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日記のフリindex

01.1102.01

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0112.htm#20011201


2001年12月

その他

フリードリヒ・グルダ『ドビュッシー:前奏曲集第1巻・第2巻』
サンソン・フランソワ『ドビュッシーピアノ名曲集』
ロバート・ワイズ『サウンド・オブ・ミュージック』
アレハンドロ・アメナバール『テシス 次に私が殺される』
エルンスト・ルビッチ『街角 桃色の店』
ミルチョ・マンチェフスキー『ビフォア・ザ・レイン』
ジョン・カサヴェテス『アメリカの影』@吉祥寺バウスシアター
ジョン・カサヴェテス『こわれゆく女』
ベニー・チャン『ジェネックス・コップ2』@キネカ大森
中川洋吉『カンヌ映画祭』
マイケル・ウィンターボトム『アイ・ウォント・ユー』
ジョン・カサヴェテス『ミニー&モスコウィッツ』@吉祥寺バウスシアター
ジョン・カサヴェテス『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』
アンリ・コルピ『かくも長き不在』
アーサー・シモンズ『エスター・カーン』(1)(2)
フランク・キャプラ『ポケット一杯の幸福』
ジャ・ジャンクー『プラットホーム』@ユーロスペース
ジャン=ピエール・ジュネ『アメリ』@シネマライズ
キャメロン・クロウ『バニラ・スカイ』@ワーナー・マイカル・シネマズ板橋
ウー・ティエンミン『變臉(へんめん)この櫂に手をそえて』
チャールズ・チャップリン『街の灯』
エドワード・ヤン『ヤンヤン 夏の思い出』
ジョン・カサヴェテス『オープニング・ナイト』
佐藤信介『修羅雪姫』@テアトル新宿
谷川史子『魔法を信じるかい?』(3)
東野圭吾・杉田比呂美『サンタのおばさん』

アレッサンドロ・ブラゼッティ『こんなに悪い女とは』@東京国立近代美術館フィルムセンター
アニエス・ジャウイ『ムッシュ・カステラの恋』@銀座テアトルシネマ
ビリー・ワイルダー『情婦』
岩井俊二『リリイ・シュシュのすべて』
ルイス・ブニュエル『昼顔』
片山洋次郎『整体 楽になる技術』
フランク・ボーゼージ『第七天国』
山中貞雄『人情紙風船』@シブヤ・シネマソサエティ


31(月)
モーニングショー、朝10:00からの山中貞雄『人情紙風船』(日・1937)@シブヤ・シネマソサエティをみにいく。

29歳にして戦争で亡くなった山中貞雄の遺作。長屋暮しの人々の生活を描く。これが武士の妻というものなんだ……。全体を覆うやりきれなさにほんの少しのユーモアを感じるとき、かえって哀しくなる。地面に打ち付ける雨の描写は、ぞっとするほど美しく、冷たい。

人を通じ「死」について考えることの多い年でした。焦り気味に過ごしているような気がしているので、前のめりではなく後ろに重心を置いた姿勢で毎日を送りたいです。

2001coolestならぬ、2001cooler。全然coolじゃないよ…。


29(土)
遅く起きて年賀状を書いてから新宿TSUTAYAにビデオを返して借りて。午後の電車は空いているのに街の中は異常に混んでいた。

アニエス・ジャウイ『ムッシュ・カステラの恋』(仏・2000)感想)のCMをTVでみた。予告編なんてメじゃないほどの最っ低ーなつくり。映画の映像を流している中、フランス人とおぼしき男女数人が「ムッシュ・カステラの恋、いいです」「ムッシュ・カステラの恋、楽しいです」「ムッシュ・カステラの恋、みてください」などと繰り返し言うだけ。勘弁して。

ジョン・カサヴェテス『グロリア』(米・1980)を再びみる(前回感想)。スローモーションだからこそ動きと勢いを含み、それが画面に収まりきれずに広がってってしまう豊潤なあの場面には本当ぐっとくる。あの場面には魔法がかかってる。

年末年始で山中貞雄『人情紙風船』(日・1937)ロマン・マチャーノフ『チェブラーシカ』(ロシア・1969-1974)を考え中。

“おやしゅみ”


28(金)
仕事納め。ビールって案外おいしいと初めて思った。

今年3月くらいから週一くらいのペースで通ってたカフェへ行くのも今年は今日が最後になる。今まで会話らしい会話も、自分から話しかけたこともなかったけれど、「よいお年を」くらい言おう、と決めて行った。二組来ていたうち一組が去ったあと、残った一組がとてもうるさい。かかってきた電話へ大声で喧嘩口調、その後、二人で電話相手の悪口大会。私以外客もいないし、感情も入ってどんどんヒートアップ。きっとお店の人もうるさかろうと思うと別に頭に来るわけでもなく、あんまり早く帰るとうるさくて帰るみたいだからいつもと同じくらいいてから、帰り支度を始めた。お金を払おうとしたときに、二人いるおにいさんのうち後ろのほうにいたおにいさんが、手を合わせてちょっと頭を下げるような格好をしているのに気付いた。「うるさかったでしょう、ごめんなさい」の意味か、とそれを見た瞬間気付いて「あはは」と笑ってしまった。おつりをもらうときに、「今年は今日が最後なのでまた来年来ます。よいお年を」と挨拶できました。10ヶ月目にしてやっと話し掛けられた!

片山洋次郎『整体 楽になる技術』ちくま新書,2001 を数日前に読み終わり、最初からまた読み返している。「ずばり整体とはなにか」というより、身体と心のつながり、心身相関について書かれていると言ったほうが近い。『かわいいからだ』『かわいいこころ』(メディアファクトリー)など寺門琢己の著作を面白く読んだ人なら興味深く読むと思う。より万人向きか。

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フランク・ボーゼージ『第七天国』(米・1927)

「僕は出来のいいヤツだからね」というちょっといきがったセリフが最後になって効いてくるのなんのって。

ディアンがあの部屋を初めて訪れたときに彼女の髪が少し揺れることで窓から吹く風のおだやかさを感じ、ここは本当に天国っぽいなあと思った。シーコウは口は悪いけど、いざという時に行動できるのがいい。ディアンが、シーコウの後ろで服を持って立っているところ、それに気付いたシーコウが服をバッと取って自分で着て、でも顔がにやけているのがほほえましくて楽しい。

