「最近、若島津はよく飲むの?」
「さあ、どうかな…。僕がよく付き合わされてたのって、嘘みたいですけど、高等部入る前の方が多かった。最近は…あんまり、仕事部屋から出て来ないかな」
「食事は? 一緒にしてないのか?」
「───ほんと言うと、僕、この頃家に帰ってないんです」
「それは…どうして」
「どうして。…どうしてかな。ねえ、反町さんは結婚しないんですか?」
 突然、自分のことに振られて反町はバーボンを吹き出しそうになった。
「なんだよ、いきなり!」
「え、尋いちゃまずかったですか? なんか、結構いい暮らしてるしモテてるみたいだし、歳も歳なのにって。すいません」
「歳は余計だ。お宅の養父さんと同い歳だよ」
「だから。尋きたいと思ったんじゃないですか」
 一緒に暮らそうと思った女がいなかったわけではなかった。最後の最後で、いつも何かハードルを越え損ねる。途中から反町は自分で考えるようになった、俺はこのハードルを越えたくないに違いない、と。
「向いてなかった。そういうタチなんだ。君に言う科白じゃないが、子供を育てたいとも思わなかった」
 最愛の何かを失うということ。決して手に入れられないもの。
 若島津に対する当て付けのつもりは毛頭なかった。だが、失ったのはお前だけじゃ無いんだと、反町はハッキリと言ってやるべきだったのかもしれなかった。
「ついでだ。反町さん、未成年にアルコール飲ませた責任取って、僕の話聞いてくれませんか。かなりもう、回ってきてる気が自分でもするんで」
 いいよ、と反町は答えた。二人とも表面上はそう酔った顔はしていなかったが、グラスは乾く間もなく進んでいた。ここまできて断わる理由も思いつかなかった。
「オイディプス・コンプレックスって、ありますよね。マザーアースの古い古い神話から取った、母親との姦淫、父親殺しのコンプレックス」
「そりゃまた、カビた出典の言葉を持ち出したな」
「たまたま、社会心理の昔のデータで見つけたんです。前社会的な症例ばっかりで、レポートの足しにはなりませんでしたけど。それでも原典まで探して読みましたよ。センターのデータバンク行って、検索かけて。今まで神話なんて興味持ったこと無かったのにな。でも、僕はそれで初めて判ったんです。これだったんだなって。息苦しいみたいに時々つらいのは、これなんだなって。しかもこの二つの感情が融合したコンプレックスの、僕は相手が一人なんだ、凄いでしょう?」
 反町が止める間もなく、彼は注いだばかりのグラスを一息で飲み干した。
「引き取られたのは、八つの時です。もう充分もの心ついてる歳だ。なのにダメなんですね、僕はあの人の庇護下にあって、今もそれが続いてるわけだから。…最初からこういうふうに好きだったのか、それとも違うのかなんて判らない。八つの子供に親愛とリビドーの区別なんか付きませんよ。でしょう」
「まあ、ムリだろうな」
「……。あの人が好きなんです。それだけは本当なんです。あの人に過去愛した人が居たって構わないんだ、そいつが今現在居ないんだったら。居ない相手と勝負なんか出来ないし、僕はこれでも合理的に物事を考えてるつもりです。ハナっからそんな勝負、意味がない。だけど、───」
 少年はその年齢に似つかわしくない仕草で、額をきつく押さえ込んだ。
「だけど、僕があの人を好きになることは、最初から決まってたことなんだろうか…? ねえ反町さん、あの人は、それを知ってて僕を引き取ったんだと思いますか? あの人を好きだって、僕のこの気持ちは誰のものなんだろう。育ての親としても、出会うべくして出会った失えない人としても、僕はあの人を好きなんだ。それだけが真実なのに。僕は…あの人の視線に気付いた時、嬉しかった。ただの養い子じゃなく、あの人をただ愛する立場に自分が立てると思っただけで、…判りますか? 夜も眠れないくらいだったんだ。だのに、僕は自分が信じられない。僕は僕の感情が僕のものだと確信が持てない。父親を殺して母親が手に入るなら、僕は迷わずそうしてる。でもその父親と、寝たい相手の母親がひょっとして同一かもしれない。僕は憎んでいるのかもしれない。どうして…、どうしてこんな思いを抱かなくちゃならないんだろう。こんなに、失いたくないのに…!」
 振り絞るように言葉を吐き、彼はしばらく肩で息をついでいた。悲壮な声だった。かける単語を見付けられないでいると、やがて少年は「すいません」と小さく謝って、のろのろと頭をもたげた。
「かなり…重症だね?」
「かな。…ここまできちゃう前に、失踪とか悪くすりゃ自殺とか、考えなかったわけでも無いんです。…だけど、そしたら今度こそあの人も生きてられないだろうなって、……。それほど、愛されてるってことには自信があるのにね。僕、矛盾してますか?」

  


 page.1page.2page.3 《   》 NEXT PAGE

  
NOVELS TOP