日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0208.html#20020801
2002年8月
読・観・聴・その他
スタンリー・クワン『藍宇』@青山スパイラルホール東京国際レズビアン&ゲイ映画祭
平松洋子『旅で恋に落ちる瞬間』
P・D・ジェイムズ『神学校の死』
宮崎駿『千と千尋の神隠し』
高橋由佳利『トルコで私も考えた』(3)
ジャンルー・シーフ写真展@東京写真文化館
8/31(土)
ジャンルー・シーフ写真展@東京写真文化館へ。初めてジャンルー・シーフの写真展に行ったときのような衝撃はなかった。並べ方や見せ方も大事なのだと思った。点数も少ないし私の好きな写真もほとんど置いてないので正直がっかり。その99年8月に行ったときには何点かの写真を販売していてかなり真剣に迷ったけど結局買わずじまい。でも、今となっては24万でも安かったという気がしてならない。
本屋で立ち読み。今年の夏生まれて初めてところてんを食べたなあと思い出した。
ところてん逆しまに銀河三千尺(蕪村)
8/30(金)
谷口さんのお誕生日会ということでもちーとキムラさんと4人で集まる。魚料理も久しぶりに飲んだ赤ワインもおいしかった。何を話したか覚えてなくて楽しかった記憶だけ残ってる。
もちーから思いがけなくロクシタンのバスジェルをいただいてしまいとても嬉しい。おまけに緑茶の香りで、どうして私の好きな香りを知っているんだろうと驚いた。好きでときどきつけているエリザベスアーデンのグリーンティーに似ている。このごろはもっぱら寝る前につける。気分が落ち着いて安眠できる。
8/29(木)
夏休みを取った。TV番組でやっていたお菓子がおいしそうだった。「バナナのミルクプディング」。熱っぽいので午後は昼寝、起きても熱は下がってない。頭痛も復活。まったく、連日こんな日記じゃ元気になるまで更新できない。
8/28(水)
頭痛が起きなかったのは幸い。昨日の飲み物のおかげ? 熱は出るけど慣れたかもしれない。
8/27(火)
明日は体力仕事なので具合悪いと言ってられない。なんとかしたくて、りんご酢を買ってみた。これを大さじ1に、はちみつも大さじ1、お湯で割って飲んだらおいしかった。レモン汁+はちみつのお湯割りも飲んだ。そして早く寝る。
8/26(月)
頭痛は続いているし午後になれば熱は出る。早く治れ。でも一度くらいは39度40度を経験してみたい。
恋しいのはたいてい反対側の季節でも、次へ移る途中だと今の季節への愛を感じるものだなあ。
実現しないことを残したまま次の季節に向かうのも、楽しみを抱き続けていると思えば悪くない気がする。
8/25(日)
眼鏡を直しに阿佐ヶ谷の東京オプチカルへ。私の好きなおじいさん店員が椅子に座り道具を広げて直し中なのが見えたので、ラッキー!
と思いながら「こんにちは」と近寄り、踏んでしまったんです、と眼鏡を取り出して見せた。おじいさんは「ほ
ほ…」と言ったあと、「これはちょっと時間をかけて丁寧に直します、お預かりしてよろしいですか」と。ともかく直ることがわかり安心した。控えの紙を渡されるとき、「お代はかかりません」とのことで、ありがたく申し訳なくでひれ伏しそう。
阿佐ヶ谷から西荻窪まで歩くことは決めていたけれど、中央線の2駅は案外遠く、朝からの軽い頭痛ともあいまってかなり疲れた。西荻窪への目的は先週の土曜日に行った甘いっ子で氷いちごを食べること。歩いたご褒美に、氷いちごミルクにアイスを乗せることにした。
帰りの電車ではもうぐったりで、夕方に帰り着いて早々に横になると疲れがどんどん出てきて気分が悪くなってきた。軽かった頭痛も久しぶりに本物になってしまい、吐き気さえもよおす。なんとか食べ物を口に入れて薬を飲む。少しくらいの痛みなら薬を飲まないようにしよう、と決めていても、痛さを我慢するというのはやっぱり相当につらい。
少し落ち着いてきたのでこうして日記を書いた。
8/24(土)
午前中は「夏休みこども科学電話相談」を聴いて過ごした。
