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記事No : 1936
タイトル 『黄昏流星群』の結末
投稿日: 2013/03/05(Tue) 10:57:54
投稿者桃青

認知症になった妻と兄の愛人だった女性との間で揺れた男は、
両方ともを「妻」と位置付けることで自身の心の落ち着きどころを得て、この話は終わった。

認知症への対応の結論としては物足りないが、中高年の恋愛をテーマとしたシリーズなので、しかたがない。

しかし、作品中の男のセリフは、認知症に遭遇した者の心の有様をよく活写していたと思う。
作家自身が介護者に聞きとりをしたのか、弟子に資料集めを任せたのかはわからないが、ロクに眼の前の相手の話を聞こうともせず、教理教学での結論を押し付ける宗教者よりは、この漫画工房の人々は、人間の苦悩を聞きとっているようだ。

すべては
「人間でなくなった妻」
というひとことに集約されていく苦悩。


漫画家は宗教者が与えるストーリーとは違うストーリーを男に与える。
流星群という表題に相応しく、人間を恒星に譬えて、
恒星が進化すると白色矮星になることがあり、白色矮星の成分は炭素と酸素なので、白色矮星が超高温、超高圧にさらされるとダイヤモンドが形成されるように、認知症というのは人間が白色矮星になってダイヤモンドになったようなものなのだ。
人間がボケるのも進化のひとつと考えれば、人間の晩年はみなダイヤモンドなのです。

美しいストーリーですね。
仔細に読めば、白色矮星がダイヤモンドになるには、それなりの条件が整えば、ということであるようですが・・・。

しかし、そんな美しいストーリーに男が涙していられるのも、
認知症の妻は施設で過ごしていて、施設の医者からの
「あなたでなくては出来ないということはもうありませんから、施設へはそんなに来なくてもよい。
これからはあなた御自身の時間を大切にしてください。」
という言葉をエクスキューズとして、一抹の妻への後ろめたさを感じつつも愛人との生活を楽しめるようになったからでしょう。
妻の介護費用、愛人との生活費も兄が残して呉れたもので、心配がない。

これを尼僧様を代表とする人々から見れば、
「糟糠の妻を施設に預けぱなしにし、姥捨て山に捨てて、自分は兄が残してくれたもので、兄さんの愛人だったひととよろしくやっている。」というスキャンダラスな状態としか見えないと思いますよ。
(世間に実際に無い話ではありません。)

認知症のかたとの日常生活は、身も蓋もなく言えば、
人間の肉体が放出するあらゆるものを処理するのに追われる日々です。
どんなに親孝行、親思いの子供でも、便秘薬をなるべくデイ先で効いてくるように時間調節して飲ませたり、そうでなくても「おねがい、たとえ一回でも施設で出してきてくれ。」と、祈るものなのです。

認知症のかたを施設へ入れて、衣食住の日常の細かい御世話を全て施設に任せて、日常生活の場にいない妻を想うからこそ、
「人間の晩年はダイヤモンド」と言えるのかもしれません。


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