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日記のフリindex

02.1103.01

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0212.htm#20021201


2002年12月

その他

秋月こお『幻想のシャコンヌ』
ヴェネディクト・エロフェーエフ『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行き』
チャン・イーモウ『至福のとき』@ル・シネマ
天願大介『AIKI』@シネ・リーブル池袋
オ・ギファン『ラスト・プレゼント』@シャンテ・シネ
植村直己『植村直己 妻への手紙』
ジョン・カサヴェテス『グロリア』
ジョン・カサヴェテス『フェイシズ』
ニック・カサヴェテス『シーズ・ソー・ラブリー』
@新文芸坐
申相玉『聾唖の三竜』
村越英裕『イラストでよむ禅のほん』
内田ユキオ『ライカとモノクロの日々』
スチュワート・サッグ『キス☆キス☆バン☆バン』@シブヤ・シネマ・ソサエティ
ビリー・ワイルダー『情婦』@シネ・ラ・セット
中川ちえ『おいしいコーヒーをいれるために』
ローマン・コッポラ『CQ』@シネセゾン渋谷
崔洋一『刑務所の中』@シネクイント
江國香織『いつか記憶からこぼれおちるとしても』
マーティン・スコセッシ『ギャング・オブ・ニューヨーク』@ワーナー・マイカル・シネマズ
坂木司『青空の卵』
島崎藤村「^サ(ヤマサ)の愛妾」「秋の一夜」


12/31(火)
うろうろしてる間に三つ葉が売り切れ!

坂木司『青空の卵』東京創元社,2002 を読み終えた。

「僕=坂木」という人称が主人公のわりに他人のことまで喋りすぎ。三人称で書かれた物語はその語り手を“神”として読むので誰に対しての描写も客観的だと思って読むけれど、「私」からの視点で描かれているものはその人の思惑が入っているはず。本人ではなく「僕=坂木」という他人によって語られる鳥井はどうしたって薄っぺらい。本当は彼がどう思っているのか、彼以外わからないではないか、と思ってしまうから。

自分が未熟だけど引きこもりの友達を救えるのは自分だけだし、そのことを通して自分が成長できるのだという思想。そのくせ、友達がきちんと外に出ていけるようになって自分を頼らなくなるのはいやだという。なんなの?

私に「僕」という友達がいたとして、この物語に書かれたような「僕」の思いを知ったらすごくいやな気分になると思う。そもそも友達になろうとした動機がいやらしい。でも、読み進めていくうちに鳥井がもし知っても逆に喜ぶのかも、と思えてきた。

きりがないのでやめる。

坪内祐三・堀江敏幸編集『明治の文学 島崎藤村・北村透谷』筑摩書房,2002 の中から島崎藤村「^サ(ヤマサ)の愛妾」「秋の一夜」を読む。それぞれ、会ったことのなかった「夫の愛人」「父の愛人」に自分の意思で会う物語。短編。「秋の一夜」の冒頭は「長いこと私も引込みきりだ」で始まる。そして「父の愛人」に会った帰り道。「稀(たま)に出ると是だ」と夜の冷たい心地よさを感じながら「種々(いろいろ)なことを思い続け」るけれど、その「種々」は“モチロン”具体的には描かれず読者に余韻を残してくれる。

「ながら」だったとはいえ、紅白を通しでみたのは初めてかも。紅白が終わっていきなりゴ〜ンと鐘の音が聞こえる「ゆく年くる年」が始まると一年も終わりだなあと思えてくる。夜中に電車に乗って初詣に行くことに憧れを抱きつつ実現させたことがない。寒さが一番のネック。


12/30(月)
やっと仕事納めの日。電車は思ったより混んでいたのは帰省や買い物に出かけるからでしょうか。3時頃から納会。ここでも再び「ビールおいしい」と思った。でも、一杯でいい。すぐにお腹が膨れて飲めなくなるなあと。

