2010年10月分(10/3〜10/31)分

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ねむい……(10/3)

 今日は、ママンのお守りも放棄して丸っと4時間も昼寝してたのに、まだ眠い……ので、今日は軽めに。

 9月分の日記を過去日記に分けたら、過去2番目のサイズになっていました。過去最大は08年4Q(10月〜12月)の三ヶ月分だから、「一ヶ月分」としては過去最大ということに……。しかも、ほとんど『ボトムズ』ネタオンリーって、ひょっとしたら日記ページ開設以来(この9月で丸9年)初めてかもしれない(おい!)。この夏のボトムズウィークの効果てきめんですね(^^;;)。オールナイトイベントレポートなんてほとんど触れてないのに、これだけ書くことがあるとは……自分でもビックリ。

 で、これだけ書いておきながら、「視線」ネタ、ジツはまだ終わらなかったりするのです(^^;;)。
 だって、『孤影再び』の結末は(ジツはラスト2回分再読したら、更に「え!?」って発見があったり…)……とか。
 そもそも、キリコとフィアナの関係からして「見る/見られる」から始まっていたんだよな……とか。
 するってーと、PFで「見られている」ことを常に意識しているキリコって、やっぱり総受(爆)とか。

 まぁ、そんな感じで、10月もダラダラ続くと思います。
 あ、でも今月『エリザベート』のチケット結構押さえてるし(ふと気づけば、あと6回分…)、他に行く予定の映画とか芝居があるので、ひょっとしたらしょっちゅう中断するかも(^^;;)。幻影編も今月で(一応)終わるしなぁ……。ようやく涼しくなってきたから、そろそろ就活も始めないと…だし。あ、冬コミの準備も……って、いいの! 来月からでも出来ることは後回し!!(^^;;)

 というわけで、まだおつきあいしてくださるという奇特な方は、9月分の日記を読み返しつつ、お待ち下さい(^^;;;)。要修正箇所は修正済みだし、上→下スクロールの一方通行で話が流れるので、リアルタイムで追いかけるより、話がわかりやすくなってる……はず(^^;;)。

 と、事務連絡だけで終わるのもなんなので、フィアナネタを一つ。
 現在、TOKYO MXで毎週日曜再放送中(つっても、後数話で終わりますが)の『ガンバの冒険』。ヒロインの潮路ねーちゃんの声が、弥永和子さんだって、本当ですか? いや、Wikipediaはじめ、ググって出てくる各種情報ではそう出てますけど、実際に声を聞くと、とっさには信じがたい……だって、可憐な美少女声(ついでに歌も上手い)なんですもん!
 わたしの知ってる弥永さんは、もちろんフィアナで、ライザ将軍(『闘将ダイモス』)で、ノーマ(『クラッシャージョウ』劇場版)で、緑川お蘭(『エースをねらえ!』)で、シガニー・ウィーバーで……つまり、ハスキー悪女ボイス(^^;;)なもので。
 ちなみに、『ガンバの冒険』は(Wikipediaによると)1975年。『ボトムズ』に遡ること8年、弥永さんのアニメのお仕事の中ではもっとも古いようです。お蘭とライザ将軍はそれより後の78年(同時期だったんだ)、ノーマは83年(ボトムズの直前ですね)…と、どちらも潮路ねーちゃんより後ですね。
 うわー、なんか、その昔『プリンプリン物語』で、ボンボンとルチ将軍の声がどちらも神谷明さんだと知ったとき以来の衝撃です(^^;;)。
 #キン肉マンとケンシロウの頃は、既にいっちょまえのアニヲタでしたから、「声優さんすげー!」で素直に賞賛してましたが……
 もし、フィアナの声が、潮路ねーちゃん系だったら、『ボトムズ』もぜんぜん別 の話になっていたんだろうなぁ……


新宿バルト9に行ってきました(10/5)

 『ゲキ×シネ 蛮幽鬼』を見て、ついでにこっちほか二作の前売り買って……のつもりでしたが、『蛮幽鬼』を観終わったところで、「同じ額出すならもう一回こっち観たい!」って気分になってしまったので、前売りはしばらくお預けです(^^;;)。あ、でも『ケース;アービン』は今月中に押さえとかなきゃいけないのか。んでは、次に劇場に行った時に……
 ちなみに、ゲキ×シネは当日券で1回2500円。『ボトムズフェスティバル』の3回分セットチケット+100円です……。うーん、こんなにはまると知っていたら、前売り(2000円)で買っておけばよかった……レディースデイ割引とかもないのね……。更に言っちゃうと、チケットソールドアウトでも、ダメ元で当日券狙いで劇場行けばよかった〜〜。仮にそっちもダメでも、『メタルマクベス』の時みたいに、余りチケット譲ってもらえたかもしれないし〜。
 いや〜、昨年(ちょうど1年前ですね)リアルタイム観劇組のウワサでは聞いていたけど、ウワサ以上でした! 早乙女太一君の殺陣のスゴさも、上川隆也さんのカッコよさも(歌は『SHIRO』のときと相変わらず…なところが、かえって微笑ましくてステキです)、稲森いずみさんの麗しさも、そしてそして堺さんの「笑顔のシリアルキラー」っぷり!マジ怖ぇ〜〜(笑)。堺さんの舞台作品はそこそこ観ているつもりですが、他の作品十本分よりも、これ一作の方が「堺雅人を観た!」って、他人様に誇れると思います。
  改めて、リアルタイムでご覧になった方々が羨ましいです……
 今回の堺さんは、最強の殺し屋という設定で、 上川さんと太一君という、おそらく現在日本でもトップクラスの殺陣をこなす俳優さん達相手に三つ巴…どころか、「1ランク上」の強さを見せる役どころなのに、(映像マジックもあるのか)ホントに強そうに見えちゃう! ええ、パンフレットで殺陣師の方の解説読むまでは、「堺さんってば、いつのまにアクション派に!?」と、本気で思ってました(笑)。「(堺さんが)動けないのを逆手にとって、最小限の動きで相手を倒しているように見えれば……」……って、殺陣師さんすげ〜〜!

