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2000年5月 本のメモ

「日記のフリ」に書いたものを移動させただけです。

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『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』(江國香織) (5/6)
『ケナフの絵本』(ちばこうぞう・うえのなおひろ) (5/8)
『自然葬』(新葬制委員会) (5/9)
『百合祭』(桃谷方子) (5/11)
『小説ワンダフルライフ』(是枝裕和) (5/16)
『グレン・グールド 孤独のアリア』(M・シュネーデル) (5/25)
『追跡者』(P・クェンティン) (5/31)


江國香織『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』集英社 2000

*メモ
物語の始まりから終わりまでの間に、物事は動いているのに動いていないように感じるのはどうしてなんだろう。物語は穏やかに凪いでいる。しかしまた、ぬるいお風呂に好んで入っていたのに、急に寒く感じる時の気分も感じた。平和に見えて、平和とは言い切れない、と傍観者の私は勝手に思う。全く勝手だと思う。平和か平和じゃないか、幸せか幸せじゃないか、なんて、他人がわかることでもないし、ましてや、決めることじゃない。

もし、彼女たちが心の中で考えていることが書かれずに、行動だけ描かれていたのだとしたら、とっぴょうしもない、と思ったことだろう。でも、彼女たちの感情は描かれ、行動の裏付けとしてそれを素直に受け入れ、だから、行動も受け入れてしまっていた。行動に感情の裏づけがされた分、彼女たちの、わかりやすい情熱を感じることはなかったけれど、冷静な思考と冷静な行動に情熱がないなんて、言い切れない。

「誰に」感情移入するとか、共感を持つというより、いろんな人の、その時々の「感情」について、あれこれ思っていた。

帯の言葉、「恋することをとめることはできない」。それは確実に正しいと思うから、この物語を支持したい。

2000/5/6


ちばこうぞう・うえのなおひろ『ケナフの絵本』農林協

*メモ
「そだててあそぼうシリーズ#17」。ケナフという植物についての説明、育て方、紙の作り方など。ケナフの植物としての利用価値が高いこととか、生長が早い(種をまいて4〜6ヶ月で3〜4mに生長する)とか、二酸化炭素を多く吸うとか。この絵本自体が、ケナフでできた紙を使っていた。

2000/5/8


新葬制委員会『自然葬』宝島社新書 2000

*メモ
自然葬の中でも、人気がある散骨について詳しく書かれてる。私個人は、うーん、火葬じゃなく土葬で、土にだんだん還ってくというのがいいんだけど、日本の火葬率は、なんと99.5%だそう。あるいは、元をたどれば全ては星の爆発で生まれたわけですから、宇宙の彼方に散骨をばらまかれるとか、花火と一緒に爆発というのもいいな。

2000/5/9


桃谷方子『百合祭』講談社

*メモ
「百合祭」「赤富士」の2つが入ってますが、「赤富士」は私は読まないほうがいいらしいので、素直にやめときました。「百合祭」はねー、老人の恋(愛じゃないと思う)と性だね!嫉妬も欲も見栄も、なまなましい。地の文が、"三好さんは"というようにさん付けで、妙にしっくりくる。お年よりの人が「早くお迎えが来るといい」なんて言うの、絶対嘘だと思う。私、歳を取ったら死にたくないもの。

2000/5/11


是枝裕和『小説ワンダフルライフ』ハヤカワ文庫

*メモ
著者=監督自身、小説と映画は別のものとしてみてほしいとのこと。小説を読みながら、映像を思い出してはいたけれど、セリフが流れずに、目でもう一度確認できるのがいい。時々立ち止まってその言葉について考えてみたり、余韻にひたったりできる。そういう立ち止まりができる本(内容)は、贅沢で好きだ。どこで立ち止まったかは、付箋をペタペタ貼っていればすぐにできたんだけど、結局いつも何もせずに読んでいる。漠然とした思いがふわふわと心の中に残るのがまた心地よかったりするからかもしれない。どうしても言葉を思い出したい時に、改めてその言葉をさがしに行くのも、結構好きなのです。

2000/5/16


ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳『グレン・グールド 孤独のアリア』ちくま学芸文庫

*メモ
「ゴールドベルク変奏曲」に沿って、30変奏=30章から成る構成。

読み終えてみると、やはりグールドを聴きたくなる。持っているのは、『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』(晩年のもの)(SRCR-2059)、『バッハ:インヴェンションとシンフォニア』(SRCR-9171)の2枚。グールドを聴く時、ピアノと一緒に彼の声を追い、耳をそばだてる。歌声がきこえてくると、なぜだか安心する。バッハのインヴェンションを、他の曲より熱心に弾いていたことがある。流れていかない感じが好きで、弾いていると落ち着くから。これは聴いているより弾いているほうが絶対楽しいと、グールドを聴きながらでも、思う。

グールド論というよりは、グールドを用いた孤独論に思えた。

ちょっと長いけどメモ。「 」内の発言は、グレン・グールドによるもの、( )内は、ミシェル・シュネーデルによるものです。太字は引用者。

「ちょうどよい配分がどの程度なのかはわからないが、それでも、いわば直感から、ほかの人間と一時間一緒にいれば、x倍の時間はひとりでいる必要があると感じる。xに相当する数字がどれくらいなのかぼくにはまったく見当がつかない。たぶん2 7/8時間、それとも7 2/8時間なのか、いずれにしても本質的配分があるのだ。ラジオは子供時代からとても身近にあるコミュニケーション手段であり、ほとんどひっきりなしに聴きつづけてきた。ぼくにとって、それは壁紙みたいなものなのだ。ラジオをつけっぱなしにして眠ることにしている。《ネンブタール》鎮静剤を飲むのをやめてからというもの、ラジオなしでは眠れない。」(孤独のメタファーであるラジオには利点がたくさんある。好きなときにつけたり消したりできるので、いてほしいときにいなくて寂しい思いをしたり、いなくてもいいのにいたりする人間とはわけが違う。)
ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳『グレン・グールド 孤独のアリア』(ちくま学芸文庫) pp.042-043

そうしたら、ラジオが好きだった華子のことを思い出しました。江國香織『落下する夕方』の中の華子。

「ラジオが好きね」
私が言うと、華子は毛布にくるまって、
「おわっちゃうときに淋しくなるところが好きなの」
と、よくわからないことを言った。よくわからないと言うと、華子はひっそりとわらった。
「梨果さんあんまりラジオを聴いたことがないのね」
私は、華子の愛用のラジオをちらっとみた。横長の四角形、ひっぱるとのびる銀色のアンテナ。
「ラジオの番組がおわるときってね、親しい人が帰っちゃうときのような気がするの。それが好き。私は小さい頃からいつもラジオを聴いていて、親しい人にまだ帰ってほしくないって思っても、やっぱり時間がくると帰っちゃうの。きちんとしてるの、ラジオって」

江國香織『落下する夕方』(角川書店) pp.190-191

2000/5/25


パトリック・クェンティン 大久保康雄訳『追跡者』創元推理文庫
Patrick Quentin,THE FOLLOWER,1948

*内容紹介(とびらより)
ヴェネズエラに石油の調査に行っていたマーク・リドンは8週間ぶりにニューヨークに帰ってきた。ところがアパートには新婚まもない妻の姿が見えず、その代りに妻の以前の婚約者である男の死体がころがっていた。ボクサー出身のリドンには、富豪の奔放な一人娘である妻の正体が、まだよくわかっていなかった。ゆくえも知れず生死もわからぬ妻、その背景に浮かびあがる不気味な影、リドンは死のものぐるいの捜査を開始する。

*メモ
地の文が喋りすぎてる気が。

2000/5/31


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