平田靱負 薩摩の誠,
責を 一身に 負ひ 名を世に傳ふ。
記者の黄孺 固(もと)より 變はらざれども,
應(まさ)に知るべし 義を重ずること 侯嬴に學ぶを。
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テレビニュースを見て。その際、取材する態度についても感じるところがあった。
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・諸葛孔明: |
蜀の丞相。 |
・平田靱負: |
(ひらたゆきえ)。徳川幕府より木曽三川の分流工事を命じられた薩摩藩の当時の家老。多大な犠牲者を出しながらも分流工事を完成させたが、平田靱負は、薩摩藩への厖大な負担の責任を取って、自害した。現在、治水工事がされた地域には、今に至るも、平田公園があって平田靱負の銅像があり、なおもまた、平田靱負を祭神とした治水神社もあるという。 薩摩義士である。 |
・黄孺: |
黄口の孺子。青二才。礼儀知らずの若者。 |
・侯: |
戦国時代の魏の隠士の名。自分の一言と、その信義のため、自ら言ったとおりに命を絶った故事による。侯嬴は、七十歳で夷門(東門)の監者となり、後、信陵君の客となる。信陵君が出陣するとき、侯嬴は、献策するとともに、老齢ゆえ従軍不能のため、従軍を辞退した。しかし、信陵君が目的地に着到すると思われる日に、自刎して公子(信陵君)を送ろうと言い、その言の如く自殺した故事に拠る。唐・魏徴の『述懷』に「中原初逐鹿,投筆事戎軒。縱計不就,慷慨志猶存。杖策謁天子,驅馬出關門。請纓繋南越,憑軾下東藩。鬱紆陟高岫,出沒望平原。古木鳴寒鳥,空山啼夜猿。既傷千里目,還驚九折魂。豈不憚艱險,深懷國士恩。季布無二諾,侯嬴重一言。人生感意氣,功名誰復論。
」に拠る。
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