ミステリ&SF感想vol.184 |
2011.01.01 |
『ジークフリートの剣』 『時の地図(上下)』 『死なない生徒殺人事件』 『セカンド・ラブ』 『殺す手紙』 |
ジークフリートの剣 深水黎一郎 | |
2010年発表 (講談社) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] “芸術探偵”シリーズの『トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ』に登場していた世界的テノール歌手・藤枝和行を主役とし、そちらの中でも少しだけ言及されていたエピソードを長編に仕立て上げた、“芸術探偵”シリーズのスピンオフ的な作品。作中の時系列では本書の方が先になりますが、できれば『トスカの接吻』を先に読んでおくことをおすすめします(*1)。
“芸術探偵”神泉寺瞬一郎を主役としたこれまでのシリーズでは、“芸術”と“事件”とを巧みに組み合わせた独特の芸術ミステリが展開されていましたが、本書では「序章」の怪しげな占い師の予言が目を引くものの、その後は事件らしい事件が起こることもなく、ワーグナーのオペラ『ニーベルングの指環』(→Wikipedia)を掘り下げていきながら、主人公・藤枝和行が出演する大舞台に向かって進んでいく――つまりは、一見すると完全に“芸術”の方に軸足を置いたミステリらしからぬ物語であるように思われます。 舞台上でもまったく緊張することなく(*2)、独善的ともいえる思考と言動を見せる主人公が、恐れを知らぬ“ジークフリート”その人に重ね合わされている(*3)ことは明らかですが、さらに目次の章題などでも示唆されているように、『ニーベルングの指環』を題材とした本書全体が緩やかに『ニーベルングの指環』をなぞった二重構造となっているのが興味深いところ。このあたりについては「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂」で詳しい読解がなされています(*4)が、一筋縄ではいかない作者らしい趣向といえるのではないでしょうか。 物語はミステリらしい部分をほとんど見せることのないまま進んでいきますが、いよいよ『ニーベルングの指環』の開演が目前に迫った終盤に至って、突如としてミステリとしての姿をあらわにし始めるという構成がユニーク。(以下、微妙にネタバレ気味なので一応伏せ字)『ニーベルングの指環』に関する“謎解き”もさることながら、それまで埋もれていた“謎”が突然浮かび上がる――より正確にいえば、いきなり“謎解き”が始まることによって、周到に隠されていた“謎”に驚かされる(ここまで)という、ひねくれた企みが面白いところです。 そして“謎解き”の後に用意されている、何とも凄まじく美しい結末が圧巻。それ自体が数々の伏線に支えられているのみならず、直前の“謎解き”までが結末をより強く印象づけるのに貢献しているのがまたすごいところです。これまでになく“芸術”を前面に押し出した体裁をとりながらも、最終的には“芸術”と“ミステリ”が見事に融合している、実に読みごたえのある傑作といえるでしょう。
*1: 実をいえば、『トスカの接吻』での記述と本書の内容との間には微妙な食い違い――作者のミスなどではなく意図的な変更と考えられる――があり、『トスカの接吻』→本書の順序で読むことで、本書の“ある部分”がサプライズとなり得る……ようにも思われます。
*2: 緊張を避けるための、主人公独自の方法が印象的です。 *3: 中盤以降の、一見すると常識はずれと受け取れる思考と行動も、一つにはこの重ね合わせに起因しているといえるのではないでしょうか。 *4: 私見ではややネタバレ気味とも思えるので、上では直接リンクはしませんでしたが、該当記事はこちら→「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » ジークフリートの剣 / 深水 黎一郎」。 2010.10.09読了 [深水黎一郎] | |
【関連】 〈芸術探偵シリーズ〉 |
時の地図(上下) El Mapa del Tiempo フェリクス・J・パルマ | |
2008年発表 (宮崎真紀訳 ハヤカワ文庫NV1227,1228) | |
[紹介] [感想] スペインの作家フェリクス・J・パルマの(少なくとも本国での)出世作(*1)である本書は、怪奇/SF作家として知らぬ者のないH.G.ウエルズへのオマージュに満ちた作品であり、19世紀末のロンドンを舞台としてタイムトラベルをめぐる冒険を描いた、SFともミステリともファンタジーともつかないジャンルを超えた快作です。
