癌克服体験 
 この記により勇気を呼ぶ人きっといる、この記は無駄ではないと信じ
                  コスモス文学の会文学賞受賞作品から抜粋
      
右12HPご覧ください  真空断熱 真空断熱コンサルタント 文学賞受賞作品 自然体験不登校問題 団塊世代
京都議定書対応製品 自然スケッチ コンサルタント 阪本技術士事務所 癌克服 省エネ 繊維ロープ
                                              
主題 のらくろ二等兵から大戦荒波を越え自然から心に贈り物 
                    から抜粋  準記 病の巻 
目    次
聞くのが怖い癌の宣告
内視鏡検査 できものの性
  無慈悲 残酷 一方的宣言
どん底
残しもの
  救急車の効用
忘我正に
  麻酔覚め
五本の鎖
  空笑いの心底
ニュウヨークテロと闘病
  薄氷を踏む四命
百薬に勝る
  煙害
白衣の真
  白衣と学衣
綺麗なお腹
  デジタルとアナログ
  ここにも青山あり
蘇った心の糧 ホームページ



聞くのが怖い癌の宣告

 兵庫県立病院で癌検診の結果、医師から宣告を受けた時。
「無慈悲だ、残酷だ、一方的だ、」
と胸の中で叫び、口を固く閉ざし、医師の問いに答えなかった時。病院から
出て見る空の青さを空しく感じ、駅まで見るもの総て空しく、歩くも空しく、落
胆の一言だけでは言いきれない、絶望の時。
 なのになのに術後、快方に向かっていく喜びは一入。落胆の強さに応じ
ていた。

 その一切。
 前々から年々身体検診を受けていた健康管れ理センターでの血液検査
の結果、
「癌傾向を示す数値が少し高いが、今のところ症状はでていないようだ。だ
が、どこかの病院で精密検査を受けておいたほうが良いだろう。ここは検診
をするだけで治療はできないから、治療ができる病院で検診を受けてみる
と良い」
とのこと。
 そのように言われると、疑いは少々あるようだ。今すぐ、どうのこうのと言
うほどではないとの診方のように受け取れる。
 それに、食事は普通に食べるし、癌だと痩せていくということなのだが、
そのようなことはなく、悪い症状を感じなかったから、それきり、ほったらか
しにしていた。
 いや、実を言うと、癌と宣告されるのが怖かった。だから、癌傾向を示す
数値が高いと診断されてから後、検診を受けなかった。
 それなのに、癌と違うかな、との疑い・懸念は頭を離れず、それが、いわ
ゆる、癌をなすストレスとなっていったのか。
 それから三年め、六月の終わりごろから、右下腹が、ときどき、極々軽く
気味悪いように感じはじめた。
 疑いと懸念が増していった。ストレスが高まっていった。近くの医院で診
てもらった。
 医師が腹部を圧したりしたが何ら痛みはなく、血液検査の結果、白血球
の数は正常だから、悪い疾病にはかかっていないとのことだった。
 よって、ひととき、全く安心しきっていたのだが、八月二日に兵庫県立塚
口病院へ行ったのである。なぜか。このとき、ごく、機微な、いつもと違う体
調の変化を感じていた。
 医師に、これまで受けた診察のことを話すと、
「内視鏡で腸を診てみましょうか。ポリープがあれば、その場で切除でき
る。検査は毎週の月曜日です」
とのことで、ぜひ、内視鏡でとか、すぐに、どうのこうのということではなかっ
た。気になるのだったら検査してみると良い、と言うような言い方だった。
なのに、内視鏡検査を受けてみようとしたのである。
 このあたりのことでも、いつもとの機微な体調の違いを感じていたから
だ、と後で思ったのだが、この場では単なるポリープがあるかないかの検
査とし、医師に、
「お願いします。お盆過ぎの八月二十日の月曜日にできるでしょうか」
「八月二十日の検査でしたら、結果を知らせられるのは、八月三十日の木
曜日になります」
このとき、内視鏡検査をすすめてくれた医師と、それを受け入れた私の判
断は、私の生涯の健康に大きい影響を及ぼすことになったのだが、それ
が、わかったのは後のこと。

