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日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g.#20000101


2000年6月

その他
伊藤比呂美・枝元なほみ『なにたべた?』(マガジンハウス)
『ヴァージン・スーサイズ』@渋谷シネマライズ
『マトリックス』DVD
斉藤由貴『LOVE』
阿刀田高編『日本幻想小説傑作集T』(白水uブックス)
近藤史恵『茨姫はたたかう』(祥伝社文庫)
『喜劇王』@キネカ大森
一条ゆかり『砂の城』(集英社文庫)
一条ゆかり『恋のめまい愛の傷』(集英社)
岩館真理子『白いサテンのリボン』(集英社)
岩館真理子『薔薇のほお』(集英社)

『イスタンブルは今日も賑やか』(トラベルジャーナル)
堀江敏幸トークセッション@池袋ジュンク堂
吉田武トークセッション@池袋ジュンク堂
ウラジーミル・ソローキン『ロマン』1(国書刊行会)
ウラジーミル・ソローキン『ロマン』2(国書刊行会)
シャーロット・アームストロング『あなたならどうしますか?』(創元推理文庫)
『ジェネックス・コップ』DVD
大鋸一正『フレア』(河出書房新社)
鵜飼正樹『見世物稼業 安田里美一代記』(新宿書房)
『ゴージャス』DVD


30(金)
借りようと思ったものがないと、気がそがれるね。蒸し暑いから、すっきりとしたARATAの顔を見ようと思ったのに、『シェイディー・グローヴ』(青山真治監督 1999)は全て貸し出し中。迷った挙句、『無問題』(アルフレッド・チョン監督 1999)。この流れ、無問題っていうより、無意味って感じ。香港映画のところ探しちゃったけど、邦画のところにありました。

なんにもする気力がないときにも、料理の本は別で、むしろ、楽しい気分になるので眺めることが多い。最近特にそう。入院中、たいくつなくせに文字をちゃんと読んだり音楽を聴いたりできなかったときに、唯一、料理本だけは楽しめた。視覚的という意味は同じでも、映画を観るのとは多分少し違う。料理本じゃないとだめなんだと思う。

というわけで、今日も2冊買ってしまった。プナール・トゥラン『トルコ ヨーグルト料理レシピ集』(アスペクト)と、『ビーンズ・レシピ』(NHK出版)。「使う」んじゃなくて、「眺める」にとどまりがちなところが、なんとも…。


29(木)
「いまどこ(と言いそうになってやめて)……なにしてるの?」、電車の中で男の子がかけているケイタイ。うはー、「いまなにしてるの?」なんて、まっぴらごめん。

「モノより思い出」というコピーを聞くたび、いらいらする。どうしてかについて、突き詰めては考えてないけど、少し思い当たるとこころもあり、でも、話が微妙にずれそうだし、「過剰反応」って言われそうだからやめておく。

好きになりすぎそうで近づけない気持ちって確かにあるかも。

大奮発、『Le Petit Larousse Illustre' 2000』を買っちゃった。眺めているだけで面白い。っていうか、眺めることしかできない……。

以上の文章どうしに関連性はありません。


28(水)
やっと『ゴージャス』をみられる時間ができた。ジャッキー・チェン製作の映画で、彼主演。ジャッキー・チェンは顔が嫌いなので、出演作を何もみたことがなかった。でも、思ったより全然悪くない。いやみのない人なんだなあ。さすがにアクションシーンは多かった、見せ場だもんね。

しかになにより、スー・チーが本当にかわいいなあ……。トニー・レオンの「教育係」っぷりもいい、もっと出番が多ければいいのに。これをみたあとに『ヒーロー・ネバー・ダイ』をみたら、ギャップがきっと面白いんだろうな(未見なのだ)。あと、気に入ったのが、チェンの適役(と言うには不思議な存在の)ロウ。屈折した性格設定がすごくいい。悪いことをしつつも、坊ちゃん的人の良さと変に正々堂々を目指すところが加わるために、おかしみと憎めなさがある。

チャウ・シンチーも、情報どおりちゃんと登場。スティーブン・フォン、ダニエル・ウー、サム・リーまで出てた! 同じくジャッキー・チェンが関わった、『ジェネックス・コップ』つながりで出したんでしょう。

何より気に入ったのは、本編でキスシーンがないことです。最後のメイキングにだけ出てきてた。本編で使うのをやめて正解。この映画にはそれがふさわしい。


27(火)
近くに小学校があるため、一番最初に横断歩道を渡る時に、昔で言う「みどりのおばさん」のお世話になる。「おはようございます」「いってきます」「いってらっしゃい」はデフォルトで、他に二言三言交わすこともある。先週末、「来週、田舎でお葬式があるからいないけど、心配しないで下さいね」って言われちゃった。昨日からいない。いつもいるところにいないってことは、やはりさみしい、なーんてベタなことを実際思うし、書いてみたくなったわけだ。手前でひょいっと渡ったりせず、真面目に、いつも渡っていたところまで来てから渡ってるのは、うーん、まあ、ただ自分がそうしたいからです。

鵜飼正樹『見世物稼業 安田里美一代記』(新宿書房)を読んだ。5/23にみた映画『見世物小屋〜旅芸人・人間ポンプ一座』(北村皆雄監督/1997)の印象が強く、この「人間ポンプ」安田里美さんの話を聞いてみようと思ったので。口語でもって一代記が語られてゆく。あんなすごい技(5/23参照のこと)に、タネがあるのかないのか、それもすごく気になるところだった。言っていいのかな……、(ここから→)タネはありません。どこまで物を入れるか、それは変えているようですが、壮絶な努力の末の賜物でした(←ここまで)。さて、実を言うと、著者である鵜飼正樹氏の語っている部分が、やけに印象に残った。安田里美さんに対する気持ちが強くあらわれていて、その思いにじんとしてしまうのだ。亡くなってからまとめられたこの本、彼に捧げるにふさわしい内容になっているなあと思った。

