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1999年6月の感想

ちょこっとした感想を「日記のフリ」のほうに書くこともあるので、そちらもどうぞ

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目まいのする散歩(武田泰淳) (6/3)
パトル・ロワイアル(高見広春) (6/5)
カラフル(森絵都) (6/10)
ダイナマイト円舞曲(小泉喜美子) (6/22)
鈴木の人(塔島ひろみ) (6/23)

武田泰淳『目まいのする散歩』中公文庫 1978

*感想
雑記が8つ。すべて「〜〜散歩」と、散歩がつく。「目まいのする散歩」を、なんてすてきな響きなんだ! と思って読んでみた。めくるめくのか? なんのことはない、本当に身体的な目まいなのです。でも、「目まいのする散歩」って、すごくしゃれたネーミングだなあ、と思う。

内容も、散歩っぽい。一つについて、系統立ててきちん、と述べられているのではない。道を歩いて、あ、あの建物はなに、この花はなに、風が気持ちいいなあ、のどが渇いたなあ・・・。そういうバラバラで脈絡もない、でも自分の心の中でどんどん浮かんでくる気持ちって、ありますよね。それが、文章の上で行われてるような感じ。

そして。題名を目にして読み始めて、途中で、題名なんだっけ? と見直すと、そか、なるほど、と納得できてしまうんだ、これが。

それの一番極まっているのが、「いりみだれた散歩」。あまりに自然で、実はあちこち話題が飛んでいる(飛びすぎているくらい)ことにも、気付かずにいられるような、すごさ。すごすぎる。

「安全な散歩?」では、妻の武田百合子が書いた『犬が星見た』とだぶるところがあり、そちらでわからなかった本心みたいなのが読めたりもします。

1999/6/3


高見広春『バトル・ロワイアル』太田出版 1999

*内容紹介(裏表紙より)
西暦1997年、東洋の全体主義国家、大東亜共和国。この国では毎年、全国の中学3年生を対象に任意の50クラスを選び、国防上必要な戦闘シミュレーションと称する殺人ゲーム、”プログラム”を行なっていた。ゲームはクラスごとに実施、生徒たちは与えられた武器で互いに殺しあい、最後の残った一人だけは家に帰ることができる。

香川県城岩町立城岩中学校3年B組の七原秋也ら生徒42人は、夜のうちに修学旅行のバスごと政府に拉致され、高松市沖の小さな島に連行された。催眠ガスによる眠りから覚めた秋也たちに、坂持金発と名乗る政府の役人が、”プログラム”の開始を告げる。

ゲームの中に投げ込まれた少年、少女たちは、さまざまに行動する。殺す者、殺せない者、自殺をはかる者、狂う者。仲間をつくる者、孤独になる者。信じることができない者、なお信じようとする者。愛する気持ちと不信の交錯、そして流血・・・・・・。

*感想
読み始めたらやめられず、結局一晩で一気読み。圧倒されてるから、感想書くのが逆に難しい。

読後「クラス名簿」眺めてると、感慨深いものがある。

ゲームの開始を告げる、坂持金発(の言葉)に精神的吐き気。「金八先生」の口調が、こんなにぴったりはまるとは。このあたりが実は一番つらかった。その後始まる戦闘よりも。もう、めらめら頭に来て仕方なかったからかもしれない。

ああいう極限状態に置かれて敵か味方か判断する時に、その人との過去の出来事で判断してしまうのは、しょうがないと思う。思い出の中での、針みたいな小さな不快感が、その場では、ものすごく大きな拒絶としてあらわれるのだと思う。逆に楽しかった思い出は、これまた増幅されて、たまらない気持ちを起こさせたりする。

陳腐な言葉だけど「信じるって難しい」。あるいは「疑わずにいるのは難しい」。でも、信じた人たちのほうが、まだ精神的に幸せそうに見えた。それがこの物語の救いになってるのかもしれない。