内視鏡検査 できものの性
 
そして、八月二十日、ことなきようにと祈りながらの受診。
 これまで、知人たちから、内視鏡検査は、さして苦痛ではない、と聞かさ
れていたので気楽にしていたのだが、痛い痛い。医師は、
「大腸の入り口のところでは少々痛みます」
と言ったが、少々どころではなかった。
 しかし、傷みどころを通過すると傷みは全くなくなってしまった。そうしたと
き、医師は、
「盲腸の上ぐらいのところの大腸に大きいできものがある。この場では切除
できない大きさだから開腹手術をして切除しなければならない」
と言う。
「できものの性はどうですか」
「今、細胞を取ったから、その検査の結果で分かります、大きいから良い方
とは言えない」
「どうしても、腹を切らねばなりませんか」
「直腸の通り穴は小指ぐらいになってしまっている。今でも、腸閉塞になる
危険が大いにありますよ。はやく切った方が良い。そうね、この際、ほかの
検査、レントゲン検査とCTスキャン、それに、超音波検診もすると良い。予
約をしてください」
「――――――」
 このとき、何も問い返すことはできずに、各検査の予約をした。私の顔
は、きっと、沈みきり青みがかり、目じりは下がり口は曲がっていたのだろ
う。だが、いかなるときにも希望を無くしてしまいたくない、一縷の望みでも
求め、すがっていたい。それが人、凡人なのだ。医師は、
ほかの検査「、レントゲンもやっておきましょう」
と言った。まだ、できものの性ははつきりせず、開腹手術が、絶対に必要な
のかどうなのか、疑いがあるから、そう言ったのだらう。そのように良い方
に解釈していたい。
 まだ、決定的ではないとの一縷の望みを残しながら、八月二十四日にレ
ントゲン、二十七日にCT、三十日に超音波を受け、その日、最終診断を受
けるように予約をしたのである。
 最終診断までの十日間、不安と希望の渦巻きの中に居ながら待たなけ
ればならない。苛立ち、焦りは一秒たりとも去らない。
 それは、月並み、オーバーな表現と批判する人々よ、一度この境遇に会
ってみてから言ってくれと言いたい。
 一秒も落ち着かない己を、これから十日間もの間、いかにおさめようか、
迷ったあげく、これまで、書き貯めてきた、山河花木のスケッチや文を整理
することにした。スケッチは三百ばかり、文や詩は五十項ばかりあり、それ
を組み合わせて本にしてみるように努めていった。

無慈悲 残酷 一方的宣言
  
 三十日になった。ほんの一縷の望みに大きい期待をかけ、各検査結果の
最終診断を受けたのである。
 医師は.
「腸のできものは大きい、はつきり言って、腫瘍の性はよくない、開腹手術
をしなければならない。すぐに切らなければならない」
「――――」
「ほっておくと、肝臓や肺に、すぐに転移する。それに、腸閉塞になる恐れ
がある。だから、来月、九月六日の木曜日に手術できるように準備してい
る」
「――――――」
 このときまで、ついさっきまで、人が重い病にかかったとの話を聞くと、よ
そごととして聞いていて、自分は、そのようにはならない、大丈夫だ、として
いたのだが。医師の宣告は、
「無慈悲だ、残酷だ、一方的だ、」
と胸の中で叫び、口を固く閉ざし、医師の問いに答えなかった。医師は重
ねて、
「九月六日に手術できますよ。できるだけ早い方が良い。腸閉塞の心配が
ありますからね」
と、また、私にとっては一方的な言い方、
「九月六日までに仕事の段取りを済ませられません」
「仕事の段取りを済ませてからだって。突然におきる交通事故のときには、
どうするんです」
「それに、学校では、二学期の始まりなので、期中のパソコン教科の準備を
しておかなければならないのです」
「休講になったら喜ぶ生徒も居ますよね」
「―――――――」
「長い人生の間で一月ぐらい休養すると考えてみたらどうですか」
 まだ、断ち切ってしまいたくない望み。医師の宣告を肯定してしまうと望
みを捨ててしまうような気がして肯定できない。
「九月三日の月曜日にもう一度参ります」
と、その場を逃げる口実をつくって病院から逃げ出した。
 
どん底

 三年前に精密検診を受けていたら、内視鏡
検診時に切除できたのかも知れなかったのに
と悔いながら駅へ向かった。秋の空の青さを空しく感じる。病院から駅まで
見るもの総て空しく、歩くも空しく、落胆の一言だけでは言いきれない、絶
望の一言でも。思いを言い切れない。
 どのようにして電車に乗ったのか、家に辿り着いたのか覚えず。玄関の
戸を開けるに力無く、靴を脱ぐに溜息尽きず、テレビを見ず、飯を食むに砂
のごとく。
 考え及び、至りつくところ幸いなことは何一つなく「0」である。総て不幸へ
と考え及び至りついてゆく。とぼとぼしくても良い一点の燭光だけでもあっ
てほしい。その燭光を他の医院、医師に求めてみたい。しかし、求められ
無かったら無駄、いや無駄でもよい。行ってみるだけでよい。
いや、無駄ではないことがある。医師の腕だけでできることのほか、病院の
治療設備の相違により出来不出来が生じることもあるだろう。しかし、しか
し。
 寝苦しい夜、寝られない夜。瞼を強く閉じても寝つけなく冴えていく頭の
芯、なぜ、このような不幸に見舞われなければならないのか。なぜ、今、
人々総てが忌み嫌っている癌に取り付かれられるのか。なぜなぜわが身だ
け、何の因果、何の因果、神仏にも見放されるのか、嘆き、悔やみは尽き
ず。寄りどころ0、槌りどころ0と落ち込んでの一夜を明かした。
 
残しもの

   