“天国の部屋”へたどり着くまでの彼の足取りと、上から映したらせん階段に彼がのぼってくる90度回転した姿を配置した映像がものすごく印象的だった。そして、「ディアン!」の字幕のあの大きさ! 彼の見えなくなった目は、言葉どおり彼女の姿が焼きついたような目をしてた。

自信家というほどではないにせよ、「僕は出来のいいヤツだからね」というセリフを何度か耳にしたときにちょっと言いすぎ? と思ってた。が、最後、目の見えなくなった姿で彼女の前に登場し、「でもじきに見えるようになる」という言葉のあとにこのセリフを言われたら、もうしみてしみて泣くしかなかった。


27(木)
目が覚めた時にはいつも家を出る時間を20分超えてた。「は? もう休みに入ってたっけ…今日何曜日だっけ…木曜日じゃん!」と飛び起きて、遅刻の言い訳を考えてうろうろしつつ急げばなんとかなりそうな気がして10分で支度。あとは走って走って、でも電車は行ったばかりで乗りつぐ電車も待つことになって、電車の中で言い訳なんて考えてる場合じゃなかったと後悔の時間を過ごし、駅に着いたらひたすら走る私の横を自転車に乗ったおじさんが大きな声で歌を歌いながら追い越していったのはちょうど会社の前だった。3分前着。

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ルイス・ブニュエル『昼顔』(仏・1966)

いきなり「ええっ!」という始まり方でびっくりしたけれど、その表現も含めてイメージしていたよりものすごく上品なまま進んでいく。

初めて仕事をする日のためらいがういういしく、はじめは「煙草は吸いません」て言ってたのにしばらくしたら普通に吸っていた。環境には適応してゆくものなんだ。

カトリーヌ・ドヌーヴ演ずるセヴェリエーヌは心と体が自分の中で分離しちゃっているのかなあと思った。夫のことを愛しているのは事実なんだろうけど、体が気持ちと一致してないから、夫には心で愛しすぎてて体を交わせず、客相手の愛のない状態でしか体を使うことができなかったのかもしれない、と。

「自分でもよくわからない」というようなセリフにぴったりの、本当に「わからない」顔をしていたドヌーヴが印象的。

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先日、AIBOが実際に動くところを見てしまった。クリスマス時期だったので「きよしこの夜」に合わせてハンドベル演奏の動きをしてた。ここのレポートを読むとさらに欲しい気持ちが膨らむもののさすがにお金がありません。AIBO "LATTE & MACARON" Roomもあります。ラッテが好きだなあ。


26(水)
すれ違った人が歌ってるのに気づいても大抵なんの歌かわからないけどそのトーンは似ている。どうせわからないなら歩いている時にもっと歌おうか。あんなトーンで。

今日までに3人の人と「よいお年を」というやりとりをした。そんなやりとりをしていると来週やってくる来年との区切りを感じもする。でも、区切りに気付かずにそういえば年明けてましたというのが理想だなあ。


25(火)
朝、目が覚めたばかりのぼんやりした頭に『ローマの休日』がいきなり浮かんだ。CMでの使われ方を思ったり(いくらモデルの女の子であっても、オードリーに比べるとかわいそうなくらい貧相で、あのCMは酷だ)、映画での場面がパパッと展開してなんだかため息が出る。せつなさの衝撃を受けたのは、中学時代にみたこの映画が初めてだったんだと思う。

年始だったかなあ、NHK-BSで放映するのでそのときにでもまた書くかもしれません。

岩井俊二『リリイ・シュシュのすべて』ロックウェルアイズ(角川書店),2001を読み終わる。映画、『リリイ・シュシュのすべて』感想)のその後、かつ原作(?)ということになる。久野陽子の扱い方の差は大きく、映画に救いすら感じてしまったほどのやりきれなさが残る反面、不思議と印象度は薄い。岩井俊二は、映像で語ったほうが間違いがない気がする。


24(月)
街を歩いていてもあまりクリスマスの雰囲気を感じていなかったのに、週末が始まる前webで「コンビニのおばちゃんにいなりずしをもらった」とかいうのを読んだとき「サンタになりたい」と強く思って、急に自分の気持ちにクリスマスが入ってきた。

「サンタになりたい」と言ったって、ただ「なにか」を渡すことをしたい気持ちがいきなりわいてきただけ。

クリスマスの行事を、明日は平日だし昨日済ませちゃう人が多いのかと勝手に思ってたけど、食料品売場に行ったら昨日よりもものすごい活気だったので、やっぱり24日のイヴにパーティしたり、ケーキを食べたりする人のほうが多いのかなと思った。サンタのおじさんが忙しそうに歩いてて名札を見ると「サンタ」。

家に帰ると「おばちゃん ほんありがと ○○○」とFAXが届いてて、姪に本を送ってたことを思い出した。送ったことも忘れて「サンタになりたい」と思ったのはどうしてなのか良くわからないや。

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ビリー・ワイルダー『情婦』(米・1957)

原作であるアガサ・クリスティの「検察側の証人」を知っていても、知っていることを忘れてのめりこんでしまったし、ある意味原作を超えているとも思った。マレーネ・ディートリッヒ(クリスチーネ役)の無表情と感情爆発の揺れ幅からくる迫力、チャールズ・ロートン(弁護士役)の存在感。弁護士の描き方は原作にはない魅力的な味付けがある。裏の楽しみ方は看護婦と弁護士が仲良くなるまで(?) 「一番わかってた人」として看護婦さんをあげておこうか。

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休み中に感じる「あとはもう終わるだけ」的むなしさが「祭りの後の静けさ」よりも大きくつらく思えて、連休中は落ち着かなかった。


23(日)
アニエス・ジャウイ『ムッシュ・カステラの恋』(仏・2000)@銀座テアトルシネマ

会社の社長さんが英語を習おうと先生を雇うも、あまり乗り気ではない。ある日、姪の出演する舞台をみにいった際、その舞台女優クララにいきなり恋してしまうが、それはなんとあの英語の先生だった。

芸術を物語にこんなにスマートに取り入れることができるのは、芸術の国フランスならではと思う。

ムッシュ・カステラは、日本にもこういうおじさんいるよ……と思わせる身近な人物設定。恋心とマイペースのせいか、見てられない振る舞いをしてクララにどんどん嫌われてってしまうので、いったいこれはどうなってしまうのか心配になる。

