1999年5月
31(月)
29日の日記、駅名が書いてないので、さっぱりわからないことになっている。JR高田馬場駅が起点です。
武田泰淳『目まいのする散歩』(中公文庫)と堀江敏幸『郊外へ』(白水社)を、ぼちぼちと。
ビビアン・スーとトニー・レオンが出てる映画、『君をみつけた25時』は、キネカ大森でやっているみたい。みたいけど、ちょっと遠いなー。
30(日)
『チャイニーズ・オデッセイ』、話がよくつかめない。あれあれ、という間に、続く、になってしまった。
のどが渇いたので、シードルを飲む。
ポスト・ペット、飼っているオカガメからのメール。↓
この世には2種類の人間しかいない、ナツメを好きな人とそうでない人です。
クッキー
29(土)
スケート場へ行く途中に、「あおい書店」というのができていた。以前は証券会社があったような気がする。早稲田通りを、早稲田大学とは反対側に歩いて左側。中をぐるりと一回り。奥行きがあり、思ったより本がある。入ってすぐから、右手に雑誌列が奥へのびる。左手には、新刊類。奥へ入ると、著者あいうえお順(男女一緒)で、ハードカバーが並び、エッセイ(ここには、女流エッセイというコーナーあり)の棚だの、評論のコーナーだの、スペースはわずかでも、一応あることはある。文庫も一通り揃っている。創元推理文庫は少ないけれど、ハヤカワ文庫はそれなりに。ノベルスも新刊は平積みにして置いてある。一番奥には、漫画もある。写真、音楽、料理の本も結構ある。雑誌はかなりあるように思える。なにより、棚と棚の間が広いので、ゆったりしていて見やすいと思った。駅からすぐ。開店時間、10:00-23:00。「サイゾー」(雑誌の、アート・カルチャーのコーナーにあったと思う。平積みされてた)買って帰ってきました。
東京にも数店舗あって、一番多いのは、愛知県。あと、神奈川、静岡、岐阜、三重、滋賀に。初めて聞く名前の本屋さんでした。
借りてきたビデオ、『陽だまりの庭で』をみた。本当のことを話してしまってたら、物語にはならなかったわけで、嘘から始まった物語というか。途中まで退屈。途中から驚く動き。でも、それほど深くはないと思う。妙にハラハラびくびくしてみていたような気がする。勧善懲悪「じゃない」のが、当たり前なのを随分みてしまったせいか。
大月隆寛『不愉快な物言い』(毎日新聞社)を読んだ。見かけのわりに硬派。
28(金)
香港映画『チャイニーズ・オデッセイ』(いわゆる孫悟空。周星馳)と仏映画『陽だまりの庭で』を借りてきた。なんとなくです。かなり。『M』は、やっぱり、ケース後ろの写真が、みればみるほどこわく、腰が引けてやめてしまった。
「私はこれでミステリにはまった」というのが何だったのか、はっきりとは思い出せなくて、とても悔しいのです。多分、父が持ってた、ルルー『黄色い部屋の謎』を中学時代に読んだのがきっかけのような気はする。とびらに「世界ベストテンの上位に選ばれる名作中の名作」なんて書かれてて、そそられたんだと思う。
で、ルールタビーユに興味持って、続編読んだり。それから、ガードナーをいくつか。クリスティもいくつか読んで、友達と貸し借りっこ。クリスティは、『葬儀を終えて』『茶色の服を着た男』が好きでした。後者は、女の子の冒険! って感じがして、特に好き。鮮明に覚えてるのは、ジャプリゾ『シンデレラの罠』を夏休みの感想文に書いたこと。ませてるよな。課題図書なかったのかなあ。なんか、ひたすら支離滅裂な感想だった記憶ある。なんで読んだかって、題名に惹かれたのが、まず。それから、私が買った時のカバーって、映画の写真を使っていて、裏表紙が白い包帯ぐるぐる巻きの図だったんだけど、それが不気味でいいなあと。「シンデレラの罠」っていう言葉と包帯ぐるぐる巻きの図! いいじゃないですか。
印象度から言って、『黄色い部屋の謎』と『シンデレラの罠』は、やっぱり強く残っているみたいです。どちらも、おフランスだー。
シャーロック・ホームズも、ルパンも、じつは読んだことありませんです。きっと面白く読めたんだろうに。
27(木)
ロラン・バルトの『表徴の帝国』(ちくま文庫)、本編は読み終わったんですが、解説が結構たっぷりしているので、それを読んでいます。
『おぱらばん』の中で言及されていた、フリッツ・ラングの『M』という映画。TSUTAYAで、ほどなく見つけることができた。やっぱり、えらくこわそう。夜にみたら特に。でも、どうせなら、休み前の真夜中にみたい。香港映画も、借りたかったのが貸し出し中。迷ったあげく、今回はパス。明日またのぞいてみよ。
何も急ぐ必要はないのだから、コーヒー豆ひいたり、ゆっくり紅茶をいれればいいじゃない。紅茶なんて、3分待つだけじゃない。でも、インスタント・コーヒーの簡単さについ負けてしまう。結局、ものぐさなのだ。
26(水)
瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』(創元ライブラリ)と「EQ」の(とりあえずの)最後の号を買った。うわあ、『夜明けの睡魔』に、ジャン=バティスト・ロッシ『不幸な出発』が載っている!
