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日記のフリindex

02.1203.02

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0301.htm#20030101


2003年1月

その他

貴志祐介『青の炎』
ヘレン・マクロイ『割れたひづめ』
フランシス・アイルズ『被告の女性に関しては』
佐藤雅彦・竹中平蔵『経済ってそういうことだったのか会議』
東野圭吾『どちらかが彼女を殺した』
桐野夏生『天使に見捨てられた夜』
レオン・ブロワ『薄気味わるい話』
第457回紀伊國屋寄席@紀伊國屋ホール
G・W・グリフィス「大虐殺」「狭き道」「厚化粧したレディ」
桐野夏生『顔に降りかかる雨』
柴田よしき『フォー・ユア・プレジャー』
フィリップ・ノイス『裸足の1500マイル』
ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』
クァク・ジェヨン『猟奇的な彼女』@シネマスクエアとうきゅう
ゆもとかずみ・ほりかわりまこ『くまって、いいにおい』
角田光代『エコノミカル・パレス』
桐野夏生『ローズガーデン』
五味太郎・小野明『絵本をよんでみる』

栗田亘『漢文を学ぶ(1)』
折原みと『時の輝き』


1/31(金)
折原みと『時の輝き』講談社X文庫,1991(→Amazon)。

自分の治る見込みのない病気を知った男の子が理由も告げずに好き合っている女の子を遠ざける。理由を知って衝撃を受けた女の子は、彼にとっても自分にとっても時間をどう過ごしたらいいかを考え、まっすぐに行動する。大切な瞬間瞬間が手のひらからこぼれ落ちないための、けなげで凛とした闘い。

こういう場合、遠ざける展開のものをいくつか漫画や映画で経験したけれど、『ラスト・プレゼント』みたときの感想)や、この『時の輝き』のような展開のほうが好きです。


1/30(木)
『猟奇的な彼女』のサントラ(VICP62202)(→Amazon)を買って帰った。

栗田亘『漢文を学ぶ(1)』童話屋,2002(→Amazon)。平凡でステレオタイプ、そして微妙に慇懃無礼な発言に軽い怒り。怒りというより、ご勝手に。

ドトールのソイロイヤルティーが好きで時々飲みます。以前、豆同士だから合うだろうとコーヒーに豆乳をまぜたらおいしくなくて懲りたのですが、紅茶なら違うかもと作ってみたらお店と同じような味になりました。よかった。


1/29(水)
昨晩、桐野夏生『ローズガーデン』講談社,2000 (→Amazon)を一気に読んでしまった。『顔に降りかかる雨』(→Amazon)(感想)、『天使に見捨てられた夜』(→Amazon)(感想)、そして未読の『ダーク』とともに、ミロシリーズの短編集。作品名は「ローズガーデン」「漂う魂」「独りにしないで」「愛のトンネル」。

「ローズガーデン」、男性が女性のを見る観察力に作者の女性性が加わり、なんとも迫力がある。ここで初めて博夫とミロの過去がわかる。勝手にイメージしていた博夫とは雰囲気が異なっていた。が、読み終えたあと、ふっと力が抜けるように合点がいく。「漂う魂」はシンプルな事件と思えたものが実は解決しきれていない余韻を含ませて終わるのがいい。「独りにしないで」、傍観者だからこそ有美の気持ちを直感で見抜けた気がするけど、直感だからこそそれを証明するのは難しい。「愛のトンネル」、調査していくにつれ意外性とともに明らかになってゆく故人の姿に比べて周りにいた男性たちの影のなんと希薄なことか。

五味太郎・小野明『絵本をよんでみる』リブロポート,1988 (→Amazon)読み終わる。

ときどきワハッと笑いが出てしまいそうになる。たとえば、ユリー・シュルヴィッツ『よあけ』(→Amazon)という絵本に描かれているたき火について、そのたき火がただものではない理由の説明。アーノルド・ローベル『ふたりはともだち』の読みで、“湿ってる葉っぱの中での湿ってる友情”(p.131)とか“湿っぽい友情のつなぎをするのが、さらに湿っぽいかたつむりくんなわけよ。”(p.134)という物言い。説明が想像力豊かで分析的、笑ったり感心したり驚いたり忙しく読んだ。