映画の中でもカステラ氏自身が触れていることだけど、彼はクララに良く思われたいから芸術を理解しようと努力したわけではない。興味もないのに無理して、努力して、というのとは絶対違うと言える。姪の舞台をみにいった時、熱演をする彼女に惚れたわけで、そこから先、彼女を追いかけているうちに通り道に絵画が登場した、そしてそれを眺めてみると自分はこれが好きだと思った、ただそれだけのこと。ただただ自分の気持ちに正直に、これが好きだ気に入ったと判断できる彼。今まで隠れて見えなかった彼の素敵な部分が自然に浮かび上がってくる後半の展開が心地良い。

自分の舞台にカステラ氏を招いたクララが、彼のいない空席を気にしているところから一転、あの笑顔の素晴らしさったらない。対するカステラ氏は余裕の微笑みで拍手あの席ではなく別の席で微笑む彼は、「招待されたから来たんじゃないよ。自分がみたいと思ったから自分で買って来たのだ」ということを行動で示したことになる。先日の絵画の件と同様の気持ちの再現。

物語にきしみがなく、穏やかな時間とくすくす笑いをともに体験できる良質な映画。みおわってみると予告のつくりが良くないと改めて思った。カステラ氏の恋だけじゃなくその周りの人間模様も丁寧に描かれているので、邦題もどうかと思う。

ところで、昨日今日と続けてみた予告編のウィリアム・ワイラー『ベン・ハー』(米・1957)がすごい迫力で、絶対劇場でみるぞ! と思った。テアトル東京って素晴らしい映画館だったんだろうなあ。1/19から2/23にル テアトル銀座にて公開。

ホテル西洋銀座B1Fでショートケーキとマンゴームース&カシス生地のケーキを買う。前者は、クリームが少しもったり固めでなめらかさが感じられないのがあまり好みではない。後者は、じゅるじゅるマンゴー味のパンチをカシス生地が支えてる感じ。ものすごくおいしい。ただ、個性的なケーキがおいしいのはままあることで、それより基本的なケーキのおいしいほうが感動が大きいです。


22(土)
佐藤信介『修羅雪姫』(日・2001)@テアトル新宿。PG-12、「12歳未満はなるべく保護者同伴」という意味らしいです。例のごとく下向いてたシーンが多く、耳に聞こえる「絶叫」の声にPG-12を感じてちょっと気が遠くなりました……。

出演者の名前の出し方がかっこ悪い。物語の背景を文字のみで説明した点が好きではない。なんだかゲームのような映画だ……という悪い印象で始まったオープニング。

でも、釈由美子が動き出したら、それももう忘れよう。あの目! 彼女の右目(向かって左)には怒りと強さ、彼女の左目(向かって右)には哀しみが宿っている。以前から、ほほえんでいてもどこかさみしげなところが気になっていたけれど、それがいかされた作品になっていた。

もちろん、ドニー・イェンが監督を務めたというアクションも見ごたえがある。彼女の動きはキレがあって美しい。「母に代わってお前を斬る」というセリフを言う時の声の低さがいい。

そして、最後に号泣するところでは、この人実生活でもすごくつらい記憶を持っているんじゃなかろうかと思ってしまうくらいの迫真の演技が胸に迫ってきて、もらい泣きしそうになってしまった……。

この映画の中では彼女が一番輝いていた。「アイドル映画」と言われるのが一番いやなのは彼女だと思う。製作者側はそれをちゃんとわかっていたのかなあ、なんて思う部分が微妙に感じられたのが残念。

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谷川史子『魔法を信じるかい?』(3)集英社りぼんマスコットコミックス Cookie,2001
成田美名子『NATURAL』(11)白泉社 花とゆめコミックス,2001
東野圭吾・作 杉田比呂美・絵『サンタのおばさん』文藝春秋,2001

の3冊を買う。

次にみる映画の待ち時間で、谷川史子と東野圭吾を読む。『魔法を信じるかい?』(3)は最終巻。しかし全然良くない。谷川史子作品にトキメキを感じないなんて初めてだ。いつも、きゅーっとなってじたばたするっていうのに。無理して「ワルの魅力の男の子」なんて描かなくていいです。まったく魅力のない男の子になってる。マルコみたいな善良キャラクターばかりでこそ、谷川史子の漫画はいきるんじゃないかって思う。

『サンタのおばさん』は、「サンタになりたい」と言ったら「読んで〜」と言われたので調べ、表紙を見たとたんにいきなりやられて買いました。毎年行なわれるサンタクロース会議で新しいサンタ登場、しかしそれは女性だった! 物語はちょっとかたいなあと思ったけど、イラストと文章のバランス、間のとりかた、もちろんそのイラスト自体の素晴らしさの勝利。なにより、この本を読んだことでクリスマス前にクリスマスぽいことに触れられたのが嬉しかった。

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アレッサンドロ・ブラゼッティ『こんなに悪い女とは』(伊・1954/日本未公開)@東京国立近代美術館フィルムセンター

出演/ヴィットリオ・デ・シーカ、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ
ソフィア・ローレン演じる美人の泥棒と、彼女を更生させるために結婚を決意するローマのタクシー運転手を描いた喜劇。
「イタリア映画大回顧展」上映スケジュール/上映作品より

オープニングから喜劇なんだなあとはっきり感じさせる始まりかた、それだけでもう楽しい気分になってしまう。映画はテンポ、特に喜劇であればなおのことそれが大切だと思った。ソフィア・ローレンの美しさ! あの美貌と胸ボーンのスタイルに自分の魅力を知ってるふるまい、しかし嫌味にならないなんて、うらやましくもすぐれた演技だったと思う。くすくす笑いを共有する空気と時間、映画館では涙を共有するよりも笑いを共有するほうが好き。


21(金)
昼前に雨が降り出して、エレベータの中で会った元・半分上司と「雨降ってきたなあ」「雪になりそうですね」「なんかそんな歌あったなあ、山下……」「達郎。クリスマス・イヴ」、にっこり、こんな会話をした。

カゴメリゾットのCM」で歌っている人は、冴西さんところでもうピタッとわかります。私のところには検索全然来ていません。

17日から続いている落語モード、「絵に描いたネタのような話」には特にはまっています。それにしても、ハーボットのnamieちゃんが言ったオーナーからの伝言が気になる。

