←しつこいようですが反転)全然アリなんですが、「2行のセリフでこのお喋りが!!となる」(PF5巻ブックレット吉川惣司インタビューより)吉川キリコに馴れきってしまった身には、かなり饒舌に聞こえます(^^;;)。
特に引っかかるのが「あやまることはない」「破らせたくなかった」って言い方。なんかエラソー…キリコのくせに(笑)。「ただ」って、接続詞を丁寧に使ってる(言葉に詰まってのつなぎではなく)のも、なんか不思議。同じような内容でもっと口数少なく……たとえば
「すまん。よけいな手出しを…」
「…いや。
こっちこそ、掟を破らせてしまったな。(←ビミョーにすまなそうな表情で)
……それよりここはなんだ?(以下同じ)」
……って、プロの仕事に注文つけてる自分こそ何様だって話ですが(^^;;)。
*:作画によって「塩山キリコ」「谷口キリコ」があるように、脚本でも「吉川キリコ」「五武キリコ」では、微妙に違いがあるような印象があります。TVシリーズ脚本三本柱のもうお一方、鳥海キリコについては、残念ながらわたしのセンサーでは「独自の個性」がわからないので、なんとも言えませんが……、
#フィアナ絡みでの美味しいエピソードやセリフは、鳥海回が一番多いんですけどね。
私見では、高橋監督の感性に近いのは、五武キリコ(吉川・鳥海よりも饒舌で人情家)かな…という気がするのですが、わたしのデフォルトは、吉川キリコなんですよね。内面にどうしようもなく荒んだところを抱えていて、価値観もどこかが微妙に狂ってて、でも表面上はそれを覆い隠してる、そんなアンバランス故の脆さ…etc.なところが、同じくわたしの絵的デフォルトの谷口キリコ(強面
だけど、どこか神経細くて、なにかのはずみでプツッと切れて「あっち側」に行っちゃいそうな危うい感じ…というのが、わたしのイメージ)と通じる感じがして……。
というわけで、谷口×吉川回(…って、なんか『ミス・サイゴン』や『エリザベート』で好みのカップリングのキャスト回を選んでるみたいだな)がわたし的「これがキリコだ!」…ってことになるのかな?(^^;;)
ちなみに、この組み合わせ、
14話 「アッセンブルEX-10」(クメン編開幕 「オレの、フィアナだ…」のモノローグで〆)
33話 「対決」 (フィアナにイプシロンをフッ飛ばさせる回)
52話 「流星」 (説明不要の最終話)
の三話です。意外に少ない…けど、わたしが本放送当時に最初に観た回って、「アッセンブル〜」なんですよね(^^;;)。これって、刷り込みってこと?(^^;;)
ついでに調べた他のお二方と谷口作監の組み合わせは
■五武:
2話 「ウド」(ブーンファミリーに捕まってヂヂリウム掘り強制労働)
29話 「二人」(説明不要、ですよね?)
■鳥海:
9話 「救出」(「…おかげで、助かった」)
22話 「触発」(自分を助けるためにヘリで体当たりかますフィアナに大感激!
の回)
39話 「パーフェクト・ソルジャー」(こちらも説明不要、ですよね?)
46話 「予感」(憂い顔のフィアナに「(やつらにお前を)渡しはしない」の回)
……となっております。いわゆる「谷口キリコ」が固まってくるのは「救出」(9話)あたりからなので、五武脚本との組み合わせは、実質「二人」の一回きりだったわけか。あの回は、強面(でも神経細い)の谷口キリコと、「カノジョとふたりっきりでドキドキしちゃうフツーの男の子」な五武キリコのコラボが絶妙の味で、ジツによろしゅうございました(笑)。
#塩山キリコや西城キリコだったら、もっとフツーに甘いラブラブになって、RSマーチで急転直下以降の痛々しさももっとマイルドな感じになっていたのではないか……なんて思ったり。
こうやって比較しているうちにふと思ったのですが、『赫奕』のライターがもし、五武さんや鳥海さんだったら、同じ結末でももっと違った印象になっていたのでしょうか?