フィリパ・ピアス『真夜中のパーティー』(岩波少年文庫)を買いました。この人の『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)の最終シーンって、ものすごく美しくってあたたかい愛のシーンだよね、もう絶対的支持。だはは、思い出すと涙腺緩むよ。


26(月)
習い事にて(注:雑談中ではありません)。

先生「木が自分と同じくらいの年齢って、どこでわかる?」
私「年輪!」
先生「(げらげら笑って)じゃ、あなたは自分と同じくらいのやつだと思ったら全部切って確かめるの?」
私「あっ。木の高さとか、太さでか……」

先生「この場所に鳥が巣を作るのはどうして?」
私「……春だから」
先生「(爆笑されて)たしかにね、確かにそうだけどね。あなたが家を作るんだったらどこへつくる? 世界中で考えて。コソボにつくる?」
私「あー。その場所が平和だからつくったんですね」

すぐに答えるんじゃなく、ちゃんと考えて答えないとだめのようです。

小野里公成『花火百華』(丸善ライブラリー)と、岡倉徹志『サウジアラビア現代史』(文春新書)を買いました。


25(日)
月に一度は新しい人からメールの来る人(いいなー)、iモードで3万くらい請求が来ちゃった人(ThinkPad買ってました)、宇多田ヒカルに(好きになりすぎそうなので)近づけない人(好きすぎて近づけないなんて気持ちもあるのね!)と、ご飯を食べました。


24(土)
久しぶりにスケートへ。左足が軽くつってしまった。スケートの動きって日常の動きじゃないなあ。前に進むために横に移動するとか。体重移動、遠心力、腕の方向と腰の方向、力の溜めと解放と。物理みたいです。「接線の方向に」なんて言葉も出てきて、数学みたいでもあります。

ティーヌンには寄らず。「7/8の”チューボーですよ”に、本店のコックのだれだれさんが出ます」というハリガミがしてあった。ふーん。

記憶の話をします。何かを思い出すときに、どうやって思い出しますか? 私は、写真に撮るように映像で覚えていることが多いです。例えば試験のとき。頭の中に教科書やノートをそっくり浮かばせて、「これはどこに書いてあったっけ」と、頭の中の教科書やノートをパラパラとめくるのです。開いた教科書やノートの左上とか右下など、視覚的に覚えている。覚えるときにも、書いて覚えるより、読んで覚えるみたいです。手で覚えるんじゃなくて、目で覚えるんでしょうね。

暗誦するのでも、それを口に出して言う時には、頭の中にそれを文字で置き換えたものが浮かんで、その文字を読むような感じ。普通に会話していても、次に言う言葉が頭の中で文字になってあらわれることがあります。それを”見ながら”口に出したり。

ここから目的地までの行きかたを考える時にも、頭の中の映像を使う。例えば今、新宿西口のヨドバシにいるとする。そこから、東口の紀伊國屋に行こう、さてどのルートを使う?

そのときにはまず、私の映像は街を上空から眺めるような感じになる。地面から少し浮き上がって、俯瞰図?鳥瞰図?のように。で、始点(西口ヨドバシ)と終点(紀伊國屋)の場所を頭の中で確認する。そして、始点から終点へ向かうルート上で、今まで通ったことのある風景が、パッ、パッと展開していく。と同時に、頭の中で出来ている地図での、始点と終点を結ぶルート上に、線が引かれるのです。

えーっと、TV東京『アド街ック天国』の最後には、通ったルートのおさらいがありますね。だーっと高速で駆け抜けていく。その作業と、地上より少し上からの鳥瞰図を眺める作業を、一緒に展開していく感じです。ああ、うまく説明ができないなあ。

とはいえ、映像で覚えるからって、人の顔をすぐに覚えられるとか、人の着ていた服を覚えてる、というのとは別みたいです。ただ単に、覚えるときに映像を使っているようだ、ということですね。

大鋸一正『フレア』(河出書房新社)を読み終わる。すごくいらいらする文章だなあと思いながら読んでいて、それは多分、私がこの語り手の彼女ののことを好きになれないからだと思った。違うか、いらいらする文章だから、嫌いになったのか。人の感情がずっと続き、それを読まされることって、こんなに辛いことだったっけ。ひとりごとすぎて辛いんだ。最後のケリのつけかたで、心臓の冷えた気持ちがして、ちょっとすごいと思ったけれど、本当に気になったのは、「ああ、それじゃ、この語り手は一体誰だったんだろう」なんていう、物語の内容とは全く関係のないことだった。「語り手=神の視点?」なんていう考え方を思い出してしまったのだ。

ああ、XIさんは『MI−2』ご覧になられたみたんだ(6/24)。(→物言いがついたので(くふふ)直しました。)『英雄本色』(邦題:男たちの挽歌)のおかげで、ジョン・ウー→二丁拳銃という思考回路がすっかりできあがりました。『英雄本色』といえば、このあいだみた『喜劇王』の最初の撮影シーンって、『英雄本色4』だったんだ。


23(金)
待ちに待った『ジェネックス・コップ』のDVD発売日。劇場公開時の感想はこちら

ン・ジャンユーの出番が少なく感じた
ニコラス・ツェーには、やっぱり華がある
スティーブン・フォンは、黒髪で短めのほうがいい
サム・リーの素(ス)は、オザケンに少し似ている
グレース・イップは、田中麗奈に似ている
仲村トオル、前回よりさらにかっこよく思える
ソニーさー、買い取ったんだったら、責任もってプロモーションしろよ〜。改めて怒りが
劇場公開当時、『美少年の恋』と同時に公開されてて、出演者のダブリがすっごく楽しかったのを思い出し、にやにや。やっぱり合わせてみるべきだ
噂どおり、DVDのみ(?)にオマケでついているメイキングが、すっごくいい
未公開映像も、ふんだん。ずいぶん削ったのがわかる。