 わたしが知る中島かずき脚本作品は、『阿修羅城の瞳』(2003年版)、『SHIROH』、『戯伝写楽』(これは新感線ではないらしいですが)に続いて4作目なんですが、『SHIROH』を除いて、どれも最後は男と女の刃傷沙汰で決着がついているような気がする……(^^;;)。未見ですが、ひょっとして『グレンラガン』もそうなんでしょうか?<たぶん違うと思う……(爆)
 まぁ、女性がとっても男前なのと、「刃傷」の意味合いも、「自身の情念の鎖にがんじがらめになって動けなくなっている相手を、その執着から解放し、救済するため」ってニュアンスが強いから、後味は悪くないんですけどね。
 #「『死』と引き替えに得られる解放と救済」という意味では、『SHIROH』の上川さんの役もそうなるのかな…
 昔(もう7年も前ですか…)『阿修羅城の瞳』を観たとき、「キリコとフィアナの結末も、こんな風だったらよかったのに」と、一瞬だけ(^^;;)思いましたが、今回の『蛮幽鬼』でも、久々にそんな風に思いました。今回は「がんじがらめ」になっているのは、男の方だったから、尚更……
 まぁ、フィアナは中島ヒロイン達ほど男前じゃないので、ムリだろうなとは百も承知ですが(^^;;)。いや、彼女も、決断力とか行動力とかは、十二分にあると思いますが、発揮のしどころや方向性がどこか明後日を向いている印象が……(^^;;)。(そういう、なに言いだすか、しでかすか見当のつかないところが、わたしにとっては魅力なんですが……)

 と、無理矢理『ボトムズ』に話を戻したところで、終わる。


ショック…(10/10)

 今日の『ガンバの冒険』、録画できてなかった……がっくし。
 いいもん。近所のTSUTAYAにあったから借りてくるもん(しくしく)。再放送見のがしてた最初の方もまとめて観るもん。その辺りの話でも弥永さん、ヨイショの彼女役で出てるらしいし……そっちでも潮路ねーちゃんみたいな美少女声なのか、それともハスキー極妻声か?(私的には後者を期待v) 

 悲しみの余り(ウソです)、ただいま『ザ・ラストレッドショルダー』鑑賞中。「起きて…起きて、イプシロン。起きるのよ…さあ、起きて」の優しい口調は、ちょっと潮路ねーちゃんっぽいかも。トーン低いけど(笑)。
 するってーと、イプが忠太なんでしょうか(声低いけど←しつこい)? キリコがガンバで、RS3人組はヨイショ、ガクシャ、イカサマ当たりで……イヤ、だって、みんなでノロイ様(声:大塚父様)を倒しに行く話だし〜(笑)。
 グレゴルー=ヨイショ、バイマン=イカサマ、ムーザ=ガクシャ(ちょっと苦しい?)はともかく、キリコ=ガンバは自分で言っといて、激しく違和感ですが…(^^;;)。

 (ひきづづき『ザラス』鑑賞中)……今観ても、「ひざまくら」シーンはせつないなぁ……お、ペー様登場。
 ノロイ様と潮路ねーちゃん……もとい、ペー様とフィアナの書斎のシーンは、久々に観直すとペー様が(ある意味)ノロイ様以上に怖いです(^^;;)。いや、ガンバ達から観れば「巨悪」でも、イタチとしてはしごく真っ当なことやってる(群作ってリーダーに収まるのはフツーのイタチのすることではないと思いますが…)ノロイ様に比べると、ペー様は明らかにイッちゃってますし〜〜(^^;;)。潮路ねーちゃん…じゃない、フィアナはよくあんなコワイ方にぶっちゃけトークぶつけられたものだ(^^;;)。
 小説版のペー様だと、キリコのことになると興奮するのは同じでも、フィアナにペー様お手づからお茶をふるまってくださったりで、もう少し当たりがソフトな印象があったんですけどね。
 話の結論も、映像版の「ふたりを戦わせたいのだよ!」に対して、「イプシロンをキリコよりも愛してやってくれ」なんて、フィアナに頼むわ、フィアナの方も「あの子の教育はわたしがします!」みたいな使命感に燃えてるわで、ペー様の狂気に巻きこまれるイプとキリコの身を案じてただ嘆くばかりの映像版に比べると、かなり印象が違いますし。
 #小説版によれば、あのお花畑も、フィアナとイプシロンのためにぺー様が用意させたものだそうです(^^;;)。
  自らの手の元でアダムとイヴ、彼らが暮らすエデンの園を創造しようとするあたり、小説版のペー様も、表面上の言動は穏やかでも、よりスケールの大きな「狂気」に取り憑かれていると言えるかもしれませんが……

 …って、ちょっと話が逸れましたが、ここで注目したいのは、小説版のティーブレイク(^^;;)シーン。
 以下アニメージュ文庫版より引用(愛蔵版は現在ちょっと行方不明なもので…(^^;;)):

 そこは広々とした居間だった。
 奥には、暖炉を背に、どっしりとした木製のデスクがあった。
 近くの書物棚にはなにやら膨大な書籍類が積み上げられ、壁にはいっぱいに額入りの写真などが飾られていた。
「年寄りの部屋だ。片づいていないのは許してくれ」
「………」
「部下たちも、ここに入ったことはない。そういえば、君が初めての客だ」

(中略)

 フィアナは壁に目を移した。
 写真は、すべてレッドショルダーのものばかりだった。兵士たちの記念写 真といったものは見あたらず、どれも戦闘時のATとか、工場で修理を受けるATといった、実に生々しいものばかりだ。ペールゼン自身の写真すらもなく、あとは政府からの辞令、記念章、雑誌の報道記事といったもので埋まっていた。
「回顧趣味とは思わんでくれ」
 フィアナはふりむき、驚いた。
 ペールゼンは、茶の道具を運んできたからだ。
「それは私にとって現在そのものだ。レッドショルダーはまだ生きている」
 フィアナは老人の手から道具を取ろうとした。
 が、ペールゼンはいいからと、そのまま窓際のテーブルへ向かった。
「ゴブラン産のハージュ茶だ。こんなときのために取っておいた」
 ペールゼンは腰を降ろし、ゆったりとした手つきで茶を用意しはじめた。
 盆の上には六つほどのカップが並んでいる。彼がその一つずつに複雑なやりかたで湯を注ぐと、すぐに独特の香ばしい湯気があがった。

(中略)

 ペールゼンが、カップをさしだした。
「うまく出たかな。このごろはあまりやらんので要領を忘れた」

 アニメージュ文庫『ザ・ラストレッドショルダー』(p.97-99)

 初読時、「二人しかいないのに、なんでカップが六つ?(そりゃ、洋食器のフルセットは六人分が基本だけど…)」と謎に思ってましたが、先輩同人作家さんより「功夫(クンフー)茶器*なのでは?」とご指摘いただいたのと、本文中の「複雑なやりかた」とあったのも併せて、あ、そうかも……と。
*:「工夫茶器」とも書きますが、要するに中国茶セットです。急須の上からお湯をかけて温めたり、呑むのとは別に香りを楽しむための器があったり…で、確かにお道具の数は多くなりますが……でも、「カップ6つ」にはならんだろうという気も(^^;;)。
 アストラギウスには、我々とは異なるお茶文化があるということで、FA?

