ちょこっとした感想を「日記のフリ」のほうに書くこともあるので、そちらもどうぞ
小針アキ宏『すべての人に数学を 対話・現代数学入門』日本評論社 1988(1970)
*内容紹介(のかわりに、もくじ転載)
*メモ
というわけで、第3夜後半までがやっとでした。「この本のよみ方」に言わせると
「現代人の数学的素養として、これくらいは必要やア、いわはるけど、えらいむずかしとこもおますやン、第1夜、第2夜くらいやったら、うちかておつき合いできましたけど、代数のとこなんか、かなんかったわア、文科系のおひとやったら、せいぜい第4夜まででええのンとちがいますやろか。
そやけど、理科系の数学の素養がすでに少しおありのお方やったら、おもしろがらはるかもしれまへんなア、そういうお方はとくに後半がよろしのとちゃいますやろか、とにく数学を専攻しやはる学生さんやったら、第8夜からさかさまに読んでゆく、(中略)、そうしやはると前半の文科向きの所が、かえっておもしろうなるのンとちがいますやろか。」
ということなんですが、せいぜい第4夜じゃなくて、ゼイゼイ第4夜って感じ〜。対話方式で進んでいくので読みやすいと思ってたんですが、やっぱり知らない記号が出てくると困りました。どういう意味なんだろう? ってそこで止まってしまいまして。
この本は、もとはブルーバックスから1970年に出版されたものだそうです。著者の小針アキ宏氏は、1971年にお亡くなりになりました。1932年生まれで、京都大学教養部助教授在任中だったそうです。
*アキは、「日」へんに「見」という字です。
1999/5/3
武田百合子『犬が星見た -ロシア旅行』中公文庫 1982(1979)
*内容紹介(裏表紙より)
生涯最後の旅を予感している夫武田泰淳とその友人竹内好のロシアへの旅に同行して、星に驚く犬のような心と天真爛漫な目とをもって、旅中の出来事・風物を克明に伸びやかにつづり、二人の文学者の旅の肖像を、屈託ない穏やかさでとらえる紀行。読売文学賞受賞作。
*感想
確かに、「ただの」旅の記録なんです。何を食べて、誰が何を言って、どんな出来事があって、私はこう思った。でも、なんでかその淡々さに惹かれる。夫との会話が時々はさまっているんだけど、かわすのは、ほんの二言三言なんだよね。それなのに、「このやりとりはなんだ!」って打ちのめされるくらいの、二人の間の空気を感じる。唯一無二の相手なんだと思う、お互いに。はたで読んでてそう思った。
「百合子、楽しいか」「百合子、面白いと思うか」、この問いかけへの絶妙な返し方。そ、この二人だから成り立つんだな。
「旅もの」は、嫉妬しちゃうからあまり読みたくないと思ってた。ところが、これにはそういう気持ち起きず。ロシアには行きたくないから嫉妬しない、っていうんでもない。だから、これまでの、旅ものを読んだ時の「嫉妬」と思ってた気持ちは、実は「嫉妬」じゃなかったのかも、とも思った。こういう旅行記ならば、読みたいと思う。
1999/5/14
*内容紹介(収録作品)
(「イントロダクション」)「背信の交差点(シザーズ・クロッシング)」「世界の神秘を解く男」「身投げ女のブルース」「現場から生中継」「リターン・ザ・ギフト」
*感想
雑誌に載った短編は読んでいなかったので、読むのは全て初めて。安心して読んでいました。それは、とっぴょうしもないことはないだろう、という気持ちと、とっぴょうしはないかもしれないけれど、そういう枠の中でも楽しむことができるだろうという気持ちだったんだと思います。反面、こんなふうにきちんとまとまっている短編もいいけれど、だらだらしててもいいから長編が読みたい、と思ってしまったのも、事実です。
一番好きなのは、「身投げ女のブルース」。終わり方が、好み。ああいう○○のないところが。
1999/5/19
*感想
エッセイのような、物語のような。
「私にはそんなぐあいに、書物の中身と実生活の敷居がとつぜん消え失せて相互に浸透し、紙の上で生起した出来事と平板な日常がすっと入れ替わることがしばしばある。」(p.152)
その「そんなぐあい」な話を楽しむことができる。文章上でも上記そのままの敷居のない書き方がなされ、ああ、これは本の話なのだな、と少し過ぎて気が付いたりする。知らない本の話をふっと出されても、全然嫌みがない。気取らず、淡々と描かれている出会いは、そのさりげなさゆえに、すうっとこちらの心に入り込んでしまった。
偶然すぎる出会い、符合に驚いているうち、するすると別の話を聞かせられ、再び元の話に戻ってくる、しかし、そこは終点ではなく、通過点のようなのだ。先はきっとありそうで、でも見えない。それがまたいい余韻になっていて、好き。
"おぱらばん"は、"auparavant"。この最初の「おぱらばん」の中で、著者が先生に対して、「おぱらばん」の音について伝えた言葉がいいんだよなあ。この時点で、もうこの本はいける、と確信してしまった。「床屋嫌いのパンセ」での、床屋話も好きなエピソード。
1999/5/26
ロラン・バルト 宗左近訳『表徴の帝国』ちくま文庫
1996(1974)
Roland Barthes,L'EMPIRE DES SIGNES,1970
*内容紹介(巻末の紹介より)
「日本」の風物、・慣習に感嘆しつつもそれらを<零度>に解体し、詩的素材としてエクリチュールとシーニュについての思想を展開させたエッセイ集。
*感想
日本に生まれて育った人は、ここに挙げられた事柄について、これだけ書けるだろうか。多分、一度「外側」へ出ないと書けないようが気がする。対象と距離を置いて。比べる対象がなければ「絶対」としてあるものを、他との関係において述べるということ。そこに初めてその価値もろもろが現われてくるのだと思う。
なじみの深いことがらも、あまり知らないことがらも、なんだかとてもエキゾチック。「そう思うのか」と、日本にいる人間としての感想も同時に持ったりもするけれど、ここに書かれた日本を、著者からの見た目そのままで感じた気持ちも強かった。日本がまるで初めて出会った国みたいに、妙に新鮮に思えた。
箸についてとか、空虚な中心−東京、については、かなり印象的。好きな箇所は、「沈黙の言語」の最初の一段落(pp.020-021)。
1999/5/28