メイキングの何がいいかって、出演者の素(ス)の喋りを見られるのが、もうもうもう! それに、舞台裏を知って、よりこの映画が好きになった。

みてください。


22(木)
旅行に行ってるTmiさんからハガキが届いた。15日って書いてあるから、1週間前かー。ベトナム行きたいよー。

シャーロット・アームストロング『あなたならどうしますか?』(創元推理文庫)を読み終わる。「あほうどり」は、主人公と一緒になってイライラしてして読んで、駅に着くのがおしいくらい、途中でやめたくなかった。比較的、予想のつきそうな具合に素直に終わっているような気がした。快哉叫べるところがいい。「笑っている場合ではない」の、コンパクトさは、より絶望的な感じを引き立てるように思える。「オール・ザ・ウェイ・ホーム」は、ウールリッチの短編みたい。「ミス・マーフィ」が、あんな終わり方するとは思ってなくて、一番印象的。屈折してる…。

私の好きな「カレルチャペック紅茶店」から、夏のダイレクトメールが来た。レピシエより商売商売してないところが好きだなー。カタログは見ているだけで楽しいので、取り寄せる価値ありです。オーナーの山田詩子さんの出している本もまた、キュートでいい。『おいしい紅茶のある暮らし』『さわやかなティータイム』『たのしいミルクティーの本』(メディアファクトリー)/『紅茶好きのメニューブック』(文化出版局)。内容はきちんと本格的で、紅茶に合うお菓子がいっぱい載ってる。このごろ家では、これらの本を眺めて、にやにやへらへらしてるうちに、うたたねしてる。幸せでぐーたら。


21(水)
本を読んでいて思う。言葉(の意味)がわかるから、いろいろな感情が起きるんだと。書かれてたものが外国語だったら、内容に関して気持ち悪いって思うことはないのだろうし。きっと、ただの文字の羅列、紙の白と文字の黒が目に映るだけだもの。

ただ、昨日の『ロマン』に関しては、ロシア語で書かれてたとしても最後のあたりは気分悪くなったかも、と思える。異状さを感じたと思う。解説に書かれてた「映像化不可能」というのは全く正しく、言語をあんなふう(”死刑宣告”のようにも見えたので)に扱ってて、それなのに、それが逆に読む側に言語のすごさを感じさせてしまったところが、ものすごいと思った。

「リサイクル図書」に「すばる」(1998.6月号・集英社)がぽつんとあったので表紙を見てみたけど、そそられる人の名前は書かれてない、それでも目次に念のため目を通してみたら、堀江敏幸の文字を発見。ならば持って帰らないと。

いま、堀江敏幸と書くときに、”さん”とつけるべきなのか変に考えちゃうあたり、他の人に対するのと気持ちの上での扱いが違うのかも、と気付く。このあいだ書くときに”氏”を使ったものの、ほんと言うと”氏”はあまり好きな書き方じゃない。かといって、”さん”じゃなんだかやけに一方的に(一方的なのは当たり前だけど!)馴れ馴れしい感じだし、呼び捨ては落ち着かないけど、他の人へも呼び捨てだから呼び捨てにしておこう。

ちなみに、港千尋『写真という出来事 クロニクル1988-1994』(河出書房新社)の書評。最後の”変わらぬ現在にしがみついて、ひどく優しい。”なんていう文に、くらっときてしまう。

一番最後に載っている、江國香織による「とるにたらないもの」、この回は「煙草」がテーマ、読んだら煙草を吸ってみたくなっちゃった。

普段は、歩きながら本を読むなんて考えられないくせに、図書館を出て、まだ暗くならない道を、こうしてぱらぱらめくって歩いているのは、ごくごく自然なことのように思えるのが不思議。かっこつけてるみたいなので、前から人が来たら閉じる。通り過ぎたらまた開く。

歩くのと読むのの、どちらが主従かわからないのが(歩きながら読むなのか、読みながら歩いているのか)、やけに楽しく、それは、図書館からのあのまっすぐな道/夕方/歩きながら、この3つの要素があるからに思える。このときばかりは、文字/本を読むことが好きなのかもしれない、と錯覚する。


20(火)
ウラジーミル・ソローキン『ロマン』(国書刊行会)の2を、昨日以上に駆け足で。解説を少し読んでみたら、どんな結末なのか予想がついたような気もした。が。

2巻の半分くらいで、とうとう、いきなりの殺戮が始まった。鈴と斧! 会話だけ目にするようにし、地の文は避けて通る。どんどん人が死んでいくのはわかる、それで充分。そのうち会話と地の文の区別が難しくなるほどの、改行のないだらだら文が始まり、果てしなく続いていく。どうやら殺しているようだ、といううちは”まだ”良かった。教会でのその”処理”で、も〜う限界。ぐっ。真面目に読んだら、泣きながら吐くしかありません。なので、最終ページまでワープさせていただきました。

映像で酔ったことはあっても、文字で酔った(悪酔いの意味での)のは、これが初めての体験だ……。しかもそれは、描写されてる内容にじゃなく、表現の仕方に、が正しい。うえっ、もう真面目に吐きそうで泣きそうで、胸がむかむかしています。

ごはん食べられなくなっちゃったよ…。おまけに頭がずきずき、おでこが熱っぽい。カーッときたみたいです。

1巻と2巻と分かれているのが、まったく、オツですよ。意味あるかも。殺戮が始まるまでの描写ったら、きらびやかで豪華で優雅で平和で喜びにあふれててさあ(実際、風景の描写なんて、チェーホフのそれみたいで、チェーホフなんて少ししか読んでないのにそう思えるほどの描写力があると思うと、この作家すごい)、それがなんなのどうしちゃったの! 読み終わってみれば、最後のために作った引き立て役みたいに、前半が夢か幻かの喜劇みたいに思えてくるよ。