ここ2,3日で会社の引き出しにたまったお菓子。名古屋・青柳総本家のかえるまんじゅう、ウエストのドライケーキ、御門屋の揚まんじゅう、中村家のかるかん、坂角総本舗のゆかり。家に持って帰って全部食べました。


20(木)
ジョン・カサヴェテス『オープニング・ナイト』(米・1977)@吉祥寺バウスシアター。人間誰しも持っている脆さと強さ。その2つのバランスを保つ姿を見せるのではなく、それぞれが極限寸前まで針が触れる姿を体現させたジーナ・ローランズ。彼女をみることの幸せ。

会う機会がくるまであせらず待とうと言っていた時が今日めぐってきた。約3年前に知り合いつつ初めて会えたまこりんさんは、やはりかっこいいお姉さんだった。見栄はって、初対面はコンタクトレンズで、と思ってたことを告白します。魚座同盟。

家に帰るまでの2つ出来事。中央線で座った目の前の席のおじさんが眠りこけていて、音とともに鞄と紙を落とした。紙が心配だったので拾って横に置き、鞄がひっくり返ってたのを戻したら口が開いてるのに気付き、しょうがないので、おじさんの広げた足の間にはさむようにして置いた。おじさんはピンクのマーカーを持ったまま全然気が付かない。私はもう降りるよ! 紙に気付くか心配。

駅に着くと、トラックにメロンを載せて売りにきているおにいさんがいる。夜の10:30に。2個で500円。高いのか安いのかわからないけど、冬のメロンはちゃんと甘いんだろうか。ただ、コピーがものすごく良い。「罪な甘さ」。


19(水)
エドワード・ヤン『ヤンヤン/夏の思い出』(日=台湾・2000)@シネマ下北沢。定員50人のところに観客4人。セリフのない場面が好きだった。なんと表現したらいいのだろう、紐で空気を結んでいるような不思議な映像だった。画面枠は映像をかろうじておさえてて、でも、やっぱり映像は画面からはみだしている。

共同ポストの上に、泥だんご発見。きっと光る泥だんごを作るつもりなんだ。加用文男『光る泥だんご』ひとなる書房,2001が気になっていたら、加用文男『光れ! 泥だんご 普通の土でのつくりかた』講談社,2001というのも出たみたいです。


18(火)
オザケンが活動を再開という最初のニュースは数ヶ月前でしたね。実はその少し後に、雑誌にアルバム曲のタイトルが書かれているという夢を見ました。目が覚めたら何も覚えてなかったから書きませんでした……。ほぼ2年前(もう!?)に作成した「小沢健二 CD(s) list」。

14日に書いた恵比寿のアトレの中のサボテン相談室は、4Fで12/25(火)まで。買った鉢を昨日ひっくり返しました。土ばらまきだけで済んだ。

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チャールズ・チャップリン『街の灯』(米・1931)。穴ぼこ部分はネタバレです。

まだ目が見えない時の彼女が彼のことを、「でも、お金持ちなだけじゃないの」とおばあさんに語る。彼女は自分の手のすべてで、彼のぬくもりを感じ、恋をした。目が見えるようになったということは、目で見るというもうひとつの判断材料を得たということ。でも、判断材料が増えたからといってより良い判断ができるとは限らないし、余計迷うことだってありえる。

一つだけ引っかかった点がある。彼は、自分の恋した娘のためにボクシングでお金を得ようと体を張って闘うも、結局手に入れられなくて街をさまよった挙句にあの金持ち男と再会してお金を手に入れることができた。……彼女のところへ渡ったお金が、結局、自分で働いて稼いだお金ではなかったというところ。

けれど、ラストシーンで彼女が彼の手をだんだん強く握ってゆくのを見たら、ささやかな希望を感じた。引っかかった点も、なんだか薄れてきちゃった。

視覚の優位性なんてぶっ飛ばせ。


17(月)
小沢健二が活動を再開。2002年2月27日にニューアルバム発売。TSUTAYA onlineの記事より。

東芝EMI小沢健二メールマガジン発行決定(12/5に発表していた模様)

嬉しくてどうにかなりそうだよ! あちこちの店でCD予約してしまいそうな気分。


16(日)
起きてもまだちょっと痛いのでニット帽はかぶったままでいる。

カゴメのCMがいいよと教えてもらったのに、ずいぶん経っても全然見ることができず悔しくて、確実な方法をとることにした。土曜の夕方6:30から日本テレビで放映している「モグモグGOMBO」という番組がカゴメの提供なので、これをチェックするのだ。ビデオをセットして外出した。そして、狙い通り、教えてもらったバージョンを2つとも見ることができました。ところが、カゴメのページにいくと、すんなりCMが載ってる。「コロンブスの卵…」と思いました。コマーシャルギャラリーの、商品名が「野菜でおいしく。」。「野菜でおいしく」編と「リゾット」編があります。幸せなCMです。

ウー・ティエンミン『變臉(へんめん)この櫂に手をそえて』(中国・1996)。先祖代々伝わる「變臉」という芸を伝える後継者のいない大道芸人。男の子にしか伝えられないというその芸のためグーワーという子を買うも、その子が実は女の子だと知り……。

封印された言葉と、舟の生活に添えられた花。

男の子だから女の子だからと言ってしまうとアレですが、舟の生活で花瓶に添えられた花を見て「女の子」を感じてしまったのは事実で、その生活を良さを“ご主人様”も感じてくれたらいいのに、と思いました。もちろん、そのことと、芸のこと、男の子にしか継がせたくないという伝統とは関係がないこともわかってはいるのですが。

冒頭に「おじいちゃん」という言葉を発し、途中誘拐された将軍の孫である男の子は、早々に「おじいちゃん」という言葉を取り戻しますが、グーワーにとってはその言葉を“本人の前で”再び口に出せるまで長い道のりだったわけで、裏目に出ていく展開がつらかった分、ラストシーンで變臉王が何度も「グーワー」と呼ぶところではほっとして泣きました。

花形役者のリャンさんの存在が良かった。将軍が彼に向かって「ただの役者」なんて言う前に(その発言に愕然とした)、「芸人というもの」についての認識(聞いているとかなしくなるが)を持っていた点などを含めて、物語に救いと深みを与えてたと思う。


