前ページへ 次ページへ

夏ばて?(帯状疱疹)
(平成22年8月27日)
 今年の夏の気温は異常である。連日の猛暑続きと共に連日の熱帯夜である。去年までは就寝時には冷房を入れずに寝ていたのであるが、今年は冷房を入れずに寝たのでは熱中症にかかる恐れがあり、除湿または弱冷房にして就寝することにした。

 8月の初め夜中に右足のモモに痛みを感じて目が覚めた。右足モモが冷たく、モモの膝上部分の表面に時々ピリピリと電光のように痛みが走るのである。モモに手を当てると温もりで気持ちが良いのだが、時々来る痛みは治まらず、しばらく寝付けなかった。冷房には弱く、過去にも同様な痛みを感じたことはあるが、大抵手で温めていれば治まったものである。

 翌朝も除湿状態で冷房を入れていると、上半身は汗をかいているが、下半身は僅かな空気の流れで、冷たくなっており、やはり時々モモの表面を痛みが走る。当日内科医に通院の際、事情を話したところ、「低温やけど」と言うことも考えられるが、片足だけというのはおかしい。腰骨のひずみから来ることも考えられるので、「整形」で見て貰った方が良いかも知れないとのことであった。痛み止めの薬は貰わず、しばらく様子を見ることにした。

 週末になっても容体には変化がなく、また寝床から起き上がるのが簡単に出来なくなり、妻の着替えなどで跪くのが大儀になってきた。また右足の踏ん張りが効かず、歩行そのものもおかしくなってきた。そこで休日前にH病院の「整形科」を訪れた。事情を話したところ、骨の影響はないだろう。むしろ「筋肉が衰えているためだろう。」とのことであった。正座をしなくなったため、立つ方向の筋肉は使っているが、「足を曲げる方向の筋肉を使ってないためだ」とのことである。腹ばいになり、左足を曲げられるが、僅かではあるが踵が尻に付かない。足を押さえ込まれて、踵が尻に付くようになった。同様に右足を曲げられると、踵は尻から可成り、離れた位置にある。右足も押さえこまれ、モモの筋肉が伸ばされ可成り痛かったが、踵が尻に付くようになった。筋肉を伸ばしたことによる筋肉の痛み止め用の薬を貰った。

 翌日曜日の入浴時に何気なく腰に手を当てると、何かざらざらとした突起物がある。鏡で見ると腰から膝までモモの裏側に点々と出来物がある。特に痛みも痒みもなく、いつから出来たのか、驚いた次第である。翌月曜日に掛かり付けの皮膚科まで、重い足を引きずって出掛けたところ、運悪く1週間のお盆休みの看板になっていた。当日午後は妻の通う「デイサービス」の懇談会の日で、予め出席を申し出ていたので、1kmの道をトボトボ歩いて出席してきた。このため他の病院に出掛けることが出来なかった。

 このままでは治まる様子もなく、また医療機関もどんどんお盆休みに入ってくるので、火曜日にH病院の内科の診察を受け、帯状疱疹と診断された。これでやっと右足の動きが鈍くなった原因が判明した。1日3回2錠づつ1週間分で7500円という高価な薬を飲む結果となった。

 薬を3日間続けた頃から、徐々に効き始めたのか、歩く速度も徐々に回復し始め、1週間分の薬を飲みきった所で、可成り行動が楽になり、歩くことも8割程度正常に戻ってきた。しかし、疱疹そのものは快方に向かっているが、まだ腫れが残っており、椅子に腰掛けたり、寝た時に圧迫感を感じることから、現在も痛み止めの薬を飲んでいる。

 普通にしていると痛みも痒みもなく幸であったが、最初の痛みを感じたのがモモの前面で、疱疹の出た裏面でなかったために、発見が遅れ治療が長引いているように思われる。妻の靴擦れの際も、歩行がおかしくなりだした原因を足の前方より眺めて発見できなかったが、結果は身体の裏側の踵の靴擦れで、その発見の遅れから大事に至ったことを思い出す。同様に、身体の後ろに「眼」はないと言っても、自分自身の体であり、どうして発見が遅れたのだろうと思っている。正しく表裏一体で、「表」に異常があった時には、「裏」も必ずチェックすると言う教訓を得たような気がする。

