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日付ごとにアンカー付けています。e.g.#20000101


2000年5月

その他
江國香織『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』(集英社)
ちばこうぞう・うえのなおひろ『ケナフの絵本』(農林協)
新葬制委員会『自然葬』(宝島社新書)
桃谷方子『百合祭』(講談社)
『中学生の教科書』(四谷ラウンド)
是枝裕和『小説ワンダフルライフ』(ハヤカワ文庫)
『運命』@国際基金フォーラム:地中海映画祭
『五月の雲』@国際基金フォーラム:地中海映画祭
『見世物小屋〜旅芸人・人間ポンプ一座』(北村皆雄監督/1997)@渋谷アップリンク・ファクトリー
ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳『グレン・グールド 孤独のアリア』(ちくま学芸文庫)
劇団第七病棟『雨の塔』@水天宮・箱崎・旧倉庫
天藤真『死角に消えた殺人者』(創元推理文庫)
『美女と野獣』ビデオ
『シチリア!』@国際交流基金フォーラム:地中海映画祭
P・クェンティン『追跡者』(創元推理文庫)
よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』(1)(新書館)


31(水)
地中海映画祭の参考上映、『シチリア!』(ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ監督/1999)をみに行った。66分の作品なのに、1/3くらい、いや、半分くらい寝てたかも。気が付いたら話がわからなくなってた。寝ないように、昨日早く寝たのに……。全然難しい話じゃないことはわかったんだけど。

パトリック・クェンティン 大久保康雄訳『追跡者』(創元推理文庫)を読み終わる。地の文が喋りすぎてる気が。

よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』(1)(新書館)を買って読む。深夜2時まで営業しているケーキ屋さん(イートインはL.O.が1:30a.m.!)。あまりにおいしそうな描写が続くので、これはもうおいしいケーキを買って帰るしかないと思い、最近、駅前にできたばかりのケーキ屋さんに寄って帰ろうと思った。まだチーズケーキしか食べたことないんだけど、今まで食べてきた中で一番おいしいかも!(ただし、和光のモツォレラチーズケーキは別格)と思えるくらいだったのです。えへへ。

ところが、着いて気付いた水曜日は休み。しょうがないので、今日から「当面深夜1時まで営業する」というSストアに寄る。明日こそ。

それにつけても、よしながふみ、最高。

今日一日中、カジヒデキ「HERE IS OUR STREET! 夏物語」が頭の中をめぐってたので、家に帰ってちゃんと聴く。これがある限り、『MINI SKIRT』(PSCR-5555)>『15人の怒れる男たち』(PSCR-5760)のような気がする。

紅茶花伝のCMでの藤原竜也を見て、ギャーッと叫んでのどを痛くしてしまった。きっと私だけじゃあるまい。


何かありましたらどうぞ。

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コメント


30(火)
8時半頃寝た。


29(月)
見つけたので、ちょっと長いけどメモ。「 」内の発言は、グレン・グールドによるもの、( )内は、ミシェル・シュネーデルによるものです。太字は引用者。

「ちょうどよい配分がどの程度なのかはわからないが、それでも、いわば直感から、ほかの人間と一時間一緒にいれば、x倍の時間はひとりでいる必要があると感じる。xに相当する数字がどれくらいなのかぼくにはまったく見当がつかない。たぶん2 7/8時間、それとも7 2/8時間なのか、いずれにしても本質的配分があるのだ。ラジオは子供時代からとても身近にあるコミュニケーション手段であり、ほとんどひっきりなしに聴きつづけてきた。ぼくにとって、それは壁紙みたいなものなのだ。ラジオをつけっぱなしにして眠ることにしている。《ネンブタール》鎮静剤を飲むのをやめてからというもの、ラジオなしでは眠れない。」(孤独のメタファーであるラジオには利点がたくさんある。好きなときにつけたり消したりできるので、いてほしいときにいなくて寂しい思いをしたり、いなくてもいいのにいたりする人間とはわけが違う。)
ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳『グレン・グールド 孤独のアリア』(ちくま学芸文庫) pp.042-043

そうしたら、ラジオが好きだった華子のことを思い出しました。江國香織『落下する夕方』の中の華子。

「ラジオが好きね」
私が言うと、華子は毛布にくるまって、
「おわっちゃうときに淋しくなるところが好きなの」
と、よくわからないことを言った。よくわからないと言うと、華子はひっそりとわらった。
「梨果さんあんまりラジオを聴いたことがないのね」
私は、華子の愛用のラジオをちらっとみた。横長の四角形、ひっぱるとのびる銀色のアンテナ。
「ラジオの番組がおわるときってね、親しい人が帰っちゃうときのような気がするの。それが好き。私は小さい頃からいつもラジオを聴いていて、親しい人にまだ帰ってほしくないって思っても、やっぱり時間がくると帰っちゃうの。きちんとしてるの、ラジオって」

江國香織『落下する夕方』(角川書店) pp.190-191

日が暮れたあと歩いていると、あまりに気持ちがいいので日中の憎らしい暑さも許せると思った。「夏は夜」というのは正しいね。優しい。


28(日)
5/25に発売した「サクラ大戦」、このためだけにDC本体を買うつもりでしたが、家に帰って開けてみようとして、あれ?と思った。これって、「サクラ大戦3」ってわけじゃなくて、あくまでもSS版から移植したDC版ってことなのか! 翌日、だめもとで返品にしに行く。お店の人に理由を聞かれたので、「SS版で遊んでました…」と答えると、返品を了承してくれました。勘違いしてたなあ、残念です。もうすぐ出る「DDR」の新しいの、消費カロリーがわかる、というのに惹かれてます。去年の夏に一揃い買って持ってるんです実は。階下に響かないためのマットも含めて。

最近まずいなあと思ったのは、ある占いの結果に関して、同じ部分をさして3人に、「ここ当たってる」と指摘されたことです。自覚してたからか逆にショック。「やっぱりそうなんだなあ」という感じ。

人に優しくできないし、自分勝手だし、気が利かないし、自分から働きかけないし、去るものは追わずだし、自分が一方的に思ってると感じたら自分から離れるし。もっといろいろある。だめだ自己嫌悪なふりした愚痴になってる!