おじいさんがくれたさなぎ(?)は何になるのかを質問した男の子は、先生がそれは多分すずめ蛾だよ、と言うとがっかりしたような声を出し、それにまた先生が君が蝶と信じたいのはわかるけど、なんて答える。でも、すずめ蛾はとてもきれいだよ、と言葉を添えると、え、きれいなんですか、と少し嬉しそうな声になってた。葉脈はなんの役目をするのですか、という女の子に対して、人間でいうと葉脈は何にあたると思う? 手のひらを見てごらん、と先生。女の子は元気に「指紋!」。先生、「青や緑っぽい線が見えないかな。2年生くらいだと手のひらがパンパンで見えないかなあ」。正解は血管。
午後からは散歩しに出かけた。いつもとは別の道を歩くことにして、和菓子屋さんで生どらを買い食べながら歩こうとかじったらまだかたい。冷凍庫から出したてなので、しばらく置かないとだめみたい。少し経って、それでもまだかたいうちに無理矢理がじがじ食べながら歩いた。
どこを歩き回っていたのか、夕方になる。近くの小学校を使って地域のお祭り、それと同じく商店街でも縁日が出る。なんとなく寄ってなんとなく食べ物を買って、盆踊りを眺めた。人がとてもたくさんいて、家族で椅子に座って食べたり飲んだりまったりしている。どうしてみんなお祭りが好きなんだろう。外で食べたりするのとか。確かに楽しいし気持ちいいけど、なんて思いながら楽しんでいる人たちをぼーっと眺めてた。
花火の音がするのに気付いて歩いてみることにする。川沿いでやっている隣の市の花火だ。暗い中、歩いたことのない道を花火の姿と音をたよりにひたすら歩く。川までたどりつくと人がたくさん上を見上げていて、花火もとてもよく見える。花火は音がいいと思った。素晴らしいものが展開されたあとのみんなの拍手もいい。あがっていく時の期待も。それから、少し離れたところから眺める見ている人たちの後ろ姿、それがとても好きだと思った。さっきの小学校で見た楽しんでいる人よりも好きだと。何かを楽しんでいる人の、静かで無防備な姿が好きなのかもしれない。
少し疲れた。冷たいものばかり飲んでも全然疲れが取れない。あたたかいものを飲んだほうが疲れが取れる気がする。
8/23(金)
午後になると熱が出てくるのがいらつく。
8/22(木)
宍戸錠の映画に行くのを中止にしてもらった。
8/21(水)
午後になって急に発熱。
8/20(火)
仙台に帰省してた人からのおみやげ、こだまのどら焼き。今回は黒ごまクリームを選ばせてもらった。相変わらず身悶えするおいしさ。もひとつ、喜久水庵(お茶の井ヶ田)の喜久福
抹茶クリーム大福は、中身が緑一色の抹茶クリームではなくて、あんの中に鮮やかな抹茶クリームがちらほら見え隠れしているというのが心にくい。
待ちに待った高橋由佳利『トルコで私も考えた』(3)集英社,2002 が発売されました。相変わらず楽しく、情報量が多いので読み応えたっぷり。本気でトルコに住みたくなる。生活してる(していた)人の書く(描く)ものは、入り込めない領域、生活ではないと使わない物や場所に関することを知ることができて、旅行物と違った楽しさがある。
8/19(月)
会社までの道に本日カフェがオープンしたので帰りに寄ってみた。お客さんより店員さんのが多かった。カップが大きくて和っぽく、口に当たる感触が良くて中身が熱くても飲みやすいのは気に入った。
最近はスタバよりもドトール、そしてドトールよりもセガフレード・ザネッティ。
久しぶりに通勤時に音楽を聴こうと持って出たのは嵐『ARASHI No.1』(PCCJ-00004)。発売してすぐに限定盤を買っていたのです。
眼鏡を踏んで曲げてしまった。東京オプチカルにおじいさんに会いに行かないといけない。
8/18(日)
雨に降られた。店先で雨宿りしている人たちは出て行くタイミングをはかってて、たしかに降っていない場所から降られている場所へ飛び出していくほうがためらいがある。歩いているときに降られてしまったら仕方ないしだんだん麻痺してきて少し強く降られるのがむしろ気持ちよくなってくる。
宮崎駿『千と千尋の神隠し』(日・2001)。隣席の人に借りていたのをやっとみられた。噂の、本編が赤っぽいというのはとてもよくわかった。日中なんだろうに夕方あるいは夕焼けという感じがして不自然だけど夜になるとあまり気にならない。
両親のふるまいにイライラしっぱなしで、常識知らずの両親のせいで子供が苦労するはめになるというとっかかりに同情。豚に変貌した両親を見たときにはギョッとして昨日の怖い話よりよっぽど怖かった。もし私が小さくてこれを見てたらトラウマになってたかもくらい!
