総合冥想部門

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                このページの内容     ダンテス・ダイジの人と思想

       『素直になる』の紹介
             
        『最高に生きたい』の紹介

               『君がどうかい?』の紹介

        『十三番目の冥想』の紹介

               ダンテス・ダイジについて

     

  ダンテス・ダイジの説明は下にあります。

  ダンテス・ダイジ(雨宮第慈)の講話録を
 
 紹介しています。

  購入希望の方は書籍の紹介のページ
  ご覧下さい。

   現在 『十三番目の冥想 雨宮第慈講話録1』
   『君がどうかい? 雨宮第慈講話録2』       
      『最高に生きたい 雨宮第慈講話録3』  
   『素直になる 雨宮第慈講話録4』     
      を紹介中



 

     

『素直になる 雨宮第慈講話録4』より

本書については書籍の紹介のページも御覧ください。

ダン「うん。よく救世主というか、偉大な聖者というか、そういうものっていうのはさ、一つの時代に一人いるとか

さ、いろんなこと言われるでしょ。それはサットグルとかなんとかいう(笑)。

いいじゃあないか。そんな固いこと言わなくても。うん?何故ならね、救世主っていうのは人間を、全ての人間

、そしてこれをこの服を表現しているその元のものだ。救世主っていうのは人間だよ。人間の中に救世主がある

んじゃあない。救世主の中に人間やいろんなものがあるんだ。命たち。だから『救世主は全ての場所と時間を通

じてただ一人しかありえない』うん。全ての場所と時間を通じてただ一人しかありえないんだ。
つまり、宇宙がい

つ始まったか知らん。いつ終わるかも知らん。でもただ一人しかいない。そんな幾人も出てきやしないから。

幾人も出てきたと見えるのも、ただそういう目で見たからに過ぎない。それはどんな形も持ってない。

一人の人間の中に救世主を見たらね、きっと行き詰まりが来る。もっともその一人の救世主の中に、ただ

一人人間としての救世主の中に、無限の救世主っていうのを見る、というような形でもって救世主と出会ってる

とする、それはもちろん決して行き詰まりは来ない。だけど救世主っていうのはそれだけじゃあない。何かこの

世の果てまで行き着いた人、それを指すんじゃあない。救世主っていうのは、今ここにいる君達すべてだ。

(P168)


     

『最高に生きたい雨宮第慈講話録3』より

本書については書籍の紹介のページも御覧ください。

M「キリスト教で言う内在のキリストと仏教で言う仏性というのは同じものなんですか。」

ダン「同じものです。ただし同じものだけど注意してほしいのは命そのものにおいては同じなんだけど、個性にお

いては違うということ。それは信仰にも関係するんだけど、本質的な個性ということと、神でも絶対無でも実相で

もいい、君は今、実相の本を読んでるからね、その実相ということと個性というものは切り離すことができない形

で存在するんだ。例えばよく宗教というものをただ額面通りに読むと、個性というものを否定して完全に帳消しに

してゼロになって無我になってそこが悟りだ、ということを言うんだけど、そうじゃない。実相というものが厳然とし

て存在していて、実相的個性というものがみんなに備わっているんだ。」

M「その個性というのは、いいも悪いもないんですか。」

ダン「ない。絶対的にいいことだ。」

M「別の言葉では魂と言ってもいいんですか。」

ダン「うん、いいよ。みんなどっちかを選ぶよ。タイプによるんだけど、厭世的というかこの世の全体を否定してし

まうという性分の人だといきなり実相そのものの中に飛び込もうという形で生きていくよ。そうではなくまだこの世

の中に魅力や心ひかれる部分をもっている人の場合だと、自分自身の本当の個性に出会おうとして生きていく

よ。」(P7〜8)



     

『君がどうかい? 雨宮第慈講話録2』渡辺郁夫編より

  本書については書籍の紹介のページも御覧ください。

一人の人間の本当の生きがいとかさ、一人の人間の生きていく本当に生きる場所とかいうのは、数学のような共通

の約束ごとに立ってはいないんだ。例えば君はおふくろさんを絶対と言うかも知れないし、おふくろさんを神と言うかも

知れない。純粋宗教の場合に、それが自分のバイブレーションと密接に結びついていた場合、誤解しやすいんだ。科

学的な客観性を持っていたら、それはたいした意味はないよ。もちろん、冥想中に、呼吸とか心拍とか脳波が変化す

るというのは科学的なものだよ。それは生理学的なものだよ。だけど、それは純粋宗教とは何の関係もない。ただ、

そっちからそれを見つめたに過ぎない。イエス・キリストだって、フロイドが何かの精神分析学者にかかったら、精神

分裂病になつてしまうかも知れない。

 

 大切なことは君がどうかいだよ。君がどうかい?いい?君がどうなのかということさ。そして、君が生き生きしている

か、君がOKか。君がOKならさ、君は今度は共通の約束事の中でさ、本当に役立つことができるよ。そういう約束事

の世界を越えたものだから、宗教は。越えたものじゃなきゃあ、絶対じゃないじゃないか。」

 

 冥想それ自体というのは、完全にその人をその人自身に自覚させているということを確認しているものだ。であっ

て、それは全くカラーがない。どういう風に生きなくてはいけないということを全然与えてくれない。それは宗教でさえな

いから。もし宗教なら、宗教的人生を生きたいとか生きなければならんとなるかもしれない。そうすれば、いろんなそ

れらしい姿というのを選んでいかなくちゃあならない。だけど冥想そのものはそうじゃないんだ。だから冥想から宗教

家になる人もいる。冥想から詩人になる人もいる。冥想から遊び人になる人もいる。冥想から武人になる人もいる。

冥想から政治家になるやつもいれば、冥想からパン屋になるやつもいる。冥想から乞食になる人だっている。ただ冥

想というのは、完全にその人間というのが絶対そのものである、絶対というのも愚かなぐらい絶対そのものであるとい

うことを確認させるもの、そしてそこから自然に流れ出して彼自身の人生を歩ましめるもの。ただその限りにあるだけ

なんだ。あとどのような生き方をしようともう全然関係ない。それはその人自身が持って生まれた本性。冥想を冥想自

体の中で戯れる人というのは主に、禅で言えば魔境、意識のレベルの中でいろんな世界があるわけ。霊の世界と言

っていい。その中だけで充分もう楽しめるというのかな。早い話が誰にも会わないでさ、こもって、今日は仏界の方に

旅したとかさ、今日は、金星の方に幽体でもって行って来たとかさ、それだけでもう充実しちゃっているというの。そう

いうのは、冥想の冥想者にあたるわけだ。幻想家と言ってもいい。神秘家と言ってもいい。だから冥想の何々、という

風になるわけ。冥想のパン屋さん。冥想のおまわりさんとか。」


     

