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日記のフリindex

2001.052001.07

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0106.htm#20010602


2001年6月

その他

ジョヴァンニ・パピーニ「逃げてゆく鏡」「返済されなかった一日」
内田ユキオ『ライカの写真術』
松浦弥太郎『book bless you!』

スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』@テアトル池袋
山村光春『眺めのいいカフェ』
恩田陸『上と外』(5)
アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅 -決定版-』
佐藤真『SELF AND OTHERS』@渋谷ユーロスペース
是枝裕和『ディスタンス』@渋谷シネマライズ
青山真治『月の砂漠』第9回フランス映画祭横浜2001
服部まゆみ『罪深き緑の夏』
アーサー・C・クラーク『失われた宇宙の旅2001』


30(土)
昨日「とうとう新宿と渋谷の間で(殺戮が)始まったよ!」とNさんから報告を受けたウラジーミル・ソローキン『ロマン』望月哲男訳 国書刊行会,1998(感想1/2)。「庄野潤三とは確かに全然違うね!」「すごい悪いことしたかも。すみませんすみません」「人生の幅が広がったみたい」。そして今日、読了した感想がメールで届いた。

内容についての驚きが数行にわたって書かれていて、最後に“一見クールな○○さんへ ロマンに吃驚の Nより”

読み終わって熱出してちゃクールとは言えまい。残念。

近藤史恵さんところの掲示板レシピに載っていたイスパナックタラマ(トルコ風ほうれんそうペースト)を作ってみたら、おいしくできました。こういう気候のとき、冷たいものというのがまた嬉しい。

某所と続けてはゆきたくもそろそろネタ切れですの微妙にバナナ言及モード。両方読んでいる人はほとんどいないと思います(だから面白い)。GW後、体調崩したときに食べたバナナプリンは苦かったです。今、冷蔵バナナなので、冷凍バナナにしてから寝ます。


28(木)
Nさんが、『メイプルソープ&アラーキー 百花乱々展』@小田急美術館に行ってきたよとチラシと招待券をくれた。チラシで見ていても二人の撮った写真はすごい。静かで端正なのとか、死にかけてるのに色っぽいのとか。

本を読みながらときどき顔を上げると、ぽーっとする。世界が妙にまぶしい。おでこに手を当てても熱く感じられないし、身体全体が熱いのでよくわからない。沼田元気 堀内隆志『ぼくの伯父さんの喫茶店学入門』ブルース・インターアクションズ,2001 を目をチカチカさせながら読み終わる。

そして熱をはかってみた。

買った本。
週刊文春編『傑作ミステリーベスト10 20世紀総集完全保存版』文春文庫,2001
『文芸レアグルーヴ いまぼくたちが読みたい日本文学の100冊』中央公論新社,2001
沼田元気 堀内隆志『ぼくの伯父さんの喫茶店学入門』ブルース・インターアクションズ,2001
「ERIO シュワッとお酒。」日本放送出版協会,2001
坪内祐三・四方田犬彦編集『明治の文学第8巻 泉鏡花』筑摩書房,2001
堀江敏幸『いつか王子駅で』新潮社,2001

7度2分かー。昔の平熱は6度3分だったけど今はどれくらいなんだろ、5度8分くらいかなー。というところで、やっと7度をこしているのに気付いた。ご飯を食べたら2分下がった。

バナナは果物の中で一番楽でいいです。イチゴは洗うし、りんごはナイフで皮をむくし、ぶどうはちまちましているし、すいかは種があるし、大きな柑橘系は皮がかたい。食べるだけならなんでも好きですが ! バナナを買い忘れた。


27(水)
アーサー・C・クラーク『失われた宇宙の旅2001』伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫SF ,2000 を読み終わる。『2001年宇宙の旅』のありえたかもしれない別の物語。映像化できなさそうだったり、むしろ映像化しないほうが豊かに思えるイメージがいろいろ出てきていた。

腕時計を外して3日目。鞄のポケットに入れている。たまに必要で取り出すと、あらぬ時間を示していて巻き忘れてたことに気付く。表面のガラスには傷もつき、硬かった皮のベルトもずいぶんやわらかくなりました。粗雑と馴染。外すようになったのは、電車に乗る時ギリギリのスペースのため、文字盤と電車のドアが当たることが多いからです。ちゃんと愛は残ってるよ。Max Bill by JUNGHANS