たとえば、五武さんなら、『セカチュー』十年先取り(それって、二十年遅い百恵友和の「赤いシリーズ」か?(^^;;))って感じの、ベタに甘酸っぱい話。鳥海さんなら、それはそれは美しく格調高いメロドラマ(『冬ソナ』十年先取り?)とか。
#『セカチュー』も『冬ソナ』もジツはまったく未見なので、見当違いの喩えだったらすみません(^^;;)。
どちらにせよ、(少なくともリリース当時のわたしなら)気持ちよく泣けて、あとは「美しい想いで」で終わらせることができたかも…? そうしたら、ここ十五年分のわたしの人生、かなり変わってたなぁ……。少なくとも、ネットの片隅で十年以上グチグチ恨み言言い続けずに済んだかも…?
まぁ、ここまで来てしまったら、「そうなってしまった運命」丸ごと引き受けて、作品の(あるいは不運にして作者の)死に水取る覚悟でついて行くつもりですが……
…なんか、ヒドイな(^^;;)(9/27)
前回の日記、本文は思いっきり尻切れで、注記(*:以降の文章)の方が長いじゃん(^^;;)。思いついたままに書いたら、止まらなくて、つい……。
内容については、来月リリースの最終話を待たずにあれこれ言っても…みたいなところがあるので、小ネタに走ったつもり……が、思いがけぬ
方向にカーブしていってしまいました(^^;;)。
で、読み返しながらふと思ったのですが……谷口×吉川キリコ回が意外に少ない、なんて言っちゃいましたが、この組み合わせはエッジ効きすぎて(^^;;)、たった3話でも充分かも…。むしろ、もし全編この組み合わせだったら、視聴者が(あるいは作り手も?)耐えられるのは2クールどころか、1クールが限界じゃないかとも思ったり……。
だって、つまりはヤバげな目つきのヤツが、見た目通りにヤバげな言動してるわけですから(爆)。
最終話の「流星」は、そのギリギリ感というか、触れたらザックリ斬られそうな感じがマッチしてたと思いますが、シリーズ途中、特に33話「対決」みたいに濃ゆいのは、1話でもう充分かもしれない……(^^;;)。この回のキリコちゃん、ノズル改造して「使えるな♪」のノリノリっぷりもヤバイけど、フィアナの手でイプシロンふっ飛ばさせるくだりは、その後、35話の「死体担いで走らせる」(←これは五武脚本ですが)に匹敵するドSっぷりだし(^^;;)。こちらの方が、追いつめられるフィアナの惑乱ぶり(谷口フィアナの真骨頂「乱れ髪」が見事!)が激しい分、シーンの緊迫感とエロさ(^^;;)は「死体担がせ」を上回っているかも……。
この次の回「惑星サンサ」も、引き続き吉川脚本回で、キリコちゃんは相変わらず荒んだまま。ココナにそっけなくしてゴウトに説教かまされるは、ついにはフィアナにまで(前回イジメられらた仕返し、というわけでもないでしょうが)「あなたは独りなのね!」ってキレられるは……と、精神的にはヘビーな展開が続きますが、絵的にはデルモ体型お目目パッチリ美男美女の西城作監回なので、画面から伝わるヒリヒリ・ザラザラした感じは、だいぶ薄らぐ印象があります。
なんだろう……吉川脚本も谷口作画も、単に「荒んでる」ってだけじゃなくて、ちょっとしたセリフや仕草が時々やたらと「生々しい」んですよね。観ているこっちのミラーニューロンが刺激されまくるというか。だから、ラブシーンなら触感まで伝わる気がしてゾクゾク、ドキドキするし、精神的に荒れてるシーンは、その荒みっぷりがダイレクトにこっちの神経に伝わるようで、ヒリヒリする。その「生々しさ」こそが「毒」なのかな……なんて、思ったり……
なので、谷口キリコ・吉川キリコのように「毒気」の強いキリコは、それぞれ別方向の個性の脚本や作画でほどよく中和した方が美味しくいただけるのでしょう(実際、TVシリーズ以降のOVAは塩山(横山・竹内)×吉川の組み合わせが多いし……)……という結論で、この話題は〆(^^;;)。
#ちなみにわたし、『赫奕』の横山キリコはすごく好きです。歴代キリコの中で一番イケメンだと思う……
ホコリで身体がかゆい…(^^;;)(9/29)
ほんのちょ〜っと、資源ゴミに出す雑誌とか通販カタログとかまとめただけで、腐海本体には手をつけてないのに……(^^;;;)。
え〜と、かなり寄り道してしまいましたが、再び…いや三たび?(ひょっとすると四たびかも…)とにかく(^^;;)、またまた『赫奕』終盤の話。
フィアナは(ゴディバに何らかの処置をしてもらってまで)キリコに何を伝えたかったんだろう?