 

『十三番目の冥想』雨宮第慈(ダンテス・ダイジ)
          講話録 渡辺郁夫編より

  付録として『原典救世主入門』が入っています。

  本書については書籍の紹介のページも御覧ください。 
 



   『君達にはいつでも選択が任されている。別の未来、
    
    そして別の過去も。』



 ダン「ここで肝心なことは、未来はともかく、過去は固定的なものだと考えているでしょ。動かすことのできない

ものとして。そうではない。もし心が本当に素直な状態になったらね、過去さえも変わってしまう。  例えばね、

早い話が、俺がここに憎しみの心でいたとするだろう。そうすると、周りの人は皆は恐ろしがる。もし愛の心でいた

ら、とか…ものの見方というのは無数にあるんだ。そして、段階に応じて変わってくるんだ。ある人間にとって悪いこ

さ、もっと高い目から見たら、ものすごくいいことがあるかもしれない。だから運命学の限界というのはそこにあるん

だ。占いとかね。それは一つの立場からしかものの見方を教えないんだ。だけど実際はそうじゃない。もっと無数の

目がある。悪いことに見えても、ものすごくいいことがある。そういうものがある。そしてそれは何によって支えれる

かというとね、一番自分の中にある素直な優しさ。もし君がさ、優しい目で自分と周りを見るとする。そうすると、

どんなに優しい一つの神秘的な流れがあるかがわかる。
 
 ええとね、正確に言うと、冥想によらないで人間が進化するということはあり得ない。絶対にあり得ないんだ。

そういうふうにできているんだ。それはものすごく偏った見方のように受け取られるかもしれない。だけどそうじゃ

なくてね、ええと、それは、今の科学的な合理的な考え方の中にあまりに染まっているから、その価値がわからな

いんだ。だからよくインテリが,『歎異抄』を読むでしょ、親鸞の。ところがちっとも南無阿弥陀仏をあげないんだよ。

読むだけで、ああ、なんて、哲学的に理解するばかりで、ちっともあげやしないんだよ。ところが親鸞が,歎異抄を

書いたのは(正確には弟子の唯円が、親鸞の言葉を書いたもの)、南無阿弥陀仏ってちゃんとあげてほしいため

なんだよ。だからみてみな、聖者と呼ばれる歴代の人物は皆やってるだろ。やらない人なんて一人もいやしない

じゃないか。クリシュナしかり、釈迦しかり、イエス・キリストしかり、マホメットしかリ、老子しかり。

 そしてもう一つ言えることは、ただし、冥想というのは、一つの座ったりというような形だけではないということ。

ある人間が、本当に素直な生き方を通している時に、ぶつかった壁というのを、心をかたくなにしないで、

素直にぶつかった時、自分が本当に解放されるといったこと、それはもちろん冥想。

 例えば、俺の最初の恩師である、老子の生まれ変わりの人(伊福部隆彦氏、人生道場の主宰者であった。故

人。)はさ、女房とのけんかがもとなんだ。あの人はそれまで冥想という一つの決められた行というものを全く

信じない人だった。奥さんというのがものすごく勝気な人で、インテリで、二人していつもけんかばかりしていたん

だ。毎日考えるわけ。女房も悪いところがある。俺も、悪いところがある。何としてもこういう生活を改めなくちゃ

ならない。そうしてそれを毎日のように考えて、またけんかをするんだ。そして女房も悪い。しかし自分の中にも

悪いところがあるとまた考えるわけなんだ。ところが、ある日ふと思ったんだ。女房の悪いところを指摘したって、

それは自分の都合だし、自分の悪いところを指摘したってそれに対して知的理解を得るだけで何も起こりはしな

い。その時思う。ああ、こういうことをやっているよりは、今一番自分が素直にやりたいことをやろう。そして机に

向かってさ、原稿を書きだしたの。それがなすべきことだったから。心ある道だったから。その人にとって。そして、

その瞬間、それまで、神というのはどこかよそにいると思ってた。あるいは、そんなものは人間の想念の作り出した

空想だと思っていた。それがそうじゃないことがわかった。神しか本当には存在していないことがわかったんだ。神

が様々な姿をとって、一つの道を、一つながりの愛を。
  
 うん、そして、別の未来、別の過去の選択ということなんだけど、選択というのは、肉体人間の立場から書かれて

いる。本質的には選択するんじゃなくて、流れそのものになるんだ。流れそのものになったとき、肉体人間の側から

見れば、あたかも、自由に選択したように見える。で、絶対の白由というのは、絶対の不自由。例えばね、絶対

の自由というのはさ、チューリップはチューリップとして咲くこと。ひまわりは、ひまわりとして咲くこと。桜が桜と

して咲くこと。だから、それは絶対の束縛でしょ。自分の与えられた流れは桜かもしれないし、それとも雑草かも

しれない。でもそれを咲くことだ。だからそれは、絶対の白由であり、同時に絶対の不自由。ところが、頭で理解

した自由というのは、そうじゃない。桜のくせにチューリップになりたがったり、なれると信じ込んじゃう。そういうこ

と。でもそうじゃない。一番自分にふさわしい流れというのは、既にあるんだ。その流れに自分達が一致した時、

そして一致させるためには、素直になることだ。一致した時、ほんとにその人は安らぎを得る。そういうわけで、

別の未来、別の過去ということは、あなたがあなたに忠実になったっということ。」 (p31〜p32)


     