15(土)
ジャン=ピエール・ジュネ『アメリ』@シネマライズ。9:50からの回をみるため、9:00少し過ぎに着くと10番目くらい。9:20には開場してくれて、いい席でみることができました。完璧な満席でもなかったようだし、朝一は狙い目だと思いました。早起きは三文の得です。

映像の色も美しかったけれど、この質感はなんだろう、という鮮烈さがあった。

私の幸福感は前半で充分満たされてしまったみたい。つまり、アメリの子供時代の「小さな幸せ全集」が次から次へと続くところから登場人物たちの好きなものと嫌いなものがあげられてゆくところ、そして、私の幸福の絶頂は目の見えない老人を駅まで送るシーンなのだった。

会場でのくすくす笑いの空気が楽しかった。それもまた幸福感。そういや、自分の好きなことと嫌いなことをすぐにあげられないなあ。

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キャメロン・クロウ『バニラ・スカイ』(米・2001)@ワーナー・マイカル・シネマズ板橋。先行レイトショー。アレハンドロ・アメナバール『オープン・ユア・アイズ』(スペイン=フランス・1997)のリメイク。

私の中では、アレハンドロ・アメナバール『オープン・ユア・アイズ』(スペイン=フランス・1997)感想)より、ぐんと説明的で、解決編のような印象。なぜかというと(ネタバレ)→「クライマックスの屋上のシーンですべて説明してくれちゃうから、オリジナルでの「ぎゃー、ちょっと待って! 夢か現実かわからないよ!」というハラハラドキドキ感がない。「ちょっと待てこれはリアルだ」と忠告してくれる人の存在も、混乱させるためではなく(オリジナルでは混乱させられた)、結局「リアルではない」ことを証明するための存在になってしまっている。」。『オープン・ユア・アイズ』の細かいところを忘れちゃっているので、みなおしてから改めて比べてみたい気もするけど、好みは断然『オープン・ユア・アイズ』のほうです。

キャメロン・ディアスが嫌な感じ、かつ怖くて良い。それから、セックスシーンが浮いてないと思った。大抵「サービスショットみたいで浮いてるなあ」と思うのが、突出してなくて流れに沿ってなだらかに組み込まれてた。

映画をみた帰り、またもや冷たい風にあてられて頭痛の予感がする。駅から家までの寒さしのぎにコンビニで暖かい飲物を探そうと思う。ホットレモンを見て、まさしく今飲みたいものだよ! と感激して買う。夏にも気付いてたことだけど、歩きながら飲もうとしても、立ち止まらないと飲めない。試しにやってみても、だんだん足がゆっくりになって止まってしまう。かっこ悪い。

子供用風邪シロップを30ccくらい飲んで、ニット帽をかぶって寝る。


14(金)
良く植物をだめにしてしまうので部屋には竹しか置いてない。もう一つ外に置きっぱなしにしているサボテンには水やりを全くしておらず、文字通り置きざり。いらないからと母が無理矢理くれたもので、私も好いてない。好いてないからほっぱらかしているのに、黄色い花までつけて本当に元気に生きてる。確かに、いつも日当たりが良く、ときどき雨を得る自然状態にいるわけで、サボテンはそれでいいんだなあというのを実感する。

恵比寿のアトレの中に、サボテン相談室というところが来ていて、サボテンらしくないものばかり置いてあった。本当はサボテンが集まると怖くて近寄れないんだけど、木の枝のようなのや苔みたいなものなどかわいらしいものが多く、懲りずに一つ買うことにしました。

サボテンを買ったときに貰ったマニュアル。からさないサボテンの育て方。サボテン相談室(館林市大手町6-41)。紙をなくしてしまいそうなのでメモしておく。

1.置き場所
一日中、ガラス越しの日光のあたる窓辺や、リビングの床やテーブルの上などの、なるべく明るい室内に。暗いバスルームやベッドルームに置いてあるサボテンは、ときどき、日光のあたる所で日光浴を。じょうぶなサボテンなら5月〜10月の間はベランダや軒下に出しても元気に育ちます。(特に大きいサボテンなど)
2.水やり
水やりは少なめに、大きなサボテンは一年間水やりをしなくても枯れません。しかし、より元気に育てるためには、
生長期 春(3月〜7月)
秋(9月〜11月)
10日に1回
休眠期 真夏(8月)
真冬(12月〜2月)
水をやりません
小さいサボテン(2cm程のミニサボテン)や葉もの多肉植物には休眠期間でも1月に1〜2回軽く水をやりましょう。
3.植え替え
テラコッタ(鉢)の中の土は一年もたつと酸性になり根も伸びて、根づまりしてしまいます。鉢よりも体が大きくなりすぎたサボテンなどは、1,2年に1回は新しい用土で植え替えをしてあげましょう。植え替えの時期は春(4,5月)と秋(9,10月)(←14日に追記)

ジャ・ジャンクー(賈樟柯)『プラットホーム』(日=仏=香港・2000)@ユーロスペース。いくつか印象的な場面もあったものの、カメラと被写体の距離がとても遠く感じられ、この映画ではその距離をあまり好きになれなかった。監督とみている私の距離も遠いと思ったのもある。

すきっ腹にコーヒー2杯が効いたのか、胃が痛くなって映画後ご飯も食べずに早々に帰宅。


13(木)
アーサー・シモンズ『エスター・カーン』工藤好美訳,平凡社ライブラリー,2001から、「ピーター・ウェイデリンの死」「秋の都」「シーワード・ラックランド」の3つを読んで終わり。

「ピーター・ウェイデリンの死」の主人公のモデルは、オープリー・ピアズリーという早くから肺を病んでいた芸術家が有力のようで、シモンズは『ピアズリー論』の中で「夕べを待たずして死ぬことを知っている人の、日の半ばならぬまえに仕事を終えようとする宿命的な早さ」という表現をしているとのこと(p.195)。素敵な表現だと思う。

「秋の都」。都市にもそれぞれ「独特の美質」があると考えていたダニエル・ロゼラは、結婚したての妻を自分の好きな都市に連れていくが、マルセイユでは陽気に楽しんでいた妻がアルルに着いてしばらくすると様子が変わってきてしまう。妻も都市の影響を受けたという点では、ロゼラの理論は彼だけに通用するわけじゃないってことか。

