チームの生い立ち1996〜2004


青葉小ミニバスケットボール育成会(東京都東村山市)
Aoba MINI-BASKETBALL TEAM <Tokyo-Higashimurayama>

今までの歩み
1996年11月~2004年3月

                                 文:菅原 恭一

1996年11月 青葉小ミニバス育成会創部

   きっかけは東村山市体育指導委員を通じて知り合った当時「ひがはぎ」コーチ
   の豊田さんに『青葉のミニバスの監督を探しているんだけど菅原くん、やって
   もらえないかなぁ?』の一言でした。私はミニバスをポートボールの延長ぐら
   いにしか考えておらず、『いいですよ!』とあまり深く考えずお引き受けしま
   した。まさかその後、辛いデビュー戦が待っているとも、自分自身がミニバス
   とそこで出会う子供達にこれ程のめり込むとも知らずに。

1996年11月~1997年3月 <Aoba 1996 TEAM>
 青葉小ミニバス育成会1期生(井上/秋田 計2名)
 STAFF:HC菅原
   6年生はたった2名。5年生16名を含む総勢18名でのスタートでした。初試合
   初大会のデビュー戦は『101対0』という辛いスタートでした。これだけの大敗
   をしたにもかかわらず子供達は悔し涙を流しました。その涙を見た時、私は自
   分のミニバスに対する考え方の甘さを痛感するとともに、『(子供達に)とん
   でもないことをしてしまった』という自責の念でいっぱいになりました。
   でも、そんな私に子供達は目を真っ赤に腫らしながら『練習が辛くてもいいか
   ら、強いチームになりたい』と言いました。そこから逃げ出しそうになってい
   た私を子供達は頼りにしてくれている。子供達は逃げるのではなく、もう一度
   挑戦することを選んでいたのです。この瞬間、私のスイッチが切り替わった様
   な気がします。そして、この瞬間、ミニバスにのめり込んだのかも知れません。
   あの時の子供達の言葉が、今日の青葉の努力する精神の源(みなもと)です。

1997年4月~1998年3月 <Aoba 1997 TEAM>
 青葉小ミニバス育成会2期生(田中/松山/石川(千)/関根(歩)/大橋/澤田/五味
 /大山/山崎/阿部/村上/小山/猪狩/多田/小島/斎藤/福嶌/島崎 計18名)
 STAFF:HC菅原
   辛いデビュー戦を経験した5年生が6年生になり、たった4ヶ月で最上級学年に
   なった2期生。『練習が辛くてもいいから、強いチームになりたい』という言葉
   に嘘はありませんでした。今ではとてもやれないような激しい練習に、九州に
   引っ越した子を除いては、一人もかける事なく頑張り抜きました。最初の春の
   大会ではデビュー戦の対戦チームにダブルスコアで勝ち、前年卒業の2名と流し
   たその時の悔し涙と子供達の『挑戦』への決心が、『強い青葉』をつくり、い
   つしか、市内でも強豪の回田小・北山小と並び『優勝候補』と呼ばれるまでに
   なりました。(善戦虚しく、最後の大会は3位に終わりましたが、、、)

1998年4月~1999年3月 <Aoba 1998 TEAM>
 青葉小ミニバス育成会3期生(前島/高村/平川/山崎/中山/谷口/中釜 計7名)
 STAFF:HC菅原、C宮崎、大塚、古川
   3月末の時点で新6年生は2名。しかし、4月に6年生(野火止から2名)が5名
   加わり、新5年生も大勢入部。経験者も少なく全く新しいチーム作りをスタート。
   前年の先輩達のなし得なかった市内優勝を目標に頑張りました。残念ながら、最
   後の大会まで表彰台はありませんでしたが、北山小主催のトトロ杯などで好成績
   をおさめ、未経験者の多い代としてはとても良いチームが作れたと思います。
   この年の6年生を中心とした頑張りが、翌年の『初優勝』の基礎となっています。