 翌朝から、気を紛らわせるため、再び山河花木スケッチの整理を始めた。
ときどき頭を霞める思いは、これが、私の残し物になるかも知れない、いや
いや、その思いを遠のけねばならないと。そうしているうちに、心を故郷へ
向かわせてみよう、少年時を過ごし、今でも心に残り続けている故郷、高野
山麓の紅葉と柿の詩を口ずさんでみようとした。再び、あの光景を見ること
ができるのだろうか、この詩も私の残し物になるかも知れないと思い思い。

連山の紅葉

標高八百メートルばかりの山間
紅の楓林を抜けると連山の紅葉
もみじだけに限らず 
形も色も幾十
すぐそばにも彩り 遥かにも 目の及ぶ限り
杉ひのきの緑を疎らに交えてこそ なおの彩り

やがて 朝日が昇り
頂を照らすとき
頂こその映え 彩り 殊に良し

いえいえ それから 
紅葉の山肌を照らし降り
広がりゆく彩り また 良し

そして 
麓の常緑樹 杉ひのきの緑に浮く紅葉
また 殊の外

ここを知る人は少なく
しかし 知る人は見るときをたがえず見逃さず
車を捨て 頂に立ち 尾根に立ち
目を細め 開き 手を翳し 身を回して いくとき
やがて 心を満たし
麓に降りるはひととき
夕を待ち焦がれ 
また頂にたち 尾根に立つ

ここを
このときに見ていない人々よ
山裾が陰れば上は映えゆく
焦点が上へ上へと絞られてゆく
 五分が焦点 
三分が 
二分がと
 絞られた彩り 趣

そして夕焼けに映えるを見れば
きっと ここを このときを忘れず
ときをたがえず ここにくるだろう
 


一抱えばかりの大柿の木
木の中ほどに登って見上げる
菓は あらかた散った
   実が青空に浮かんだ
十メートルばかりの円形に広がって
美しい

雲が流れてきた
柿の実がさかさまに流れはじめ
やがて 木も われも流れゆく思い
雲は去った 
秋の高く青く澄む空に
      実を一つだけつけた枝
      五つもつけた枝が絵を描く

枝を竹竿で折る
せいいっぱい伸ばした腕
耐えられない
竿を大枝にもたせかけ 
手元に引き寄せ
熟しをとり 
ほかを龍に入れる

繰り返すこと 幾たび
取り残した実
散り残った葉を仰ぎ見る
また 雲が走り
実も葉も流れてゆく
今年の実りは終わりゆく

口ずさんでいる間、心は穏やかな山河で遊び、今にもどりたくなく、もっとも
っと、かつての風情を思い続けたくなっていった。
そして、もっと生きていようとの思いが募っていった。

救急車の効用

省略
 
忘我正に
  
翌、九月三日医院に行き、医師に
「よろしくお願いします。総てお任せします」
とだけ言い、細かいことを言うのを一切やめた。医師も、
「任せてください、うまくやりますから」
とだけ言った。
「任せて」 
「うまくやる」
との短い言は、百言に勝る、と思った。
 九月四日入院。六日手術当日の朝、食事なくして、午後一時の手術に向
かい時計は容赦なく進んでゆく。
 この時の心情は、開腹手術を宣告されたときと同じく言い難い。つのって
ゆく不安は、先刻の決断を尻込みさせるようにはたらき、心身全体がたえ
ず動悸し、揺れているようで、それが、次第に高まってゆく。
 そして、手術着に着替え、寝台車で運ばれ、手術室に入る寸前、不安と
動悸を覚えなくなってしまった。怖気不安が頂点を超えてしまっていたのだ
ろう、これまでに知らなかった忘我を正に実感したのだと、後に思ったのだ
が。
 手術室には医師が六名、看護婦が五名ぐらい居たように思う。医師の一
人が、
「横を向いてください、背中に注射をします。
はじめ、ちょっと痛みます」
 そして、背骨のあたりに注射針が刺さった。チクリとしたことまで知ってい
る。

麻酔覚め
 
 次に、目を開いたとき、天井の蛍光灯が目に飛び込んできた。あたりを見
まわして、集中管理室のベット上に寝ているのが分かった。体は痛みなく、
何ら変わっていないようなのだが、わが身を見回すと、点滴の針が腕に刺
さり、体と点滴液筒をビニールチユウブが繋いでいる。それに、酸素吸入も
チューブで鼻と酸素パイプを繋いでいる。ときを経ず、看護婦さんがそばに
来て、
「気がつきました、上を向いたままで寝て居てくださいね、起きたり横向き
になったりしないでね、オシッコに行かなくてよいようにオシツコはこの袋に
溜まるようになっていますから」
とビニール袋を示す。その袋とわが体を、これも、チューブが繋いでいる。
看護婦さんは、さらに、
「お腹の包帯のところについているチューブは、お腹の中の液をとりだして
いるのです。その液はこの袋にたまります」
 と言いながら、腹から出ているチューブの先についているビニール袋を見
せてくれる。その袋には赤い血が混じった液が溜まっている。さらに、続け
て看護婦さん、
「ですから、チューブを引つ張ったりしないでね。それから、背中に麻酔薬
の針が刺さっていてチューブで麻酔薬容器とつないでいますから、注意して
くださいね」
と言う。

