「貴族探偵」はいかに改造されたか?
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2017.08.22 by SAKATAM |
ドラマ「貴族探偵:第1話」と、原作「白きを見れば」(『貴族探偵対女探偵』収録)のネタバレがありますので、未読・未視聴の方はご注意ください。 |
ドラマ第1話 「白きを見れば」 | |||||||||||||||||||||||||
放送日:2017年4月17日 ○あらすじ 女探偵・高徳愛香は、事務所の重要なクライアントである玉村家の令嬢・依子の別荘、通称ガスコン荘に招かれた。ガスコン荘の地下には、死体を投げ込むと消えてしまうという伝説の残る古井戸、“鬼隠しの井戸”があり、依子は早速そこに愛香を案内する。だが古井戸の側には、前夜の“ポルパ”(ポルチーニ・パーティー)に参加していた客の一人が撲殺されて横たわり、周囲には無数の血の足跡が残されていたのだ……。 ○登場人物・舞台・事件の概要
原作「白きを見れば」では、高徳愛香の友人にしてガスコン荘の所有者の娘である平野紗知をはじめ、笹部恭介・畦野智一郎・妙見千明・多田朱美といった学生たち、さらには千明の恋人という立場で“亀井”(=仮名)と名乗った貴族探偵が――使用人を伴わず独りで――ガスコン荘に滞在しています。そして“亀井”こと貴族探偵は、左手の人差し指に怪我をしています。 それに対してドラマでは、平野紗知に代わる立場で玉村依子が登場しているほか、“亀井”こと貴族探偵が不在で、その代わりに(右腕を骨折した)横井太志が追加されています。不在の貴族探偵は事件発生後に、使用人たちを伴って最初から“貴族探偵”を名乗って登場することになります。 ドラマで追加された横井を含めて、笹部・畦野・千明・朱美の全員が社会人に変更されているのは、おそらく動機に関わる理由ではないかと考えられます。原作では、笹部・畦野・朱美の三角関係以外に動機らしきものは示されていませんが、ドラマでは三角関係の当事者(笹部・畦野・千明に変更)以外にも動機を設定しておくにあたり、“学生間の複雑な恋愛関係”(*1)を避けるために、横井と朱美には仕事絡みの動機を用意したということではないでしょうか。 *
舞台となるガスコン荘は、原作では人里離れた山の上にある山荘(*2)で、周囲に残った積雪の上に足跡がなかったことにより、内部にいた人間の犯行とされています。一方ドラマでは、普通の別荘地にある別荘に変更されて積雪もなく、出入口が内側から施錠されていたことにより、外部犯の可能性が一応は否定されています。 *
事件の状況については、地下にある“鬼隠しの井戸”の側で笹部が殺害され、現場には被害者の流した血による犯人の足跡があり、天井の梁には凶器をぶつけた痕が残され、井戸の中から紗知/依子のコートのボタンが発見される――といった基本的な部分は原作とドラマで共通していますが、1.現場に残された足跡の数、2.犯行に使われた凶器、3.朝方に地下から聞こえてきた謎の物音、の三点が大きく異なっています。
*1: 事件の背景が、「むべ山風を」(ドラマ第8話)とかなり似通ったものになってしまいます。そして、こちらは大学の研究室が舞台となっていることもあって、登場人物のほとんどを学生とせざるを得ません。
*2: ドラマでは警察が到着して捜査を行っていますが、原作では事故で途中の道が通行不能となって警察が現場まで来ることができず、執事・山本はヘリコプターでガスコン荘に到着します。 *3: 原作「白きを見れば」より。 ○原作の解決原作での愛香の推理は、手がかりをもとにした三つの条件による消去法がメインで、おおむね以下のようになっています。
これに対して、“亀井”こと貴族探偵に解決を命じられた執事・山本の推理は、以下のように進んでいきます。
最後に残っていた“亀井”こと貴族探偵までもが容疑者から除外され、【容疑者が不在】となったところで、条件に当てはまる人物が盲点から取り出される鮮やかな手順、そしてそれを支える【加害者と被害者の逆転】――事件の構図の(一部)反転が、この作品の最大の見どころであることは間違いないでしょう。また、あらかじめ凶器を持ち込んで準備万端だったはずの笹部が返り討ちに遭ったことに、(それが真実とは限らないものの)手がかりに基づいた合理的な説明をつけてあるところもよくできています。 【加害者と被害者の逆転】が明らかになると同時に、〈アリバイの条件〉以外の三つの条件――〈身長の条件〉・〈ボタンを盗む機会の条件〉・〈雨降りの条件〉が犯人ではなく笹部に帰することとなるので、山本は、笹部が犯行計画を立てたことを前提とする新たな犯人の条件として、笹部が“誰を殺そうとしていたか”に着目しています。