死は確かに突然やってくる、その意味では、どうして殺戮が始まったのかなんていう問いも、意味をなさないのかもしれない。もういいよ、鈴の音色と斧のプレゼントと共に、天啓のように殺戮はあらわれたってことにしておくよー。

それにしても、いや……、読むべきですね。げぇ〜。うえっ。ではありますが、こういう機会も滅多に味わえないでしょう。素晴らしいという意味とは少し違うけど、最高です。


19(月)
楽しみなことを考えている時間をひきのばすために、楽しみなこと自体をずっとずっと、それこそ永遠に先送りしようかと思うこともある。

ウラジーミル・ソローキン『ロマン』(国書刊行会)の1を、超特急、これ以上はないくらいの速さで駆け抜けた。うわさの殺戮が出てこない。風景の描写がやけに美しくって、生きてるって素晴らしいーみたいな感じもあるし、どうしてそれがスプラッタへ行くことになるんだろう? 狼を殺しちゃったり、ロシアンルーレットが出てきたりで、死と隣り合わせの気分を味わって、奇妙な恍惚感とか高揚感味わってるようだなあ、というのを感じたくらいで。果たして血の嫌いな私に2巻は読みとおせるのか? 報告を待て。


18(日)
しばしの別れのため、中川季枝子・大村百合子『ぐりとぐら』(福音館書店)と、松谷みよ子『いないいないばあ』(童心社)をおみやげに妹の家へ行く。姪と会えなくなるのが妙にさみしくなって、最後に抱きしめようかと思ったけど、そんなことに慣れてない私にはできるはずもなく。

夜は、吉田武トークセッション@池袋ジュンク堂へ。『オイラーの贈物』(海鳴社)や、今ちょびっとずつ読んでいる『虚数の情緒』(東海大学出版会)を書いた人。昨日今日と2日続けてなんて、我ながら酔狂な気もしたけど、どっちにも興味があったのだもの、しょうがない。一見気の弱そうな40代のおじさんなのに、話し出すと饒舌だった。

・文学と数学は役に立たないところで似ている。でも、数学を「役に立つ」ということで必要だとする論もいただけない。世の中は役に立つ/役に立たないで成り立っているわけではない。得になるか、ではなく、喜び、美しさ、楽しさのためとしたい。

・自然数全体と、奇数・偶数の関係。奇数・偶数は自然数の「部分」であるのに、自然数、偶数、奇数は無限に続くものであるという考えをもとにすると、奇数・偶数は自然数と同じだけあることになる。「部分=全体」。無限の考えがはいると、奇妙なことが起きてくる。

・整数、分数についても同じように考えられる。

・分数。数直線上、0と1の間に、分数は無限にあらわされる。数限りない点。

・自然数、整数、分数といった有理数に対して、無理数、たとえば√2は、数直線上のどこにあるのかを考えてみる。無理数は分数であらわせない→数直線上にあらわせない。有理数の点で真っ黒に思えた数直線上には、実は無理数の穴だらけ。

・1×1=1
 1×(−1)=−1
 (−1)×1=−1
 (−1)×(−1)=1
 どうして(−1)×(−1)=1になるのか、これについてはいろいろ説明することは可能、ようは説明された人がそれを気に入るかどうかだ。

・吉田氏が好きなのは2つ。

・@答えが、プラス1が2つ、マイナス1が2つ、という2つずつが美しいという、対称性・美しさの問題。

・A数直線上で考え、×(−1)で、180度回転ということにする。

・では、180度回転の半分、90度回転、だとしたら、何なのか? →それが、虚数 i=√-1。オイラー。

・シュレディンガー方程式…現実を記述する方程式に、歴史上初めてiが登場した。

・不確定性原理について。自己言及には矛盾が生じる。

・量子論について。量子は波であり粒子である。また、波でなく粒子ではない。

虚数が高校課程からなくなってしまうことへの憤慨が根底にあるとのこと。吉田氏の連載も載ってる関係でか、誠文堂新光社の「子供の科学」が配られたんだけど、その連載で虚数について小学生に説明してやる!って息巻いてました。


17(土)
堀江敏幸氏のトークセッション@池袋ジュンク堂に出かける。その前に、ヴァージンメガストアに立ち寄ると、トルコのタルカンのCDが確かにあって、ほんとほんと、コピーに”トルコのリッキー・マーチン”だって。トルコ演歌(と私は思う)の大御所イブラヒム・タトゥルセスのもあった。実は後者のほうがトルコらしいから好きかも。他と比べて見ることがないので、良くはわからないけど、ワールドミュージックも結構あるなあという印象。もちろん、香港や韓国なども。イーキン・チェン『イーキン・マジック』なるものがありましたが、ファンの方々ははすでにチェック済みですね、きっと。

さて、冴西理央さんところで見かけて気になっていたGOMES THE HITMANのコーナーにはCDが4枚入っていて、マキシとアルバムが2枚ずつ? う〜ん、どうしよう、と迷いつつ、これから堀江氏の話が聞けるわけだから「楽しみは1日に1つでいい」と思い、見送る。ありかはわかったし。

15分前にジュンク堂の指定場所に着き、おとなしく座って待つ。定員20名の催し。男の人が多いのに驚く。それも、年配の人がわりと多い。女性は4、5人といった程度。

写真で見たことのあった堀江敏幸氏は、そのままの穏やかな風貌に穏やかな口調で語り始めた。「何を話すか特に決めてこなかった」ということで、とりとめもなく話が続く。

題名のつけ方が曖昧な感じなのは、出版社にしてみれば困ることらしいし、実際発売されたあと、本屋でどういった場所に自分の本が置かれているか調査してみると、例えば『郊外へ』(白水社)が「都市計画」のところに置いてあったとか、『おぱらばん』(青土社)がパリの買い物ガイドの隣に置いてあったとか、いろいろあるらしいのだけど、それは確信犯的なことであるという。それがねらい。