 まぁ、ここでふるまわれていたのが、(我々の世界でいう)紅茶であれ、中国茶であれ、吉川ペー様の貴族的…とは言わないまでも、趣味人な側面 が現れたシーンであることは間違いないでしょう。PF小説版では、備品のカミソリがお気に入りのブランドだったことを喜んだりなんてセリフもありましたね(監禁状態でも相手に弱みを見せまいという強がりもあったのでしょうが)。映像の方でも、ウォッカムさんと温室やテラスで優雅にアフタヌーンティーなさってましたし……(^^;;)。
 またまた話は逸れますが、私的にはあのシーンのお茶は、(拷問からの)病み上がりということで、ノンカフェインのハーブティーだと思ってます。ウォッカムさんの方は、テラスでシャンパン召し上がってらっしゃるのは、ご本人の好みもあるのでしょうが(こちらの世界でも、ホテル等のアフタヌーンティーでは、プラス料金でシャンパンつけるところもありますよね)、自身の優位を誇示する意図もあったのかな…と。お茶うけに相当するモノがクッキーや角砂糖一つすらなかったのは、ペー様の好みなのか、「政敵同士のテーブル」を意図した演出なのか…
 #茶酒は共にしても、食事までは…ということか。実際、あのテーブルに(こちらの世界でお馴染み)アフタヌーンティー仕様の三段重ねプレートがあったら、一気に緊張感がなくなると思う……(^^;;)。

 で、もう一つご注目いただきたいのが、ペー様がお茶セット持ってくる直前、ペー様の書斎の雰囲気。なんか、似てると思いません?
 なに…って、『赫奕』でのロッチナとテイタニアの対話シーンに。

偏屈で孤独な老人の書斎を訪れる、うら若き美女。
室内には、老人の半生をかけた研究の資料が溢れている……
人生の黄昏にさしかかった老人と、まさにこれから花開かんとする乙女が語るのは、
ただ一人の男のこと。
老人の人生を狂わせ、乙女に己の人生へと踏み出すきっかけを与えた、
その男の名は──

 ね、同じでしょ?
 ちなみに、こちらのシーンでも、老ロッチナはお茶を淹れてます。ティータイムというよりは、朝食、かな。たぶん紅茶(ボナポット使用)で、サンドイッチ付き。もっとも、おそらく自分の分だけでテイタニアにお裾分けしたりはないと思いますが(笑)。(仮に勧められたとしても、テイタニアの方が断る気がする…。箱入りお嬢様らしく、知らない人から食べ物もらっちゃいけませんて言われてます!みたいな感じで。)
 『赫奕』リリース当時のOUTの記事によれば、高橋監督(このときは「総監督」)によるノベライズ企画があったそうですが(なぜ流れたかは存じませんが、流れてくれてよかったと思う…)、わたしとしては、こちらも吉川ノベライズで読んでみたいな…と思います。できれば、ペールゼン/ロッチナの書斎シーンの類似が意図的なものかどうかのコメント付で。
 #もし「意図的」ならば、それは「ヒロイン交替」を念頭に置いていたからなのか…なんてことも知りたいものですが……


何年ぶりかなぁ…(10/11)

 『ザ・ラストレッドショルダー』の後DVD止めずにいたら、続けて始まったので、久々に観ちゃいましたよ>『ビッグバトル』
 どれくらい久しぶりって、下手すると13〜14年くらい前、TSUTAYAでビデオ借りて以来かも……
 LDも「コンプリートコレクションIII」で持ってるけど、たぶん、一度も観てないはず(^^;;)。
 #『ザラス』は数回、『野望』も1〜2回観てると思いますが……

 なんでそんなに間が空いちゃったかというと、つまり私的評価が低い…というより、「これ、パラレル設定かなにか? だって、あの時点(クエント消滅後)で、キリコが後生大事にRSのドッグタグ持ってるなんてあり得ないし〜*」ってことで(^^;;)、ぶっちゃけ「なかったこと」になってました(爆)。
*:そもそも、キリコが最後に所属してたのはRSじゃなくって、リド襲撃部隊(もちろんこの頃はPFなんて影も形もないです)だし。そちらのタグも、ロッチナに捕まった時点で、没収されてそうだし。万一それ持ったまま軍を脱走したとしても、クメンで傭兵になるときの身体検査や、(ロッチナが仕込んだ)ビーコンが見つかって、カン=ユーに尋問された時点で取り上げられてるだろうし……
 ……等々、「キリコの気持ちの問題(そんなもの後生大事に持ち続けるわけがない)」以前に、現実的な障壁が多すぎ(笑)。

  が、こうして赤子が中学生になるくらいの時間と、その間のあれやこれやを間に挟んでから見直すと……なんつーか、コレはコレで面白いかなと思えてしまいました(笑)。
 この『ビッグバトル』という作品が、時間軸としては『野望のルーツ』から始まる一連の物語の中に「アリかナシか」と言えば、やっぱり「ナシ」としか言いようがないんだけど、ただ、「こういう方向性」もあり得たんだよな…と思えたというか。むしろ、『ビッグバトル』が(作品自体の諸々の欠陥によって)コケたことで、そっちの道が閉ざされちゃったのは、もしかしたら、ちょっと惜しかったかもしれない……なんて。

 バトリング、猥雑な街、それぞれの私利私欲で動く(でも結局キリコに味方する)ソンバカトリオ…と、「ウド編(の面白さ)をふたたび」ってコンセプト自体は理解できなくもないのですよ。本放送当時から既に、やたらとスケールが大きくなってしまったクエント編への不評が(ウド編が好きだった層から?)あったそうですし。
 ただ、キリコほどでもないにせよ、3人組も全52話を通してイロイロと変化してるのに、そこのところを丸っと無視して「ウドでのあの3人」を再現しても、なんか上滑りするというか、正直、ワタシの目には「まがいもの」に見えちゃうんですよね(^^;;)。『幻影編』での3人が、32年の歳月(作品の外側でも四半世紀経ってるし(^^;;))を経て「当然変わったところもあるけれど、でも、まちがいなくあの3人だ!」って素直に感動できたのに比べると、尚更……
 人は過去を積み重ねて生きるもので、「現在」の姿の中ににも、ふとしたはずみに「過去」が顔を見せることがあるけれど、でも、「過去の自分」それ自体に戻ることはできない。
 ──そんな、我々にとっては「当たり前」の真理が同じく適用されちゃうくらい、『ボトムズ』の(メイン)キャラって「リアル」なんだな……って、改めて思ったりします。

 で、キリコはって言うと、三人組とは別の意味で「別物」感がビシバシ(^^;;)。
 しょっぱなの登場シーン、バトリング会場で「手すりにもたれてるポーズ」で、正直「これ誰!? キリコじゃない!」って思いました(爆)。なんていうか、ウド編のエウノイのくだり級の「別人」感。
 谷口キリコはじめ「顔が違う」キリコ(達)には、一度とてそんな風に感じたことないんですけどね。生身の人間だと「立ち姿」とか「歩き方」「仕草」って、「顔」以上にその人(キャラ)をアイデンティファイするものですが(だから、俳優さんによっては、役によってその辺も変えてくる)、まさかアニメでそんなことを感じることがあろうとは……(^^;;)。
 キリコって基本的に(もちろん、負傷時とかは別ですが)立つときは真っ直ぐに立ち、座るときも上体はすっと伸びてて、作業のための必要最小限以上に「背を丸める」姿って、ほとんど記憶に残ってないんですよね。だから、「二人」でヤケ酒あおる時みたいに、たま〜に「お行儀の悪い」姿勢を見せると、すごくインパクトがあるのですが、『ビッグバトル』冒頭のように(一応)ニュートラルな精神状態なのに行儀悪く手すりにもたれてる姿には、PFでさんざん「軍人らしい直立姿勢」を見馴れてしまったせいか、マジで「これ誰!?」となりました(^^;;)。
 #初見時もひょっとしたら「珍しいな」くらいは思ってたもしれませんが、そこまでの衝撃は受けなかったのですが……
 それ以外にも驚いたのは、「キリコの生身のアクション」率の高さ! いわゆる「アクションシーン」だけじゃなくて、「地図を見る」「あかないドアをむりにこじ開けようとする」「死人の手から銃を引き剥がす」等々のカットで、いちいち動きが細かくて、ひょっとすると、AT同士の対決シーンよりも枚数使ってるかも(^^;;)。小道具の使い方も、TVシリーズ・OVA含めてここまで凝ってるのはこの作品だけじゃないかしら。見ていて、「おめーはブルース・ウィリスか!」て、思わずツッコミ入れたくなりました(笑)。
 #『ダイ・ハード』(1988年)より『ビッグバトル』(1986年)の方が早いので、スタッフがなにか参考にしたとすれば、別の映画だとは思いますが……

