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紀州東照宮前沙也可碑



紀州東照山崢嶸,
雨住見碑心一驚。
知爾慶長李少卿,
今歸故里若何情。



「沙也可顕彰(ママ)碑」
徳川吉宗公誕生地 紀州東照宮
紀州東照宮参道 紀州東照宮
東照宮中の稲荷大社にあった「沙也可顕彰(ママ)碑」


                                                                                                                                               
紀州の東照(とうせう) 山 崢嶸(さうくゎう)
()み 碑 (あらは)はれて  心 一驚す。
知る  (なんぢ) 慶長の  李少卿( り せうけい)
今 故里(ふるさと)に歸るは  若何(いかん)の情ぞ。

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 紀州東照宮の稲荷大社の中で、偶然に沙也可(さやか)の碑を見付けた。まだ新しい碑だ。「沙也可顕彰碑」とあった。正直のところ、驚いた。何故またここに…?!何か意図があって??「沙也可顕彰碑」の「顕彰」とは? 何を「顕彰」??
 ……考えてみれば、ここの東照宮は、和歌浦に臨む雑賀(さいか)山に位置している。そのすぐ西南には雑賀(さいか)崎がある。そのため、ここを沙也可(さやか)の故郷と比定しての碑なのか…。(確かに、雑賀(さいか)孫一の率いる雑賀(さいか)鉄砲衆は和歌山のこの辺りが根拠地なのだが…)。
 和歌浦観光の余韻よりも、沙也可(さやか)碑発見!の興奮のほうが勝(まさ)った。

 沙也可(さやか)とは、文禄・慶長の役で加藤清正の配下として朝鮮に渡ったが、投降して朝鮮軍に加わり、火縄銃の技術を伝えて日本軍と戦い、その功績を称えられ、朝鮮王から金海金氏の姓を賜り、金忠善と名乗って彼の地の帰化人となった人物のこと(『wikipedia』より要旨抜粋)。
 その碑を見付けての詩。
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・李少卿: 李陵のこと。少卿は字前漢の武将。武帝の時、騎都尉として匈奴と戦うが、敗れて降り、単于に仕える。



 伊勢丘人先生に『沙也可』詩がある。
 
     沙也可
            伊勢丘人

 出如鬼兮入似神
 攜鳥銃兮助韓人
 沙也可兮沙也可
 遠離鄕兮超人倫

イズるは鬼の如く 入るは神に似たり
鳥銃を携え 韓人をたすく
サヤカよ サヤカ
遠く郷を離れ 人倫を超えたり
平成二十五年四月七日




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