 妻の介護は今年で10年目を迎えているが、介護そのものは他人に頼る訳にはいかないので、余り気にすることなくやってきた。現在、介護度「5」である妻の介護は24時間の見守りであり、日常生活の行動で本人自ら出来ることは全て介助が必要である。自分が病気にかかって、自分のことをするのがやっとだからと言って、これらの介助を放棄することは出来ない。今回は身体の動きは鈍くなり、時間は掛かったが何とかのりきることができた。今後もこのようなことが起きないと言う保証はないので、一抹の不安は残るが、夏負けなどしない体力を如何に維持していくかを考えていきたい。

 

認知症の理解
(平成22年10月18日)
 本映像は中央大学の教養番組『知の回廊』の第61回講座『認知症の理解』として、ケーブルテレビ「八王子テレメディア」が放映したもので、この度『YouTube』に登録されたものです。この講座を担当された緑川先生は中央大学文学部で、神経心理学を研究されています。現在妻が通院している昭和大学病院神経内科の担当医と緑川先生は医療と心理の両面より「認知症」を共同研究されておられ、妻は通院の際、診療後毎回緑川先生を訪れ、2,30分間家庭内での状況を話したり、色々な機材を用いて本人の興味や能力を確かめて頂いています。
 
 緑川先生より介護の状況を講座の中で取り上げて頂いたものです。撮影は平成20年2月初め頃で、本来ですと散歩の様子も撮影して頂く予定でしたが、撮影の10日程前から靴擦れ(当時は原因不明)で、散歩に出掛けることが出来なくなり、室内だけとなりました。本映像の放映時間は約30分ですが、22分頃より5分間ほど収録されています。
 

映像中央部の矢印をクリックして下さい
介護10年目の変化
(平成23年3月16日)
 昨年(平成22年)は妻の認知症に気がついてから、10年目を迎えた年である。この1年間を振り返ってみると可成り大きな変化が生じた年でもある。歩行、食事、入浴面及び握力の変化について述べる。

【歩行について】
 年初は散歩の速度が徐々に遅くなってきたが、それでもスーパーまでの買い物は日課としており、ヘルパーの来た日も同様に買い物に出掛けて貰っていた。しかし、4月頃からヘルパーとの買い物の際、行きはよいが帰途身体が前傾姿勢を取るようになり、倒れ込む危険性が出てきたので、買い物に出掛けることを取り止めることにした。

 その後、しばらく二人で買い物には出掛けていたが、2,3歩歩くと止まり、また歩くと、歩く速度が次第に遅くなって、1km程の道程を歩くのに1時間程掛かっていたものが、更に遅く1時間半ほど掛かるようになってきた。そうこうする内に夏場を迎えた。妻は暑さに弱く、また昨年の夏は猛暑のため、とても炎天下を長時間歩くことが出来なくなったこと、また8月に入り、私自身が帯状疱疹に掛かり、歩けなくなったことから散歩を中断せざるを得なくなった。

 秋になり散歩に連れ出してみるが、歩く速度は一向に上がらない。従来より横で手を繋いで歩いていたのだが、身体のバランスがとれないために、2,3歩歩くと立ち止まってしまうらしいことが分かってきた。そこで両手を取り、後ろ向きになって歩くと2,3歩で止まることなく、数十歩バランスを保って歩くことが分かってきた。片手だけではバランスが保てず、左右均等に支持されないと、身体のバランスを保つことが出来なくなってきたようである。

 屋内で短い距離を両手を携えて後ろ向きに歩くことは比較的簡単だが、屋外で後ろ向きに歩くことは結構大変なことである。先ず後ろに目がないため、障害物など常に振り返って注意する必要がある。また、後ろ向きに歩くには筋肉の使い方が違うことである。我々一般に前向きに歩くための筋肉は発達している。しかし、後ろ向きに歩くための筋肉は普段使っていないので、結構大変である。