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さて、ここまで見てきた解決の手順の中にも示したように、原作の「白きを見れば」にはいくつかの不満があります。重箱の隅を突くようなところもあり、さほど気にならない方も多いかもしれませんが、ドラマと比較するためにも具体的に説明しておきます。
*4: 紗知は午前と午後の二回、コートを着ないで外出していますが、午後に買い出しに行く予定は全員が承知しており、そこで紗知がコートを着る可能性も十分にあるので、午前中にボタンを盗む危険は冒せないはず――と、愛香は推理しています。
*5: 雨が降ったのは事件発生の前々日で、貴族探偵だけが遅れて事件前日に到着しています。 *6: 凶器の痕に関する山本の推理の有無、あるいは正誤にかかわらず、笹部が凶器を準備していたという推理が示された時点で自動的に、笹部が梁に凶器の痕を残した可能性が生じるため、〈身長の条件〉は犯人を特定する条件たり得なくなります。 *7: 他の容疑者について検討する場合、犯行時にその場にいない紗知のボタンが井戸に落ちていたことになり、偽装工作以外に考えられないのですから、それを推理の根拠とすることができます(【貴族探偵を除外】する推理を参照)。 *8: “疚しいところのない平野様は当然ご自分のスリッパを履いていったはずです。”(原作「白きを見れば」(文庫版)より)という山本の推理を裏返せば、紗知が笹部を殺そうとした場合には、(念のために)来客用スリッパを履いていくことも考えられる、ということになります。 *9: 二度にわたって凶器の持ち主が代わる可能性まで考慮するのは、ミステリの推理としては“現実的”でないかもしれませんが、この作品では直接の証拠がなくロジックだけ――“笹部が凶器を梁にぶつけて取り落とした”というのも(合理的とはいえ)確実ではないことに注意――で、凶器が笹部から犯人の手に移ることを想定した推理が展開されているのですから、“一度はあり得るが二度はあり得ない”とするのは筋が通らないように思います。 ○ドラマの解決ドラマでも、【貴族探偵が犯人】→【容疑者が不在】→【加害者と被害者の逆転】→【畦野が犯人】という大筋はしっかり維持されていますが、前述した事件の状況の改変による影響はもちろんのこと、それ以外にも様々な改変が加えられて、だいぶ趣の異なる謎解きになっています。
ドラマではまず鼻形が、推理を始めようとする愛香を遮るようにして(苦笑)、ひねりのない(失礼)推理を披露します。原作では死体発見後早々に〈身長の条件〉で否定されたものですが、ドラマではボタンの持ち主が判明するタイミングを遅くしてある(*10)ことで、鼻形にも活躍(?)の場が作ってあるところがよくできています。 鼻形の推理を否定するところから始まる、愛香の推理の前半部分は以下のようになっています。
[足跡の数の変更]によって、犯行が停電時かどうか不明となっているため、愛香が消去法に使うのは〈身長の条件〉と〈ボタンを盗む機会の条件〉の二つの条件だけ。そして、ボタンを盗む機会そのものが原作よりも単純化されている上に、この条件によって畦野・横井・千明・朱美が一気に除外されるという具合に、消去法がややあっさりしたものに改変されています。実のところ、消去法による推理は――ドラマにすると今ひとつ地味に映る(*11)せいか――いわば“前哨戦”のような位置づけであって、その後に愛香の見せ場として、(後の執事・山本と同じように)【容疑者が不在】の状態から犯人を取り出してみせる手順が用意されています。
ということでドラマでは、貴族探偵の出番を事件発生後に変更して容疑者の“枠外”に置いておくことで、“意外な犯人”を演出する形になっています。もっとも、キッチンの写真(*12)から貴族探偵と依子の関係が明らかになり、愛香が貴族探偵のアリバイ(*13)を尋ねた後で依子の部屋へ忍び込む――そこで愛香が発見した決定的な手がかり(葉巻の吸殻)が伏せられているのはご愛嬌――あたりで、【貴族探偵が犯人】という愛香の結論を予想することは原作未読者でも十分に可能でしょうし、原作既読者にとってはいうまでもありません。 それでも、容疑者の“枠外”に置かれて事情聴取もされていないこともあって、“貴族探偵犯人説”は具体的な犯行の経緯や動機など不明な部分が多く、それをどのように埋めるかが原作既読者にとっても興味の的であり、愛香の腕の見せどころとなります。原作『貴族探偵対女探偵』での愛香がほぼ度外視していた(*14)犯行の動機についても、ドラマではミステリマニアではない一般視聴者に向けて、“貴族探偵犯人説”にそれなりの説得力を与えるためにある程度筋の通った説明をつける必要が出てきます。というわけで、愛香の推理は後半部分へ。
