記事No | : 2084 |
タイトル | : Re: キリストか? |
投稿日 | : 2013/06/08(Sat) 18:50:53 |
投稿者 | : 桃青 |
認知症は誰でもなる可能性がある病気である。
母は私に仏道修行させてやろうとして、わざわざ認知症になったのではない。
母は、自分が認知症だと診断を受けて戸惑っていたし、怒って、悲しんでいた。
母の名誉のために、詳しいことは書きませんが、とても、
「我が子に仏道修行させるためには、私が認知症になるしかない。」
とか「我が子の身代わりに私が認知症になってやろう。」
と、決意して認知症になったとは思えません。
おそらく認知症になったかた全員、たとえ法華経の信仰者であっても、そんなことを思って自らの意志で認知症になったかたはいない。
と断言できます。
認知症を「誰もがなりうる病気」と捉えるところから法や中観を説くことだって出来るでしょう。
そして、風邪や下痢のように誰もが成る可能性がある病気、と捉えてこそ、認知症の周辺の苦悩に対して実際的に有効な解決法を皆で見出して行くことができるのに・・・。
人間の苦悩や問題を他人事ではなく我が事として捉え、皆で解決策を見出して行こうじゃないか。
というのが仏教が説く人間の問題の解決法ではないのでしょうか?