身体の外を冷やすより身体の中を冷やすほうを選びがち。

チョコバナナといえば、縁日で売っているチョコバナナっておいしいんだろうか。小さいころ、よく冷凍バナナを食べてた。バナナの皮をむいてビニールに入れて凍らせるだけ。丸ごと凍らせてしまってたので、食べるのに少々難あり。ガリガリする。


26(火)
既に死んだ友達に「一緒に行こうよ」と手をひっぱられる夢を見た人がいる。身体的な怖い描写(血が出る、首が飛ぶ、ナイフ類)はだめでも、そういう心霊ものはあまりピンとこない。

冷蔵庫の中にしまっておいて食べるのを楽しみにしていたお菓子を家族に食べられたと知る。「ちくしょー」と叫びながら右手を前に挙げたとき、夢からさめた。普段さすがに「ちくしょー」は言わないので、よっぽどのお菓子だったんだと思うよ(フォロー)。

アイスは抹茶かバニラがいいです。


25(月)
本棚に上下巻の間に割り込んでいるカバー付の本があった。上下を妨げているのはどんな本だろう? こうやって“新しい本”に出会ったりする。チェーホフだった。

夜10時の悩みは今からアイス食べていいものだろうか? しない後悔よりして後悔、夜11時に食べて後悔。

原田知世『Summer breeze』(FLCF-3868)も出てたようなのですが、昨日の2枚あれば別にいいかも。

スピッツが良くてカジヒデキに変えられないなこりゃと思いつつも聴いてみている。夏だなあ。1回目は「45 IS MAGIC NUMBER」がいいと思い、2回目聴いたら「AUGUST OF P.」がいい。でも、“オキニイリノキスハ ヌレテルクチビル”には、「どうよ?」と言ってみたくなる。

スピッツ「ジュテーム?」の“ジュテーム…そんなとこだ”がとてもいい感じです。


24(日)
aikoを買うつもりが、スピッツ『隼』(POCH-4001)カジヒデキ『AUGUST E.P.』(PSCR-5700)を買っていた。

霧吹きされながら歩いてるような夏の前。夏なら許すという気分の最近だから、夏になるまでの変な天気も構わない。だらっとした湿度の中でだらっと過ごすのも幸せ。梅雨ごしに眺めて夏は余計にすばらしい。


23(土)
「怖くて魚をおろせない」というのは言い訳にならないんだろうか。調理実習などで近くにたくさん人がいれば大丈夫だと思うんだけど、一人ではやっぱり無理です。実家で料理を手伝わされていたとき魚のおろすのだけはどうしてもだめで、泣いていたらひどく叱られました。

解凍して中途半端な感触のタコもたまらないです。ギャー ! と言ってしまったこともある。生花を捨てるのが怖いのも、「かつて生きていて今はもう死んでしまったもの」を強く実感してしまうからで。

克服しようとしても克服できないことを強要されるのは酷です。怖くない人には理解できないんでしょうけど、「いまの若い人は魚もおろせなくて」と言われると、かなり悔しい。悔しければ泣きながらでもやりゃあいいんでしょうが、そこまで張り合う気もないので甘んじて受けます。どうせイカだってさばけませんからね !

……今日一日の出来事とは全然関係ないことを書いてみた。

服を見てお茶してカラオケ、12文字の6時間、いちばんシンプルなあらわし方。言葉は嘘をつく、どこがシンプルな6時間か。なんて書くとまたデートと誤解されるのかー。女性と会うのも好きな人とだったらデートと思ってるからいいや。

ちょっとよそ見をしている間に手の届かないところに行ってしまう、それが理想。


22(金)
会社に着くのは始業の20分前で、Nさんに合わせてそうしている。寝坊した今朝、お弁当を作らなければそれに間に合う時間ではあった。が、会社に着くのを15分くらい遅らせることにする。つまりNさんよりお弁当を取ったわけだ。

目が覚める直前に「久しぶりに社食で食べたらおいしくなかった夢」を見ていたからかもしれない。

8ヶ月ぶりに会ったXIさんに、そのことについて考えてたのがどうしてわかったの? とでもいうような話題を投げかけられた。何もないことを悩むのではなく、具体的な何かに対して悩むことをしたい。ぼんやりした不安感も理由がわかったほうが不安が減るものだし、立ち向かう「何か」に明確な形を与えたい。悩みのレベルアップをはかりたいよ。


