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紀州東照宮前沙也可碑 |
紀州東照山崢嶸, 雨住見碑心一驚。 知爾慶長李少卿, 今歸故里若何情。 |
「沙也可顕彰(ママ)碑」 | |
徳川吉宗公誕生地 | 紀州東照宮 |
紀州東照宮参道 | 紀州東照宮 |
東照宮中の稲荷大社にあった「沙也可顕彰(ママ)碑」 |
紀州の 雨 知る 今 ************* |
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紀州東照宮の稲荷大社の中で、偶然に沙也可(さやか)の碑を見付けた。まだ新しい碑だ。「沙也可顕彰碑」とあった。正直のところ、驚いた。何故またここに…?!何か意図があって??「沙也可顕彰碑」の「顕彰」とは?
何を「顕彰」?? ……考えてみれば、ここの東照宮は、和歌浦に臨む雑賀(さいか)山に位置している。そのすぐ西南には雑賀(さいか)崎がある。そのため、ここを沙也可(さやか)の故郷と比定しての碑なのか…。(確かに、雑賀(さいか)孫一の率いる雑賀(さいか)鉄砲衆は和歌山のこの辺りが根拠地なのだが…)。 和歌浦観光の余韻よりも、沙也可(さやか)碑発見!の興奮のほうが勝(まさ)った。 沙也可(さやか)とは、文禄・慶長の役で加藤清正の配下として朝鮮に渡ったが、投降して朝鮮軍に加わり、火縄銃の技術を伝えて日本軍と戦い、その功績を称えられ、朝鮮王から金海金氏の姓を賜り、金忠善と名乗って彼の地の帰化人となった人物のこと(『wikipedia』より要旨抜粋)。 その碑を見付けての詩。 ---------------
伊勢丘人先生に『沙也可』詩がある。 沙也可 伊勢丘人 出如鬼兮入似神 攜鳥銃兮助韓人 沙也可兮沙也可 遠離鄕兮超人倫 イズるは鬼の如く 入るは神に似たり 鳥銃を携え 韓人をたすく サヤカよ サヤカ 遠く郷を離れ 人倫を超えたり |
平成二十五年四月七日 |
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