うらやましいっ。Les Mal Partis,1941. いいなあ。読みたい。
本の題名インデックスに追加する時、好きな作品が、好きな作品の間におさまると嬉しい。あ、ここの隣に来たね。おお、いい感じで並んでいるね、と思う。逆に、全然雰囲気の違うのが隣同士に並んでいたりするのも、眺めていると面白い。うわ、この隣がこれですか、とか。とはいえ、インデックス自体かなり重いと思うので、もっと軽く見られるようにしたいです。
『アニタ・ユンの恋はあせらず』。「恋はあせらず」が合っているような合ってないような。ああなると、もう恋じゃないよな、いい意味で。軽妙なラブ・コメディです。コミカルなレオン・カーフェイがいい味出してる。今まで見たアニタ・ユンの中で、一番好ましかった。
見た夢。私はどうやら不治の病にかかっているらしい。血液の病気のようだ。男の人が私をあちこちに連れていってくれる(医者探しと旅をかねてるみたい)。でも、私たちは追われている身でもあるらしい。隠れてあちこちを飛び回ったりしている。なにか、布のようなもので、頭から足まですっぽりおおって移動している。ある時、空を飛んだ。タケコプターで飛ぶみたいに、ほとんどそのまま飛んでたような記憶あり。「私は死ぬ気がしない」と宇野千代みたいなことを思いつつ、本当に死ぬことになったら、彼女(先日、若くして亡くなった知人。自分の死期を見つめ、日記をつけていた)みたいに日記をつけていこうか、と考えている。でも、そんな覚悟はできるんだろうか、と思ってもいる。ちょっと楽しいんだけど、やっぱりせつない夢でした。ちなみに、男の人の顔は覚えていないし、知らない人、という意識でした。
25(火)
堀江敏幸『おぱらばん』(青土社)が終わってしまいました。あ〜あ。この余韻・・・。
このごろは、6時に目覚ましをセットする。そして、一度その音で目を覚まし、7時にもう一度セットするのだ。ああ、あと1時間寝られる。この幸せ。
森永キュービックのいちご出ました。ちょっと甘いですが、ウェハースはおいしいねえ。
24(月)
そんなに本を好きじゃないのかもなあと思うのは、休日が終わる頃だ。休みの日に本を読むことは、あまりない。本が近くにあるにはあるけど、数冊をはべらせて、ぱらぱらっと眺める、その程度に思う。出不精のくせに、外に出かけないともったいない気がする。だらだら過ごすのに憧れているくせに、外に出ないと堕落した気分になる。その一日を後悔する。本を読まなくても、生きていけると思う。今は本に目が向いているだけのような気がする。
『おぱらばん』は、ひたすらいいなあ。引き続き、電車の中で読んでいる。
本日のスマスマ、ビストロSMAPでは、「嫌いな納豆を使った料理」。納豆は、多分一生食べられないままです。
23(日)
散歩していたら、マンホールが気になってしまった。「おすい」と「うすい」がある。「うすい」ってなに。下を見ながら答えを探す。正解は、「雨水」でした。一度マンホールが気になると、目につく目につく。なんでこんな離れてないところに、点在しているんだろう。
若松賤子訳(ここが重要なのですよ!)『小公子』(岩波文庫)は、93年か94年の「リクエスト復刊」で、一度出たんですね。なんでわかったかって、今日、古本屋さんでそれを見たからですよ。うわーん。長与善郎『青銅の基督』や佐々木丸美『雪の断章』(講談社文庫、背表紙がオレンジ色だった。私の持ってるのはピンクなのです)もあった。でも買わず。私以外の人に見つけられて、読まれて下さい。でも、もしかしたら『雪の断章』から入ると、止まってしまうかもしれません。『崖の館』のほうが、まだクセがないのかも。
『雪の断章』は、大抵安く売られている。ハードカバーでも、100円だったりする。そりゃないだろうとかわいそうに思って、つい買ってしまったこともある。
結局、佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』(新潮文庫)と鷹見緋沙子を4冊(『わが師はサタン』『最優秀犯罪賞』『悪女志願』『死体は二度消えた』)買いました。
22(土)
午前中、地震を感じる。地震・かみなり・火事・おやじ。地震が一番怖い。小さい頃は、かみなりが鳴るとおへそ隠してたなー。
堀江敏幸『おぱらばん』(青土社)を読み始めた。おお、いい感じではないですか!
21(金)
『ヴェーユ』を読み終わる。著者もあとがきで書いていたけれど、やはり直接その人が書いたものに当たるほうがいいような気もする。笠井潔の『サマー・アポカリプス』を読む前にいかが。
香港映画、2つ借りてくる。『男たちの挽歌 最終章』と『アニタ・ユンの恋はあせらず』。前者をみた。容赦なさすぎ、救いなさすぎ。そりゃないぜ、ジョン・ウー! 殺され方とすれ違い方みれば、そう思わないはずないよ〜。シドニー死ぬ時には、ぼろっと涙。こういう話は、息が詰まって眉間にしわが寄る。勧善懲悪じゃない話って、映像でみるとつらい時あるなあ。
20(木)
無人島に何か1つだけ持っていっていいのなら、何を持っていくか。使い古された質問。本1冊とCD1枚だったら、どっちにするかなあと考えてみた。さて、どこか異なる部分はないか。
本。発信:書く→受信:よむ。「書く」ことをする。文章を、そのまま写して書いてみる→A
音楽。発信:歌う→受信;きく。「歌う」ことをする(うたを作るのは、”ここ”にあらわれてないので、のぞいとく)。自分で、その歌を歌ってみる。→B
A。もう一度、自分でそれ(A)を読んでも、なぞる前の、本そのものと同じもの(書いたもの)が、そこにある。ただし、読まれない限りにおいて。
B。自分でその歌を歌うと、オリジナル歌手が歌ったのと違うものがあらわれてくる。同じ曲をなぞっているのに、表現する人が違うと、あらわれてくるものも違う。
書かれたものは、そのままなぞれるのに(文章の丸写し)、歌はそのままなぞれない。書かれたものは、読まれないと始まらない。声は、発せられた時にすでに始まっている。文字と声。書かれた言葉と発言された言葉。表現のありか。
おぼえがきなので、つつかないでー。でもやっぱり、人間を連れていきたいですね(昔、それは反則だと言われたね>丸さん)。
