記事No | : 2081 |
タイトル | : 蜜の時間 |
投稿日 | : 2013/06/06(Thu) 10:29:27 |
投稿者 | : 桃青 |
蜜の時間、この場合の密は仏教でいうところの「蜜」ではなく、「乳と蜜の流れる」の蜜です。
母がショートへ出かけると、途端に頭の上に青空が広がったような爽快感を感じます。
そして、春を迎えた樹木のように身中にさらさらと流れだすものを感じます。
「あなたを育ててくれた親に対して、なんということを感じるのだ。」
と、思われるかたもおられるでしょう。
私も自分に対してそう思いますもの。
それでも、母がショートへ出かけている日々は、蜜のように甘美な日々です。
介護者のブログでは、どんなに親孝行なかたでも、使命感正義感で舅姑を介護されるかたでも、要介護者がショートへ出かける日を指おり数えて待ち焦がれて、介護の日々を過ごしておられます。
我が宗門の導師は
「親を施設へ預けるなど、子供としてしてはいけないことです。」
と、声を荒げて言われますが、
その導師の実家は農家で、常に大人が5人6人家に居られる。
大人5、6人で一人の認知症者を介護するのと、
都会サラリーマンの家で、娘や嫁が実質一人で介護するのとでは、事情がまったく違う。
専業主婦で家にいるからいいじゃないか。と言われるかもしれないけれど、正気を失ったひとと46時中一緒に居る息苦しさは、専業主婦のほうが辛いかもしれない、とは、導師は思わないのだろうか。
ブログには、この「蜜の日々」を
「忘れていたけれど、(あのひとがいなければ)これが当たり前の日々なのだ。」
と、書くかたがしばしばおられる。
私がケアマネさんに「デイ、ショート、今のローテーションが最高です。楽をさせていただいて感謝しています。」
と、言った時、ケアマネさんは
「楽になりすぎてもね。」と、ちょっと眉を曇らせた。
その時はその答えに「ん?」と、変な感じを受けたが、どうも
ショートの「蜜の日々」を知ってしまうと、介護がつくづく嫌になって要介護者を施設へ入居させたがる、という流れもあるようだ。
介護保険では無理となると、有料でも。と。
眉を曇らせたケアマネさん、その後、私が「最後まで在宅で」と、折にふれてきっぱりと意志表明するからなのか、最近やっぱり私に親切なんですよ。
「あなたのためにわざわざ認知症になってくださった菩薩」
「親を施設に預けるなど子供としてはしては、してはいけない事。」
と、説く御二人、どちらかと言えば、認知症発症もそう遠くないというお年頃である。
御二人とも認知症になって「いないと頭の上に青空が広がる。」と、思われる立場にならないという保証はないですよ。
そういう立場になった時、自分はどのように法を保てるのか、どのように生きたら良いのか、
介護する立場のひとに向けてばかりでなく、介護される立場のひとに向けての御話も聞きたいものです。
お寺には、明日にも介護される立場になりそうなひとがいっぱいお話を聞きに来られています。
自分が介護される立場になった時の生き方が定まってこそ、介護する立場での生き方も定まる。
と、思われてなりませんが・・・。