 以上より従来のスーパーまでの約1kmの散歩は止めることにし、家周辺の安全な場所200〜300m程を歩くことにした。従来は雨風関係なく散歩に出掛けたが、現在はインフルエンザや風邪にかからないことが優先され、散歩に出掛けるチャンスが少なくなってきている。また、従来は身体のバランス感覚はよく、手を離して独り立ちさせていても、全く問題はなかったが、最近は差し伸べた手に頼るようになり、手を引いて歩くと若干身体を後ろに反らして歩く傾向になってきた。立ち止まっても若干体重を後ろに掛ける傾向があり、手を離すと後ろに倒れ込みそうなので、手を離すことが出来なくなってきた。

【食事について】
 従来は箸を利用し自分で食べられていたが、段々こぼすようになり、また食事時間が長くなることより、昨年の初め頃から食べさせるようになった。大きいものをかみ切って食べることは難しいが、一口大に切ったものであれば普通に良くかみ砕き、喉に詰まらせることなく、食べることが出来るので、特に問題にならない。また準備した量は完食してくれる。デーサービスの昼食も常に100%食べてきている。

 しかし、昨年夏頃より飲み物がうまく飲み込めなくなってきた。特に薬を飲ませる際、薬は口に入れるが、飲み込ませるために水を飲ませる時、むせ返すことが多い。朝食及び夕食後の薬は量が多いので、食べ物だと思ってかじり出すので、しばらくかませた後、水を飲ませるようにしている。しかし中途半端なかみ方の場合、返ってむせ返させてしまうこともある。また、3食前に糖尿病用の直径5mm程の錠剤を呑ませるが、薬が小さいので、口に含んだままでいる。そこで水を飲ませると、失敗するケースが多い。やむなく、細いかりんとうを1cm程に折ったものを食べさせ、何とかごまかして呑ませているが、時々失敗もしている。

 水分を取らせるために、水やお茶を飲ませるのも、一苦労である。湯飲みを口元に持って行っても、中々口を開けてくれない。そこで口元に湯飲みを押し当てて、少し口に含ませる。少し時間をおいて、また口に含ませる。時々失敗するのは、前の分は飲み込んだと思って、追加しているが、全然飲み込んでおらず、口の中にため込んでしまっている時で、口からあふれ出し、こぼしてしまう失敗が時々ある。2,3回同じことを繰り返していると、少し口を開くようになる。口を開き始めたらしめたもので、少し湯飲みを傾けて口の中に流し込むようにする。飲み込んだことを確認して次の一口を呑ませる。焦って呑ませようとすることは失敗の基であるので、慌てて飲ませないことにしている。

 【入浴について】
 入浴は本人にとって食事と共に楽しみの1つである。夕食後、体調が悪くない限り、毎日入浴させている。また毎週火曜日はヘルパーによる入浴サービスを受け、入浴と同時に洗髪も行って貰ってきた。昨年の初め頃より、ヘルパーの力では湯船に入れることが出来なくなってきたため、シャワー浴と洗髪をお願いすることとなった。

 夕食後の入浴では、浴槽の手前の縁を右手で持たせ、左手で反対側の縁を持たせると、足を上げて浴槽にはいることが出来たので、そのようにして入浴させていたが、夏頃より次第に手で支えることが分からなくなりだした。現在は縁の廣い部分に座らせて、足を一本ずつ、浴槽内に運び入れて、浴槽につからせている。

 浴槽に入れる時よりも、出す時の方が大変である。自力では立ち上がることが出来ないので、立ち上がらせる必要がある。自分自身も浴槽に浸かっているのであれば、正面から立ち上がらせれば良いので簡単であるが、湯船は横長であり、身体の向いている方向と直角の方向から立ち上がらせる必要がある。そこで、身体を浴槽の左側の方に寄せ、左側に置いてある蓋に右手を載せさせ、左手をやや前方上にかけ声と共に引き上げることによって、半分本人の右手の力を利用させて、立ち上がらせていた。それも昨年秋頃より、困難となってきたため、現在は身体を湯船の中央部まで寄せ、両足を奥の角の方に揃えさせ、湯船の縁の摩擦を利用して、3回程に分けて身体を引き上げて縁に座らせている。50kg程の体重を一気に引き上げることは腰に負担が掛かり困難だが、この方法では3分の1程度の負荷で済んでいる。