21(木)
服部まゆみ『罪深き緑の夏』角川文庫,1991 を読み終わった。けだるさとあきらめと冷たさが同居する独特の雰囲気が素敵。甘ったるい優しさの入り込む余地はない。

「Olive」マガジンハウスの復刊第一号と、こちらも復刊の稲垣足穂『人間人形時代』工作舎,1975 を買った。本の真ん中に7mmの穴が開いていて向こう側が見えるのです。


20(水)
フランス映画祭でただ一つ上映される日本映画、青山真治『月の砂漠』をみに行ってきた。

家族の再生をテーマとしているが、表現するための装置が大きすぎるような気がした。それでも、この問いにどう答えるのか、どう行動するのかという予測のつかなさ加減から才能のある人なのだろうと思う。これで三つみたことになる青山真治の映画には、登場人物の心情がいまいち強く響いてこず、所詮はすべて他人事だと思えてしまうような映画とこちらの間の壁・距離を感じる。それがいいとか悪いとかいう問題は別にして、共感者になるのを拒まれ傍観者にしかなれないような気がするのだ。

映画のあとに質問時間が設けられていた。二人目に質問した男性があきらかに喧嘩売りモード。嫌味を交ぜながら「監督は何を表現したかったのか」と問う。理解できなかったのならそれまでのこと、監督に聞けば済むという問題ではあるまいし、もちろんそんなことは先刻承知の上での質問に決まってる。さすがにムッとした青山監督が「質問の意味がわかりかねます」と言い始めたとき、別のお馬鹿さんが「今のかたの質問を“翻訳”して言い直します」とさえぎって、「この映画の前に上映したフランス映画は素晴らしかった。それに比べてこの映画には不変がない」てなことを言い出す。全然“翻訳”じゃないじゃん。彼はそれだけを言い残し、回答も聞かずに会場を出て行った。本人たちは得意のつもりだろうが、大の大人がお馬鹿な愚問を投げかけて醜態さらしてみっともない。質問したなら回答聞くまでそこに残れよ。


19(火)
夕方からの雨はまだ降り続いている。


18(月)
偶然の出会いと不治の病、抱きつづける希望の話を聞いた。


17(日)
朝11時からのモーニングショー、佐藤真『SELF AND OTHERS』をみに渋谷ユーロスペースへ行く。約1時間の静かな映画。私がフィルムで見ているこの目は写真家・牛腸茂雄を見つめた目である、て感じ。

つまり、

ずいぶん昔のことになるが、ある日、私は、ナポレオンの末弟ジェロームの写真(一八五二年撮影)をたまたま見る機会に恵まれた。そのとき私は、ある驚きを感じてこう思った。《私がいま見ているのは、ナポレオン皇帝を眺めたその目である》と。

ロラン・バルト『明るい部屋 写真についての覚書』花輪光訳 みすず書房,1985 p.7

夕方には渋谷シネマライズでの是枝裕和『ディスタンス』をみに行く。一晩の物語を2時間超でみるのに冗長で退屈。途中寝てしまった。考える材料が少なすぎる。


16(土)
久しぶりにスケートに行ったあと、『2001年宇宙の旅』をみにテアトル池袋へ行く。先日行ったときよりも音が良かったような ? やっぱり身体が震えました。

ゆかたと眼鏡を見たいと思い、あちこちふらふら。ゆかたは三つ羽織らせてもらった。紺地に白と黄の百合柄、紺地に白の百合柄、白っぽいグレーに黄と青の花火。どれもいまどきな感じのゆかたではなく、昔からあるようなタイプのもの。一番しっくりきたのは紺地に白と黄の百合の。黄と若草色リバーシブルの帯を合わせると、結構モダンな感じになっていいなあと思った。でも、着るのに必要なものの計算すると恐ろしいくらい金額が張る。

眼鏡は前に欲しかったタイプをまたみに行った。でも、なんだかしっくり来ない。今のとは違うタイプ、かつ似合うものとなると、なかなか見つからない。


15(金)
アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅 -決定版-』伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫SF,1993 を持って水曜日と同じ場所へ。気が付いたら半分以上読んでしまっていた。やめられなくて帰りの電車と家でも読む。