また、文芸誌からの原稿依頼というのは、「なになにについての”エッセイ/評論/創作”を何ページ分」というもので、「何ページあげるから好きなものを書いていい」というものではない。でも、自分が書くものは書き終わるまでどんなもの(エッセイなのか評論なのか創作なのか)になるのかわからないし、依頼されたものと微妙に異なるものが出来上がる可能性がある。その点、「現代詩手帖」や「ユリイカ」は、ページだけくれて好きなように書かせてくれたので自分には良かった、など。

確かに、彼の本を読んでみればわかるとおり、そこには小説でもあり(なく)、エッセイでもある(ない)ような、独特の味がある。ジャンル分けやカテゴライズが嫌いと言っているのを、実際に、見事に文章であらわしていると思う。

また、一見バラバラなように見える書かれたものを並べてみたときに、そこになにか共通してあるものがあったらいいなと思う、とか。

『おぱらばん』(青土社)『子午線を求めて』(思潮社)『つきにでかけたおんなのこ』(フレーベル館)の3冊にサインしてもらいました。『つきに〜』だけ、「これだけひらがなで」とおっしゃって、”ほりえとしゆき”と書いてくださった。憧れの人の前だとあがってしまい、なにも喋れず。そんなものなんだなあ。


16(金)
妹夫婦が大阪に転勤になると聞いた。


15(木)
昨日、図書館に傘を置き忘れたのを玄関で気が付いたけど、取りに戻ろうとは思わなかった。忘れてきたものが自分のものだったら、あきらめが早いような気がする。どんなものだったら取りに戻るんだろう。大事なもの? 私にとって大事なものってなんだろう。

それでも今日の帰りに寄って、「こういう傘を忘れてしまっったのですが」と説明し、見てもらうと、ちゃんとあって、間違えられたり、持っていかれちゃったりしてないんだ、と少しだけ感動した。平凡な傘だし、ちゃんと雨が降っていたから傘を持ってない人もいなかったんだろうね。

堀江敏幸『子午線を求めて』(思潮社)を読み始めた。ゆっくりと。「こう書きたい・こう書けたら」と思わせる憧れの文章が続いてゆく。


14(水)
しかし、今読んでいるのは『イスタンブルは今日も賑やか』(トラベルジャーナル)。といっても、トラベルガイドブックではなく、カルチャーガイドブック。いわゆる観光案内という記事は殆どなく、加えてカタイ本には書かれないことについて知ることができる。長距離バスのコロンヤサービスは、いささか旅めいてはいるものの、住居について、チャイシステム、新聞読者争奪戦、トルコサッカー、トルコポップス、トルコ映画など、「生活」についてを。高橋由佳利『トルコで私も考えた』(集英社)フジイ・セツコ『イスタンブールのへそのゴマ』(旅行人)もそう。旅行に行った先で親しく接してもらえても、生活を知ったつもりでも、あくまでも旅人としてのそれであって、通りすがりの人間であることに変わりはない。旅である以上、生活にちゃんと関わることなんてできないと思う。だから、なかなか知ることのできない「生活」が描かれているものを読むのは楽しくて好き。

雨が止んだ。でも、大きな水たまりには、ぽつぽつと水の輪ができている。水たまりの上にある木が風に吹かれて、葉っぱについたしずくを落としてるからだった。少し前の雨。急に雨に降られて傘を持ってないとき、葉のしげった木々の間をつなげるように走ると、葉っぱが雨をさえぎり雨の落ちる量は少なくて済む。雨が降ったら木の下を、雨が止んだら木の横を歩こう。

上のようなことは、口に出したほうが楽に言える。たとえば、「今日帰って来るときに雨が止んだんだけどさー、木の下の水たまりには輪っかができてるわけ。なんでかっていうと風が強く吹くとバーッと水が落ちてくるからなんだけど、雨が降った時は木の下を走って帰るの、葉っぱがさえぎって濡れないから。面白いよねー、雨が降るときには木の下を通るのに、雨が止んで下を通ると濡れちゃうんだよ」、みたいに。

でも、↑これさえも多分正しくない。ここに”書いている”わけで、本当に喋った場合と違うだろう。


13(火)
ワインによっては、飲んでもくしゃみが出ないことを知った。

神戸のゴーフルの、阪神タイガース缶をもらった。

堀江敏幸『子午線を求めて』(思潮社)。できれば土曜日までに読みたいけど無理そう。
ジェラール・フランカン作・堀江敏幸訳『つきにでかけたおんなのこ』(フレーベル館)。堀江氏初の絵本翻訳。
杉浦康平編『「ふと…」(セレンディピディ)の芸術工学』(工作舎)杉浦康平・北村正利『立体で見る「星の本」』(福音館書店)という、青と赤のメガネで眺める本を持ってて、この人は他に何を出しているのだろう、と調べてみたら、面白そうだったので。
西岡文彦『絵画の読み方 増補改訂版』(洋泉社)。上の本の近くにあった。
戸田拓夫『よく飛ぶ立体折り紙ヒコーキ』(二見書房)。なんと紙付き!でも折るのは自分の力で。折りの基本、折りの合わせ目から、調整法と飛ばし方まで。奥深いんだわー。

二夜さんからお借りしている漫画、今日で全部読み終わってしまった。一条ゆかり『砂の城』(集英社文庫・全4巻)。もっと貪欲に幸せを求めてもいいようなものの、求めるにも気力はいるのかもしれないと思った。これと比べると、一条ゆかり『恋のめまい愛の傷』(集英社・全2巻)には、突き抜けるまでの葛藤は大変だったけど、決めたら進む、エネルギーがあったのかも。

