宗教掲示板ももばやし
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記事No : 1881
タイトル Re^2: 予防は大切、でも、
投稿日: 2013/02/06(Wed) 11:25:45
投稿者桃青

コメントありがとうございます。

> うちの母も数年前に還暦を迎えて、だんだんと歳を取ることの恐怖心が強まってきたのか、例えば「ためしてガッテン」みたいな番組を見ては、「こうすれば大丈夫」などと、熱心に番組を見てるんですよね(-_-;)
>

認知症にかぎって言えば、ちゃんと検証したのか、という予防法ばかりですね。
予防になる。と信じて真面目に行っているかたに「やめろ」というつもりはないですが、思う通りの結果にならない場合の覚悟と準備はしておいたほうが良いと思います。
そのなりたく無かった認知症になってしまった場合の覚悟と準備について語られることが殆ど全くないのですね。

その覚悟と準備の場面にこそ宗教の出番がある。
と思うのですが、悲しいかな仏法に生きる方々でも、そこに踏み込んだ話をされるかたがいない。

認知症患者の数は300万人を越え、間もなく350万人だそうですが、これを、日本における日蓮宗の檀信徒数公称330万人と比べて見れば、その数の多さが実感できるのではないでしょうか。
350万人の認知症患者一人一人の周囲には、家族を含めて直接に関わるひとが何人か必ずいる。
認知症の周辺症状を含めて、認知症から生じる問題に直面しているひとの数は、本人を含めて1000万人はいるだろうということになります。
1000万人といえば、東京都の人口とほぼ同じです。
東京都民1000万人が全員認知症に直面して苦悩しているところを想像してみてください。

認知症になった時の覚悟と準備のありようを考えないでどうするのか。

> 私は精神障害者のケアをしている組織にも出入りしていることもあって、ああいう番組は首肯できません^^;
> 実態を隠して報じているというより、きちんと察知できてないのかもしれませんね。
>

たまたま手近にあった症例を取り上げているという感じですね。
一例をケーススタディ一して、一を聞いて認知症の百の問題点を察知するというのではなく、一例が百例の代表というような取り上げ方が気になります。

> 「認知症の本質は物忘れすることじゃないのよ。判ってても判ってなくても同じことを繰り返す常同行為とか強迫観念とか衝動制御不能とか、あるいは被害妄想なの。精神病の一種と考えたほうが適切なの」
>

精神病も認知症も、どちらも悩の機能異常ということには変わらないのですけど。

> このように何度言っても通じないのです。私の表現が拙いのかもしれませんが・・・。
>
>

認知症は老化による脳の機能低下、と捉えているかたがすごく多いので、通じないのかも・・・。

> 精神医学に「内因性」という言葉があります。
> 統合失調症や双極性障害は、ある年齢が来れば、あるいは条件がそろえば予定されていたかのように自動的に病気になるという見解です。
> 内因性というのは、思春期に顕在化する精神疾患のことであって、認知症のような病気は該当しないのでしょうが、「どうやっても周期が来れば成る」「人為でコントロールしかねる自然現象」という意味では通ずるものがあると思います。
>

認知症も一定年齢になれば顕在化する(若年性アルツハイマー
も若年性と言っても40代以降ですから)ので、他の内因性精神疾患と同じ内因性の精神疾患と言えるかもしれませんね。

>
> 「内因性」という言葉そのものを改めて調べてみれば「どうあがいても、なる時はなる」という風な書き方はされていませんが、精神科医の論文や、あるいは自らが精神疾患に罹った内科医や生理学者の書いたものを読むと、それが本音であり実態なのだと痛感します。
>

認知症もなる時はなる。
実際、いろんなかたの話しを聞いているとそんな感じですよ。

> それと同じで、病気もどうやっても防げないことはあります。
> 何もかもを生活習慣や態度に起因するかのように声高に言う社会の浅薄さに寒気がします。
>
> 思うに、日本人はコントロール願望に取り憑かれ過ぎているように見えます。

日本人が何もかもを生活習慣や態度に起因するようになり、コントロール願望に取りつかれたのは某M教の影響でしょう。きっぱり。

冗談ですよ。
しかし「自己管理能力の無いものが病気になる。」という考え方はアメリカ由来でしょう。
御存知のように精神科医学には、ドイツ系列とアメリカ系列があって、ドイツ系列はクレッチマー以来の体質因子重視、アメリカ系列は環境因子重視という伝統があります。
今の日本の精神医学界は、アメリカ系列の環境因子重視傾向が強いようですね。
アメリカ生まれのキリスト教某M教の教説にも全てを「自己管理」に帰する環境因子重視傾向が読みとれます。

> 「こうすれば大丈夫。あんな目にあってるのは、こうしなかったから」などと考えているとしたら、確実に多くの物を見落としてまうでしょうね。

多くのものを見落としたままでは、認知症になる覚悟も準備もできない。
覚悟も準備もできないから、認知症への恐怖が消えない。
認知症への恐怖をなんとかしたくて、「気やすめ」にすがる。
「気やすめ」にすがっていると、多くのものを見落とす。
悪循環、こういうのも輪廻て言うのかな?


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