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1998年8月の感想

199807199809


目には目を(C・アルレー)
美貌の帳(篠田真由美)
動物のぞき(幸田文)
みんなのかお(さとうあきら・とだきょうこ)
顔のない告発者(B・ペルマン)
月神の浅き夢(柴田よしき)
アジアン・ジャパニーズ(小林紀晴)
黒と青(I・ランキン)
死の命題(門前典之)
私が見たと蝿は言う(E・フェラーズ)
百年、風を待つ(高木功)
落書きスプレー(丹沢泰)
虚構まみれ(奥泉光)
ベスト・オブ・ドッキリチャンネル(中野翠編/森茉莉)
寡黙な死骸 みだらな弔い(小川洋子)
チェス殺人事件(竹本健治)

カトリーヌ・アルレー 安堂信也訳『目には目を』創元推理文庫 1961
Catherine Arley, LE TALION, 1960

*内容紹介(とびらより)
破産に瀕した裕福な青年実業家夫妻が、友人のマルセルとその姉を自邸に招待することになった。マルセルは、近く五億フランという大金をつかむことになっている幸運な男である。四人の男女の頭の中には、それぞれの思惑があり、それが運命の糸のようにからみあって、破局へと突き進んでいく。目には目を、歯には歯を、復讐を許すタリオンの掟が・・・・・・。名作「わらの女」で一躍、脚光を浴びたフランスの女流作家が、四人の男女の独白というかたちで、現代の完全犯罪を描く第一級のサスペンス!

*感想
時々起きる「アルレー病」。「なんかこう、すすっと読めてハラハラドキドキしたい。犯人当てはめんどくさい」という時、手に取るのだ。

章が四人の男女ごとに分かれていて、その視点で物事を見たり、心理状態を吐露したりしているから、物語はとても追いやすい。おまけに、叙述トリックなどはありえないので純粋に言っていることを信じてしまって良い。ああ、なんて安心して読めるんだろう!

ある思惑があって事件が起こり、その後、心理状態、駆け引き、騙し騙され、それだけに焦点が合っているのが楽ちんなんだなあ。

アイルズの『殺意』の読後感に、ちょっと似てる。でも、こっちのほうがシンプルな分、残酷で皮肉たっぷりかもしれない。こういう雰囲気には、全くクラクラしてしまう。

勧善懲悪が崩れていたり、ずれていたりするものに、私は惹かれるみたいだ。

98/8/1


篠田真由美『美貌の帳 建築探偵桜井京介の事件簿』講談社ノベルス 1998

*内容紹介(裏表紙より)
伝説の女優が三島由紀夫の一幕劇 『卒塔婆小町』 で復活。「隠れ処」 という名のホテルに設えられた舞台で、彼女は落魄の老婆から鹿鳴館の美女に変身した。が、対立していた演出家が失踪、パトロンの館は業火に包まれ、女優にも呪詛と脅迫の電話が。壮絶な美がもたらす罪業に迫る京介。新たなるザーガ、ここに開幕。

*感想
第二部開始。いつもながら、お疲れさまでした、と京介に言いたくなる。杉原のおばさんも、京介の為を思って彼に電話してくるのはわかるけど、そのせいで彼はいつも事件に巻き込まれちゃうんじゃないか。

京介は事件に巻き込まれるたびに、蒼との出会いを思い出してしまわないのかな。そんな気がしてしまう。そして同時に別れも意識するんじゃないだろか。だから、京介を事件に関わらせてしまうことは、残酷じゃないかって思う。

ちなみに私、蒼をかわいいとはあまり思ってない。17のわりに子供っぽいように思えて。子供っぽいからと言って、かわいいとは限らないのだ。

京介は蒼が本当にかわいいんだな。『原罪の庭』では、出会った時だから、そういう感情を描いているのかと思ったけど、今回も(7年経っているのに)そういう気持ちの表現が出ているんで、あれあれと思ってしまった。もちろん、蒼の前ではそれは見せないけど、読者には見せるようになっちゃったのね。

でも、京介や蒼の悩みは、彼ら独自の(だけの)悩みじゃないよ。会うは別れの始まり。大切な人がいるからこその悩みも、ちょっと考え方変えて、今の自分にそういう人がいるってことだけでも、幸せなんだって思ってよ。とりあえず、過去のことはさておき。