五本の鎖

なんと、五本のチューブが体を繋いでいる。それを知って、手術後なのだ
な、と改めて実感し、五本の鎖で繋ぎ止められているように感じたのであ
る。
 
 ところで、小便に立たなくてもよいと言うことだったのだが、しばらくして、
きつい尿意を催した。看護婦さんに伝えると、
「気の性でしょう。オシッコは自然に出て袋に溜まるようになっていますか
ら。チョット確かめて見ましょう」
と、尿道に入れているチュープを抜き差ししてくれた。
 このようなとき「恥ずかしい」なんての通常心はなくなってしまっている。だ
が、尿意は止まらない。そのことを訴え、薬を呑ませてもらって収まったの
である。翌朝、入院室のベットに移った。

空笑いの心底

この後、時を追って術後回復がすすんでいく段階で、まず、酸素吸入の必
要がなくなって鎖が一つ無くなり、人並みに一歩近づく。
次に尿道チューブ=鎖を取り外しに来た看護婦さんは、四個の車つき台車
上にパイプが直立し、パイプにフックが幾つかついている道具を引っ張って
きて言う、
「これから、自分でオシッコに行ってくださいね。点滴の容器と腸液袋を、こ
の道具、パイプのフックに吊り下げ、道具を引っ張って行ってください」
と。
 そうして歩くことの、何とも無様で格好が悪いこと。
 だが、すぐに気遅れがなくなる。なんとなれば、廊下を歩いている連中は
総て同じスタイルなのである。
 そして、トイレへ行けるようになると、やれやれ人並みに近づいたと感じ
る。
食事の始まりは重湯で、それを難なく食べると点滴中止、また一本鎖が外
される。
確か、手術の翌々日の昼食からだったように思う。
このときに思い出した。ずっと前、和歌山市での中学生のとき、下宿してい
た独身教師が盲腸を手術した。こりころ、入院患者に付き添いが着くことに
決まっていた。私は、一日入院室で付き添ったときのこと。
手術後、三、四日、絶食、水も飲まないようにしなければならないとのこと
で患者を見張っていなければならなかったのである。
なのに、教師は、寝床の傍に置いてある、痰を吐き入れる洗面器の痰やら
水やらが混じった汚い液を指先につけ、口で吸っていた。日ごろ威張って
いるのに、そのありさま。何とも哀れで、見て見ぬ振りをしてやっていた。
だから、自分も今回、手術後、水恋しさで苦しむのかと思っていたのだが、
点滴のお陰なのか、水恋しさなどは全く無く。何ら、ひもじさなくしているうち
に、重湯を呑ませてもらえたのである。
重湯に次ぎ、わずかにご飯粒が入った粥。それから全粥と移っていき、半
人前ぐらいになったな、と感じ、病人気分が少々抜け、手術直前の、己の
ありかたを振り返る余裕ができるのである。
癌宣告を受けたとき、人々が忌み嫌う死病にかかったことを知られたくな
く、これまで続けてきた仕事を失いたくなかった。よって、ワイフと四人の子
供夫婦にだけ告げ、他の人々には、
「今週、ちょっと出掛けて留守になる。帰ってきたら、こちらから電話を掛け
ます」
とごまかして入院した。
手術を知られなくするには、術後、早く関係先に電話でも掛けることであ
る。よって、入院前、医師に、手術後、何日ぐらいで電話などできるようにな
るのか確かめたところ、四、五日ぐらい経ったらできるとのことだった。だか
ら、木曜日に手術をした翌週、関係先に電話ができることを見込んでいた
のである。
電話ができる時がきた。電話は看護婦詰所の傍にある。だがだが、持ち歩
いて居る腸内廃液袋の廃液には、まだ、血が混じっている。それを他所事
とし、平然として電話を掛ける気には、まだまだなっていない。
しかし、しかし、思い切らねば。最も気安く話し合える人に電話をかけ、終
わりに笑うべきでは無いのにさも楽しげに声をあげて笑い、電話を切った
後、何とも空しい思い。