結局坂木司『青空の卵』東京創元社,2002 を読み始めた。……もやもやいらいら。「ひきこもりってそんなにいけない?」とか「主人公ってかなりギブアンドテイクだなあ」とか。早く読み終えてしまって年越しを迎えたい。微妙な不快の理由をちゃんと書いて年越せたらさらにスッキリだけど、考えたり書いている過程は不快だろうな。

『チェブラーシカ』(→Amazon)のDVDを買って帰り、まったりとみていたらなんだか眠くて眠くてそのままちょっと横になってたら寒くなったのでもう寝ようと布団に入る。たしかまだ9時前だった。

チェブラーシカ公式サイト。


12/29(日)
大掃除して夕方から買い物に出かけると、外は思った以上に寒くて靴の中にも冷たい風がすうっと通る。ニット帽をかぶっていても、かき氷を急いで食べたときのように時々頭がキーンとする。それでも、家に帰って暖かくなればさっきまでの寒さも忘れアイスクリームを食べる。

鼻のあたまが冷たいのが冬。

今から読み始めると「今年最後の本」になる可能性があるし、かといって「今年最初の本」にするのも、その本を読んだ人の感想からしてなんとなく気が進まない。映画も『ギャング・オブ・ニューヨーク』で今年最後になるのは物足りない。31日を区切りと考えているから欲張ってしまうんだろうなあ。

31日から1日になる直前まで、いろんな物事や瞬間が「今年最後」になりえる。


12/28(土)
今日も30日も出社だけど、30日は出て今日は休みにする人が多く仕事場は静か。3時すぎ、いる人たちだけでコーヒーとお菓子を囲んで珍しく一箇所に集まっていると納会のような雰囲気。

年末の雰囲気がたっぷりの街。少し追い立てられるような、この気ぜわしい感じは好き。ざわざわばたばた活気がある中だと、いつもと同じように歩いていてもどこか取り残された気分になる。面白いし、気楽でもある。


12/27(金)
マーティン・スコセッシ『ギャング・オブ・ニューヨーク』@ワーナー・マイカル・シネマズ。

戦闘シーンから目をそらすと映画の何分の一をみないことになるんだろう? 物語はシンプル、つくりは豪華。飽きない185分ではあるけれど深みは感じられない。……という内容のない感想しか書けない。あまりにも、可もなく不可もなく、で。


12/26(木)
江國香織『いつか記憶からこぼれおちるとしても』朝日新聞社,2002 を読み終わる。挿絵が柳生まち子さん。初期の『綿菓子』や『つめたいよるに』の挿絵がそうだった。江國香織の語り口も幾分その頃の雰囲気をかもし出していて、嬉しい。

冬の味がする!

「指」を読み始めてすぐ、女の子+高校生という独特の空気にくるまれた。細部が一緒なわけじゃない。けれど、まごうかたなきあの頃の時間の断片や香りがそこにはある。

すれ違ったり、少しずつ遠くなったり、会話していても本当は向かいあっていない……そんな印象が強い物語たちの中で、「テイスト オブ パラダイス」の展開はむしろ逆にだんだんに向かいあっていくようで、とても、あたたかい。

それぞれの短編の中に別の物語の人物がちらっと登場するけれど、彼らはお互いの“深い”事情まで知ることはない。ポケットの中に飴玉を持っていても自分しかそれを知らないのだ。自分もそうだと時々気付くとき、誰に対するでもなく「ザマアミロ」なんて思ったりする。


12/25(水)
姪のクリスマスプレゼントは、姉にはハム太郎のホッケーゲーム、妹にはいろいろ喋るアンパンマンのおもちゃ、それからマイクロペット一匹ずつとのことだった。マイクロペットってなに? と聞くと、話し掛けると鳴いたりする小さい犬や猫だという。良くわからないので調べてみた