岩館真理子『白いサテンのリボン』(集英社)。短編集。「白いサテンのリボン」での少女の残酷さ、たんたんと描かれているからこわい。「アイリスの小鉢」は、好きな共同生活ものだった。

同じく、岩館真理子『薔薇のほお』(集英社)。短編集。「ヴィヴィアンの赤い爪」、”何が書いてあるかわかってるものは読みたくない”と言う。読みたくない本当のわけは、言葉に振り回されそうな自分がこわいからというのもありそうです。「薔薇のほお」、すりぬけてく月。”今頃 どこで あの月を見てるんだろう”


12(月)
>アサヒグラフのモー娘。特集、保坂和志の文章がすごい。
保坂和志が! 読みたい。でも、6/5付の日記ということは、5/31発売か。


11(日)
デパートでワインフェアをやっていたので、引き寄せられるようにふらふらと。おいしそうなのを見つけた。試飲できますと書いてある。「これおいしそうですね。試飲できますか?」と店員さんに聞いたあとに気付いた。前置きに「おいしそうですね」なんて言うの、なんだかいやしいなー、と。

2種類似たようなのを飲んでみても、あまりピンと来ない。ところが、「これはどうですか」と出してくれたのが、すごくおいしい。「あー、これ、すごくおいしいです」「それは、どれだったかな……、あ、これですね」。示されたものは、今まで試飲したやつの倍の値段だった。どうりで……。「値段はだてじゃないんですね」と言うと、「そうですねー。おいしいの飲んだら、他のは飲めないかな?」と答えてくれつつ、4杯目を出してくれた(それは1、2杯目と同じくらいの値段)。でも、やっぱり3杯目がおいしい。

迷った挙句買ってしまった。

星座早見を買って、梅雨があけたら使おうか。


10(土)
夕方、『喜劇王』をみにキネカ大森へ。Mneさん、Sさんと一緒。客数少ないよー。

期待した通りの、おバカさ加減が嬉しい。セシリア・チャンが、チャウ・シンチーとカレン・モクをくっている、というのをどこかで読んだけど、まさにその通り。ダミ声近い声で、ホステス役@「女子高生初恋の夜」をやってるときと、素顔でいるときのギャップも良くて、魅力的。絶妙なコンビの、チャウ・シンチーとン・マンタのやりとりがあまり展開されなくって残念。

笑いがベースだけど、アクションとロマンスもしっかり入ってて、やっぱり香港映画っていいなあー。ジャッキー・チェンがほんの少し登場。香港で同じくお正月映画として上映された『ゴージャズ』では、チャウ・シンチーがちょびっと出演という、相互出演があったみたい。

目白でごはんを食べて解散。ウォッカトニックおいしかった。ビスコッティーノを買って帰る。コーヒーにひたして食べる。

がくしさんところで知った占いをやってみた。結果。いのしし。


9(金)
起きたら出る時間でした。やってもーた。おとといの件があったというのに、身体が反省しとらーん。

夜から雨と風の音がすごく、「電車止まってるかな?」と淡い期待を抱いたけど、私が家を出るころにはおさまってきちゃって、電車は遅れてなーい。

遅刻届を連絡便に入れておいたら、当番の人が「あれっ、○○さん、遅刻だったの? 電車が遅れたんじゃなかったんだ〜」と、笑いながら言う。そうなんです、恥ずかしいー。昼食時、目覚まし時計話で盛り上がる。1つだけっていうのがあやういんですかね、やはり。おまけに、景品でもらったような手のひらサイズのやつ1つだけで。

会社の机の引出しが、魔法の引き出しめいてきてる。薄く平べったい一番大きいスペースのそれ。朝、紙類を出そうとそこを開けると、お菓子が入ってることがままある。昨日、開けたら「○○課長のお客様からおみやげ。女性だけに」と紙に書かれて、どら焼きが。今朝開けたらハイチュウが。

昼休み、マツモトキヨシに寄ろうと走ってたら、"悪徳商法"らしきおにーさんたちが店の前にちらほらいる。呼びとめられたので(そんなに私はだませそうなのか?)、「仕事中なので!」と言ってマツモトキヨシに飛び込んだ。いい手だ、と思ったけど、考えてみれば仕事中だったらマツモトキヨシに寄ったりはしない。

久しぶりに本を買った気がする。2冊。
廣瀬裕子『とっておきの気分転換』(幻冬舎文庫)、イラストが杉浦さやかさんなので、つい。それから、
近藤史恵『茨姫はたたかう』(祥伝社文庫)

今週、阿刀田高編『日本幻想小説傑作集T』(白水uブックス)を持ち歩いてて、読んでもいた。まだ全てを読み終わってはいない。読み出すとやめられないものが多く、凝ってるし、最後の数行でどひゃーというものも多く、さすがだ、という好印象のものばかり。だけど、実際、心から楽しい時間だったか、っていうと、微妙に違う気がする。読みたくて読んだというより、読まないといけないような気がして読んだ、という感じ。無理して読んでみたら楽しかった、なんだか、食わず嫌いのものを食べてみたらおいしかった、っていうのに似てる。やっぱり読みたいから読むってのじゃないと。

でも、きょう、『茨姫はたたかう』を読みたかったから買い、もう読んでしまった。続けばいいのにと思った。この間読んだ『なにたべた?』を読んでいる気持ちと近い。先は気になるけど、終わってしまうのはいや。物語の幹の部分も気になるけど、会話が心地よい。話してる内容は決して甘くないのに、ずっと聞いていたい。力先生に、病院の先生を思い出しちゃった。