昨晩、たまたまみた、テレビ東京『美の巨人たち』っていう番組が面白かった。


27(土)
いきなりディズニーの『美女と野獣』がみたくなったので、会社帰りにTSUTAYAに寄る。みたことがない『アラジン』も、一緒に借りた。『美女と野獣』は、劇場公開したときにみたことがあるので2度目。好きなシーンはきちんと覚えていた。みっともなくも、素直に泣ける。

風が強くなってきた。明日は嵐のようになるとかならないとか。 一日家の中にいられたらいいのに。外に出ないですむ理由が欲しい。とはいえ、あとさき考えず傘もささずに雨の中を歩くってことも一度はしてみたい。雨に降られるんじゃなく、雨の中に出てゆくことをする。


26(金)
Mneさんに誘われて、唐十郎作、石橋蓮司演出、劇団第七病棟の『雨の塔』をみに行きました。場所は,水天宮・箱崎・旧倉庫。パンフレットによれば、「昭和20年代に建てられ、半世紀の歴史を経た硝子倉庫」とのこと。場所としてはこじんまりとしていて、収容人数は200人にも満たないようだ。しかし、観客はキャンセル待ちも出るほどの盛況。

石橋蓮司には、客席脇から登場する後ろ姿を見たときからもうしびれてしまった。緑魔子の存在感がすごい。あちこちで笑えてばかりなのに、どうしようもないせつなさに満ちてた物語。降る雨がせつない。帰りに思わずパンフを買って帰る。

帰りの丸の内線が、人身事故か何かで大幅に遅れている。電車が止まったまま動いてくれない。動いたと思ったら、当たり前だけどどんどん混んできて、久しぶりに傷が痛んだ。

私鉄に乗り換えてからは、隣に座った中年夫婦の女が目ざわり。靴を脱いで、おまけに足を組み、だから足は前方に伸びる。くねくね動かしもする。前に人は立っているというのに。もちろん、前に人がいようがいまいが、靴を脱いだ足を人前にさらすってこと自体がわからない、理解できない。クソババアと心の中で思った。気になって仕方がないので、目をつぶって「どうして靴を脱いだ足が失礼なのか」を考えてた。

いい気分が台無し。

「クソババア」などと勢いあまったのは、天藤真『死角に消えた殺人者』(創元推理文庫)を読んでて、それを読み終わったからです。……半分本当で半分嘘です。


25(木)
トップを更新しないで今日はここだけにしておこう。

ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳『グレン・グールド 孤独のアリア』(ちくま学芸文庫)を読み終えた。「ゴールドベルク変奏曲」に沿って、30変奏=30章から成る構成。

読み終えてみると、やはりグールドを聴きたくなる。持っているのは、『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』(晩年のもの)(SRCR-2059)、『バッハ:インヴェンションとシンフォニア』(SRCR-9171)の2枚。グールドを聴く時、ピアノと一緒に彼の声を追い、耳をそばだてる。歌声がきこえてくると、なぜだか安心する。バッハのインヴェンションを、他の曲より熱心に弾いていたことがある。流れていかない感じが好きで、弾いていると落ち着くから。これは聴いているより弾いているほうが絶対楽しいと、グールドを聴きながらでも、思う。

グールド論というよりは、グールドを用いた孤独論に思えた。「何時間か誰かと一緒に過ごしたら、それと同じ時間だか、それ以上だかを一人で過ごすのが必要……」、そんな部分があったのを覚えている。同感、と思ったから覚えているんだろう。当該箇所をさがしにいって、正しい文章が見つかったら差し替えます。


24(水)
Hchiから、いくつかurlが届いた。もうなんでもありだなあー。分身から手紙が届く北斗の拳占い昆虫&花占い。「北斗の拳」では、マミヤ。「花占い」では、バラ。

はしゃぐのはやめようと時々思う。それとは別に、いつまでもちゃらちゃらしていたいと思う。


23(火)
もっちーと、『見世物小屋〜旅芸人・人間ポンプ一座』(北村皆雄監督/1997)@渋谷アップリンクファクトリーへ。9時からのレイトショーなので、食べてから行くことに。連れてってもらったところは、渋谷だというのに静かなところ。ミルクティー味のお酒を飲んだり。おいしーいお豆腐を塩で食べたり、いわしのつみれや、カツオのなんとか焼き(どこだっけ)を食べたり。

おすすめの散歩コースは?と聞かれたので、タネ本があるんだよーと教え、映画に行く前に「Book 1st.」に寄って実物を見てもらう。「さんぜんえんくらいするんですか?」と聞くので、なんでそんなに高いわけがあるんだ!とおかしくってツボに入ってしまい、大笑い。「マップルとかそういうのを思い浮かべたんじゃないの?」と聞くと、「いやー、だって、地図の入ったのって高いじゃないですか…」だって。げらげら。お買い上げありがとうございます。2000年度上期のcoolestになりそうな勢いなのよ、この散歩本。