ダンテス・ダイジについて
  

雨宮第慈、如意第慈の名も用いています。ダンテスの名は『十三番目の冥想』に述べているように、過去世

での名の一つをとっています。なおダイジは現在知られている歴史に残っている名ではインドのクリシュナ神の

実在のモデルであったと述べています。

本名は雨宮第二、旧姓は大塩で、学生時代までは大塩であったようです。姓が変わったのはお母さんの結婚の

関係と聞いています。伊福部隆彦先生のご子息である高史さんとは高校時代の同級生と聞きましたが、高史さん

は大塩と呼んでいました。その縁で、伊福部先生と会ったようです。伊福部先生からは印可を受け、杖をもらっ

たそうです。

1950年2月12日東京生まれ。

十七歳で神に目覚める。この時のことは、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』にテレビを消したときのこと

として書かれています。なお私がダイジよりもらった「死の二の助言」という肉筆原稿には、大塩第慈の署名

のあとに、私にくれるときに書き加えたと思われる「(16才の時) 如意第慈」の署名があります。その内容は

これが十六歳かと思われるようなものです。筆跡もすでに後年のものと同様です。

十八歳で只管打座により大悟徹底。この時のことは、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』に伊福部先生

の詩を読んでいたときのこととして書かれています。伊福部先生と同様に、道元禅をダイジは高く評価し、

その関係か曹洞宗の大学である駒沢大学の仏教学部に進みますが、中退したようです。

ただ大学時代に講義を受けた先生の中には、悟った人もいて、そういう先生(横井覚道師)とは本気でやりあった

ことをなつかしく話すのを聞きました。

なお大本教や生長の家でも勉強し、私には出口王仁三郎の本をくれました。『十三番目の冥想』の後書きに書い

ているように、私との冥想中に、ダイジが王仁三郎の歌を歌いましたが、本当に心に響くものでした。

生長の家の谷口雅春師には会ったことがあるそうです。ふだん神道の話はそれほどしませんでしたが、神道

を体得したそうです。

その後沖縄にいましたが、沖縄時代に首里の臨済宗万松院の木村虎山師と出会い、臨済禅でも大悟していま

す。

その後1977年に東京に帰り、そのころのことが『十三番目の冥想』に書かれています。その後インドに行き

ますが、シャンバラに行って来るといいました。私はシャンバラはこの世のものではないと思っていました

のでどうしてインドなのかと尋ねましたが、ダイジはインドに入り口があるのだと言いました。私はダイジはもう

帰ってこないのかもしれないと思いました。ダイジを一カ所にとどめておくことは無理なのです。(ただし

『十三番目の冥想』にカルカッタでのことが書かれているように、ダイジがインドに行くのはこの時が初め

てではなく、在学中か中退後に行っているはずです。)

インドではババジに会い、クンダリーニヨーガを伝授され、クンダリーニヨーガで体外に出たそうです。ダイジが

37歳で亡くなったとき、驚きはしたものの、ある程度冷静に受け止められたのは、インドに行く前後のこと

があったからだと思います。

そもそもダイジとの関係は普通に考える師弟関係とは違っていて、「君は君になれ」といつも言っていましたから、

頼ったり、よりかかったりすることができません。ダイジも自分のコピーを作ろうとはしませんでした。道場(それ

らしいもの)があった時期はありますが、教団など作る気はありませんでした。そういうことを期待した人は

当てはずれだったろうと思います。噂を聞いて、一二度だけ会ったという人が多いと思います。ダイジは

すべて見透かしてしまうので、一二度会ってそれが分かってしまうと、もう会えなくなるのだと思います。

ダイジが自分の恩師を伊福部隆彦先生、木村虎山師、ババジの三人としているのは、以上のような経緯によりま

す。

東京では、沖縄から帰ったころは、両親のおられた三鷹に住み、インドから帰ってからは青梅、さらに福生と

移りました。

福生にいた死の前年86年に『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』という本を出しましたが、この本には

ダイジの住所と電話番号が書いてありましたので、連絡を取った人も多いと思います。この本は冥想方法の解説

で、本が出るまで我々はそのコピーをもらい、参考にしていました。

1987年12月11日遷化。その死の意味はいろいろうけとり方があるでしょうが、私は冥想の延長上にあると思っ

ています。自らの意志で肉体を離れたのだと思います。

1989年に『アメジスト・タブレット・プロローグ』が出ました。この本は『救世主入門』の延長上にあり、一般の人に

もわかりやすいと思います。これも我々は生前コピーをもらって参考にしていました。

1990年に『絶対無の戯れ』が出ました。一種の詩集です。この中の詩は部分的には見たことがあるような気が

しますが、ほとんど遺稿と言っていいのではないかと思います。残念ながらこの本は今は絶版のようです。

なお、ダイジの死後に出た二著作の編者となっているのは、ダイジの母方の従弟である南雲浩一(浩乙)さん

です。『十三番目の冥想』に登場します。南雲さんと私は早稲田の東洋哲学専攻の同窓です。南雲さんの方が

年長ですが、大学の仏教青年会で知り合い、専攻も同じになりました。私がダイジと知り合ったのは、南雲

さんの紹介です。南雲さんはダイジの死後は道院(道教寺院)に入り、その後離れたと聞きました。『十三番目

の冥想』は、東京では南雲さんを通じて配布しました。

ダイジは結婚はしませんでしたが、佐藤のり子さんという人と住んでいました。のり子さんはダイジの死後、

石垣島に移ったと聞いています。

ダイジの指導を受けた人のその後は様々です。一人一人が心ある道を歩むというのがその教えでした。

私は教員となり、大学時代以来の浄土教の勉強を続け、その他のテーマも含めて、研究と著作を続けていま

す。『十三番目の冥想』に出てくる中広君は私の友人ですが、広島で会社に勤めながら、大学時代以来の

修行を続け、真言宗の僧侶になりました。会社勤めは続けながら、根気よく人生相談に応じています。

一度ダイジの原稿を整理する必要があると思っています。また何かありましたら追加したいと思います。


   ダイジの他の著作(私家版)・講話録 (いずれも現在は頒布していませんので、ご了承下さい。)

『超宗派的冥想』(1976年発行)