最後の雑記がまた素晴らしくって、いいぞもっと言ってやれーって快哉叫ぶ感じ。

本の読みかたには読む人ぶんのバリエーションがあって、どういうのが「正しい/正しくない」なんてなくて、ただ自分が思ったことを素直に表現すればいいのだ、なんて当たり前のことも、改めて力強く思う。「誰々さんの何々に対する感想」は知りたくても、「私の何々に対する感想に対する誰々さんの感想」には興味がない。つまり、「あなたがこれに対してそう感じたのはおかしい」などという発言には耳を貸さないということ。


1/28(火)
なぞなぞです。おじいさんと一緒にするスポーツなあに。


1/27(月)
五味太郎・小野明『絵本をよんでみる』リブロポート,1988(絶版。現在は平凡社ライブラリー(→Amazon)から出ています) の最初で五味太郎による ディック・ブルーナ 石井桃子訳『うさこちゃんとうみ』福音館書店(→Amazon)の読みかたを体験することができて興奮。それにしても、うさこちゃんと、ふわふわさん(おとうさん)の描きわけが!!! 描きわけが!!! それにもひどく興奮。

斎藤美奈子『L文学完全読本』マガジンハウス,2003 (→Amazon)を読んでいたら、折原みと『時の輝き』講談社X文庫,1991 (→Amazon)が気になったというより表紙のイラストに釘付け? になったので読みます。ずいぶん前に映画化してましたね。


1/26(日)
ゆもとかずみ・ほりかわりまこ『くまって、いいにおい』徳間書店,2000(→Amazon)。ゆもとかずみは湯本香樹実です。私が号泣した『ポプラの秋』(→Amazon)の。

森の動物たちは、悲しいことや困ったことがあるといいにおいのする熊のところにたずねていって、あれこれ悩みを話します。そして最後には熊の胸のやわらいかいところに顔をうずめ「くまって、いいにおい」と言うのでした。ところがいつもそんな役回りばかりの熊は、「ぼくだって、ときどき元気がないのにな…。こんなにおい、なくなっちゃえばいいんだ」と。それを聞いていたきつねはかせが、においが消える薬を持って熊のところへやってきます。ところが…。

懸命な看病とその後の散歩にしみじみ。問題の解決も「いい子ちゃん」に流れず根本に到達してると思う。そうだそうだ、たまにはガツンと正直に。あとがきがまた、あたたかくて素敵なのです。「いいにおい、というのは」のあとにいろんな文章をつなげてみたくなる物語。

角田光代『エコノミカル・パレス』講談社,2002(→Amazon)。この物語の中心にあるのは、抽象的な“お金”という概念じゃなくて即物的な金額。足して引いて掛けて割ったりしながら、維持しなきゃいけない生活、侵略してくる人、手を伸ばしたい対象について思いをめぐらせても、いつも金額がまとわりついて思考を支配してゆく、そんな感覚。


1/25(土)
クァク・ジェヨン『猟奇的な彼女』(韓国・2001)をみようとシャンテシネに着いてみれば1時間前で既に初回、次の回とも満席。悔しかったのですぐにシネマスクエアとうきゅうのある新宿へ移動した。

さすがに早すぎかと思っていたのに既に列ができてる。開場は11時ですと言っていたのを10時40分頃開場してくれ、11時50分の上映開始時間まで約1時間座って待つことができました。しばらくすると立見の人も入れ始め、いよいよ上映開始時間ともなればわんさか状態。

時と運命の物語と思った。

っていうか、感想書けないし、しばらく映画みなくてもいいよ……ってくらい良かった。サントラも欲しい。以下、やっぱり穴ぼこだらけになりました。

出会ってうまく(?)いくまでは偶然と運命が寄り添っていて、彼女はただ待ったり呼んだりすれば良かった。でも、彼女が一度キョヌを探して追いかけた時、それまで登場しなかった「すれ違い」が起き、その後もキョヌが彼女の乗った電車に一歩のところで乗り遅れたりして、偶然は会えないほうへ傾く。