映画の客数は10人くらいだったでしょうか。内容は、

「かつて各地の祭りの場に忽然と現れ、怪しくも珍しい、未知の感覚を目覚めさせたあの懐かしい見世物小屋。今や全国でたった2つになってしまった団体のひとつ、安田里美さんとその一座の「秩父夜祭り」興行を内側から記録した作品」(DICE bis 2000.6より)

白い碁石を5つ、黒いのを5つ飲みこんだあと、お客の希望どおりに白か黒かを再び出したり、小さな折りたたみナイフを開いたまま2本飲んで、胃の中でたたんで口から出すとか、金魚を3匹飲んで、2匹までは普通に出して、3匹目は、これまた口から入れた釣りざおで釣って出すとか…。

一座の他の人たちの見世物も出てきますが、2時間はちょっと冗長? でも、滅多に見られないものを見ました。もっちーと一緒に思ったのは、「なんだか哀愁があるね」とか「せつないね。少なくとも見世物小屋であれをみて、楽しむということはできそうにない」ということ。ドキュメンタリーになっていたから、見られたのかもしれない。

純粋に、人間ポンプの謎が気になる。タネはあるのかな、ないわけはないのかな?→鵜飼正樹『見世物稼業 安田里美一代記』(新宿書房)にこの件が記述されている。感想


22(月)
昨日分のアップがうまくいってなかったようです。

熱い「巻頭言」で始まる、吉田武『虚数の情緒』(東海大学出版会)を毎日少しずつ読んでいる。というより、ちょっとずつしか読めない。「色紙を書かされるのは大嫌い」だったという、朝永振一郎博士の色紙のエピソードが出てきた。(p.44)

『一九七五年四月三日 字を書くことは大きらい 書かせる人はなおきらい それでもしつこく言う人にゃ こうでも書くより仕方ない 朝永振一郎』

電車の中では、ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳『グレン・グールド 孤独のアリア』(ちくま学芸文庫)を読んでますが、読んでいるとさみしくなってきちゃうのが難でもあり魅力でもある。やっぱり、動いているグールドは貴重かも。

先日、ビデオ『パンダコパンダ』を姪にプレゼントした。Tmiさんから、「3〜4歳の子が夢中になってみるよ!」と教えてもらって、ならば彼女も喜ぶだろうと買ったもの。実際、すごーく気に入ったようで、1日に何回かみて、夜寝る前にも見ないと気がすまないらしい。電話がかかってきて、「カレーかぶっちゃうけどきれいになるの」(そのかぶるところが好きらしい)とか、「ビデオおもしろかった」と言ってくれて、おばちゃん冥利につきるわ。

買った本。
『ねぎ、しょうが、青じそ、みょうが』(NHK出版)、これらを使った料理が載ってる。しょうがごはん美味でした。
『ケンタロウのめし・汁・おかず』(主婦の友社)、おいしそうな料理を作ってくれそうな人だなあ。自分で作らなきゃだけど。
『龍在香港』(メトロポリタン出版)、Rさん、ありがとうございました。水田菜穂による「『美少年の恋』はこうして日本にやってきた」という記事などなど。
天藤真『死角に消えた殺人者』(創元推理文庫)


21(日)
「地中海映画祭」へ、『五月の雲』(ヌリ・ビルゲ・フェイラン監督/2000/トルコ)をみに行った。「美しい五月のアナトリア、映画監督のムザファが新作にとりかかる。ムザファの両親、友人、幼い甥など、彼を取り巻く人々の間で起こる事件を詩情豊かに描いた作品」(チラシより)。

映画では、淡々としたのは苦手なのかもしれない。途中、数秒間寝てしまった。ほほえましいし、叙情的だし、悪くない。だけど、何を描きたいのだろう?と考えてしまうのって不要じゃない? 何を描きたいのか考えるのは無意味だと思ってるのに、そう考えてしまうってことは、映画が私にそう思わせる余地があるってことだ。内容が退屈だから、気持ちがそっちに向いてしまうんじゃないかと思った。「わけわからないけど(何を言いたいのかわからないけど)面白い」というほうが、いい。

もらってきたチラシから。

「ポルトガル映画祭2000 パウロ・ブランコと90年代ポルトガル映画」(ページが工事中だけど)。2000/6/5(月)-11(日)@六本木オリベホール。9作品上映。『僕の誕生日』『世界の終わり』『ラスト・ダイビング』『二十歳の試練』『ここより遠く』『骨』『トラフィコ』『神の結婚』『クレーヴの奥方』。みてみたいのは、『ラスト・ダイビング』『神の結婚』かなあ。以下、チラシより引用。

『ラスト・ダイビング』(ジョアン・セーザル・モンテイロ監督/1992)。「サミュエルが海に飛び込もうとした時、老いた船乗りが最後の放蕩に誘う。リスボンの夜、酒と女の町を徘徊しながら、サミュエルは「希望」という名の女と出会う」。
『神の結婚』(ジョアン・セーザル・モンテイロ監督/1999)。「浮浪者デウスは神の指令で大金を受け取り、ニセ男爵に変身する。溺れている娘を見つけて修道院に連れ込み、コトに及ぼうとするが……」。