 副題が「自己解放の手引き」。 ダイジが沖縄時代に書いたもので、冥想の意義を述べた上で、

 主な冥想法を解説したもの。 パンフレット状の薄い冊子(B5版17ページ)です。

 その内容にクンダリーニ・ヨーガを加えて、大幅に増補したものが『ニルヴァーナのプロセスと

 テクニック』と言えると思います。初期のダイジを知る上での資料的価値はありますが、内容的には

 『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』にほぼ包含されます。   

『メディテーション・トラベル・ガイド』(1978年発行)

 ダンテスの特色を述べた序文に続き、『原典救世主入門』とその他のアフォリズムから成るA5版の冊子。

 『原典救世主入門』の解説の講話録が『十三番目の冥想』です。『原典救世主入門』は『十三番目の冥想』

 に付録として入っています。

  (追記)『君がどうかい?』に『メディテーション・トラベルガイド』の後半部分の朗読が入っています。

『窮極講義』(講話録)

 『臨済録』の講話録で、禅的な内容ですが、原典を離れても成立する内容です。

 渡辺録音のテープを手書きで起こした小冊子。なお冊子には題名も奥付もなく、『窮極講義』という

 のは元になった私のテープに付けていた仮の題名で、ダイジが付けたものではありません。

 他にダイジの講話、質疑応答をまとめ、ダイジの目を経たものとして、渡辺編『随時説法』があり、 

 これらの講話録は今後出版の予定です。 講話録としては『十三番目の冥想』が最も長くま 

 とまったものです。

 (追記)『素直になる』の第十章が『究極講義』に当たります。

 

その他のダイジ関係書籍としてブルー著『ぬけがら日記』(1999年無明庵発行)があり、「古書大予言」

(書籍の紹介のページを参照)で扱っていますので入手可能です。その後半にダイジの思い出が

書かれています。著者のブルーさんは、晩年のダイジに4〜5回会ったという人です。

この日記はブルーさんのホームページに載せられていたものだそうですが、現在そのページは

閉鎖されたとのことです。

 

ダイジの思想を知る上では、『アメジスト・タブレット・プロロ−グ』と『十三番目の冥想』がいいと思います。

『十三番目の冥想』は講話録ですので、思想のみならず、雰囲気や語り口が伝わると思います。

ダイジの行法は、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』に書かれています。ダイジの指導した冥想法は、

ほぼここに尽くされていると思います。他にハタ・ヨーガや導引術も指導していました。私は導引術の一種

である八段錦を教えてもらいました。(市販されている八段錦のテキストのものとは形や呼吸法が若干異な

ります。)これらは、冥想の前後に組み入れることで、冥想に入りやすくし、また心身のバランスをとるための

配慮であったようです。ダイジはインド、中国、日本の主な行法はほとんど修めていたと思います。その中

から相手に合ったものを教えていました。


     

2012年9月28日発行の
「サンガ・ジャパンVol.11」(季刊仏教誌)に渡辺の書いた
「ダンテス・ダイジの説いた冥想」という記事が掲載されました。
サンガ出版http://www.samgha.co.jp/

ダンテス・ダイジの説いた冥想」              2012年7月 渡辺郁夫

一 ダンテス・ダイジについて

 ダンテス・ダイジは一九五○年に東京で生まれた。ダンテス・ダイジの名は出版に当たってのペンネームあるいは冥想家としての名で、一種の法名のようなものと言っていいだろう。その名から時折外国人と思われることがあるが、両親とも日本人である。俗名は雨宮第二。雨宮第慈、如意第慈とも名乗った。二十代半ばまでは旧姓の大塩第二の名だった。

 物心がついて早くも小学校時代から禅を始め、高校時代には老子道の大家で人生道場無為修道会を主宰していた伊福部隆彦に師事する。高校時代の十七歳の時にすでに最初の見性体験をしている。伊福部隆彦は多才な人で、詩人で文芸評論家であり、書家だったが、老子の説く「道」に目覚め、『老子眼蔵』他の老子関係の著作を多く残した。また伊福部隆彦は道元を高く評価し、道元の『正法眼蔵』についての著作もあり、曹洞宗の老師と交流が深かった。伊福部隆彦が主宰した人生道場無為修道会は老子の「道」を学ぶのが主眼の会だが、実際の修行としては道元の曹洞禅である黙照禅、只管打坐を取り入れていた。

 ダイジも道元とその只管打坐を高く評価し、その関係だろうが、曹洞宗の宗門大学である駒澤大学で仏教学を学んだ。駒澤大学では横井覚道に師事している。さらに各地の禅寺を遍歴し、曹洞禅と臨済禅を修めた。臨済禅では沖縄首里の万松院の木村虎山から印可を受けている。また大本教と成長の家でも修行し、古神道の大要を体得したという。道教と、それと関係の深い太極拳も修得し、渡辺はダイジから太極拳の一種である八段錦の指導を受けた。渡辺が習ったものは出版されている太極拳の指導書とは一部形が違っている。太極拳は冥想の補助行として行われるものだが、それ自体が冥想ともなるものだった。さらに日本での修行だけではなく、インドに渡り、インドではババジから直接にヨーガの奥義を授けられている。このようにダイジは二十代までに冥想の武者修行のような形で、仏教、老子道、道教、神道、ヨーガと、東洋の主要宗教とその冥想行を修めている。大本教では「万教同根」、成長の家では「万教帰一」を説くが、ダイジも同様で全くの超宗派だった。

 読書量も幅広く極めて豊富で、講話録からわかるようにあらゆる宗教の本を読んで理解していた。教祖と言われる人のものは当然読んでいたが、近い時代の宗教家、哲学者、作家もよく読んでいた。評価していたのは日本では最初の恩師である伊福部隆彦を筆頭に、出口王仁三郎、谷口雅晴、植芝盛平、浅原才市、村田静照、久松真一、玉城康四郎、森潔、、佐保田鶴治、本山博、少し古いところでは黒住宗忠など。海外ではいずれもインド出身のクリシュナ・ムーティとバグワン・シュリ・ラジニーシ(和尚)、少し時代が遡るが同じく近代インドのラーマクリシュナとヴィヴェーカーナンダ、またカルロス・カスタネダの語るドン・ファン・マトゥス、ヘルマン・ヘッセ、レイ・ブラッドベリ、リチャード・バックなどだった。後世の人が見れば二十世紀は諸子百家の時代に見えるだろう。ダイジもその中に、いやむしろそこからはずれた所に名誉ある地位を与えられるだろうと思う。

