戻る

前ページへ

〜5周年アンケート御礼リクエスト小説<卯の花さまへ>〜

パメラのザールブルグ放浪記 Vol.2


Scene−4

パメラは『飛翔亭』の壁を抜けて、再び『職人通り』に出た。
「エリーさん、どこに行っちゃったのかしら?」
上目遣いで考え込む。背後で、通りかかった若者が真っ青になって悲鳴をあげ、転げるように逃げていったのには気付かない。
「あら?」
ふわりと屋根に浮かび上がって、見通しのよい場所で四方を見回したパメラは、北の方に目を向けた。尖塔のある、大きな建物が見える。
「あそこに、お友達がいるような気がする・・・。ちょっと、お話をしに行ってみようっと」
日傘をくるりと回し、そのままふわふわと宙を飛んでいこうとしたが、アイゼルに言われたことを思い出す。
「そうそう、街の人を脅かさないようにしなくっちゃ」
石畳の道にすうっと下り立つと、買い物袋を放り出して腰を抜かしたおかみさんには気付かず、パメラは中央広場へと向かった。

その日、フローベル教会では、葬儀が執り行われていた。
亡くなったのは、さる商家の先代のつれあいだった老女で、年齢から言えば大往生と言えた。
庶民の葬儀だから、貴族のように豪勢なものではない。しかし、フローベル教会の神父やシスターは、故人が安らかに天国へ行けるよう、心をこめて儀式を進めていた。
礼拝堂の正面の祭壇に安置された柩には、花が飾られ、故人の肖像画が置かれている。見るからに穏やかで優しそうな笑みをたたえた、品のある老女だ。肖像画には画家アイオロスの署名があり、それだけでも故人が周囲の人々に愛された人物だとわかる。気難しいと評判の巨匠アイオロスが肖像画の筆を執るには、それなりの理由があるからだ。
2列に並んだ席はほとんど埋まり、会衆は女神アルテナへの賛歌を歌ったり、黙祷を捧げたり、落ち着いて整然と式次第をこなしている。
ただ、いちばん後ろの席の脇で、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
列席していた小さな男の子が泣き止まず、見かねた母親が連れ出したのだった。喪主の妻である母親は席に戻らねばならず、今はふたりのシスターが男の子を覗き込むようにして、慰めている。
「ぐすん・・・。おばあちゃんが――。おばあちゃんが・・・」
「ねえ、プルクト。そんなに悲しい顔したら、おばあちゃんが悲しむよ」
シスターのうち、年かさのエルザが言う。
「そうよ、きっと、おばあちゃんだって、プルクト君がそんな顔してたら、天国に行けないわよ」
若いミルカッセは、そう言いながらも、自分も涙をこぼしそうなつらそうな顔をしている。もともと、感情が細やかで、すぐに感情移入してしまうたちなのだ。
「てんごくにいっちゃうなんて、やだよ!」
大粒の涙をぽろぽろとこぼし、プルクトは泣き叫ぶ。
「もう、こもりうたをうたってもらえないし、えほんもよんでもらえないし、いっしょにごはんもたべられないし――そんなの、やだ!」
「困ったわね」
エルザは顔を上げ、ミルカッセを見る。
「たったひとりのお孫さんですからね。おばあさんも心から可愛がっていましたから」
いつも祖母に手を引かれて、中央広場ではしゃぎまわっていたプルクトの姿を思い出し、ミルカッセが言う。
「いい? よく聞いて・・・」
エルザが再びプルクトに話しかける。
「あら〜? どうしたのかしら? この坊や、泣いてるの?」
聞き慣れない声がして、ミルカッセははっと顔をあげた。
いつの間にか、見知らぬ少女がシスターふたりの間に立って、覗き込んでいる。服装は葬儀の場にふさわしいとは言えないが、クラシックで品があり、失礼に当たるほどではない。もっとも、手にした日傘だけはいただけないが。
「あ、あの・・・?」
ミルカッセが話しかけあぐねているうちに、プルクトが顔を上げ、泣きはらした目で訴えかけるように少女に言う。