「中川信夫 怪奇との戯れ、死の幻影」。2000/5/27(土)-6/23(金)@キネカ大森。9作品上映。『エノケンとのとび助冒険旅行』『怪談 累が渕』『亡霊怪猫屋敷』『憲兵と幽霊』『女吸血鬼』『東海道四谷怪談』『地獄』『怪談 蛇女』『怪異談生きてゐる小平次』。好きな人がいそうなので、書いてみました。

溜池山王のスターバックスはガラガラで(休日だからだと思う)、ゆっくりコーヒー飲めました。キャラメルマキアート。


20(土)
土曜日だけど会社へ。ひけてから「地中海映画祭」@国際交流基金フォーラムへ向かう。みたのは、『運命』(ナビル・アーシュ監督/1997/モロッコ・フランス)。「警察官が500人以上の女性を監禁し、そのビデオを闇で売っていたという現実の事件をもとに、事件に巻き込まれたカップルが逃亡する姿をスタイリッシュな画面と軽快なテンポで描く。」(映画祭のチラシより)というもの。

スタイリッシュで軽快というのは、当たってる。事件に巻き込まれるまでがあっという間で、もたつかせない。銃の登場の仕方が効果的。すっと出てバン!というスピード感にびくびくする。逃亡先の状況の特殊さに加えて、モロッコという場所ならではの風景がひらけて新鮮でした。

この映画の前には、池澤夏樹氏の講演があった。ロビーで見かけた池澤氏は小柄でした。

JUNGHANSのページで、私の時計を発見。ここの右から3番目、Designを選ぶと表示されるのがそれです。ただ、Max Billのことは全然知らないのです……。


19(金)
昨日、姪が一人増えた。名前の候補として、「薫」というのを出したんだけど、はてさて。風薫る5月だし、「薫」って昔から憧れの名前なのです。薫子とか、桜子という名前にも憧れるなあ。私の名前は、母が小学生の頃憧れていた女の子の名前から取ったそうです。冬の寒い時にも、いっつもスカートをはいていたという。それがカッコよかったんだって。そういう私の名前も、苗字のほうをニックネームに使われてばかりなので、呼ばれることがほとんどないです。

物語の中でつらい経験をしている人たちが、夜寝る前や朝起きる時、どういうふうな気持ちでいるんだろうか気になる。1日は平等におとずれて、だからもちろん夜も来てるはず。私だったら、寝る前には、眠っている間の平和と起きた時の絶望的な気分を思うだろうし、朝起きた時には、これまた絶望的な気分を味わうだろうと想像がつく。なのに、当たり前のように朝は過ぎてる。長いであろう夜に、何を思い、どうやり過ごしているのか、時々とても気になるのです。


18(木)
「地中海映画祭」。全国巡回を予定中らしいです。時間が合わないものもありますが、いくつか選んで行けたらと思ってます。トルコの映画みたいし。

眼鏡をふんづけてしまって、つるがずれた。適当になおしてみたけど、違和感が。それでなくても度が合わないので、買い換えないとやはりつらい。

「おやすみ」のせつなさっていうのはですね、眠りによる別れと、また会うときまでの別れと、2度分の別れを含むからよりせつない言葉だな、ということ。やっぱりこれはテキストベースじゃないと言えないねー。


17(水)
疲れた。


16(火)
先週の金曜日に買った、是枝裕和『小説ワンダフルライフ』(ハヤカワ文庫)を読み終わる。

著者=監督自身、小説と映画は別のものとしてみてほしいとのこと。小説を読みながら、映像を思い出してはいたけれど、セリフが流れずに、目でもう一度確認できるのがいい。時々立ち止まってその言葉について考えてみたり、余韻にひたったりできる。そういう立ち止まりができる本(内容)は、贅沢で好きだ。どこで立ち止まったかは、付箋をペタペタ貼っていればすぐにできたんだけど、結局いつも何もせずに読んでいる。漠然とした思いがふわふわと心の中に残るのがまた心地よかったりするからかもしれない。どうしても言葉を思い出したい時に、改めてその言葉をさがしに行くのも、結構好きなのです。

映画の内容を知っていて本を読んだのは珍しい。映画『1999年の夏休み』→翻案『トーマの心臓』のほかに、あったかな…。

実は、手術する前、神田明神にお祓いに行ったんだけど、その時に出されたお神酒がやたらフルーティでおいしくって、思わず「どこのですか」と聞きたくなった。この間、明治神宮で式に出た時のお神酒は、もうちょっと辛口で、神田明神のほうが断然好みでしたです。神社でお神酒も違うんだろうけど、それがわかったら面白そう。


15(月)
どーもー。「なつめ@ややもすると風俗系などに流されていってしまうことも」です。同じナツメなら、これすっごい気に入ったんだけど!(欲しいわけではない)→登録してないと見られないみたい。ポケモンの、「ナツメのポリゴン」なのです。

>もし雨を食べ放題食べてもよいなら、どこの国のどんな雨を食べたい?(5/11)
断然(1)です。しゅわしゅわしてそう。

久しぶりに「artscape」をのぞいてみたら、フェルメールとその時代というのがあったので伊藤さん向けに念のため。

スケートで一緒のKdmさんから電話。「神宮のスケート場が工事中だから人がどっと流れてきて、相当混んでるよ。だから、せめて場所とりができるように、当分12時開始にずらすって」「○○で自主練習のがいいかな? 5月は滑りに行けそうにないので、今度会うのは6月だね」