1999年4月~2000年3月 <Aoba 1999 TEAM>
 青葉小ミニバス育成会4期生(土佐林/桜井/種村/関根(美)/森/福富/北村/神
 /斉藤/戸澤 計10名)
 STAFF:HC菅原、C宮崎、大塚、古川
   5年生から活躍していたメンバーが多く、『優勝』を絶対視されて望んだ、春の
   東村山杯決勝でまさかの敗退。この準優勝がさらに子供達に『努力』の必要性を
   教えてくれたと思います。もともと身体的には非常にタレント揃いだっただけ
   に、その後の練習の頑張りにより、多摩リーグ夏季大会、東村山JCカップ、
   東村山市民体育大会と3つの優勝タイトルを獲得できました。
   また、この年から4年生の入部を認め、この年の『強い青葉の先輩たち』に憧れ
   てた4.5年生が翌年の青葉ミニバスを大きく変えてくれました。
   翌年よりSTAFF:C宮崎が秋津東HCとして移籍

2000年4月~2001年3月 <Aoba 2000 TEAM>
 青葉小ミニバス育成会5期生(松島 計1名)
 STAFF:HC菅原、C大塚、古川
   2000年3月の時点では、新6年生の松島1名と新5年生6名で、新人戦にすら
   エントリーできないチームでした。そして、新入部員の加入。人数的には揃った
   ものの、ほとんど試合経験のない子供達がいきなり公式戦を戦わざるを得ない状
   況です。でも、この年のチームは青葉ミニバスに新しいチームカラーを作ってく
   れました。『あきらめの悪い青葉』。相手がどんなに強くとも、残り3分で10
   点リードされていようとも、決してあきらめることなく攻め続ける気持ち。数々
   の逆転や感動を与えてくれた一年でした。特にキャプテンの松島は6年生1名と
   いう立場で、自ら下級生に入っていくことにより、チームの結束をより強固なも
   のとしてくれました。下級生からの信頼は厚く2001年チームでは松島の4番
   を欠番としキャプテンは5番。『4番』は松島の背番号としてとってありました。
   (2001年7月より長谷川が『4番』を着はじめました)
   この偉大なキャプテンと1年間公式戦を戦い抜いた子供達は、2001年度全国
   大会出場を夢に、コート狭しと駆け回りました。

2001年4月~2002年3月 <Aoba 2001 TEAM>
 青葉小ミニバス育成会6期生(長谷川/赤羽/冨田/小山(結希)/高水/関川/大貫/
 村田/三浦/金子/武田 計11名)
 STAFF:HC菅原、C大塚、古川
   この年から青葉ミニバスは東京ミニ連、スポ少に加入させて頂き、全国大会や関
   東大会という夢の舞台へチャレンジすることができました。そしてまたこの年の
   子供達は『目標』を持つ事の大切さ、素晴らしさを教えてくれました。6年生が
   一丸となり目標に向かってひた向きに練習を重ね、それを見た下級生たちも先輩
   達の夢に引っぱられるように必死についていった、そんな一年でした。全てが初
   体験の中、全国大会出場こそ逃したものの、都大会、さざなみ大会、欅杯、西部
   招待など数多くの素晴らしい大会に出場させて頂き優勝や準優勝という素晴らし
   い成績を修め、また東村山市女子初の『春』『秋』『冬の市民体育大会』3連覇
   を達成する事ができました。そして『元気な青葉』がキャッチフレーズだった4
   年生、5年生の時には本当に小さかったこの代の子供達は、がむしゃらに夢を追
   い続け、関東大会初出場初優勝を果たしました。卒業時には本当に逞しくなった
   この子達・・・でも、思い出されるのはつらい練習に必死に耐え、自らの夢に向
   かって頑張っていた小さな小さな新入部員の頃です・・・。この年の卒業生は地
   元東村山5中に6人、実践学園中に3人、東京成徳中に2人と中学では別々のチ
   ームに自らの夢を追いかけ巣立っていきましたが、いつまでも、いつまでも青葉
   の体育館で必死にボールを追いかけていたように・・・何事にも全力投球できる
   選手でいて欲しいと願っています。頑張れ!青葉2001!!!
   そして、この偉大な先輩に少しでも近づきたいと、2002年チームの子供達も青葉
   の体育館で必死にボールを追いかけました。その姿は、まるで数年前の2001年チ
   ームの子供達のように・・・。

