古代北東北の旅
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4.その他遺跡など 青森県・岩手県) 

概要 1.古墳・古墳群 2.城柵 3.環状列石(縄文遺跡) 4.その他の遺跡など

田舎館村博物館 埋蔵文化材センター 南津軽郡
是川中居遺跡 八戸市縄文学習館 八戸市
八戸市博物館 八戸市
青森県立郷土館 青森市

青森県
  田舎館(いなかだて)村博物館・埋蔵文化財センター 南津軽郡田舎館村大字高樋字大曲
東北地方で始めて検出された水田跡。垂柳(たれやなぎ)遺跡では、昭和57・58年に国道102号バイパス工事の事前調査の際に、656枚の弥生水田が発見された。弥生時代中期の水田跡である。屋根をかけて保存し、地面の上を歩けるようにして展示している。壁際には出土品も展示している。


東北道・黒石ICから弘前に向かう国道102号バイパスの”道の駅いなかだて”が目印となる。正面に岩木山が見える

   博物館案内パンフレットより
田舎館村博物館の正面入口 ここに水田跡が保存してある。埋蔵文化財センターは右側にあり、廊下でつながっている。裏にJRA場外センターがある。
垂柳遺跡の発掘現場(現在はバイパス陸橋下で雑草地)の写真 (博物館の説明パネルより)
博物館内 壁沿いに水田跡の発掘現場の説明、出土土器類などが展示してある。
弥生人の足跡が幾つかついている。 畦(あぜ)跡をガラス道を歩きながら見る。

  是川中居(これかわなかい)遺跡 八戸市大字是川字中居  

案内パンフレットに加筆
×に是川遺跡の記念石碑がある
縄文時代晩期の亀ヶ岡文化の代表的な遺跡である。新井田(にいだ)川対岸には風張(かざはり)遺跡がある。風張遺跡は「合掌する土偶」や「腕組する土偶」など優れた出土品で有名で、666点の出土品が重文指定されている。新井田川の下流には縄文時代中期の集落遺跡(石手洗と松ケ崎)、さらに下流には縄文時代早期の集落遺跡(赤御堂と館平)がある。

是川中居遺跡は大正9年(1920年)に発見された。全資料が出土地に保存された例として全国的にも珍しい。したがって、是川考古館では保存室も公開されていることと相まって、有名出土品を一度にまとめて見ることが出来る。昭和49年の発掘で仰臥屈葬の人骨を含む土壙墓も見つけられた。



  八戸市縄文学習館と歴史民俗資料館・是川考古館
是川中居遺跡の中にあり、構内も発掘調査され、縄文住居が復元されている。付近は住宅地になっている。完全な形で出土した亀ヶ岡式土器、玉類、有名な木製の飾り大刀、縄文琴、櫛,高杯、赤色漆塗り壺形土器や漆塗りの木製の弓、さらに藍胎漆器など東北地方の伝統工芸品の原点となる名品が多く、633点が国の重要文化財に指定されている。周囲が泥炭層で植物帯層も還元状態のまま保存され、クリ、トチ、ナラの堅果類が、縄文時代の姿のままで出土している。土偶、土版、岩版、石棒、石刀、石剣などの祭祀遺物も多く出土している。
   八戸市博物館 八戸市大字根城字東構35-1
「根城(ねじょう)」と隣接している。根城は建武元年(1334)山梨・甲斐国の南部師行が国代としておもむき、北奥羽の支配拠点として築城したもの。考古展示室には風張遺跡出土の「合掌する土偶」など名品が揃っている。
八戸市博物館の考古展示 蕨手刀が美しい姿で展示されている
縄文後期の風張遺跡の出土品は興味深い。合掌する土偶(左)と腕組する土偶(右)は代表的な土製品(重文)で、炭化米なども展示されている。二本の足・屈折妊婦・合掌・短足・腕組みなど新しい表現が見える。
縄文学習館の裏道を標識どうりに500mほど低い丘陵を登ると、是川遺跡の記念碑のある記念広場(地図で×印)に出る。縄文館のある中居遺跡風張遺跡が見渡せる。

  青森県立郷土館 青森市本町2丁目8-14  
十和田湖町からR102で笠松峠を越え、酸ヶ湯から青森市外に向かい、青森港中央埠頭近くの青森県立郷土館に到着する。

      狩猟文土器(八戸市・韮窪遺跡)

        祈りの道具としての土偶
ベンガラ付き石皿(板柳町土居1号遺跡)や漆塗り土器。ベンガラは、亀ヶ岡文化でとくによく使われた。
10年前に「十三湊と安藤氏」の特別展を観に来たことがある。町中にある立派な郷土館だ。それ以来、安藤氏に興味を持っていたが、今回縄文時代に焦点を合わせて観覧すると、逸品が多くあるのに気づく。。縄文土器の時代別の展示解説、遮光器土偶(三戸町・八日町遺跡)、不思議な顔と姿をした後期土偶(近野遺跡出土)、、縄文ポシェット(三内丸山遺跡)、香炉型土器(亀ヶ岡遺跡)などの実物を見ることができた。