クリスマスより少しだけ先にある姪の誕生日プレゼントに、『おおきなかぶ』(→Amazon)と「ぐりとぐらかるた」(→Amazon)を買った。

母との電話で「小さい頃どうしてぐりとぐらの絵本を買ってくれなかったの。子供のころそれを読んだ人がうらやましいよ」と言うと、「そんな本があるの知らなかったし」と答えたあとにつけ加えたのが、「ぐりとぐらってどんなにかわいいのかと思って見たらガッカリした。なんかみすぼらしいんだもの。そもそも動物が話したりするのがだめだし、ムーミンなんてカバってだけでもうだめ」。……あまりにハッキリした意見なので大笑い。これじゃあ買ってもらえなかったことに変わりはなさそう。ところで、ムーミンの名誉のために言っておくとカバじゃなくて妖精なんだよ。そう訂正しても「どうみてもカバ」。


12/24(火)
髪を矯正して2ヶ月くらい経つ。形容するなら「なりをひそめている」感じ。それはそれで落ち着かない。結局、どうあっても髪は私のコンプレックスでありつづけるのだろう。でも「自分の髪が嫌い」と思っていたのが矯正してみて「嫌い」というのとは違うことに気付いた。それを証拠に、もうそろそろ矯正が取れればいいのに、と思い始めている。

コンプレックスを抱えていると時々自分に甘えられて楽な気がする。

姪にクリスマスプレゼントを贈るべきだった? いや、サンタは一人なんだから、サンタ以外からのプレゼントはサンタを信じられなくなってから。


12/23(月)
出かける前にKONOのサーバーが届いた。メモ:珈琲サイフォン株式会社。COFFEEYA。

ローマン・コッポラ『CQ』(米・2001)@シネセゾン渋谷。ドラゴンフライ役で主役のアンジェラ・リンドヴァルがとってもキュートだし、着ている服や装置もことごとくオシャレ。まずは視覚的に楽しい。中身も思ったよりまともで、ふざけずきちんと終わらせてた。「映画をつくる」ことに対するメタな発言やらラストのもっていきかたが少し青くさいところも、むしろご愛嬌かな、といったところ。

中国茶でひとやすみ。なにを話したっけ? 上映開始30分前にハシゴを決めて次の映画館へ向かった。みたいときにみないと、みそびれたままになることが多いし。

崔洋一『刑務所の中』(日・2002)@シネクイント。わき見をせずに「刑務所の中」を描いているのが良かった。ただただ「刑務所の中」を知りたかったんだもの。満足。山崎努のつぶやき系セリフが滅法いい。それにしても噂にたがわず食事のおいしそうなことといったら!

今年使ってた手帳が使いやすかったので同じところで買おうとパルコpart1のDelfonicsに寄る。中身は同じでも、気に入った表紙のものが見つからず、やめることにした。

「やめてほしい」と言っても無理なんだろうけど、予告編でホラー映画が始まるとツライです。今日遭遇したのは『呪怨』と『死霊のはらわた』。勘が働いたりタイトルが出たりするので避けられるにしても、音は聞こえるのでやっぱり怖い。ホラーやスプラッタは一千万円くれるって言っても断る。


12/22(日)
9時というちょうどいい時間に目が覚めて起きた。のんびり過ごそう。

昨日の朝、電子レンジのトーストモードを初めて使ってみた。先日買ったばかりの新しいオーブントースターで焼いたのと、どっちがおいしいのかが気になったのです。結果、軍配はトースターに。電子レンジ焼きのほうは「(専門じゃないんだけど、仕方なく、)やいた」って感じなのに対して、トースターのほうは「焼けたよ! ねね、おいしいでしょ!」って感じ。

土曜日が最終回だった日本テレビ系『リモート』の録画をみる。堂本光一と深田恭子が出てて、なんで見始めたのか忘れたけど今クールで唯一見ていたドラマです。毎回のエンディングの映像が、最終回のラストの映像だったというのがわかった。なぜって、最終回のラストで着ていた二人の服がエンディングの服と同じで、そのまま映像が繋がるのです。ずいぶん余韻のある終わり方をするんだなーと感心してたら続きがあって少々ガックリ。仕方ないか。前回、9回目のラストにはぐっときた。しばらくあとにここを読んでも思い出せるだろうか? と考えてみて、思い出せそうな気がするのでどんなシーンだったのか書かないでおく。