「おばあちゃんが、しんじゃったんだ・・・」
「こら、エルザおばちゃんが話をしてるんだから、こっち向いて!」
「もういちど、おばあちゃんにあいたいよ!」
エルザのことは無視して、プルクトはすすりあげながら、切れ切れに言う。
クラシックな服の少女は、小首をかしげてなにやら考え込んだ。背後を振り返り、祭壇を見やる。そして、軽くうなずいた。
「うん、大丈夫。まだ完全には成仏してないみたいね」
そう言うと、目を丸くして見ているミルカッセの前で、少女はふわふわと浮かび上がり、祭壇へ向かってゆっくりと宙を移動していった。
「何? どうしたの?」
エルザがいぶかしげに尋ねたが、ミルカッセは答えることもできない。
祭壇では、クルト神父が何事もないように聖句を唱えている。
やがて、再び少女がふわふわと宙に浮かんで戻って来た。
今度は、ひとりではなかった。
暖かな虹色の光に包まれた、老女の手を引いている。老女は、祭壇に掲げられた肖像画に描かれた人物に他ならなかった。だが、その姿はおぼろげではかなく、夜明けの空の星のように、今にも消え去ってしまいそうにちらちらとまたたいている。
プルクトは、ぽかんと口を開けて宙を見上げた。傍らのエルザは、死というものが誰もが避けられないものであり、遺された人たちは悲しいけれども、死者にとってはそれはアルテナ様の祝福に他ならず、受け入れなければならないということを、こんこんと言い聞かせている。
ミルカッセは、胸元に下げたアルテナの紋章をそっと握りしめた。もしも、これが魔性のものが見せた妖しいまやかしであるなら、女神アルテナの聖なる力がそれを打ち破ってくれることを祈る。
「さあ、早くして。あたしのアストラル・エネルギーを分けてあげたんだけど、そう長くは保たないから」
少女の声に、老女の幻がプルクトに手を差し伸べ、応えるようにプルクトも両手を差し出す。ふたりの手が重なり合い、老女のくちびるが動いたように見えたが、ミルカッセには聞き取れなかった。
だが、プルクトには確かに祖母の言葉が届いたようだった。
泣き笑いのような表情で、しかしプルクトはしっかりと答えた。
「うん、ぼく、もうなかないよ! おばあちゃん、げんきでね!」
「あ、もうだめ」
少女がつぶやくのと同時に、虹色の光に包まれた老女の姿は薄れ、大気に溶け込むように消え去った。
「あ〜あ、行っちゃった」
見送るように、少女がつぶやいた。
「おねえちゃん、ありがとう」
少女を見上げ、プルクトが言う。
「いいえ、どういたしまして〜」
鈴の音のような声でにこやかに言うと、少女は不意になにかを思い出したような表情になる。
「そうだわ、エリーさんを探さなきゃ」
そして、ミルカッセにぺこりと頭を下げる。
「どうも、お邪魔しました」
「あ、いえ、何のおかまいもしませんで」
ミルカッセは思わず、間の抜けた挨拶を返す。
少女は、そのままふわふわと、葬儀のために閉め切ってある礼拝堂の大扉を抜けて、去っていった。ミルカッセは、ぼんやりと見送る。
「ふう、ようやくプルクトもわかってくれたようね」
先輩シスター、エルザの声にミルカッセははっと我に返った。
「あたしのお説教も、まんざらじゃなかったってことかしら。――それはそうと、さっきまで、あたしの隣に誰かいたような気がしたんだけど・・・。気のせいよね」
「は、はあ・・・」
ミルカッセは気付いた。自分とプルクトには見えていたが、あのふたりの姿はエルザの目には映っていなかったのだ。おそらくは、葬儀に出席していた大勢の人たちにも――。
プルクトと目が合う。男の子は、晴れ晴れとした顔をしていた。
自分が目にしたのは、決して魔性のものでも怖ろしい存在でもない。きっと、アルテナ様の御使いだったのだ。
(アルテナ様のご加護がありますように・・・)
目を閉じると、ミルカッセはアルテナ様がもたらしてくれた奇跡に、心から感謝の祈りを捧げた。