 【握力について】
 以上のようにこの1年間の変化は大きく、知能はほぼ赤ん坊のレベルまで、低下した状態である。ただ唯一発達しているものがある。それは『握力』であり、また手の指の『敏捷さ』である。握力の強さはここ1年で更に増してきた。現在では完全に握力では太刀打ち出来ない状態である。

 散歩の際、両手を繋いで歩くが、こちらから手を握りしめる必要はなく、グッと握りしめられている。その握り締めている力は時間と共に弱まるよりも、逆に強くなり、長く続けていると指に”しびれ”を感じるほどである。また、着替えの際、洋服のボタンなどを外しに掛かるとサッと手が伸びてきて、手首や指などが捕まえられる。逃れようと手を動かすと、更に強く握りしめてくる。我々は強く握りしめた場合、継続できず時間と共に力が抜けてくるものだが、それが違って更に強く握りして継続が出来る。小指や親指1本が握りしめられている場合は逃れるのが大変である。

 また掴みかかる敏捷さも更に増している。特に親指と人差し指で摘む速さと力は強力である。従来は着替えの際、着替えそのものが分かっていたので、自分から袖に手を通していたが、現在は着替えそのものが分からなくなっているため、袖に手を通し始めると、袖の中で袖を摘んでしまう。またその力が強いので、その摘んだ指を解きほごすために可成りの力で指先を開かせる必要がある。袖口など両手でつまみ上げられると、四苦八苦して片方の手を解きほぐし、反対の手を解きほぐしに掛かろうとすると、今ほぐした手がまた袖口を掴みかかりに来る始末である。そのため、従来の着替えは数分で済んでいたが、現在は30分程時間が掛かっている。

30時間/週の生活
(平成23年6月11日)
 60数年間に築いてきた知識をため込んできた妻の前脳はピック病により、破壊が始まってから10年を経過している。そして現在は前脳の殆どが破壊され、全ての知識を失ってしまった。従って、自らの意思で行動しようという指令が出ないために、全く赤ん坊と同じであり、椅子に座ったら座ったままで、自分の意思で立ちあがることもできない。従って妻の介護は基本的に24時間体制で、監視している必要がある。

 現在、介護保険により週4日のデーサービス及び2時間のヘルパー派遣による在宅介護を1日受けている。デーサービスに送り出す日の1日の行動を追ってみると次のようになる。
凡その時刻 行動内容
7時 起床して身拵え
7時30分  妻はまだ目覚めていないこともあるが、声を掛ければ目を開けてくれるので、半身を起こしてベットに座らせ、両手を持って、かけ声と共に2,3回手を引くと立ち上がってくれる。先ずトイレに連れて行き、その後、着替えをさせる。着物を脱ぎ着する際、袖口などを強く握りしめるので、その手を取り外しながら、30分ほど掛けて着替えをさせる。
8時  朝食を準備し、8時を少し過ぎた頃から食べ始める。先ず、食前の糖尿病の薬を飲ませるが、薬の飲み込みが悪いため、苦心しながら何とか飲ませる。

 朝食は基本的にパンのため、食パンを四等分し、一切れずつ手に持たせると、一応自分で食べてくれる。その後、リンゴ半分を食べさせるが、大きな切り身では食べられないため、半分を6等分し、更にそれぞれを3〜4等分して、一切れずつ食べさせる。最後に牛乳とバナナをミキサーに掛けたものを飲ませるが、水分の飲み込みが悪く、大変である。最初はコップを口に当てて口に含ませる。これを2,3回繰り返し、口に溜め込んだ牛乳を飲み込んだことを確認して、また次を飲ませる。これを繰り返していると、少し口を開けるようになるので、少しコップを傾けて、牛乳を流し込むようにして、何とかコップ1杯の牛乳を飲まし終える。

 食後、粒の大小のある4種類の薬を飲ませるが、これまた大変である。水分だけでも飲み込みが悪いのに薬があるため、時々むせ返させてしまうが、何とか飲ませて食事は終了。
9時  食後、顔を拭き、(顔の皮膚が弱く化粧品は付けない方がよいと皮膚科医より言われているので)化粧代わりに保水用の薬用乳液を塗ってやる。その後、デイサービスの送迎車が来る迄の間、睡眠を取らせるため、ベットに寝かせせる。
10時  送迎車の到着予定時間の15分程前に起こし、トイレなどを済ませ、10時頃の迎えの車を待つ。現在は季候も良くなったので、送迎車の到着までの間、50〜100m程、両手を持って、散歩をしている。
10時頃