終わり方からしても、第二部はここらへんがキーなんだろうか、と思ってしまった。京介の謎もちらっと見せられたし。

98/8/3


幸田文『動物のぞき』新潮社 1994

さとうあきら・とだきょうこ『みんなのかお』福音館書店

動物園に行きたくなってしまった。「きりん」の章で、「横道にそれるけれど許して下さい」と、競馬に行って泣いた話がいきなり始まる。なんで競馬に行って泣くことがあるんだ? と読んでいくと、確かにじわっときてしまった。動物園の飼育係の人が関わる話は、特に良かった。昭和34年に『婦人画報』に連載していたもの。

参考までに、もひとつ動物もの。さとうあきら・とだきょうこ『みんなのかお』 福音館書店。全国の動物園の動物たちの顔を、動物別に分けて紹介。当たり前だけど、動物だって、みーんな顔が違うのだ〜。

98/8/3


ブリス・ペルマン 荒川浩充訳『顔のない告発者』創元推理文庫 1985
(Brice Pelman,L'AFFAIRE D'HAUTERIVE,1983)

*内容紹介(裏表紙より)
「ドートリーヴ夫人の死は事故ではない。それだけ言えばわかるだろう」警察に来た匿名の手紙。前夜、自動車ごと道路わきの溝に突っ込み即死した女性の件だ。調査の結果、確かに車には細工が施されていた。だがこの細工では、事故地点まで走行すること自体不可能なはずだ。この矛盾は? そして投書の主の正体は? その目的は? 本格ミステリ!

*感想
う〜ん、あまり面白くなかったなあ。読んだそばから忘れてしまいそうで。アリバイを証明しようとしたことが、逆に立場を危うくする場合もあるんだな、と、そういう 皮肉っぽいところや、召使いの女の子の存在は結構面白かったんだけど。これは伏線か、と思うものが全然伏線じゃなかったりするので、それが期待はずれに思えたのかもしれない。ただ、トリックに関しては、コロンブスの卵!だな〜。

98/8/3


柴田よしき『月神の浅き夢』角川書店 1998

*内容紹介
若い男性刑事だけを狙った連続猟奇殺人事件が発生。手足、性器を切り取られ、木に吊るされた刑事たち。残虐な処刑を行ったのは誰なのか? 女と刑事の狭間を緑子はひたむきに生きる。

*感想
ああ、充実したなあ。今回も物語は濃くて、ちょっと気が滅入るほどだった。それに加えてこれから先に続いていくだろう展開に、どうなってゆくのだろう、とドキドキしている。

3つの緑子の物語は、物語が進むたび、どんどん自然になっていくような気がする。

これから先も物語は続いていくのだろうし、それは作者が書いていくことではある。でも、なんだか今回、登場人物たちは一人で歩き出しているような感じがした。作者が考えるより前に、登場人物たちが動いていきそうな気がする。んー、この感じをなんて書いたらいいのか。緑子の物語はもうそこに「あって」、柴田よしきがそれを描写するって感じ。柴田よしきが、つくっていくのではなく。

山内は、う〜、認めたくないけど、惹かれる。悪魔の中の天使部分ってのは、いちばんタチ悪いよ。ったくもー。・・・ と、なんだか悪態つきたくなっちゃうのだ。

98/8/5


小林紀晴『アジアン・ジャパニーズ』情報センター出版局 1995

私は、あまり旅ものを読んでいない。読むより前にもう、羨ましくて嫉妬してしまうから(笑) 読み始めてしまえば、そんな感情はなくなるんだけども。旅ものにも、タイプがあるのかもしれないと思う。一つは、「喜・怒・楽」なもの。もう一つが「哀」なもの。以前、沢木耕太郎の『深夜特急』に「哀」を感じて、この違和感はなんだろう? と思ってた。この本の中の人々の、旅の目的や動機についての答えも、私には意外な気さえして、やっぱり違和感を感じた。旅って明るいものじゃなかったんだ、なんて。私は多分、何かを変えようと思って旅に出ることはないだろう。

読んでいて、著者の考え方(思い方)にカチンとしたのは、しょうがないか。「いろいろな旅があっていいじゃない」、と著者に向かって言った男性がいる。私もそう思ってる。著者自身は旅を人生に例えている。人の旅=人生を、誰もとやかく言える立場にいないはず。 