Scene−5

ふわふわふわ・・・。
フローベル教会の大扉をすうっと抜けて中央広場へ出ると、パメラは再びあたりを見回した。
「エリーさん、どこにいるのかしら?」
反対側のベンチにいた若い女性が気を失い、青ざめた紳士がこちらを凝視しているのには、気付かない。
「あら?」
北の方に目を向けたパメラが、目を輝かせた。
そこには、シグザール城の城門がある。青い聖騎士の鎧をまとった若者がふたり、不動の姿勢で警固任務についていた。
「わあ、かっこいい男の人がいるわ。そういえば、さっきエリーさんの工房に来た人も、あんな格好をしていたわね」
パメラは無意識のうちにふわふわと、シグザールの城門へ近付いていく。きっと、この城の中に、自分の運命の相手がいるに違いない。
城門警固の聖騎士に誰何されることもなく、パメラは城内へ入っていった。
「おい・・・。今、なんかそこを、通りすぎて行かなかったか?」
「ばかなこと言うな。何にも見えやしなかったぞ。おおかた、風でも吹いたんだろうよ」
「そうか、そうだな」
警固の聖騎士は、こんな会話を交わして、任務を続けた。

「わあ、広いわね。それに、飾り物の趣味もいいわ」
謁見室へと続く無人の廊下を、パメラはふわふわと進んでいく。天井は高く、左右の壁に飾られた絵画や彫刻も立派なものだ。浮かび上がって、豪華なクリスタルガラスのシャンデリアや色鮮やかなステンドグラスをゆっくりと鑑賞するうちに、謁見室の入口に近付く。
シグザール王国第9代国王ブレドルフによる本日の謁見は、既に終わっていた。国王は退出し、謁見室警固の聖騎士隊も控えの間に下がっている。残っているのはふたりの聖騎士だけだ。
「あら、さっきの人だわ」
ふわりと床に下り立ち、滑るように謁見室へ入り込んだパメラは、ダグラスに気付いた。なにやら話し込んでいる相手は、ダグラスよりも一回りたくましく、年齢も上のようだ。長い黒髪が肩にかかり、黒い瞳は何物をも見通すような鋭い光を放っている。
(こっちの人も素敵ね〜。ちょっと危険な感じがするけど、そこがまた、たまらなくいいのよね)
パメラは息を殺し、足を忍ばせて(物理的にはどちらも不可能なのだが)、こっそりとふたりの聖騎士がいる玉座の脇へ近付いていった。
もちろん、打合せをしていたのは王室騎士隊長エンデルク・ヤードと第一分隊長ダグラスである。
「うむ?」
不意にエンデルクが顔を上げ、室内に視線をさまよわせた。
「どうしたんですか、隊長?」
ダグラスの問いには答えず、エンデルクは腰の剣の柄に手をかける。
ただならぬ雰囲気に、ダグラスの顔にも緊張が走る。
「ダグラス・・・。油断するな・・・」
エンデルクは、すり足でゆっくりと部屋の中央へ進み出る。
そこでは、宙に浮かんだパメラがエンデルクの姿にうっとりと見とれていた。
(素敵・・・。緊張感がたまらないわ〜。ダメ元で、話しかけてみようかしら)
「あ、あの〜、こんにちは。あたし、パメラって――」
「そこか!」
裂帛の気合と共に、エンデルクの剣が一閃した。白刃が宙をなぎ、何もない空間を切り裂く。
「きゃっ」
パメラは首をすくめて天井近くまで退避した。パメラが生身の人間だったら、間違いなく首をはねられていただろう。エンデルクの狙いは正確だった。
「た、隊長?」
気が狂ったのかとでも言いたげなダグラスの声に、エンデルクは冷徹な口調で答える。
「ダグラス・・・。おまえには感じられぬか、この気配が」
「はあ?」
「目には見えぬ・・・。だが、なにかがいる・・・。私は自分の勘を信じる。非常呼集をかけろ。城内に正体不明の侵入者の可能性あり――だ。陛下への警備も強化せよ、急げ」
「は――はい!」
その時、城門の警固についていた騎士隊員のひとりが、転がるように駆け込んできた。
「隊長! 報告いたします! ザールブルグ市街で事件です!」
「うむ、何事だ。詳しく報告せよ」
「『職人通り』や中央広場周辺で、『幽霊を見た』という市民が続出しております!」
「何だとぉ!?」
ダグラスが叫ぶ。エンデルクは眉ひとつ動かさない。
「よし、シグザール聖騎士隊、緊急出動だ。第三・第四分隊は市内で事情聴取と人心の安定に当たれ。第一分隊は陛下ならびに要人の警固、第二分隊は城内の徹底捜索だ。すぐにかかれ」
矢継ぎ早に命令を下す。
「了解!」
ダグラスは張り切って、部下を集めに飛び出していく。
「あら、なんか、お取り込み中みたいね。お近づきになるのは、また今度にしましょ」
お気楽なパメラは、眼下の騒ぎが自分のせいだということにも気付かず、ふわふわと石造りの天井を抜けて、城の上階へ出た。
「きゃ、すてき」
その廊下には、上等なじゅうたんが敷き詰められ、壁を飾った絵画にも暖かみがあって、選んだ人の趣味や人柄が伝わってくるようだ。
楽しそうに、きょろきょろと見て回っていたパメラは、とある壁際で、耳をそばだてた。
「あら、こっちの奥に誰かいるみたい。ご挨拶しなきゃ」
そのまま、壁に溶け込むようにすうっと消えたが、すぐに顔を赤らめて戻って来る。
「ごめんなさい。覗き見をするつもりじゃなかったんです」
壁に向かってぺこりと頭を下げた。
「それにしても、昼間っから大胆なのねえ」
つぶやいたパメラは、別の場所に行こうと、反対側の壁を抜けて消えた。
たった今、パメラが入っていった部屋は、新婚間もないブレドルフ国王とリューネ王妃の私室だった。