「シーワード・ラックランド」。自分を愛するよりも深く神を愛した男が、それを証明するために、あるいはその気持ちから行なったことの結末。「いちど自分で考えはじめると、まったくとめどがないからな」と評された通り、突き詰めたあまりアンビバレンツに引き裂かれてしまったように見える。が、不幸に見えるのはこちらからだけで、本人にそんな意識はないはずだ。

フランク・キャプラ『ポケット一杯の幸福』(米・1961)『一日だけの淑女』(米・1933)のセルフリメイク。『一日だけの淑女』感想)よりも少し煩雑な感じがするけれど、おとぎ話の幸福感で満たされるのに変わりはない。


12(水)
朝、電車が新宿に止まっている間、窓越しに、仕事に向かうエキハイ(多分)の男の人たちが見られるときがある。にこにこした顔で世間話をしながらなだらかな坂道を降りてゆく姿が、楽しそうな職場っぽくていいです。一番後ろにいた男の人が窪塚洋介をもうちょっとすっきりはっきりさせたような感じで手には眼鏡が。眼鏡姿が見たかった。

部内で3人も休んでしまい、そろそろ“学級閉鎖”? なんて発言が。帰宅後、手を洗い、うがいを欠かさずしていたのを、先日一度だけうがいしなかった日があって、その日以来ちょっと調子が良くない。のどが痛いのと鼻がぐずぐずするくらいだから、すぐに巻き返して治す。絶対熱は出すものか!

帰り、ムーディーなメロディーが流れてる先を見たら自転車整理のおじさん。口笛がビブラートで唄う。

アンリ・コルピ『かくも長き不在』(仏・1960)

思い出は、記憶という箱の存在なしに存在することができない。ある特定の思い出だけを消すことは不可能で、箱を消滅させるしかないし、消滅した思い出が復活するとき、箱の中にある別の思い出も蘇えざるを得ない。

彼が記憶をなくした人だというのをそのたたずまいが完璧に表現している。

記憶が戻るのは絶対無理なんだということを甘美なダンスとともに知る残酷。ラストシーンでは恐怖とかなしみがないまぜになる。どちらのシーンでも声をあげて泣いた。


11(火)
アーサー・シモンズ『エスター・カーン』工藤好美訳,平凡社ライブラリー,2001 →『心の冒険 アーサー・シモンズ短篇集』南雲堂,1991を再編集したもの。

「エスター・カーン」を映画化(感想)したアルノー・デプレシャンが序文を書いている。「シーワード・ラックランド」もそのうち映画化をしたいのだそうだ。ところで私には彼の言う「エスターの処女喪失」がどの部分なのか、最初わからなかった。

5つ入っているうち、最初の2つである「生の序曲」「エスター・カーン」を読んだ。「生の序曲」は著者の自伝的小説で、「エスター・カ−ン」は女優になっていく少女の物語だけれど、これら2つの物語は対のようだと「エスター・カーン」を読みながら思った。それぞれの主人公の、かたくなで閉じていて、なにかを待っているような、それでいて自分から得ようとしていく静かな熱もある心の状態。

“そのようにして書物と音楽は、一人でする散歩とともに、退屈な周囲の世界からのがれる唯一の逃避の手段であった。私は熱烈に生を愛していたが、実際に暮らしている生活は、私の望んでいるような生活ではなかった。私の望んでいる生活がどのようなものであるかは、自分でもよくわからなかったけれども、私の望む生活が私の耐えしのんできた生活と非常にかけはなれたものであることは、明らかだった。”「生の序曲」(pp.41-42)
“自分が存在し、それと同様にまた他人が存在しているのであったが、私たちの間には越えることのできない深淵がよこたわっていて、それを乗り越えようとする願いは、私はほとんど抱かなかった。私は母が非常に好きだったけれども、それ以外の人たちに対してはなんの愛情も感じなかったし、またほかの人たちから愛されたいとも思わなかった。ひとり気ままにしておいてもらうこと、永久に自分自身の生活をつづけてゆくこと、それが私の求めるものであって、自分を退屈させる人や憂鬱にするものなどとの接触を完全にのがれることができないので、私はよく腹をたてたものである。”「生の序曲」(p.43)

ジョン・カサヴェテス『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(米・1976)。愛は、人に対して、物に対して、場所に対してだけではなく、それらをまとめた集合体に対して抱くことができる。そんなことを思った。この物語はどうしたって愛としか言いようがない。


10(月)
6日に言ってた『ちゃんと作れるスイーツ』(マガジンハウス)、買うのはやめにしました。今手元にある本は、九鬼周造『「いき」の構造』アーサー・シモンズ『エスター・カーン』岩井俊二『リリイ・シュシュのすべて』

「BRUTUS」#492 12/15号 “スコセッシさん、ディカプリオさん 映画は、儲かりまっか?”マガジンハウス。予告編を一度だけみた『ギャング・オブ・ニューヨーク』が先日のテロ事件で来春公開。ディカプリオも出ますが、ダニエル・デイ・ルイスを久しぶりに見てびっくりしました。

今日発売の「ぴあ」で、「この時期一生の友ができる予感」と書いてあってどきどきする。ジャイアンの言う「心の友」だろうか。

目的や目標もないし、人に聞かれたこともなかったですが、ふと、「どういうサイトになりたいだろう」と考えてみた。「見ていることを内緒にされるサイト」になりたい気がします。人から「好きなサイトはある?」と聞かれたときに、「あそこは好きだけど内緒しよう」と思われるようなサイトという意味。


9(日)
ジョン・カサヴェテス『ミニー&モスコウィッツ』(米・1971)@吉祥寺バウスシアター。だめ男が運命の女に出会って猛アタック! と言えばいいのか。でも、音声ボリュームはパッションと反比例がいいと思う。嵐のような怒りを伝えるのも、ほとばしる愛を伝えるのも、小さな声のほうが効果的。

日曜の夜を遅くまで遊んで過ごすのは休日を閉じさせないためにも有効かもしれない。目には星、耳には自分の息の音しか感じられないと、『2001年宇宙の旅』の宇宙空間での無音を想像してしまう。夜空が明るく見えるのは白い雲があるからなのかなあ。