2002年4月~2003年3月 <Aoba 2002 TEAM>
 青葉小ミニバス育成会7期生(門野/掘越/岡田/鈴木 計4名)
 STAFF:HC菅原、C大塚、古川
   この年の青葉ミニバスは6年生4人。サイズも小さめな6年生でしたが、この年
   の子供達もまた前年の先輩達のように関東大会優勝、全国大会出場という大きな
   目標を自分達で掲げ、後輩達と共に一生懸命頑張りました。冬の関東大会出場、
   全国大会出場は逃しましたが、7月の関東スポ少大会東京予選に優勝し前年の先
   輩達と行く事のできなかった夏のスポ少関東大会に出場しました。また長野カッ
   プ優勝や、東村山市年間4大会完全優勝など、学年構成やサイズを感じさせない
   素晴らしいチームに育ってくれたと思います。どの大会も楽なゲームは一つもあ
   りませんでしたが前年から続いた東村山市内大会の公式戦の無敗記録も守り通し、
   2001年春から(さざなみ大会出場の為、2001年のJCカップは出場できません
   でした)市内大会の出場した大会は全て優勝し、後輩達に7大会連続優勝という
   形で青葉のユニホームを引き継いでくれました。この年の6年生は4人全員が4
   年生から青葉ミニバスに入り、全力で3年間をひたむきに頑張り通してくれまし
   た。先輩達の強さがプレッシャーになった時もあったかも知れませんが、2002
   年チームは2002年チームらしく、立派に青葉の『頑張るバスケット』を自らの
   プレイで見せてくれました。4年生の時には本当に小さかったこの子供達も卒業
   時には本当に逞しくなり、東村山5中に2人、桜華女学院中に2人と中学では別
   々のチームに自らの夢を追いかけ巣立っていきました。いつまでも、いつまでも
   立派に青葉の『頑張るバスケット』を3年間続けたように・・・中学生になって
   も何事にも全力投球できる選手でいて欲しいと願っています。今年の卒業生にも
   やっぱり大好きなこの言葉を送りたいと思います。。頑張れ!青葉2002!!!
   そして今、先輩達の青葉の『頑張るバスケット』を引き継いだ2003チームの子
   供達が先輩達のなし得なかった夢を引き継ぎ、一生懸命頑張りました。。。
   自らの・・・そして『青葉』の夢を目指して!