 …というわけで、脚本(『青の騎士ベルセルガ物語』の作者さん)のせいだけでなく、「絵面」の上でも、わたしにとっては「別物感」はヒシヒシと漂うキリコちゃんですが、ただ、「あ、こういうキリコを見たかった人っているんだろうな〜」って想像がつくような、「別種の魅力」はある、とは思いました。イマドキのネットスラングで言うと「キリコ△」ってカンジ?(笑)
 あ、ちなみに上記は「キリコさんかっけー」と読みます。「キリコさんかっけー」→「キリコさん カッケー」→「キリコさん カッコイイ」という意味(^^;;)。
 発祥がどちらかは不明ですか(やっぱり某巨大掲示板あたり?)、わたしが最初に知ったのは、日経ビジネスオンラインの小田島隆さんのコラムにて、ネット某所ではサッカー日本代表の本田選手に対して「本田△」という賛辞(あるいは皮肉)が飛び交っているらしい…というところからでした。ちなみに、時期は先のW杯ではなく、その1年前、2009年6月12日の記事 「本田△」が“読め”れば、ワールドカップもきっと面白い(←リンク先記事はアカウントがないと読めないかもしれません)。W杯での本田選手の活躍を知った後で読むと、また一段と趣深い記事です…というのはさておき、それから一年あまりを経た現在、本田選手以外に対しても「△」は使用されている模様。わたしが実際に見たところでは、某巨大掲示板『龍馬伝』スレにて、従来のイメージにないスタイリッシュな高杉晋作に対してちらほらと……

 まぁ、『野望』やPFの総受…もとい、「本人なにもしてないけど、なぜかみんなに注目されちゃうの☆」ってのにいい加減食傷した身には、同じ「キリコfanの願望(=キリコのヒーロー性の発揮)充足」にしても、たとえ「別物」であっても、『ビッグバトル』の「キリコ△」ぶりに、妙なすがすがしさを覚えたのも事実ですが……。

 2時近くなっちゃいましたが、11日付でアップ


ご無沙汰してます(^^;;)(10/17)

 …って、前回から1週間と間は空いてませんが、ここ数日のアク解見ると、ご新規様やご無沙汰様はほとんどいらっしゃらなくて、常連様に無駄 足踏ませてることが如実に現れちゃってるもので、申し訳なくて……(^^;;)。
 この間、久しぶりに「覚え書き」の『幻影編』ページをちょっこし更新してますんで、まだご覧になってない方はそちらもどうぞ〜。

 んで、更新ついでに久々に『幻影編』感想を頭から読み直して見たら、「ウド」の「想いでスポットのありえね〜保存っぷり」へのフォローが、『ビッグバトル』の「ありえね〜ドッグタグ」と比べて、あまりに違うので、自分でも笑えました(爆)。

 ■ドッグタグ@『ビッグバトル』 :この時点で、んなブツを、あのキリコが後生大事に持ってるなんてありえね〜!
  →→だからこの話、パラレル設定でしょ? わたしの中では「なかったこと」になってま〜す☆

 ■ウドの街&想いでスポット@『幻影編』:現実には残ってるわきゃないけど、そこは目をつぶるということで……(^^;;)
  →→っつーか、そんなのどうでもいいじゃん! 大事なのは、バニラとココナ(&視聴者)の気持ちなんだよ!

 ……我ながら清々しいほどのダブルスタンダードっぷりですな(^^;;)。
 いちおう、言い訳をしますと、わたしが一番に重視してるのは「キャラクターの心情のリアリティ(=迫真性、共感できるか否か)」なので、そこさえクリアーされてれば、舞台(例:崩壊したはずのウドの街)や小道具(例:ドッグタグ)あるいは設定(例:2年の寿命)それ自体の「リアリティ」は二の次三の次…なんですよね。その意味で、『ビッグバトル』が「ダメ」だったのは、「ドッグタグ」それ自体よりも、そこにまつわるキャラクターの心情が感じとれなかった…というか、あの作品の中の「キリコ」も「3人組」も、TVシリーズ52話+『ザ・ラストレッドショルダー』を通じて自分の中に培ってきた彼ら彼女らと「繋がっている」とは感じられなかったから…ということになるのかな。<あくまで「わたしにとっては」ですが。
 ただ、今回久々に再見して(+『幻影編』で正真正銘の「その後の3人組」を見て)気づいたのは、『ビッグバトル』のキリコ&3人組のキャラ造詣って、単に「繋がっていない」というよりは、「ウドから直結」していた…言い換えると、本編のクメン・サンサ・クエントの方を無視すれば、実は「繋がる」のかもしれないな…と。
 もちろん、「フィアナとキリコの物語」に重点をおいて『ボトムズ』を追い続けるわたしには、とうてい受け入れられる前提ではないですが(笑)。ただ、

 ・「ウド編の彼らを忠実に再現しようとしたら、逆に【まがいもの】になってしまった作品」=『ビッグバトル』
 ・「作中では30年以上の歳月を経て、3人組は境遇も容姿も(^^;;)大きく変わったのに、オールドファンが懐かしさに感涙する作品」=『幻影編』1話

 の両方を観ると、「あの世界でも時間は流れている(そして、時計の針を戻すことはできない)んだなぁ……」って、改めて感慨深いものがございます……
 で、「時間は否応なく流れ、人は変わり続ける」っていうのは、『赫奕』〜『孤影』〜『幻影編』〜その先?も、たぶん同じ。「キリコですら」例外はないんだろうなぁ……と、思ったりもするのです。