彼女が書いたシナリオによる劇中劇、これいるの? って思ってたけど、シナリオで必ず出てくる「未来」に対してラストでも「未来」って言葉が出てきたときに、なるほど必要だったのだと思った。

「彼女」役のチョン・ジヒョンはもちろん要。でも、キョヌ役のチャン・テヒョンの良さがなくちゃ成り立ってないはず。ちょっと気の弱いフツウの男の子をコミカルに演じ好感度バツグン。フツウの男の子が「彼女」にとってはスペシャルになってゆく過程を見た気がする。

特に印象に残ったところの箇条書き。

・彼女と付き合う上での注意点を彼女のお見合い相手に話して聞かせたところ。まずはこれで泣く。

・彼女がキョヌを追いかけてたときの駅の事務室での彼女の振る舞い(マイクにキョヌ〜)と、モニターに写るキョヌが彼女の声に気付いてこちらにふりむく映像。

・丘の上での独白。目に見えるのに声は届かないところにいるキョヌへの謝罪

・「彼女の傷は癒されたのでしょうか? だとしたら、僕はもう彼女のそばにいる必要はないのかも…。」

・彼女の手紙の内容。死んだ木と同じ木を探してきて植えたキョヌ。

おばさんの紹介したかった人っていうのは実は彼女だったという「運命」(最初のほうでそう思ってた人も多いと思う)。手をつないでたシーンがいい!

・ラスト、制服姿に学生証で通り過ぎる二人

・完璧にプラトニックだったのも良かったのかも。

映画が終わって舞台挨拶に出てきた主役の二人は好印象。“キョヌ”が彼女に対してレディファーストを保っているのが素敵でした。蛇足ですが、映画の中でもわかるように、韓国の人が目上の人に対して真正面で飲まないのとか、目上の人に握手するときに右腕に左手を添える仕草、好きなのです。


1/24(金)
『千と千尋の神隠し』をもう一度TVでみて、やっぱり同じとこで泣く(前回みたときの感想)。

ミネット・ウォルターズ 成川裕子訳『女彫刻家』東京創元社,1995(→Amazon)。

母親と妹を殺した罪で服役中のオリーヴ。彼女を本に書くために取材していくうちに彼女は無実なのではないかと思い始め事件を調べなおしてゆくロズ。

ロズは、例えば肉親や恋人などの無実を証明していくのとは違う熱でオリーヴの無実を信じているようだった。距離の取り方が近いというよりは深い。心の中の暗くて気づきにくい部分で手をつないでいるような深さ。でも、ロズはそんなふうには思っていなくて、ただオリーヴの無実を信じているだけと思い込んでいる(に違いない)。それほど、ロズは自分で気付かぬうちにオリーヴに絡めとられてる気がした。

オリーヴはロズの状態を瞬時に見て取り、彼女を「選んだ」のではないだろうか。そこまで近づきすぎてはいけないと警告したくなるほどロズのオリーヴに対するシンクロは奇妙であぶなっかしい。だから逆に、私はオリーヴの無実を信じられないまま読み進めてた。

この物語を非凡たらしめてるのは最後の1ページ(数行)があるためだ。あるなしで印象がガラリと変わる。でも、その部分の前で終わっても物語が成立するので、ちょっと書き加えたようにも見えてしまう。こちらへの疑問の抱かせ方にヒネリがなく見え見えすぎててもったいない。ああいう疑問ならば、きれいな水にインクを落としたときの拡散のようであって欲しい。

解説の冒頭に“P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』の文体で、トマス・ハリス『羊たちの沈黙』の世界を描いたら----。それが本書である。たとえていえば。”と書いてあったけど、そうかなあ……。