物語はほぼ独立した三つのエピソードからなるオムニバス形式で、作中でなぜか行われている未来へのタイムトラベル・ツアーなど、いずれのエピソードでもタイムトラベルがテーマとなっており、そこで『タイム・マシン』の作者であるH.G.ウエルズその人が、それぞれ異なる形の重要な役割を果たすという凝った構成が秀逸。またウエルズのみならず、切り裂きジャックや〈エレファント・マン〉ことジョゼフ・メリック、『吸血鬼ドラキュラ』の作者ブラム・ストーカーなど、実在の人物を巧みに物語に絡めてあるのも面白いところです。 まず「第一部」の主役は、切り裂きジャックに殺された恋人を救うために過去へタイムトラベルしようとする青年アンドリュー。“過去の改変”はタイムトラベルSFではポピュラーなテーマですが、まだウエルズが『タイム・マシン』を発表したばかりの年代であるため“タイムパラドックス”という概念は存在せず、登場人物の誰一人としてパラドックスなど考えもしないまま話が進んでいくのが何とも新鮮です。そして結末は実に巧妙といわざるを得ないもので、印象的な最後の一言が鮮やかに幕を引きます。 続く「第二部」は打って変わって、100年もの時間で隔てられた恋人たちの物語……ではありますが、序盤からいきなりの意表を突いた展開で読ませます。さらに、これも意外な形で恋物語に絡むことになるウエルズの役どころもなかなかの見もので、恋する二人にウエルズを加えた三人の思惑が錯綜するプロットに、そこはかとなく奇妙な味わいが漂っているのも見逃せません。とはいえ、純粋に恋愛ものとしても見ごたえがありますし、急転直下のクライマックスから結末への流れもお見事。 最後の「第三部」はまた一転して、殺人事件を発端としたサスペンス風の物語(*2)で、ついにウエルズ自身が主役となって奇妙な冒険に巻き込まれていくことになります。巧みにひねりが加えられてはいるものの、全体としてはある意味オーソドックスであるがゆえに、ある程度予想がついてしまう部分がないでもないのですが、それでも読みごたえのある物語に仕上がっていると思います。時おり案内役として顔を出している作者自身をも含めたカーテンコール的な部分も効果的で、読み終えて深い感慨の残る作品といえるでしょう。
*1: 本国スペインでの新人作家の登竜門の一つとされる、セビリア学芸協会文学賞を受賞しています。
*2: 本書をお読みになった方には違和感があるかもしれませんが、ここは意図的にちょっとぼかして表現しています。 2010.10.19 / 10.22読了 [フェリクス・J・パルマ] | |
【関連】 『宙の地図(上下)』 |
死なない生徒殺人事件 〜識別組子とさまよえる不死〜 野アまど | |
2010年発表 (メディアワークス文庫 の1-3) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] デビュー作『[映]アムリタ』など、独特のライトノベル風ミステリ(ミステリ風ライトノベル?)を発表している作者の第3作となる本書は、題名に“殺人事件”と入ってよりストレートにミステリらしくなっているかと思いきや、それが“死なない生徒”という言葉と組み合わされてミスマッチを生じているところにも表れているように、またまた一筋縄ではいかない作品となっています。
当然ながら、“永遠の命とは何か”が一つのテーマとなっているわけですが、主人公・伊藤による生物教師らしいきっちりした“命の定義”がいきなり披露されるなど、序盤からすでに様々な可能性が検討されている(*1)のが面白いところで、いわば作者自ら“ハードルを上げた”状態でどうやって裏をかいてくるか、という期待を持たせます。そして、“永遠の命”に興味を持つコンビ――主人公の伊藤と何ともずれた転入生・天名珠の前に、当の“死なない生徒”識別組子が姿を現すのですが……。 その識別組子があっけなく何者かに殺害されてしまうという、肩すかし気味で皮肉な展開が何ともいえませんが、さらにそこから先の“外し具合”もまた作者らしいところ。誰しも予想するところだと思うので書いてしまいますが、(一応伏せ字)“死なない生徒”識別組子は確かに“復活”する(ここまで)――ものの、それはやや意外な形をとっており、結果として事件の謎と“永遠の命”の謎がともに物語を強力に引っ張りながら、急転直下のクライマックスへとなだれ込んでいきます。 実のところ、少なくとも事件の方については真相がある程度見えてしまう――というよりも積極的に示唆されている――部分もあるのですが、それでもクライマックスの一種異様な“対決”の中でトリッキーな謎解きが行われるのが面白いところ。二つの真相そのものは、読者が手がかりに基づいて推理できるような類のものとはいえないかもしれませんが、提示された真相が思わぬ伏線と結びついて腑に落ちる感覚が非常に鮮やかです。 特筆すべきは最後に明らかになる“ある理由”で、これまた思わぬ伏線も相まって強烈な“最後の一撃”となっています。これまでの作品と同様、無理が生じる部分を主人公の視野(もしくは語り)の外に追いやり、あたかも存在しないかのように装うことで初めて成立しているところはありますが、それをさしたる瑕疵と感じさせないのはやはり、伏線の巧みさ(*2)によるところが大きいでしょう。一風変わったホワイダニットの秀作として、ミステリファンにもぜひ一読をおすすめします。 2010.10.27読了 [野アまど] |
セカンド・ラブ 乾くるみ | |
2010年発表 (文藝春秋) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 続編というわけではないものの、『セカンド・ラブ』という題名(*)はもちろんのこと、帯にも