映画をみていたせいか、映像が浮かんでするする読むことができたのが良かった。映画で謎に思った箇所を本で読んでいても、解釈の一つの例として冷静に楽しんだ感じです。お互いを補いあっているわけでもなく、まるっきり別物というわけでもなく、「映画」と「小説」は不思議な関係にあると思った。でもやっぱり映画のほうは天才。生きててよかったって思ったよ。

つい、石田節子『ひとりで着られる小粋なゆかた』日本放送出版協会,2001 を買ってしまった。いいね〜、すごくいいね〜。去年のいまごろも「ゆかたいいなあ」と書いた覚えがある。土日に近所に行くときにでもちょくちょく着れば元は取れるかななんて思いつつ、安い買い物ではないのでなかなか手が出せない。それに、ゆかたならば髪を結いたいけど髪の毛ないしぃ。

チャーリー・タンタンと命名されました。チャーリー・ブラウンタンタン !


14(木)
山村光春『眺めのいいカフェ』アスペクト,2001 も、「読み終わった」というのが似つかわしくない本だ。そう、やっぱり店・店員さんにとっての「いい客」でありたい。知り合いとか友達とかじゃなくて「客」です、それが大事。

恩田陸『上と外』(5)幻冬舎文庫,2001 を読み終わる。「続きものは完結してから読んだほうがいいかも」と最近とみに思う。

買った本4冊。
小石原はるか『スターバックス マニアックス』小学館文庫,2001……はやりもの。楽しげ。
アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅 -決定版-』伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫SF,1993……それほどなのです。
内田ユキオ『M型ライカの買い方・使い方』ナツメ社,2001……買えないし買わないけどいいの。
カール・マルクス 金塚貞文訳『共産主義者宣言』太田出版,1993……実は、とあるカフェに置いてあって存在を知った。赤と黒の印象的な装丁。


13(水)
『2001年宇宙の旅』感想)。「中学の時に偶然劇場で見た」ってほうが羨ましいです。やわらかな心を失いつつある(失ってしまった?)今でさえあんなにショックを受けたのに、中学の時にみたらどうだったんだろうと想像してしまう。オープニングの映像ですでに心震えてて、これは傑作だって確信し、「ドナウ」を聴きながらボーッとして「天才」って思ってた。なにがどうショックだったかまだうまく説明ができない。あるいはずっと説明できないかもしれない。とにかく、22日までに時間をつくってまたみに行きたい。

週に一度くらいのペースで行っている場所へ行く。先週は行きそびれてしまい、自分の中で久しぶりな感じが少し。

中に入ると椅子の配置が微妙に変わっていた。いつも座っていた「場所」は変わりなくあるものの、テーブルと椅子が変わり、置いてある方向も変えられていた。その2つある椅子のうちの片方に座り、落ち着かないので即座にもう片方へ移動したところ、店員さんに「こちらでよろしいですか?」とたずねられる。窓際寄りの席を指し、あちらもいかがですか、という感じに示される。このあたりの会話、あやふやだなあ。私は思わず立ち上がり、窓際の席をじっと見つめ、少し考えて、「ここにします」と最初の場所に座った。

注文したものを持ってきてくれたとき、その店員さんに「この席がお好きなんですか?」とにっこりしながらたずねられた。「はい」とこちらもにっこり答える。ここに通うようになって初めて会話に雑談ぽさを感じた一瞬で嬉しかった。必要でないことを話すのを、雑談と定義するならば。

恩田陸『上と外』(5)幻冬舎文庫,2001を読んだり、この席が好きな理由を考えたりして過ごした。理由は、死角である/近くに席がない/二つの窓との距離がいい、など、つまりは一人になれる場所だからだと思う。でもすぐには理由がわからなかったし、これらも本当の理由なのかどうか ? 好きに理由はない、うん、便利な言葉 !