一時帰国の友達とごはん。「たこが食べたい」と彼女は言う。なるほど。お酒をあまり飲まない人なので、私もごくごく控えめに。うむ、よきかな。会計時、お店の人にオレンジをもらった。
もし煙草を吸うなら、かっこよく吸いたい。銅版画家の山本容子さんは、父親の目の前で煙草を吸ったら、みっともない吸い方はするな、と教えを受けたとか。煙草はけむそうなので、吸いたいと思ったことはありません。強いお酒を試してみたいと思うことはあります。ぶったおれるまで、前後不覚になるまで、飲んでみたいと思うこともあります。限界がわからないので。たぶん、だらだら飲めるタイプ。
19(水)
バアネット著 若松賤子訳の『小公子』(岩波文庫)が、新刊(復刊?)として並んでいるのを見てしまいました。うっわー、ショック。理由は、14日の日記を見よ。待っていれば良かったんだー。きれいだし、安かったし。しかし、なんてタイミングの悪い。出るなんて、全然知らなかったよー。うわんうわん。
武田泰淳『目まいのする散歩』(中公文庫)と、ロラン・バルト『表徴の帝国』(ちくま文庫)を買いました。
法月綸太郎『法月綸太郎の新冒険』(講談社ノベルス)を読み終わり、冨原眞弓『人と思想#107 ヴェーユ』(清水書院)を読んでるとこです。図書館で座ったら目の前にあって(不思議とお思いでしょうが、うまく説明できないので、省く)、なんとなく。
昨日の夜は、10時から『男たちの挽歌V』をみていたら、あんまり話がつかめないまま終わってしまった。時任三郎が出てた。セリフは吹き替えだ。アニタ・ムイ、色っぽいぜ〜。レオン・カーフェイ、めがねぼろぼろ。かっこいいのに、ただのあんちゃんになってるなあ、でも、それがすごい。チョウ・ユンファのみどころが、あまりなかったような。
18(火)
予定どおり、『ライフ・イズ・ビューティフル』をみにいった。シネスイッチ銀座まで。朝イチ10:25の1時間あとに、3階(だっけ)でも上映している。20分前に着いた時には、すでに開場していた。15分前頃には、そろそろ埋まってきている。客層は、奥様グループがわりに多い?
平日でこんなに混むんだあ。
んーと。どこかピンと来なかった映画だった、ってのが正直な気持ち。どこがどうとは説明できないのだけど。「どうだった?」と聞かれたら「そうだねえ、なかなか良かったよー」で終わってしまい、絶賛まではしないかも、というくらいの。つつけば弱点が出てきそうだからかも。でも、「おとぎばなし」とわかっててあれこれ言うのは、ヤボになってしまうのもわかってるし・・・。
周囲からは、随所で笑い声、そして、後半からすすり泣きも結構聞こえてきました。私が好きだったシーンは、ドーラがテーブルの下にもぐりこんでグイドに近づくところ(なぜかここでじんとして涙ぐんでしまった)。で、彼女が彼に「・・・」って言ったのを受けて、彼が馬に乗って登場したところに、彼女が”テーブルの上に乗って”(これだよっ! って感じ)彼のところにいくとこ。なんか、本筋じゃないところ。
ピンと来なかった気持ちを横に置いて、素直に感想を書いてみたらこんな感じになりました。
映画を前半と後半に分けるとするならば、前半でのグイドの様子から、後半での振る舞いも納得がいく。ただし、行動は同じでも、前半と後半ではあまりにも環境が違う。それに、意図していることも、もっと切実。だから、前半では気軽に笑っていたけれど、後半に入ると笑える気持ちじゃなかった。死がすぐそこにある環境で、(彼自身)生きるため、(大切な人を)守るための方法。その為の振る舞いのように思えたから。私にはとても笑えないところで笑い声が聞こえたりすると、「この映画はたった一人でみたいなあ」*と思ってしまった(でも、つくった側は笑って欲しかったのかなあ)。真実を語ることは、必ずしも人を幸せにしないと思ってる。ただし、嘘をつくことが正しいかもわからない。それに対する答えはない。あるいは、すぐには出ないと思う。今回の場合は、彼の「嘘」が、ただの嘘でなくなってしまったように思った。ジョズエが語るように「おくりもの」になったのだと。ついに嘘を貫きとおしてしまったグイドに、すごいとしか言いようのない気持ちを抱いたのは、確か。
「嘘」につける、うまい形容詞がみつかんないのよ。「嘘」ていう言い方も、なんかちょっとずれがあるような感じする、自分で。しっかし、イタリア語の勝利だなあ、この映画。
* もし誰かと一緒に行って、私が「ここで笑えるの?」ってところで笑っているのを見てしまったら、かなしい気分になりそうだから。
「プランタン銀座」でプレゼントを買う。「ガトー・ド・パリ・ルショワ和光」で、モッツォレラチーズケーキを買う。私の前に買っているおば(あ)さん、5,000円分のお菓子を包んでもらっている間、ショーケースの中を眺めていたと思ったら、「このナポレオン〜もくださる?」とお買い上げになってしまった。それ、3,000円。自宅用。ふわ〜、お菓子に8,000円ですか。1日で。世界が違うぅ。
明日のお豆腐、諸事情により6月に延期〜。
17(月)
昨日の3時間の”夜寝”がたたって、寝付けず。「眠れないで困っている夢」「家族が出てきてあまり気持ちの良くない夢(なにか事件に巻き込まれたような)」を見ている途中、いきなりハト登場。声もリアルだなーと思っていたら目が覚めた。本当に、鳴いている。朝6時前。ホウホウ。グルグルー。の繰り返し。たまらず起きて、窓の外を見る。近頃見ないと思っていたのに。
そういえば、この間は向かいの建物の屋根に、ホホミとホホタロウらしき2羽が、並んでひなたぼっこをしていた。格好が、まるで「たれぱんだ」で、べたっとしていた。いやだなあ、いつも一緒で。そのうち子供ができて、3羽で「おかげさまで生まれました」なんつって、挨拶にでもやって来るんじゃないかとひやひやしてんだけど。
そういえば、篠田真由美『この貧しき地上にV』(講談社X文庫)は、読み終わったんでした。ひたすら濃い描写の割には、話はあっさり片付いたかな、という印象。劇的な対決をちょっと期待してたんだけども。なにが一番激しかったかって、やっぱり肉体的描写でしょう。
おりたたみ自転車、いいですねえ。