 これらの宗教家の中でとりわけ評価が高かったのは、当然ながら恩師の伊福部隆彦と、またクリシュナ・ムーティだった。ダイジは伊福部隆彦の詩を読んで見性しているが、伊福部隆彦とクリシュナ・ムーティは著作を読むことがそのまま冥想になるような人だった。また特定の教義の信奉をさせることによって宗教とはしない点も二人への高い評価の理由だったのだろう。仏教で顕教と密教という言い方があり、「顕密」と言うとそれが全仏教を表すことがある。この「顕密」を世界のあらゆる宗教に拡大した「顕密宗教」がダイジの世界と言えるだろう。そのように全てを修めながらも、ふだんは顕教の方を表に出していた。伊福部隆彦とクリシュナ・ムーティは顕教の代表的存在と言えるだろう。

 これだけの幅があるので、講話においても当然用いる宗教用語が豊富である。一般的には、宗教家はその用いる用語によってその宗教をほぼ特定することができるが、ダイジの場合にはそれはまず当てはまらない。当然のことながら伊福部隆彦やクリシュナ・ムーティと同様に、特定の教えを説く宗教家というイメージでダイジを捉えきることはできない。本来はダイジに肩書きを付けるのは無理でありまた不要なことだが、必要上強いて仮に付けるとしたら「冥想家」であり、またその教えは「冥想道」とでもなるだろうか。

 ダイジはこのように全くの超宗派だったが、指導の際には、それぞれの教えの違いを活かす形で、各個人の適性に合わせて個人指導をしていた。一般に理解しやすい形としては、坐禅老師、ヨーガ導師と言っていいだろう。指導者としては二十七歳の一九七七年の年末から東京で冥想の個人指導をした。それから十年後の一九八七年、三十七歳にして東京でこの世を去った。十七歳で見性してから二十年。まれに見る早熟にしてしかも早世だった。

二 著作と冥想指導

 著作としてダイジの生前に出版されたものは一九八六年、ダイジが三十六歳の時に森北出版から出版された『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』だけである。ダイジは出版の翌年に早くもこの世を去り、また指導のあり方は個人指導が中心だったので、生前にダイジのことを知っていたのはごく一部の人だけだった。その後、森北出版から遺稿として『アメジスト・タブレット・プロローグ』(一九八九年)と『絶対無の戯れ』(一九九○年)が出版された。また渡辺が編集した講話録として『講話録1 十三番目の冥想』(一九九三年)、『講話録2 君がどうかい?』(二○○二年)、『講話録3 最高に生きたい』(二○○三年)、『講話録4 素直になる』(二○○四年)がSCLから出版された。

 これらの内、本来なら初めに出版されるべきものだったのが、『講話録1 十三番目の冥想』と『講話録2 君がどうかい?』の第一部だった。というのは『十三番目の冥想』はこれが語られた一九七八年にすでに渡辺が編集し、ダイジの校訂を経て出版の準備ができていた。『十三番目の冥想』という題名も出版のためにダイジが自ら付けたものである。また『君がどうかい?』の第一部は当初「随時説法」の名で編集され、これもダイジの校訂を経て『十三番目の冥想』の続編として出版の準備ができていた。しかし当時はダイジのものを引き受けてくれるところはなく、また渡辺は当時まだ学生であり、自費出版もかなわなかった。ダイジは個人指導が中心で、構成員の多い教団のようなものがなかったので、出版社から見れば出版しても売れる見込みがないというのが実情だったかもしれない。

 渡辺が編集した講話録も、できれば森北出版から出版してほしいと思い、渡辺が交渉したが不調に終わった。ダイジの校訂を経て、題名もダイジが自ら付けたものをそのまま埋もれさせてはいけないと思い、報恩のつもりで出版したのが『十三番目の冥想』である。私としては講話録はこの一冊でいいのではないかと思ったが、『君がどうかい?』の第一部もダイジが校訂していたのでこれも出したいと思い、続編となった。後の二冊はダイジの校訂を経ていないが、『十三番目の冥想』で用いられた「救世主入門」について語っている部分があり、『十三番目の冥想』の補遺として私の責任において出すことにした。

 初めに森北出版から出版された『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』は一九八三年に清書が終わり、当時我々はこれをコピーで所持していた。コピーで所持していたのはもちろんまだ出版されていなかったからだが、別の見方をすればコピーで間に合うくらいの人数しかダイジの周囲にはいなかった。渡辺が編集した講話録を読んでいただければわかるが、講話と言っても数畳程度の小さな部屋でダイジの周囲に車座になって話を聞くのがほとんどで、人数は十人程度か少ない時は二三人だった。渡辺一人だけということもあった。従って講話録の登場人物も数が少ない。講話録を読むと少人数しか質問しなかったのではないかと思われるかもしれないが、元々集まっていたのが少人数だったのである。

 このように周囲にいたのが十人程度の者だったので、広がりということは考えにくかった。よくある宗教の成り立ちと同じなら、当初は少人数でも次第に支持者が増えていきそうなものだが、講話録を読んでもらえばわかるように、入れ代わり立ち替わりという感じで、一年を通してでも人がよく入れ替わっていた。二三回会って終わりという人が多かった。従ってそこに集まっていた者の横の関係が強いかというと、そうは言えなかった。ダイジからの個人指導が中心なので、まずダイジとの一対一の関係が成り立った人が残った。また人によって指導の日が違ったりその指導の内容が一人ひとり違うため、互いに面識がなかったり他の人が何を修行しているのかよくわからなかった。家庭教師ではないが、同じ家庭教師についている生徒が互いのことがわからないのと似たような点があった。

 ダイジの周囲にいたのが少人数というのは個人指導中心のあり方として必然的にそうなった面が強い。またダイジの説いた冥想のレベルが非常に高く、なかなか理解されなかったということもある。講話は実質的にはダイジの好きだった道元の『正法眼蔵』と同レベルだった。またさらに冥想を行として実修し始めると、実際にはダイジの経歴からわかるように、行としては禅とほぼ同様で生半可な気持ちで容易に続けられるものではなかった。