まず、依子が主張するアリバイに対しては使用人たちが実行犯という推理で、アリバイトリックとしては面白味に欠けるものですが、“雑事”は使用人任せという点で(原作『貴族探偵対女探偵』の“誤った解決”よりも)実に貴族探偵らしい犯行となっているのが面白いところです。また[足跡の数の変更]から、(使用人たちがそのようなへまをするかはさておいて)三人の使用人による犯行という推理に符合する解釈が引き出されているところもよくできています。そして動機も、(ややありがちとはいえ)得体の知れない貴族探偵にふさわしい動機といえるでしょう。 メイド・田中による捜査情報のまとめで“無数の足跡”と並んで重要視されていた[謎の物音]が、愛香の推理では完全にスルーされているのがいただけないところではありますが、犯人の特定には不要なので考慮しなかったということで筋が通らないこともないでしょうし、実際問題としてここに“別の解決”を用意するのは困難だと思われるので、致し方ないところかもしれません。 ちなみに、貴族探偵自身がそのアリバイを保証することになるはずの依子に対して、ボタンの偽装工作で罪をかぶせようとするのは一見すると不合理にも思えるのですが、本気で依子を犯人に仕立てるための偽装工作ではなく、“見破られることが前提の偽の手がかり”――容疑がかかった依子のアリバイを自ら保証することで、他の“ポルパ”参加者による偽装工作だと見せかけるための“偽の手がかり”だと考えれば、“完全犯罪を作り上げる”という動機にも合致するのではないでしょうか。 さて、このような愛香の推理に対して、貴族探偵に正しい解決を命じられた執事・山本の推理は、原作とは違っていきなり〈ボタンを盗む機会の条件〉から始まります。
【加害者と被害者の逆転】は原作そのままですが、[凶器の変更]が地味ながら効果的。原作でも、笹部は犯行後に“鬼隠しの井戸”に 続いて[足跡の数の変更]による〈無数の足跡の理由〉が解明されますが、犯行時の停電自体は原作同様ながら、原作と違って犯人が現場に戻っている――依子が聞いた[謎の物音]から、少なくとも朝7時に現場にいたことが導き出される――のがポイント。映像(再現ビデオ)で犯行時の足跡を目にしてみると(*16)あからさまに不自然で、犯人が隠蔽したくなるのも無理はありません。普通は誰もアリバイなどないはずの犯行時刻(午前4時過ぎ)とはいえ、“ポルパ”がお開きになってから一時間ほどしか経っていないので、犯行時刻の隠蔽にも十分に意味があります(*17)。 そして犯行時刻が明らかになったことにより、〈アリバイの条件〉が浮上してくることになりますが、原作で最後の決め手となった〈標的の条件〉よりもシンプルでわかりやすい条件をこのタイミングで使うために、[足跡の数の変更]で犯行時刻をここまで隠してある(と同時に、愛香の推理では別の条件を用意してある)のが周到です。また、依子が犯人である可能性が〈身長の条件〉に頼ることなく――乱闘の中で笹部が凶器を手にする機会があったか否かに関係なく――完全に否定されることになり(*18)、原作の(不満3)・(不満4)がきれいに解消されるのも見逃せないところです。 かくして、〈アリバイの条件〉により容疑者は畦野と横井の二人にまで絞り込まれますが、そこから先は完全にドラマオリジナルの[謎の物音]の解明を介して、新たな犯人特定の条件が示されます。
まず、〈謎の物音の正体〉とそこから導き出される釣竿については、大胆な手がかりの出し方が秀逸です。そもそも現場にあったわけでもない釣竿は、普通に考えれば事件とは関係のないものであるため、視聴者に示しておこうとするとどうしても唐突になってしまうところですが、それを貴族探偵の一見すると気まぐれな行動の中で堂々と登場させてある(*19)のが巧妙。しかも、それが単なる偶然の結果ではなく、いち早く真相に気づいた貴族探偵の意図的な示唆――いわば〈御前ヒント〉――かもしれない(*20)と思わせることで、貴族探偵の神秘性を演出してあるところに脱帽です。