1/23(木)
目覚ましかけなきゃーと思いながら眠ってしまい、朝起きたらいつも家を出る時間だった。こういうとき時計を見つめる時間は結構長い……気がする。えーっと、今何時? 今日休みだっけ? なにかの間違い? 見つめ終わったら急いで支度。消防車が出動するときみたいだと思った。良く知らないけどイメージ。伝わり降りるポールがあれば尚いい。


1/22(水)
フィリップ・ノイス『裸足の1500マイル』(オーストラリア・2002)。舞台は1931年オーストラリア。白人とアボリジニの混血を、“優れて豊かな白人社会に適応”させるために教育するという名目で家族から引き離して隔離するという対策が取られていた。家族から引き離された14歳の女の子とその妹、従妹が寄宿舎からの脱出を試みる。家までの距離は2400キロ。

逃げるのも捕まえるのも体力とともに知恵がなけりゃ相手に負けてしまう。強さと賢さの宿る瞳を持つ主人公の女の子が良かった。

逃走がいかに大変だったか知ったあとで、もう一度それを行なったということが字幕のみで語られる「その後」。事柄の重みと、文章にすればわずか数行で語ることができる、という対比がつらい。

主人公の娘が書いた本のおかげで私(たち)はこの時代の出来事を知ることができた。でも、それは娘が“教育”をほどこされたからだというのはなんて皮肉なんだろう。


1/21(火)
柴田よしき『フォー・ユア・プレジャー』講談社,2000 (→Amazon)を読んだ。シリーズ前作の『フォー・ディア・ライフ』を読んだのはいつだったろう、無認可保育園の園長かつ私立探偵である事情やら経緯すら忘れてしまってた。事件がどんどん重なってって、しかし、最後にはバラバラになったピースが元通りになる大団円。そりゃできすぎだーの発見も、「にこにこ園」に免じて許すか。


1/20(月)
桐野夏生『顔に降りかかる雨』講談社,1993 (→Amazon)を読み終わる。調べてゆくにつれ人から人へとその範囲が広がってゆく展開が面白い反面、かなり拡散してからいきなり核心に触れるような唐突な感じがある。共犯者にたどりつくことは事件の真相がわかる上で重要なことのはずなのに、その人物像が薄すぎるため驚く感情が出てこず、意外性が薄まってしまった印象。むしろ、成瀬一人で行なったことだったほうが(そういう予想はできるにしろ)インパクトは薄れなかったのかもしれない。

成瀬は許せても、成瀬の言ったことはしばらく心に残る。人を許せなくても記憶が消えるならば、私はそっちのほうがよかった。(p.143)

次に読み始めたのは新宿つながり。


1/19(日)
ふと思った。落語って「観」なのかな「聴」なのかな……。

眠いし寒そうだし一日だらっと過ごそうかと思ったけれど、やっぱり出かけることにした。東京国立近代美術館フィルムセンターの「シネマの冒険 闇と音楽D・W・グリフィス選集」から「短篇集5」。「大虐殺」「狭き道」「厚化粧したレディ」。すべて1912年。

無声映画に生ピアノの伴奏つき。オリジナルな曲ではないのに雰囲気がぴったりはまってる。物語の雰囲気が変わるときには曲も変わるのですが、そのタイミングもぴったり。

「大虐殺」のラストのギリギリ感は、そのまま『東への道』(1920)感想)のラストに継承されているのかもしれないと思う。「狭き道」は、偶然が重なりがいい具合にズレていき最後にきちんと落ち着くところがうまかった。後ろの人が、よほど気に入ったのか終わった途端猛烈な拍手してた。「厚化粧したレディ」は……、厳格に育てたことの悲劇で(も)ありますでしょうかしらん。

ロートンヌの前を通りかかったら新しいケーキが二つもあったので、つい買ってしまった。一つは、ドーム型のチョコレート生地の中にチョコレートクリームと柚子を楽しめるというもので、洋と和とコラボレーション! って感じの鮮烈さ。チョコレートと柚子の苦味が絶妙なバランスで支え合ってる。もう一つは、淡い淡いオレンジ色に惹かれて選んだもの。店員さんに「これですくって召し上がってください」と棒状のメレンゲを3本添えられました。メレンゲで表面の淡オレンジに触れるとすうっと中に入ってゆくので、生地ではなく、なめらかなクリームなんだとわかりました。きっとこれだけじゃないぞと思ってたら案の定、底のほうはティラミスのコーヒー生地のようになっていてアクセントが楽しめます。