ニューヨークテロと闘病

そうした電話と空笑いを幾つかした日の夕、長男が見舞いに来て、
「待合室でテレビを見ようよ」
と言う。待合室では軽症患者が数人、テレビを見て
いる。その映像で、ビルに飛行機が突き当たった。
「これは、何と言うドラマ」
 と、私が言うと、テレビを見ている人々は、ちょつと、どよめいた。長男は、
「へー 知らないの、ニューヨークでのテロや、今朝からずっと放送している
のに」
「テロ、違う、飛行機がビルに突き当たる瞬間を捕えて映しているじゃない
か、テロで突然のことだったら、あの瞬間を映せない」
「えらい、ずれたことを言う」
周りでテレビを見ている人々を見まわすと、私を見ている顔つきは長男と同
じような思いをしているようである。このとき、考えさせられた。私の入院室
には胃腸癌を手術した患者が四人居るが、誰もテロのことを話さなかった。
それに、一日に何回も部屋に来る看護婦さんもテロのことを言わなかった。
 このころ、同室の患者の中には、新聞を読んでいる人もいて、テロのこと
を知っているだろうと思われる人も居たし、看護婦さんもテロのことを知って
いたはずである。
 しかし、患者みんなは治癒に回復に懸命なのだ。看護婦さんは、それを、
きっちり思いやってくれて患者の援護に懸命になってくれていて、その方が
テロよりも。もっともっと大事なのだということをしっかり認識していてくれて
いたから、テロのことなど話さないように気遣っていてくれたのだろう。
この際、健常な人々や私の長男が持っているテロ関心の度合いと、私の関
心の度合いには大きい違いが生じるのは全く当然。それは、このような身
心状態におかれてみないと分からないことなのだと思ったのである。
 この後も、患者同志や看護婦さんとテロの話をしなかった。また、見舞い
にきてくれた人々とも、テロ話はしなかったのである。
とにかく、入院養生中、テロ関心は、建常な人々の十分の一ぐらいだった
のだと言える。
 そうこうしているうちに、やがて、腹部内の治癒状況を示す腹部内液取り
出しチューブが無くなり、次に麻酔薬チューブがなくなり、五本の鎖が、すっ
かり解き放されたときの喜び。 
それは、手術前の絶望、打ちひしがれが大きいほど、大きいのだと実感し
た。

薄氷を踏む四命

そして、手術後、一週間を超え、少々落ち着いたとき、入院室を改めて見る
ようになった。
同室四人の大腸癌手術患者のうち二人は私より前に入院していて、そのう
ちの一人は抗癌剤の点滴を受け、食事は日に日に細るばかり、進んで食
べようとはしない。
給食を取りに行かない。代わりに同室の患者が取りにいってやっても、あり
がたそうにもしない。一日中一言もしゃべらない。
見舞いに来る奥さんは、食事を無理に口に運ぶ。こちらも気掛かりになり様
子を伺い始める。食事を受けつける回数が日毎、毎食毎に少なくなってい
く。七回、五回、二回と、そして牛乳を飲むだけになり。それも、奥さんが無
理に飲ませて背をさすり、あらぬ方に顔をそむけ、涙をこぼしている。子供
らしい女性たちも見舞いに着て同じように。
医師は、ときどき、患者を家に連れ帰らせるように奥さんに指示する。
 も一人は、癌が肝臓に転移していて、太股の血管から肝臓に管を通し、
癌を固形化する薬剤を肝臓に注入している。
この患者の奥さんは、幼稚園児ぐらいの孫を連れて見舞いに来る。そした
ら、暗い話しそっちのけにして夫婦お互いに笑顔になれる。 
涙を忘れることを、はっきり意識してやっているな、と私は見て取り、孫さん
に年を聞いてみたり、お菓子を上げたりして、ひとときでも、お互いの笑み
合いを多くしてやろうとする気になっていく。そうすることで、こちらの神経の
尖りも少々納まるのである。
その後に入院してきた患者は、一年前に大腸癌を手術し、最近、胃が食事
を受け付けにくくなって再び入院したとのこと。液状の栄養剤を飲んでいる
のだが、それも、ときに、吐き出す。
夜、苦しみ、寝返りして寝台から落ちる。声をかけても返事が無い。看護室
に呼び出し信号をおくり、看護婦を呼ぶこと度々である。
この人を見舞いにくる奥さんは、見舞いが許されない時間にやってきて、病
室から少し離れ、ローカに立ち尽くし、主人の様子を伺い知ろうとしているこ
と幾時間も、それを見過ごしては居られなくなり、看護婦が病室に来ないと
きを見計らって奥さんを病室に呼んであげる。
このような病室で過ごす二十四時間。決して良いことは考えられない。私
も、やがて、三患者と同じようになるとの想いが頭を占め、四患者、薄氷上
の四命なのだと感じ、拙い糸に必死にすがり付いているとの想いが強くな
っていく。それが続くと神経が持たない。
無理に心を遊ばせるため、かつて青少年時に育った山河を思い浮かべる。
無理にでも。
そうしているうちに、心はすっかり山河で遊び始め、かつて、文学新人賞を
受けた山河花木の文章を空読みし、思い直し始め、春、夏、夜空、秋、冬、
清水と、続け、作詩に耽っていった。
このようにできたから、薄氷上、薄命をつくづく感じ鬱鬱たる病室の中での
暮しに耐え抜くことができたのである。

