*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【ひとづくりがまちづくり?】

 前号で紹介していた研修会での挨拶文から,平成17年度分の一部を抜粋します。

 社教連会報第57号の巻頭に,文部科学省の三浦春政社会教育課長が「役に立つ社会教育」という一文を発表され,全国大会でも基調講演をされました。その内容はともかく,「役に立つ」というキーワードが特に印象に残りました。
 昨今,生涯学習という言葉に社会教育が飲み込まれているような状況があり,社会教育委員は生涯学習推進委員と改名せざるを得ないような雰囲気です。昨年の全国大会で「社会教育の原点に返る」ということがアピールされましたが,それを受けて今年は「役に立つ社会教育」へとつながっています。この大きな流れを受けて,私たちは自らの任務をどのように受け止めたらいいのでしょうか?
 大づかみをすれば,「自分のためになる生涯学習」,「みんなのためになる社会教育」と言うことができます。生涯学習だけでは個人の豊かさに止まります。学習をみんなのために生かすにはどうしたらいいのか,その課題が社会教育委員の役目であり,結果としてみんなの町,地域,家庭といった構造の再構築が実現すると期待されます。それこそが社会教育の原点であったということです。
 昨年のこの研修会では,皆様に「人びとをつなぐ」というキーワードをお話ししましたが,今年は人びとをつなぐことでみんなのためになる,それが社会教育であると重ねてお願いをさせていただきます。「みんなのためになる」,その気持ちの失われたことが,町や地域や家庭の力を失わせた根源であることを再確認して,委員としての研修をしていただきますようにお願いをいたします。


 社会教育の分野で掲げられる「ひとづくり・まちづくり」というスローガンがあります。かつて社会教育は人びとの個人的な活力を社会的な活動に生かす方策を提供することを主題とすることで済んでいました。人びとの暮らしに潜む課題を見出し,「みんな集まってこんな活動をすればこの課題は解決できる」といった形で「まちづくり」に新しい活動を啓蒙することでした。これが原点に返ってさらに役に立つ社会教育のあるべき姿です。

 ところが,時代の進展は当初の社会教育が想定していた「ひと」に関する前提を縮小してしまいました。二つのことが考えられます。一つは,社会が求める活力が高度化したために,相対的に個人が持っている活力が低下してきたということです。そこで「生涯学習」という個人の活力のリフレッシュが余儀なくされました。もうひとつは,みんな集まってという協働意識の低下です。最も特徴的なことが,協働を基盤としていた地域・家庭の変質です。協働することが当たり前であるという認識が希薄になっています。人集めに苦労するという程度が,昔とは段違いに難しくなっています。その上に,みんなのためになることをするのは自分には関係のない余計なことという逃げの姿勢が公然のものになってしまいました。
 そのような社会教育委員の肌感覚から,まちづくりをするためには,まずひとづくりから始めなければという動きが現れてきて,「ひとづくり・まちづくり」というスローガンが生まれました。特に,「ひとづくり」における意識改革として,自助・公助という社会活動様式に加えて,新しい概念として共助というキーワードが提案されています。共に助け合うことを当然とする人がいなければ社会活動は覚束ないという,切羽詰まった苦肉の提案です。
 確かにひとづくりは生涯学習活動に期待される一面ではあったのですが,現状は個人的な活動に停滞したままです。平たくいえば,自分の趣味や楽しみのレベルに止まっています。生涯学習社会と呼ばれいかにも社会活動のように見えますが,実状は社会から個人が獲得する学習利益だけが優先され,個人から社会に向けて提供される活力はほとんど見えてきません。つまり,期待されている,まちづくりに貢献できる社会人をめざした学習にはなっていないということです。
 現在,社会教育関係団体としてたくさんの団体があります。しかしながら,生涯学習という言葉を巧みに掲げながら,社会活動を縮小し続けています。まちづくりに貢献しているといいながら,実のところは片手間程度のことでお茶を濁しています。自分たちのための活動をすることが集団活動という形式であれば,それはそれで立派な社会活動ではないかと主張します。「みんなのため」を「自分たちみんなのため」と読み替えています。このような現状に対して,「役に立っているのか」という自問自答が必要になります。社会教育の目的とは,「社会的課題に対してできることは何か?」という実践活動を導き出すことです。各団体は,どのような課題を見つけその解決をしようとしているのかが見えない限り,社会教育関係団体としての要件を満たしてはいないのです。

 まちづくりについても整理しておかなければなりません。まちづくりを進めるためには,どのような課題を見つけているかが出発点になります。このような課題があるから,その解決のためにこのような活動を実践しよう,それが社会教育活動の目に見える姿です。ところで,これまでの社会活動において後回しにされてきた感のあることがあります。それは端的にいえば「まちづくりの設計図」です。まちとはどのような機能を備えていればいいのかという全体像が提示されないままに,行き当たりばったりに社会活動が進められているように思われます。もちろん,行われている諸活動が意味のないものであるということではなく,まちづくりという設計図の中での分担領域を明らかにしないままでは,統一の取れた社会活動にはならないということの危惧です。まちづくりのどの部分を担う活動であるかを確認する手続が疎かになってはいなかったかという反省です。

 まちが備えるべき機能要素を明確に定義づけし,その上で現在不足・弱体化している要素を課題とし,解決に向けた方策を考案し人びとの協働活動に託すという,一連の工程表を策定すべきです。「社会教育計画書」というものがありますが,それはまちづくりの設計図であり,工程表でなければなりません。社会教育委員に期待されている役割を果たすためには,先ず,まちの設計図つくりから始めなければなりません。この点については,本講第85号で「地域づくり」として,簡単な試案を提示しています。
 ひとづくりでまちづくり,そのキーワードを読み解くことが社会教育委員の課題であるということに,やっと気付いたところです。
(2006年05月13日)