苦労している様子の合間に小さな親切シーンがひょいっと出てくるとそれだけで涙腺緩んでだけど、千尋が銭婆のところを訪ねみんなで編んだ糸をもらうところから危なく、ハクが迎えに来てしまったらもうだめ。おまけにその帰りにハクの背中でハクの名前・正体がわかったときはたまらず号泣。劇場でみてたら声を殺さなきゃいけないから苦しかったと思う。
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トルコ旅日記を読んでくださったかたへ、メールアドレスがなかったのでここに返事書きます。外国に一人旅する人が周りに多いのに感化されてどこかに行きたくなって、とりあえずトルコのガイドブックを読んでみたらとても行きたくなったので決めてしまいました。旅では異邦人というより自分がその場で生活する人間じゃなくてただの通りすがりの人間であることを意識してたような気がします。だからこそ優しさをもらえたりするんじゃなかろうかと。で、もし生活をするようになったら異邦人であることを強く意識するのかもと思いました。外国語で会話しててふと日本語で「たとえば今こういうふうに日本語に切り替えたら全然意味通じないんだよね、不思議…」と話し掛けてみると、当たり前だけどやっぱり通じなくてそれが不思議でした。
8/17(土)
やまだないと『西荻夫婦』に出てくる甘味屋さんに行くことになり読み返してみると以前読んだときよりもさらに良く思えた。終盤にはさまれる文章がやはりとてもいいと思う。
西荻窪でまずは甘味。数々の誘惑にも負けず大人ぶって初めて豆かんを頼んだ。前々から、そのシンプルさストイックさゆえ豆かんを頼めたら大人だと思ってた。でも、目の前に運ばれてきた豆かんはボリュームどおり豆も寒天もたっぷり堪能できて、ストイックどころか贅沢な選択かもと思った。ただ、目の前の人が頼んだ氷いちごミルク金時だっけ、まずは見た目でやっぱりそれも良かったなあと後悔し、一口食べさせてもらうといちごソースの食感と味わいに感動。いちごジャムみたいに濃い。
次に鞍馬で蕎麦。焼き味噌をおつまみに夕方から日本酒とは、これまた贅沢。注:私がお酒と言い出したわけではない。
時間があるので歩けるところまで歩いてみることになった。怖いけど怖くない話を聞いたりしながらてくてく歩き続けたけど全然疲れない。西永福でいったんお茶して最終到達地点は代田橋。あと少しで新宿というところ。
秘密の場所みたいな黒蜥蜴では初めて食べたヤンソンさんの誘惑のおいしさもさることながら、それと同じくらいおいしくて気に入ってしまったのがレバーパテ。山盛りで食べたいと思った。10人でいっぱいになってしまうカウンターに座って話をしたり聞いたりしているのが心地よくて知らない人同士でも自然に仲良くなってしまう広さと距離の気がした。
8/16(金)
P・D・ジェイムズ『神学校の死』青木久恵訳 ハヤカワ・ミステリ,2002を読み終わってしまった。
ケイト・ミスキン警部の描写でこういうのがある。
見たところノー・メーキャップの、きりっとしていると言うより女らしさの感じられる美しい顔には、誠実で良心的で、信頼できる性格と、自分に満足しきれないでいるらしい彼女そのものがよく表われていた。(p.260)
“自分に満足しきれないでいるらしい”のはどういう見た目として表われるんだろう。その表われを感じ取ることはとても難しいと思う。思い浮かべようとしてもできなくて、知りたい。
エマという女性を登場させたことでP・D・ジェイムズはまだまだ書く気充分なのがわかった。
「あなたを僕が好きになるように仕向けられたら……あるいはちょっとでも愛してもらえたら、こんな混沌から抜け出せるんじゃないかと考えただけのことです。何もかもうまくいくだろうって」