また、これが小説であれば、例えば 貴族探偵が持ち出した釣竿のライン(釣糸)に錘が付けられていたことなどは、解明にやや特殊な知識(→「フライ・フィッシング - Wikipedia」)を必要とするものではありますが、映像で見る限り明らかに飛ぶ虫を模したフライ(毛針)が、水面に虫が落ちてきたと見せかけて魚を釣るものであることに思い至れば、水面に浮かせて使用するにもかかわらず錘が付いている不自然さにまで気づくことも、不可能ではないように思われます。 いずれにしても、犯行後の朝7時に聞こえてきたリールの音と、前夜の“ポルパ”の回想場面や記念写真と違って畦野が眼鏡をかけていないことを考え合わせれば、犯人(畦野)が“鬼隠しの井戸”に落とした眼鏡を釣竿で回収したという推理は十分に納得できるものでしょう。 そして最後の決め手として示される、原作の〈シャッターを片手で開けた理由〉を巧みに“変奏”した〈シャッターの条件〉がお見事。運転手・佐藤が倉庫のシャッターを開ける場面と、これ見よがしに(?)骨折している横井の姿を見れば、それが何らかの形で使われることは予想できるでしょうが、“片手で開けるのは困難”というストレートな――ただし原作とは“逆方向”の扱いをしてあることで、原作を読んでいると混乱させられてしまうところがよくできています。
*10: 警察が現場まで来ることができない原作と違って、愛香が自身で捜査をせずに警察の到着を待っているため、ボタンの発見自体が遅くなっています。それによって、捜査の最中に執事・山本がボタンを井戸に落としたという、愛香の推理が成立するようになっているのも見逃せないところです。
また、ボタンの発見時に依子がその場にいないため、依子のものだと判明するのにも時間がかかっていますが、視聴者には依子が登場してすぐに映像でさりげなく、左袖のボタンが一つなくなっていることが示されています(→ふじこさんのツイートを参照)。 *11: 容疑者を絞り込む条件そのものにサプライズがあるか、あるいは霞流一『デッド・ロブスター』のような演出がされていれば別かもしれませんが……。 *12: 余談ですが、ここでテニス姿の写真が出てきたのは、原作「なほあまりある」(ドラマ第10・11話)のテニスの場面がカットされた代わりなのかもしれません。 *13: “ポルパ”の後に誰も部屋を訪れなかったか問われて、依子が “そう……だね!”と一瞬迷いながら返答しているのもうまいところです。 *14: 容疑者が限定された状況での消去法がメインで、犯人を特定するのに動機まで検討する必要がないということもありますが、貴族探偵の正体を知らずに推理する「白きを見れば」や、貴族探偵の恋のライバルが殺される「色に出でにけり」はまだしも、ほとんど動機が想定できない「むべ山風を」や「幣もとりあへず」でも貴族探偵を犯人と断じているのが、(ある意味)すごいところです。 *15: キッチンにワインを取りに行ったのが停電の復旧後であれば、愛香の推理が完全に否定されることになったのですが、それは多くを望みすぎでしょうか。 *16: 使用人たちによる再現ビデオで、足跡が白い粉で再現されているのは、原作のタイトル「白きを見れば」になぞらえたもの……というのは穿ちすぎかもしれません。 *17: 実際に、畦野と横井以外のアリバイが成立することになっていることを考えれば、いうまでもないでしょう。 *18: 〈アリバイの条件〉もここでようやく出てくるものですが、依子のアリバイそのものも、愛香が貴族探偵を告発して初めて持ち出される“隠れアリバイ”となっているあたり、よく考えられていると思います。 *19: しばしば探偵役によるドタバタ劇の中に重要なヒントを紛れ込ませる、カーター・ディクスン(ジョン・ディクスン・カー)の手法を髣髴とさせます。 *20: 貴族探偵が“釣りがしたい”と言い出したのは、依子が[謎の物音]の証言をするよりも前なので、手がかりに基づいた推理の結果ではなく『神様ゲーム』の“鈴木くん方式”のようにも思われますが、依子から先に聞いていた可能性もあります(貴族探偵がガスコン荘を去ったのが午前7時過ぎかもしれない)し、もちろん単なる偶然ということもあり得るでしょう。 ○まとめ前述のように、原作「白きを見れば」にはいくつか不満があるのであまり評価できない――改稿前の単行本版は麻耶雄嵩作品でワーストとも考えている――のですが、脚本の黒岩勉をはじめドラマ制作スタッフも同じような不満を抱いたのか、ドラマでは事件や推理の大筋については原作を踏襲しながらも、[足跡の数の変更]、[凶器の変更]、[謎の物音の追加]、そして[貴族探偵の出番の変更]といった改変を加えて、思いのほか細かい部分にまで気を配って再構築してある印象を受けます。 原作者・麻耶雄嵩には申し訳ないかもしれませんが、正直なところ、原作よりも格段によくできていて面白くなっていると思います。原作をドラマにあわせて適切に“翻訳”しただけでなく、原作の“穴”までふさいでしっかり完成度を高めた、最高のドラマ化というよりほかないでしょう。 | |||||||||||||||||||||||||
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