現状を打開したくて目的もなく飛び出すのも、現状を打開したくてもできない (やめた)のは、一緒だと思ってる。考えた結果飛び出したか、考えた結果やめたか、なんじゃないかと。結果は違うけど、考えたという過程は一緒で、この場合、結果より過程を見るべきと思ったから。結局、舞台を日常のままにしとくか、非日常(旅)に移すか。旅には何かがあると思ってしまうのも、わかる。でも、旅に出なくたって、考えることはできる。だから、旅に出たからって偉いってことはないのだし、遠くに行ったからって偉いってわけじゃない。旅という非日常だって、長くなると日常になってゆくと思う。だけど、日常は生活とイコールなわけじゃない。旅の間は、生活しないで生きているって感じを受けるのだけど、そういう時間が長 く続くと、不安定さが出てくるんだろうか。

支離滅裂だし、なんか厳しいね私。結局嫉妬してんのかな。

98/8/9


イアン・ランキン 延原泰子訳『黒と青』ハヤカワポケミス#1665 1998
Ian Rankin, BLACK AND BLUE, 1997

*あらすじ(裏表紙より)
1960年代にスコットランドを震撼させた絞殺魔”バイブル・ジョン”。事件は迷宮入りとなっていたが、それから三十数年、同様の手口の事件が起きリーバス警部は捜査に乗り出した。はたして伝説の犯人が帰ってきたのか、あるいは模倣犯の仕業か? 折しもリーバスが昔担当した事件で服役中の囚人が冤罪を訴えて獄中で自殺。警察の内部調査が開始されることとなった。四面楚歌の状況のなか、リーバスの地を這うような捜査が続く。ミステリ界の次代を担う俊英が放つ傑作警察小説、遂に刊行!

*感想
えらく時間がかかってしまった。本を読みながら、何度居眠りしてしまったことか。スコットランドの地名も、ほとんど馴染みがないし、登場人物の名前さえも、なかなか頭に入ってこなくって。最後までテンポに乗れなかったなあと思う。緻密で複雑で渋くて地道。おっかしいなあ、そういうの好きなんだけどなあ。ひとことでこの物語を表現するなら、曇天! だな。

98/8/14


門前典之『死の命題』新風舎 1997

*あらすじ(『読者への挑戦状』を引用)
この事件を解くにあたり、以下の条件を満たす解答を求めれば、自ずと真相に辿り着けるだろう。健闘を祈る。
一、雪に閉ざされた山荘に集った六人の男女。脱出も侵入も不可能な完全密室状況。
一、それぞれが抱いている殺意。
一、一人が殺され、つづいて二人目。繰り返される殺人。・・・・・・そして、誰もいなくなった。
一、ばらばらな殺人方法。
一、甦る死者?
尚、この物語の裏に隠されたもうひとつの真相については、あまり気に止める必要はない。これはある男の妄想にすぎないのだから・・・・・・。

*感想
第七回鮎川哲也賞の最終候補作。ほらほら、魅惑の古典的道具立て。
なかなか面白かったよ。『そして誰もいなくなった』のトンデモ版、という感じ。この推理が正しいか正しくないかは、もう誰にもわからない。けど、辻褄は確かに合うし、あまりにトンデモな発想だとばかりも言えないし。
動機の発端は、「ははぁ、やっぱりね〜」。犯人も、だいだい見当がつくと思う。ただ、犯人は予想できても、どうしてそれができたかと考えると、なかなか進まなくなってしまう。だからあとは探偵さんに任せてしまう、と。
これくらいのトンデモなら許せるんじゃない?どうでしょ?

98/8/16


エリザベス・フェラーズ 橋本福夫訳『私が見たと蝿は言う』ハヤカワポケミス#217 1955
Elizabeth Ferrars, I,SAID THE FLY, 1945

*あらすじ(裏表紙より)
ロンドンはリツル・カーベリイ街の下宿屋「十号館」から、フランスへいくといって去っていった作家志望の少女ナオミ・スミス---そのナオミが、郊外のハンプステッド・ヒースで、顔じゅうに傷を負った見るも無惨な他殺死体となって発見された。そして、彼女が住んでいた「十号館」の部屋の床下からは、塵はたきに包まれた凶器と思われるピストルが見つかった。かくして「十号館」の住人は、ひとり残らず容疑者になってしまった。その住人とは新進女流画家のケイ、ナオミのいた部屋に引っ越してきた娘パメラ、ジャーナリストのテッド、その愛人メリッサ、建築家チャーリー、いかがわしい商売に部屋を貸しているフラワー夫人、強欲な家主リンガード、不気味な管理人トヴィ。彼らは口々に、「犯人を知っている」と言いだした。ケイと別居中の夫パトリックは妻を疑い、テッドは家主を、チャーリーはパメラを・・・・・・という具合に。
私が見たと蝿は言う---マザー・グースの童謡のようにこの中には事件について何かを知る”蝿”がいる。そして真犯人も・・・・・・? その蝿は、そして犯人は誰か? 町の安下宿を舞台に、そこに生活する様々な人間を生き生きと描きながら、物語は息づまるサスペンスに充ちたクライマックスへ・・・・・・心理描写に長けた独特の作風で知られる英ミステリ界のベテラン女流作家の代表作!