百薬に勝る
                                

 そうすること幾日、体を繋いでいた鎖は、すっかりなくなり、薬は、何一つ
飲まなくてよく、包帯もガーゼも無く、食事は、全粥からご飯に変わり、手を
振って自由に歩きまわれるようになつた。これまで、回診に来た医師は、
「順調だね」
とおっしゃってくださり、婦長さんは、
「トントンと良くなる」
と言い、日々顔を合わせる看護婦さんは
「順調ね」
 その言に、何ぼ、勇気づけられてきたことか、百薬に勝っていた。心の安
らぎが体の健やかさを呼ぶとのことを心底から実感した。僅か、十四日ば
かり前に落胆、絶望のドン底にあったのは、うそのような気がするのであ
る。そして、このようになったのは、医師の力はもちろん、白衣の看護の重
さがあってこそと、改めて認識させられる。

煙害 

その白衣の看護は、手術前から始まっていた。私の場合は煙害防止から
だった。白衣曰く、
「阪本さんは五十年も、タバコを吸っていたの。手術のときにも、術後の回
復のときにも肺の働きが大事です。肺炎を起こさないようにするため、肺機
能を良くしておきましょう。噴霧吸入もしておきましよう」
と。それから、深呼吸の吸い方、吐き出し方まで教えてくれた。タバコの害
がここに及ぶとは。それに、手術後、手術痕の痛みをこらえながらできる寝
起きのやり方、咳のやり方、疾の出し方。なになに、咳や疾の出し方なんて
気にすることはないのでは、と、事知らぬ人々は言うだろうが、術後、咳を
するのが辛いこと、腹の切り口に響く。疾を出すときも腹にこたえてすごく辛
いのである。
 それから、うがいのし方まで手術前に教えられ、まことにつまらんことと、
面倒くさがりながらやっていたのだが、それら総てが、術後に役立ったので
ある。
 
白衣の真

そして、手術の後、目を開いた瞬間から白衣にすがり、総てを託しゆくわが
身わが心。それを、きっちり、確り受けとめてくれる白衣の方々。同室の患
者総てへの配慮。体調察知、食事が喉を通らない患者への気遣い。患者
の苦痛をおさめ、便尿の始末、睡眠の良し悪しへの心やり等々を勤めての
二十四時間。それを見つめての日々を幾日も送ってこそ、白衣の真の身と
心の労と、これまで積み上げてきた看護、導きの真価を知ることができる。
 病院の外来患者として診察を受けるときの白衣の働きを見ているだけで
は、とてもとても、はかり知ることはできないことなのである。そのような、陰
の助け、慈母のようなあり方を文で表しきるのは、難しい。
 
白衣と学衣

それに、入院中、私だけの幸運があった。
 入院の日から看護学校の学生、二十歳前後の女性が病院に研修に来て
いて、その内の二人が私に専属について看護してくれくれたのである。
私が入院している五階痛棟には約五十人、入院していて、そのうちの三人
の患者に二人づつが看護してくれたのだから、まさに幸運である。
 彼女たちのスーツは白地に青のストライプで、全くの白衣ではないから、
白衣と区別して学衣と呼ぶことにした。
 看護内容は白衣に準じていて、違いは、資格が必要な看護をやらず、そ
して、担当患者だけの看護をする。

締麗なお腹
 
私が、手術を受けるとき、手術室で見学していて、術後、
「阪本さんのおなかは締麗でした」
と言う。
「へー、お腹の中まで看てくれたの、だったら外から私の体を見て、中が思
いやられるんだね、こそばくなるな」
と言って、共に笑い、腹の中まで看とおされているのが面白くなり、親しさ
が増してゆき、ときどき、お腹の話をする。
「綺麗なお腹といっているのは、他の人のお腹も看たことがあるの」
「いえ、阪本さんのだけです。学校の教科書に載っている図よりも、形や色
が、うんと綿麗でした」
「うんと、締麗とは、ほんとに嬉しいね」
 腹黒と言われるのとは反対なのが、たわいないことと思いながらも、ちょ
っと、良い気分である。そういうことで、お互い、心が、ぐんと近寄った感で
ある。白衣に対するのと違って、フランクに話ができる。
デジタルとアナログ

 たとえば、看護を受けるとき、白衣のそれは、職務をまっとうしなければな
らないところがあり、こちらを律するところがあり、こちらの体調を体温やら
脈拍で診よう、デジタル情報を求め、その数値の正確さを求めようとする味
気なさを感じるときがある。
 それに、学衣のそれは、こちらを律しようとするところ少なく、心身の傾向
をみていこうとする、いわゆる、アナノグ的なところあり、こちらの気持ちの
ありようを診て、体を拭きましょうと、タオルにお湯を浸し、絞って私の体の
隅から隅まで拭いてくれる。
時々、体操をしましょうと言い手足体操を指示してくれる。風呂に入りましょ
うと誘ってくれる。
 