16(日)
お昼食べてたところに、電話。ちょっともぐもぐしながら出たら、妹からで「ごめん、茜(姪)が電話したがってるから何か言ってやってー」と。へーい。「もしもしー、あかねー、おはようー」とか「ごはん食べたのー」と問い掛けてみたら、「おばちゃ」とか「おはよ」とか、ふにふにした声が返ってきた。小さい子って電話好きだねえ。
午後から散歩。うー、でも、またなんとなく頭痛注意報。これは来るな、と思ってたら帰途にはしっかり発生してました。帰って薬飲んで、パタッと寝ました。3時間くらい横になって、少し食べたら随分良くなりました。ほんとに持病だなあ。
原田知世『クローバー』を買ってしまった。300円引いてたから。トーレ・ヨハンソン担当分と鈴木慶一担当分との、あまりにわかりすぎる違いが面白い。鈴木慶一担当のを聴いていて、「もっとシンプルな編曲にすればいいのに」って思ってそろそろ飽きてきたところに、するっと雰囲気かえたのが次に来てたりする(同じ鈴木担当なんだけど)。「消せない大文字 I LOVE YOU」の歌詞が気に入ったので、どんな曲になっているのか楽しみだった。もっとしんみりしたのを期待していた。でも、これくらいのことを本気で言えるんだったら、そうだなあ、あれくらいじゃないといけないんだろうな、とも感じたり。(作詞:鈴木慶一「消せない大文字 I LOVE YOU」(原田知世『クローバー』 FLCF-3637,1996) (→ この曲の全体の歌詞)
もし 私が ひとり 暮らすのなら
としを 重ねるのも 悲しくない
好きでいられる
幸せでいる
何も 求めず
胸に I LOVE YOU
15(土)
アメリカにいるはずのA・Yから電話。ところが、日本に帰ってきてるんだという。で、来週会う約束。もう一人、豆腐料理食べに来週会う。私にしては、めずらしきかな。
用事が入ったので、スケートを休むことにする。いつも1時から始まる。スケート場に電話して、先生にことづけてもらおうと思ってたのを、すっかり忘れてた。気付いたときには1時半。すっぽかしてしまった。先生ごめん。
夕方、雨に降られる。傘は持ってない。歩いていると、しっかりぬれるくらい降っている。ここまで降っていると、走っても意味がないので、普通に歩いて帰ることにする。顔にも雨が当たって、ちょっとむずむずする。うまい具合に目尻近くに雨が落ちると、泣いているみたいで面白いと思った。
夜、姪と久しぶりに会う。私が持ってた本を、許可を得てさかさま向けて”読み”、隣に座れと言う。今ごはん食べてんの。って言っても、聞かぬふり。ヒアリングはOKなくせにな。しかしもう、完璧に「おばちゃ」でおぼえられてしまった。「おねえちゃん」と呼びなっ! って言っても、そう簡単に直せまい。まいまい。もう少し大きくなってから訂正させよう。
ジンクスさん(つれづれぐるぐる雑記)の5/15の週記にぎゃあっ。もぞもぞしながら読みました。注射はいやなんですが、それは針をさす場所によるんです。上腕部なら、別にいい。でも、貧血検査とかって、ひじの内側じゃないですか、点滴もだけど。あれが、もう本当にだめ。「すみません。腕がのびなくて」と、口に出して言ってしまいます。少しは気分が楽になるから〜。点滴は過去に1度だけ。もう、その部分を想像しただけで貧血になりそうで、気を紛らわせるのが、なんて難しかったことか! 動けないし、あと何分何分って考えてばかりいた。でも、点滴終わると、とたんに、と言っていいほど回復してきたんで、効き目はすごい、と思いました。何はともあれ、ジンクスさん、お大事に。
14(金)
昨日の話題、松本楽志さん(ぱらでぁす・かふぇ)とこの日記の続き〜。私が『もてない男』にむかっ腹立ててることからの連想だそうです。「松本さんの日記の話題→”もてない男”→なつめ」という図式。
本当言うとですね、あのちゅーりっぷ話(反省はしている)で「なんてふてぇやろうだ」って思われて、それへの攻撃かと思った(笑)
でも、「そうです」なんて返事されたらどうしようかと思うと、さすがにこわくて聞けませんでした。なら、あんな話書くなよって。他にもあるんですけどね。
ふるほん文庫やさんで、バアネット著 若松賤子譯の『小公子』(岩波文庫)を買ってしまいました。もう手元にあります。旧かなづかいがたまらない。いや、それだけじゃなくて、言葉遣いそのものに、風情があるよ。
三島由紀夫賞と、山本周五郎賞、発表。
武田百合子『犬が星見た』(中公文庫)は終わりました。で、夫の武田泰淳の短編を読んでみたら、これがかなり面白くって、おお〜、とうなってます。読んだのは、「女賊の哲学」「もの喰う女」(ちくま日本文学全集#042『武田泰淳』(ちくま文庫)より)。「ひかりごけ」を書いた人だったんですね。二人の書いたものを合わせて読んでみたら、かなり面白そう。
髪を切って、再びやんちゃボウズになった。
13(木)
あっという間に木曜日。TBS-TVのドラマ『魔女の条件』は、先週時点で「あんまり面白くなくなってきたなあ」と感じてしまった。先週のその夜は、「どうしてつまらないと思ったんだろう?」を言葉で説明しようと布団にはいってから考えていたら、すーっと眠れてしまった。とはいえ、きょうもみたんだった。
ええっ、ちょっと待ってください〜。松本楽志さん(ぱらでぁす・かふぇ)とこの5/12の日記。なんでか名前が。読み終えて、「へ? わからないっ」。読み返しても、やっぱりわからない。ど、どうして、私の名前が出てくるのだろう・・・。ちょっと思い当たるのは、ちゅーりっぷをくれた人に八つ当たりするの図。しかし、自分だけわからなくって、読んでいる人たちはわかってるのかもしれないと思うと、ものすごくこわくなってきた。どう反応すればいいのだろ? ただあの話題に素直に、ですか? いやぁ・・・。
五條瑛『プラチナ・ビーズ』(集英社)。友達が貸してくれるって言ってくれたんけど、ふっと買ってしまったよ。今でも時々出入りしてるPC-VAN jBOOKS#3-4でRさんが絶賛していたのです。もしかして、上田さん(YES EYE SEEK)が前に(4/29の日記でした)誰だろう? とおっしゃってたのは、この五條瑛さんでは?
