記事No | : 1882 |
タイトル | : 覚悟と準備に宗教が関わるということ |
投稿日 | : 2013/02/07(Thu) 09:29:52 |
投稿者 | : 桃青 |
覚悟と準備に宗教が関わるということについて補足したいと思います。
先日のNHKスペシャルでは
「終(つい)の住処(すみか)はどこに老人漂流社会」
を放映しました。
ごらんになったかたも多いと思います。
番組の中で、この問題に関わる有識者が
「もう何処へもいかなくてもいい。ずっと此処にいてもよいのだ。 というところで、(家族でなくても)心あるひとに看取られてすごす。というのが良いのではないか。」
という一つの結論を呈示されておられました。
これは、私の結論とまったく同じです。
このかたと私、少なくとも二人同じことを思っているということは、このような結論を持っているかたも多いでしょう。
この結論のポイントは「心あるひと」です。
心あるひと、とは、結局人間というものに深い理解を持ったひとであろう。
宗教が認知症の覚悟と準備に関われる部分は、人間というものに対する深い理解を育てて行くというところにあると思う。
人間というものへの洞察の深さに関しては、仏教以上の洞察を持つ宗教はない。
しかし、仏教にある人間というものへの洞察が、正しく周囲に伝えられているかといえば、残念ながら、認知症に関しても、方便の
○○したからこうなったという説きかたに留まっているのが現状だ。
専門職はもちろん仏教の人間というもの、への深い洞察を知っている。
が、認知症に関して、広く説く立場のかたから、その深い洞察からの覚悟と準備が説かれるのを見聞したことがない。
何故なのだろう、と思う。