17時頃
10時前後に妻をデイサービスに送り出した後、帰宅の17時頃までの約7時間が、介護から完全に解放された自由時間である。(月、木、金、土の4日間)
17時  妻の帰宅時間少し前より、夕食の準備に取りかかる。5時前後に帰宅するので、先ず迎え入れ、本人専用の両肘の付いた椅子に座らせ、テレビを見させる。(テレビを見て筋書きなど全く理解できてないが、映像は認識できている。)その間、夕食を作り上げ、6時頃夕食を食べ始める。先ず、朝食同様、食前の薬を飲ませる。従来は箸を使って自分で食べていたが、現在は自ら手を出すことをしなくなったので、食べさせている。食事は基本的に普通食を食べることが出来るので、特別な食事を作る必要はないが、大きいものは食べづらいので、細かくして食べさせる必要がある。また骨などは自分で処理できず、また一旦口に入れたものを取り出すことが困難のため細心の注意が必要である。汁物は飲み込みが悪いため、ゆっくりと注意して飲ませている。一口に食べさせる量が少ないので、食事時間は1時間ほど要しているが、準備したものは全部食べてくれるので、心配はない。
19時30分  食後2,30分休んだ後、7時半から8時頃入浴の時間となる。入浴時の服を脱がせるのが、また大事である。現在服を脱ぐと言うことが分からなくなっているために、服を着せる時と同様脱がせようとすると、指先に当たる袖口を指先で掴んでしまう。その掴む指先の力が生はんじゃくでない。やっと片手を脱がせ、反対側の手も同様に摘んだ指先を解きに掛かっていると、脱いだ側の手が伸びてきて、両指で掴みかかってくる。脱衣後、風呂に誘導する。手すりを持たせておいて、シャワーを掛ける。皮膚が弱いため、皮膚科医より手ぬぐいで、ごしごし洗うことが禁じられているので、手に石けんを付け、要所要所を撫でるようにして洗う。その後、湯船には一人で入ることが出来ないので、湯船の縁に座らせ、両足を一本一本持ち上げて湯船に入れてやる。そして両手を持って湯船に滑らせるように浸からせる。

 従来は湯船に入れば自分で身体の安定を保つことができ、30分でも1時間でも一人で浸かっていたのだが、最近は身体が少しづつ前方にずれて、身体が沈んで来てもその姿勢を元に戻す指令が出なくなり、ほっておくと湯船で溺れてしまいかねなくなってきたので、入浴中は常に見張っている。


 ただ見張っているだけでは手持ちぶさたなので、最近は入浴中に歯を磨いてやっている。入浴時間は従来は30分以上かけていたが、最近は入浴していると眠気を催し、ウトウトし始め、身体を滑らせ湯船に身体が沈みだし、危険なので、15分から20分程度になっている。湯船から出すのも大変で、身体を抱えて、抱き上げて、一旦風呂の縁に座らせる。そして、足を一本一本湯船から外に出し、手を引いて立たせる。
21時  風呂上がりに身体を拭いている際に、背中など掻き傷で赤くなっている場合には、かゆみ止めの薬を付ける。そして寝間着を着せる。その後、夜の薬、3種類を飲ませ、朝同様、顔に保水用の薬用乳液を塗ってやり、寝る準備完了。暫く休憩して、9時頃、ベットに寝かせる。暫くテレビを見ていることもあるが、一旦眠りに着く。
22時30分  10時半頃、一旦起こし、トイレに誘導。夜間用パットなど交換して、その後、就寝させる。
22時30分