武田百合子『犬が星見た』(中公文庫)が、もう少しで終わる。篠田真由美『この貧しき地上にV』(講談社X文庫)、おお、やっぱり「ジュスティーヌ」とか言ってるしー。ひゃあ。しかし読んでいる。
12(水)
実際、「何々を、みて/きいて/読んで/泣いた」と書くのには、いまだ抵抗がある。それが、「笑った」ならば、なにも抵抗がないのに。
泣いたという原因として、「感動して」というのが含まれることも多い。「私はこんなに感激屋さんなのよ」みたいじゃない、あまり泣いてばかりいると。確かに実際泣いてるんだから、しょうがない。泣くんだって、感情の表現の、ただの一つにすぎないんだし。そうだ、そう思っていればいいのだ、と思って書いてはいる。
自分の実体験を通じて泣く、ってことが殆どない。失恋しても泣いたことない。ただ、奈落の底に落ちる感じはしたな。失恋は、かなしいよね、くやしいというより。でも、かなしく泣いた記憶なんて、引越ししてさみしくて、お葬式で、旅先での数時間の出会い後の別れが悲しくて、こんなくらいしか思い出せない。失恋のほうが、もっと自分に近くて切実な気がするというのに。ものすごい好きな人に対してもそうだったから、「そんなに好きじゃなかったからだ」っていう意見は、認めません。
自分の体験じゃなく、他人の体験で泣く、それも、本で読んでとか、物語を聞いて、じゃなく。TVで、ある人の姿を実際見ていると、とか、映画をみて、とか。映像的なものに弱いのかなあ。
自分のことで自然と涙が出るのは、ものすごく怒った時かもしれない。喋りながら泣く。しかし、喋るに至るまでは、長いことひたすら黙っている。口をきかない。ひどく頭に来ると、頭の中が真っ白になって、見事に何も考えられなくなる。あれは不思議。そこが怒りの頂点。で、少し落ち着いてくると、だんだん話し出すようになって、それがまたヒートアップしてくると、だー、と涙が出る、と。くやしいと涙が出るんだなあ、と思う。
というわけで、全然説明になっていませんが、私は感激屋さんではありません。なので、これからも臆面もなく、泣いた事実には泣いたと書くことにします。
少し前に、『ニュー・シネマ・パラダイス』の映画を「理解不能」というのをweb上で読んで、なんとも言えない気持ちになった。あれのラストで馬鹿みたいに泣けてしまい、でも、その理由がわからない、という混乱した気持ちを味わった。あの時は、祖父の死に顔みたときと同じくらい、だらだら涙がこぼれた。原因としての気持ちは異なるものの、自分で制御できない涙ってのがあるんだな、と思った。でも、あの気持ちはもちろん「理解不能」とは対極にある、と思ったので。なんかねー、「理解不能」が理解不能だったっていうのかなー。えーい、まとまらん。お酒のせいにして寝る。
11(火)
家に帰ると、宅配便の不在通知が入っていた。電話して、届けてもらえるようにお願いしないと、と思って紙を見たら、24時間自動音声で、配達時間の連絡を受けているようだ。電話をしてから、自分の電話番号、紙に書いてある数字、配達日時を電話の数字で伝える。それでおわり。夜遅くにしか帰れない人にとっては特に便利だろうな。今までは、管轄の営業所にかける形だったのです。それは8時くらいで終わってしまうので、もし8時過ぎに家に着くと、翌日外から電話したりしないといけなかったから。
花束を注文する。一度ここで頼んでみたかったってところに意気込んで行ったら、配達はしていなかった。別のところに行って、予算と希望を伝えるが、現実的に言って予算優先なので、希望はあきらめることにした。白いミニバラだけで、花束を作りたかったんです。しかし、バラはバラ、やっぱり高かった。
ちゅーりっぷは、暖かいとすぐに開いてしまう。もらったちゅーりっぷが開いてゆくのが頭に来て、くれた本人に八つ当たりしたことある。なんて理不尽かつわがままな。
あ、私がちょっと前にみた『ゴジラ』は、ほんとに一番最初の『ゴジラ』です。モノクロの。
法月綸太郎『法月綸太郎の新冒険』(講談社ノベルス)が出たんですね。買いました。うれしーっ。森博嗣と有栖川有栖の新しいのも出てました。
10(月)
昨日書いた日記の前半、少し文章を直したんですが、そのあとupするのを忘れてたようです。
殺人的混み具合の電車の中で、ちゃんと本を読んでいる人が、たまにいる。「なんであっちには、本読むスペースが確保されてんのに、私は腕の一つも満足に動かせないんだよー、不公平」「しかし、こんなに混んでて頭に入るのかな」「よっぽど面白いのかな」(でも、今日見たやつは、ビジネス書みたいだったなー)「そんなに読みたいなら、次の駅で降りてベンチで座って読んでれば?」「じゃなかったら、早起きするとか」「徹夜してもいいし」「きっと、何事にも我慢できない人なんだな」(偏見、しかし、そう思いたくもなるんだよー)・・・などなど、思うことは多々ある。しかし、根底にあるのは、「バカヤロー、じゃまなんだよー、私の肩は文机じゃないんだよっ」、これです。
電車から受けるストレスは、絶対あるよなあ、と空いた下り電車を眺めながら思う。
小谷野敦『もてない男』が、TBS-TV、8日の『王様のブランチ』で紹介されたようです。9日までの1週間の、紀伊國屋新宿本店の新書ベスト10に入って"しまい"ました。『王様のブランチ』をみている人って多いんだなー。どんな紹介されたんだろう。おすすめだから紹介したんだろうなあ、やっぱり・・・。