ここにも青山あり

それに、学衣たちは、やらなければならない看護を済ませたあとも、傍に居
て話し相手に゜なってくれる。始めのうちは、やっぱり、医療に関することな
のだが、そのうちに、こちらの、いわゆるオールドストーリになったり、彼女
たち、ヤングレディワードになったり、いつしか、病みをそっちのけにして冗
談を言ったり、笑ったり。親しくなると彼女たちの生い立ちも知りたくなり、住
まいを問うと、一人は、宝塚の小林、も一人は、三木市の方、とのこと、
「だったら、野山が近いね、野山のいつの季節が好きなのかな」
「やっぱり花の季節」
「皆、そうね、私も同じなのだが、新緑が好きなんだ。こんな詩も作ってい
る。見てね」
と、詩の原稿を見せながら朗読する。

山間の初夏 茶摘みどき
空は ややかすみ 日は穏やか
土はぬくもる
春の花が残る野山
木や草は競って新芽を伸ばし 広げる
茶の新芽も
固い親葉の 濃い緑の上に
より初々しい より淡い黄緑

描くには 合わせる色はどれどれか
迷いながら ふれる おさな葉
たなごころを 撫ぜるよう
何に例えようか
思いながら摘む

手を休めて見渡す山々は新緑
今 萌え出た 見よ

ほこらしげ木々 
なかに 花がちょっと
遅咲きの山桜 ぽつっと咲き
山つつじが咲き
野には すみれ れんげ 菜の花が競い
花々を 真っ白いちょうが弱々しく飛び渡る
風はそよ風 頬を撫ぜる
梅の木は 青い小さい実を持ち
桃の木も持つ

うぐいすの たけた音が山々を渡ってくる
小鳥が鳴く
にわとりがはばたく
かえるも チヨット鳴く
池の鯉がはねる
ひととき 目をひかれ 耳をひかれ
また
茶の新芽にひかれてつむ
「へー上手よ上手よ 良い趣味があるのね」とおだてられ、癌病などのこ
と、すっかり忘れ、
「今日はこれまで、また、明日」
と、翌日から、夏、秋の詩と続ける。

 このようにしていると、心の和やかさが体の健やかさを呼ぶのだな、と、
真に実感する。
 それでは同室の患者に悪いのではとみる人々に言う。
鬱気が満ち続けている重病患者室に若い女性二人、若々しい会話。その
ひととき、きっと、患者たちは病忘れするのではないだろうか、私の詩の朗
読だって、鬱気をひととき忘れさせ得るのではないだろうか。
 それは、常に健やかな人々の間では理解し得ず、われら、今、お互いの
心身であってこそ理解し得ると私は信じる。
 そうこうしているとき、たまたま、ワイフや長男が共にやってくる。学衣た
ちと談笑し、それに、ワイフものっているとき、長男はわれわれに向かい、
声を下げ、
「チヨット静かに、あまり、楽しそうにするな、病気が重い人も居る」
とたしなめる。ワイフは、たしなめに、ひととき同意しておきながら、学衣た
ちに話し掛け、次第に声高になって、こちらをこきおろし、トウヘンボクなの
よとか、学衣たちに言って聞かせたりもする。そして、私、
「この闘病記を記してみようと思う。その中の、この項の題を、ここにも青山
あり、にしようと思う。ちょっと、迷ったのだが、彼女たちに意見を聞いたら、
それが良い、それが良いといってくれたから」
ワイフ、
「へー、若い人に何でも従うのね」
と。いい歳をして、ちょっとジェラシー。
 そして、九月二十四日、退院の前日、井上主治医の忠告、
「退院後、半年間、二週間ごとに診察を受けること。その後、一ケ月に一度
診察を受け、三年間続けること。酒は飲んでも良いがタバコは止める方が
良い」
とのこと。飲酒を許されて退院できる患者は少ないだろう。本当に嬉しい。
 それから、学衣たち二人は、この日で研修を終わるとのこと。病室にき
て、
「初めての研修で良いお付き合いをさせてもらいました。懐かしい思い出が
残ります。お元気で、さようなら」と言い、目を潤ませていた。ワイフも目を
瞬きながら、お礼にと、子猫と子犬の縫いぐるみを渡した。 
ここにも青山があった、と私は思った。
蘇った心の糧、ホームページ
 
我が家の床で安らぎ、思うに、入院中、成すこと無しの二十四時間、夜、な
かなか寝付けないとき、蘇っていたのは、故郷の山河でのことごと、それら
を入院前に整理したから、なお、鮮明に蘇っていた。
 ときどき、病院に居ることを忘れ、病床に
臥せっていることを、ひとときでも、すっかり忘れさせてくれた。
かつての山、綺麗な谷水、名を知らない野の花、それらは、今回、自然か
ら心に贈り物、心の糧と言えるものになっていた。
 そういうときが長ければ長いほど心にもよく、それが体にも良かったのだ
な、と退院してから気付いたのである。
よって、退院静養時を幸いにして、文詩、スケッチの整理に掛かった。フロ
ッピーに保存してきた文章は、四百字詰め原稿用紙、およそ、千枚分にな
っていた。
そこで、不登校生が問題になっているとき。このような自然との関わり体験
を発表して世に訴えることを試みるのは無駄ではないと決め、体調が本物
になるまでの間にインターネットホームページを開設、自然から心に贈り物
と不登校問題を掲示した。
このホームページに多くの方々が関心をよせてくださり、訪問者が四万人を
超えるようになり、不登校問題関連ホームページが百五十万件ばかりある
なかで、私のホームページがトップにランクされるようになった。
                               
