STEEL

最終更新日03/09/16

コラム

コラム131

何を常識と言うのか?

 コラム129の続きです。(コラム129金銭問題を読んでいない方はこちらを見てから続けて読んでください)

今時点で、めちゃくちゃ疲れ果てました・・・・・・。

私自身の常識として考えていた価値観と貸した相手が持っていた価値観があまりにも違う結果を認識する為だけだったからです。

今回の問題に対しては公にしたことにより間に仲介人を挟む形で対応してもらいましたが、仲介人から事の真相を知らされた本人から私への電話に対して、「私は仲介人に任せる」と言った都合上、本人からの電話を取らなかったのですが、メールで「返さないつもりはない」と言う内容のメールが来た時・・・・・ものすごくがっかりしました。

私が困っていた相手に対して、お金を貸した本当の意味を無にする行為たったからです。

「つもりがなかった」と言うのならば、何で月々少しでも支払いをしてくれなかったのか?もし都合があるのならば、理由を言って次回に回すだけの言葉を私に何故言ってくれなかったのか?

すべては今更言ってもすべてが無駄ですけど・・・・。

私が持っている常識が全然通用しない人がいる事を改めて知りました。

私は今回の結果に対して悔しくて悔しくて涙が出ました。

私が当時、その問題の人物にお金を貸したのは『思いやり』からだったのですが、貸した理由は『好意が在った』と言うだけでなく・・・・昔、私が知り合いだった人の過去と現在の出来事に絶えられずに逃げ出して・・・その人の前から消えてしまいました・・・・その人は僕だけを本当に頼っていた事を知っていた事実は、私の中で逃げ出した事実から,一種のトラウマとして未だに存在しています。
その後、その方は幸せになったようですけどね・・・。
だから、
今回の時に、逃げ出さないで出来る限りの事をしたつもりですが相手はその行為に対して、私と全然違う価値観で判断していたようです。

今回のような結果になってしまった以上、もはや金銭に関わる事は今回に限らず何が在っても他人と関わるつもりは在りません・・・・お金の存在は揉め事しか産まないと僕の中で判断してしまったから。

公になった事で相手の方は、間違いなく公にした私に対して恨んでいるでしょう・・・・・。

どちらが「正しい」とか「間違っている」とかではなく人間の価値観はあまりに個人差があり、簡単に自分の価値観で理解したり決め付けてしまう事が出来ないと言うのが私が判断した結論です。

今回の問題については、貸した人、貸すに至った経緯、そしてその後の結果とすべての真相についてを話した友人は、計5人です。

もちろん、私が話して良いと思った人達にのみ話したつもりですが、この人達に全てを話した結果、自分がこのまま悩んでいても「何も産まない」と判断する要因を作ってくれたのは、この人達に話したお陰で冷静になれた為です。

聞いてくれた人達が「何かしてくれた?」と言うのではなく、あくまで各個人の考え方や意見を私に話してくれたのみに過ぎませんが、私が「自分としてどうすればいいのか?」・・・・他人の意見の上で冷静に考えるきっかけは作ってくれました。

自分自身で考えて次に進むのが正しい行動だとしても、人と話す事で、もう一度、『自分の考え方をまとめ直す』と言う意味で考えると友達や友人の存在は大きいです。
それと今回の経験は、所詮、私と言う人間が接する事が出来る人々は、それ程、広い範囲ではなく、ある程度、狭い領域の人々に限られてしまうのかな・・・・と考える出来事でした、言い切ってしまうと悲しいですけど、実際に多くの交流を続けるとなると『自分を出せる幅』と言うのも人も場所も限られるものなんだろうな・・・と思いました。

自分の価値観で常識と判断していた事に対して、相談した人を始め、私が交流のある人達は、今回の金銭的な価値観に関しては、ある程度は同じ価値観をしていると思いますが、それが全然通用しない人もいる事は・・・・何も言えない気持ちになりました。

最後に、特に今回の問題に対して親身に相談に乗ってもらったKさんに感謝します。

今回の話が全て決着すれば、コラムの中でまとめたいと思っています。

今回の出来事に対してコラムの中ではかなり感情を殺して書いています。

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