おいしいケーキ屋さんは星の数ほどあると思いますが、近くに一つお気に入りのところがあると冒険をしなくなってしまう。


1/18(土)
隣の部でただ一人出勤していた男性が、今日このフロアに出勤してきた女子たちにと、パステルのプリンを買ってきてくれました。3時にコーヒーをいれて女子5人でまったり。土曜日に出勤するのもいいものだ。

会社でチケットをもらったので、生まれて初めて寄席に行って来ました。第457回紀伊國屋寄席@紀伊國屋ホールです。内容は、
「ざるや」金原亭小駒
「代り目」五街道雲助
「薮入り」三遊亭金馬
(仲入)
「福祿寿」柳家さん喬
「富久」入船亭扇橋

なにせ初めてなので比べる対象がなく、当たり前なのかそうでないのかも全然わからないという状態。わからなすぎの恥ずかしい感想かもしれませんが書いてみます。

開演15分前にお囃子みたいなのが聴こえてきて、10分前に幕が開いて前座の人がはなし始める。プログラムにも舞台の上の紙(?)にも、どこにも名前は書かれないんだなあ。前座を含めた仲入前の四人は枕から本題に入るところと羽織を脱ぐのが一致してたんだけど、さん喬はずっと着たまま、扇橋は本題に入ってしばらくして普通に脱いでた。ということは、脱衣のタイミングは個人の好み?

特に面白かったのが「代り目」。酔っぱらったおじさんの笑える言動集。せっかちな江戸っこ気質もたっぷりと味わって笑いに笑った。

うまさに唸ったのが「福祿寿」。息子と母親の会話で、次の瞬間でもう片方へ転換する変わり身が素晴らしく、本当に二人が会話しているよう。言葉だけじゃなく、たたずまいからしてもう別人になってしまってる。間(ま)のとりかたに緊張感があるし、しんしんと雪の降る日であるというのが伝わってくるのが不思議でありすごいと思った。

舞台装置なし・上体だけの表現・一人、という制限つきなのに、この豊かさってなんなんだ、という驚き。本当に楽しかった。それから、枕から本題に移るときがとても好き。一瞬にして場面が変わり、「その世界」に入ってってしまうところが。


1/17(金)
レオン・ブロワ『薄気味わるい話』国書刊行会,1989(Leon Bloy“Histoires Désobligeantes”,1893-1894) を読み終わった。全32篇の中から12を抜粋した短篇集。タイトルは以下のとおり。「煎じ薬」「うちの年寄り」「プルール氏の信仰」「ロンジュモーの囚人たち」「陳腐な思いつき」「ある歯医者へのおそろしい罰」「あんたの欲しいことはなんでも」「最後に焼くもの」「殉教者の女」「白目になって」「だれも完全ではない」「カインのもっともすばらしい見つけもの」。

薄気味わるいというのは得体の知れなさに関係してくると思うのですが、「世の中には不思議なこともあるもんだ」程度の短編でした。不思議に見せかけた確信犯的犯罪もあったし。うーん、そういうのはハタからその現象だけを見たら“薄気味わるい”けど、物語の全貌(裏)を知ってしまったので、薄気味わるくなくなってしまったのです。

東野圭吾『どちらかが彼女を殺した』、文庫版は袋とじ解答つきなの!? ノベルスはそのまま終わってた。


1/16(木)
桐野夏生『天使に見捨てられた夜』講談社,1994 (→Amazon)を読み終わる。Mneさんの最新作の『ダーク』を読んでの感想を聞いて興味を持ち、シリーズの最初から読んだほうがいいかなとたずねると『天使に見捨てられた夜』だけを読んでおけば登場人物たちの変わりように驚けるよ、と言われて。