どちらにしても、答えは「はい」と短く、それしか考えられなかった。

私はただこの場所のいい客でいられたらなあと思うだけ。


12(火)
私鉄に乗っているときから「山手線は信号機故障の影響で10分から20分に1本という運転になっています。情報によりますと池袋駅は大変な混雑の模様です」というアナウンスを2度聞いて、うんざり覚悟を決める。乗るときにバンッと電車に向かって突き飛ばされて押し付けられて、電車と線路の間に落ちるんじゃないかとひやひやしたものの、待たずに乗れた。

混んでいる電車で靴を踏まれる度に新しい靴を履く機会を逃していく。コンバースに頼りっぱなし。

恩田陸『上と外』(5)幻冬舎文庫,2001 を買っておいた。今は本を読むのが楽しくないので無理して読まない。……と書いてしまうと翌日読んでいたりもする。そういうもんだと思う。


11(月)
松浦弥太郎『本業失格』ブルース・インターアクションズ,2000 が届いたので電車の中で読みながら帰る。あんまり興味を持てないなあと思いながら読み進めていたところへひっかかった記述が出て来、いっそ読むのをやめてしまおうかと思った。でも装丁がいいから持っていてもいいや。

ある掲示板で、「(写真集とかレコードとか)自分で買ったものじゃないものが部屋の中にあると嬉しいと思う」というような文章を読んだ。ちょっと救われてちょっと羨ましくちょっと実感。誕生日のプレゼントに本やCDがすごく欲しくなった!


9(土)
スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』@テアトル池袋をみてきました。初日初回。お客さんはほどほど。

キューブリックの映画もこの映画自体もどちらも初めてで、内容は全然知りませんでした。なにもかもまっさらな状態でみた映画。

みおわって「天才」って思いました。素直ですみません。


7(木)
Nさんに「魯山人の本持ってますか?」と聞いたら、「たぶんあると思う」と翌日持ってきてくれた。借りて時間が経つのにまだ全然読んでいない。白崎秀雄『魯山人の世界』アートデイズ,1998

世田谷美術館で「暮らしに美術を−たとえば魯山人と共に」という企画展をやっているよとメールをもらう。7/1(日)まで。

数年前「すべてに対してあきらめている」と言われても自覚がなかったくせに、このごろは自分から「私はあきらめているから」と言えるようになってしまった。すべてに対してではなく、将来の目標や人生設計などでもなく、人との付き合い(方)に対して、いろいろな意味で「あきらめている」。少し悩んでも「あきらめ」が私を楽にしてくれる。

取り戻したい人間関係がないというのもひどい話だと思う。ようは構築・積み重ねをしていないから取り戻すもなにもないのだ。あんまりこんなことを書いていたら読んでいる人のほうがさみしい気分になってしまうかもしれないから良くないね。

刹那、か。


6(水)
デパートにテオブロマが出張に来ていたので、チョコではなくシュークリームを買ってみた。固めでさっくりの皮にオレンジ風味のクリーム。おいしいけれど、シュークリームの皮はもっと甘くないのが好きで、クリームもとろとろやわらかいのが好きかもしれない。

オクタビオ・パス『弓と竪琴』牛島信明訳 がちくま学芸文庫に入ったようです。これ、題名だけはずっと頭のすみにあって、ただし内容はどんなものなのか全然知らない。詩論? 実物もまだ見ていない。どこで知った情報だったんだろう。

たまたま立ち読みした箇所が良かったので、山村光春『眺めのいいカフェ』アスペクト,2001 を買った。

ちょっと前まで、ひとっとびに早くおばあさんになりたかった。縁側でひなたぼっこしながらお茶飲むんだ。本気でそう思ってたから友達にもそう言ってた。けど、今はちょっと違う。素敵なおばあさんになるのは目標ではあるけど、ひとっとびではなくゆっくりとがいい。黒い服と「あたくし」という人称が似合うおばあさんになりたい。60になったら煙草を始めてみようかなとも思う。ともかく、おばあさんになるには時間が必要。


5(火)
Nさんに「誰々の何々を読みました」と話すと、その後、それに関係する新聞切り抜きをくれたり、ちょっとした小冊子を手に入れたりしてくれる。今朝も「木田元が載ってるよ」と、岩波文庫編集部編『読書のすすめ 第6集』岩波書店(配布物)を貸してくれた。

牛島信明、木田元、坂田靖子に清水良典などなどの“読書のすすめ”。木田元の原点がドストエフスキーにあると知ってから『偶然性と運命』岩波新書,2001感想)を思い出すと感慨深い。ずっと書いてみたかったテーマでとうとう書き上げた『偶然性と運命』、その最終章の美しさに合点がいった感じ。

そういえば、ウラジーミル・ソローキン『ロマン』望月哲男訳 国書刊行会,1998感想) をすすめてみたら、ちょっと興味を示してくれた。けど、庄野潤三を読むような人に『ロマン』をすすめてはいけない気もした。