 また行として禅なら禅をするにも、本格的な道場はなく、アパートや借家の一室を道場代わりに使うという程度のもので、修行環境としては恵まれていなかった。若者がほとんどで経済力のあるような有力な後援者はなかった。禅をやるなら禅寺でする方がはるかに環境はよかった。学生時代に私は早稲田大学の仏教青年会に所属していて、東京大学の仏教青年会と交流があり、そこの座禅会に誘われて参加していた。東京大学の仏教青年会ではビルの一室に座禅道場があり、非常に恵まれた環境だった。またダイジも自分が寺で修行しているので自分の所にこだわることはなく、そういうところでの参禅を勧めていた。

 このように少人数の者しかダイジに接触しておらず、教団もなく、生前はほとんど無名の市井の冥想家として生きた。後に述べるリチャード・バックの『イリュージョン』の「救世主を廃業した救世主」のイメージである。著書もほとんど没後に出された。それがいまだに読まれているところを見ると、その説いたものの価値が認められたということだろう。

 ただし、私が出した講話録でも初版が数百部で、それが十年程度かかってようやく売り切れるという状態である。年に数十部程度の動き方で、その数はほぼ毎年一定している。この間、一貫して支援してもらったのは東京の精神世界の専門書店である「ブッククラブ回」である。私はこことのやりとりを通して確かにダイジの言葉が通じる読者がいるのだという実感を持つことができた。売り切れた講話録を再版したのはその支援が大きい。

 しかし今年でダイジの没後二十五年となるが、その間にダイジを巡る環境が大きく変化したかというと特に大きな変化はない。一部の人には伝わり忘れられるわけではないのだが、特に広がるわけでもない。ダイジの生前とほぼ同じ状態が続いているように思える。

 それはダイジが言うように十二という基本の数からはみ出した「十三番目」というダイジのあり方によるのだろう。またそれを語る『十三番目の冥想』の「救世主入門」の精神と関係するのだろう。ダイジに忠実であろうとしてその追随や模倣をすることはむしろその教えに反する。冥想道はあったとしてもそれは自分の道を歩むことであり、ダイジ教ではない。宗教を自分から逃げる駆け込み寺にしたい人にとってはこれほど困ることはない。

 出版されたものの中で「冥想」を題に持つ本は『十三番目の冥想』だけである。当時はこの講話を聞いてまずダイジの説く冥想とは何かを知り、そこで冥想に関心を寄せた者に本格的に行としての冥想を個人指導するという形だった。そこでの行としての冥想を書いているのが『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』である。本来の順としてはまず『十三番目の冥想』を読んで冥想とは何かを理解し、それから冥想行を行おうとする人が『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の冥想行を実修するという形が望ましいはずだ。

 『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の冒頭にはダイジの言葉として、「クリシュナ・ムーティの教えが、正しく聞き入れられるならば、この書を世に出す必要はないであろうに」と書かれている。まず読者はこの意味をしっかりと受け止めるべきだろう。クリシュナ・ムーティは哲人とも宗教家とも言える人だが、仮に宗教家として見ると宗教家には珍しく悟りへのプロセスやテクニックを全くと言っていいほど説かなかった。冥想とはプロセスやテクニックではないというのがクリシュナ・ムーティの立場だった。

 しかしいくらそう言われても結局何も起こらないのではないか。そのために本来は語れないはずのプロセスとテクニックをあえて語ろうという形である。さらに言えばプロセスとテクニックを語るのはクリシュナ・ムーティの言うように邪道かもしれないことをわきまえた上で語っている。本には親切にも独修は危険だとはっきりと警告が書かれている。

 『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』に説かれている冥想行は四種類である。わかりやすくするために単純化して言えば、念仏や題目という称名行、臨済禅の丹田禅、曹洞禅の只管打坐という中国と日本の伝統的な冥想行の三種と、インドで伝授されたヨーガ一種の合わせて四種である。いずれも何百年、あるいは千年以上の伝統を持つ行法なので何も問題なさそうに見えるが、初めから『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』を読み、いきなりその行をすることは危険を伴う。そのことは先に述べたように、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の冒頭に独修は危険であるとはっきりと警告として書かれている。興味本位で接することはできない本である。警告が必要なのにそれが最初に出版されたのは、そこに書かれたインドでの直伝のヨーガがクンダリニー・ヨーガであり、それが読者の関心を集め、売れるだろうという見込みを出版社側が持ったからだろうと思う。

 この本が出版されたのは私が郷里の広島に帰った翌年であり、私はこの本が出版されたのに驚いた。まずダイジの講話を聞き冥想についてその根本を理解し、それを承知の上で冥想行の個人指導を受けた者がコピーとして持っていたものが出版されたのである。だから書名にプロセスとあるものの、実際のプロセスとは逆になってしまった。さらに翌年一九八七年にダイジがこの世を去り、読者はダイジの指導を受けようにも受けられなくなり、本あるいはそこに説かれた行が警告を無視して一人歩きする危険性が高まることになってしまった。私の所には、独修は危険とあるがこの行を修めるにはどこに行けばいいのかという質問がよくあった。私は禅なら禅寺へ、ヨーガなら本山博氏の所へと答えた。佐保田鶴治と本山博のヨーガの本はダイジが勧める参考書の一つだったが、佐保田鶴治氏は一九八六年に八十七歳で逝去しておられた。二十五年経ち本山博氏もすでにご高齢である。

 ダイジがこの世を去ってもそのような形で冥想行をすることは可能だろうが、最初の出版の翌年にこの世を去るというのはあまりに早すぎる死のように思える。何らかの意味があったのだろう。『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』を遺言のようにして残したのかもしれないし、あるいは自分自身が再び生まれる時のために残したのかもしれない。

 また生前にダイジが言っていた、自分の冥想を受ける予定の十二人がこの本を出したことによってようやく揃ったのかもしれないし、それを集めるための出版だったのかもしれない。「十二」という数が基本だということを生前のダイジは言っており、それと『十三番目の冥想』の「十三」は関係している。十三は言うまでもなく十二プラス一である。十二の次の基本の数は「三十六」だと言っていたが、三十六プラス一は「三十七」になる。『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』が三十六歳で出版され、翌年三十六プラス一の三十七歳で亡くなったことを思うと、一つのサイクルが完結したのかもしれない。この死自体が「三十七番目の冥想」だったのかもしれない。またダイジに限らず精神世界で大きな役目を果たした人の中には、三十代半ばで世を去る人が多いように思う。釈尊も三十五歳で成道した後、梵天の勧請がなければ、そのままこの世を去ろうとしたと言われている。