失せ物ではないけど探し物が見つからない。


8(土)
中川洋吉『カンヌ映画祭』講談社現代新書,1994 を読み終わる。その名の通り、カンヌ映画祭の歴史から経営、出品され賞に選ばれるまでの過程、賞の内容の違い、経営陣の人となりなどまで盛りだくさん。出品されること、それ自体が大変なことなんだ。1993年までの映画祭での賞のデータが載っています。最終章「影のグラン・プリ」では、著者が不満の残るグラン・プリを例に挙げて本音を語り、生き生きと書いているように思えました。

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借りたビデオを返しに新宿TSUTAYAまで。ジョン・カサヴェテス監督、のきなみ貸し出し中。『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』が残っていたので手に取ったほか、2本借りました。

ジャ・ジャンクー監督の『一瞬の夢』をさがしていたら、『プラットホーム』公開記念で「ジャ・ジャンクー監督が選ぶ映画」という企画がありました。15作品で、直筆コメントと日本語訳付です。覚えているのを列挙してみます。下の中でみていたのは4つ。

北野武『あの夏、いちばん静かな海』
アンドレイ・タルコフスキー『鏡』
ジャン・ルノワール『ゲームの規則』
ロベール・ブレッソン『抵抗』
ルイス・ブニュエル『昼顔』
フェデリコ・フェリーニ『道』
エドワード・ヤン『ヤンヤン/夏の思い出』
デビッド・リンチ『ワイルド・アット・ハート』
黒澤監督の何か。

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マイケル・ウィンターボトム『アイ・ウォント・ユー』(英・1998)。三原色の色づきと展開。言ってみればハードな失恋、か?

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ホットワインを作って飲む。赤ワインにオレンジとクローブとシナモンと砂糖を入れて沸騰させる。作りすぎて余った。

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少し前に、岡真理さんのことでアンケートフォームを使って送ってくださった方へ。メールを送ると戻ってきてしまいます。再度、下のフォームからで構いませんので、お名前とメールアドレスをいただけませんでしょうか。

あと、全然別の方ですが、アドレスがわからないので、こちらで返事します。『人格改造マニュアル』の紹介をありがとうございました。薬以外の部分を読んでみたいです。


7(金)
ベニー・チャン『ジェネックス・コップ2』@キネカ大森。最終日最終回。少し列が出来ているのでおかしいなと思っていたら、水田菜穂さんによるトークショーがありました。『美少年の恋』に惚れこんで字幕を担当された方。

香港映画スターが楽しんで脇役に登場しているのを見られたので面白かったけど(個人的にはアンソニー・ウォンが見られて嬉しかった)、全体的に1のほうが好きです。物語が煩雑で、アメリカを向いていると思った。いろんな意味でインターナショナル。頑張りを感じたジェイソン・チャンは、アーロン・クォックぽい印象。スティーブン・フォンは前回よりはいいけど、サム・リーの良さがいかされてなくて不満。


6(木)
新聞広告で見た「dancyu」2002年1月号は「ケーキの福音」という特集らしく、秋津のロートンヌが載っているもよう。モンサンクレールの辻口シェフの『ちゃんと作れるスイーツ』がマガジンハウスから出た。先に買った友達が今度見せてくれるというので買うかはそれで決める。ロートンヌやモンサンクレールについての言及は11/11に。

ジョン・カサヴェテス『こわれゆく女』(米・1975)。ジーナ・ローランズの演技! こんな演技が可能なんだ、という感動。前半は絶望でいっぱいになるも、後半では届いてゆく希望を感じた。にしても、透明な境界線にドキドキ緊張しっぱなし。

目の前で「感想は?」って聞かれたら、とっさには言葉が出てきそうにない。多分文字で書いてゆくより人を相手に思ったことを話してゆくほうが自分の考えがまとまってゆきそうな映画だと思った。


5(水)
ジョン・カサヴェテス『アメリカの影』(米・1960)@吉祥寺バウスシアター。なんて言えばいいんだろう……、瞬きと煌き。

明治のミルクチョコレート(普通の板チョコ)と、グリコのプリッツ(オールドファッション味)にはまっています。オールドファッションのプリッツはメープルシロップのような香りがして全然オールドファッションって感じがしない。再発見だなあ。おいしい。


4(火)
朝、駅への道を歩いていたとき、すれ違ったおばあちゃんが孫娘に「ほら、みんな一所懸命歩いてくるよ」と言ってた。向こうからみればそうだねー。

ミルチョ・マンチェフスキー『ビフォア・ザ・レイン』(英=仏=マケドニア・1994)。構成の仕方が、物語に意味を付け加えたように思う。が、基本となる物語自体がこちらにあまり響いてこないものだったので、構成の妙だけが印象に残ってしまっている。

何回も書いていることだけど、暴力的な映像にとことん弱いです。ここ最近映画をみるようになって少しは慣れても良さそうなのに、むしろ耐性がなくなっている気さえします。全く予想していなかった『GO』感想)、『ピストルオペラ』感想)、『エスター・カーン』感想)、これら3つともだめな部分がありました。家であれば、クッションか紙類か、間に合わなければ自分の手で防御体制を取りますが、映画館でそれはできないので下を向くしかありません。『ピストルオペラ』と『エスター・カーン』では耳ふさぎまでしました。

不思議なもので、「そろそろ危ない」という勘は異常に働き、しかし、それゆえ「見ていないときの自分の想像力」に苦しめられもします。「こうなるだろうから」見ないほうがいいと予感があるってことは、「こうなるだろう」というイメージも浮かぶ可能性があるってことです。

『エスター・カーン』のときには、危険を察知して下を向くやいなや観客の悲鳴が耳に届き、一緒に見ていた友達が瞬間私の手を握ってくれました。映画の一番いいシーンだったのですが、本当に退出しようかと思った。いつ耳から手を離していいのか判断つきかねていたし。退出しようと思ったのは、『氷の微笑』の最初をみて以来。


3(月)
エルンスト・ルビッチ『街角 桃色の店』(米・1940)。とてもしゃれてる。からかい上手のクラリス。優位に立っているからこそ、いつそれをほどくかのタイミングも難しかったはず。でも、もっと気をもんだのはマトゥチェック氏のクリスマス・イヴ。この場面での雪の降る様子は美しく、店員と一人一人会話していくときの問いかける質問がせつなかった。

30日に食べたおいしいクッキーの出所がわかりました。「Le Pont de Ciel」という大阪のフランス料理店のものでした。会社がオークエンタープライズというところ。全然「ローなんとか」じゃなかった。すみません。