“『イニシエーション・ラブ』の衝撃、ふたたび”と大々的に謳われているように、傑作『イニシエーション・ラブ』の“姉妹編”的な位置づけとなっている、“恋愛小説に擬態したミステリ”の第二弾。物語に直接の関連はありませんが、読者がすでに『イニシエーション・ラブ』を読んでいることを想定して書かれている節があるので、できればそちらから先に読むことをおすすめします。 主な舞台となるのは1980年代の東京で、『イニシエーション・ラブ』の静岡と比べると作者自身なじみの薄い土地だったのか、当時を強く意識させるディテールがあまり目立っていない感はありますが、携帯電話が存在しない時代ならではの(今となっては)もどかしい恋愛が描かれているのは同様。もっとも、『イニシエーション・ラブ』よりも登場人物たちの年齢層が若干高くなることで、恋愛が結婚を見据えたものになっているのが目を引きます。 実際に本書の「序章」では結婚披露宴の様子が描かれ、物語本編はカットバックでそこに向かって進んでいくという構成ですが、“結末”であるはずの「序章」の中で謎のようなものの存在が匂わされ、いわばミステリとしての読みどころが序盤から暗示された形になっているあたりが、謎そのものを見出すのが容易ではない『イニシエーション・ラブ』とは一線を画しているといえるでしょう。 前述のように『イニシエーション・ラブ』よりも登場人物たちの年齢層が上がっている分、ある種の切実さ――とりわけ“性”に関して――が表に出ている感があり、またその裏返しともいえる身も蓋もない計算のようなものが透けて見えるところもあるなど、より“痛さ”を増した物語となっている印象で、「序章」で描かれた結婚披露宴という“結末”が控えているにもかかわらず、物語が進んでいくにつれてイヤな予感が高まっていくところが何ともいえません。 最後に用意されている結末は、一見すると衝撃度・完成度ともに『イニシエーション・ラブ』に及ばないようにも思えるものの、そのあたりまではおそらく作者も織り込み済み。最大の見どころは、まったく思いもよらないところから襲いくる“最後の一撃”で、『イニシエーション・ラブ』とはやや違った形ながらもその衝撃はやはり強烈です。『イニシエーション・ラブ』を凌駕するとはいかないまでも、“姉妹編”として十分に及第点といえるのではないでしょうか。
*: 「セカンド・ラブ」(中森明菜)に対して「First Love」(宇多田ヒカル)ということで、奇数章(+終章)の題名は中森明菜の曲名を、また偶数章(+序章)の題名は宇多田ヒカルの曲名をもとにしたものになっています(→こちらを参照)。さらに、瓜二つの二人――内田春香と半井美奈子の名前は、宇多田ヒカルと中森明菜のローマ字アナグラムになっています(→こちらを参照)。
2010.10.29読了 [乾くるみ] |
殺す手紙 La Lettre qui tue ポール・アルテ | |
1992年発表 (平岡 敦訳 ハヤカワ・ミステリ1840) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] P.アルテといえば、ツイスト博士を探偵役として密室殺人などの不可能犯罪を中心に据えた〈ツイスト博士シリーズ〉が代名詞ですが、感覚的には久々(*1)の邦訳となる本書はノンシリーズの長編。ツイスト博士どころか不可能犯罪も登場しない、第二次大戦直後のロンドンを舞台とした“巻き込まれ型サスペンス”と謳われています。
もっとも、実のところはさほどサスペンスが重視されているという風でもなく、むしろJ.D.カー好みの――例えば『アラビアンナイトの殺人』や『死者はよみがえる』あたりに通じる――発端の不条理さを狙ったものではないかと思われるのですが、いずれにしても、物語の冒頭で早々に事件が起きるのではなく、親友からの不可解な手紙をきっかけにたたみかけるような謎の、いわば一つの“仕上げ”として事件が用意されているあたりはなかなか凝っています。 かくして、窮地に追い込まれて自ら“探偵”役となることを余儀なくされた主人公が、“何が起こっているのか”を懸命に解き明かそうとするホワットダニットが物語の軸となる……わけですが、本格ミステリらしい謎解きでないのはまだ仕方ないとしても、主人公が思いのほかとんとん拍子に(一部の)真相を暴いていき、またあっけなく窮地から脱してしまうという中盤は、いくら何でもあっさりしすぎといわざるを得ないところで、“サスペンス”というにはスリルに乏しいのは否めません。 とはいえ、そこから物語が少々意外な展開(*2)を見せ始めるのが本書のユニークなところ。いささか“作りすぎ”の感がないでもないものの、あくまでも“アルテ流”のパロディめいたものととらえれば十分に楽しめると思いますし、事件の様相さえもがらりと一変してしまうのはなかなか見ごたえがあります。そして事態はさらに二転三転していき、一部の真相は見えやすくなっていながらも、全体としてはそれなりのサプライズが生み出されています。 手がかりに基づいた本格的な謎解きこそありませんが、ひねくれたプロットの中に巧みに配置された伏線が効果的なのも見逃せないところ。不可能犯罪のないノンシリーズの作品ということで、正直なところあまり期待していなかったのですが、そのせいもあってか意外に面白く読むことができました。決して代表作とはいえませんが、一風変わった試みに挑んだ異色作として一読の価値はあるのではないでしょうか。
*1: 前作『虎の首』から1年9ヶ月ぶりの刊行で、実際にはさほど長く間があいたわけではないのですが、前作の「訳者あとがき」でペースアップが予告されていただけに……。
*2: アルテの作風からすると個人的には予想外だったのですが、もしかするとこれはカーの某作品へのオマージュなのでしょうか。 2010.11.08読了 [ポール・アルテ] |
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