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最終更新日03/06/30

コラム

コラム116

外交的

 人間は極端に分けると『外交的』か『内向的』に分かれます。
すでに内向的な事に関しては閉鎖的で多少話しましたが・・・。
私は元々は内向的の方でした。それが今ではある程度は外交的に変わりました。

当時の私の趣味にも影響しましたが、パソコン、TVゲームが趣味ならば案外一個人でする趣味なので外に出て他人と接して遊ぶと言う行動が少なくなります。
その為、自ずと他人と接する機会も減るので、同じ趣味の学生時代の友人に依存する為、新たに他人と接する事があまり無くなり、最終的には知らない人と接するのが面倒になってしまい他人との接点を自ら作る事が無くなります。

友達として人と知り合う事と違って仕事で人と知り合う事は誰でもある事ですが、仕事などで人と知り合うと言うのとプライベートで人と知り合うと言うのはまったく意味が違うと僕は考えています。
又、多くの人と接するまたは多くの知り合いがいるから外交的と単純にいえません。
何故かと言うと、
例えば、仕事は必要に迫られて対人関係をしている事が多く、自ら望んで他人と接している事ではありません。(会社で知り合った人と遊ぶ事は有りますけどね)
そして、
趣味友達が多いとしても、それは趣味に依存する形であり趣味などの接点として楽な共通点以外の人付き合いを要求される場合には多方面の情報、知識が要する場合になると他人と話をするのが苦手な人も案外多いからです。
(上記の内容はパソコン、TVゲーム系の趣味の人に多い気がします)

実際、趣味から他人と接するのは一番楽なんですが、趣味以外の話を出来る人は、やっぱり経験を積んでいる事が一番大きい要素です。

私が職場の先輩で「親友の意味」を教えてくれて人に言われた事で「歳相応になってから他人との接し方をいざ、やろうと思っても経験を積んでいなければ他人と接する事が不器用になってしまう」・・・そして、「若いうちは接し方が下手でも不器用でも許されるからいっぱい遊んで、いっぱい行動(バカ)しろ」と言ってくれました。
その時の言葉に僕が妙に感心した記憶があります・・・。
今、振り返れば、
私の歳(30歳ぐらい)で人の接し方が下手だとすると回りの人たちは年齢で判断します。
その為、
付き合いが下手でも良いとは周りは見ませんし、若いから許されると言う事はもうありません。
だからこそ、若い時の行動や考え方が大切だと思っています。(中々出来ませんけどね(苦笑))

外交的と呼ばれる事が難しいですけど、他人との接点を大切に行動していれば、ある程度の外向性は無意識に身につくものです。
ただ、それ以上の外向性となるとものすごく難しいです。
「人と精神的に向き合う事が出来る人」「価値観の違う人間に歩み寄れる事」など・・・・・・ムズイ話です。
これらについては今までの精神面の話の中で私の考えは多少なり話してきていますが・・・・・。

私から見て本当の外向性とは他人に合わせてさり気なく接し方を変えられる人。
そして、年齢、性別を問わず多くの人と接する事が出来て、周りから好かれる人を「外交的」と言われるのだと思います。
今迄、話してきたような理由から私の中では、
人前で話が出来る事を単純に「外交的」との位置付けでは私は見ていません。
一般的には人前で話が出来れば(上手ならば)外交的と思われがちですが・・・・・・私個人としては違うと思っていますが・・・。

外交的と言う人は案外、一般的に人との接点を苦手とする人が多い中で、本当は・・・・一握りの人しかいないと思っているのですが・・・それでも、私の周りに本当に外交的と呼べる人達に会えた事は私としても良い経験でした。
それらの人たちに私自身が感化されたのもまた事実です。
そして、そう思える人達が今、私のHPを見てくれているのも嬉しい事です。

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