次にパメラが入っていったのは、先ほどとは打って変わって殺風景な、実用一辺倒といった感じの部屋だった。壁は石がむき出しで装飾品のひとつもなく、飾り気のないランプがぼうっと室内を照らしている。
壁際に置かれた机には、書類が山のように積み上げられ、机に向かってだらしなく座った初老の男が、眼鏡をかけて難しい顔つきで書類を読みふけっている。
(この人は、趣味じゃないわね)
すぐに立ち去ろうとしたパメラだが、足元からかん高い声がいくつも聞こえてきて、足を止める。
「あ、お姉さん、いらっしゃ〜い」
「オゥ、幽霊さんとは珍しいね。ボクの評判を聞きつけて、会いに来てくれたのかい?」
「これは珍客ですな。長命な妖精族の一生のうちでも、幽霊に遭遇できる確率は――」
「ねえねえ、どこから来たの〜?」
青、赤、緑、黄色といった色とりどりの服を着て、同じ色の帽子をかぶった小さな姿が、わらわらと集まって来る。
「まあ、妖精さんたちね。こんなところに、こんなに大勢いるなんて。あ、もしかして、ここって、錬金術士さんが住んでいるの?」
「オゥ、それは違うよ、ベイビィ。ここはシグザール王国秘密情報部で、ボクらは凄腕の密偵なのさ。ほら、妖精というのは、一瞬で長い距離を移動できるだろう? それに、身も軽い。だから、情報収集や秘密の緊急連絡のために、ボクらは秘密情報部に雇われているってわけさ」
気取った口調の青妖精が答える。それに対して、理屈っぽい話し方をする青妖精が反論する。
「ちょっとピエール、口が軽すぎませんかな。今の発言は、ボクたちのことを部外者に漏洩してはならぬという情報部のルールを逸脱しているのではないですかな」
「堅いこと言うなよ、ペーター。あのルールは人間だけを対象にしているんじゃなかったかい」
「ねえねえ、お話を聞かせてよ〜」
「あら〜、どうしようかしら〜?」
パメラが考え込んだ時、部屋の隅からいぶかしげな声が飛んだ。
「おい、おまえら、何を騒いでいる?」
先ほど書類に没頭していた男が、眼鏡のフレームに手をかけ、身を乗り出すようにして、妖精の集団を見つめている。
「あ、長官、お客様だよ〜」
赤妖精が、振り返って言う。男はパメラが浮かんでいる空間を、しげしげと見つめた。
「ふん、俺には何も見えんが、おまえたちがそう言うなら、誰かそこにいるんだろうな」
あまり動じている様子はない。
「素性を尋ねてくれ。この城に、何をしに来たのかもな」
「オゥ、了解したよ、通訳はボクに任せたまえ」
「いや、ピエール、おまえはいい。通訳はペーターに頼む」
「それは当然ですな。計算の上でも、正確さにおいてボクの方が優れているのは明らかですからな」
そんなわけで、シグザール王国秘密情報部長官ゲマイナーと、パメラとの会談が始まったのだった。