という問題ですが、サンサでのヂヂリウム&酸素切れの時の彼女の言動を思い返すに、「言葉」よりも「行動」の方に主眼があったのかな……なんてことも、思う。
だとしても、やっぱり「他に言うことあるだろ〜、でなけりゃ、紛らわしいこと言うくらいなら黙ってようよ〜」感は残りますが(^^;;)、とにかく「何を言いたかったのか?」ではなく、「何をしたかったのか?」「何が欲しかったのか?}と考えてみる。
たとえば、(しばしか、永遠かは別として)お別れの前に、いちば〜んきれい〜なわたしを〜♪(@『うぬぼれ刑事』)彼に覚えていてほしい…とか? スリープに入る前、最後にキリコに見せたのは泣き顔だったものね。今度こそは笑顔で…と、苦しい息の下で懸命に微笑む女ゴコロ……なんて言っちゃうと、なんか健気過ぎちゃって、わたしのフィアナのイメージから逸れますが(←ホンマにフィアナfanか!?)、まぁ、それに類した心境で(^^;;)。
ひょっとしたら、更にタフに肉食*に、「もう一度キスしたかった」(@B'z)……とか? 「すれ違う」ようにキリコの腕の中に倒れ込むカット、直前までは「キスに入る角度」**なんですよね。後もう一歩踏み込めていれば、キリコちゃんの唇奪えていたのではないかと……。まぁ、あのシーンのフィアナが「ちっ、外した」とか内心思ってたりしたら、すっげーイヤですが(爆)。
…と、自分で書いててなんですが、正直、フィアナフリークとしては、彼女ともあろう者が、本気で狙って仕留め損なう(←既に「キス」に使う語彙じゃな〜い!)なんてことがあるのか?と、結構懐疑的です(^^;;)。たとえ自分の身体が思うように動かなくても、表情作れる程度の余力があれば、上目遣いでキリコちゃんに甘えてせがむって手もあるんだし……って、この時のキリコちゃん、フィアナからとことん視線逸らしてるんだった(-_-;;)。
*:昨年、とあるイベントで、お若いボトムズfanの方に、この二人を「四半世紀早い草食男子と肉食女子カップル」と評したらウケたので、気を良くしてここでも披露。(←そういうところが中年だっつーの)
**:またまた話は逸れますが、現大河『龍馬伝』で、龍馬がヤタに顔を近づけるシーンがやたらエロエロしいのは、龍馬の方が「キスの角度」になってるから(&ヤタの反応が乙女だから)だと思いま〜す。普通
、男同士だったら、デコとデコでごっつんこか、互いの肩にアゴ乗せるような、がっつりハグ(星飛雄馬と伴宙太みたいなの)になるかと思うのですが……
#現代日本人と幕末期の龍馬達では仕草もいろいろ違うだろうということを計算に入れても、あの「キス狙い角度」はないでしょう(^^;;)。>まーしゃ龍馬
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