*感想
下宿屋の住人たちが、各々「誰誰が犯人だと思う」と自説を展開している。それは探偵の真似事というよりは事件が起きて不安定になってる気持ちを、誰かと話すことでやわらげようという感じがした。非現実的な内容の、日常会話。

実際警部が入り込んで捜査が進められていくと、会話の中から行動が生まれたり新しい事実がわかってきたり、ちょっとずつ動いていくのが面白い。犯人の正体、予想が当たってしまって残念。犯人が誰かよりも、「蝿」の存在が気になってた。読者へのわからせ方と設定が好き。

98/8/22


高木功『百年、風を待つ』東京創元社 1995

「映画を愛し、酒を愛し、ほろ苦くも爽やかな青春群像を描きつつ、38歳の若さで夭折したシナリオ・ライターにしてオール讀物新人賞受賞作家、高木功の全小説を収録。(紹介文より) 収録作品はフロッピーに保管されていたらしい。ひと昔前の雰囲気があって、明るくはないけどじめっとしてなくて、せつなさが残る。一気に読んでしまった。解題によると「百年、風を待つ」には、少なくとも三つのヴァリアントがあったらしい。その削られた部分も載せてあって、それがまたいい感じ。

98/8/22


丹沢泰『落書きスプレー』ベネッセ 1996

「落書きスプレー」、多分、女の子のほうが現実的なんです。「イソヤの場合」、ラストシーンが妙に感動的だ。一途って怖くて強いエネルギー。一生の思い出にして下さい。「光の底」、孤独。

98/8/22


奥泉光『虚構まみれ』青土社 1998

これまでに新聞や雑誌等に書かれたものと、書き下ろしがいくつか。書評も多い。冒頭の書き下ろし、「意志の来歴」(「石の来歴」にかけてる?)が、いい。読み手と書き手の気付かなかった関係を、的確に表現してると思う。

98/8/29


森茉莉 (中野翠編)『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』ちくま文庫 1994

1979-1985 年まで週刊新潮に連載されていた毒舌エッセイを中野翠が編集したもの。森茉莉が芸能人たちについて言いたい放題。好き嫌いがハッキリしていて、嫌いな人に対しては容赦なく切り捨ててる。あっけらかんで乾いた意地悪。ここまで言えたら気持ちいいだろうね。

98/8/29


小川洋子『寡黙な死骸 みだらな弔い』実業之日本社 1998

幻想的な短編が11。独立した短編ではあるけれど仕掛がある。1つ前の話に登場した、人、物、状況などが、今度は主役となって登場するのだ。そして、ある話が別の話の中で、「小説」として扱われていたりもする。なかなか凝った構成と、シュールな雰囲気を楽しめる物語。

98/8/29


竹本健治「チェス殺人事件」『定本ゲーム殺人事件』ピンポイント 1992

*あらすじ
牧場智久は、ふとしたことでチェスの名人巣羽根と知り合い、家への招待を受ける。ところが、そこで彼が死んでいるのを発見。部屋には、チェス盤があり、巣羽根と関係のある男が2人。自殺なのか、他殺なのか? 智久はチェスの駒の置き方に奇妙な点を見つける。

*感想
思ったより短い話です。結局は、竹本健治らしい終わり方です。「結末」を拒む感じの。それも、宙ぶらりんの上に、もひとつ宙ぶらりんを加えるというやり方に、にやっとしてしまいました。確かに、傑作ではないんでしょうが、考え方を知るにはいい作品だなと思いました。

ところで、竹本健治ってチェスにも詳しいんですねえ、きっと。チェス本でちょっと面白いのがあります。

ボビー・フィッシャー 東公平訳 『ボビー・フィッシャーのチェス入門』河出書房新社。「チェスの指し方を知らない人から 腕に自信のある人にまで 不世出のチャンピオンがはなつチェスがやめられなくなる本」。気に入ってます。

98/8/29


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