                 
 
自然詩文作経歴 
現代詩 随筆 ノンフィクション等 受賞 入選歴(コスモス文学会分) 

及び 技術士 (文部科学省登録技術士)業務歴
ISO関連業務、真空断熱技術、形状認識良好シート、植林育林、etc関係 
2軸出力変速機(1基の駆動力車、3、輪車の旋回走行装置)関係
各ページ案内 ページリンク
トップページ 賢い受身 経 歴 四季観賞自然体験 不登校問題B 真空断熱HP 団塊世代HP
見逃さないでください京都議定書に応える真空断熱製品にリンク 右をクリックしてください 真空断熱製品


 名 前 そのほか   阪 本  慶 二   自称−自然思人    環境省自然大好きクラブ員    
 住 所  電話/
FAX
〒661-0953 兵庫県尼崎市東園田町8-106-5    電話/FAX 06-6491-9816
 育  ち (育 地)
 「花園」と千百年余前に名付けられた和歌山高野山麓で育ち、のち兵庫園田に住む。

       花園とは、高野山に花を納める地として弘法大師が名付けたという。

       そのいわれは誠と思わせるに、地の人々、諸事の中には大師の自然観を

       見習い、思想を受け継いできたのではと伺がわれること多々あり、

       私は、その地と人々の感化を大きく受けて育ってきた。

その他 南北朝時代に南朝方が城を築いて戦った地、南朝方が築いた城はこれのみ

       いにしえには、高野山から熊野詣の道筋(宿場)であった、弁慶や文覚など

       荒法師が通ったこともあるかも。
 履歴
   自然詩文作暦
自然関心昂揚に寄与するを望んでの自然詩文作、スケッチ修学研鑚受賞等
       環境省自然大好きクラブ員。  
       大阪文学学校修学5年、       学校推薦学校誌掲載作品多数
       コスモス文学会文学新人賞受賞  心が自然から受ける心の糧
                   奨励賞受賞   夜空の四季
                   その他入選   8編
      その他会誌掲載     海外記 (インドネシヤ、パキスタン、ドイツ等)
        その他  業  務  関  係  歴
  コンピューター歴   バソコン活用20年、 コンピューター活用(CAD)設計15年
  コンピューター活用設計(CAD)講師10年
 文部科学省登録
 技術士関係業務歴
 コンサルエンジニアー30年 (その内 海外業務3年)                   
     
 ロボット等機械化、自動化、合理化計画設計 新製品技術開発支援
 機械計画設計 コンピューター活用設計(CAD)講師10年                
     
      
 動力車関係 1基の駆動力車(3,4輪車、車椅子等)の旋回走装置(差動歯車装置に代わる)開発 
 ISO関係  ISO認証受審査支援 及び ISO認証企業業務支援
 真空断熱技術   真空技術応用、真空断熱技術歴  30年 特許出願中 4件
 関連ホームページアドレス  http://www5a.biglobe.ne.jp/~sakakeij/sinku
 福祉関連歴  視覚障害者用品、手指等による形状認識シートの活用推進3年 特許出願中 1件
 植林育林歴  日本一の吉野杉が茂る連山は吉野から紀州北東に続く その地で植林育林 50年

ページ案内 ジージ ホームページリンク
トップページ 賢い受賢
い受身
経 歴 四季観賞 然体自験 不登校問題 真空断熱HP 団塊世代HP

文学賞受賞 ノンフィクション部門      
のらくろ二等兵から大戦を越え自然から心に
贈り物

文学新人賞受賞 ノンフィクション部門      
 独りがけコンサルタントの旅立ち

 文学新人賞受賞 ノンフィクション部門      
  自然体験から心への贈り物「心の糧」
  注 受賞時文名 心が自然から受けるもの「心の糧」

文学奨励賞受賞 現代詩部門  
夜空の四季
。       

  入選 ノンフィクション部門

1,吉野の慈母

2,心ない倒産
   入選 随筆部門

心ない火 (原爆)
 現代詩部門

1,綺麗な水辺で育つとき
 
2,
 
3,萌え出
 
4,もみじ1
5,もみじ2
 
6,故郷の山は呼ぶ
 
7,門出の前触れ
8,門出
 その他 産経新聞 朝の歌 掲載
招けばきますよ鶯も
ページ案内
トップページ











真空断熱パネルパイプ 真空断熱技術製品パネルパイプ 1 
真空断熱パネルパイプ 真空断熱技術製品パネルパイプ 1 
メール
メール