 実はこの週末、ついに『孤影再び』の連載を全話再読しました!
 当初は連載のページだけ切り取るつもりだったんだけど、この手の雑誌って、うっかり他のページを読み出すと止まらなくなっちゃったりするんですよね〜(^^;;)。特に、連載初期の号では、今は亡き飯島愛ちゃんの対談連載があったし……。最終回の2回くらい前のゲストは、小松左京御大(ちょうど『日本沈没』のリメイク版の公開時期だったです)で、対談後のコメントで「実は私、体調が悪かったので、小松先生はとても気を遣ってくださいました。」とあるのが、今となっては……(涙)。
 #ツーショットのスナップを見ても、お迎えが近そうなのは(まことに不謹慎ながら)どう見ても(^^;;)なのに ……
 で、最終回のゲストは、トミノ監督。以前にもゲストにお呼びしていたそうですが、最後にもう一度お会いしたいということで、ワガママ言って……というのが、なんというか、「あの愛ちゃんが(もしかすると、当時既に芸能界引退を念頭に置きながら?)最後にお話したいと思ったゲスト」ということで、わたしの中でのトミノ株が上がりました(笑)。「愛ちゃん株が上がった」じゃないのは、わたしが80年代オタクなので、「芸能人」の方を「アニメ業界人」より格上に見てしまうクセが抜けないのかも(^^;;)。
 #「芸能人枠」内でも、わたしの中では、なまじの芸人やアイドルやモデルとかより、愛ちゃんの方が遙かに格上ですが。
 ま〜たトミノが楽しそうなんだ(^^;;)。私が知る限り、あの方はおねーちゃん相手の対談でも、遠慮なくエキセントリックなご発言で、相手を当惑させていらっしゃいますが(ひょっとするとご本人的には加減してるのかも知れませんが、元々の基準が高すぎというか濃すぎというか…)、受ける愛ちゃんはぜんぜんたじろがない…どころか、積極的に突っ込んでくカンジがあって……こりゃ、トミノ監督さぞかし嬉しかったろうな〜って、紙面から伝わってくるですよ。
 もし、ご健在で芸能活動続けていらしたら、お台場1/1ガンダム関連イベントとかもきっとお呼びがかかっていたでしょうに……。 改めて、神様、お迎え早すぎですよ……と、惜しまれてなりません。


胃が痛い…(10/20)

 帰宅したの21時過ぎだから、今夜は食べずに寝るつもりだったんだけど……夕方、ドトールでカボチャタルト食べちゃったし(^^;;)。ここ数日、なぜか(ウソです。心当たりはあります。)体重が大幅にリバウンドしてるので、夜食は避けたい(^^;;)。

 ようやく涼しくなってきたことだし、いよいよ本格的に就活せねば……と、9月の末に、ついにハロワで失業認定を受けたです。もちろん、元のカイシャでバイト継続中なことも全部正直に申告して。10月に入り、説明会、初回認定日を経て、いよいよ求人票に応募も始めるか…でも、その前に、今のままだと履歴書の資格欄が不安。せっかくだから職業訓練とか受けてみよっかな。ちょうど、国の肝入りらしき(?)職業訓練講座の締切時期だし……
 というわけで、とりあえず目当ての講座で説明会が事前に開催されるというので、バイトの有休取って(フルタイム勤務時代の使い残しがまだまだあるので)行ってみたら、そこでいきなり世間の荒波をかぶるようなヘビーな経験をしてしまった(詳細は伏せる)。「求人に応募してから」の数々の試練…「書類選考で落とされ続ける」「ようやく面接まで行っても……」等々は想定してましたが、その手前でこれかい(^^;;)。なんつーか、いっそあっさり「人数足りないので開講できません」って開口一番言われた方がまだダメージ少なかったのに……ヘタに「検討の余地」というか「イロイロと不本意ですが、他にアテもないし、とりあえずお願いします」って言えちゃうような状況って、よけいに困る。そこで「そちらとはご縁がなかったということで、他を当たります」って、キッパリ言えるような男前な性分じゃないもので……。
 #現バイト先(元の職場)との関係もそんな感じでズルズル続いて、既に3ヶ月以上経っちゃったし。
 まぁ、「時事ニュース的に思いっきり逆風が吹いてるときにそっちに行くか〜?」ってな分野に、逆張り上等!で手を出したんだから、この程度でくじけてはいけないのかもしれませんが……でも、しょっぱなからコレって、神様、なんの試練でしょう……(しくしく)。


Tomorrow is another day(10/21)

 10/20の日記が世知辛いグチばかりなので、日付変更時のアップを期して、『ボトムズ』ネタをふってみる。
 そう、明日は別の日。明日には違う風が吹いているかもしれないじゃないか!
 なによりも大好きなもの(そのせいで辛いことも多々あるけど)のことを考えれば、元気も出る…たぶん。

 ↑のグチ日記書く合間に、自サイトのアクセス解析チェックして、その流れで2001年10月の自分の日記を読み返したら、先月「『赫奕』作中で、キリコが一度もまともにフィアナを見ない理由 その2」で書いた(もしくは書こうとして抑制した)こととほぼ同内容のことを既に書いていることを発見(^^;;)。(2001年 10/27日記
 9年前と先月の違いといえば、昔は「自分の受けた印象」のみを語ってたのが、先日は「映像に描かれた表情・仕草(キリコの視線)」から始まって、「結論」に辿り着いたという話の運び方くらいで……。「結論」それ自体、「コールドスリープはキリコがフィアナに仕掛けた無理心中」って私見は、この9年間(どころか、もしかすると、十六年前に初見したときから、かも)、実はまったく変わっていなかったことに、自分でもオドロキました(笑)。
 ただ、昔は、そのことでキリコに対してかなり手厳しい…というか、糾弾するような見方だった(制作側もファンもあまりにキリコサイドな見方ばかりだったから、反発もあったし)のが、「そういうことあまり表だって言っても、反発買うばっかりだから、やめといた方がいいよな〜」って「政治的配慮」から言及することは控えるようになって、んで、最近になって(つまり先月の一連の考察を経て)ようやく「結果としてそうなっちゃったけど、そこに至るまでには、フィアナの方にも責められるべき点は多々あるし……(^^;;)」 くらいにまで軟化してます(^^;;)。
 そうなった理由は、こちらがトシを取ったせいもあるのでしょうが、あるいは、現在進行中の『幻影編』の展開のせいもあるかも。
 残り一話で「とりあえず終了」になる今シリーズですが、その結末では、キリコは「フィアナ以上に彼を必要としていて、しかも、相手から拒まれる心配がほとんどない存在」を手に入れる可能性が(現時点では)濃厚です。もしそうだとしたら、その存在によって、キリコの内面 にまた新たな変化がおき、そこからキリコとフィアナの関係も、『赫奕』の結末(=衝突・すれ違いが起きて、その解決…ないし決定的な破局に向かって互いが動き出す前に、強制的に断ちきられてしまった……というのが、現在の私見です)から、新たな方向へ向かって流れ出すことができる……なんて、希望的観測すぎますかね(^^;;)。
 こと「フィアナ」絡みについては、良輔のすることには1ミクロンだって期待なんてできないって、もうイヤっていうほどわかっているのに……

  まぁ、今夜は浮き世のイヤなことを忘れたいので、眠る前に、ちょっとだけ幸せな妄想をしてみようかと……


Another day, Another Wind(10/22)

 (20日の日記に続く)……結果から言うと、翌日(10/21)になったら、ホントに別の風が見つかったので、そっちに乗っかってみることにしました(^^;;)。
 それが正しい道(この場合、次の働き口に繋がるか否か、ですな)かどうかなんて、当然わかんないんだけど、とりあえず現状に一区切りはつくでしょう。今日はついに、上司に「退職考えてるんですけど〜」ってメールうって、月曜のアポとったし。
 来週はいよいよ『エリザベート』も終わっちゃうし(手持ちチケは火曜マチネの石丸トート、木曜日マチソワの城田トートを残すのみ、です)、『幻影編』も最終巻出るし……で、また季節が秋から冬にうつっていくのでしょうか……
 今年はあまりにも夏が長かったので、「秋」は10月初めの半月くらいしかなかったような気がします(^^;;)。

