記事No | : 1647 |
タイトル | : 人間は自由意思を持つのか |
投稿日 | : 2012/09/11(Tue) 18:01:54 |
投稿者 | : 桃青 |
某M教は、いとも簡単に
「神様はー 人間に選択の自由と自由意思をお与えになりましたー。」
などと、言いきっておりますが、
実は
人間に自由意思があるのか、ないのか、というのは、
哲学では、未だ結論が出ていない命題なのですね。
最近では、浮気の遺伝子、アル中の遺伝子、なるものも発見されて、この問題はさらに混沌としてきました。
キリスト教なら、「神と自由意思は両立するか。」
仏教なら「縁起と自由意思は両立するか。」
縁起を突き詰めて行くと、自分の意思も縁起によって成り立っているということになる。
縁起によって成りった意思は、そのひとの自由意思と言えるのか。
どうなんでしょうね。
某M教は
「神様が、自由意思というものを作って人間に持たせてくれたのだから、人間には自由意思がある。」
で、終わりにしていますが、現実には、それでは説明できない事象は、いっぱいあります。
自由意思というものも、自由競争と同じで、そういうものがある気になっているだけで、実はあるか、ないか、あやふやなもののようです。