藤原竜也が宗田理原作の『仮面学園』という映画の主演をするようで、それに合わせて『persona』っていう写真集が出るみたい。

髪を切った。


8(木)
ポルトガル映画祭@六本木・オリベホールで、今日は『神の結婚』を上映してた。行くかどうしようか迷ったあげく、結局やめてしまったけど、今になって後悔してる。ビデオにはなってるんだろうか……。

あさっては、『喜劇王』@キネカ大森をみにいく。

二夜さんに借りた斉藤由貴『LOVE』(PCCA-00328)を聴いている。正確には「朝の風景」を繰り返し。この頃は、歌詞カードをみずに、なにかしながらとりあえず流してみる、というのが一番最初の聴きかた。初めて聴いた時には、アイロンをかけながらだった。耳だけをたよりに聴いて、一番残ったのが「朝の風景」。この「朝の風景」の最初の印象は、「幸せなはず(の情景)なのになんて心細く不安げに歌うんだろう」、だった。その後で歌詞を見てみると、ハッピーな印象が強いのに。

このアルバムが出たのは91年で、尾崎豊とは出会った後のようです。尾崎豊以後、っていうのも変だけど、出会った後と知れば、そういう背景を頭に入れて聴いてしまうので、ついつい「読み」をしてしまう。彼女が、尾崎豊との関係を「同志」だと言ったのはとても印象的で、なんだかひどく納得したのをおぼえている。恋かもしれないし、愛かもしれなかったけど、それ以上に同志だったんだろうなあ、と。心(きざを承知で言うなら魂)は確実に近かったと思う……。

斉藤由貴の書くものは、透明なガラスみたいに硬質で、少し残酷で、痛々しい。それがとても好きだった。


7(水)
「8時10分か……。あれっ、いつも家を出るのは……。!!!!!」。寝坊した。ただ、目覚ましかけてなかったのに、一応ギリギリの線で起きられたのはすごいと思った。時計を見た瞬間は、「あ、寝すぎている!」というのと「あれあれあれ?」という、状況が飲み込めないのが一緒になってるので、時間がゆっくり流れているよう。何か物を落とした時にスローモーションに見えるのと似てる。

ちなみに、起きたら始業10分前、起きたら待ち合わせ時間っていうのが、今までの二大遅刻です。

家に帰ったら洗面所にメガネがない。起きたらメガネもかけずにバタバタしていたからか。枕の近くにありました。しかも、つるが曲がってるー。また手で直す。もうだめかも。

A定食が「鶏のオレンジソース添え」、B定食が「鮭の香草焼き」という迷えるメニューで、結局Aにした。盛り方も、鶏の上にオレンジの輪切りを載せ、その上にミントの葉まで添えている。思わず、「おしゃれですね」と言うと、嬉しそうだった。少し前に料理長が変わって、メニューがかなりヘルシー&手作り傾向になってきてる。オムライスなんて、一つ一つ注文受けてから焼いて、卵の内側の半熟部分がチキンライスとちゃんとからんでいたりする。

良く帰りが一緒になる人と、今日の帰りも一緒に歩いていた。DDRの話をしたら、「あ、最近ゲームセンターに行ったらたくさん並んでた」と言うので、「へー、そうなんだー」と答えると、「行ってみる?」といきなり誘われゲームセンターへ。

5台くらい並んでいたDDR、まだ誰も遊んでなかった。「これやろう!」と言われ、シューティングの対戦を1回。それから、ぐるぐるハンドルを回転させるゲームを1回。それで帰りました。健全……。

初対面の印象が最悪の人との関係が変わってきた、かもしれない。「やなやつ!やなやつ!」としか思えなかったけど、悔しいので、くさらないようにし、逆に自分から「おはよーございまーす」と言ったり(大抵無視っぽくされていた)、にこやかに接するようにしたり。下手に出るつもりはなく、試しに、という気軽な気持ちで。このごろは向こうから話し掛けてくれるようになった。一見くせものな人ほど、基本的なことにほだされるのかもしれない、と思う、今日この頃。


6(火)
やっぱり火曜日は眠かった。

社食でうなぎが出た。でも、前回おいしくなかったので、味噌ラーメンにする。おばちゃんに、「うなぎ食べないのねー。せっかく大きいのが入ったのに」と言われても、さすがに「前回おいしくなかったんで」とは言えず、「はははっ、うなぎのほうが良かったかな〜〜」なんつってごまかしてみたり。

うなぎ、大好きなのです! はふはふ。


5(月)
6/3のアナタはワタシなのです。両方読んでいる人でも、わからなかったと思います。 へー、『QUIZ』に”なつめちゃん”というのが出てきたんだ。『QUIZ』は2回目(?)の放送でこわいクイズが出てきたので断念したよ。

ところで、”なつめ”というのは、黒井千次『春の道標』からひっぱってきた名前で、実際は”棗”と書く。髪の長い女の子っていうのがなんとも…(髪がまだ長かったときから使ってて、まさかこんなになるとは思ってなかった)。

難しいですね、愛あるリンクって。ワタシ、冷たいからね(ネタ)。

確かにとりたてて書くことがない日ではあったけど 。社食でAのエビフライ丼にするか、Bのクリームシチューにするか、はたまた冷やしきつねにするか迷って、明日はどうやらまたうなぎが出るのを知り、宿題が間違いだらけで参った上にもっと宿題が出るし、髪切る予約を入れたはいいものの、みる予定だった映画とぶつかってしまうことに気付きちょっと困り、夜、窓を開けたら少し寒かったので、まだまだ夏じゃないんだなと思ったり。


