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自称:音楽愛好家
 
第17章 小さな大冒険(前編)
2000/01/18 (火) 2:35

Roland Beneluxに勤めているPeterさんに誘われるがままに、南フランスはサボワ地方の「Moutiers」という所までスノボをしに行った。ロッテルダムから途中での乗り継ぎも含め、電車で約12時間。ヨーロッパに着てから初めての電車の旅であった。

土地勘の全くない僕にとって、一体「Moutiers」というのがどのあたりにあるのかも分からなかったが、とりあえず電車に乗り込んだ。
とにかく「Moutiers」という駅にたどり着けばPeterさんが迎えに来てくれるという事なので、「ま、なんとかなるだろっと」思いながら、スノボの板とバックを抱えながら夜7:00発のRotterdam - Paris Nord行きの指定席に座った。

席に着き、「Moutiers」までの道のり確認した。
Rotterdam (18:54) - Paris Nord (22:05)
Paris Lyon (23:05) - Moutiers SA (7:05)
「ちょうど大阪から新幹線に乗って東京に行き、東京から新潟あたりまで寝台特急で行くみたいなもんだな。」とか思いながら、仕事の疲れもあったせいか、そのまま眠りについてしまった。

気づくと9時半を回っており、「あと30分もすればParisに着くな。」とか思いながらカフェテリアがある車両まで行き、コーヒーをすすった。
隣のイギリス人が携帯電話で「何か故障で、Parisに着くのが22:25くらいになるみたい」とイギリスなまりの英語で喋っているのが耳に入ってきた。
「なんだ、電車が遅れてるのか。ヨーロッパの電車ってよく遅れるんだな」などと思っているうちに、終点の「Paris Nord」に到着するというアナウンスが流れた。

ようやくパリに着いた。ちょうど3時間程度の旅だった。
列車を降り、ホームで「Moutiers」行きの列車を探したがなかなか見当たらなかった。「何だかおかしいなぁ?」と嫌な予感がしつつも、案内所に行って「Moutiers」行きの電車を尋ねてみた。

案の定、彼は英語が喋れなかった。とにかく単語を並べ、切符を見せ、「Moutiers」行きの電車に乗りたいことを伝えた。

彼は一枚のメモを手渡し、地下に行けと言う。先程言ったように、全く土地勘の無い僕にとって、その時彼が何を言いたかったのかなどは分からなかった。とにかく地下に降り、「RER D」とメモに書いてある字をたよりに「Moutiers」行きのホームを探した。

「RER D」という場所に着いて愕然とした。どうやら「RER D」というのは「地下鉄銀座線 1番ホーム」みたいな乗り場を意味していたのだった。彼のメモに目をやると「Gare de Lyon」とも書かれている。

「しまった。ここからGare de Lyonまで地下鉄で移動しなきゃ行けないのか!!」

きっと日本に来た外国人も、「東京駅に着いたが実は上野まで移動しなければならないとわかった時、同じような気持ちなのかもしれない」等と思いながらも、「やばい、あと35分しかないよ!」ちょっと焦った。

「ち、地下鉄の切符の買い方が分からない・・・。それにフランスのお金も持ってない・・・。」ということに気付いた。

でかい荷物を抱えたアジア人が夜の10時半にフランス人を捕まえて、あたふたとしながら切符の買い方を尋ねている光景は相当滑稽だったはず。彼もまた、英語が喋れなかった。とにかくあっちに行けば銀行のCD機があると言う。速攻、来た道を戻り、CD機で金をおろそうとした。

「げ、フランス語じゃわかんねぇよ。」と思いながらも、あまり時間が無かったため、適当にボタンを押して四苦八苦しながらも、何とか800フランを引き出した。自動券売機じゃ買い方が分かんなかったので、窓口に行き、「Gare de Lyon」を連発し、何とか切符をゲットし地下鉄のホームにたどり着いた。

寝台特急の時間まであと30分弱あった。一息つくためにタバコに火をつけた時に、時刻表のテレビモニターが目に入った。
「げ、次の電車が10:51まで来ない?!」

Gare de Lyon (リヨン駅)まで何分かかるかなんて当然知らない。相当焦った。
「今夜、寝台列車に乗れなかったらどうすればいいんだ?」ウロウロと腕を組みながらホームを歩き回っているうちに10:51になった。

とにかく地下鉄に乗り、リヨン駅に向かった。リヨン駅までは2駅だった。しかし、それはとてつもなく長い時間に思えた。

11:01にリヨン駅に到着し、電車を飛び降りた。だが特急列車のホームにどうやって行ったらいいかわからなかった。

「あっちゃー」と思いながら、側に居た人を捕まえ、切符を見せて、特急乗り場の行き方を聞いた。彼も英語が喋れなかった。だが、切符に書いてある時刻がもうすぐだと言うことに気づいたのか、僕の腕を取ってコッチだと言う。

改札を抜け、彼が示した方向に走っているうち、乗る電車の情報が出てる電光掲示板を見つけた。その時、すでに11:05。荷物を抱えながら「Pardon」を連発しながら、人をかき分けてホームに向かった。ホームに着くと発射ベルが鳴りやもうとしていた。その時、出発の合図をしている車掌と目が合った。

幸いにも彼は僕を待ってくれ、間一髪でその寝台特急に乗ることができた。汗まみれになりながらデカイ荷物を抱えながら寝台特急の狭い通路を移動する日本人は、フランス人の目には相当奇妙に映ったはず。しかし、そんなことはお構いなしだった。「これで、無事、Mouiters駅に着ける。」という安堵感からか、寝台ベットに横たわるうちに深い眠りについた。

「分かんなかったら、恥ずかしがらずに人に聞け。」
「通じなかったら、紙に書いてもらえ。」

この二つって、旅の鉄則だなと改めて思うエピソードであった。
冒険はまだ続く・・・。

つづく

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