 

追記:
 ブログの方に、10/12の山口×朝海回感想アップしました。朝海シシィが、今期(わたしが見た中では)最高だった……のに、感想は山口閣下限定(^^;;)。昨日の(東宝でチケット取ったから、リマインダーメールが来なくて、危うく忘れるところだった!)城田×瀬奈もよかった〜〜。うらけん殿下もなんか、凄みがあるし〜〜。8月の万里生殿下(ピュア・ノーブル・歌うまい!と、井上殿下の登場時を思い出しました…)も、9月の伊礼殿下(シシィに見捨てられた後、自らトートダンサーズを手招きする「酒・女・麻薬に溺れる爛れた30代セレブ」っぷりがお見事!)もそれぞれに素晴らしかったので、「この後」ってイヤだろうな〜…なんて勝手に心配してたら、歌・演技・ダンス・佇まいと、すべてにハイレベルな「さすが大トリ!」なルドルフを堂々と務めていらっしゃるし……
 その昔(2004年)、浦井殿下が井上殿下から引き継いでの初のルドルフ役のシーズンを終えたとき、内野閣下から「今度はもっと大人のルドルフを見せてくれ」って言われちゃった…ってなエピソードを雑誌かプログラムで読んだ記憶がございます。今の浦井殿下なら、内野閣下と「演技派ガチ対決」が見られたかも……と、叶わぬ ことながら、ふと夢を見てしまいます。


孔明の罠…?(10/24)

 公式ブログ経由で、久々にバンダイチャンネルのボトムズ特集のページに飛んで、ついでにあちこち見てたら、こんなページがあったことに初めて気づきました。ここで配信してる『ボトムズ』関連コンテンツって、もう全部DVDで持ってるから、今まで全然知らなかったよ(^^;;)。
 …っつーか、なにこれ? 今後のバンダイさんは『ボトムズ』=ラブストーリー方向で押すご予定なんですか? 正気?(笑)

 いや、冗談抜きで、TVシリーズ終了後に、公式ならびに批評筋においてフィアナの存在がそれなりに取り上げられていたのは、『ザ・ラストレッドショルダー』(1985年)が最後で、それ以後は、15年近く「黙殺」どころか、むしろ「積極的にオミット(除外)」と言っていい状態が続いていましたから……
 例を挙げると:
  総集編「クメン」(1986) →フィアナが一切登場しない
 『ビッグバトル』(1986)→フィアナは「とらわれのお姫様」状態。
  「クエント以後、コールドスリープ直前」という重要な時期の話にも関わらず、あえて「ウド回帰」な話を持ってくるあたりにも、製作側が「フィアナの存在」や「フィアナとキリコの関係性」を軽視していたんだろうな……と思うのはフィアナ厨のヒガミではない…はず(^^;;)。
 『レッドショルダードキュメント 野望のルーツ』(1988)→もはや説明不要(^^;;)

 で、『野望』のリリース以降、巷のボトヲタの間では長らく『野望』こそが最高傑作!みたいな声が高かったんですよね。そりゃ戦闘シーンハデだしぃ? キリコの「ヒーロー性」っつーか「カリスマ性」は(ある意味では)頂点だしぃ?
 ATヲタが戦闘シーンに燃えたぎり萌えまくるのは、まぁ自然の性(サガ)ですが、一方キリコに関しちゃ、「ハードな男の世界にはヒロイン不要!」「キリコこそアナーキズムとニヒリズムを体現するホニャララ……」とか言ってみたがる、な〜んか(昨今の言葉で言えば)中二病っぽい層の声も、か〜な〜りデカかったと思う……。
 私見では、『野望のルーツ』は、「そこで完全に完結しちゃって、前にも後にも繋がらない『閉じられた輪』になっている」という意味での「完成度」(←この言葉あまり好きじゃない)は非常に高い話だと思います。もちろん、それが「面 白い」かどうか「好きか嫌いか」と言ったら、まったく別の話ですが(^^;;)。ちなみにわたしの場合、フィアナ厨である自分を封印し、『ボトムズ』TVシリーズ(=別にキリコ一人のために動いているわけじゃない、っていう作品世界)も忘れれば、かなり楽しめます。加えて「キリコちゃん総受バッチコーイ」フィルターをつけると、「楽しめる度」は一気に倍増!

 …って、なんか脱線しましたが(^^;;)、とにかくTVシリーズ後しばらくそんな状態だったところへきて、94年の『赫奕』ですから……「かねてから邪魔者扱いだったフィアナをついに始末したか!」と、受け取ったファンは多数いたわけです。なんとなく、現在では、ファンが皆が皆「フィアナの死」に対して反対したようなことになってますが、「ようやく目の上のこぶが取れた」って快哉を叫んだ層も、当時は少なからずいたはず。
 わたしがこのサイトを立ち上げた当時(98年)も、そういう空気って、まだ結構残ってましたしね。だから、当時はかな〜〜り気負ってましたよ〜。実際、その手のキリコファンにケンカ売られたこともありますし(笑)。

 ……と、このように長い長い迫害の歴史を経験した身には、バンダイチャンネルの件のページは「何の冗談? …ひょっとして、これが『孔明の罠』ってヤツ?」と、思いっきり疑いのまなざしを向けてしまうのです(^^;;)。
 もっとも、「フィアナ不要論」→「フィアナ再評価」の動き自体は、二十一世紀に入った頃から、評論筋の方でもチラホラと出てはいたんですけどね。ただ、妙〜〜〜に「母性」を強調してたりとかで、なんか気持ち悪いっつーか、逆に「褒め殺し」っぽいというか……。
 それで言うなら、上記のページも「褒め殺し」っぽいかな。「ラブストーリーとしての『ボトムズ』」を再評価している(でも、解説自体は、特にクメンあたり、かなりツッコミどころが多いぞ!)のではあっても「フィアナというキャラクター」を再評価しているわけではないから。

 実はわたし、「ラブストーリー」を強調することで、逆に、「フィアナ自身」が殺されるってこともある……と、常々危惧しているのですよ。別 にフィアナを「復活」なんてさせなくても、「死人に口なし」状態のまま(『赫奕』のように「まだ延命の見込みはある」でも、それ以降のように「二度と目覚めることはない」でも、「フィアナが自身の意思表示をすることができない」という点では同じことです)、キリコが例のごとく「フィアナ、フィアナ」で追っかけたり、残りの人生をグジグジ彼女のことを想い続けていれば(『セカチュー』の主人公みたいに?)、それで「せつないラブストーリーです」って言い切っちゃうことも可能なんですから。
 わたしにとって、フィアナの…あるいはフィアナとキリコの関係が、今に至るまでこんなにも語るタネが尽きないのは、これだけベタな「運命的な出逢いのふたり」なのに、「ふたりでひとつ」ではなく、「ひとりとひとりでふたり」のままなところ…なんですよね。言い換えると、「どんなに愛していても、ギリギリの部分では、相手自身よりも自分自身の生き方・価値観の方を選んでしまう」……というか。
 「自分自身」なんてない者同士が「ふたりでひとつ」になっても、なんのスリルもないけれど、「どんなに愛していても、結局、自分は自分であって相手にはなれないし、相手も自分にはなってくれない」ってことをわかっていながら(キリコの方はわかってないかも…)、「それでも精一杯相手と共にいようとする」からこそ、「ふたりでいること」の意味や価値が輝く……フィアナとキリコって、そんなふたりだと思うのですよ。