4(日)
駅などで見かける、JAL北海道のポスター。竹野内豊がうつっているんだけど、それを見るとなんかすごーく気恥ずかしくなる。

「東海道五十三次を歩く」とか「奥の細道を歩く」なんていう万歩計を見つけた。「奥の細道」のほうなんて、各所各所で俳句が表示されるらしい。

『マトリックス』は、「相対的な速さの描写」は興味深かったけど、全体的には物足りなかった。

一駅隣へ電車に乗り、帰りは歩いて帰る。夕方になり、風も涼しく、気持ちが良さそうだったので。


3(土)
10:00に高田馬場でおーたにさんと待ち合わせる。案内していただいたカフェは、2軒とも開店していなかった。残念。共通点に笑い、相違点にも笑う。笑いっぱなし。さすが、話上手で聞き上手。狼どうし、バラどうし。

後ろ髪を引かれる思いで、あわただしくスケートへ。3ヶ月ぶりくらいにKdmさんとも会う。スケート場は、すっごく冷えていて、おまけに調子も全然出ない。ああもう全然乗れてないというのが良くわかって、歯がゆくてうんざり。早々に切り上げて、Kdmさんとにやにやしながら「ティーヌン」へ。本日のご飯もの+センミートムヤムのセットを頼む。辛いのに慣れてきちゃった?

3:00に渋谷で二夜さんと待ち合わせ。3:50からの『ヴァージン・スーサイズ』@シネマライズへ向かう。混み混みだと聞いたので早めに行くも、すでに並んでいる。カップルよりも、女の子どうしでみに来ている人たちが多い。ぎっちり満席。

ジェフリー・ユージェニデス『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』(早川書房)が原作。その題名のとおり、五人姉妹が次々に自殺しちゃう話なんだけど、「どうして彼女らは自殺したのか?」なんていうことに一切触れないのがいい。だから、テレビのレポーターが出てきて、「何故彼女たちは…」なんて言ってるのが揶揄っぽくて面白い。なにより感じたのは、女の子のいる空気感の描き方がすごいってこと。もう、スクリーンから女の子の香りがブワーッと香ってくるようだった。部屋の装飾や、小物の使い方も、芸が細かい。電話でレコードの曲を流してやりとりする、っていうシーン、これはせつなくて秀逸。サントラが売れているっていうのがわかるような気がした。

パルコブックセンターで、堀江敏幸(青土社の『おぱらばん』が大好き)の新刊を2冊も見つけてしまう。うわあ。

ご飯を食べて、さて、お茶でもする?っていう提案から、一転、カラオケに行こう!となる。場所を新宿に移し、あちこち当たるも、土曜夜のカラオケは2人連れには冷たい。何軒当たっても、「1時間待ち」と言われる。あきらめて、お茶。閉店まで話し込み、もしかして愛のにじりよりは成功? 本やCDを大量に貸し借りっこ。

人に会うのって楽しいなあーと実感した1日でした。


2(金)
昨日からの、伊藤比呂美・枝元なほみ『なにたべた?』(マガジンハウス)。これを読む前に2冊ほど手にとったんだけど、気分が乗らなくて途中でやめてた。そんなときに、『なにたべた?』に出会って、これだーっと直感。どんどん読み進めたい気持ちと、なるべくゆっくり読んで終わらないように、という気持ちの間で葛藤しながらも、結局はあっという間に終わり。でも、「これは今後も読み返せる本だ」って思いながら読んでいて、それが嬉しかった。

友人どうしのFAXのやりとり。食べ物の話がたくさん出てくる。こういう材料をこうしてああして何を作った、これ食べたあれ食べた……。それだけ取り出しても、とても興味深いんだけど、食欲の、生きることにつながってく線が見えたようで、深いなあと思った。読んでいるうちに、そう思えてきてしまった。

「BRUTUS」#457・2000/6/15号。特集はカレー。カレーの記事とは関係ないところで、欲しかったミルクパンを発見。p.11 これこれ、こないだ新宿伊勢丹の「BPQC」に行ったときに欲しいなあと思ったのは。


1(木)
というわけで、ケーキ買いました。ショートケーキ。スポンジにお酒がきいてておいしかった。

伊藤比呂美・枝元なほみ『なにたべた?』(マガジンハウス)を買って読み始めた。『目かくし』に続いて、おーたにさんの影響だ。まさに裏切らない面白さで展開している。これまたおいしそうだし、関係にうらやましさもある。まだまだ最初の数ページだというのに、いろんな人に勧めたい勢い。読んで読んで読んで!


31(水)
地中海映画祭の参考上映、『シチリア!』(ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ監督/1999)をみに行った。66分の作品なのに、1/3くらい、いや、半分くらい寝てたかも。気が付いたら話がわからなくなってた。寝ないように、昨日早く寝たのに……。全然難しい話じゃないことはわかったんだけど。

パトリック・クェンティン 大久保康雄訳『追跡者』(創元推理文庫)を読み終わる。地の文が喋りすぎてる気が。

よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』(1)(新書館)を買って読む。深夜2時まで営業しているケーキ屋さん(イートインはL.O.が1:30a.m.!)。あまりにおいしそうな描写が続くので、これはもうおいしいケーキを買って帰るしかないと思い、最近、駅前にできたばかりのケーキ屋さんに寄って帰ろうと思った。まだチーズケーキしか食べたことないんだけど、今まで食べてきた中で一番おいしいかも!(ただし、和光のモツォレラチーズケーキは別格)と思えるくらいだったのです。えへへ。

ところが、着いて気付いた水曜日は休み。しょうがないので、今日から「当面深夜1時まで営業する」というSストアに寄る。明日こそ。

それにつけても、よしながふみ、最高。

今日一日中、カジヒデキ「HERE IS OUR STREET! 夏物語」が頭の中をめぐってたので、家に帰ってちゃんと聴く。これがある限り、『MINI SKIRT』(PSCR-5555)>『15人の怒れる男たち』(PSCR-5760)のような気がする。

紅茶花伝のCMでの藤原竜也を見て、ギャーッと叫んでのどを痛くしてしまった。きっと私だけじゃあるまい。


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