huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye

                                          




雨中林森



霎中探墓林森衢,
不見舊墳無故墟。
僑翁來説滄桑變,
白雨潸潸雙鳥居。




林森公園の鳥居
岳飛:「還我河山!」(林森公園) リスっ!(二二八和平公園)
台北二二八和平紀念館 二二八和平紀念館内にて
総統府(旧・総督府) 市政府前からの台北101
台北101
                                    
    雨中(うちゅう)林森

霎中(せふちゅう) 墓を探す  林森(りんしん)(みち)
舊墳を見ず  故墟(こきょ)()し。
僑翁(けうをう) (きた)りて  滄桑(さうさう)(へん)()けば,
白雨(はく う ) 潸潸(さんさん)たり  (さう) 鳥居(とりゐ)

    *****     
  十二月九日から十二日までの日程で、台湾北部のミニ旅行をした。

memo: 九日の午後は九份(きゅうふん)を巡り、 十日は台北市内で、林森公園の明石総督の墳墓跡→台北二二八和平紀念館((昼食:サンドイッチ)〜二二八和平公園)→総統府→信義(誠品書店→台北101)を廻り、 十一日は新北投(北投温泉博物館→地熱谷)→圓山(孔子廟→保安宮)、 十二日…帰国

  十日、林森公園に赴いて明石総督の墳墓跡にお参りしようとしたが果たせず、雨の林森公園の中を歩き回っていた。たまたま近くにおられた方にその旨の質問をした。全くの偶然なのだが、何とその方は、四十年間台北で過ごされていた日本人だった。その方から、この数十年の台北の、そして林森の地の移り変わりの話を聞いた。墳墓跡は無いとのこと。ここで残っている日本時代のものは、最近になって不法建築物の間から出て来た二つの鳥居だけ、と云う。
  公園をたちさる時には、雨は弱まっていた。

  なお、この詩は、ここの後に行った台北二二八和平紀念館(附属?)のレストランで作った。(この時は雨はやんでいた。)

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・林森: 林森北路にある林森公園。林森北路一帯は、日本統治時代の日本人街で、曽ての大正町(たいしゃうちゃう)。公園の所には、大戦後に不法建築群が出来たが、撤去して公園としたところ。
・衢: 〔く;qu2○〕みち。大道。大通り。
・霎: 〔せふ・さふ;sha4●〕小雨。
・墟: ここでは、曽ての日本人街の跡。
・僑: 国外に居留する国民。
・滄桑-: 世の中の移り変わりの激しいこと。滄海が変じて桑田と成るのこと。
・白雨: 明るい空から降る雨。
・潸潸: 〔さんさん;shan1shan1◎◎〕雨がぱらぱらと降るさま。涙がさめざめと/はらはらと流れるさま。
・鳥居: 爲日本神社的入口,又稱爲「華表」等。用以區分神域與人類所居住的世俗界,一種結界,代表神域的入口,可以將它視爲一種「門」。---Wikipediaより


平成二十七年十二月十日




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