 (また前フリすっ飛ばすので突飛に聞こえるかもしれませんが)『赫奕』における「フィアナの死」って、作劇的には「フィアナがいなくては自己を保てない(何もできない)」キリコの未熟*のとばっちりって面がかなりある思うですよ。フィアナ厨としては、キリコが「己の未熟」の代償を「己のすべてであった恋人を失う」という形で支払わなくてはならない、というのはまだいいとしても、「なんでフィアナが、そんなことで殺されにゃあかんのや!」って気持ちがどうしても残るのです。だって、フィアナは「キリコの一部(ないし全部)」であるよりも前に「フィアナ自身」なんだから。
 その辺りのことに目をつぶったままで、もしフィアナが「復活」することがあったとしても、それは単に「キリコの一部(ないし全部)」であって、「フィアナ自身」ではない。むしろ、ハンパな「復活」によって、今度こそ本当に「フィアナ自身」…キリコと愛し愛されはしても、ギリギリのところではけっして自分自身を譲ることのなかった彼女…が消されてしまうかもしれない。
 わたしはそれを、恐れるのです……
*:少なくともTVシリーズ中のキリコはそこまでではなかった(しょっちゅうフィアナ置き去りにしてるし)はずなんですが……(^^;;)。まぁ、ワイズマンと刺し違える覚悟で特攻かましたのに、フィアナが加勢に来たせいでうっかり生き残っちゃったあたりで、それまであった「自分」が崩れちゃって、フィアナなしじゃいられなくなっちゃったのかな……とか。
 それが、「死に所を決めた男の行動」を邪魔しちゃったフィアナの「罪」だと言われたら仕方がないけど……でも、やっぱり「キリコ自身の問題じゃん。己の実存とカノジョは分けて考えろよ。」と、フィアナ厨は依然として思うのです。


テイタニア……!(涙)(10/25)

 25日付で『孤影再び』の公式サイトができたようです。
 #ボトムズフェスティバルのサイトの「更新のお知らせ」の方は、なんかリンク貼り間違ってるようですが(おい!)、良輔インタビューのページのバナーから飛べました。
 PVもセリフ入りの最新のものがアップされてますね。6月のロフトのイベントでちょっこし流れてたオダテツの劇伴(ベースがめっさカッコイイ!)とか、新録っぽい「いつもあなたが」とか、なによりもテイタニアが……! 昔と変わらず、凛々しく誇り高いままの彼女だ……!(感涙)
 あ、キリコちゃんも、しょっぱなからグラビアアイドルみたいな悩殺ポーズ披露してます(爆)。<タダの「ホールドアップ」ですって(^^;;)


だから、テイタニアは〜〜!?(泣)(10/26)

 「幻影編」最終巻届きました。キャスト欄に松岡洋子さんのお名前があったので、「やっぱり出てきた!」と喜んだら、回想シーンの一言だけでした……
 いや、年明け公開のOVAの結末が連載と同じなら、ここで彼女が登場できるはずもないのですが、なんかもう、6月のロフトのイベントの時から、あらぬ期待を持たせるようなことが、ちょこちょこと仄めかされてるから、諦めきれません〜〜〜(しくしく)。昨日アップされたPVでも、小説版ではテイタニアが最後まで知らないままだった事実が、松岡さんの声で語られているし……。
 #ナントカの土産に知らせてやろう、とかだったら悲しい……
 んで、テイタニア父は、よんどころない事情により(山内雅人さん、お亡くなりになってしまいましたから…)お声がドナン・カシムからヘルメシオン准将に変わってしまわれましたが、キャラまでヘルメシオン准将になってしまいました(^^;;)。何もそこまで小物扱いしなくても……

 まだまだツッコミどころは多々あるけれど、でも、バートラー家の皆様と、ゾフィーばあちゃんが笑顔で終われたから、すべてよしとしておきます(^^;;)。特にゾフィーばあちゃんは……まさか最後を彼女が持っていくとは予想してなかった(^^;;)。
 2話の「クメン」結末で「結局キリコ天動説かよ!」と毒づいてただけに、最後にもう一度3人組+ゾフィーで終わったことを、今は素直に喜びたいです。
 #キリコちゃんのことは、どうせなるようにしかならないだろうから、ほっといてもいいかな〜……と(^^;;)。


『エリザベート』2010終わる(10/28)

 大楽より2日早く、城田トート楽日の10/28マチソワにて、わたしの今シーズンのエリザ通いは楽を迎えました。
 10/28のマチネはちょうど900回でスペシャルカーテンコールがあって美味しかったとか、ソワレでは「闇広」で軽くショーストップ*かかったとか(楽日の「ご祝儀」を抜きにしても、確かに今シーズン最高でした!)、カーテンコールでは、「愛と死の輪舞」で登場した後、城田君、客席に頭下げたまま、大トリのシシィが登場しても顔上げられなかった(泣き出しちゃってたんですね)とか…は後ほどブログで上げるとして……こちらでは、日記っぽく我が身を振り返ってみる。
*:舞台で俳優の歌・ダンス・演技等のパフォーマンスに対して客席が大いに湧き、拍手が長々と続くため、一時的に舞台の進行がストップしてしまうこと。特にミュージカルの場合、作品の中に「ショーストップ誘導ナンバー」とでも言うべき大曲が予め入っていることもあり(『CATS』の「メモリー」とか)、『エリザベート』では「私だけに」「最後のダンス」「闇が広がる」等がそれに相当します。……が、実際にショーストップ状態になるほどの客席のテンションには、筆者が知る限りここ数年ご無沙汰してたので(固定ファンの多い山口トート回とかだとあるかもしれませんが…)、城田×浦井の熱唱もさりながら、「久々のショーストップ」にもまた感動(^^;;)。

 今シーズンは、かつてのチケット争奪戦(2001年〜2006年あたり)を知る身には隔世の感のある「割引チケット(団体枠のキャンセル等と思われ)が何日分も出て、「世の中やっぱり不況なんだな…」と実感しましたが、おかげさまで、リストラ喰らって準失業中の身でも結構な数のリピートができたから、人間万事塞翁が馬(じんかん ばんじ さいおう が うま)と申せましょう(笑)。
 #まともに働いてたら、平日マチネ回なんて、まず不可能だし〜〜。
 今期は、武田トート不参加やこちらの失業もあって、リピーター魂に点火するのが遅かったので、8月の田代殿下を2回しか観られなかったのが心残りですが、気がつけば、9月〜10月頭の伊礼殿下で5回、10月の浦井殿下で6回…と、結果的には2008年のシーズン(11〜12月帝劇。さすがに地方遠征はしてない(^^;;))に匹敵する回数を通ってしまった(^^;;)。
 #トート別だと、城田7回、石丸5回、山口1回。
 ささやかな退職金が少なからず減ったけど……いいの、我が人生に悔いナシ(笑)。