「集合」は、寝る前に。「示せ」とか言われてます。なんていうか、無限の中の0と1、0と1の中の無限って印象(こんなこと書いていると、ちゃんと勉強した人に笑われそうだ)。やっぱり考える力とか記憶の力は衰えるもんだと実感してる。「あれ、これどういう意味だっけ?」って、前のほうを見る回数、おびただしいことこの上なし。
9(日)
夜中3時頃まで『英雄本色U』(男たちの挽歌U)をみていた。至近距離(ものすごく)からの、撃ち合い。バンバン撃ち合ったあとの、片方が取った驚きの行動に、相手も同じことをして応えている。考えもしなかったけど、不思議はない、のかもしれない。相手の動きと気持ちを読み取ってる、って意味では、ああいう極限状態で気持ちは通じちゃってるのかも、と。
起きる直前まで夢をみていたみたいです。そういう状態でいきなりパッと目が覚めると、大抵疲れている。覚えているのは、こんな感じのこと。TVに出演することになってる。番組自体は12:00から始まるんだけど、私の出演はどうやら12:30から。でも何をやるのか、わからない。気付いたらTV局だったみたいで、そのままの格好をしていたため、メイクを変えられることになる。でも、口紅だけ塗ってくれない。メイクさんと新宿の伊勢丹近くの大通りにいて、時計をみると12:15。彼女が何かを探しているようで、あちこち付き合わされている。もう時間がない、と思ってメイクさんに「何を探しているんですか」とたずねると、「いちごを食べる時の器」と言われる。私の頭の中には、ガラス製の器のイメージがパッと浮かぶ。「それなら、デパートで聞いたほうが早いですよ」って答えて、「口紅は何色がいいと思いますか」と聞いてみたら、マスタード色がいいと言われてしまう。彼女は伊勢丹へ向かって走ってってしまうし、私はTV局へ戻らないといけない。もう口紅は間に合わないかも、と思う。TV局に着いても、何階だったか覚えてなくて、とりあえず3階で降りる。歩き回ってみても、スタジ オがどこにもない。警備室があったので、聞こうと思ったら、壁に、スタジオ名みたいなのがずらっと書いてある。手元になぜか持っているメモを見ると、「(カタカナ名でスタジオの名前? 失念)」が書いてあって、それはどうやら4階。・・・というところで、目が覚めた。
8(土)
Tiotさん(I/O Exceptions)の日記に反応。Aさんとは同じ会社にいるとする。そのとき、「Aのうちの者ですが、A、おりますでしょうか?」っていう電話があった場合。こういう場合、私は、「いえ、ただいま外出されてまして、5時頃お戻りになりますが」って答えます。取引先の人からの電話を受けた時には、その人との関係は、「その会社」対「自分の会社」っていうふうに思います。個人対個人ではなく。でも、相手がAさんの身内であったら、個人対個人にならないかな。会社組織は関係ないのだから、Aさん、身内、私の中だったら、私が一番低くなるべきでしょう。そしたら、Aさんのことを伝えるときには、高める言葉を使うかな、と。
むー、あまり考えたことなかったけど、少なくとも私の周りでは、謙譲語を使ってるのを聞いたことはないなあ。
「うちの親が亡くなったんです」も聞かないですね。なんか、ちょっと変な感じしますね。でも、例えば義理の父母にだったらどう使うかな、と考えると、ちょっと難しい。
奥泉光のミステリー・ツアー2@渋谷ジァン・ジァン、に行ってきました。朗読にちょっと趣向を凝らしたもの。『「我が輩は猫である」殺人事件』(自作)、「リアの三姉妹」(彼の書いた戯曲)、『それから』(夏目漱石)、『グランド・ミステリー』(自作)から、それぞれ切り取って朗読。セリフ部分は、東京シェークスピア・カンパニーの男性女性(一人ずつ)が担当します。セリフを読んでいるときの役者さんたちの表情もわかるので、寸劇みたい。「リアの三姉妹」が傑作。地獄に落ちたゴネリルとリーガンの様子。これ、全部通しでみてみたかったな。『それから』『グランド・ミステリー』は、それぞれ、三千代・静子をいわば「魔女」として読む、といった趣向。静子はともかく、三千代=魔女説は、刺激的でした。
三千代の生活環境の謎。物語前半は、ほとんど描写はないのに、後半になって代助がいろいろ思い出す、っていうのはどうして。住んでいるところの描写が一個所だけ出てくるんだけど、それが死のイメージらしい。代助、昼寝のあと、のどもとに蟻。蟻は死体に近づく。目覚める前、彼はいったん死んでいたのでは。すずらんの清楚な香りと、百合のむせるような香りの対比。三千代がすずらんのいけてあった水を飲んだシーンの前後。その器は、代助の顔近くにあったのだから、三千代は彼の顔の近くに自分の顔を寄せたはずだ。その後、代助は、百合が嫌いだったはずなのに、どうして、百合を買い込んだのか。・・・などなど、私の中にあった三千代像みたいなのが、ガラッと変わってしまったよ。その時の、三千代のセリフを読んでいる女優さんの顔がまた、魔女かも、って思わせるような感じだから、なおさら。うまい。
年齢層は、結構高め? 比率は、男女同じくらいかなあ。
カンボジア料理をもりもり食べて帰ってきた。
