記事No | : 1782 |
タイトル | : Re^3: 死の迎え方 |
投稿日 | : 2012/12/03(Mon) 00:13:58 |
投稿者 | : 桃青 |
> 仏教の根底にあるキーコンセプトで、お釈迦様の教えは、いかにしてこのドゥッカから脱却するか、という事に尽きるのだと思います。
輪廻から解脱はできても、ドゥッカから脱却はできないですよー。
ドゥッカは本質ですから、ただ知るものなのでしょう。
暗い部屋を明かりで照らせば明るい部屋になる。
明かりで照らしたからといって、部屋の様子が変わったわけではない。
真理を知るとは、暗い部屋を明かりで照らすようなものです。
とね。
苦を滅するの滅するは、サンスクリットではコントロール(制御)する。の意だそうです。
日本語で「苦を滅する」と聞くと、なんとなく苦そのものが無くなってしまうように考えがちですが、そうではありません。
苦を滅するとは、苦をコントロールするであり、仏教は真理である不満の流れをもコントロールする方法がある。と、説くわけです。
「競争原理」を説き、「神は人間を争うようにお造りになったので、戦争はなくならない。」と教える某M教は、人間のある一面だけしか見ない偏見の教えです。
確かに人間には、そういう一面が現れることはありますが、それが人間の全てかと言えば、そうではない。
でも、そういう一面強調の教えやモノの見方がカネの力で国政をも動かす層ばかりでなく、それら一部の者に翻弄される層にも受け入れられて「しょせん、この世は弱肉強食、食うか食われるかだ!」と、うそぶくひとが後を絶ちません。
残念でたまりません。