まず、著者の作品を読むのが初めてだったので、ものすごくさくさく読めることにびっくりした。女性が書いた物語、というより、(男性女性どちらが書いたかはどうでも良いが)“主人公は”女性であり、その目を通して事件を経験したという感じ。描かれる状況に過不足や無駄がなく、斜に構えることはないけれどクール。この物語の語り手=主人公=ミロは、対象との距離の取りかたをとても考えている人、もちろん、そうでなきゃ探偵なんてできないが。ただ、個人的に付き合うにしてもこの人の懐に入るのは簡単そうで難しいかもしれないな、と思った。過去になにかありそう。

レオン・ブロワ『薄気味わるい話』を読み始めたけど、今のところ薄気味わるくない。


1/15(水)
でも「グッドバイからはじめよう」が入っているCDを持っていなかった。

お客様からのおみやげで、神田神保町の大丸やき茶房の大丸やきが回ってきた。まだ温かい。以前散歩途中に行ってみたらお休みだったことがあり、あとで調べたら営業時間が10時から17時半、おまけに土日祝日は休みでした。大判焼きより一回り以上大きく、皮も厚く餡もしっかり入っているからか、ずっしりと重い。


1/14(火)
東野圭吾『どちらかが彼女を殺した』講談社ノベルス,1996 (→Amazon)を読み終わる。東野圭吾のミステリを読んでも、いつもなにか物足りないと感じてた。正しいこと言ってるんだろうけど焦点ぼけている感じというか、肝心なことが抜けてるっていうか、中心じゃなくて周辺っていうか。でも、これは面白く読んだ。犯人についても、印象に残るような書き方のところがあったのでそこを読み返したらわかりました。

心理をさぐって解決してゆくような物語は大好きだけど、ここでのやりとりを読んでいたら「本当の中の嘘」や「嘘の中の本当」の証明しにくさをつくづく感じて、相手の心理を読んで“物的証拠なしにそれだけで”犯人を特定していくのは「物語」じゃないと無理な話だと改めて思った。っていうか、「物語」の中でも無理だったわけだし。

ちょうど波のようにさよならが来ました。……と、急に佐野元春の「グッドバイからはじめよう」が聴きたくなりました。今年に入って、どころか、1ヶ月以上CDを聴いていない。「音楽を聴いていない」わけではないあたり叙述トリックめいている。どうしてあなたはそんなに手を振るのだろう僕の手はポケットの中なのに。


1/13(月)
フランシス・アイルズ 白須清美訳『被告の女性に関しては』晶文社,2002 (Francis Iles“As for the Woman”,1939) (→Amazon)を読み終わる。『殺意』(→Amazon)『レディに捧げる殺人物語』(『犯行以前)』)(→Amazon)を含めた3作品の中では、結末のつけかたからしても一番穏やかな感じ。主人公に対して感情移入はできないのに、彼が感じる居心地の悪さには同調してしまえるのが、アイルズの書き方のうまさ。

アイルズ名義の3つの中では『レディに捧げる殺人物語』が好きです。これは誰の内面を中心に描かれているかということを考えても、読み終えた直後に改めて題名を見たときの印象度からしても、『犯行以前』“Before the Fact”という題名のほうが良かったのにと思う。

佐藤雅彦・竹中平蔵『経済ってそういうことだったのか会議』日本経済新聞社,2000 も読み終わった。


1/12(日)
直前まで夢を見てたとわかる目覚め方をしてすごく疲れる。夢を見るのは疲れることなんだろうか。

珍しく、夕方ではなく真っ昼間に散歩する。明日着いて欲しいハガキだから今日の午前中に出すのがいいだろうと思ってポストの集配時間を見たら終わってた。近くのポストを見ても同じ時間。当たり前だ、近くだったら一気に同じ時間に集めるんだもの…。

少し前、頭が痛くなったのでダメもとで頭痛薬を飲んでうんうん唸りながら横になってたら治った。この薬がこんなに効くとわかると今後も頼ってしまいそう。身体に悪いところが出るのは出るにまかせてちょっと我慢するほうがいいとはわかっているものの、痛い時にはやっぱり助けを求めてしまうよ。頭が痛くなったら、とりあえずはニット帽をかぶり、おでこと耳をあたためると少し楽になります。