7(金)
あ、南部さん(Don
Nambu's HP)もですか。
『英雄本色U』(男たちの挽歌U)を借りてきた。いつか私、日本の任侠映画みるようになっちゃうんかしら。
明日は、友達と久しぶりに渋谷へ行きます。何しに行ったかは、明日報告します。疲れてなければ。
5日の日記、追加と訂正。古い本をひっぱり出してみた。おかみさんは、セーラが拾ったお金では4つしか買えないところを2つおまけしてくれました。セーラは全部のパンをあげたんじゃなくて、1つだけ残してました。
いまさら、ですが、原田知世の『クローバー』が、今、とてつもなく欲しくなってて、困っている。たかだか\3000くらいのもの。そうなんだけどね、そうなんだけどね。買ったらそれで安心して、案外聴かないときが多いです。そして時々、思い出したように聴く。それはそれで、贅沢でいいけど。私の「ヘビロ」は、原田知世の 『Flowers』。気が向いたので、がさがさCD出して眺めていたら、ドリカムの『ドリームズ・カム・トゥルー』っていうのが出てきた。これ、1枚目? 昔、ジャケ買い。でも、2回くらいしか聴いてないなあ、多分。ファンに怒られそう。今井麻起子『CIAO!』。サイン入り。やっぱり昔、FM東京聴いてたら、プレゼントしまーすって言ってて、ハガキ書いたら当たった。でも、誰の番組だったんだろ。松任谷正隆プロデュースでデビュー。今現在何してるのか気になって、webで軽く検索してみたけど、全然つかめなかった。
6(木)
不規則な生活のつけか、3時くらいまで寝付けず。地獄をみた。
ブラジルからハガキが届く。フランス人と結婚したHから。25時間の長旅。彼のご両親の家に行っているという。”正しく”3食昼寝付きの生活みたいだ。いいな、遠いところ。成田空港着いて、聞こえるアナウンスがいいんだよね。「ポンポンポンポーン」。飛行機嫌いは、逆に、それがいやみたい。国内だったら、チェックインして乗るまでに考えてるひまがないから、まだいいんだけど、海外だとチェックインしてからも待つ時間の間にいろいろ考えてしまって、こわいんだって。
冷や汗かくくらいだっていうのは、相当だと思う。でも、もし、フリーフォールやれとか、バンジージャンプやれって言われたら、冷や汗かくかも。うーん、想像しただけでこわい。・・・っていう気持ちなのかもな。
5(水)
はい、ご多分にもれず、遊んでみました。「恋愛ゲームZERO」の中の、恋愛能力テスト。でも、はやってるなんて知らなかった。世界狭いのね、私。結果はこれ。私に関しては、絶対当たってないと思うなあ。特に自分のタイプ見たときには、目が点でした、まじで。遊びならでは。うむー、人のを見てるほうが面白いかも。
気付いたら夜中の2時まわってて、なにか映画らしきものが始まってる。なんだろ、と画面眺めてたら、「セーラ」とか「ミンチン先生」なんていう言葉が出てきて、番組表見たら、『リトル・プリンセス』。そ、小公女です。終わる時間が4:12。朝の。でも、この話好きなので、腰を据えてみることにしました。小さい頃読んだ本の内容と、ちょっと違っているところがあって、読んだ本がリライトされてたのか、映画が演出されてたのか。
私が好きだった、本でのシーン。セーラがパン屋さんの前で、お金を拾う。ああいう性格ですから、パン屋のおかみさんに、「落ちてました」と届けるんですね。すると、パン屋のおかみさんは、「使ってしまいなさい」みたいなことを言って、結局、セーラも空腹だったんでそのお金で買えるだけのパンを買うことに。おかみさんは、いくつか余分にパンを入れてくれたりする。ところが、パン屋さんを出ると、飢えた感じの女の子がいて、セーラは、パンの一つをその女の子にあげちゃう。その子が、むさぼるようにパンを食べるんで、次々にパンをあげてしまったら、結局ゼロになっちゃった、っていう。でも、最後にこの、ちょっとした伏線が効いてくんのね。
それはいいとして、映画は、ようござんした。ざまみろミンチンってところだね。
6時くらいから寝て、起きたら天気がいいので出かけることにした。有明へ。台場とか、有明って、大金を使いなれない/持ちなれない人が、いきなり大金与えられて使ったらこうなりました、って感じがして、あまり好きじゃない(私感)。でも、有明のほうはともかく、台場のほうって、すごい混んでる。人気なんだな、と思う。世界最大の観覧車が良く見えて、フリーフォールみたいのが隣に2つ見える。ちなみにお値段は、観覧車\900、フリーフォール2種類、@\800でございます。遠くから見る限りでも、観覧車にはかなりな行列。2時間待ちくらいだったのかもしれないなあ。というわけで、乗っていません。「相乗り」はしてなかったみたいだなあ。
いや、昔、横浜のみなとみらいの観覧車(今、場所を移動したんだっけ?)、混雑のため相乗りになっちゃってねー、つらいです、見知らぬカップルと無言の15分って。でも、相乗りと知ってて、列から離れる人たちもいないんだもん。まるで、「観覧車に乗るのは、純粋に観覧車に乗りたいからだ」って言いたいみたいに。でも、親しくもない他人と乗る観覧車ほど、意味のないものもないなあ、と感じたんでした。粋ではない。
4(火)