「アエラ」の表紙がサム・リーだったので買う。からだつきが、すごーく美しい人です。豹とかチーターみたいな感じ。


14(日)
みなちゃん、Hchi、Hkoちゃん、私で、国立でごはんを食べる。待ち合わせ場所で待っている間、改札内にある花屋さんに、中学生の男の子と女の子たちがいるのを見た。花を買っている男の子の姿をぼーっと眺めていたら、気持ちだけもっていても、それをあらわさないと伝わらないんだと改めて思った。強く。

そういう意味では、物と気持ちを二分してしまって、「物より気持ちが大事」なんて簡単に言うこともできないと思う。よく、気持ちをあらわそうとして贈り物を用意したら、「気持ちだけで良かったのに」と恐縮する場面がありますね。でも、気持ちだけを渡すことは無理だと思う。何かしらの媒体が必要なんだと思う。それは物に限らず、言葉やアクションも含まれる。花を贈る、ありがとうと言う、ぎゅっと抱きしめる。


13(土)
雨が降っていました。

『中学生の教科書』(四谷ラウンド)を読み終わる。私にとって、これほど響いてこない本も珍しい。どうしてだろう。


12(金)
もっちーたにぐちさん、すすむさん、伊藤さんと、久しぶりに集まる。詳細はもっちーの日記をどうぞ。げらげら笑いすぎた。でも、大きく2つ、反省しています。反省というより、後悔です。あー、悔やまれる。言うとやぼになりそうなので、次回ちゃんとします。ごちそうさまでした。

「おやすみ」のせつなさについて、一席ぶるのを忘れてた。でも、実際口に出すのは恥ずかしく思える。私もテキストベースだなあ。


11(木)
みなちゃんに借りたままになっていた、桃谷方子『百合祭』(講談社)を読む。「百合祭」「赤富士」の2つが入ってますが、「赤富士」は私は読まないほうがいいらしいので、素直にやめときました。

「百合祭」はねー、老人の恋(愛じゃないと思う)と性だね!嫉妬も欲も見栄も、なまなましい。地の文が、"三好さんは"というようにさん付けで、妙にしっくりくる。お年よりの人が「早くお迎えが来るといい」なんて言うの、絶対嘘だと思う。私、歳を取ったら死にたくないもの。


10(水)
日曜日に見た肩掛けのバッグ、今日見に行ったらなかった。欲しいと思ったら、やっぱりその場で買わないとだめだ。しょんぼりしていたら、店員さんが、「取り寄せできます」と言ってくれたので、お願いをする。

私のバッグはいつも重い。バッグ自体は重くない。バッグから中身を取り出してみると、おのおのは重くないのに、全部入れると重いんだなあ。当たり前だけど変だ。+ウォークマンでさらに重く、+CONTAX Tでさらにさらに重くなるので、この2つはこのごろ置いてきぼり。

ついでに店内をぐるぐる眺めていると、服が欲しいなあと漠然と思う。全部見て回りたい気持ちと、でも、それは面倒という気持ちが、服を見るときにはいつもついてまわる。なんだか、あせってしまう。例えば、ディズニーランドに着いて、よし行くぞ! という気持ちにちょっと近い。たくさん乗るものがあって、見てまわるものがあって、ちょっとまってちょっとまって、という気持ち。遊園地ってあせらないですか? 

「桜坂」はここだ!


9(火)
新葬制委員会『自然葬』(宝島社新書)を読み終わる。自然葬の中でも、人気がある散骨について詳しく書かれてる。私個人は、うーん、火葬じゃなく土葬で、土にだんだん還ってくというのがいいんだけど、日本の火葬率は、なんと99.5%だそう。あるいは、元をたどれば全ては星の爆発で生まれたわけですから、宇宙の彼方に散骨をばらまかれるとか、花火と一緒に爆発というのもいいな。

ニュースを見ながら思った。例えば、保険金殺人をしようと思い立った人は、その悪いことを誰かと一緒にしようとした時、話を誰かに持ちかけるわけでしょう。そういうのって、やっぱり、相手も悪そうだから話を持ちかけるんだろうとは思うけど、どきどきしないのかな。なんて言って話を始めるんだろう。冗談めかして言うんだろうか。

楽しみなことが一つ終わってしまった。いや、ただ、病院に行って先生の顔を見るだけなんですけど。服装チェックができなかった。良く焼けた顔、腕で、半そでだったというのと、裸足でサンダルだったというのしか……。「もう無茶していたと思うけど、これからはもっと無茶していいから」、だそうです。よし、無茶しよう。次は半年後か〜。半年に1度会うだけだと、2年3年が早く感じられそう。

さて、「会いたいというのは必ずしも恋ではないけれど」(例えば上記の先生など)。この先が問題、「恋とは会いたくなるものだ」なのか、「そしてまた、恋だからといって必ずしも会いたいわけではない」なのか。


8(月)
むしゃくしゃした気持ちは、家に着いたら忘れた。

ちばこうぞう・うえのなおひろ『ケナフの絵本』(農林協)を読んでみた。「そだててあそぼうシリーズ#17」。ケナフという植物についての説明、育て方、紙の作り方など。ケナフの植物としての利用価値が高いこととか、生長が早い(種をまいて4〜6ヶ月で3〜4mに生長する)とか、二酸化炭素を多く吸うとか。この絵本自体が、ケナフでできた紙を使っていた。