 私が生前に聞いていたのでは、ダイジの寿命は七十三ということだった。それから言えば、三十六を二サイクル繰り返して、プラス一であるその翌年にこの世を去るという予定だったはずである。その一サイクル目で充分役目を果たしたということだったのだろうか。あるいは七十三の七と三を入れ替えると三十七になるので、七十三というのは実は当初から三十七を暗示していたのかもしれない。初めから寿命が三十七というと、当時の指導を受ける側が動揺する可能性が強かったことは容易に想像がつくからである。

 その早すぎる死の意味としては、初めの十二人に自由を与えようとしたのかもしれないし、また自分を頼らせないためだったのかもしれない。イエス・キリストの自ら招いたかに見える早すぎる死も十二弟子を自立させるためだったという解釈もできる。この自分を頼らせない、また自由を与えるというのも、リチャード・バックの『イリュージョン』のストーリーとよく似ている。『十三番目の冥想』がダイジの基本だったのだろうと思う。

三 『十三番目の冥想』


 『十三番目の冥想』はリチャード・バックの『イリュージョン』の中の「救世主入門」という小冊子の言葉を解説したものである。ダイジによればこの「救世主入門」には原典があり、『十三番目の冥想』の巻末にはその原典が収められている。ただし講話は『イリュージョン』の中の言葉を用いて行われたので『イリュージョン』があれば問題ない。

 リチャード・バックは『かもめのジョナサン』の作者として有名である。そこでは人生に疑問を持ち、飛ぶことの修行によって真実に目覚めたカモメが主人公で、どちらかと言うと古典的なタイプの修行者と救世主として描かれている。それに対して『イリュージョン』は救世主を廃業した男という、新しいタイプの救世主が描かれている。『イリュージョン』は『かもめのジョナサン』の続編と言っていい作品だが、救世主の現れる時代とあり方を変えているように見える。これからの救世主像を描いた作品と言っていいだろう。

 『イリュージョン』の冒頭は「イントロダクション」としてその救世主の出現と廃業までが簡潔に語られている。救世主の出現と活躍まではイエス・キリストの出現とよく似ている。教えとしては寓話によって、「しがみついているものから手を離す」という形で語られ、仏教の「放下」や「無所得」という執着からの解放という教えに近い。しかしそう語っても、人々は救世主にしがみつくことをやめず、それでは人々が真に救われることはないので救世主は人々に廃業を宣言する。ここからが新しい時代の救世主のあり方となる。

 この救世主の名をドナルド・シモダという。略してドン。救世主を廃業した男は一人の飛行機乗りとして放浪の旅に出る。そこで出会ったのが作者の分身のような飛行機乗りのリチャードである。二人は友達になるが、リチャードはまもなくドンが救世主を廃業した男であることを知る。そのドンがリチャードに教科書として与えるのが「救世主入門」である。その副題は「三歩先を行く精神が心がけるべきこと」。「三歩先を行く精神」とは何か。救世主を廃業した男の語る新たな救世主とは何か。これが新しい時代の救世主像となる。そうして一対一の個人指導が始まる。しかしそれはわずか一夏で全く思いがけない形で幕を閉じてしまう。ドンはなぜか自ら死を招くような言動をとったあげく、ある町で殺されてしまう。その死自体がリチャードへの最後のメッセージであり、教育だった。リチャードはドンの思い出を胸に空の旅を続ける。そして書き始める。それが『イリュージョン』の「イントロダクション」である。その本当の続きは我々の歩む人生となる。

 このドンとリチャードの関係は、ダンであるダイジと我々一人ひとりとの関係、つまりダンと私との関係と同じであり、最後の死とその後までが恐ろしいほど重なってくる。

 リチャード・バックはアメリカでの精神世界への関心の高まりである、いわゆる「ニュー・エイジ」との関係が深い作家だろう。キリスト教的な世界観や時代観と東洋的な冥想の精神世界が重なっている。新たな時代精神を表現しようとしているようだ。しかし『イリュージョン』ではこの魅力に満ちた小冊子「救世主入門」についてはなぜかほとんど語られておらず、解釈は読者に委ねられる。実は物語中に言葉の意味を解くヒントがあるのだが、それを読者に求めるのは難しい。ダイジは『十三番目の冥想』でそれを語っている。

 その最初に現れる言葉を読んでみよう。「三歩先を見る能力を常に活用せよ、さもなくば、常に三歩後を歩むことになる。」我々が先の見えない時代の中にあって将来を見通すことなのだろうか。しかし物語の中でドンはあっけなく衝撃的な最期を遂げているではないか。あれは三歩先を歩んでいたと言えるのか。普通に読むとこのような理解になるだろうし、それはやむをえない。私もそうだった。しかしキリスト教でも聖者は「預言者」であって、「予言者」ではない。神の言葉であるロゴスを生きることは予言とは関係ない。

 副題に「三歩先を行く精神」とあるように、この「三歩先」が「救世主入門」の全編を支配していると言っていい。私はその解説をダイジから聞いた時の驚きが今も忘れられない。ダイジは言う。「三歩」とは「時間、空間、物質」。従って「三歩先を見る」あるいは「歩む」こととは「時間と空間と物質を越える」ことであると。ここまで聞くと、仏教を学んだ方なら『般若心経』の「色即是空 空即是色」と同じことだとわかるだろう。

 しかしさらにその続きに驚くはずである。ダイジは時間と空間と物質を越えることができるのは「愛」だけだと言うのである。ここで仏教を学んでいると用語の混乱が起こる。仏教的文脈では愛は愛着であり、執着と同じと見なされることが多いからである。仏教的文脈なら、普通はここでまず「空(くう)」と言うはずである。ドンもリチャードも空を飛び回る飛行機乗りであり、それと関係するように見える。物語の中でドンは人生は映画と同じようなもので「イリュージョン」だという。それは「色即是空 空即是色」を思わせる。おそらくリチャード・バックはそのつもりで書いているのではないかと思われる。

