宗教掲示板ももばやし
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記事No : 1451
タイトル Re^2: 秩序への憧れ
投稿日: 2012/04/02(Mon) 13:14:25
投稿者桃青

> > 私もある部分を取り出してみれば、確かにそういうこともあるだろう。と、思う。
>
> やっぱり桃青さんも、そうゆう部分もあると納得されるのですね。
>

ファシストの集団の中に隷属する悦びを持つ者が複数いても不思議はない。
という意味です。

>
> フロムの分析に対する有力な批判の一つだと思います。少なくとも私は、「すべてを説明できる」とは思っていません。
>

そうでしょう。そうでしょう。
ファシズム、ファシストを全てサドマゾで説明しようとしたら辻褄が合わないこともあります。

>
> 「支配に自ら進んで隷属するひと」の心理分析は、複合的な要因があり、その中で「サディズムとマゾヒズムとの類似性」は有意な因子であるということでしょう。ですから「やむを得ず隷属するひと」とは分析対象が違うと思います。

そこなんですよ。私が納得できないのは。

ファシスト集団を「隷属」で分析しようとする場合ですが、
ファシスト集団には
(自ら進んで隷属するひと)(やむを得ず隷属するひと)(隷属しないひと)が、実際にいるわけです。

すると自ら進んで隷属するひとは、ファシスト集団の一部。
そのまた一部が隷属を悦ぶひと、ということになります。

構成要素の一部のそのまた構成要素の一部を取り上げて全体を論じてもあまり意味がないのではないか。
と、思うのですね。

上のそれぞれのひとの全体にしめる割合は、どのくらいなものかは解りませんが、私の知るところでは人間は隷属する悦びを感じるひとより、支配欲を満足させようとするひとのほうが多い。

全体主義的な集団でも、隷属を悦ぶひとより、全体を統一する価値観を武器として他を支配するひと(支配者、あるいは、支配者の下請け人、あるいは下請け人になったつもりのひと。)のほうが多いだろう。
人々は、全体を統一する価値観を認めるがゆえに、統一価値観を振り回しての支配に不満があっても従わざるを得ない。
そんな構図のほうが、支配による隷属を悦ぶひとより、はるかにはるかに多い、と、私は見ています。


> > そもそも人間が普遍的に隷属に悦びを感じるものならば、ひとを支配するのに恐怖政治という手法など必要ないのじゃないでしょうか?
> >
>
> 国家を覆う空気のような恐怖というものはあったでしょう。
>ヒットラーユーゲントのような組織による暴力もあったでしょう。

そういうことではなくて、
人が普遍的に隷属したがっていて隷属に悦びを感じるのなら、一端隷属させてしまえば、あとは悦んで隷属していてくれるので、
恐怖政治という手法が歴史に生まれることはないだろう。という意味です。
隷属に悦びを感じる者は少数派、大多数の者は隷属したがってもいないし、隷属に悦びなど感じない。
と、言いたかったのですが・・・。


>しかし、曲がりなりにもワイマール憲法を持つ民主的な国家が、民主的な方法で国民を隷属させたのは、恐怖政治という手法だけでは考えられないということです。そこには隷属させられた国民=被害者が、他者には加害者となるという「権威主義的パーソナリティー」があったのではないか。

あれ?
隷属は被虐的悦びじゃなかったの?
「隷属させられた国民=被害者」が加害者となって、他を支配するのは、支配するほうが気持ちよいからでしょう。

某M教でも世間では支配する側になれそうもないかたでも、教会内で神権者となれば教会内のみに通用する秩序、価値観をもって他を支配することができるし、教会内に通用する秩序、価値観にのっとって行われるかぎり、他の者はその支配をおおぴらかには拒否できない。
そういうのって支配するほうは、気持ち良いと思うよ。
人間、支配欲のほうが隷属への志向より、ずっと普遍的に存在するものだし、支配欲が満たされる満足感だって隷属する悦びに勝るとも劣らないだろうと思うな。

>ローマンカトリックからの解放は、自由を手にした民衆の戸惑いが自由からの逃走という心理を招き、更なる神の絶対的な権威・神の恩寵という絶対的な隷従を求める宗教的思潮を招いたように、民主的な自由を手にした民衆が、それに戸惑いそして維持に疲れ個の不安の中に、全体に隷属することに安心し、自己のアイデンティティーを見出していった部分もあるのではないかということですね。

ですから、頭を預けて楽になりたかったのでしょう。て。
先の見えない分かれ道が、何本かあって、
さて、どちらへ行こうか。と、迷う。
そんな時に力強く「この道の先には、素晴らしいところがある!自分が案内するから、行こう!」と言う者が現れたら、従ってしまう、ということでしょう。
おまけに皆がそっちへ行けば、なおさらついて行ってしまう。
と、いうだけじゃないのですか?

それを「隷属の悦び」で説明するのは、納得できないなあ。
行く途の先に素晴らしい世界がある、と思えばこそ先頭に従う。
先頭に従うのは、行く途の先にあるという素晴らしいモノが欲しいからです。
そこにあるのは先頭に「隷属」する悦びではなく、何か具体的な素晴らしいモノが欲しいという欲望だろうと思うのですが・・・。


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