楽しいことは、なるべくなるべく先に送りたい。


7(日)
伊勢丹B2の「BPQC」へ行ってみた。カフェ、化粧品、服、靴、バッグ、ネイルケアのお店、石鹸のお店、キッチン用品、バス用品、CDに洋書……。なかなかセンスの良いものが揃っています。プレゼント買うのにも良さそう。蕎麦猪口が手軽な値段であったり、お茶碗もかわいらしいのがたくさん。目盛り付きカフェオレボウルに惹かれるも、本当にいるのか考えてやめた。カップばかり増えている今日このごろなのだ。微妙な形のミルクパンを見つけて、余裕が出たら買おうと思った。ミニミニ蒸し器なんかもありました。

その後、無印を都合3ヶ所はしご。おお、置いてあるものが微妙に違うんだ、と発見。

池袋東武のアジア展をのぞきに行く。ここで、とうもろこし茶を発見する。焼肉屋で出ることのある、麦茶のとうもろこし版という感じの、あのお茶です。そして、ベトナムのデザート、「チェー」が食べられるようになっていたので試してみた。これは、なんと説明していいのかわからないなあ。しょうがないので、『エイジアン・デザート』(スリーエーネットワーク)から引用してみます。

(前略)チェー専門店「ブーイ・ティ・スァン」での組み合わせは、緑豆のアンに、紅豆のつぶつぶ、白インゲン豆とシロップがともにガラス瓶に沈み、上半分にはココナッツミルクがクラッシュした氷と浮かんでおり…(後略)。(p.134)

私が食べたのは、ピンクのタピオカとか、緑色のゼリーみたいなの、マンゴープリンも入っていたりして、すごくカラフルな色合いでした。甘すぎず、冷たく、わりあい素朴な味がしておいしかったです。家に帰ってきて、とうもろこし茶を早速煮出して飲む。おいしいっ!

わりと歩いたGWでした。


6(土)
一番古い友達の結婚式出席のため、明治神宮へ。神前式の挙式に参列する。白無垢とわたぼうしっていいなあ。神殿の中まで結婚する二人を先頭に外を歩いていく。緑の着物を着た人が真っ赤な傘を差しかけて、二人の少し後ろに付く。白と、赤と、緑のコントラスト。明治神宮を見学に来ていた外国の人たち、しきりに写真を撮っていました。みーんながにこにこした顔でこちらを向いているのがとてもいい。幸せを感じる。歩く列は注目の的で、花嫁さんはさぞかし気分がいいだろうとあとで聞いたら、実際気分良かったそうです。

神殿の中に入る時には、ドンドンと大きな太鼓が鳴らされる。式の途中に、笛の音や、琴の音も。式を行う人たちの動き一つをとっても、決められた歩の進め方、振り返り方、道具の使い方があるんだろうと感じた、神聖で厳粛な儀式。伝統的なものの良さを強く感じた。

家に帰ったら、着替えてから少しだけ歩こうと思っていたけど、小雨が落ちてきたのであきらめた。3日歩き続けて、今日も歩かないと落ち着かない気分。ちょっとはまりすぎている。歩いている間は、気持ちは景色に移りがちで、変なことを考えないのがいい。考えたとしても、どうってことないように思えたり、短い時間なのがいい。少し、気持ちが前向きになる気がする。

江國香織『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』(集英社)を読み終わる。えーっと、人物相関図でも作りましょうか、……うそぴょーん。


5(金)
生まれ育ったのは、東京の板橋区。駅で言えば都営六号線 板橋本町、徒歩3分、環七と国道17号線が交わるところに住んでいました。小さい頃、買い物に行った先は旧中山道にある商店街。西が丘のサッカー場にあるプールで、泳ぎを習ったり。都営は高いので、池袋に出る時には東武東上線の中板橋まで歩いてそこから電車に乗ることが多かったです。

件の本に、そのあたりのルートがしっかり入っていたので、懐かしくなり、今日の散歩コース決定。東上線中板橋で降りて、通っていた小学校を経由して、板橋本町に出て、そこから中山道ルートを直進し、最終目的地を巣鴨にしました。

中板橋からすぐにある、良く本を買ってもらっていた古本屋がまだ残っていて感激。なのに、そこから小学校までの道さえ迷ってしまい、愕然とする。一人で歩くのではなく、つれられて歩いていたというのは、道を覚えてないものなんだろうか。小学校へ着いて、中をのぞいてみた。遊び道具がそのまま変わらずにあったり、窓ガラスに組が書いてあったり、そのままの風景なのが嬉しかった。

環七を左にまっすぐ歩いていく。住んでいた家には、今も親戚が住んでいる。少しだけ近づいて、すぐに去る。17号線にぶつかったところで向こう側へ渡り、17号線沿いに少し歩いて、旧中山道へ入る。餃子屋さんのたたずまいや、文房具屋さんなど、記憶のままだったお店は、やっぱり懐かしい。石神井川にぶつかり、「板橋」を渡る。広重の浮世絵に登場するんだって? クリーニング屋は記憶のまま、その奥へ進めば、ピアノを習っていた先生のうちがあるはず。

川を越えて仲宿商店街。そのまま歩き続けると、観明寺というのがある。左甚五郎の竜の彫刻、なんて書いてあるんだけど、どれかわからない。恵比寿さまが祭ってあるというのもやっと見つけた。そこで、おばさんに「どこからいらしたの?」と話しかけられ、現在の住まいと、昔、あのあたりに住んでいたんです、と説明をする。