昨晩読んだ中川ちえ『おいしいコーヒーをいれるために』メディアファクトリー,2002(→Amazon) は良かった。中川ワニ珈琲の中川さんの奥さんが書いたもの。最近、会社でも家でも紅茶やコーヒーはティーバッグやインスタントコーヒーばかりだったと思い出し、久しぶりに豆を挽いてコーヒーをいれたくなる。

まずは、今までもったいないからと飲まないままでいたお茶を開けた。南京雨花茶という中国の緑茶。きっと名前に惹かれて買ったんだ。玉露のような味わいに飲まないほうがよっぽどもったいなかったと反省す。

夕方、散歩がてら、隣駅のコーヒー屋さんに寄って豆を買う。注文してから焙煎してくれるのです。いつもはモカマタリなのを、割引になっていたブルーマウンテンブレンドにする。

帰宅後、『おいしいコーヒーをいれるために』のコーヒーのいれかたを眺めたあと豆を挽きコーヒーをいれた。この本は薄くてあっという間に読み終えてしまうし、とても当たり前のことしか書いていないんだろう。でも、難しい知識は欲しくなくてただおいしいコーヒーを飲みたい私にはぴったりだと思った。ここに出てくる道具類や器がかわいらしい。それでつい衝動買いしてしまったKONOのサーバーは明日届く予定。ここに出ているhifi密閉ビンは無印で売ってたと思う。

夜には無印で買った栗の紅茶をミルクティーにしたり、久しぶりに丁寧な飲み物の日でした。


12/21(土)
渋谷に予定より早く着き、さすがに早いだろうと時間つぶしにマークシティのアフタヌーンティーに寄った。チャイが6種類もあるしスイーツにも目移りしてしまう。結局プレーンチャイとフレンチトースト。カウンターに座り、時々通り過ぎる人を眺めながらパクパク食べる。

アフタヌーンティーを出て坂をのぼっていると「映画館はこちらでーす」と案内の人が出ている。シブヤ・シネマ・ソサエティの場所は、たしかに最初来たときには友達任せで歩いた記憶があるほどわかりづらく不安だったなあと思い出す。映画館の前でも傘もささずに案内をしている人がいた。初日初回だから?

スチュワート・サッグ『キス☆キス☆バン☆バン』(イギリス・2000)@シブヤ・シネマ・ソサエティ。満席。アメリカ映画だったらこうしただろうか、と考えながらみてしまう展開で、ハートウォーミングな父性物語にハードボイルドの味付け、という印象が次第に逆転していくあたりがイギリスっぽいなあと思った。「世界は危険に満ちている」に対して「でも素晴らしい」と答えるババは、それを体現させてみせる。その証拠にババが銃に撃たれたあとのセリフは、まるで痛みさえもいとおしいと語っているよう。そんなふうに世界のすべてを愛することができれば幸せだ。そしてまた、ババのそれは愛そうという意志ではないのだと思う。愛してしまう、とでもいうか。

銀座に移動してシネ・ラ・セットで整理券をもらってから、有楽町無印でお昼。

ビリー・ワイルダー『情婦』(米・1957)@シネ・ラ・セット。「原作を超えている」という昨年の感想は変わらない。モノクロのクラシックな映画には私の胸をときめかせるなにかがある。ほぼ一年前にみた映画をスクリーンでみられるなんて、さながらクリスマス・プレゼント。


12/19(木)
久しぶりの友達と会う。ビールをおいしいと思ったのは初めてかもしれない。でも、二人でビールを1本というかわいらしい飲み方。銘柄を見たら一番搾りだった。


12/18(水)
内田ユキオ『ライカとモノクロの日々』笊カ庫,2002(→Amazon) を読み終わる。「カメラマン」誌での連載をまとめたもの。最近はこの雑誌を読まなくなってしまったのですが、写真とエッセイの連載はいつも楽しみでした。さりげない日常の中のあたたかみとせつなさ。せつなさが冷たさに結びつかないところがいいなあと思う。紙の上のプリントでしかみたことがないので、いつか写真展で実際のプリントを見てみたいです。