ふとんに入ってから、工事現場の親方について考えていたら、眠れなくなってしまった。時計を見たら午前3時。今、隣の駅で建設工事をしているのが電車から良く見えるんだけど、働いている人たちを見ながら、親方って、ビルの建て方を知ってるのかなあ。何をどうすればいい、ということを。セメントのねりかたとか、柱のたてかたとか・・・(?)。設計図さえあれば、建物を作れるのかどうかがすごく気になってしまった。物理的に一人で作業できない、っていうものがなかったら、ビルを建てるノウハウを知ってるのかな、ということ。
でも、その工事現場を会社になぞらえて、親方を社長や部長にでも置き換えてみれば、なんか見えてきたりもする。それで納得して寝た。
天気悪いけど出かけることにした。生チョコレートを求めて銀座まで。でも、結局買わず。ここからなら上野まで行くかー、と思い立ち上野まで(Tiotさんの日記で、フェルメールの絵が東京都美術館で展示してるってあったので)。でも、上野公園の中歩いていたら疲れてしまうし、ピカソ展の行列待ち見てたらもっと気力が萎えてきた(1時間とか言ってた)。結局、東京都美術館に着いてチケット売り場のところまで来ながら、「やっぱりやめた」と帰ってきてしまった。またの機会に。それでも、ああー、銀座と上野まで何しに来たんだーと、むなしくなってくる。これじゃ、家に帰っても、手ぶらじゃん。張り合いがない。
それで、新茶を買うことにして、ついでにコーヒー豆買った。お茶してから、植物の液体肥料買って、トランプとチップも買った。ポーカーのためです。凝り性。最後にポストカード。
3(月)
昨日、真夜中に、ビデオ『英雄本色』(男たちの挽歌)をみました。レスリー・チャンが若い。今のほうが、こなれてていい感じ。でも、役柄にはぴったり。チョウ・ユンファは、おいしすぎ。植木鉢の中の拳銃。二刀拳銃が似合う似合う。でも、ティ・ロンの、かなしげ〜な表情がなくちゃあ、それも映えないのだ。良い人は黒くて、悪い人は白い。白がこれほど邪悪にみえるってのも、なんつーか・・・。
みおわったら、目が冴えてしまったので、小針アキ宏『すべての人に数学を』(日本評論社)を読んでたら、ちゃんと眠くなってきた。志賀浩二『集合への30講』(朝倉書店)で、再挑戦します。ほとんど意地。
昼寝をしたら、ふとんに体力を吸い込まれてしまった。不毛な贅沢。
2(日)
同じく、早くも疲れている。あーあ。時間がたくさんあればあるほど、使い方が下手になる。忙しい時ほど、悩む間もなく次の行動に移れて、結果的にはいろいろはかどってる。
だらっと起きて、てくてく散歩。久しぶりにコンタックスTをお供にしたのに、何も撮らずに帰ってきた。ふん、結局ただのポーズなんだよな。バッグに入れてたから、ポーズもなにもないもんだけど。図書館経由、久しぶりに寄ったケーキ屋さん経由。
ビデオ『ゴッド・ギャンブラー リターンズ』。なんだー、チャウ・シンチーが出たの、最初と最後の合わせて2分くらいじゃない。がっくり。
天藤真『鈍い球音』(創元推理文庫)、最後まで目を通したけど、どうにも、とても「本を読んだ」とは思えない、自分で。
鈴木清剛『ロックンロールミシン』(河出書房新社)を、ふっと読み始めたら、さくっと終わってしまいました。情熱淡々適度なかわし、って感じ。それほどの盛り上がりは期待してなかったはずなのに、終わってみれば、「あ、期待してたんだな、私」と気付いてしまうような。これがいまふう、なのかもな、と思いました。
高野文子『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』(マガジンハウス)は、キュートな冒険話でした。かっわいい〜。デパートとオムライス、そして冒険!
塔島ひろみ『鈴木の人』(洋泉社)、赤瀬川原平『目利きのヒミツ』(岩波書店)、赤坂真理『ヴァニーユ』(新潮社)、堀江敏幸『おぱらばん』(青土社)、東浩紀『存在論的、郵便的--ジャック・デリダについて』(新潮社)。・・・そのうち読みます。
1(土)
夢をみた。戦いのリーダーみたいな人が、戦闘開始ってときに、自分の首を取る。すると、不死身の首が出てくるのだ。私は、戦いに巻き込まれて、敵側につかまってしまった。殺されないだろう、という確信がありつつ、死んで生き返ってしまったらちゃんと殺してもらわないといけないなーと思ってる。で、やっと助けに来てくれるんだけど、人質の検分とかいって、リーダーではなくて赤い服着た人が来る。そのイメージが『BASARA』の浅葱なんだね〜。そして救出してくれました。夢からさめると、そのイメージが藤原竜也になってる。
なんか、『屍鬼』と『BASARA』と、とんがりコーンのCMが藤原竜也になった、っていう影響が濃いみたい。
少し前に上田さん(YES EYE SEEK)から教えてもらって初めて知ったのが、映画『恋におちたシェイクスピア』は、自作『慈悲のこころ』の剽窃だいう訴えを、フェイ・ケラーマンが起こしているっていう話。東京創元社のページでもちょっと触れられていました。詳細は、次回更新時とのこと。この映画がみたいかっていうと、あまり興味はなくて、『ライフ・イズ・ビューティフル』のほうがみてみたい。東京では、シネスイッチ銀座などでやっているようです。18日、会社の創業記念日で休みなんで、朝一で行ってみてこようかと考え中です。