7時
基本的には10時半頃、就寝させる。また、私自身も11時頃、身支度して床に入る。嘗ては夜中に起き出すこともあり、ゆっくり寝られなかったが、現在は特に起き出す心配はない。しかし、現在は寝方が問題で、真上を向いて寝ており、就寝中も身体を強ばらせて、横を向いて寝ることが出来ない。従って痰を詰まらせていないかなど心配であり、目覚めた時など注意している。特に風邪を引かせることが、就寝に影響するので、細心の注意をしている。
 現在週4日(月、木、金、土)はデーサービスに行かせている。また、火曜日に2時間ヘルパー派遣による在宅介護を受けている。即ち、日によって若干差はあるが、デーサービスに出掛けている時間、【約7時間】X【4日】=28時間と、在宅介護の2時間、計30時が一週間の内、全く介護を忘れて、自由に行動できる時間である。即ち一週間168時間のうち30時間(18%)が一般の人達と同様な生活が出来ている時間である。逆に言えば82%は妻の介護に当たっていることになる。

 妻の介護していることを知っている知人、友人より「良く奥さんの介護をされていますね。介護疲れで身体を壊さないようにしてください。」と労いの言葉を頂戴し、ありがたく思っている。私自身は『介護をしてやっていると思っておらず、単に介護保険の助けを借りて、二人の生活を送っているという感覚でいるので、ストレスなど余り感じたことがない。』このようなことを人に話すと、不思議がられる。

 退職後、2つのクラブに所属し、5つのグループ活動に参加した。これらの活動はそれぞれ月1回であるので、30時間の枠の中に組み込むことによって現在も継続できている。勿論例会後の誘いは欠礼させて貰っている。

 妻の異常が出始めた当初は『なぜこんなことが分からない。』と腹を立てたこともあるが、認知症であり、これも病気の一種だと認識してからは『平常時より悪くなったことを気にするよりも、まだこのようなことが分かっている。』と、正常人との比較よりも、本人の残っている能力を見出すことにした。医者でも心理学者でもないので、医学的または心理学的な研究は出来ないが、素人でも「脳の破壊により、知識や制御がどのように変化していくか。」の観察が可能である。そこで、妻の介護そのものを、脳の破壊がどのように人間の行動に影響(変化)が与えられているのか観察することにした。

 過去に紹介した「散歩と記憶」はその観察の一つある。また、本人の立場に立って身体的ケアをすることによって、記憶の後退を遅らせることが、出来いるように思っている。通院を始めた当初「寿命は7,8年でしょう。」と言われたが、10年を経過し、知能は赤ん坊のレベルまで低下しているが、まだ健在である。何度も述べるが、目からの映像処理は健在であり、自分から言うのも可笑しいが。「私と一緒にいて、言われるままの行動をしていれば、一番安全だ。」と認識して呉れているようである。

 1週間の内、30時間は一般人と同様な生活に有意義に利用している。後残りの80%以上の時間は一般の人に体験できない、人間観察、特に「脳が冒された時にどのように行動変化が生じるのか。」を観察させて貰っている。

ここ1年間の経緯
(平成24年1月20日)
 【散歩】
 従来は体調の管理よりも散歩に連れ出し、少しでも歩かせることを優先してきた。しかし、どちらかと言うと暑さに弱く、一昨年(平成22年)の猛暑のため散歩に出掛けることを控えることが多くなってきた。秋には少しずつ、天候を見極めながら、散歩に出るようにし始めたが、自ら足を運ばせることが出来なくなり、後ろ向きになって両手を携えて歩くことなったため、200〜300メートル程を歩くのがやっととなってきた。

 一昨年の年末から昨年の新年に掛けては体調(特に風邪)が心配で、天候を睨んでいると、更に散歩に出掛ける回数が減ってきた。体調を心配する最大の理由は起こして椅子に座らせていても、眼を覚ましている時間が短くなり、床に寝かしている時間が長くなってきたこと。そして、寝かした際、真っ直ぐ上向きで寝て、横を向いて寝ること即ち寝返りを打つことが出来なくなったことにある。即ち、風邪を引き、痰などが出ると、上を向いて寝ているために、喉を詰まらせる可能性が出て来たためである。