内田ユキオのモノローグ」。


12/17(火)
村越英裕『イラストでよむ禅のほん』鈴木出版,1998 を読み終わる。禅寺生活のことをもっと読みたかったなあ。

最近、禅の映画をみたり、写真展に遭遇したり、本を読んだりしてますが、たまたま時期が重なっただけで、はまっているということでもなく、以前から本棚には『はじめての禅』と『道元とサルトル』がありました。卒論に使った本の一部ですが、これまた禅がテーマだったわけではありません。

ひどく寝汗をかいて冷たくて起きてしまうことがあって、毎日ではないので何が理由なのか考えてたのがやっとわかった。パジャマの下に着るのが長袖だと寝汗をかくのだと!


12/15(日)
『ミルドレッド』はパスして帰りました。朝5時は寒い。明けの明星を見つけてるまに、どんどん明けてゆく空がきれい。

帰宅して眠って昼に起きて、今度は16時からの申相玉『聾唖の三竜』(韓国・1964)@東京国立近代美術館フィルムセンターへ出かけた。

恩ある大家(たいけ)とその家族に忠実な下男三竜(サムニョン)は言葉が不自由だが、総領息子が迎えた若妻にかなわぬ恋慕の情を抱く。放埓な跡取の浮気がもとで屋敷が放火されたとき、三竜は身を挺して彼女を救おうとする…。(内容紹介より)

前回の絵に描いたようなイジワルババアに対して、今回は絵に描いたようなドラ息子! よくぞまあここまで純粋培養に育てたね、という“立派な”ドラです。「恩を仇で返しやがって!」というドラ息子のセリフに対して「それはおまえだろー」とつっこみたくなる。物語に絡む、目で見てわかる韓国の儒教思想。若妻のまなざしが罪とは思わないけど、三竜の愛が、あの悲痛なまなざしに対する自己犠牲でしか表わせない・伝えられないというのがやるせない。


12/14(土)
来年小学校にあがる姪にはボーイフレンドがいて、今年の年賀状の七五三姿の彼を見たときには「かっこいい…」とつぶやいたという。写真で見ると幼稚園児にしては大人びて理知的な素敵な子だったので、姪もなかなかやるな、と思ってたんだけど、モテる上に、顔に似あって「○○くん」と寄ってこられるのがあまり好きではないらしいクールな人だと気付き始めた姪は、彼をあきらめ新しいボーイフレンドを作った。今度の彼は、とても優しくて姪の妹も一緒に面倒をみてくれたりするらしい。顔はイマイチだけど性格のいいほうが、と悟ってしまった姪はもうすぐ6歳。

昨日書いた理不尽にふられた“仕事”は、モチロン引き受けてないよ! “相手に”「わかりました。(ひきつづき私が)やります」って言ってもらいました。12/14/02 02:11:39

夕方、夏に亡くなった先生宅へお線香をあげにうかがった。先生の奥さんと話をしていて、お線香をあげにいくという行為は亡くなった人のためだけにすることじゃないんだ、と初めて気付いた。馬鹿だった。

夜の11時から新文芸坐ジョン&ニック・カサヴェテスのオールナイト。『グロリア』『フェイシズ』『シーズ・ソー・ラブリー』『ミルドレッド』の4本。カサヴェテスのはしごは、ほとんど拷問だろうなあ…と思ってたけど、やっぱり真夜中にみる『フェイシズ』はツライ。

ジョン・カサヴェテス『グロリア』(米・1980)。大好きな映画で、このためにオールナイトに行ったようなもの。ラストのスローモーションシーンでは、スクリーンから愛があふれちゃってる。毎回胸がきゅーっとなる。前々回感想前回感想

ジョン・カサヴェテス『フェイシズ』(米・1968)。この映画はセリフがなくても成り立つんじゃないだろうか。おおげさではないが豊かな表情の数々がアップ気味に映し出されてゆく、喜怒哀楽のめくるめく展開。前半すっごく眠くて死にそうだったけど後半は全く目が離せなかった。