どんどん直進すると、都営六号線 新板橋駅と、埼京線 板橋駅の間あたりに出る。このあたりの商店街、駅前本通商店街の「つるや」には、カフェオレ大福があるらしいので、柏餅とともに買ってみた。板橋駅前のロータリーに座って、食べてみる。外側は、うすべったい皮。ぎゅうひっぽい。中は、コーヒー風味の黒餡+上部に生クリームがほんの少し。まったく、絶妙なおいしさ!まいりました。

さらに直進。まっすぐな道なので楽といえば楽。だんだん混んできたということは、そろそろ巣鴨地蔵通りも近いということ。「お蕎麦+ぼたもちのセット」とか、「大正ロマンの味 ハヤシライス」、など、さっすが、おばあさまたちの心をつかむ心得はある。高岩寺の、とげぬき地蔵。あんなに有名になる前に、良く祖母と一緒に来てお参りしていました。お地蔵さまをごしごし洗うのに、あんなに並ぶなんて考えられなかった。すがも園の豆大福や塩大福が好きだった祖母。私は巣鴨駅近くの、福々まんじゅう(駿河屋)が好きだったので、おみやげはそちらにする。なーんと、コーヒー大福なるものがあったので、それも一緒に買う。ふくふくまんじゅうったら、なんて小さくなったんだろう!値段をあまりあげない分、大きさを抑えているのだろう。コーヒー大福は、コーヒー風味の皮に、中がとろーっとやわらかめの白餡。さっきの「カフェオレ大福」と、甲乙つけがたい。タイプが違うおいしさ。

せっかくなので、巣鴨駅の反対側へ出て、遠山金四郎のお墓がある本妙寺というところへ足をのばす。千葉周作や、歴代本因坊のお墓などもありました。

3時間くらいの歩きかな。天気が良かったので、首の後ろが焼けたような気がする。さすがに疲れた。菖蒲風呂でのんびり。


4(木)
昨日より1時間早く出発。本日の散歩ルートは、レインボーブリッジを歩くというもの。ゆりかもめの芝浦ふ頭から出発する予定だったんだけど、乗り換え駅の新橋に着く前に、JR山手線の中でこんなアナウンスがかかった。「ゆりかもめは現在1時間待ちとの情報が入っております…」。待ってる時間がもったいないので、新橋-芝浦ふ頭のルートはあきらめ、田町から歩いてしまうことにした。

人通りがまばらな倉庫街を抜け、レインボーブリッジに到着。芝浦側アンカレイジより、さて、遊歩道を歩き出す。遊歩道は道路と並行していて、横を車がびゅんびゅん飛ばしている。そして、中央には、ゆりかもめが走っていく。ぎゅうぎゅうづめのゆりかもめが通るたび、ちょっとだけ「へへん!」という気分になる。歩いたのは南側の道。お台場海浜公園や、フジテレビが良く見える。飛行機も飛んでいる。

橋を渡り終わったところで、コンビニで食べ物を買って、海を眺めながら食べる。太陽がカンカン照っていて、適度に風も吹いていて気持ちがいい。人の多さがそれほど気にならない。みんな思い思いに楽しんでいる。しばらくぼーっとしたあと、海を右に見ながら再び歩き出し、真正面にあるヴィーナスフォートへ寄ろうと決めた。目当ては、ハチミツ専門店。が、近づくにつれ、人ごみがひどくなってきた。全東京都民に召集かけたんじゃないかってくらい。入口に着いたら、ぎゅうぎゅう詰め状態。ここですでにウンザリ。中だってもう、いわずもがな。フロアマップがないとたどり着けないし、店内は混雑のせいもあるんだろうけど表示が不案内。帰り、出口を探すのに苦労した。

トルコのグランドバザールと東京ディズニーランドを足したみたいなところだなーという印象。

ハチミツ専門店は、「ラ・メゾン・ド・ミエール・ナミキ」といい、24種類のハチミツを置いている。お茶もできるようになっていて、カウンターでは、ハチミツのテイスティングセット(3種類選べる)なんてのもありました。ティスティングするならその分買ってしまえ、ということで、「モミの木」50gと、「ガティネ」250gを買った。ちなみに、24種類のリストに書いてある特徴によると、

「モミの木」……リキッド状で結晶しない。樹脂の香りがする。苦味が全くないマイルドで上品な味。3年に一度の収穫。希少性が高い。高価なはちみつ。通好み。オリゴ糖を多く含む。甘味は弱い。

「ガティネ」……どろりとしたきめ細かな状態に凝固する。バラやアブラナの花蜜がミックス。子供に喜ばれるかすかな香り。パンに塗ったりホットドリンクに最適。

だそうです。

一気にぐったり疲れつつ、東京テレポートから新木場へ出て、有楽町線で護国寺へ。本日2本目の散歩ルートへ。鬼子母神の大イチョウを見たいなあと思ったので、歩くことにしたのです。途中に寄ったのは、雑司が谷旧宣教師館。明治40年築だそう。瀟洒でかわいらしい感じの建物。閉館時間を過ぎてしまってたので、中が見られず残念。あと、雑司が谷霊園で夏目漱石のお墓を発見してみたり。地図を見てもわかりにくい道を抜けて、たどりついた鬼子母神。目当てのイチョウは樹齢600年を越えていて、幹囲8m、高さは30m以上あるらしい。末端までちゃんと葉が青々していて、不思議な気がした。当たり前とはいえ。

