記事No | : 1563 |
タイトル | : Re^3: 『未完のファシズム』 |
投稿日 | : 2012/07/02(Mon) 12:12:37 |
投稿者 | : 桃青 |
> 「ファシズム的」とはなんだ?
> 定義はずれるかもしれないけど、某M教やS会などは自己組織以外を排除する傾向が非常に強い。
> その主張する教えを信じることより組織に入会する事を優先する。
ファシズムといえば、一般にはナチズムと同義的に理解されていますが、
本来は、ナチズムはファシズムの一つなのだそうですね
。
ナチズムは、ゲルマン民族の理想社会実現を目指したものですから、
自らをイスラエルの部族民と位置付け、イスラエルの部族民の理想社会の実現を目指す某M教は、思想面ではナチズムに似ていると言えなくもない。
ファシズムは日本語では「国家社会主義」と訳されますが、
某M教の創始者が提唱した「奉献の律法」は、原始的な共産主義ですから、神という絶対者からの啓示をもとに奉献の律法でいったん幹部のもとへ教団の富を全部集め、ひとつの財布で会員全部の生活の面倒をみようとした創始者の発想はシンプルな国家社会主義といえるかも?
です。
組織だけの繁栄を具現化しようという組織の中に入っていると「自分達だけの理想社会を目指すどこが悪い。」と、しか思えないみたいなのですよね。
でも、そういう志向は、少なくとも仏教的ではない。
> 最近流行のボランティアやそれに類似した交流組織も、本来の設立目的よりもその組織の維持拡大が優先され本来の活動意図が見失われているように思える。
組織が大きくなると、たとえボランティア活動と言えども、利権が生じるのです。
その利権の旨味を知ってしまうと、その旨味が大切になって、初期の純粋な思いが薄れて行ってしまうのですね。
どこでも似たような様相になるのかなあ、と見ていますが。。
> 人は群れて集団を作る、一番危険なのは指導者のカリスマ性や自己の理想へ邁進なのではなくて、組織への依存性、組織そのものへの礼賛だと思う。
組織とアイディンティティーが一体化して、組織抜きに自分を保てないひは、そこに組織があれば必ず出て来る。
また組織というものは、そういうひとがいなくては存続できないということもあるのでしょうね。
日本を救うものは「愛国心」だ。
と言われ、私も全くそうだと思います。
ただ私の「愛国心」は、ナチズム的、某M教的に「民族だけの繁栄」を願うのではなく、世界の人々から尊敬される国になって欲しいという願いへ向かうのですけれど・・・。
某M教などは「私たちは、世に称賛されるひとになりましょう。」と、言ってますけれどね、そもそも「自分だけが良くなることばかり願っているひと」を世のひとは称賛すると思ってるの?
って、いつも思うのですけどね。
「しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は自身の得道猶かなひがたし」(開目抄)
世の中には日蓮聖人のこの言葉を「我田引水」「我が仏尊し」と同義だとしか捉えて、論じるひともおられますが、日蓮門下であっても、この言葉で己のプライドを満足させるに留まっているかたもおられる。
せっかく法、法華経、日蓮聖人の言葉に出逢いながら、もったいないなあ。