ニック・カサヴェテス『シーズ・ソー・ラブリー』(米=仏・1997)。愛すべきバカップルの物語? と思ってたら、意外な方向へ物語が進む。ところがその方向が、思ってもみなかった、というよりは予想範囲を少しだけ超えるような絶妙なズレ方なので、かえってこちらの気持ちが振り回される。どうしようもないのに捨て置けない。身勝手なのに憎めない。そんな映画。みおわってみたら、やっぱり愛すべきバカップルのような気がした。ショーン・ペンは素晴らしいね。この映画を日本の俳優で作るのだったら、ショーン・ペンの役はぜひ萩原健一で。


12/13(金)
昨晩は、今日のことを考えてどんどんふくらむ喧嘩シミュレーションに目が冴えてしまう。どうしてこんな程度の低いことで腹を立ててるんだろう。情けなくてまた気持ちがぐるぐる。そんなふうに興奮するから眠れない。

駅から会社までの道を歩きながら一つ誓いを立てた。

話せば話すほど相手の言っていることが理解できない。相手が不可能だということに対し一つ一つ質問をし、最終的に相手自身が「わかりました。やります」と発言して終了。ただ、今回発生したわだかまりは多分残ってると思う、お互いに。でも、納得できないことにはどうしてもうなづけなかった。

以前、後輩女子から聞いた「本当に頭にくると身体が震えるんですね」という名言を実感というか体感したー。いろんな人に「こういうことがあってこうだったのだ」と再現してみせたい!

帰宅して朝の誓いを実行。自分の意見が通ったら、お線香をあげに行きたいと電話しよう、と。


12/12(木)
とても小さなことでカステラが喉に通らないくらい憤慨して、どう論理的に攻めるか、そんなことばっかり考えていたくせに、家に帰ってきてご飯を食べたらわりとどうでも良くなった。でも、やっぱり、明日、言う。

電車から見える風景にはまだ雪がある。屋根の上や小さな畑の上に。目にするだけの、届かない雪。

ゲームセンターやパチンコ屋に行くことは、人と一緒であっても躊躇する。なんていうの、いわゆる“不良”のイメージ。我ながらおかしい。

子供が生まれると知ってスッパリ煙草をやめたという父。でも、小さいとき、父の日に煙草を一箱買いに行ってプレゼントした記憶があるから、一時期復活していたんだろう。父や母の仕草やクセを継承して「何々の仕方がそっくりね」なんて他の人に思わせられたら楽しそうだと思う。仕草やクセが似ているのって、自然に受け継いだものではない後天的なところが素敵。一緒に生活したからこそ得られることのような気がするので。父がもし今でも煙草を吸っていたならば、吸いかたを教えてもらえただろうか。銅版画家の山本容子さんのようにカッコイイ吸い方を伝授された、という高望みはしないけれど。

吸う練習をしたくて煙草を買いました。と今日の日記に書きたかったのにできなかったかわりの文章。


12/11(水)
興奮して喋ったあと、頭痛がして熱っぽくなった。こういうことがたまにある。血圧が高いとか?

家で採れたというレモンをもらったので、ホットはちみつレモンにして飲んだ。

歳とったら死にたくないな。


12/10(火)
植村直己『植村直己 妻への手紙』文春新書,2002 を読み終わる。毎日の冒険の内容が書かれている日記のような手紙。そして、誰かに読まれても全然平気なラブレター。少し不思議。日記におさめるのではなくそれを妻に送るのは、妻が大事だったり心配だったりなのもあるだろうけど、自分のことを誰かが知っていてくれるという安心感を得たいからというのもあるんじゃないかと思う。


12/9(月)
朝、布団に入ったままTVをつけると雪だ雪だと言っている。小さい頃、雪の降った朝に曇りガラスのむこうが真っ白なのを思うと怖くて仕方がなく、窓を開けるのが嫌いだった。

どうりでハチミツの落ちるのがゆっくりなわけだ。

2台見送った埼京線、やっと来た大崎行きに乗ったのに、渋谷でこの先もう行けませーん、と降ろされた時にはさすがに不機嫌になった。埼京線の渋谷駅から山手線の渋谷駅の距離を歩くの……。