 昨春は櫻便りが聞かれ始める頃から、寒さがやってきて満開時期が可成り遅れたように、天候が芳しくなかった。5月の連休を迎え、何とか天気(空模様)を睨みながら、たまに散歩に出掛けるが、最短コース(役200m強)がやっとである。6月に入ると梅雨のため、雨模様だと、傘をさすことが出来ぬため、中々散歩に出ることが出来ずにいる内に、昨年は梅雨明けが早く、一気に猛暑が到来、妻の最も苦手な季節となり、炎天下を歩くことが出来なくなった。これによって妻の病状が発生して以来、色々な形で進めてきた『散歩』という行為に、終止符を打つことになった。

 秋を迎え気候は良くなったが、継続して続けているうちは覚えているが、たまにしか出掛けなくなったため、散歩そのものを忘れて仕舞ったようである。従来は手を引いて歩いていても、重心は身体の中央に置いて安定していたが、現在は歩くという行為がよく分からなくなったためか、手を携えて引っ張って歩き始めると、足は前に進めるが、身体は体重を後ろに倒すようにして、手を引っ張られて歩くようになってきた。そして止まった時も重心を地面に対して垂直に保つことが出来ず、体重を少し後ろに掛けて、止まる傾向が出て来ている。即ち手を離したら、自立できず後ろに倒れて仕舞う状態である。

 室内では歩く距離の少ないため、少しでも脚力を付けさせるため、階段6段を上ったところにあるトイレを利用していた。しかし、上りはよいが 下りは厳しくなり転倒の危険性を避けるため、秋頃よりポータブルトイレを使用するようになってしまった。

 デイサービスの送迎車が止まる車道まで家の玄関から15メートル程ある。散歩の習慣が無くなった現在、室内を移動しているだけでは、脚力が益々落ちてしまうので、送迎車までは歩かせることにしている。更に秋以降、天候の良い時には送迎時間より少し前に家を出て車道を4,50メートル歩かせている。

 唯一残っている知識といえば段差の認識である。玄関の床面から路地に出るまで、4段の段差がある。現在歩行といっても地面を擦るように左右10cm程度ずつ、歩くのがやっとである。帰宅時、歩いている感覚からすると、段差に躓きそうだが、段差の手前で両足を揃え、右足を高く上げ、上ってくれる。また、出掛ける際も同様で、段差の手前で足を揃え両手で支えていると、右足を前に出して比較的安定に下りてくれている。

 階段と言えば、約1ヶ月半間隔で、美容院に出掛けている。美容院は2階にあるため、中間の踊り場を経由して、約20段の階段を上る必要がある。従来は比較的簡単に上り下り出来ていたが、昨年後半より動作が徐々にぎこちなくなって来ていたが、年末に出掛けた際、脚力が落ちてきたこと及び1ヶ月半ごとの間隔では、動作の忘れも出て来たようである。上りはまだ良いが下りは可成り厳しく、特に最初の一歩目が大変である。片手を手すりにかけようとするが、手すりの位置が低いため、可成り前傾姿勢にならないと手が届かない。この前傾姿勢が困難なため肩に手を掛けさせて何とか、下りることが出来たが、非常に危険であり、永年通っていたが、今年からは場所を変えざるを得ないようである。

 歩かせれば椅子などに座らせる必要がある。従来は座るためには椅子の前で後ろを向く必要があることを承知しており、簡単に椅子の前まで来ると後ろを向いて座ってくれていた。しかし、昨年の夏頃から後ろを向くことが分からなくなってきたようである。椅子の前に来れば座るのだと言うことは承知しており、椅子の前で止まるのだが、身体を回転させ後ろ向きにしようとするのだが、回転方向に足を移動せず、その場に足でつん張り、腰を落として座ろうとする動作に移ろうとする。そのため回転させるために不要な力が必要になってきた。

 特に入浴の際、手すりに手を掛けて立たせ、身体を洗い、2〜30cm程バックして、浴槽の縁に座らせ、浴槽に入れているが、これが大変である。手すりから手を取ってバックさせようとするのだが、風呂に入るためには腰を掛けるのだと言うことは覚えており、後ろへ歩かせようとするのだが、足を移動せず腰を下ろし始めるので、身体を左右に捻らせて無理矢理バックさせている。最近やっと気がついたことであるが、2,30cmだからバックさせると思っていたのだが、狭い洗い場であるが、手を取って前方に進ませ洗い場を転回して座る位置まで誘導して座らせることにした。

