記事No | : 1932 |
タイトル | : めがけるところが見つからない |
投稿日 | : 2013/02/28(Thu) 10:26:59 |
投稿者 | : 桃青 |
母が認知症の介護度1、2のころ、御住職はこの尼僧様の姑様の話をして、「あなたもそうしたら?」と、折に触れて勧めてくださったが、
母は、かすかに鼻で笑うばかりで結局「では、私もそうしてみよう。」とはならなかった。
母は私がもの心ついていらい、神だな、仏壇、神社仏閣に手を合わせるときは、まず最初に
「どーかっ、戦争がありませんように!日本が平和でありますように、○○様、お守りください。」と祈る。
そして、時々特に願うことがあれば、その後に願う。
例えば、「桃青が試験に合格しますように」また母は旅行が好きだったのでよく旅行していましたが出発前に「無事に旅行から帰って来れますように。」と祈る。
特に無ければ、戦争が無いこと、日本が平和であること。だけでお終いです。
「皆は家内安全や家族の幸せを願うけれど、戦争になったら、家族の幸せなどふっとんでしまう。家族の幸せも、国が平和であってこそだから。」
と言う母には、日蓮聖人の
「夫れ国は法に依つて昌え法は人に因つて貴し国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし」(『立正安国論』)
という言葉は、「我が意を得たり。」と響いたのでしょう。
この言葉をよく言っていました。
御住職から母へ、尼僧様の姑様の唱題行を見習えという前振りに、
「○○家の幸せと繁栄を祈るのが私の役目、と、気が付かれて、さあ、それからは毎日、5時間!5時間ですよ!!御題目を唱えておられるのです!
そうするとね、そういうおばあさんの姿を見て家族も変わりました。
おばあさんを大事にしないといけない。と、いう気持ちに自然になるというものです。
今では皆でおばあさんを大事にするのはもちろん、今まで以上に家族そろって御題目を唱えておられます。」
という話に対して
「たいしたもんだね。」
と相槌は打つものの、母は寂しげだった。
で、「あなたもそうしなさい。」と言われると、微かに鼻で笑って返事をしなかった。
「無言は最大の反論なり。」
という言葉がありますが、母は気に入らないことや言いたいことがあっても立場上言えない、という時は徹底して無言になります。
眼に怒りの色を浮かべて。
母はね、「家族の幸せだけ」を祈ってでは、御題目を一心に唱えて無心になって行くことができなかったのかもしれません。
真言宗では「止」を行ずるとき、一字の文字を見つめるそうですが、御題目も何かをめがけて唱えるほうが、行じやすいのかもしれませんね。
自分にぴったりのストーリーが与えられたら、母も唱題行がもっと楽にできたかもしれません。
母が認知症になってから、どうも日本には大難が降りかかります。
母の「日本の平和」を願っての一心の題目が効いていたのかもしれません〜。