家の中にいていいんだったら、いくらでも降っていいけどさー。


12/8(日)
昨日今日の予告編では、スチュワート・サッグ『キス☆キス☆バン☆バン』(イギリス・2000)クァク・ジェヨン『猟奇的な彼女』(韓国・2001)が気になりました。金城武とケリー・チャンのイップ・カムハン『ラベンダー』(香港・2001)も少々。ただ、『わすれな草』感想)と同じ監督なのでツメが甘いのではないかという不安があります。金城武が天使でした。それにしても、キェシロフスキの遺稿脚本を使ったトム・ティクヴァ『ヘヴン』(米=独=英=仏・2002)ギリアン・アームストロング『シャーロット・グレイ』(米・2001)におけ るケイト・ブランシェットが素晴らしくってうっとり。

オ・ギファン『ラスト・プレゼント』(韓国・2001)@シャンテ・シネ

とても良かった。映画館だったので滂沱程度に抑制してたけど一人でみていたら号泣だったと思う。

売れないコメディアンの夫と、子供服店を営む妻。妻は夫のためにTV局のプロデューサーに売り込みをしに行ったりしているが、そんなことはおくびにも出さず、遅く帰ってくる夫といつも喧嘩ばかり。本当はお互いのことを思っているのに意地っ張りで素直になれない二人をもどかしく思う。なぜ“仲の悪い”設定なのか?

が、この“仲が悪い”という設定あればこそ、「妻は余命いくばくもない」と知った夫の、妻に対する第一声及びその態度という素晴らしい起爆を果たす。すべてを知っている私たち観客は、そのふるまいのせつなさを苦しいほどに感じるのだ。

この先ネタバレたくさんなので読む人は反転させてください。

妻は夫に自分が死ぬことを隠し通そうとし、夫もそれに合わせて知らないふりをしようとする。ところがある日、再び倒れた彼女があくまでも意地を張り通すのを見た夫が「病気のことは知っている。なんで俺に甘えないのか」と爆発し、私は実際ほっとした。この物語は、ホ・ジノ『八月のクリスマス』(韓国・1998)感想)と比べたくなる内容だけど、『八月〜』はその「秘めることの美学」が強すぎて、あまり好きではなかったから。

二人の間には数年前に亡くした子供がいるという設定も、夫が一人墓を前にしての「もうすぐママがそっちへ行くよ」というセリフで観客の涙を絞り取るにはかなり強力なもの。夫婦に絡む、悪者に徹せない詐欺師二人の使い方もうまい。妻が死ぬ前に会いたいと思っている人を探してくれと、夫が詐欺師たちに依頼をし、彼女の幼い頃の友達、恩師、そして彼女が忘れられないでいるらしい初恋の人は誰なのかを巡る旅が始まる。彼女の初恋の人は誰なのか、それは大方の想像通り、現在の夫なのだということがわかるが、これは最後の閉じ方に効いてくることになる。一方、夫は、お笑い王のトーナメント戦で順調に勝ち進み成功への道を歩み始める。彼の舞台での姿を観客から見守りながら彼女は息を引き取る。最後に目にする光景が愛する人、それも彼女が望んだ成功した姿であったのは、幸福だったのだと思うし、願う……。遺された箱の中に入っていたのは手編みと幼い頃の夫の写真。「いつからあなたを好きだったのかわかる?」との言葉に続いて、映像は彼女の代わりに木の枝から紙を取ってくれた彼というエピソードと、先生が彼を写真で写すところを見た彼女が「先 生、その写真私にもらえませんか」と問うセリフで終わる。物語の閉じ方がとても美しくてまた涙が出た。


12/7(土)
チャン・イーモウ『至福のとき』(中国・2000)@ル・シネマ

嫌な感じの登場人物たちはいい思いをするのに対し、幸せになって欲しいと願う人たちは恵まれない現状維持だったり、何かを失ったりしている。

たどりつけない・届かないものが多すぎる彼らだというのに、ウー・インからの声も、チャオによる偽手紙の言葉も、伝えたかったメッセージさえお互いに届かないまま。相当残酷だ。工場跡に作られた按摩室の天井も、高くて届かなかった。