 また9月は、8月末〜9月頭のボトムズウィークのおかげで(^^;;)、『赫奕』再見・再解釈なんて荒行(←私的には)を積んでしまいましたが、書いてる間、しばしば『エリザベート』のナンバーが頭をよぎったり、逆に舞台を観ながら、「あ、ここ『赫奕』」って思ったり(「夜のボート」の皇帝ご夫妻すれ違いのとこね)……で、なんか別方向で脳が活性化してました(^^;;)。
 わたしの『赫奕』におけるフィアナ観になんか妙なクセがあるとしたら、「わたしはわたしだけのもの」「命果てるその刹那も ひとり舞う あなたの前で」と歌う孤高のエゴイスト(好きでそうなったわけではなく、ただ「自分の納得行く生き方」をしようとしたら、そうなってしまったという、ある意味可哀想なヒロインなんですが)のシシィのせいです(^^;;)。


バルト9再び(10/29)

 当初の予定よりは少し遅くなりましたが、『ゲキ×シネ蛮幽鬼』を再見にバルト9へ。
 前回はエスカレーターのフロアに1枚ずつ貼られていた「ボトムズフェスティバル」のポスターは外されてましたが(前回、他の2作のも撮っておけばよかった…)、「3つまとめて」のポスターがロビーのステージに3枚まとめて飾られてました(←クリックで拡大。ポスターのズームはこんな感じ)。
  写真右下に鎮座ましましてるのは『蛮幽鬼』のご神体だそうで、併せてチケットカウンター付近はとっても不思議な空間になってます(^^;;)。写真では切れてますが、右手壁面のスクリーンでは、ボトフェス3作品のPV(公式にアップされてるものと同じ)も他の映画の予告編に混じって流れてました。2年近く前、新宿ピカデリーでPF劇場版の予告編が流れた時も「おおっ!」と思いましたが、やっぱり、「劇場のスクリーンで」っていうのは、なんか特別なカンジがしますね(^^;;)。中身がどうであれ、それだけでもう嬉しい、というか……。
 で、前回買い控えた「ボトムズフェスティバル」の前売りをゲットしてきました。3枚綴りの大河原スペシャルではなく、各作品毎に。とりあえず、『孤影再び』を4枚、『ケース;アービン』『ボトムズファインダー』を各2枚……って、まだ『エリザベート』のチケット取りの感覚が抜けてないかも(^^;;)>自分
 「40分=800円(前売)」というのは、通常の映画「2時間〜2時間半=1300円(前売)」を基準にすると割高なのでしょうが、『エリザベート』のおかげで金銭感覚狂ってるかも……(^^;;)。
 #だって、1枚800円だったら、10枚押さえても帝劇のA席1枚分だし〜〜(^^;;)。
 わたしの場合、気に入った映画は、スケジュールさえ合えば最低2回は行きますが、当日にレディースデイやレイトショー割引を使うので(前売り券1300円よりも割安)、「事前に」2回分押さえるってことは、まずないんですけどね(^^;;)。今回の上映館のバルト9はレディースデイ割引ないし、そもそも大抵の割引料金は800円以上だし(^^;;)……。1回40分のために新宿まで出るのも交通費もったいないんで、まとめて2回見るか、他の映画とハシゴして(バルト9の中でなくても、ご近所に新宿ピカデリーもテアトル新宿もあるし)…ってなプランを立ててますが、はたしてそれが可能な上映スケジュールになっているんでしょうか?(^^;;)
 #1日1回、レイトショーのみとかだったら困る……


さぶい……(10/31)

 今年はあまり台風来ないな〜なんて思ってたら、こんな10月も末の、寒くなってから……
 寒いのはまだしも、洗濯物が乾かないのに困り果て、昨日からついに暖房を入れてしまいました(主に部屋干し乾燥用に)。
 ようやくクーラーなしで生活できるようになって、まだ1ヶ月も経っていないのに……
 え〜っと、週後半は『エリザベート』が千秋楽を迎えたり、『ゲキ×シネ蛮幽鬼』を再見したり(ついでに「ボトムズフェスティバル」の前売りGETして)でそちらに気力取られてました(^^;;)。
 #そちらの日記は10/2810/29付で↑にまとめて更新。

 で、ボト話。先日の『幻影編』6巻リリース以来、「幻影編 6巻」「孤影 テイタニア」等々のワードでの検索がごそっと増えてます。そりゃ、あのエンドじゃ「誰か説明してくれよ!」(@『レイズナー』1話)な方も多かろうなぁ……心よりご同情申し上げます(^^;;)。「キリコの物語完結!」って販売側のアオリを真に受けて期待してた層には「前半のセンチメンタルジャーニーがなければ…」って言われてそうですよね(^^;;)。「幻影編」ってのは、元々そっちがメインで、「それからのキリコ」の方がオマケなんだよ〜なんて、インタビュー類をマメにチェックしてる、ディープなヲタでなきゃ知ったことじゃないものね(^^;;)。
 もっとも、わたし自身は、あの結末に対して、「怒り」や「失望」みたいな感情は、実のところ皆無なんですよね(^^;;)。
「キリコの物語」については、元々「たった6話でケリつくわきゃねーべ」って思ってたところに、リリース後のイベントでも「投げっぱなし」になることがかねて予告されていたし、そもそも4巻の時点で「子連れ狼エンド」自体は既に予想されていたことだったしで、事前に心の準備が充分できていた…ってのもあるのでしょうが。
  #さすがに「みどりのアワアワで大気圏離脱〜流星(+赫奕も?)エンド」は予想の斜め上でしたが(^^;;)。
 まぁ、「先の展開(内容じゃなくって、いつどんな形でリリースするのかって方ね)の見込みもないくせに、無責任な終わらせ方するな!」って非難があがるのは当然でしょうが、良輔には既に『赫奕』という前科がありますから……アレに比べたら、「メインキャラ殺し」がない分、遙かにマシじゃん…って思ってしまう(^^;;)。
 もっとも5巻の時点では「風呂敷畳めないのわかりきってるくせに、キリコ話広げちゃって、3人組&ゾフィーほったらかして終わる気か〜!?」って不満はかなりあったのですが(^^;;)、そちらの方も予想外にキレイに落ち着いたので、もう、それだけでオッケーって気分になってしまって……(^^;;)。<ハードル低すぎ

 そんなわけで、「幻影編」&「孤影」に関しては「覚え書き」の方で淡々とマイペースで更新していく予定。
 もっとも、冬コミ当選したっぽいので、原稿で更新ペース落ちるかもしれませんが(^^;;)。
 #ネット検索での結果だとイマイチ実感湧かないので、参加証が届いた時点でスペースNo.等、ご報告します。

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