この木の前に人々の生活が600年も続いていて、いろーんな人々がこの木を眺めてきて、でも、必ず人のほうが先にこの世から消えていた。そんな600年の遠さを思う。私がいる前からあって、私がいなくなっても存在するであろうもの、そういうものに、せつなさを感じる。前にも書いたけれど。

池袋まで歩き、さすがに疲れたのでワッフルとコーヒーをとり、本日の散歩はおしまい。昨日より長く、4、5時間歩いたかもしれない。

自分の利用駅に降りたら、どーんどーん、と、まるで花火みたいな音がする。「もう夏も終わり?さみしー」なんて冗談を思っていたら、空に本当に花火が上がっていた。何発も。夏に見るのと全く同じ花火。

昨日は、うさぎに首輪をつけて散歩、今日は、猫に首輪をつけて散歩、を見た。明日も何か見られるかな?


3(水)
散歩しました。ルートは、その名も「隅田川橋めぐり」。隅田川にかかる橋のうち、新大橋-清洲橋-隅田川大橋-永代橋-中央大橋-佃大橋-勝鬨橋の7つをめぐるというもの。持って歩いたのは、『東京 山手・下町散歩』(昭文社)(実踏115コース掲載、1:10,000メッシュ方式地図収録)。あとは、水と、久しぶりにCONTAX Tを持っていく。

出発は、都営新宿線森下駅。森下駅には、たい焼の「浪花家」と、元祖カレーパンの「カトレア洋菓子店」があるんですけど、「浪花家」は当たり前のように閉まっていたし、カレーパンのほうも売り切れていて、次回は3:30焼き上がりなのであきらめました。さて、本命の深川めし、「みやこ」へ。

深川めしは、池波正太郎の『鬼平犯科帳』にも登場するそうですが、アサリの炊き込みごはんです。ネギも入ってて、ふってある青のりがまた良く合ってる。ワッパに盛られてきて、レンコンのきんぴらと、おすましと、漬物が付いて\1,200.- 

江東区芭蕉記念館に寄ったあと、隅田川沿いを歩き始める。橋は、それぞれ特徴があって、渡るのもいいけれど、離れてから眺めるのもまたいい。斜張橋の新大橋はシンプル、清洲橋は青くておしゃれな感じ(ケルンにある吊り橋がモデルとのこと)。すごく現代的な中央大橋は、遠くから目をひくケーブルが橋を渡っていてもまた印象的にうつって、上を眺めながら歩くのが楽しかった。

中央大橋を渡れば、佃島。せっかくだから、佃煮を買いに「天安」まで足をのばす。おみやげに買ったことはあるんですが、自分用に買うのは初めて。あさり、かつおの角煮、江戸風味を買う。「天安」のおばさんに、「涼しそうな髪型でいいわね〜」と言われたので、「昨日切ったばかりなんです」と笑いながら答える。一年中涼しいです。最初の冬は風邪ひいたくらい。

隅田川を月島方面にさらに歩き、とうとう勝鬨橋を渡る。中央が可動式だったのも、いまは開かないそうです。まっすぐ直進し、築地本願寺を右手に眺めながら、築地駅を越え、新富町から地下鉄に乗って帰ってきました。築地のお豆腐屋さん、「安達屋」も、やっぱりお休みで残念。

だいたい3時間くらいの散歩。


2(火)
髪を切りに。シャンプーをしてくれた男の人、「あ、○○さん(下の名前)というんですね…」というので、その人も同じ字が名前に使われているのかと思ったら、「元カノが同じ名前だったんです。同じ字で同じ読み方」と言う。どう答えたら気が利いてたかな?

短いのに、もっと短くなる髪。「(がーん。)いつもより短いですよね!」と切ってくれた人に言うと、「そんなことないよー」とにやにやしている。ドライヤーを持った人に、「うん、いつもより短いですね!」。これから夏だってのに、栗みたいです。原宿-表参道のルートを歩くのがいやで、往復とも地下鉄に乗る。人ごみよりは地下鉄のほうが好き。そしてJRより地下鉄のほうが好き。

『グレン・グールド 27歳の記憶』のビデオは、やっぱり買ってしまいました。「Pict−up」(#4)という「演劇ぶっく6月号臨時増刊」が、「アジア映画特集」。イーキン・チェンの10ページに渡るインタビュー&写真あり。「インド映画スターに中年・太めが多いわけ」なんて記事も。

江國香織『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』(集英社)を読み始めた。優雅で、きちんとしてて、丁寧な生活……。読んでいたら、なんだか無性に掃除がしたくなり、家に帰るなり雑巾がけをしたり窓ガラスを拭いたり。夜に窓を拭くのって、変かもしれない。

グールドのビデオをみながら、シードルを飲む。「人生捨てたもんじゃない」って、こういうことかもしれないなあ、なんてね。

モデムをだましたら、つなげることができたので、更新します。

連休中はなるべく歩こうと思います。


1(月)
>返さなくちゃいけなかった傘は、いやになるくらいのいい天気だったので、大きな紙袋に入れて持ち運びました。邪魔ったらありゃしない。

折悪しく、まーったく折悪しく、29日の夜につなごうとしたらモデムがいかれてしまいました。少し前からだましだまし使っていたのですが、きてしまった。メールは読めず、インターネットは会社で見ることはできるけれど、という状態。今の私にはちょうどいいのかもしれないなあ。これはいつ載せられるんだろう?


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