 【食事】
 食事も比較的箸を利用することが出来ていたので、箸の位置に食べるものを置いてやっると、食べていたが、どうしても時間が掛かるようになり、食べさせるようになった。一旦食べさせ始めると、箸を持って食べることを忘れてしまった。朝食のパンだけは食パンを4等分し、耳の付いた角を持たせて遣ると、食べていた。しかし、パンの場所を変えて食べることを忘れてしまい、パンの縁を、パンを持っている指の方へ食べてきて、しっかり持っている指の一生懸命食べようとするが、口を動かしているだけとなる。位置を変えて食べさせるが、また同様になる。一寸油断をしていると、口をパクパク動かしてはいるが、全然、食べていないことになる。結果、食事の時間が長くなってしまうので、昨年夏頃より、食事は全て食べさせることになってしまった。

 一寸話が変わるが、昭和大で心理の先生を訪ねると、良くハサミを渡されると、紙を綺麗に切っていた。昨年久しぶりに、ハサミを渡され手に持つと切るものであることは分かっているらしく、紙を挟んで、指を動かし紙をきることが出来た。ハサミはある程度開き、次の動作に移ろうとするが、ハサミを先に進ませることが出来無くなっていた。。

 食事も同様だが、一つの行為は出来るのだが、それに連動した、行動が、全く分からなくなって来ているようである。

 【握力】
 ピック病特有のものだと言われているものに握力がある。どうしてこのような握力が生まれるのか分からないが、その握力は並大抵のものでない。そして、その握力は徐々に増してくるのである。例えば、椅子から立ち上がらせるために、手を握られる。一旦握られた手は簡単には放してくれない。立ち上がって歩行を始めると、最近では身体が不安定となり、身体が倒れそうになると、更に力を加えて握り締めてくる。その力は強烈で指先などを握られている場合には血の気を失い、指先が白くなってくることも屡々ある。

 最近は掌全体で握りしめるだけでなく、全く蟹の爪のように親指と人差し指で摘むのである。その摘むスピードが非常に早い。特に服を脱ぎ着している際に作業をしている袖口を捕まれたり、上着を捕まれてしまう。袖口など捕まれて仕舞いと作業が出来なくなるので、時払おうとすると、その力は生半端でなく、可成りの力を加えないと放して貰えない。

 何故このように掴もうとするのか、その利用がよく分からない。物を手に近づけたら、何でも捕まえると言うものでない。そのようなものに対しては無関心だが、作業をしている私の手であったり、衣服に関してのみ、掴んだり、摘んだりするのである。着替えをしてる際に袖口を捕まれてしまうと、片手が封鎖されて仕舞い、その手を解くために余分な力と、時間が必要となり、遣って貰いたくない行為である。しかし、本人からすれば何か『関心を引く』ための行動であるかも知れない。理解できないのが残念である。

 更に最近は赤ん坊のように常に掌を握りしめている。単に軽く握っているのかと思うとそうでない。手に汗握ると言った感じで強く握りしめている。掌を開かせようとすると可成りの力を加えないと開かせることが出来ない。また時には片方の手で反対側の親指をしっかりと握りしめている時がある。親指が白くなっていることもあり、握られている親指は可成り「痛い」筈なのだが、痛いから止めると言うことが出来ない。長く椅子に座らせ、一人で置いておかれている時に遣っているようで、見つけると解きほぐしているが、何かイライラしている感情の表現のようである。

 【健康状態】
 以上この1年間、色々な行動面での変化について述べてきたが、2.3歳児から、手を握りしめよちよち歩きの出来るようになった10〜12ヶ月児程度の知能レベルに落ちたように感じられる。知能レベルと同時に体力面でも、以前のような元気さが無くなっている。特に万病の元である「風邪ひき」に注意してきた。お陰で無事1年病気らしい病気に掛かることなく、終われそうだと思っていた矢先、12月の上旬に風邪を引いてしまい、37度7,8分の熱を出し、痰の絡んだ咳が続いた。今年の風邪は尾を引き、治るまでに約3週間程掛かったが、元気に新年を迎えることが出来た。

前ページ 次ページ

介護奮戦記の目次へ