エマはずっと優しい口調で言った。
「でもそうはいかないんじゃないの? 人生が混沌だとしても、混沌を解決するために愛を求めてもだめなんじゃないの?」
「でも、皆そうしていますよ」(p.281)
犯人と対峙したときのダルグリッシュの心情描写に思わず「すごい」とつぶやいていた。そういえば、犯人に自殺の選択を許すのは、思い出す範囲では探偵しかいなくて、ダルグリッシュはそうではないんだった。その後の迫力ある“対決”と周囲の“救助”は、短い時間のめくるめく展開として起きたはずなのに頭の中でスローモーション化して情景を描いてた。そして対決のあと、「突然雲が切れて、淡い日の光が海岸を照らし出」すんです。しびれた。
早く次作を読みたい。
後ろの髪の毛を試しに輪ゴムでしばってみた。うなじが涼しい。虫が鳴いている。夜はいつもくだらない。
8/14(水)
やっと“凍りバナナ”を作って食べた。所持金65円で帰りの電車に乗る。
8/13(火)
平松洋子『旅で恋に落ちる瞬間』筑摩書房,2002
を読み終わる。旅先で恋に落ちて家に連れて帰ってきてしまったおいしいものや食器類道具類。見た目もそうだけど、触れたときも素敵なものが多そう。
P・D・ジェイムズ『神学校の死』を読みはじめた。ポケミスが久しぶり。ダルグリッシュにも久しぶり。P・D・ジェイムズは今年82歳にして新作執筆中らしいから、これから先もまだ会える。
登場したと思ったらすぐに退場してしまう人に対しても背景を与え、何を思っているのか私たちにあらわし、中心の物語とは別のところにもひっそりとしかし確実に物語があることを知らしめてくれる彼女の作品が私はとても好き。たとえば読み始めの今も、ある女性が死体を発見し、もう一人が連絡をしに行くあいだ死体のそばで待ちながら何を思ったかの描写は「P・D・ジェイムズを読んでいる」実感を与えてくれる。そして作者が82歳だということに思いを馳せる。
少し前に子供が電話相談をするラジオをたまたま耳にした。質問する子供と答える先生の会話がほのぼの、かつ、ボケとつっこみぽいのがおかしくて、どこの番組なのか探してたのがやっとわかった。「夏休みこども科学電話相談」。NHKラジオ朝9:05〜11:50。いつも土曜日の10:30まで放送している番組の夏休み版のようで24日まで。私が聞いたときはカブトムシだかクワガタの飼い方だった。縁日で買った金魚が育って20cmになってしまったどうしようという質問もあったみたい。
旅も散歩もしたくない。歩きたい道も行きたい場所もない。
8/12(月)
自分で髪を切ったことがある。小学生のころ毎日自分でみつあみにしてて、少しだけ髪を余らせてしまった夏の日、やり直すのがいやになりその分を根本からざくっと切ってしまった。そこが小学生たるゆえんなんだけど本人バレるなんてこれっぽっちも思わず、もちろん母親にバレていったいこれはどうしたの〜とあわてられ、何もしてないよとシラバックレても説得力なし、結局ショートカットにせざるをえなくなり。赤毛のアンが髪を緑にしてしまって切るはめになったのと似たようなもんだ。
髪を伸ばすようになって数ヶ月が経つ。揃える程度に切りに行くと「絶対がんばれよー」とか「切ったら馬鹿にしますよ!」と煽られるけど、言っているほうはなにげなくのはず。でも何も応えられるものがない今の私はそれには応えようと思ったりする。自分で自分に応えたいのだと思う。
二度目に自分で切った時はもう少し賢いつもりで工夫してやってみた。それほどの失敗はしなかったけど、それなりにざくざくに。
月曜日は始まったばかり。08/12/02 02:29:59
..