物語の結末はシビアだっていうのに記憶に残っているのは感動的なシーン。ウー・インも、優しく楽しかった記憶だけを思い出すのだろうか。……こんなふうなつくりに仕上げることができる監督チャン・イーモウは、悔しいけれど、本当に、くえない。

天願大介『AIKI』(日本・2002)@シネ・リーブル池袋

加藤晴彦が好演。大東流合気柔術のデンマーク支部にいる人をモデルにしたそうで、エンドロールのときに先生と本人の映像が流れる。合気柔術に出合うまでの自暴自棄な生活がリアルで、きれいごとじゃ済まない面も描いている。先生役の石橋凌がキマってるので実際に心得があるのかと思っていたらどうやら全然だったらしい。「『AIKI』完成披露試写舞台挨拶」を読んで、監督が今村昌平監督の息子だということを知った。

..

映画館のある池袋メトロポリタンプラザの7Fにティーヌンがオープンしてました。スケート帰りに高田馬場のティーヌンでセンミートムヤムをよく食べたものですが、ここ池袋のティーヌンは店のつくりも器もコジャレてて、味も少し上品な感じでした。


12/5(木)
読み始めたのは植村直己『植村直己 妻への手紙』文春新書,2002

会社では毎日なにかしらのお菓子が配られるし、妹からのおみやげや結婚式の引き出物など家の中にもお菓子があふれていて飽和状態。お菓子はお菓子を呼ぶのかもね。

「コーヒーをいれたから良かったらどうぞ」と言う先輩に対して「自分のおねえさんだったら」なんて思う。周りの“妹”たちは、決して“姉”にはなりたがらない。妹のほうが姉より断然得だというのをちゃんとわかっていて、かつそれを認めてるのだ。

コーヒーはクレーム・ブリュレの香りがついたゴディバのものだった。

映画は土日をめいいっぱい使って時間をやりくりするしかない。財布にはあまり相談してない。確かに買いたい物はいくつかある。たとえば映画を2本我慢すればCD1枚買えるだろう。でも、家に持って帰れない時間を買いたいみたいだ、今は。

自分の空間を狭く取りたい。冬だし冬眠モードで。


12/3(火)
ヴェネディクト・エロフェーエフ 安岡治子訳『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行き』国書刊行会,1996 を読み終わる。

ロシアの文化、社会、芸術に関してほとんど知らないので、深く読めてないのは良くわかった。訳注をバシバシ付けるとテキストが中断されるから(あまりしなかった)、と訳者はあとがきで書いているけれど、確かにそれだけ意味を含んだものが多いってことは感じられる。この物語の中で言及されたりほのめかされたりしている文化というものが自分の血や肉となっているのだったら随分と面白く読めたんだろうな。そう思うとロシア人が羨ましい。

最近、仰向けに寝ようと努力中。横向きで丸まってるほうが楽でも、これを楽と思う身体こそが良くない気がするので。でも、仰向けだとなんだか息苦しい。


12/2(月)
会社でお取り寄せが流行ってるってわけでもないのですが、おいしいラスクを取り寄せたから、とおすそ分けをもらいました。麦工房というところのもの。さくさくっと軽くておいしい。空気がたくさん入っている感じ。袋の裏に書かれた文章がかわいらしいです。1.2.とあって3番目に、

3.麦工房シベールのラスク フランスは日本全国どこへでもいつでも喜んで元氣よく飛んで参ります。

12/1(日)
友達の結婚式に出席。スピーチも無事に済んだ。新婦の親戚のオペラ歌手による歌や新郎の友達3人によるジャズ演奏があった。ジャズは新婦のリクエストもあってドラムスのソロが盛り込まれ迫力があったし、なによりカッコイイ!

秋月こお『幻想のシャコンヌ』角川ルビー文庫,2002 を読み終わる。


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