先日風邪を引いて以来、部屋の中にいるときでもマフラーを巻くのがクセになってしまった。暖房を入れていても、です。首があたたかいのって、かなり重要な気がする。全身のあたたさが違う。ちなみに今の格好は、パジャマ上下にトレーナー、足にはハイソックス、ニット帽とマフラー。

具合が悪くなったのが良くなると、もうけた気がしてついつい夜更かししがち。


1/11(土)
夕方からのひとねむりは、ここ最近で一番の睡眠の深さだった。

ヘレン・マクロイ 好野理恵訳『割れたひづめ』国書刊行会,2002 (Helen McCloy“Mr.Splitfoot”,1968) (→Amazon)を読み終わる。「雪と超常現象」というと、なぜだかクリスティの『シタフォードの謎』を思い出します(雪の山荘とコックリさんみたいなゲームだったと思う)。どう殺されたかのトリックには「本格」を感じたなあ。シンプルで大胆。


1/10(金)
8日水曜夜。また熱が出てきたので早々に寝る。なかなか寝付けず、気付くと朝。

9日木曜。熱があることがわかる朝。会社へ3日目の休みを言わないといけないかと思うと気が重い。午後、寝ているときにやっと汗をかくことができた。が、熱は思ったより下がらない。昼間もきちんと眠れていないのに夜もよく眠れない。

10日金曜。それでもずいぶんマシ。出勤。たとえ治ったと思っても、休んでから最初に出社する日はどうせ熱が出る。案の定、頭がくらっくらしながらも、やっぱり会社に来て仕事してるほうがいいよ……と思った。

会社で飲んだ久しぶりのコーヒーがおいしかった。

社内連絡便でやりとりしている人から戻ってきた袋を開けるとメモがはさまっている。明けましておめでとうございます。今年もたくさん電話をしてしまうと思いますが、よろしくお願いします。という文句の下のほうに、お正月期間中に気付いてもらえますように。なんて書いてあって、なんだかとってもラブリーな気持ちになる。っていうか、かっわいいー。

休むと電話したときの私の声は、鼻の穴を片方押さえて喋るようなものだったらしい。今も普段以上にハスキー。でも、それ以外は外気に触れてきたせいか随分と気分がスッキリしていて、もう絶対熱はない。

各駅しか止まらない駅の踏切脇にある古本屋を電車で通り過ぎるとき、目をこらしてみても、まだやっているのかもうやめてしまったのかいつもわからない。入口の戸の張り紙にはなんて書いてあるんだろう。昔、そこで森茉莉の『贅沢貧乏』を買ったことがある。店のおじいさんは本の後ろに書いてある値段を消しゴムで消してくれた。机の上には錠剤の薬があったのを覚えてる。今日、入口の戸が少し開いているのが見えた。その駅に降りてみればすべてがわかるんだけど。

貴志祐介『青の炎』角川書店,1999 (→Amazon)をやっと読み終わることができた。pp.266-267のやりとりが印象的。「瞋恚(しんい)は、三毒の一つなんだよ」「一度火をつけてしまうと、瞋(いか)りの炎は際限なく燃え広がり、やがては、自分自身をも焼き尽くすことになるって」。この箇所を通って、結末を知って、題名を見て、「なるほど……」と。


1/8(水)
6日月曜。会社で鼻が出るようになりマズイナーと思って早めに寝る。昨日、さめてくお湯にのんびり入っていたのが良くなかったのかもしれない。

7日火曜。朝起きると熱が出てた。会社を休む。頭痛、鼻水、のどの痛み。水分を採ったりかなり着込んでも汗をかかないので熱が下がらず困った。身体は寒気、頭は熱い。ひえピタをすると気持ちが悪くなるのでやめて、ニット帽をかぶりマフラーを巻いた。よく眠れなかった。