一刻ほど後――。
秘密情報部のドアがノックされ、油断なく剣の柄に手をかけたエンデルクが入ってくる。
「ゲマイナー卿――。ご報告が――」
険しい表情で口を開く王室騎士隊長に、ゲマイナーは物憂げに手を振ってみせる。
「城への正体不明の侵入者のことか?」
「ご存知だったのですか? それに、市民からも『幽霊を見た』との通報が――」
「ああ、それについては心配ない」
けげんそうに眉を上げたエンデルクに、ゲマイナーは部屋の中央、部下の妖精たちが楽しそうに車座になっておしゃべりしている場所を示す。
「その侵入者と、市民が見たという幽霊は、同一人物だ。事情聴取も済ませたよ」
「何ですと? では、そこに?」
エンデルクは目を凝らす。妖精たちの気配に紛れて目立たないが、確かに先ほど感じた怪しい気配が漂っているようだ。
「ああ、それから、陛下に報告しておいてくれ」
ゲマイナーはレンズの奥の目を光らせて、にやりと笑った。
「わが秘密情報部に、グラムナート駐在の諜報員がひとり加わった――とな。グラムナートに諜報員を置くことは、長年の課題だったんだが、こんな解決策があるとは思わなかった。幽霊の諜報員というのも、悪くない」
エンデルクはあきれたように情報部長官を見つめていたたが、やがてパメラがいるはずの空間に目を向け、一礼した。
「先ほどは失礼した。王室騎士隊長エンデルク・ヤードだ。以後、よしなに」
「こちらこそ、よろしく〜、うふふ」
妖精たちに囲まれたパメラは、楽しそうにころころと笑った。


Scene−6

「ふう、すっかり遅くなっちゃった。ただいま〜」
工房へ戻って来たエリーは、パメラに呼びかけた。
「あれ? ――パメラさん?」
だが、がらんとした工房には、何の気配もない。
「どうしちゃったんだろう?」
あたりを探し回っていると、作業台の真ん中に虹色の光がぼうっと浮かび上がった。
そして、光の中から紺妖精が転がり出ると、作業台の上にぺたんと座り込んで、きょろきょろと見回す。
「あ、ピコ、お帰りなさい。ちゃんとノルディスには会えた?」
エリーの声に、ピコはうるんだ目を向け、情けない声で答えた。
「ええと、会えませんでした・・・ぐすん」
「え、どうして?」
「ノルディスお兄さんは、研究が一段落したので、ひと月以上前にケントニスを発って、ザールブルグへ向かったそうです」
「そうなんだ」
ノルディスが出発した詳しい日付を聞くと、エリーは指折り数えて計算した。
「なあんだ、それじゃ、今日明日にもノルディスはザールブルグに着くじゃない」
すぐにアイゼルに知らせてあげようか、と考え込む。
だが、やがて顔を上げると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「やめた。びっくりした方が、アイゼルも喜ぶものね」