4(月)
「トムとジェリー仲良く喧嘩しな」。プラス、「親しき中にも礼儀あり」。

七面鳥カフェではスイカのお酒、CAFE&BOOKSではレモンリキュールのジンジャエール割り。隣でサラリーマングループが病気と健康について語ってた。ちょっと笑う。

夏の夜は散歩でしょう。どこでもドアが欲しい。早く帰れるためというより遅くまで遊べるように。


3(日)
あちこち歩いたルートは省略。「所蔵作品展 写真再発見2」@東京国立近代美術館フィルムセンター展示室に行ってきました。→内容東京国立近代美術館フィルムセンター

この間、別の写真展でアクリル板の反射が強かったのをこんなものかなと思ってたけど、あれは照明の当て方が悪かったのではないかと思った。だって今日のは反射なんて感じられなかったから。内容もバラエティに富んでいて面白かったし、写真の焼きもガリガリしてるのからやわらかいのまでいろいろなのを見られて、やっぱり写真家の魂はプリントに宿るのだろうと感じた。

入場料100円也。


2(土)
いつの眠りの時だったかすばらしく幸せな夢を見ていたのだけ覚えてる。相手の登場人物は見知らぬ人と知ってる人をまぜてもっと素敵にした感じ。夢だと思えなかったのに、さめたとたん夢だと知った。

2日間で読み終わった本の感想。

ジョヴァンニ・パピーニ『逃げてゆく鏡』河島英昭訳 国書刊行会,1992 から、「逃げてゆく鏡」「返済されなかった一日」

「逃げてゆく鏡」。身体は動かず、しかし思考することはできる状態で永遠に時が止まってしまった場合、その切り取られた「瞬間」のままでいることを自分で許せるかどうか。大部分は、「こんな瞬間はいやだ」という時に止められてしまいそう。いつ止められてもOKという瞬間瞬間を生きるのはさすがに無理。“未来”を信じているからこそそれに投資して“この瞬間”は消費される。

「返済されなかった一日」。最後に収められている短編で、一番わかりやすく万人受けしそうな内容に思えた。自分の若き日、23歳の1年間を貸し出す代わりに、今後好きなときに「23歳の自分」を1日単位で返済してくれるという約束を、ある老人と交わしたという老婦人。1日だけ残してある「23歳の自分」。寿命が尽きる前に、今一度恋愛をしたいと望み、語り手の「わたし」も老婦人に「その1日を私のために」と申し出、1ヵ月後の再会を約束して別れる。そして、その約束の日に「わたし」が老婦人のもとを訪ねてみると、という結末。感想=ネタバレになりそうなので、ここでストップ。

内田ユキオ『ライカの写真術』ナツメ社,2001。ものすごくライカが欲しくなりそうで怖かったけど案外そうでもなく、かといってこの本が魅力的じゃなかったということではない。ライカに対する愛を書いたものって、えてしていやらしい感じになるものが多いのに、そういうのが全然ない。ライカのことは好きだけどそれ以上に写真を撮ることが好きなのだというのが感じられたからか。

松浦弥太郎『book bless you!』M&CO.TRAVELING BOOKSELLERS,2001。本は通販で買うことができます。背表紙にのみ本の情報が載っていて軽くて薄くて小さく表紙はやわらかい。こういう持ち運びに便利な本は嬉しい。#01がブルーノ・ムナリに関することだったのも、なにかの縁かしら。June 02,2001

木曜日から池袋東武La Famille(豊島区西池袋3-33-24)が出張販売に来ていたので買って帰る。池袋にあるお店なのですが、ちょっと離れててそこまで行くのが面倒なので嬉しい。6/6まで。で、その3つか4つ左隣に、富久屋(埼玉県東松山市材木町6-8)という和菓子も出店していて、早速買ってみたという友人の「ものすごくおいしかった」という情報を聞いて、あずき豆腐と抹茶くずもちを買ってみた(ほかにもいろいろあります)。甘さを非常に抑えてて上品な味。食感も、ぶりぶり系好きにはたまらないと思う。


31(木)
ジョヴァンニ・パピーニ『逃げてゆく鏡』河島英昭訳 国書刊行会,1992 から、「<病める紳士>の最後の訪問」「もはやいまのままのわたしではいたくない」「きみは誰なのか?」「魂を乞う者」「身代わりの自殺」を読む。

「<病める紳士>の最後の訪問」。<病める紳士>の悩みがそのまま私にうつってきて、夜、横になりながら読んでいると奇妙な恐ろしさを感じた。眠りにつくのが少し怖くなる。私が眠ってしまうことで、誰かの眠りが覚めてしまったら?