2(日)
アレハンドロ・アメナバール『テシス 次に私が殺される』(スペイン・1996)。ビデオでは『殺人論文 次に私が殺される』となっていると思います。

「暴力と映像」をテーマに論文を書こうとしている女子学生が、担当教授に参考になるビデオはないでしょうかと相談。教授は学校地下の倉庫に探しに行く。翌日、教授を探していた女子学生は彼が死んでいるのを発見。急死の原因と思われたビデオをこっそり持ち出しみてみると、そこには衝撃的な映像がうつっていた。

誰を信じたらいいのか怖さで混乱してしまった。ごてごてした作りじゃないのがいいし、音の使い方がうまい。だからこそ、静かな場面での静けさが恐怖をいや増していた。


1(土)
昨日、Nさんの退職日でした。ところが、私の乗った電車が遅れ結局会えずじまい。これぞ人生って感じ。でも、なんとなくほっとしています。木曜日に「明日が最後だし」と思って普通に話していたままで終わった、というのが。

映画の日をどうしようかと思いつつ、前売を買っているのや先に約束しているのを除くと思いつくのがなかったし外出するのも出遅れた。TSUTAYAが今日明日と旧作を100円レンタル中なので、そちらに決定。ところが、新宿TSUTAYAの洋画・邦画のレイアウトが全然変わってしまっていて、探し物を見つけるのにとても苦労してしまった。3つ借りる。

『ドビュッシー:前奏曲集第1巻・第2巻/フリードリヒ・グルダ』(POCL-4397)と、『ドビュッシーピアノ名曲集/サンソン・フランソワ』(TOCE-3226)を買う。

池袋で号外が配られていたので、讀賣を貰って歩いていると今度は朝日が荷をほどいているところに遭遇する。朝日の人が讀賣の人に「これあげるからそっちちょうだい」と言ってました。近くのスーパーでは雅楽が流れてて、紅白の大福が売っていた!

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ロバート・ワイズ『サウンド・オブ・ミュージック』(米・1965)。後半がかなり抜けているし心を洗われたくて(?)、久しぶりにみてみた。

オープニングとラストが、美しさと力強さでつながっている感じがとてもいい。

歌で勇気付けられたり、楽しい気分になったり、なにかを決めたり、自分の気持ちに気付いたりする。心を一気にあたため、溶かしてしまう。それで、歌は救うんだと思い込んでいたけれど、「救えないときもあるのよ」とマリアに言われてハッとした。

二人が自分たちの気持ちに気付いた時は目に見えたんだけど、恋に落ちたのはそんなに前だったの? とびっくり。

「Climb every mountain」も好きだし、二度の「エーデルワイス」がとっても心に響いた。こんなに美しい歌だと思ったことは今までなかった。


30(金)
先日食べた鯖のコチュジャン煮が急に食べたくなって、あのやわらかさと味には絶対及ばないと知りつつも作ってみた。やっぱり、あの骨までやわらかい仕上がりにはならなくて残念。

会社で配られたクッキーを食べて驚く。ほろっと崩れるチーズ風味のや、薄い薄いチュイール……。クッキーを食べて感動したことなんて今まで経験ない。配ってくれた人に「どこの?」 と聞きに行くと、ちょうど別の人とそれを話題にしてて、「やっぱり! すごくおいしいよね。それがねー、大阪らしいんだけど聞いたことないの」と言ってクッキーの入っていた青い缶を見せてくれた。「ロー(なんとかかんとか)」。「東京では聞かないねえ」。会社の住所は大阪でした。自分で買って食べたいくらいおいしい。大阪でクッキーの有名なお菓子屋さん、あるいはクッキーもおいしいお菓子屋さん、てことかあ。気になります。(判明→see12/3

高田明和『ウツな気分が消える本』光文社カッパ・ブックス,1999 を読んだ。ウツな気分を吹き飛ばすための精神論ではなく、ウツという状態になる理由などの具体的な説明がなされる。というより、ロボトミーの話を読んだという印象。結局ウツへの対処法は最後の最後にちょちょっと出てくる。……微妙にトンデモ本ぽかったです。


29(木)
試写会に連れていってもらいました。オキサイド&ダニー・バン『RAIN』(タイ・2000)。耳の聞こえない殺し屋が純粋な少女と出会うが…。

映像は頑張っているけど物語は物足りなかった。彼女と出会うまでは殺し屋として淡々と仕事をこなしていたのだろうが、出会ってからも葛藤を感じる場面は見受けられず、気持ちの揺れがあまりわからない。だから、彼女を思う気持ちも淡白すぎていまいち伝わってこなかった。ただ、彼の静寂を感じつつも画面の盛り上げ方には迫力のある音づかいをしているという落差は興味深かったし、タイトルに使っているだけあって、雨、というより雨粒の表現は美しかった。

渋谷東急3ほかで2002年1月下旬より公開予定。


28(水)
シネマライズに、2回目の岩井俊二『リリイ・シュシュのすべて』をみにいった。ここ1週間くらい英語字幕付きで上映しているようです。男の子が日本人、女の子が外国人のカップルがみに来ていました。この間も今回もお客さんがやけに静かです。シーンとしてみている。エンドロールの時に出てゆかない。というより、出て行けない気分になるのは必至。

前回みたときよりは冷静にみられましたが、後半にいくにしたがって心に揺さぶりがかかってくるのがわかる。エンドロールが流れているところにかかる音楽と映像で、はああああと決定的に沈み込んでしまう。そして帰りはずーんとした気持ちで賑やかな渋谷の街を駅まで歩くという苦痛が待っているのだった。

上のシネマライズで上映しているジャン=ピエール・ジュネ『アメリ』は立見だって〜。めちゃ混みみたいです。

カトリーヌ・アルレー『21のアルレー』安堂信也訳 創元推理文庫,1985(Catherine Arley,"AMOURS,DELITS ET MORGUE & LE PARTI LE PLUS HONORABLE",1985を読み終わる。21入っていることもあり、とても短いものも多く、短編が苦手な私でも楽しく読みました。SFちっくな作品があったり、完全犯罪+良心の呵責という作品もあったり、意外なアルレーを読めて面白い。ダントツで印象の強いのが「地獄へのツアー」。無謀な砂漠ツアーの果ての地獄行といった物語ですが、残酷で冷たく容赦のない描写がアルレーの本領発揮といったところ。


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