「あ〜、楽しかった。ザールブルグへ来てよかったわ」
シグザール秘密情報部の妖精たちと楽しい時を過ごしたパメラは、シグザール城の城壁にふわふわと浮かんで、広がるザールブルグの街並みをながめた。
南の方に、見覚えのある赤いとんがり屋根が見える。
「あら、いけない。エリーさんのところへ行かなくちゃ」
帰ろうとしたパメラは、ふと思い出して、城壁の裏手をふわふわとただよい下りる。
ゲマイナーとエンデルクが手配して王室広報の速報を出し、街で目撃された少女の幽霊は邪悪なものではなく無害だと保証してくれている。しかし、エンデルクからはあらためて、あまり目立った行動はしないよう厳重に注意されたのだ。
「よいしょっと」
石畳の道に沿って、普通の人と同じように進めば、パメラの姿も夕刻の雑踏に紛れてしまう。
「あら? どっちへ行けばよかったのかしら」
屋根の高さに浮いて見渡せばすぐにわかるのだが、そんなことをしたら、また騒ぎになってしまう。
「ええと・・・?」
パメラは立ち止まって、きょろきょろ見回す。
「あ、きっとこっちだわ。錬金術の香りがするもの。うふふ」
そして、パメラは『職人通り』へ向かう道筋をそれ、東へ――アカデミーの建物へと進んでいった。

「なるほど。それじゃ、あのヴィオラートという娘は、無事にカロッテ村を復興させることができたんだね。よかったじゃないか、ふふふふ」
「はい、その節はお世話になりました、ヘルミーナ先生」
アイゼルは、アカデミーを訪れていた。
逢いたかったノルディスが不在とわかったことで、昨日はそのまま実家に帰り、ぐっすり寝て旅の疲れを癒した。そしてあらためて、師であるヘルミーナの研究室を訪れ、旅の報告をすると共に、今後の身の振り方を相談していたのだ。
「まあ、あたしとしては、あなたがアカデミーに戻って研究を続けることについては、何の文句もないね。イングリドもドルニエ先生も、歓迎するだろう、ふふふふ。それに――」
「それに?」
「ここのところ、あたしの錬金術に理解がある助手が育たなくてね、困っていたところなのさ。ふふふ」
(“理解がある”じゃなくて、ヘルミーナ先生の不気味な実験についていける“度胸がある”人がいないだけじゃないのかしら)
アイゼルは思ったが、口には出さないでおいた。
「それでは、失礼します」
ヘルミーナ研究室を出ると、アイゼルの足は同じ研究棟の1階へ向かった。
話し合うことが多く、午後の大部分をヘルミーナの部屋で過ごしてしまったが、実家へ戻る前に、やはりもう一度、行っておきたい場所があった。
まっすぐな廊下を進むと、左側にはいくつものドアが並び、それぞれの研究室の主の名が記してある。 そのドアのひとつの前で、アイゼルは足を止めた。
『主任研究員:ノルディス・フーバー』
今朝、アカデミーへ来た時も、真っ先にやって来たのがこの場所だった。もちろん、エリーの話から、部屋の主ノルディスがケントニスへ行っていて不在なのはわかっている。案の定、ドアは冷たく、鍵がかけられていた。それでも、来ずにはいられなかったのだ。
左右を見回し、誰もいないのを確かめると、アイゼルはドアにもたれかかり、そこに記された愛する人の名を指でなぞった。そこに、ノルディスの息吹と体温が感じ取れるかというように。
不意にアイゼルは、ひくりと身体を震わせた。
部屋の中に、人の気配がする。
(――まさか!!)
気のせいに違いない。その人にそこにいてほしいという自分の願望が、このような幻を見せているだけだ。
だが、部屋から聞こえるこの声は――?
「あれ、誰かいるのかい?」
5年ぶりに耳にする、懐かしい声。旅の間ずっと、心の中で繰り返し思い出し、くじけそうになる自分を励まし続けてくれた声。
(大丈夫。アイゼルなら、きっとできるよ)
アイゼルは、半信半疑でそっとドアを押した。今朝と違って、鍵はかかっていない。
ノックもせず、衝動的にアイゼルは大きくドアを押し開けた。
正面の壁際の机から、ひとりの青年が振り返る。まだほどかれてもいない旅の荷物が、床にそのまま置いてある。
いくぶんか大人びてはいるが、昔と変わらぬ少年のような瞳が、驚いたようにアイゼルを見返している。
「アイゼル・・・? アイゼルなのかい?」
「ノルディス・・・」
「いつ、帰って――?」
「昨日よ。でもノルディスこそ――」
「ぼくは、ついさっき、ケントニスから帰って来て――」
そこで、言葉が途切れた。
ただ、しっかりと見つめ合う。ドアから机まで、ほんの数歩の距離だ。
本当に言いたいことは、たくさんあるのに――。
すぐにでも駆け寄って、抱きしめたい、抱きしめられたい――そのはずなのに。
恥ずかしがりで照れ屋のふたりは、あと一歩が踏み出せないでいる。
誰かが一押ししてやらなければ・・・。
「あら〜? ここ、どこかしら?」
不意に、ノルディスのすぐそばの壁から、パメラがすうっと上半身を突き出した。
「わあっ!!」
「すいませ〜ん、道に迷っちゃったみたいなんですけど〜。あら、アイゼルさん?」
だが、アイゼルは返事をするどころではなかった。
論理的・合理的思考の持ち主で、フィールドワークの経験が足りないノルディスには、幽霊と出会うといったような非合理的でショックな出来事への免疫がない。壁を通り抜けていきなり少女が部屋に現れるなどということは、想像の範囲外なのだ。しかも、どうやら霊感だけはあったらしい。
「うわ・・・! うわあっ!!」
不意の出来事にパニックを起こしたノルディスは、目の前にある、唯一の確かな存在にすがった。つまり、無我夢中でアイゼルに抱きついたのである。その衝撃に、ドアがバタンと閉まる。
「ちょっと、ノルディス! ノルディスってば!」
「うう・・・う・・・」
「大丈夫、パメラよ! 怖がらなくていいのよ! ええと、パメラって言うのはね。もう、ノルディスったら――」
「アイゼル・・・アイゼル・・・」
アイゼルも、ぎゅっと両腕に力をこめた。
「ばかね・・・。ノルディス・・・」
そんなふたりを、パメラはぽかんとして見ていた。
「あら〜、あたしはお邪魔みたいね」
そして、にっこりと笑う。
「それじゃ、ごゆっくり〜」
パメラはくるりと背を向けて、ふわふわと壁の向こうへ消えていった。