「もはやいまのままのわたしではいたくない」。自分以外のなにものにもなれないと気付いた、自分以外のなにものかになりたいわたし。自殺もできないのは、自分以外の存在として生きたいと思っているから。自分以外のものになりたいというのが、永遠に絶対的に叶わない八方ふさがりの願望であることを改めてつきつけられた。

「きみは誰なのか?」。自分が周りを認識できない記憶喪失になるのと、自分が回りから認識されない状態、どちらがおそろしいだろう? 孤独を経験した人は、孤独を知ったがゆえにより深く孤独を感じることになるのではないか。

「魂を乞う者」。平凡や標準はどこにある? 見つけにくいものらしい。でも私は自分を平凡としか思ったことがない。

「身代わりの自殺」。「わたし」が言ったセリフはまっとう。「彼」にむかつく。


30(水)
本を買う。竹内外史『集合とはなにか』講談社ブルーバックス,2001(1976)/菊間潤吾監修『イスラムの誘惑 コンプリート・ガイドブック』新潮社,2001/坪内祐三・小谷野敦編集解説『明治の文学 田山花袋』筑摩書房,2001/『写真集をよむ ベスト338完全ガイド』メタローグ,1997/堀江敏幸『回送電車』中央公論新社,2001

『イスラムの誘惑』は、シリア・レバノン・ヨルダン・サウジアラビア・トルコ・イラン・ウズベキスタン・トルクメニスタン・オマーンの紹介。弱いです。カラー写真ふんだんでお金かかってる。買ってから気付きましたが、シリア部分に江國香織のエッセイが載っています。

『回送電車』の装丁、表紙の写真部分をついつい手でなでてしまう。ぱらぱらめくった時のおだやかさ加減というか字の詰まっていないのに惹かれて、ひとつふたつ読んでみた。「山の神さまがつける口べに」(p.83)の美しさに涙。とりあげられている小説と堀江敏幸の文章との相乗効果だなあ。美しいものを美しいままに紹介できるってすばらしい。

滅多に電話がかかってこない人間に電話が2件。あまり嬉しくないものと悲しいもの。


29(月)
牛腸茂雄+三浦和人写真展『波紋と共鳴−「SELF AND OTHERS」のゆくえ』をみに、スタジオエビス・フォトギャラリーに寄る。映画『SELF AND OTHERS』がNHK首都圏ネットワークで紹介されました。だそうです。牛腸茂雄の写真は、私にとってはひどく静かでしんとしてて、温度を感じさせないものでした。三浦和人の写真は、『会話 correspondence』からのもの。

有森博『ラフマニノフ:音の絵』fontec FOCD3468,2000 を買って帰る。3年前の新聞の記事を読んで以来なんとなく気になっていた人。音が、耳になじみすぎるほどなじむ。

木田元『偶然性と運命』岩波新書,2001を読み終わった。「最初からあきらめてる」「できそうにない」と前置きするのも珍しいし、引用している文章についても、はっきりと「こう」とは断言せずに、「たぶんこう」という雰囲気が漂っていて、わからないこともあるんだなあと安心したり、そんなんでいいのかなとも思ったり。帯の文句は魅力的ですが、あとがきに書いてあるとおり(最初に読むのもいいと思う)結論はないです。ただ、ドストエフスキーの作品とからめた四章は、それまでの章をふまえつつ、なかなか美しいまとめかた。説教くさくなる一歩手前で踏みとどまっている。

工作舎が30周年記念で稲垣足穂『人間人形時代』を記念復刊したらしく、実物を見たら少し欲しくなりました。

買おうかどうしようか迷った本を手に取り帯を見てガーン……。著者と同じことを思ってると知るのは基本的に嬉しいけど、今回はショック。自分で考えた言葉だったのに、あまりなタイミングなので、そうじゃなく見えてしまう。いいと思ったことに先駆者がいたってこういう気持ちなんだろうか。


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2001.052001.07