8日水曜。熱がさがらないので病院へ行くことにする。診察までに1時間、薬が出るまで15分。ぐったりして帰宅。でも、病院に行ったということで気分的にいくらか楽な感じ。病は気からとは良く言ったものだなあ。午後、寝ている間に汗をかいていくらかすっきり。夕方になってくると熱はあがるようだけど昨日よりは断然楽。

と、パソコンにむかえるまで回復です。


1/5(日)
一歩も外に出なかった。昨日、昼寝を魅力がないと言ったくせに4時頃から1時間くらい昼寝。途中まではNHK大河ドラマ総集編の家康を見てた。今年、3日信長、4日秀吉、5日家康と放送していたうち、信長の終わりのほうを見たのが生まれて初めてのNHK大河ドラマ。見たことがなかったのは、家族も見ていなかったし自分も興味がなかったから。歴史上の人物についての私の知識はひどいものだと思う。話題にのぼればきっと、「それ誰?」「初めて聞いた」「なんでそんなエピソードしってるの?」と言ってばかりになることうけあい。

ああいう時代にも血がだめだったりする人はいたと思うんだけど、そういう人はどうしていたのか気になる。もし私があの場にいたらとても困ったろうなと。

かなり熱めのお湯を入れてお風呂に入るのに、入ってる間にみるみるお湯の温度が下がっていくのがわかる。お風呂にフタをしてたのが冷めていくよりも急速な気がする。そんなに私の身体は冷たいかな。


1/4(土)
Nさんから今朝年賀状が届いて少し考えてから返事を出した。

今年使う手帳は昨年のよりさらにシンプルな分カバーが付いていないので、ちょっとした紙類をはさむことができないのに気付いた。東急ハンズに行ったついでに、何かカバーになるものを探す。年金手帳サイズかなとも思ったのでダメもとで買ったけどやっぱり違った。買って帰った文庫サイズが縦はピッタリ、横にほんの少し余裕がある。年金手帳カバーは、しっかり年金手帳をカバーしてます。

石鹸がフェアのようにたっくさん並んでいたので、いくつか選んで買うことにした。一番最初に選んだのはローズの香りのトルコの石鹸。

夜更かし、朝寝坊、昼寝、どれも魅力がなくて、早寝早起きで日中ぼーっの日々。

現代史の本が面白いので少しずつ読んでいるほかは、小説、音楽、映画に気持ちが向かない。これほど毎日TVに浸っている休日は珍しいな。おかしな番組ばかり見て良く笑ってる。ただ、少し経つと何を見たのか思い出せない。何も考えずぼーっとTVを眺めていればTVが喋ってくれるので、さらに頭は考えることから離れる。なんていうのかな、頭の中にコトバがなくなっていく感じ。


1/2(木)
例年どおりに神田明神へ初詣。毎年、「今年は少ないなあ」と思いながら参拝してる気がする。

三が日もなく営業、というのを最初に始めたのはどこなんだろう。神田明神よりも賑わっている繁華街もあれば、通りの一角がすべて閉まっているところもある。静まり返った街を歩いてこそ、お正月を感じる。お正月のほかに一つくらいにしか、この静けさの可能性はないのに。小さい頃には、お正月前に食べ物を買いだめして、お正月は篭城状態になって、お菓子を入れた袋をガサガサしながら次はなにを食べるー? なんてことをした記憶があって懐かしい。今だってできるけど、店が開いてしまえば魅力がない。

なにを食べたいのか自分でわからないとき、おいしそうなものを候補にあげて想像上で味を再現させてみる。それでも、なにもかもがピンとこないときがある。


1/1(水)
朝6時半に起きた。ただの休みと変わらないはずなのに、お正月はどうしてこう疲れるんだろう。昨日から続く頭痛にも元旦だから横にはなれない。悔しいけど結局薬を飲んだ。TVのチャンネルばかり選んでいた一日がもうすぐ終わる。すごーく無為。でも、ほかになにもしたくなかった。コーヒーはずいぶん飲んだ。

初詣はいつも2日。


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02.1203.03