<おわり>


○にのあとがき>

お待たせしました。「ふかしぎダンジョン」5周年記念アンケート御礼リクエスト小説をお届けします。
当選してリク権を獲得された卯の花さんからいただいたお題は、エリー・アイゼル・パメラさんが出てくる話というものでした。ということであれば、「ヴィオラートのアトリエ」のエンディング後、アイゼル様がザールブルグへ戻って来た時のお話にするしかありません。

ザールブルグの平和な日常に、幽霊という非日常の存在であるパメラが迷い込んだら、どんな騒動が起こるんだろう?――と妄想をたくましくしながら、様々な場所でのエピソードを考えて行きました。その中に、エリーとアイゼル様の再会、ノルとアイゼル様の再会のシーンを盛り込もうとしたわけです。
自分としてのお気に入りは、エリアイの再会シーン、『飛翔亭』のクーゲルさん、フローベル教会のシーンでしょうか。しかし、国王陛下って・・・(汗)。

物語の中で、グラムナートでの大事件というのはもちろん「この青い空の下」で描かれた出来事ですし、エリーの工房でパメラが気付いた秘密というのは「Eの秘密」のことです。また、ゲマイナーさんが率いるシグザール王国秘密情報部の詳細については、「リリーの同窓会」の第13章をご参照ください。
なお、パメラの見え方(笑)について、「夏の夜祭り」とは異なった設定になっていますが、それはお話の都合ということで、目をつぶっていただければと(^^;

卯の花さん、こんなものでよろしいでしょうか?
ご感想などいただけると、嬉しいです〜


前ページへ

戻る