貴子さん−弘樹くん−加代子さんのラインは印象的だった。貴子さんは、毅然としすぎるほど凛としてたし、弘樹くんは行動して気持ちを貫いた。物語中、殺し方、殺され方、死に方の「状態」より、どういう「気持ち」でそれをしたか、されたか、のほうが気になっていた。特に、どういう気持ちで死を迎えたか。この世で最後に抱いた気持ちだから。だから、弘樹くんの行動は、理解できるんだよなあ、かなり。センチメンタルかもしれないけど、たとえ殺されるにしても、好きな人にだからね。

全体を通して感じるのは、あの国やシステムへの怒りだと思ってる。普通だったら気恥ずかしくなるようなセリフも、読んでいる私がすんなり受け入れられてしまったあの極限状態。涙ぐんだところもあった。14,15歳っていう年齢も、さまざまなセリフを語らせるのにはちょうどいい年齢だったような気がする。でも、ちょっと大人っぽすぎ?

不快なのは、あのシステムや坂持に対してであって、この物語にでは、決してない。それは、絶対に間違ってはいけない。

1999/6/5


森絵都『カラフル』理論社 1998

*内容紹介(帯より)
いいかげんな天使が、一度死んだはずのぼくに言った。「おめでとうございます、抽選にあたりました!」ありがたくも、他人の体にホームステイすることになるという。前世の記憶もないまま、借りものの体でぼくはさしてめでたくもない下界生活にまいもどり…気がつくと、ぼくは小林真だった。

*感想
キリスト教では、自殺した人は天国へ行けないことになってますが、これが長いこと気になっていた。それは、自分で命を絶つことをさせないためなんだろう、とわかってはいても、実際は「自殺しても天国へ行けますように」と、個人的にずっと思ってた。別にね、自殺を肯定するとかいうんじゃないですけども。やっぱり、されたほうは、たまらんですから。

この物語は、もちろん、「自殺しても天国へ行けた話」じゃないですが、上に書いた私の「希望」を、ある意味叶えてもらえた気持ちになりました。途中でピンとわかっても、それはもともと私の希望だったから嬉しかった。こんなチャンスが実際にあったらいいのに。その人のためにも、その周りの人たちのためにも。

が、泣きそうになったところは、最後です。うーん、あの最後の会話なんだよね・・・。

1999/6/10


小泉喜美子『ダイナマイト円舞曲(ワルツ)』集英社文庫 1980(1973)

*内容紹介(裏表紙より)
風光明媚な地中海の小国、ロンバルド公国に次々起る王妃の謎の死--。パリ留学時代の親友・クレマンティーヌ王妃の招きで訪れた花嫁修業落第生の"わたし"は到着早々、王宮内の電話の混線から、不可解な暗号を聴く。城内に渦まく陰謀を察知した王妃とわたしの身に危険が迫る。

*感想
もうこれは、身を任せるように読むのが一番楽しめる。裏なんて読もうとせずに、"わたし"と一緒にわけわからん状態で巻き込まれるのが、本当は良い(ただし、ピンと来てしまうのは、しょうがないか)。とにかく、この上品でセンスのよい物語を味わえるだけで、嬉しくなるじゃない。おしゃれでセンスが良いってこういうことを言うんだよ。

著者の長編は3つだけ。これは、青ひげ(B)、『弁護側の証人』はシンデレラ(C)、『血の季節』はドラキュラ(D)を下敷きにしていて、このあと(A)、つまり「不思議の国のアリス」を下敷きに書こうと思っていたらしい、というのは、有名な話です。

お亡くなりになって、本も入手が難しい(『血の季節』が読みたいー)っていうのは、かなしいです。

1999/6/22


塔島ひろみ『鈴木の人』洋泉社 1999

*感想
むー、最初のほうから既に少し不快感。これはどこから来るんだろう。人をちょっと小バカにした感じがしてしまう。なんか失礼。「鈴木さん」のいろいろをさぐる、テーマとしては面白い内容なんだけど、文章が嫌い、です。これは困りました。「あ、またそういう言い方するか」っていうのが多くて、嫌気がさしてきた。「鈴木さん」をそんなにキッチリ型にはめようとして、どうすんのよっ。「鈴木さん」は、これを読んで不快にはなりませんか?

1999/6/23


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