2003年4月~2004年3月 <Aoba 2003 TEAM>
 青葉小ミニバス育成会8期生(小山(結佳)/飯島/柏倉/小島(つ)/上野/中川西/青山
 /石川(亜)/小沼/角屋/鈴木 計11名)
 STAFF:HC菅原、C大塚、古川
   この年の青葉ミニバスは自分達の夢、そして先輩達から受け継がれた青葉(チー
   ムとしての)の夢を叶えてくれた代でした。この年の子供達も先輩達から受け継
   がれた全国大会優勝の目標を年度当初に掲げ、懸命に自らの、そして『青葉』の
   夢の実現に必死に練習に励んでくれました。夏の関東大会の優勝、そして、東京
   都優勝大会優勝や数多くの大会での優勝、冬の関東大会の優勝・・・たくさんの
   タイトルを獲らせて頂く事ができました。しかし、本当の夢は代々木。そう心に
   決めて挑んだ全国大会東京都予選の鈴木正三杯でいつくかのアクシデントを乗り
   越え見事に優勝し、ついに、『青葉』の夢である全国大会初出場。そして、夢の
   国立代々木体育館では自分達の目標通りにファイナルコートに立ち、初優勝とい
   う夢を見事に叶えてくれました。
   涙があふれてきました。この子達の練習の苦しみ、でもどんなに辛くても最後に
   は代々木のファイナルコートで勝って優勝して泣くんだという執念にも似た信念。
   二年前の子供達と、そして昨年の子供達と行けなかった時の涙とその辛さ。代々
   木のファイナルコートで、試合終了のピストルがなった瞬間、堰を切ったように
   数年分の色んな思いや、子供達の辛さが交錯し、涙があふれてきました。雄叫び
   を上げていました。僕は優しい指導者ではありませんでした。どの代の子供達も
   ものすごく辛かったでしょう。でも、コートを離れれば無邪気に話し掛けてきて
   くれ、コートの中では必死に僕のつたない指導を吸収しようとしてくれました。
   ここまで僕のような素人同然の指導者に必死についてきてくれた全ての子供達に
   ただただ感謝です!本当にありがとう!俺はお前達に出会えて最高に幸せだ!
   俺はお前達が大好きだ~~~!!!
   この最後の文章を書いている時も涙が込み上げてきます。
   長かったのか、短かったのか分かりません。でも、一つだけ分かるのは青葉小が
   代々木を目指し、3年目にして代々木の神様がプレイすることを許してくれた。
   それは、2001、2002、2003年の子供達すべての夢をのせて、ここまで頑張っ
   てきたから許されたんだという事です。バスケットの神様がいるなら本当に感謝
   します。代々木に立ちたいと毎年青葉小の子供達に強く思わせてくれた事を!そ
   して青葉小を支えて下さった全ての方々に出会わせて下さった事を!僕や2003
   年の子供達だけでは絶対に到達できなかった一番高い頂に立たせてもらえた事を!

   この年の6年生はキャプテン小山を中心に個性あふれる11人が一丸となり、下
   級生をそしてチームを引っぱっていってくれました。怪我に苦しんだ子もいまし
   た、辛い練習にくじけそうになった子もいました、時には代々木のファイナルコ
   ートの前に泣き出してしまう子もいました。でも、最後に代々木のコートで優勝
   して泣く!そのことを約束に、その約束を守らんと必死に子供達は頑張り続け、
   くじけそうになった自分を、そして仲間を奮い立たせ、立派に青葉の『頑張るバ
   スケット』つらぬき通してくれました。この子供達の頑張りと、この子達に夢を
   残してくれた先輩達の思いとバスケットに対する情熱が最高のご褒美として形に
   なり『全国大会優勝』があったのだと思います。
   夏・冬の関東大会優勝、そして全国大会優勝とミニバスの三冠を果たした、本当
   に逞ししいこの子達・・・でも、毎年そうですがやっぱり思い出されるのはつら
   い練習に必死に耐え、自らの夢に、そして『青葉』の夢に向かって頑張っていた
   入部したての4年、5年生の頃です・・・。この年の卒業生も中学では別々のチ
   ームに自らの夢を追いかけ巣立っていきましたが、いつまでも、いつまでも青葉
   の体育館で必死にボールを追いかけていたように・・・何事にも全力投球できる
   選手でいて欲しいと願っています。頑張れ!青葉2003!!!
   そして、この偉大な先輩に少しでも近づきたいと、2004年チームの子供達も青葉
   の体育館で必死にボールを追いかけています。その姿は、まるで数年前の2003年
   チームの子供達のように・・・。

   最後に、この年の子供達と共に私、菅原も青葉を卒業します。
   今まで、出会った全ての皆様に心より感謝と御礼を申し上げます。僕や青葉の子供
   達だけでは、夢を叶える事が出来ませんでした。
   皆様に出会い、ご指導、ご交流頂いた事が、何よりの財産であり、幸せでした。
   本当にありがとうございました!
   そして今後とも青葉小ミニバスケットボール育成会にご指導のほどお願い申し上げ
   ます!