          亀ヶ岡遮光器土偶

鼻曲がり土面(六ヶ所村上尾駮ーかみおぶちー遺跡)。この鼻曲がり土面は鼻が右に曲がっている。
今回の旅で、最も印象的なものの一つとして、御所野縄文公園で見た鼻曲がり土面(蒔前遺跡出土)がある。鼻曲がり土面は、遮光器土偶とともに、縄文晩期に現われた逸品である。 
おわりに 
手県・北上市の八天遺跡は、縄文後期の大集落跡で、円形の大型住居跡、多くの土壙群と祭祀遺物が出土した。川面からの比高さ20mの丘陵上にある。丘陵を下るとすぐに蛇行する北上川に出合う。古代遺跡は探しても見つからない場合や、見つかっても埋め戻されていて住宅地、畑・草叢であったり、ダム・高速道路の場合もある。それでもその立地条件を観察することによって、当時を偲ぶことが出来る。
北上市立博物館
     (北上川景勝地”みちのく民俗村”内)

歴史展示・考古のブースをじっくり観た。樺山遺跡・八天遺跡・九年橋遺跡の情報と出土品展示が良い。縄文晩期の展示品が魅力的だ。八天遺跡出土の土製耳・鼻・口の実物が見れる。和田前遺跡の香炉形土器は美しく、大遮光土偶は大きい。様々な面をした仮面もある。祈りをささげる道具として、甕形土器、石版、ミニュチュア土器、石刀、独鈷石、有孔石器など面白い。
蝦夷関係の展示もあり、須恵器大甕の大きさに圧倒された。平安後期のけやきナタ彫りの男神像・女神像・十一面観音像(万蔵寺)は今回の旅のテーマからは外れているが興味深かった。
この博物館は秀逸であるが、惜しいことに写真撮影は禁止で、常設展示図録もない。博物館でいくら感動しても出れば忘れるもので、反芻の資料が必要になる。幸いに博物館発行の北上川流域の自然と文化シリーズの「(6)縄文人の祈り」と(「19)江釣子古墳群とその時代」を見つけ購入することが出来た。この2冊子は掲載写真も多く、今回の訪問先・旅のテーマにぴったりだった。
岩手県立博物館 (盛岡市上田)

エントランスには、雫石町・高見遺跡出土の赤色塗彩浅鉢(縄文晩期)が飾られている。常設展示に加えて、「第29回埋蔵文化財展 岩手を掘る!」と「北の縄文文化回廊in岩手2007」が催されていた。「常設展示図録」はなかったが、写真撮影は許可されているので展示物を反芻できる。特別展は展示内容を収めた小冊子が用意されていた。
常設展示の蝦夷塚出土の冑、萪内(しだない)遺跡出土の大型土偶(縄文後期・重文)の実物、レプリカであるが頭蓋骨つき人体埋葬の状況、長沼古墳出土の蕨手刀などが印象的で、珍しいものとして江戸時代の踏絵に関する史料が展示されていた。「岩手を掘る」では、北上市・上鬼柳遺跡出土の墨書・刻書土器の数々、宮古市・長根Ⅰ遺跡出土の蕨手刀、角塚古墳と関係するとされる中半入遺跡の出土品、「北の縄文文化回廊」では、狩猟文土器(韮窪遺跡出土・青森郷土館蔵、レプリカ展示)、北海道八雲町野田生Ⅰ遺跡出土の赤彩注口土器、青竜刀形骨刀(コタン温泉遺跡出土・重文)、環状列石、種々の土偶・岩偶と仮面、円筒土器、十勝内土器、亀ヶ岡土器の周辺、黒曜石の流通、アスファルトの流通など興味深い展示が多かった。
「北の縄文文化回廊づくり」は、津軽海峡を挟んで、北海道・青森県・秋田県・岩手県の4道県で行われている。北東北の縄文文化は少なくとも道南を併せて考える必要があることを教えられた。西日本の文化は、朝鮮・中国の文化を早急に取り入れて成立し、大和朝廷を築きあげた。北東北の文化は、長い年月をかけてゆっくりと築き上げた縄文文化を基底とし、道南(北海道)に根強い北方の文化をも組込んでいる。縄文文化は、宗教・信仰については自然崇拝・呪術を基調としている。改革的な西日本・東日本の文化が優勢となり、これらは迷信と退けられるようになるが、日本人が本来持っている精神文化はここに原点があるのかも知れない。
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