 「空」と言わないなら次は仏教なら「慈悲」だろう。ここは「空」でも「慈悲」でもよかったはずなのだが、ダイジは徹底してそれを「愛」と語る。読者に宗教用語の混乱が起きるのはもっともだが、知った上であえてダイジはそう語る。もしその立場を仮に言うなら「愛の禅」であり、本当にあるのはただ「愛」だけという徹底した「唯愛論」である。

 この現象世界を「時間と空間と物質」の「三元」として表現するのは伊福部隆彦の用いる表現である。伊福部隆彦の場合はそれを越えるものは「道」として語られる。ダイジがそれをあえて「愛」と表現するのは、十七歳で初めて見性した時の体験が関係するように思える。『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の中でその体験が語られている。それは精神的にどうしようなく行き詰まった時に起きたという。もはや何もする気にならず、見るともなく見ていたテレビの映画で、キリスト教の殉教者が「それでも、私は神を愛する」と語った時に、ストーリーとは関係なく、この「愛」という言葉が異様な程、響いたという。その時に突然何かが爆発した。これが最初の体験だった。十代でのこの爆発的な「愛」の体験と、伊福部隆彦との出会いがダイジの原点だったと言っていいかもしれない。

 このようにダイジの語る冥想とは「時間と空間と物質」を越えることである。それが「三歩先を歩むこと」であり、さらに「三歩先を歩む精神」である「愛」のことである。それは一歩ずつ歩むようなものではない。まして「愛」はテクニックではない。むしろテクニックの対極にあるものだ。講話の中でダイジが何度も語っているようにそれは物事に「直面」することによって初めて開けるものである。ここでは「プロセスとテクニック」という考え方とは全く逆のことを語っている。この人間自我にとって壁と見える物事に誠実に「直面」することによって初めて真実が開けるというあり方は伊福部隆彦を思わせるものがある。伊福部隆彦が自分の会に名付けた「人生道場」という言葉はそこに由来するのだろう。伊福部隆彦はある人生上の困難に直面する中で突然見性し、その後でそれを確認するかのように禅を始めている。本当の「面壁」とはこの「壁」への「直面」のことだろう。

 こうして「愛」に目覚めた者は誰でも「救世主」である。そして救世主は現代においては崇拝や依存の対象ではなくドンのように友として現れるとダイジは言う。形のない「愛」が、形を変えて現れるのである。『イリュージョン』では、ドンは「待っていたのさ、君をね」と言い、リチャードは「そうかい、遅くなってごめんよ」と答える。ここにダイジと我々との出会いが重なる。私が「ダイジ」と呼ぶのがおわかりいただけるだろう。

 この「愛」の徹底的な強調とともに「自分に忠実である」ことも繰り返し語られる。そう言うと自己中心の自己愛のように聞こえ、「汝の隣人を愛せよ」という隣人愛とは一見矛盾するように思えるかもしれない。宗教を道徳と同じように思い、ある枠の中に自分を無理に押し込めているような人にとっては全く逆のことに見えるかもしれない。

 渡辺が編集した講話録の題名はいずれもダイジの言葉から採っている。「君がどうかい?」、「最高に生きたい」、「素直になる」。これらは「自分に忠実である」ということと深く関係する。自分を偽り表面を取り繕うのが宗教的人間のあり方ではない。それはまさにイエス・キリストが偽善者と呼んだものだろう。ドンが殺されるのは古い信仰深い町である。ドンは「自分に忠実である」ことを語って人々を挑発する。彼らを解放するために。

 しかし「愛」に目覚めた者が「救世主」であるのに比べれば、「自分に忠実である」ことが「救世主」であることを理解するのはかなり難しい。むしろ他人のために自分を犠牲にするのが救世主だというイメージが強いだろう。「救世主」という使い古された言葉を使って我々を挑発しているのである。当然反発するべきだ。パウロのように。ドンは新しい十字架にかからなければならない。私達という新しい時代の救世主を生むために。

 「救世主入門」の言葉。「君たちはもちろん学習者であり教育者であって、いかなる種類の生や死を選ぼうとも自由だが、義務というものがあるとすれば、自分に忠実でなければならないということそれ一つだけである。」「他人や、他の事情へ忠実であることは、不可能なばかりでなく、偽物の救世主であることの証明となる。」

 ここに書かれている通りなら、ドンが救世主を廃業しさらに殺されたのは「自分に忠実」だったからだということになる。ドンにとっては人々の要求に合わせて彼らの望む救世主を演じ続けるのは「偽物の救世主」となることだった。しかし苦しむ人々を見捨てたのは「愛」に反しないのか。「イントロダクション」と「救世主入門」は深くつながっている。

 ダイジの答えは「忠実というのは、本当の深い自分に対して忠実ということ」「実在に対して忠実」「それは愛ということに対して忠実」となる。答えはやはり「愛」である。

 仏教を学んだ人ならこの「自分」とは実は「仏性」で「無我」だとわかるだろう。しかしそういううまい言葉に逃げるのはわかったようでむしろ「直面」から遠ざかることかもしれない。自分に忠実であることが本物の救世主であることを衝撃をもって受け止める方が「直面」だろう。「救世主入門」はいわゆる宗教的な生き方を説くものではない。その言葉を鵜呑みにすることも、真似することも、うまく消化することも求めてはいない。「君がどうかい?」でありダイジ教にはならない。「救世主」とは「愛」である本当の自分に目覚めそれに忠実に生きることである。そのようにして生きることがまた「冥想」である。

 蛇足だが、ダイジの「初転法輪」と言うべき『十三番目の冥想』の第一回は一九七八年三月十一日だった。それから三十三年後の同じ日に東日本大震災が起きた。この日以降『十三番目の冥想』を読む人はそこに目がいかざるをえないだろう。「愛」は伝わるだろうか。


     


 ダンテス・ダイジの著書  『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』森北出版刊
                   『アメジスト・タブレット・プロローグ』森北出版刊
                   『絶対無の戯れ』森北出版刊
     
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