日に日に電車が空いてゆく一年で好きな時期。
もし目の見えない人から流星群を見に行こうよと言われたら、なるべく人の多いところに行って歓声が聞こえるようにして星が流れるたびに合図を送れるように手をつなぐだろう。本当はどうすればいいかわからない。
8/11(日)
早起きしてしまう理由なんてどこにも見当たらなかった。
今年の夏も花火を見ずに終わりそうで、ららさんに言われたように花火大会が「聖域」化していく。小さい頃に戸田橋の花火大会に家族で出かけたことはあったけど、妹が花火の大きい音に驚いて泣き出したので早々に帰ってきてしまいちゃんと見た記憶がない。かわりにUFOを見た。翌日の新聞にも載っていたもよう。
土日のどちらかでしようとしてたことを、こういう気持ちになるとわかっていながらできなかった。
パフェが食べたい。髪を切りたい。
どうしてこんなに 。
8/10(土)
夜の7時過ぎでも明るいので安心して散歩に出かける。いったん外に出ると暗くなっても帰りたくない。用事はない。店も閉まってゆく。遠回りして帰ろう。
ジャンルー・シーフの写真集を久しぶりに眺めるといつものせつなさが蘇る。introductionに載っていたTime will pass like rain.という文句に惹かれた。仏語だとダブルミーニングな訳になっていて、…いやなんでもない。
8/9(金)
Hanakoの占い特集で昼休みにわいわいがやがや。が、0学占い(?)で「火星」だった私はその結果に愕然。「今年死んでいたのかもね!」なんて言ったらウケた。あと4.5ヶ月あるけれど。読まなきゃ良かったという後悔が少しあるものの無理しようとしている自分を見透かされた気もして本当は感謝すべきなのかもしれない。後輩女子があとでその部分をコピーして持ってきてくれた。優しい。これだからなぁ……。
ドトールのアイスオルゾーラテがおいしい。麦の味。甘さがなければもっといい。
ルソー『孤独な散歩者の夢想』新潮文庫なんて読んでみるけど頭に入ってこない。無理せずやめる。
3ヶ月ぶりの人と飲み。彼女の横顔をとても美しいと思った。
8/8(木)
思い出せない。
8/7(水)
お母さんと子供たちが三組乗ってきて一組が一駅で降りた。降りた子供が電車の中にいる子供にバイバーイバイバーイとこの世の終わりみたいな声を届かせていて、でもお互いの姿が見えないので見えないよーうとせつなげに言う。こういうときに限って電車の扉はすぐに閉じない。阻む格好になっていた乗客はあわてて横へずれ、お互いの姿が見えた子供たちは一層張り切ってバイバイを繰り返す。あまりにほほえましくておかしくて顔がにやけてしまったけど、近くにいた誰かしらの頬もゆるんでいた気がして嬉しく温かい。
はじまりはいつもさりげなくあれ。そんな気持ちで扉を開いた。
8/6(火)
平熱以上。これほどまでなら焼けてもいい。
夜の飛行機から地上に見る光はまたたいておらずそこが星とは違う。6つほどの光でできた小さな丸い形が見えてもっと近くにと望むけれど、そのたび斜めに上昇されて遠ざかってしまう。飛行機でそう望むのがそもそも間違っている。真っ暗だから見つけられる光。
8/5(月)
女の子を抱きしめる夢を見た。女の子ってふわふわしててやわらかいんだなあと思った。経験のない感覚をどうして体験できるんだろ。
焼酎1日本酒1。ところがなかなか醒めない。自分の駅から歩いているとふらふらしてどうやら足にきた模様。こんなの初めてでショック。のび太には「年?」と言われる始末。
8/4(日)
ららさん、Mneさん、Mmoさんと青山スパイラルホールで行なわれている東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のスタンリー・クワン「藍宇」をみにいった。男男間のとても普通の恋愛物で、悪くはないが公開されてもはやらないだろうな…と思いながらみてた。車窓風景が流れるラストが好き。
松本大洋の『ピンポン』『青い春』の原作と映画の話をしたり、『鉄コン筋クリート』をすすめられたり。ららさんとMneさんが同日別時間にみにいっていた『CVR チャーリー・ビクター・ロミオ』の話に衝撃を受ける。チラシをもらったのでそこから転記すると、
『CVR チャーリー・ビクター・ロミオ』は、実際に起きた6件の飛行機事故のコックピット・ボイス・レコーダーに残された記録を再現し、極限状態における人間の心理をリアルに描き出した作品です。
二人と別れてららさんと軽くお茶。近頃ららさんと話をしていると(以下略)。ほかの表現は下手でも感謝だけはきちんと伝えられる人になりたい。
8/3(土)
お見舞いついでに高校時代に利用していた駅まで足を伸ばしてみたけれどあまりの変わりように面影を探すほうが大変で懐かしさにまでたどりつかなかった。少し悲しい。もうちょっと足を伸ばして通っていた高校まで行くべきだったか。
美しいものをみそこねた。
8/2(金)
お見舞いに持っていく本を探しているうちにいつのまにか読みふけってしまうのはお約束。『トムは真夜中の庭で』のラストにはどうしても涙ぐんでしまうので、こういう描写に弱いことを認めないといけない。ほんとにほんとに、いいよねえ。
8/1(木)
7/29に下記フォームから送信してくださった私と同じ魚座Bの方。メールアドレスください。
時々思い描く夢は、もういない祖父母4人と一緒に食事をすること。父方の祖母はちょいインテリで母方の祖父は女に教育はいらんてな感じだったので同席させたら楽しそうだし、父は怖くて顔を見られなかったという父方の祖父には写真でしか会ったことないので会ってみたい。